第5週は定例の予定がないので、もみじ狩りの見頃と思い、北信に遊びに行きました。
朝4時前に車で家を出発、8時半には飯山市の高野辰之記念館に着きました。
「ふるさと」「朧月夜」「もみじ」などを作詞した高野辰之のふるさとです。
記念館は時間前でまだオープンしていませんでした。その近くの「ふるさと散歩道」を散策しました。その道々に歌詞が刻まれた石碑が作られ、楽しい散歩コースでした。
「小フナ釣りしかの川」や「うさぎ追いしかの山」なども望めて、高野辰之の生家や高野家の菩提寺にも行きました。
私がとても印象に残ったのは、高野辰之も子どもの頃遊んだであろう真宝寺と言うお寺でした。
寺の門前に平和の塔というモヌメントが建てられていました。
広島、長崎の原爆の火を受け継いで寺の本堂に保存しようと思ったが防火上の理由からそれがかなわず、門前に移したと書かれていました。記念のモニュメントの柱には、傷跡のようなものがありました。太平洋戦争当時、寺に集団疎開させられた子どもたちがさびさの思いから寺の本堂の柱に残した爪痕をイメージしたものだそうです。そして、一番驚いたのは左下の黒御影石の石碑です。そこには憲法9条が刻まれていました。この寺の鐘楼は戦争中、武器調達のため、鐘が強制的に供出されました。戦後、檀家や有志の拠金で2代目の鐘が作られたそうです。境内の墓石を見ると、戦死した若い青年の立派な墓石が沢山ありました。
愚かな戦禍を忘れまいと作られた「平和の塔」は、檀家有志、地元の平和を望む人、この寺に集団疎開した人たちなどの平和への思いが凝縮したものだと知りました。
「ふるさと」を「君が代」に替えて、国歌にしてもよいのでは意見もあります。私はその意見に賛成です。そんな思いを新たにした「ふるさと」の散歩道でした。
その後、馬曲温泉オープン30周年記念イベントに行きました。
なめろ汁が振舞われましたがとても美味しかったです。
宿泊地志賀高原の宿に向かいました。途中のカンマンダキ展望台からは、落差107mの滝と見事な紅葉を楽しみました。
朝4時前に車で家を出発、8時半には飯山市の高野辰之記念館に着きました。
「ふるさと」「朧月夜」「もみじ」などを作詞した高野辰之のふるさとです。
記念館は時間前でまだオープンしていませんでした。その近くの「ふるさと散歩道」を散策しました。その道々に歌詞が刻まれた石碑が作られ、楽しい散歩コースでした。
「小フナ釣りしかの川」や「うさぎ追いしかの山」なども望めて、高野辰之の生家や高野家の菩提寺にも行きました。
私がとても印象に残ったのは、高野辰之も子どもの頃遊んだであろう真宝寺と言うお寺でした。
寺の門前に平和の塔というモヌメントが建てられていました。
広島、長崎の原爆の火を受け継いで寺の本堂に保存しようと思ったが防火上の理由からそれがかなわず、門前に移したと書かれていました。記念のモニュメントの柱には、傷跡のようなものがありました。太平洋戦争当時、寺に集団疎開させられた子どもたちがさびさの思いから寺の本堂の柱に残した爪痕をイメージしたものだそうです。そして、一番驚いたのは左下の黒御影石の石碑です。そこには憲法9条が刻まれていました。この寺の鐘楼は戦争中、武器調達のため、鐘が強制的に供出されました。戦後、檀家や有志の拠金で2代目の鐘が作られたそうです。境内の墓石を見ると、戦死した若い青年の立派な墓石が沢山ありました。
愚かな戦禍を忘れまいと作られた「平和の塔」は、檀家有志、地元の平和を望む人、この寺に集団疎開した人たちなどの平和への思いが凝縮したものだと知りました。
「ふるさと」を「君が代」に替えて、国歌にしてもよいのでは意見もあります。私はその意見に賛成です。そんな思いを新たにした「ふるさと」の散歩道でした。
その後、馬曲温泉オープン30周年記念イベントに行きました。
なめろ汁が振舞われましたがとても美味しかったです。
宿泊地志賀高原の宿に向かいました。途中のカンマンダキ展望台からは、落差107mの滝と見事な紅葉を楽しみました。