昨日は、連れ合いが呼吸器疾患の診察を受けている東京病院の病院まつりでした。食堂でランチを食べた後、天気も良いので園庭を歩いて見ました。
園庭のモミジは今が見ごろでした。
裏側の方に行くといくつもの記念碑などがありました。
ここは、昭和初期からの結核療養の地であり、その前身は清瀬病院・東京療養所で、わが国の結核治療の中心的な役割を果たしてきたようです。
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戦前は、結核になった軍人の療養のための施設でもあったと書いてありました。傷痍軍人は「早く結核を治して、健康な体で再び戦地に向かいたい」という人が書かれていました。でも、当時、結核は不治に病で再び戦地に行けるような人はいなかったようです。
戦後もあった療養のための小屋です。
狭い小屋には二人が入っていたそうです。「結核の治療のためには新鮮な空気が不可欠だ」と冬でも窓を開けていたというから驚きです。
戦後ストレプトマイシンの発見により、結核が完治できる病気になりました。社会復帰のための運動も取り入れられました。
園内を歩くための「出発点」の元石だそうです。歩くことが社会復帰への第一歩と1km、3km・・・と歩くことが奨励されたようです。
結核治療法の進歩に伴い、結核は逐年減少しているようですが、結核症そのものの難治化、患者の老齢化に加えて、最近では若年層の患者が増加しているとも言われています。
私たちが加入しているHOTの会(呼吸器障がい者の会)にも若いころ結核を患ったという高齢者の方もいます。中には、在宅酸素で独居の方もいます。
結核は、昔も今も、呼吸器疾患の中心を占めているような気がします。