僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2022/8/14)学生時代の話を思い出す。大岡昇平。教授。

2022年08月14日 21時30分36秒 | 文学/言葉/本




昨日ケナガとナナコが一緒にいる所の写真が撮れたので。

夫が一階の和室で寝転んでテレビを観ていると、ナナコがその横に。そしてケナガもやってくる。

夜の8時にはもう夫は寝ていて、夜中2時ごろ起き、音楽を聴いている。
休日はいつもそのように過ごしている。

今日もちょっと出かけた。
お昼には夫がマックを食べたい、と言うので何年ぶりかに買う。
数年前は私の仕事帰りに近くのマックでたまに買っていた。
それをしなくなって数年。
退院後の食生活等すっかり変わった私は、マックもモスも全く食指が動かなくなった。
夫はそういうのが好きで久しぶりに食べたいとなった。
明日はケンタッキーである。
夫の休みはこのように普段食べていないものを食べるようにしている。
ところで、夫、チーズが嫌いなので、チーズ抜きのマック3つである。

その車中、こんな話をした。
私の大学時代の話。
もう昭和の50年代の、古ーい時代の話。
マックに向かう途中にお寺街の中を通るのだが
お盆のお寺の賑わいを見つつ、ふとあるお寺のことを思い出した。
場所もその辺りだと思う。
このお寺と富永太郎という詩人の繋がりがうろ覚えだった。

大学時代の大学祭か何かの時に
大岡昇平が来校したような気がする。
何しろ何十年も前の話なので、全てうろ覚えである。
「群像」に大岡昇平の随筆が載っており、
その来仙した時に富永太郎にちなんだお寺を
仙台の友人を介して訪ねたことが書いてあった。

ある講義の時、教授が大岡昇平について話したので
私はたまたま持っていたその「群像」の随筆をコピーして教授の室のポストに入れた。
ほんの軽い気持ちである。
大岡昇平さん、こんな随筆書いていましたよ、という紹介の気持ちである。
群像を教授が読んでいる、なんて考え及ばず。

そして次の講義の時。
教授はマイクを通して、開口一番
「私の室のポストに群像のコピーを入れてくれたのは誰ですか?!ぜひ名乗り出て下さい!」
とかなり興奮気味に学生に問い詰めた。
「その仙台の友人というのは、この私なんですよ。」と
経緯を述べた。
私は講義が終わったあとに名乗り出た。
まさか、こんなに濃く大岡昇平とつながりがあったとは思っていなかった。

そしてそれ以来、その教授と話すことが多くなったのだが
結局何十年経った今
「それが何?」の状態。
大岡昇平の研究者になるわけでなく、富永太郎の研究者になるわけでなく
それをきっかけにして文学に埋もれるわけでもなく。
夫に
「それが何という状態ですよね、今。」
何も達成しないままに朽ちていく。

今、書棚を調べてみると
大岡昇平の「富永太郎」伝があったので。
確か図書館で読んで、そのあと自分の給料で手に入れた本。
煙草の煙で黄ばんだ本になっている。

あのお寺周辺を通ると、いつも富永太郎の・・・と思うので
今日は口に出してみたよ、夫。







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(12/9)忖度ということば

2017年12月09日 20時20分07秒 | 文学/言葉/本
まだまだ、自分にとっては寒い日が来たとは思えない12月だ。
北海道は雪だろうか。
こちら東北仙台は、早朝にチラッと降る程度で、幻の瞬間のようなもの、目撃者も少ないだろう。
過ごしやすい東北の町である、仙台って。
この間の北仙台で中国の友人と会った日ぐらいか、寒い!と感じたのは。

今年の流行語に「忖度」が選ばれた。
漢検では読みが中心に出題されると思うが
意味までわかるのはなかなかいない。
テレビで、ネットでこの言葉が大いに使われた今年。
その使い方に違和感を覚えた自分だ。

相手の心を忖度する。

相手の心を想像する、推量する。

ところが、今の使われ方だと、
相手の心を推量して配慮する、とか
斟酌するとか、取り計らうとか、便宜を図るとか、付随した意味を持たせた使い方になっている。
そこまで意味はない。
しかし、新しく使い始めた人によって、この意味が定着していくと推測される。
本来はそこまでの意味じゃないよ、なんて無粋なことを言って煙たがれそうだ。
私はたまにこの忖度という言葉を使ってきた。
どちらかと言えば、好きな言葉だ。
10年くらい前にも、このブログで「忖度」のやりとりがあったのを思い出した。
相手側に立って、彼女の気持ちを想像してみた。そこに配慮とか斟酌という意味合いはなかった。
まさか、それらの意味合いを持たせた使い方は10年後に出てくるなんて予想もしていなかった。
今の使い方は
相手を忖度するではなくて、
相手に忖度する、という新しい使い方。
相手に配慮する、ならばわかりやすい。
これからも自分としては
相手の心を忖度する、という使い方をするので、あしからず。

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(11/30)冬の蝿

2016年11月30日 07時10分57秒 | 文学/言葉/本
二階の居間に
一匹の蝿がいる。
ここ1週間ほど、いやもっと前からか飛び交って
今は天井に張り付いている。
そこで蝿の寿命を調べた。
成虫期になって1カ月半くらいだと書いてあった。
部屋の中は暖かいし
猫たちの食べ散らかした餌がヒョイとあるので
なんとか生き延びているようだ。
駆除しようかと思ったが
1カ月半と見て、そのまま放っておこうと思った。


  冬の蝿逃せば猫にとられけり  一茶

わざわざ「冬の」と季節を入れているから蝿そのものは
夏の季語らしい。
季節を飛び越えて冬まで生きながらえた蝿だから
生命閉じるまで、ちょっと見逃している。
衛生、衛生、と言われても
そんなこと気にしない昭和の私である。
台所で見つかったゴキブリでさえ、ティッシュで捕まえて
庭に投げる私だ。
カエルの餌になるかもしれない、寒さで死ぬかもしれない、
でも私が積極的に殺すのは御免被る。
それを汚い、不衛生、と言われても
私自身が気にしないので。
庭の樹木に作った蜘蛛の巣でさえも除去できない。
蜘蛛の巣が不都合なときは
先端の糸を別な枝にくっつけてやる。
「ちょっと頭にくっつくので通るのに邪魔。」ということで。
蜘蛛は慌てて糸の上を歩き回るが、大勢に影響がないのですぐに落ち着く。
小さな虫にも、短い人生の生きる権利がある。
この世の生命、人間だけじゃない。
今までそうして自分が過ごしてきたのだから
これからもそうやって残りの人生やっていく。
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(11/20)ある死刑囚の歌

2010年11月20日 17時04分40秒 | 文学/言葉/本
彼は
人を殺して刑務所に入るまでに
一体
どのくらいの人とまともな会話をしたであろうか。
一体
幾人の人と対等に笑顔で語ったであろうか。

それはほとんど皆無だったのかもしれない。

生まれてきて
中耳炎、カリエス、蓄膿症等の病気を抱え
成績不振、教師やクラスメイトからもいじめられ

母は結核に罹り、極貧の中で死ぬ間際に
好きなたらこを食べたいと言ったが
結局自分は食べずに
それを幼い子どもたちに食べさせて亡くなった。

就職してもどこも定着せず
荒れた心から犯罪を犯しては少年院に入っていた。
彼自身が、耐性のない激情型の性格から
誰も彼に同情することはなかったであろう。
自業自得と言ってしまえばそれが正しい。

そしてとうとう
取り返しのつかない罪を犯す。

故郷に帰ろうとしても
お金がない、空腹という状態のときに
全く縁もない農家に強盗に入る。
その農家一家も貧しい所だった。
その一家にも事情があるのだ。
貧しくて、明日の糧をどうしよう、と思っていたかもしれない。

人を殺す、というのは
その人の人生を奪ってしまうことだ。
この不運なめぐり合わせ。

結局
彼は捕まり
後に死刑囚となる。

当時25歳である。
昭和34年の出来事である。

ここまでなら
死刑囚の1人として
記憶にも残らずに処刑されたであろう。

彼の有期の人生はここから始まった。
死刑囚でありながら
むしろここから彼の「人としての」人生が始まったようなものである。

彼は
自分を振り返ったとき
生涯でたった一度だけ褒められたときのことを思い出す。
小学生の時だったか
自分の絵を褒めてくれた先生に手紙を書く。
その先生は
褒めたことをほとんど忘れていたが
逆に
そのことを覚えていたことに涙し
彼に歌を詠むことを勧める。

褒められたことのない人間が
一度だけ褒められたことを生涯
忘れずにいる、という哀しさ。
誰からも好かれなかった人間が
対等に声をかけられることの嬉しさ。

その思いを忖度する。


そして彼は
刑死(けいし)するまでにたくさんの歌を詠み
新聞等の歌壇に投稿し
その名は世に知れ渡っていく。
彼を支える人もでき、初めてといっていいほど
彼は死刑を待ちつつ
人間としての心を取り戻すのである。

辞世の歌

この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し



小さいときから他者から愛されることもなく
他者を愛することもなく(ちなみに彼は女性を知らずして刑死)
彼の人生のどこかで
彼に温かく声を掛け続ける人間が傍にいたなら
彼の人生もまたちがったかもしれない
どんなに貧しくても
一番やってはいけないことをしてはならない、と
小さいときから植え続けていたならば
何かが違ったかもしれない。





私が学生時代に
教育実習生として2週間
教壇に立ったのだが
そのときの仮のクラスで
ある1人の生徒が気になった。
誰とも話さず
ポツンといて
皆で私を囲んで写真を撮るときにも
端っこにいた子だった。
あるとき私は思い切って話しかけた。
何を話しかけたかは
もう○○年前のことなので忘れたが
それを機に
彼女は私の傍に来ることが多くなった。
何も話さない。
でも話したい。
何を話したらいいかわからない。
だから私が話しかけるのをずっと待っている。

そうこうして実習が終わった。
その後
彼女との交流ができた。
とは言っても
緘黙の人だったから
私の所に電話をしてきても黙ったままだった。
私が話しかけるまで話さない。
でも電話をしてきたのだから何か用があるのだ。
ようやく出てきた言葉は
私の家に遊びに行きたい、ということだった。
遊びに来ても
しゃべらない。
言葉を発するまで時間がかかる。
別に言葉が不自由ではないのだ。
これまで彼女は
自分から
普通の女の子が話すように話したことがなかったのだろう。
その私とのやりとりは
端から見れば滑稽だったかもしれない。
私も彼女のために
自分の言いたいことを言うまでじっくり待つ、ということをしてみた。
お互い
苦痛の時間であるにもかかわらず
その後も
電話をしてきて
うちに来ていたのだから
それなりに楽しかったのかもしれない。

私は電話が来ると
苦痛のときもあった。
それは
うちに来ても話さない、
常に自分が話題を提供して話さなければならず
彼女が答えても
はい、とか、それは・・・・とまた沈黙のことを思い浮かべて
苦痛のときもあった。

結婚が近くなって
彼(夫)にそのことを話すと
「相手をしてやれよ。その子はそれでも来たいのだから。」と言われた。

あるとき
彼女は
私に
浴衣を縫って持ってきてくれた。
何だか涙が出た。
彼女なりの私への気遣いだった。
お母さんに御礼の電話をすると
逆に恐縮された。
いつも、娘をありがとう、と。

私は彼女を私たちの結婚式に招待した。
先日
自分の結婚式の写真を同僚に見せるということで
探したときに
彼女の姿が映った写真もあった。
今、どうしている。
あれから
その裁縫の仕事でどこかの県に行ったと便りにあったが
今は
互いに音信不通となっている。

今なら
もっともっと
大事にしてやらなければ、と強く思うのだ。
あの時の私は
若かった。
年齢も
心も。

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(9/26)臥薪嘗胆 塞翁が馬 日本

2010年09月26日 21時08分18秒 | 文学/言葉/本
臥薪嘗胆

この中国の故事成語は私の好きな言葉である。

ウィキペディア参照

旅行中
テレビを観るのは皆無。
新聞も読まなかった。
4日間、何がどう起きているかほとんどわからない。
一昨日帰宅して
ネットを開くと
トップに、「船長釈放云々」と載っていた。
え?!なぜに?どうした?
と全くニュースを観ていなかった私は驚いた。
ついこの間まで
日本は法に則り粛々と事を進めるとか言っていたはずだが。

この急展開にはきっとそれなりの訳があるのだろう、
きっと先を見越しての判断なのだろう、と思うようにしたが
どうなのだろうか。
訳がわからない。
中国では自分たちの国の勝利とか沸き立っているが
この意味がわからない。

犯罪を犯したら裁かれる、というのは文明国では当たり前である。
仮に日本がそのようなことをしたら
私たちはその日本の船が悪いのだから、相手国の法で裁かれて当然と
思うに違いない。
悪いことをしたものを盲目的に擁護することは絶対にない。
そのくらいの思慮分別は持っている。
しかし
中国はそうじゃない。
あれやこれやと制裁的措置まで声明している。
文明国とはほど遠い、前時代的なやり方を行使している。
驚いた。
そんなものか、中国は。
まだまだ世界のリーダーになれるものじゃない。

この臥薪嘗胆は
薪を枕にして寝て耐え忍び、肝を嘗めて苦労を忍ぶということだ。
いつか成功するまで耐え忍ぼう、というふうに使う。
中国は昔から自国内で覇権争いばかりで
読み物としては面白いのだが
現代において、牙を剥いたそれを見るとは思わなかった。
故事成語は大体
その戦争から出てくる言葉が多い。

呉越同舟
合従連衡
四面楚歌
そう
四面楚歌にならないように、中国。
四面楚歌なんて、悲しい歌なのに。

そして日本。
臥薪嘗胆。
塞翁が馬である。
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(4/11)井上ひさし

2010年04月11日 04時47分27秒 | 文学/言葉/本
夜中3時にトイレに起きてから
なかなか寝付けず
4時半に2階に上がってくる。
ネットを開くと
「井上ひさし死去」のニュース。

私の住む街と縁の深い作家。
「青葉繁れる」という青春小説がある。
ポツポツと有名処は読んできたつもりだ。

最近は
短編「ナイン」を読んで
そこに於ける下町風情、昭和風情について
書き留めたいと思っていた。
そして
今後読もうと思っていたのは
「四千万歩の男」という歴史小説である。
伊能忠敬の伝記。
長すぎる・・・

私たちの仲人であった教授の追悼の言葉が掲載されていてびっくり。
しばらくこちらから連絡をしていない。
申し訳ない。
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(10/29)青春の書

2009年10月29日 20時39分47秒 | 文学/言葉/本
今日借りてきた
TUGUMIを読み終える。
数時間でサラッと完了した。
読まなければならない、というmustだったので
もうとっくに読んでいる人には
遅いね、と言われそうだ。
mustがなければ
今後も読まないだろう、と予測する。
よしもとばななです。

もう私のような年齢になると
このあたりの作品からは一切、手にすることがないだろうな。
どんなに流行っていても
自分自身が食指が動かなければ
手にしないものね。

もっと自分より若い人には
青春の書となっているのだろうか。
自分にとって青春の書というのは
柴田翔だろうなあ。
高校時代、自ら読書を禁止した時期があり
(受験のころ。ちょうど今ごろの季節)
それでも
頭の切り替えのために読書をして
彼の作品を少しずつ読んでいった。
「人生の執行猶予期間」なんていう言葉を
覚えて、それ以来使ってみたり。

このTUGUMIが流行ったころは
どこに感動したのだろうか。
その感動の押さえどころが自分としては
わかりにくかった。
明日、返してくる。
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(10/12)方言「ぶちる」「さっぱまる」「なまら」

2009年10月12日 21時03分15秒 | 文学/言葉/本
あるブログにて
コメントを書いたときに

仲間に加わって、という意味で
「さっぱまって」と使ったのだが
果たして方言として(こちら東北宮城)通じるだろうか。
うちの父がよく使っていて
その言葉を耳にしたときに
意味がわからなかった。
方言だと思うが、検索しても出てこなかった。
もしかしたら、父の造語かな。

インクが紙ににじむ、という意味で
「ぶちる」というのをこちらで言うのだが
(職場で検証してみた。福島でも使うと若い人は言っていた)
どうも
全国では意味が違うらしい。
私が北海道にいたときは
「なまら」なんて使ったことがなく
新しい方言かと思ったがどうだろう。
3年前に友人らがこちらに来たときに
「なまら」と使っていた。
で、どういう意味だろう。
「やたら」「たいそう」という副詞かもしれない。
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(10/12)橋本治/巡礼ー男はなぜ、ゴミ屋敷の主になったのか

2009年10月12日 13時33分31秒 | 文学/言葉/本
8時半には一回目の洗濯が終わる。
快晴
ネコたちの敷物、タオル等を洗濯中。
大きいものが多いから干すところがすぐに無くなるので
ベランダの手すりにも掛ける。


昨夜は橋本治の「巡礼」を読み終えた。
彼の作品は私はたった2つしか読んでいない。
それも初期。
桃尻娘と書くと、聞き覚えがあるかもしれないね。
まさに、にっかつです。
そして
ぶらんこ。これは難しい漢字を充てるので、探すのが面倒でひらがなに。
そのほかに
彼らしい言葉で古典文学を翻訳している。

彼は器用な男で
セーターも編む。
さりげなく、セーターを編む、と書いたけれど
この人の作品は芸術品なんです。
うちに「男が編むセーター」(正しいタイトルは忘れた)という
セーターの教読本があるのだが(2冊)
その2冊とも彼の作品が最初に載っている。
かなり古い本。
私は不器用な人間で、セーターを編むなんて気の遠くなるような
ことはしない。せいぜいマフラーとか長方形とか三角形とかのもの。
で、
男の人のために書いた本だから、不器用な私にも
やれるだろう、とチャレンジ。
初心者向けのセーター、二枚出来上がり。
小豆色のセーターを夫は着たのでした。
一枚は自分用に。模様編みができた、と喜んでいたっけ。
彼はもともとイラストレーターなので
好きなものを下地に描いてそれを手編みしていくのです。
人の顔、漫画ヒーローの顔、そして桜吹雪など浮世絵さながらの
色使いでどんどん編みこんでいく。
できあがったものを見ると、セーターというよりは
躍動感のある一枚の絵なのです。

ニットの貴公子と呼ばれる、エレガントな淡い色彩で編みこむあの男の先生とは
違う、
豪快でいて緻密、派手な色彩が躍るように描かれているのです。
だから毛糸の色の数が違う。
毛糸屋さんも訝しがる膨大な量なのです。
そして彼はとうとう自分で、男が編めるように懇切丁寧な教読本を出版します。
手先が器用ということだけではなく、
彼がやりたいことを大胆かつ正確に表現できる器用さは、天才奇才という枠に
入るような気がします。
女性的な美しいセーターはたくさん見るけれど
彼のは、これは凄い!とびっくりするような、印象の強いものを仕上げていく。
絵をセーターに表現する、という二重の芸術に驚きませんか?
今では、男の人が作る料理、男子の厨房とか弁当とか、そしてセーターを編むとか
その分野で活躍する一流の人が多いと思うけれど
彼は、天才肌のセーター編み込み人の先駆者だと思います。
それが彼の仕事の主流ではなく、あくまでも趣味の範囲というのが
天才の余興のようで素晴らしい。

セーター芸術、熱く語りすぎた。
百聞は一見に如かずで、見てほしくてね。
閑話休題。
その彼が純文学の長編を。




このタイトル「巡礼」からは
ゴミ屋敷の住人について書かれていることは想像できないだろう。
私も、タイトルだけでは食いつかなかったかもしれない。
帯に書いてある
「男はなぜ、ゴミ屋敷の主になったのか?」に食いついた。
まさにそれは
私の疑問だったから。

ワイドショーでたまに取り上げられていた
ゴミ屋敷。
人々の憤慨と嫌悪感の対象であるそれを取り上げられることしばしば。
それでいて自分たちと全く違う世界を覗き込む好奇の気持ち。
だが、待てよ、と私はいつも思う。
彼(彼女)はいつそのようになったのか、
彼らにも若い頃があり、将来に夢を抱いたりした時もあったろう、
家族もあったろう、仕事にも就いていたろう、など
次々と疑問が出てくる。
一体どこでその境界線を乗り越えてしまったのか
そして共通する孤独、狷介孤高、老齢。
今、テレビを観ている自分が、果たしてこのようにならないと言い切れるのか
等々
次々と疑問が出てくる。
だが、ワイドショーは、ゴミの山の凄さ、社会的に離反している人間の批判に
終始して、片付けるべきことを主張して、彼らの心の内に入ることはしない。
いや、心の内に入ろうというポーズはするが、どうして俄かにやってきたそれらの
人間に彼らは心を開くであろうか。

物語は
そのワイドショーのレポーターがゴミ屋敷を取材するところから始まる。
そして、ゴミ屋敷の臭気と不潔さ、それを見に来る野次馬などに毎日ストレスを
抱え込んでいる周辺の人々の描写もはずしていない。
つまり、我々側からの物語から始まる。
周辺の人間家族は、その屋敷の老人を、老人の時代しか知らない人間ばかりである。
ただ一人、80歳を越えた女性が「昔は、ここの奥さんもしっかりしていてこんなはずではなかったのだが・・」と語り部のようにつぶやく。
そして彼女の知る過去、戦前戦後の話に物語は移っていく。

その時代の彼については、特別貧困だとか、親がいないとか、学歴もままならないとか、不遇という言葉はあてはまらない。
幼少の頃の不遇というのは見当たらない。
荒物屋に長男として生まれ、両親は働き者、商売もそこそこ成り立ち、弟もでき、中学卒業で働きに行く人が多い中、自分は商業高校を出ていずれは家業の跡継ぎになるであろうと、他の商店に修業の形で奉公に行く。
どちらかというと恵まれている平凡な真面目な少年、青年時代である。
しかし
新しい家族、嫁をもらうことから、躓きが始まる。
嫁をもらったが、働き者悪く言えばガサツな感じの姑と、次の行動が出ないぼんやりした嫁との折り合いが悪くなっていく。
その辺の描写は詳しい。
極端な嫁いびりでもなんでもない、
商売の家に嫁いだ会社員の娘の育った環境の違いで
何をするにしてもテンポの合わない軋轢が生じてくる。
決定的だったのが、二人の間に生まれた子供が10歳に満たない年で亡くなり、
その遺骨と共にとうとう嫁がこの家を出ていくことである。
彼の歴史に、子供がいたというのが消されていく。
その後、若い男の年齢だから、飲み屋などの女性とも親しくなり、
押しかけ女房のようにやってくるが、当然その女も出ていく。
ここの描写は少ない。
弟が結婚し、新婚生活を両親、兄と同居で始めるが、兄(主人公)が弟の嫁に
関心が行き、嫁は気味悪がり弟夫婦はこの家を出ていく。
そして疎遠になるのである。
この弟というのが、物語のもう一人の主人公でもある。
私はこの弟の小さい頃の
兄を慕う描写が鍵を握っていると思った。
年の離れた兄が修業のために他の町に行くのだが
「兄ちゃん、行っちゃうの?また会えるの?」と寂しげに送り出すところだ。
幼い弟が
やがて大きくなって「太陽族」の頭のカットをしたりしても、少し流行を
追うだけであって、決して道を踏み外すことなく
彼も工業高校を出たキャリアを生かして技師になっていく。
その弟と疎遠になるのである。
両親が亡くなり(大分、私は物語をはしょった)、
荒物屋、瓦屋(父が新しく始めた)は時の流れに取り残されて
廃れていくのである。




彼はまだ母親が生きていたころに
あるおもちゃを拾う。
子供が歩行の訓練を兼ねて使うカタカタと鳴る遊具である。
それを修理する。
それを見た母親はある名前を出す。
亡くなった孫の名を出して、それで遊んだことを思い出す。
しかし、男はその名を聞いてもすぐに自分の子供の名と
思い出せなかった。
思い出そうとして封じ込める。
それを思い出せば自分は涙を流す、と知っているから封じ込める。
彼の孤独はそこに始まる。
母親の大往生のあと(初めに「ここの奥さん、しっかりしていた」の
言葉を書いたが、奥さんとは男の母親のことである)
三代続いた荒物屋は閉業し、ゴミが徐々にたまっていくのである。

彼は
どうして自分がゴミを集めるのか
自分でも理解できていない。
ゴミ論は、彼の頭の中でも巡る。
ゴミ論は、十分彼の頭の中で
相反するものがぶつかっているのである。
彼のゴミに対する思いは物語の中盤前にすぐに出ている。
人々に怯えつつも、何かをわかっていながらも
あるいはわからなくても、ゴミを集めてくる。
ゴミに執着する自分を持て余してもいるが、
次の日には集めてくるのである。



ゴミが彼の前から消えるのは
何がきっかけであるか。
ワイドショーに押し捲られたわけでもない。
むしろ頑なに、これはゴミではないと強弁になる。
市役所や保健所さえもお手上げである。

ゴミ屋敷が火事になる。
ぼや程度のものではない。
屋敷そのものは焼けなかったが外にあったゴミが焼け
消防車がやってくる。
そしてワイドショーは何社もやってきて
全国に報道される。
それをたまたま観て驚愕した男がいた。
それが
20数年、家に帰っていなかった弟である。
母の葬儀に参列をして、兄とぶつかっているが
家にはとうとう帰ってこなかった弟が
自分の家が火事、ゴミ屋敷になっていることに気づき
早々にこの家に戻ってくる。

ゴミの山に埋もれて作業をしている兄に
「兄ちゃん!」と声を掛ける。
弟は
昔、この荒物屋で売っていた竹箒で掃除をし始める。
兄は「これはゴミじゃない」と言うが明らかに
レポーター達に言う声の力とは違うトーンで少し抵抗する。

兄や家の歴史を知る弟の説得は強い。
「片付けた方が、母ちゃんが喜ぶよ。」と言う。
兄の心を動かす。
家の中に入るとゴミ、ゴミの壁。
二階に上がる階段もゴミ。
しかし
二階に上がって見たものは、ゴミの部屋ではなかった。
二階の部屋の前の屋根には
腐った布団が積み重なって並べられているが、
部屋にゴミがあっての屋根へのゴミの侵食ではない。

この二つの部屋は
かつて
兄夫婦が住んでいた部屋と
弟夫婦が過ごした部屋でもあった。
そこは
いつか家族が戻ってくるのではという
兄の無意識の希望の空間であったのだろう。
ゴミ屋敷の中にゴミが存在しない部屋がある理由を
兄も弟もわからない。
作者はその辺を彼らに代わって代弁する。


一週間ほどかけてゴミは片付けられる。
弟の
役所への対応の剣幕のあたりは
清々しささえ感じる。
社会人としてやってきた弟の姿と
廃人同様になっていた兄の姿は対照的に描かれる。
トータル400万円の清掃料。
それがどうした、という気持ちである。
一からやり直すための人生の勉強料である。

片付いてから
弟が提案する。
「兄ちゃん、巡礼に出かけよう。」と。
自分も今、妻を先に亡くし、子供たちも独立して孫もいる老人。
子供にいっしょに住もうと誘われているが
自分自身、これまでの人生を振り返りたかったところだった。
いつか四国の巡礼の旅に出たいと思っていた。
そこに
兄を誘う。
八十八箇所廻っているうちに何かを見出せるだろう、と
兄に言う。
そして旅は始まるのである。
初めは表情の硬かった兄も、幾つか廻っているうちに
ようやく
笑顔を見せて「この天麩羅はうまいなあ。お前も食え。」と
言うのである。
人とまともにコミュニケーションの取れた平凡な言葉である。
しかし、何十年も置き忘れてきた日常の平凡な会話である。
何十年も忘れていた笑顔である。
兄に、生きる希望が湧いてきた、と弟は喜ぶ。

翌日、兄は死ぬ。
巡礼の意味もわからない兄が、仏に導かれるようにして
死んでいく。



この小説はこのようにして終わる。
では私の疑問は解けたか。

これは小説であり、ルポでもドキュメントでもない。
実際にそういう人物から取材をしての小説化かどうかも
わからない。
ただ、作者も思っていたように
その奇異な行動の裏に人知れずその人の歴史があるのである。
あくまで小説だから
作者の救済はあっていい。
その救済が弟の存在である。
唯一の肉親。
かつて、兄が就職で旅立っていくのを純粋に寂しさを訴えた
弟が、初老の年齢になって
「兄ちゃん!」と登場することで兄は長年の呪縛から解放されるのである。

もっともっと書きたいところですが
やたら文字を打つときにPCが重くなっている。
ここら辺でやめておきましょう。
















コメント (5)
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(8/2)井上靖 氷壁

2009年08月02日 23時32分34秒 | 文学/言葉/本
「あなたは『詩集 北国』を知っていますか。」

当時T大に通っていた学生が16歳の私に聞いた。

「いいえ、知りません。」
と答え、それが誰の作品か、どんなものかを知らない自分を恥じた。
背伸びしようというわけじゃないが
それを知っているのが当たり前のように言われた。
別な人には
「島尾敏雄を知っているか。」と聞かれ
知らなかった19歳の私は「文学部のくせに。」と言われ軽蔑された。

知らないことが罪悪のように感じて、それからすぐに本屋に行き
それらを探し求めて読んだ自分だった。


井上靖の読書は
「詩集 北国」に始まる。
散文詩である。

そして高校3年
万葉集に興味を持ち、「額田女王(額田王のこと)」で彼の小説に触れていき
次々と彼の歴史物を漁っていく。
「楊貴妃伝」
「蒼き狼」
「天平の甍」など。

大学時代は専ら
彼の作品は短編、中間小説ばかり読んでいた。
読み通していたから好きだったのだろう。
そして
読まなかったものがある。
彼の作品で有名なものはほとんど読んだつもりだが
読んでいなかったもの。
それが
「氷壁」である。

先日
山岳小説を読み始めよう、と書いた。
この間の北海道の山岳事故に衝撃を受けて
いろいろ調べていたのだが

この時代、この時期(夏)にどうしてあのように
たくさんの人が亡くなっていったのか

山を登らない私にはわからなかったから調べた。
記録文が一番、それを探るに適切だと思うが
文学ではどうなのか

そして
新田次郎の作品を読んだ。
彼の作品は読んだことがない。
山岳小説を読むには、まず登山用語を理解しなくては、と思っていた。
登山に興味がないから、それらを知るのも面倒がっていた。
彼のは短編集から読み始める。
長編はまだまだ。
そのあと
ようやく
井上靖の「氷壁」を読み始める。
古い文庫本である。
書棚を久しぶりに探すとあった。
黄ばんでいる。
現在出版されている表紙とおそらく同じだが
表題と作家名が横書き、縦書きで区別される。

主人公の魚津の友人があっけなく
山で滑落死する。
ナイロンザイルが突然切れるのである。
丈夫で切れるはずのないザイルがなぜ切れたのか
推理小説ではないが
それを巡って話が展開する。
魚津が客観的な語り部であることを望んでいたが
彼はその事件の当事者になってしまう。
いっしょに登っていた生き証人でもあり、
世間から「魚津がザイルを切ったのではないか」という
嫌疑を掛けられる。
彼は
自分の嫌疑を晴らすというよりも
彼自身がなぜ目の前で突然ザイルが切れ、友人が死んだのか
一番知りたく、
ある所に実験を(間接的に)依頼する。
実験の結果、ザイルは切れなかった。
この
実験の結果と、山において実際に切れたという事実の
矛盾が更に彼を貶めていく。
新聞も大々的に、実験結果を報告する。
再度実験をしてほしいとお願いするが
それは果たせない。
最終的には別な所に依頼して、切れる結果が出てくるが
そのときには既に遅し、
魚津は、友人の死んだ数ヵ月後に
彼自身も山で遭難死するのである。
こういう結末があるとは知らなかった。
そして
この結末にがっかりしてしまう。

この小説には女性が2人登場する。
1人は、友人が思いを強く寄せる人妻である。
この女性が読者にあまり共感されない描き方は
井上靖にはよくあること。
もう1人は、友人の妹であり人妻とは対照的な描き方をされている。
これもよくあること。
確か「霧の道」という小説でも2人の女性を描いていた。

この人妻が随所に出てきて
友人を翻弄し
なんと魚津まで翻弄されていく。
魚津は結局自分の思いを封印して、友人の妹との結婚を約束するが
遭難のときの描き方が非常にいただけない。
落石の危険があり、ここを引き返せばまだ生きる余地がありそうなのだが
引き返すイコール人妻への思慕に引き返す、という考え方に陥るのである。
これまで
ほとんど冷静に慎重に堅固に行動してきた彼に
なぜ遭難しかかっているときに、このような考え方が出てくるのか。

この人妻が2人の男を翻弄するほどに
読者から見て魅力的だったか、ということには異論を唱える。
最初から最後まで、なるほど、と思う気持ちにならなかった。
魚津の死後に心でつぶやく人妻の
「私は魚津を愛していたし、魚津も私を愛していた。最後に見せ合った
きらきらした美しいもの・・・」のきらきらとしたものを
感じ取れなかった私である。

小説として、魚津は死ぬべきでなかったな、と思いつつ
本を閉じた。
死ぬ必然性はなかった。
自殺でもないし、友人の死があるだけに、自分自身遭難には慎重に
なっているはずが、どうしてあの女のことが出てくるのか
井上先生、果たして最後はあれでよかったのでしょうか。


私の薦める井上作品の1つに
「四角な船」がある。
文庫本にもなっているようで、手に入りやすい。
学生時代、一晩で読み、「感無量」の言葉を本に残している。
その「四角な船」と関連して
彼の散文詩に「ノアの方舟」を彷彿させるものがある。
それをいつか紹介したい。



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(7/24)男子弁当 本の紹介

2009年07月24日 23時19分31秒 | 文学/言葉/本
料理やお弁当のブログを覗くだけでも楽しい。
今自分はお弁当を作っていないけれど
以前は仕事の昼休みに
同僚とわざわざ窓際の席にランチョンマットを敷いて
お弁当を広げて食べることが楽しみだった。
料理や弁当のレシピの本は何冊も無駄買いしている。
どうしてだろう。それらを参考にして
いろいろと作ったわけでもないのに
眺めるだけで楽しんでいた。

最近は
男子が弁当を作って職場や学校に持っていくことが
流行っているのか。
そんなブログもたくさんある。

実際に
自分の周りにはいないような気がするけれど。

弁当持参の男子応援book
というタイムリーな本が出ている。

実はこれ
私の友人が編集した本である。

男子弁当 HAND BOOK という本の紹介

実際に弁当を作って職場などに
持っていっている男性に取材をして
その中身の公開、作るきっかけ、弁当持参その後の変化など
詳細に載せている。
これから作ってみたい人のためにも
簡単レシピ、格安レシピ、弁当のためのグッズも紹介。
これらの組み合わせでもかなりの数の弁当ができそうだ。
気負わない、傍にある食材で
見栄えよく、栄養、カロリーに配慮した弁当の数々。

私たち女子もこれを参考にして作れるね。

この本
ハンドブックということですから
大きさも手ごろ、値段も手ごろ
器用な男子はモテモテになりそうだ。
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(4/19)「完成させる」という言葉

2009年04月19日 20時53分47秒 | 文学/言葉/本
今、ストーブをつけている。
日中は暖かいけれど
夜は少し冷えている。
昼の日差しは柔らかくて
庭のタンポポが黄色く一斉に咲いている。
庭にタンポポ?
タンポポは雑草の部類に入るのかもね。
でも、うちは雑草が芝生代わりなので、
タンポポや小さなブルーの花をつける名の知らない小花が
春らしい雰囲気があるんだ。
花壇のチューリップやパンジーは堂々と
「春の代表の花よ」と咲き誇っているけれど
タンポポや小花の雑草に
春をより強く感じてしまうよ。

頭の中は
「恋のABO」が巡る一日だった。
メロディアス。
こびりついて離れない。
作戦成功ですよ、ニュース。
こうじゃなくちゃ。
歌は単純でいい。
覚えやすいのがいい。




話は変わって。

ちょっと気になる言葉使い。

よく、クイズ番組で
「○○を完成させなさい。」という言い方をしているが
私は気になってしかたがない。

「○○を完成しなさい。」で十分じゃないか、と。

「試験を終了しなさい。」
「ひらがなを漢字に変換しなさい。」
「グラフを完成しなさい。」

ところが、どうも「完成させる」という言い方が主流になっていて
「○○を完成する」が駆逐されそうな予感。
○○を完成する、という言い方はおかしい、とまで
言われるようになった。
現に、この私、言われました。
おかしい?みらさん(急に友人の名を出してごめん)。

自動詞、他動詞両面を持つ
「完成」+「する」という動詞には
「できあがる」「つくりあげる。」という意味があるので
「つくりあげなさい。」=「完成しなさい。」はダメですかね。

ならば、
「終了させなさい。」
「変換させなさい。」にもなってしまうよ。

そこで
ネット検索。
両方の使い方をしているんだね。
私の辞書には
仕上げる、という意味がきちんと載っているし
ずっとそうしてきたので
「完成しなさい、はおかしい。」と
言われたときは
「え、間違い?」と思わず言ってしまったっけ。

もう少し、考察してみるけれど。



これから
WOWOWの
「空飛ぶタイヤ」を観るんだ。
一番楽しみにしている、今のところ。
そして
今期始まったドラマをまともに観ていないという日々。
夫は寝ました。
いびき、もう聞こえています。

ミミはあちらで鳴いて
トモはまた足元に来て私を見上げて。
30分間、ミミの相手をしてきましょう。
さあ、明日からまた仕事だ。
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(3/28)住宅顕信 自由律俳句

2009年03月28日 12時41分01秒 | 文学/言葉/本
今日も寒い。
洗濯をして干しても、日差しが弱い。
もう3月は終盤。
マフラーをします。



     ずぶぬれて犬ころ


これは俳句。
俳句というと
5・7・5という定型、季語、切れ字等
授業で教わったかと思う。
そんな中

     せき(咳)をしてもひとり

という、字数の合わない俳句が掲載されている。
そして教師は
「これは、自由律俳句と言って・・・・」と
尾崎放哉のこの句の説明に入る。
上の「ずぶぬれて犬ころ」という句は
住宅(すみたく)顕信という夭折した俳人の自由律俳句。
なかなか教科書には載ってこない人。
彼は文学史的には、ついこの間亡くなった方。
私の持っている「現代句集」にも載っていない。
なぜならこの「現代句集」が出たころには
彼はまだ俳句を作っていなかった。

私が自由律俳句に触れたのは
山頭火。
高校の時に彼の手記を買った。
定型句を主流に授業で習う中
私は山頭火の句に惹かれて
山頭火風に句を詠んだ。
名詞止めや「かな」「けり」の切れ字で終わる句と
違って
まるで文章の一部のような、季語もない、平易な句に
共感した。

    吠えつつ犬が村はずれまで送ってくれた 

    のびのびと尿してゐて咎められた

    縫うてくれるものがないほころび縫ってゐる

    吹雪吹きこむ窓の下で食べる

放浪の旅の途中、こんな句が生まれている。
放哉の場合は、自分の性格が災いしたのか、東大を出ながらも
最後には寺男として庵にこもり結核で亡くなっていく。
その放哉に傾倒していたのが
住宅顕信。
彼は25歳という若さで亡くなった。
作品の裏には悲しい物語がある。
それらが全てわかってしまう。

    かあちゃんが言えて母のない子よ

    脈を計っただけの平安な朝です

    若さとはこんなに淋しい春なのか

    消灯の放送があってそれからの月が明るい

    
そして私の好きな句は
    
    四角い僕の夜空にも星が満ちてくる

奥さんが妊娠して、彼が白血病を発病し、離婚。
子どもを引き取って彼(の家族)が病室で子育てをする。

夜、消灯の時刻が早くて目が冴えているころ
病室の四角い窓から見える夜空の星に
心、目がきらめく気持ちをその句に託している。
その情景が浮かぶ句です。

さて
最初の
    ずぶぬれて犬ころ

はどのような場面だったのか。
その句を見て、情景を浮かべるとすれば
犬がずぶ濡れになってトボトボ歩いているところだろうか。
時代的に、もう野良犬は街の中にいないときである。
尾崎放哉にも

    朝早い道のいぬころ(ひらがな)

という句がある。
そして先ほどの山頭火の

    吠えつつ犬が村はずれまで送ってくれた

のように、普通に犬が放し飼いにされていたり、野良犬が
いたりと、犬の管理がされていない時代だった。
顕信はどのような場面に遭遇したのだろう。
あるいは
そのずぶぬれた犬は自分を詠ったものなのだろうか。
犬ころの響きには哀しさがある。
しかも雨に濡れてそこにいる。
泣き濡れて犬が歩いている。
首輪のない、雑種の名もない犬が雨の中
さまよいつつ歩いている。
そんな場面を思い浮かべる句である。
彼の句には雨が多い。
雨は人の心を寂しくさせる。
雨降りの人生か。





今日は土曜日。
午後、日差しが出てきた。
うちにはネコがいる。
日差しを受けて身体を舐めてくつろいでいる。
犬の目は悲しいね。
切なくなるね。



最後に
尾崎放哉の句を一つ


    犬が覗いて行く垣根にて何事もない昼
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(6/12)聖書ヨブ記

2008年06月12日 20時34分17秒 | 文学/言葉/本
今日は久々に
気分がどん底です

弱音を吐いてしまいそうです。
でも弱音を吐いても
好転しない、何も変わらないんですよね。

どんな困難があってもそれに
立ち向かえる強い心を
正月に願ったのにね。
やっぱり、来たか、という感じ。

仕事を抱えての矛盾、
自己嫌悪
家庭のこと

何をとっても
ダメなものはダメです。

それでも明日を生きなくちゃ。



聖書の「ヨブ記」を知っていますか。
長い、長い物語を読んでいるような気持ちになります。
途中で投げ出したいほどに
絶望の物語。
神がヨブを試す、これでもかというほどに
彼の信仰心を試すのです。
彼の身体を傷つけ、財産も家族ももぎとり
友人やサタンを使い、問答の中で
これでも信仰心は変わらないか、と
試すのです。

私は寝る前にこのヨブ記を何日もかけて
読んだのですが
私の中で
「投げ出せ。」と呼びかけるのです、自分が自分に。
でも
きっと最後には神は
ヨブを救うだろう、という
一縷の望みを持って
読み続けました。
読み続けている間の
怒り、絶望、どうしてこんなに傷めるのかという同情
それらが寝る前に渦巻くのです。

ヨブの苦しみに比べたら
自分のそれはまだまだ
神の試しすらひっかからない。
選ばれてもいない人間です。

聖書の中からは
救いの言葉を求めるのが習いなのに
ヨブ記の意義はどこにあるのでしょうね。
最後には救われるけれど
これが途中で自分が挫折していたら
なんとも暗い気持ちでいたかもしれません。

そのヨブ記を
また読みたくなってきたのです。
どうしてでしょうね。
ヨブの揺らぎのない信仰心を
強い信念と鑑にしたいのでしょうか。

コメント (7)
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(4/15)べんらん/びんらん/いさぎがいい/いさぎよい など

2008年04月15日 23時10分58秒 | 文学/言葉/本
気分は仕事シフトになりました。
でも明日休み。中日の休みは嬉しいです。
今は洗濯中。
ドラマをつけていますが、ほとんど観ていません。
仕事シフトの生活にする、と書くと
大袈裟ですね。
仕事マンじゃない私。残業などでクタクタになって帰宅する方が多いのに。

今までの生活がいかに楽で
時間を気ままに使っていたかということから
規則正しい時間の使い方をしている、という意味で
仕事シフトと書いた次第です。

11時半には消灯、というのは
ついこの間までは考えられないですから。
午後寝をしない、というのも考えられない。
昼食の量にも気をつけている、というのも考えられない。
いつもなら、食べたいだけ食べる。
今は、小ぶりのおにぎり1個を朝作って、それを昼食べる、という状態に。
お腹を少し満たすだけ。
満腹にすると眠くなる、というのが目に見えているので。
前は、お昼を食べないで
帰宅してから遅いお昼を、たっぷり食べて寝るといった生活でした。
今年はそういうわけにはいかない時間配当です。
ネコたちにも寂しい思いをさせています。
あまり遊んでやれないので。









便覧について。

今では
べんらんよりも
びんらんと読むのが大多数のようで
べんらんという読み方を使うことが憚られるようになりました。


べん・・・・便利  不便  便法  便宜 など
びん・・・・郵便  航空便  宅急便  便箋  便乗 など

ということから考えて
便覧  簡単に見る(覧)のに便利な本、ハンドブック

そのべんらんとびんらんの読み方について
書いてあったブログを見つけたとき
私も日ごろ
劣勢のべんらん読みのため
皆さんに聞いてみたわけです。

案の定
昨日、そのことで職場で問題提起したのですが
劣勢。
以前、このブログで
「濃い目に味付けする。」
「濃目に味付けする。」の言い方について書きました。
もともとの言葉が
時の流れで押しやられて、逆に
まちがった言い方、読み方となっていくのが恐ろしいと
いうようなことを書きましたが
この
べんらん読みもそうです。
べんらんと使うと、必ず
まちがっているとか、べんらんて変、とか
言われます。その都度、説明をしなければならない。
でもね、
説明しなくてはだめだと思うんですよ。
ことばは変わっていくのが当たり前、
という姿勢でどんどん
まちがった使い方を肯定していくのは
良くないと思っているんですよ。

その意味では
テレビの人気者の言葉遣いの影響というのは怖い。

「いさぎがいい」って、このごろよく聞きます。
それを聞いて
更に視聴者も使っていく。
そのうち、浸透していって
本来の
「潔い」(いさぎよい)が消えていく。
元の言葉が「いさぎよい」というのを忘れていく。

テレビの影響はすごいですよね。

皆さんは
テレビで聞いた言葉で気になったのは
ありましたか。

また出しますが
「何気に」・・・私は使えません。使いません。
そのうち数年後には
辞書に「副詞」として載りそうです。
だって

なにげにと変換してみたら
「何気に」とすぐ出ましたもの。

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