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これは約一カ月前に撮影。
新緑のプラタナス。私以外にも、太い幹にタッチしていく方が多数。
つい、タッチしたり抱擁したり、そんな思いにさせる大きな存在。
また一カ月くらい空けてしまうブログ。
父が3月末に入院したことを書いた。
そして4月22日に退院した。
肋骨を骨折し、肺に溜まった血を除去する手術をし、経過良好、元気に退院した。
その退院の記述がない。
退院してから、父は民生委員の方と今後の取り決めをする。
頭もクリアー、身体も足元が覚束ないがなんでも一人でやる父。
骨折の原因となったお風呂には、週2回、ヘルパーさんが訪問する時に入ることになった。
寝室は二階のベッドであるが、階段が危険なので、一階の和室に介護用ベッドをリースして置くことになった。
退院日に搬入した。
翌日、実家に行く父を乗せ買い物に。買い物にもこだわりがある父には口出しはしない。
牛タン弁当を食べて、さあ私たち夫婦の用事を足そうと帰宅の準備をすると、父が服を脱ぎだした。
これから風呂に入る、といきなり言う。
はあっ?いつ風呂洗いしたの?いつ沸かしたの?
「オレは、朝から風呂洗いをして水を溜め、沸かして今から入るから!」
もう初めから民生委員との約束を破っている。
私たちはここで帰るわけにいかない。
「何分、入る予定?」
「40分。」
早く言えよ、帰る間際になって素っ裸になるなんて。
一事が万事、こんな調子の父である。
人のことは考えない、人に一言、声を掛けない、自分の頭の中の時計で動く。
結局、入っている間、夫と待ち、風呂から上がれば、「タオル!」と横柄に叫ぶ。
不快な気持ちで実家を去る。
それが4月23日のことだった。
亡き母の命日(6月12日)は今年7回忌なので父はイベント的にやりたいが、身体が軽く動かないので
田舎のお寺に供養を頼んでいた。
11日が日曜なので、近所の方々のお焼香を目論んでいた。
平穏にそして慌ただしくその日を迎えるのだろうと思っていた。
5月18日、確かこのプラタナスを撮影した日。
私のスマホに早口の男の人の声。
救急隊の方だった。
父、転倒して頭を打つ、前回入院した病院に運ぶ、付き添いは隣人の方。
という内容だった。
またあの病院に駆けつける。
また続きは後で。