この時季の若葉が美しいと
今日も感じたくて
ついつい、公園に寄りたくなってしまう。
大木を眺め、鳩を眺め
風を感じて
帰宅。
そして
午後寝。
疲れていましたよ、私の身体。
昨夜結局、3時間ほどしか睡眠取れず
そのツケが来た様で。
そして今また
眠さが飛び、
夜9時ごろから洗濯とか掃除したり。
サイクルが違うでしょ、これでは。
明日休みなので気楽な気持ちですけど。
休日に
庭の樹木の剪定とか草取りとかを考えていたのだが
明日はまた雨になるとのこと。
布団干しもお預け。
週に一回の休み(不定期)にはどうしても
日差しがほしいのだが
儘ならず。
今日は職場で
お客様から
長崎の名産品
「九十九島せんぺい」という煎餅を戴いた。
日ごろお世話になっているから、ということだったが
こちらこそお世話になって1年。
長期の滞在である。
先日のGWに久しぶりに故郷に帰り、
昨日あたりにまた仙台入り。
皆さん、また揃いましたね、と声をかけ
再び復興の仕事に就く九州人。
こちら長崎に行ったことがないが
何となく
観光のイメージ、歴史のイメージを持っていて
「長崎、素敵なところですよね。」と言うと
「仙台も住みやすいですよ、好きになりましたよ。」と
言ってくださる。
そんな言葉が嬉しい。
いつのまにか
仙台の街に精通していく復興の仕事の人たち。
大阪や愛知の人たちも
毎日、仕事仕事で
つい、ずっとここに居そうな錯覚に陥る。
いつかは
別れが来る。
いつかは終わる。
物事にはいつか必ず終わりが来る、ということを
心の片隅に置いておかねばならない。
人との出会いは
生活していく中での弾みになる。
彼らの心境も複雑だろう。
故郷はやはりいいし、
そして
住めば都で
長期滞在すると、この仙台の街にも愛着が出てくる。
復興の仕事がなければ
この東北の街々とは無縁だったろう。
それにしても長い滞在だ。
昨年末にその仕事を終えた大阪の人が
こちらで事務所を開く、ということを
以前書いたが
その話も進んでいるようだ。
こうして
故郷に戻っても
仙台で仕事をすることを決断する人もいる。
むろん、仕事があるという判断がそうさせているのだが
なかなか
決断のできることではない。
どうしても近県になってしまうのではないか。
住んでみたら
ほどほどの街の大きさ
少し足を伸ばせば、緑が多い。
そういう環境も惹かれる要因かもしれない。
仙台は
学徒の街、と言われていた。
学生のころ
確かに
九州大分から
こちらの大学に来ていた人もいた。
広瀬川のほとりの古い一軒家を借りて
住んでいた。
大分に戻っていったけれど
彼も「学徒の街」に憧れて来た人だった。
仙台は何かしら
魅了するものがあるのかもしれない。
どんどん新しいものができているけれど
この震災で
古い建物は取り壊されていったけれど
なかなかどうして
住むには環境が抜群なのである。
私も
故郷は北海道だが
もしも
この仙台を離れて余生を別な所で過ごすようになったら
改めて
仙台の良さをつくづく実感するのかもしれない。
北海道から来たときは
北海道に帰りたくて帰りたくて
なかなか仙台という町を肯定できなかった。
父から
北海道を無理やり引き剥がされた感覚だった。
今や仙台人。
夫も生粋の仙台人。
この家から全く出たことのない人だ。
おやすみなさい。