僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2023/4/11)'Once Upon a Time in the West' Dire Straits

2023年04月11日 07時59分28秒 | 名曲
'Once Upon a Time in the West' Dire Straits


久しぶりに好きな曲を紹介。

大好きだったダイアーストレイツの「ワンス アポン ア タイム イン ザ ウエスト」
カタカナで書いてみた。

さっき、中古のマンションの間取り図を見ていたら、築1984年という数字を見て、ああ、その頃の自分は・・・
と、懐かしく胸が締め付けられるようだった。
結婚して、仕事に夢中で、髪は短くて、娯楽は夫とコンサートに行ったり、音楽を聴いたり、二人の共通の宝物だった
ことを思い出した。
もし、自分の耳がまだ正常に音をきちんと把握できたなら、夫と共に一階のオーディオルームで音楽を聴いていたはずだ。しかし、私の耳はもう正確に音を聴き取れない。
頭の記憶の中にある歌い手の声を頼りに音楽を聴くだけだ。
すっかり音楽とは遠ざかった。
が、しかし、大好きだった曲はたくさんあるのだ、記憶の音、声を頼りにまた聴くと良い。

そして、この曲を選んだ。
70年代末の曲だが、独身時代、毎朝この曲を目覚ましにセットして、起きて仕事に行ったんだ。
そして、80年代になって結婚したあとに
夫と東京の日本青年館という所に彼らのコンサートに行ったんだ。
まだ日本ではあまり有名ではなかったけれど、2日続けてコンサートがあり浅草のホテルに泊まり
2日間通った。
そして、ダイアーストレイツはbigになり、存在が大きくなりすぎた。



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(2023/4/6)いつもの神社へ。父のこと。

2023年04月06日 11時02分41秒 | 両親のこと、入院のこと

昨日は曇天であったが、私のもう一つのパワースポットである、近くの神社に1月以来のお参り兼リハビリ散歩を
してきた。
桜の樹の本数は乏しいが、この神社にも桜の樹はあった。
もう散ってしまったのもある。

濃いピンクの枝垂桜である。
暗くて、ピンクが映えないですね。
夫の幼稚園のあった神社、そこを離れず何十年も暮らしている夫に、いつも自分の人生と比して、
「安定の家庭」「安定の人生」を感じるのです。
私が物心着き始めた富良野の保育所時代。ほぼ記憶になし。強烈な印象の出来事は今でも覚えているけれど、
それはまた別の話。その保育所時代から人生何転もするのだが、居住からして何十転もしている。
それと、夫の人生の居住を比較すると、笑うほどに私は忙しかった。知らず知らずのうちに、
ストレスとなって溜まっていたことだろう。
転校なんてストレスの最たるもの。それを何回も。社交的な、外交的な性格ならまだカバーできるが、
内向的、劣等意識を持つ自分にとって住む場所、生活する場所が変わるたびに皺が増えていったようだ。
いつもこの神社は、そのことに気付かせる。
良い場所である。
小さな神社である。

家事をしつつこれを書いている。
さっき、父から電話があったのだが、聞き取れない私の耳では理解できず、「私は何もしていない」と
頓珍漢なことを言うだけであった。電話もしていない、メールもしていない、病院には初日と手術日に行っただけ。
見舞金もまだ包んでいない。用意しているが、医師の呼び出しの時でいいだろうと思っている。
実家の冷蔵庫の整頓は、又甥のお嫁さんにお願いしてあるので、私は何もしていない。
何枚も書く書類の件は身内なのでやっている。
きっと誰からも連絡がなく、多忙な医師、看護師とは最低限の会話、威圧的な話し方の父は敬遠されるであろう。
勝手にしゃべって、勝手に切っていた。
メールは面倒のようだ。要望はその方が私には確実に伝わるのだが、文字打ちが面倒らしい。

一回更新しよう。





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(2023/4/5)桜満開。父のこと。

2023年04月05日 12時09分07秒 | 日常、仕事、認知症

昨日通院の帰りに、いつもの自分のパワースポットの公園に行ってみた。


プラタナスの白い肌と、細々とした枝。これから大きな葉っぱになる。太い幹にタッチ。


そのプラタナスの前の黒々とした幹の桜の樹。花。青空。

午後にまた出かけてみようと思う。
心が不安定です。

父が入院して1週間。面会禁止なので今の様子はわからないが、特に病院から連絡がないので、順調なのだと思う。
そういう約束にしている。市内でもうちから遠く、通うのにタクシー代が嵩む。
今後一週間のうちに、退院後の父の生活の仕方について話し合うことになっている。

父はどう思い描いているのだろう。

家族構成としてはうちは単純だ。
父。
娘の私。夫。

この三人のみ。

法的に、何かトラブルになるような人間関係でもない。
父が一人で何もできなくなったら、娘の世話になるか・・・という気持ちに傾くのが自然だろう。

しかし。
そうではない複雑な事情。

私は、10年ほど前に
遺産相続放棄している。
正確には、「させられている。」
父は、法定相続人、というのを嫌がっている。
なぜなら、法定通りなら娘の私に全てが行くから。
結婚して実家を出た私には渡したくない、というのが父の気持ち。
かと言って、
父の姓を受け継いだとしても、何かと理由をつけて私に行くことは拒否していただろうと思う。

以前にも書いたかもしれないが、
実家の傍には、父の甥の子(又甥というようだ)家族が住んでいる。父の田舎から大学進学、就職のために
仙台に出てきてそこで結婚し、子供もいる。
おそらく、父は色々なことを彼らに言い、将来的にこの家、土地はお前たちに相続させる、と言って
近くに住まわせたのだと思う。

私には常々、
「この家は又甥にやるから。彼らは直系だから。」
まるで、父が彼らの祖父、父のようなふるまい。
彼らには、田舎に父親母親がいる。直系はあちら。
父は、兄弟の末っ子。父が直系を名乗るなら、まだまだ直系を名乗る者がある。
父の屁理屈論理に付き合うつもりはない。

10年ほど前に、
有無を言わせず、実印まで押させて、「遺産放棄する」という念書を書かせられた。
母の死の際にもその念書は生き、そのままスムーズに父のものになっている。
母の形見というのは、札幌時代に着ていた黒いオーバーだ。
あとは、たまに着ていたTシャツくらいだ。大事に扱っていた黒いオーバーを見ると、
それが今でも通用するデザインで、虫穴もほつれもなく、何年も大切に着ていたなあと思わせる。
まだ着てはいないが、自分が生きているうちに袖を通したいと思っている。

そして、何より、自分が父の養子だというのが一番だろうと思う。
父の言う「直系」の意味がわかる。
血を引いているかいないか。
私は、法律的に娘ではあるが、父の血は引いていない。
血を引く、というのは肝心なこと、愛情の度合いも違ってくる。
ましてや、父と私は
そんなに親子の情愛を持って生活をしてきたわけではない。

(中断して、神社にリハビリ散歩してくる)













































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