僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2/28)雪の降る如月末日

2011年02月28日 14時37分09秒 | Weblog
2月末日、雪の降る日に
ネットカフェへ。
今日は午後から仕事がなくなったので
どうしても来たかった。
あいかわらず
うちのPCは放置のままです。
すぐに対処できない。
あれからマウスをジャンクで都合6個も買ってしまった。
それでも動かないから別な原因があるのでしょう。

うちでしていた仕事を結局職場にて
ずっとやっている。
明日は休みなのでまた水曜日からやらなければならない。
今のところ順調ですが。

今日は
私がこの職場を去ることで、ぜひ送別会をやりたいと
私の所属する部署から提案されたのだが
私から辞退した。
さらりと去っていきたい、と言った。
この4年間、できるだけ深いお付き合いをせずに
何とかすごしてきたけれど
それも自らそうしてきたこと。
それを伝えた。
皆、気を使ってくれる。
ありがたい。
ちょうどよい期間だったのかもしれない。
このまま、ずっとズルズルといることになっていきそうなのも
否定したかった。
それも言った。
何かの文でちらっと読んだのだが
「成り行きにまかせる」ということを
選択したような気がしている。
途中、自分で鞭打って頑張れば
来年度も勤められたのかもしれないが
こういう思いがあったのも
肯定的に受け止めようとしている。
それも人生、
しかたないのも人生、
自ら選んだことも人生、
そんな言葉が浮かんでくる。
皆に、ありがとうと言いたい。

明日から3月。
この気候はまるで
冬。
雪が雨になりそうだが
再び雪を見られたことに感謝する。
雪は
私の心を清浄にしてくれる。

4,5日前、暖かい日が来た。
そして
我が家のカエルが4匹、庭を歩き出した。
どこから出てきたのだろうか、
庭の真ん中を、同じ方向目指して歩いていた。
自分の、温度に対する反応が正しいことに自画自賛する。
カエルが出てくる温度だ、と。
次の日は寒かったので、またもひっこんでいったが
いよいよカエルたちの動き出す季節がやってくるんだ。
さあ
私の人生、どういうふうになるのだろう。
この選択はきっと
ほかの人から見れば
バカな選択であろう。
もっともっと、自分に厳しく、生活のことを考えてやるべきだ、と
言うだろう。
だが、誰にも言えない、私の胸の内。
この4年間、生き延びられたことに感謝します。
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(2/20)パソコン、不調、再び。

2011年02月20日 16時24分46秒 | はやぶさ
今、ネットカフェからこれを書く。
どこからか、いびきが聞こえてきて
ぐっすり気持ちよく寝ているのでしょう。
居心地いいし。

またも
PCがおかしくなりました。
マウスが動きません。
うちのはすごく古いので
昨日、マウスを買いに行ったのですが
差込が丸いの。
今、四角でしょ。
探してもらってアダプタ付きのを買ってきたのですが
うまくいかなかった。
そして
今日は中古のパソコン屋に行って
別なマウスを買ってくる。
でもだめ。
もしかしたらキーボードが悪いのかな。
ああ、どうしよう。
新しく買ったほうがいいのか。
使えるなら修理に出してまで使いたい。
修理に出そうか。

ということで
単に、マウスの交換だけではうまくいかなかったので
しばらく
ここに来ることになるでしょう。
仕事に使うものはすべてうちでやっているので
明日から職場に残ってやるしかない。

こちら
少しずつ暖かくなってきています。
もうすぐ春。
まだ来ないでほしい今の気持ち。
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(2/15)都に雨が降るごとく

2011年02月15日 23時49分36秒 | Weblog
サボりにサボってのブログ。
都会は昨日大雪に見舞われ
ニュースで観た
八王子の積雪に、東北人の私までも
驚いた。

その雪景色を見て
ヴェルレーヌの
「巷に(都に)雨が降る如く
私の心にも涙降る」なんてフレーズを思い出す。
雨ではないが。

都に雪が降る、という
詩にもなりそうな光景。
だが、現実は大変だったようだ。
子どもの無邪気な気持ちで雪を歓迎するどころじゃない。

こちらにも遅れてその雪がやってきたが
降り具合はずっと弱かった。
2月の降雪はもう終わりだろうか。
結局、雪かきをしなかったこの冬。
地面が一日中、雪に覆われているという光景を
何年も見ないまま
また年を取っていく。

雪は郷愁なのだから。
雪の思い出は、交通マヒとか雪かきが大変とか
そういうものは思い浮かばず
雪の道で竹スケートをしたとか、
雪のグランドでサッカーをして遊んだとか
雪の丘で橇を楽しんだとか
そんな光景しか浮かんでこない。
その雪を
また来期の冬まで待たねばならない。
私にとって
雪は郷愁。
雪道を長靴で歩くことが普通だった。
今の人、長靴なんて履かないだろうなあ。

このところ
ブログのとぎれがちが自分でも気にしているのだが
忙しいなんて無縁の私が
書かないでいることの罪悪感みたいなもの。
人のことを責めちゃいけないけれど
楽しみにしている方のブログも滞っていて
なんとなく
なんとなく
自分も弾まないままに日々を過ごしている。

ゲーリームーアの亡くなった日の夫の反応とか
載せたいと思っても
どうもペンが進まない。

ただぼんやりと過ごしている日々だ。
いや
それはまちがった表現だな。
あれこれと考えては、一歩も進んでいない自分、といったほうがいいかな。
来月にはこの仕事を終える。
それを長い廊下を歩いているときに、詩人のように
言葉が浮かぶ。
複雑な心境だ。
まだきちんと整理できていないために
なかなか客観的に書くことができない。
一体自分はなぜ
世渡りが下手で
自ら進んで迷路に入ろうとするのか、などとね。
あてのない先を自ら選ぶ根拠はなんだろうか、なんてね。
それらが渦巻いているうちに
喧騒の中に戻っていく。
長い暗い廊下は、自分への問いかけのちょっとした時間である。
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(2/4)"Refugee" - Tom Petty & The Heartbreakers - DAMN THE TORPEDOES

2011年02月04日 16時18分00秒 | 名曲
"Refugee" - Tom Petty & The Heartbreakers - DAMN THE TORPEDOES


今日は臨時に休みで、ほとんど部屋に閉じこもっています。

お昼ごろに出かけていろいろと用事を済ませて帰宅。
すると路地に入ったとたん
非常ベルの音がけたたましくどこかで鳴っている。
うちの前のホテルかな、と思い
二階に上がってよく聞いてみると
隣のマンションだった。
しばらく様子を見ていたが、そのうち
消防署の人、2、3人やってくる。
オーナーに一応電話をしてみた。
知らなかったようで、今すぐ行くとのこと。
このオーナーとは、マンション建設当時、いろいろとこちら住民と
やりあったのだが、それも今は昔。
警察も来ていたようだ。
あとで、オーナーがうちに挨拶に来る。
連絡してくれてありがとう、と。
管理会社からは連絡がなかったとのこと。
マンションの住人が管理会社に電話、管理会社から消防署に電話。
いたずらではないが、ちょっと何かあったようだ。


出かけるときに
今日は、空き缶とかペットボトルの回収日なので
うちのネコ缶を一週間分、出しに行った。
きちんと水洗いをして出す。
ビニール袋から、カラカラと回収箱に入れる。
ちょうどそのとき
近所の人(とは言っても、面識なし。おそらく近所の人だと思う)が
通り過ぎながら
私に話しかけた。
「きちんと、仕分けする人は仕分けするのよね。」とちょっと冷たい言い方。
私は
「エ?」と言った。
よく意味がわからなかったし、知らない人に突然ボソッと声をかけられたので。
すると
強い口調で、
「分けないで入れる人がいるんだよ!」と吐き捨てるように言って去っていった。
まるで、私が分けないでドサッと入れているかのように。
オイオイ、ちがうよ、と言いたくても私は突っ立っているだけ。

若いときは、そういう誤解のされ方にカーッとなったりしたけれど
今は
しばし考えて、人間としてその言い方はないだろう、なぜ、あの年齢の人たちは
正義を前面に出して、ああいう言い方しかしないのだろうか、と思っていた。
そうはいっても
自分も年を経た人間だから
それほど年齢的に違わないと思うのだけれど
私は、服装とかで若く見られることが多いので(自慢じゃないよ)、
ついそういう口調で言われることがあるんだ。
そして
自分はそういう中年にはなりたくない(いや十分中年)、と思うし
その境目はどこだろう、何だろうと考える。
中年の女性が、皆そうなるとは限らない。
自分の尺度で、自分が正しいという観点からしか見えない人なんだ。
そういう人は往々にして、言い方がきついし、曲げないし、根が曲がっているのが多い。
これこれこうだから、こうなんだ、という言い方ができない。
あるいは、疑問符をつけるということをしない。
私なら、とてもそんな強い口調、断言するかのごとく言えないなあ。
「きちんと分けて、入れましたか?」なら、相手の返事を与える余裕がある。
それをせずに、しかも通りすがりにいきなり言う、というのは
言われているほうが、キョトンとしてしまう。
あの女性の後を追いかけて、
なぜ、そんな言い方をするのか、なぜ、根拠なしに仕分けしていないで入れていると言うのか、などとやればよかったか。

町内会の集まりでもそういう発言をする人がいる。
「あそこのゴミ出しはいつも汚い。」と、いつもというのはどのくらい根拠が
あるのだろうか、と黙って聞いていて思ったことがあった。
たまたま、見たときが汚かったのかもしれない。
それを「いつも」と形容してしまうと、誤解が定着して、論争になる。
そのゴミ置き場の人たちの反論が始まる。
言い方で誤解をまねくというのはよくあることだ。
久しぶりに、あのようなものの言い方をする人間に直面した。


しかし、また別の角度から考えてみる。
その人とは全く面識のない人で、瞬間的に、うっ、こういう人いやだ、と
思わせたのだが
普段は普通に近所付き合いをして和やかにしているのかもしれない。
その人の周囲では普通に人間関係を保っているのかもしれない。
特別いやな粘着型の人じゃないかもしれない。

さっきのマンションのオーナーとのやりとりのことを思い出した。
あのころ、建設反対していた私たちは
市役所などに行ったり、とにかく建設を阻止したかった。
いわば、相手にしてみれば、私たちは敵のような存在だった。
集会などでずいぶんと私もきついことを言った。
そのときの印象はどうだろう。
そんなことも今考えてみた。
今は、もうそういう傷あともない。
話すのもいやだ、という感情はない。
さっきのように、非常ベルがけたたましく鳴っていれば
住民がまた騒ぎ出すかもしれない、火事になったら大変だ、
オーナーはいちはやくこれを知るべきだ、と思って電話した。
オーナーはぐるりとうちの路地のほうに回って、うちに挨拶に来た。
もう、互いのあのときの感情は取れている。
人間、一瞬の印象でかなり誤解が定着するが、それもまた真実じゃない。
ということで
さきほどの通りすがりのおばさんのことは、もう一度様子を見ることにしよう。
騒ぎたてるようであれば、私もきっちりと対処しよう。
それにしても
言葉遣いだけは気をつけなければ。
年上の人、年下の人、上司、後輩、面識のない人、いろいろとあるので
その都度自分自身、注意しなければ。



さて、UPした曲は
70年代末の
トムペティの曲。
若いころ夫に教えられた曲です。
これもカッコいいけれど、他にもある。
久々に懐かしい曲を聴いている。


ミミ、昨日退院。
ゴッソリと歯石がとれ、歯も抜いた。
記念にもらってきた。
こんなにひどかったんだね、ごめんね、と言っていた私です。




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(2/1)今朝、雪が積もった

2011年02月01日 21時50分12秒 | ネコ
今日は早朝短時間で雪が積もった。
昨日今日のニュースでは日本海側の地方の大雪が取り上げられていて
こんな状態になったら大変だ、と思った。
自分が北海道にいたときはこれほどに降らなかったし
道路が雪で覆われていても
家を覆ってしまうほどに降ったのは記憶に無い。
そしてこちら太平洋側の大雪もずっと見ていない。
今朝の雪はきっと今期最高だと思うが
雪かきするほどでもなかった。
早朝の雪だったため
太陽が昇れば、段々融けてくる、はかない積雪である。

そんな中
今日は、うちのネコ、ミミを病院に連れていった。
このところ
歯石のため、食欲不振である。
食べたいのだが、歯が痛いため途中でやめてしまう。
あくびをしたときに覗いてみると
上の歯がチョコレート色になっていた。
午後に抜歯。
そろそろ、うちのネコたち、立て続けに歯の治療をせねばならない。

サッカーアジアカップ、優勝盛り上がったね。
表彰式まで結局観てしまった。
あの劇的なゴール、興奮してしまった。
彼、ゴールしたとたん、抱きつく仲間を吹っ飛ばして
身体中みなぎる力がドーンと外に出ていた。
もうもう、心から叫びたかったのだろうね。
咆哮。雄たけび。血圧最高に上がっただろうなあ。
いっきにしゃべった。
言いたいこと、心にあったこと、たくさんあったんだろうな。
それにしても
あの、ゴールをしたあとの彼のポーズ。
空に向かって、矢を打つスタイル。
崇高だったね、あの姿。
感動した。
前回の韓国のゴールサル顔とは全く次元が違った。

恥ずべき態度と、崇高な態度。
この違いは何だろう。
教育、環境の違いだろうな、と思った。

またしても私は
彼の心を忖度した。
日本に来て、生出演。
ホント、嬉しかったんだね。
彼にしかわからない喜びだったろう。
なるべく言質をとられないように言葉を選び
二つの国に配慮している。
そんな所もつらいだろうな、言葉を選びつつなんて。
でも
隣にいた仲間とは普通に笑って話していたので
今のチームに溶け込んでいるのでしょう。
頑張れ。
最高の舞台で、決勝打、しかも美しいゴール。
ようやく彼としても吹っ切れた瞬間だったでしょう。

そしてもう各選手は自分たちのチームに行き
明日のことを考えている。
ファンの余韻はまだまだ続いているのだが
各チームで、戦った自信と誇りを持って力を発揮してくれるでしょう。
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