僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(11/23) 霧と話した 歌

2010年11月23日 20時28分28秒 | 名曲
森 麻季 - 霧と話した


さっきのブログのタイトルに
「私の心は傷つきやすい」
と書いていて
頭の中にメロディが浮かんだ。
それが
この歌である。

歌の出だしは

私の頬はぬれやすい

から始まる
美しい曲(合唱でも歌われる)です。
とても
美しく切ない歌詞とメロディを聴いてください。
歌っている方のプロフィールは全くしりません。

もうずいぶん前になるけれど
声楽をやっている知人が
この歌を披露したとき
非常に印象に残った歌です。
彼女の艶のある声が素晴しかった。
今でも地元で活躍しています。
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(11/23)私の心は傷つきやすい

2010年11月23日 19時39分37秒 | Weblog
午前中まで
雨だった。
お墓参りは少々空気が冷たく
いつもより清掃を簡略して立ち去る。
年に三度、義母の親、義父の墓参りを
するけれど
私の心がこもっていないのか。
私の心も冷淡だ。
こういう場合。

ただ、義母の親の墓の隣に
もう見捨てられた墓があるのだが
墓には安政の元号(調べたところによると1854年から7年間)が彫られていて
その歴史を想像している。
そしてそっとその墓に線香を置いたことがあった。
もう誰も訪れることがないお墓だ。
一度も花をそえられたのを見たことがない。
だから一度だけ、線香をあげて手を合わせたことがある。
でも、義母に叱られたっけ。
そんなことをしたら、祟られるとか何とか。
そういうものかしら、と思いつつ
今日も
そのお墓を気にかけて立ち去る。
いずれ
私たちの代が終わったら
私たちのお墓もこのようになるのだ。
それを寂しいとかという感情にはならない。
自分たちのことについてはそういう感情は湧かない。
時代が変わって我が墓が朽ち果てるような状態になっていたときに
私のように
ちょっと気にかけて
「あ、平成で終わっている、この墓。もう誰も参りに来ないんだ。」
と思う人がいたらなんとなく嬉しい。
そう思ってくれるだけで嬉しい。
もう1人の自分が50年後、100年後にいるのが嬉しい。

帰りの街路樹が美しかった。
見事に黄葉。
公孫樹の葉が黄色く色づいて
ハラハラと落ちていく。
カメラを持っていなかったことに後悔した。
土曜日あたりはどうだろうか。
もう落葉した状態かもしれない。


睡眠することで
翌朝
心に痛みがなければ
昨日の痛みは小さいものだったんだと
気づく。
傷の回復は早いから、小さな傷だったんだ。
その繰り返しの人生。
それを繊細な心、という美しい言葉で書き表すのは違う、
小心であるに過ぎない、私の本当の心。
さあ
明日も仕事だ。
皆、その傷を癒して出勤してくる。
皆、私より強い、たくましい、と思ってしまう。




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(11/22)今日はいい夫婦の日って、うちは全く・・・

2010年11月22日 23時22分42秒 | はやぶさ
今日は
暖かく、3時ごろから雨になった。
11月にしては本当に暖かい。
おそらく
カエルたちが出てくるだろうと思ったので
暗くなってから
庭の点検。
3匹、出てきていた。
恵みの温かい雨。
あとは道路に出ていって
4匹捕獲。
この気温はまちがいない。
うちの庭に放したが
果たして定着してくれるだろうか。

明日はお墓参りだ。
義父の命日が近づいてきているので
命日前後に
年最後の墓掃除である。
義母が生きている限り
これをやらなければ彼女の気持ちが治まらないだろう。



私はまだ冬支度をしていない。

皆、マフラーとかしているけれど
そんなに寒いか?と思っている。


仕事がね・・・・
笑いが少ないね。
ピリピリしているね。


さっき
ニュースで嵐の桜井君が
はやぶさ2の説明をわかりやすくしていた。
長い長い道のりのはやぶさ2
私は
それを見届けることできるかなあ、なんて
考えている。

いい夫婦の日って
いつ決めたのだろう。
何かするの?と聞かれて
へ?と思った。
特別な日でもないし、何も・・・と答えた。
ネコの日にも特別なことはしない。
あまりそういうのに食指が動かない。
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(11/21)初めてのビーフシチュー

2010年11月21日 11時38分05秒 | Weblog
昨日の夕飯に
ビーフシチューを作った。
画像はなし。

長年、主婦をやっていながら
ずっと作ったことがない。
夫がそもそも
クリームシチューが嫌いなので
それが大好きな私は何年も食べていない。
ましてや
ビーフシチューなんて
お店でも、他者のも食べたことがないので
どんな味かわかっていない。
おそらく
今後もその料理とは無縁だろうと思っていたら

先日
たまたまお昼にそれを食べる機会があった。
若い人が作ったもので
私に食べさせたい、と持ってきたんだ。
仕事をしているとき、昼食は
職場を抜け出して自宅で食べているので
それを持って
自宅で食べた。

すると
おいしい!
この味を覚えておこう、
いつか作ろう、と決めていた。

チーズが入らないのでこれなら夫は食べてくれそうだ。
レシピをもらって
それを読むと
本格的なんだよねえ。

ワインとか
ブーケガルニとかを用意しなければならない。
トマトソースは
ちょうど秋田の友人からいただいていたので
それを利用すれば・・・と
思っていた。


先日赤ワインやブーケガルニを買ってきた。
それらを使って
料理したことがない。
皆さんなら、当たり前の料理かもしれないけれど
いつも
残り物を工夫して自分なりの味付けで料理している
私にとっては
失敗したらどうしよう、という類のもの。


ネットでいろいろと見たけれど
皆楽しく作っているのね。

結局ね
ビーフシチューのルウを買ってきたの。
最初から本格的に
トマトソースやら使うのをやめて。
ワインとブーケガルニ、デミグラスソースは
使いました。

何とかできたけれど
肉の煮込みが速かったので
肉が失敗ね。
何時間も煮込むのよね、それが
贅沢な時間なのよね。
味はバッチリだったけれど。
夫に食べさせると
おいしかった、と言ってくれたので
この次は
しっかりと肉を煮込んでトロトロに柔らかくして
トマトソースも使います。

皆さんのおうちのビーフシチューはどうでしょう。
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(11/20)Akemi Ishii - Lambada (Japanese cover) Kaoma

2010年11月20日 20時50分17秒 | 名曲
Akemi Ishii - Lambada (Japanese cover) Kaoma


昨日
石井明美さんは
今何をしているのでしょうね、なんて書いて
大変失礼しました。
彼女、新曲を出すそうです。
ブログもやっていて
今の私のペースよりもきちんと
更新しているのを知りました。
申し訳ありません。

つい最近のヘイヘイヘイにも登場したようです。
ああ、観たかったなあ。

というわけで
安心した私です。

この方のスタイルが好きですね。
あの
CHA CHA CHAの
女学生のようなスカートの似合うこと。
それを昨日紹介したのですが

今日は
このランバダの歌と踊りを。
セクシーですね。
私はこういうセクシーさが好きです。
野性的なセクシーです。
脚がとても綺麗。
やはりあのミドルスカートのスタイルの良さは
こうして短いスカートになると
はっきりとわかりますね。

そしてこの歌のうまさ。
この動画はずいぶんと世界的に
観られているようです。
コメント数が凄い。
しかも
ほぼ英語やラテン語。
100パーセントに近い。
毎日のようにコメントされているということは
毎日、世界でこの彼女の歌とダンスが観られているわけです。
コメントも
セクシー、プリティとか
素晴しい声
素晴しいジャパニーズバージョンとか
絶賛しているようで。
何だか自分のことのように嬉しい。
そういうわけで
これからも
実力派として大活躍してほしいものです。
では
素敵なダンスと歌をどうぞ。
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(11/20)ある死刑囚の歌

2010年11月20日 17時04分40秒 | 文学/言葉/本
彼は
人を殺して刑務所に入るまでに
一体
どのくらいの人とまともな会話をしたであろうか。
一体
幾人の人と対等に笑顔で語ったであろうか。

それはほとんど皆無だったのかもしれない。

生まれてきて
中耳炎、カリエス、蓄膿症等の病気を抱え
成績不振、教師やクラスメイトからもいじめられ

母は結核に罹り、極貧の中で死ぬ間際に
好きなたらこを食べたいと言ったが
結局自分は食べずに
それを幼い子どもたちに食べさせて亡くなった。

就職してもどこも定着せず
荒れた心から犯罪を犯しては少年院に入っていた。
彼自身が、耐性のない激情型の性格から
誰も彼に同情することはなかったであろう。
自業自得と言ってしまえばそれが正しい。

そしてとうとう
取り返しのつかない罪を犯す。

故郷に帰ろうとしても
お金がない、空腹という状態のときに
全く縁もない農家に強盗に入る。
その農家一家も貧しい所だった。
その一家にも事情があるのだ。
貧しくて、明日の糧をどうしよう、と思っていたかもしれない。

人を殺す、というのは
その人の人生を奪ってしまうことだ。
この不運なめぐり合わせ。

結局
彼は捕まり
後に死刑囚となる。

当時25歳である。
昭和34年の出来事である。

ここまでなら
死刑囚の1人として
記憶にも残らずに処刑されたであろう。

彼の有期の人生はここから始まった。
死刑囚でありながら
むしろここから彼の「人としての」人生が始まったようなものである。

彼は
自分を振り返ったとき
生涯でたった一度だけ褒められたときのことを思い出す。
小学生の時だったか
自分の絵を褒めてくれた先生に手紙を書く。
その先生は
褒めたことをほとんど忘れていたが
逆に
そのことを覚えていたことに涙し
彼に歌を詠むことを勧める。

褒められたことのない人間が
一度だけ褒められたことを生涯
忘れずにいる、という哀しさ。
誰からも好かれなかった人間が
対等に声をかけられることの嬉しさ。

その思いを忖度する。


そして彼は
刑死(けいし)するまでにたくさんの歌を詠み
新聞等の歌壇に投稿し
その名は世に知れ渡っていく。
彼を支える人もでき、初めてといっていいほど
彼は死刑を待ちつつ
人間としての心を取り戻すのである。

辞世の歌

この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し



小さいときから他者から愛されることもなく
他者を愛することもなく(ちなみに彼は女性を知らずして刑死)
彼の人生のどこかで
彼に温かく声を掛け続ける人間が傍にいたなら
彼の人生もまたちがったかもしれない
どんなに貧しくても
一番やってはいけないことをしてはならない、と
小さいときから植え続けていたならば
何かが違ったかもしれない。





私が学生時代に
教育実習生として2週間
教壇に立ったのだが
そのときの仮のクラスで
ある1人の生徒が気になった。
誰とも話さず
ポツンといて
皆で私を囲んで写真を撮るときにも
端っこにいた子だった。
あるとき私は思い切って話しかけた。
何を話しかけたかは
もう○○年前のことなので忘れたが
それを機に
彼女は私の傍に来ることが多くなった。
何も話さない。
でも話したい。
何を話したらいいかわからない。
だから私が話しかけるのをずっと待っている。

そうこうして実習が終わった。
その後
彼女との交流ができた。
とは言っても
緘黙の人だったから
私の所に電話をしてきても黙ったままだった。
私が話しかけるまで話さない。
でも電話をしてきたのだから何か用があるのだ。
ようやく出てきた言葉は
私の家に遊びに行きたい、ということだった。
遊びに来ても
しゃべらない。
言葉を発するまで時間がかかる。
別に言葉が不自由ではないのだ。
これまで彼女は
自分から
普通の女の子が話すように話したことがなかったのだろう。
その私とのやりとりは
端から見れば滑稽だったかもしれない。
私も彼女のために
自分の言いたいことを言うまでじっくり待つ、ということをしてみた。
お互い
苦痛の時間であるにもかかわらず
その後も
電話をしてきて
うちに来ていたのだから
それなりに楽しかったのかもしれない。

私は電話が来ると
苦痛のときもあった。
それは
うちに来ても話さない、
常に自分が話題を提供して話さなければならず
彼女が答えても
はい、とか、それは・・・・とまた沈黙のことを思い浮かべて
苦痛のときもあった。

結婚が近くなって
彼(夫)にそのことを話すと
「相手をしてやれよ。その子はそれでも来たいのだから。」と言われた。

あるとき
彼女は
私に
浴衣を縫って持ってきてくれた。
何だか涙が出た。
彼女なりの私への気遣いだった。
お母さんに御礼の電話をすると
逆に恐縮された。
いつも、娘をありがとう、と。

私は彼女を私たちの結婚式に招待した。
先日
自分の結婚式の写真を同僚に見せるということで
探したときに
彼女の姿が映った写真もあった。
今、どうしている。
あれから
その裁縫の仕事でどこかの県に行ったと便りにあったが
今は
互いに音信不通となっている。

今なら
もっともっと
大事にしてやらなければ、と強く思うのだ。
あの時の私は
若かった。
年齢も
心も。

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(11/19)石井明美 CHA-CHA-CHA

2010年11月19日 22時26分04秒 | 名曲
石井明美 CHA-CHA-CHA


昨日、歌番組でこの歌を少しやっていた。


結構この人好きなんですよ。
特にこのスタイル。
今では珍しいスカート丈。
この黒のミドルの丈と黒いストッキングとほぼフラットな黒い靴。
まるで昭和の女学生の制服のようです。
このスタイル、今でもしたいくらい。
そしてこの方の昨日観たスタイル、こんな感じでした。
こういう体型がいいね。
それほど背が高くもなく
肉感的でもないこの普通の感じ。
歌も良し。
声も良し。
今、何をしているのでしょうね。
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(11/18)明日は心が晴れるだろうか

2010年11月18日 02時44分01秒 | はやぶさ
夜中ですね。
一度寝たのですが
起き上がって
暖房のない部屋にてこれを開きました。
最近の自分の反省として
ブログをきちんと書いていないこと。
一度サボり出したら、ダラダラと続いていく始末。
どんなにいやなことが続いても
日記だけは書かなくては、と思うのですが

あまりに
暗い内容だったり、グチのようなものだったりしたら
読み手もいやな気分になることでしょう。

今日も最悪、今日も最悪
なんて言葉を書いていたら
一体、いつが本当の最悪なんだ?とでも
聞かれそうです。
最悪、という文字は
最も悪い、ですからね。

気分が落ち込んでいるのはここずっと。
この状態から果たして逃れられるのだろうか、と
考えて
逃れられないのかもしれないと結論じみた解答を出すと
ますます落ち込むわけです。
何かを信じて
いつかは這い上がれると、以前は奇跡のようなものを
期待していたのですが
それがなければ生きていられないはずだから
おそらくは人生の逆転はあるのだろうと
思ってきたのですが
それさえももう自信がなくなってきました。

自分の気持ちに弾みをつけること。
9月の
はやぶさに会いに行ったときの高揚
北海道に行ったときの高揚
これらがきっかけになれば、と思ってきました。
生活を、気持ちをチェンジする良い機会になれば、と
一縷の望み。

しかし
現実は厳しく、あのときより更に厳しい。
死に至る病、それは絶望、とキルケゴールが言っていますが
本当にそうだな、と時折思うのです。
自分に
絶望の感情はそうそうないものだ、今までの何かの苦しみも
何年もかけて乗り越えた、という実績があるのだから
今回もそうであろう、今は苦しい時期なんだ、と思うようにしています。
だが
それが長すぎる。
いやいや、まだ短いんだよ、トモロッシ、
とでも言われているのでしょうか。
あの
聖書の「ヨブ記」を読まなくては、とまた思うのです。
ヨブの試練に比べたら
今の自分は何ていうこともない、とまた安心させたいのかもしれない。
ずるいですね。
自分より苦しんでいる人間を浮かべて
まだ、自分はマシだとでも思いたいのでしょうかね。

暗いニュースばかり。
立腹することばかり。
世の中の動きの中で
思うとおりの決着がついていれば
少しはいいかもしれないけれど
そうではないようだ。

はやぶさのカプセルの微粒子イトカワのものが発見されました。
年内にこのように満点の結果が出てよかった。
いっしょに展示会に行った若い子たちにお話しましょう。


明日は私の心は晴れるか。
少しは暗い雲を拭い去れるか。
それでも生きなくてはならない。
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(11/10)懐かしい写真

2010年11月10日 22時32分07秒 | Weblog
職場の若い人が
つい先日結婚式を挙げ
その写真を持ってきた。
十二単の着物姿が綺麗で華やかで
ドレスの清楚さもさることながら
こういうめでたい式の赤、緑が映える。
そんなこんなで
私たちおばさん連中の結婚式の写真を見せて、ということになり
家に帰ってきて
探した、探した。
写真の整理ができていなくて
すぐにいろんな写真にひっかかってしまい
その写真が物語る当時のことなどを思い出していた。
ネコの写真も整理していない。
鈴鹿や菅生の写真も。
穿り返してようやく3,4枚出てきた。
他にも職場での踊りや、同僚が結婚すれば皆で踊った姿の写真が
出てくる。
いつ、整理できるんだろう。
永遠にできないような気分。
これを本格的にやるとなったら
かなり気合を入れてやらなければ。

タヌたちの写真も出てきたので
スキャナーしてUPしたい。
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(11/10)元気な自分であれ

2010年11月10日 00時17分24秒 | Weblog
ここ数日
暖かい日が続いていた。
昨夜は
カエルが3匹出てきていて
今朝
同じ場所にまだいた。
朝の日差しが弱かったのでそのままいたのだろう。
でも
これから気温が上がってくるので
捕まえて
巣穴に入れてやった。
今日の夜はその巣穴にいた。

今日は風が強くなった。
そういえば
先日
隣の家に、植木屋さんが来て剪定をしていったのだが
ついでにうちの庭の木も剪定してくれた。
義母が頼んだらしい。

隣との境に咲いていた大きな木をほぼ根元から切り
あまりにもそのバッサリとした切り方に
私は内心愕然とする。
これでは来年、芽が出ない。
もう、要らないから切ってくれとでも言ったのだろうか。
夏にかけて
黄色の花びらが一斉に咲き、綺麗なんだ。
その写真を今年は撮らなかったので
来年は撮ろうと思っていた。
がっかりだ。
とにかく、義母は大きな木は面倒だから、と言って
金木犀まで切ろうとした人。
南天の木もバサリバサリ切っていたっけ。
あんなに根元から切るなら、初めから植えなければよかったものの。
何だか可哀相な気がした。

まあ、庭のことは義母が管理しているようなものだから
あまり言えないのだけれど。
私にはその潔さがない。
全てにおいて。


今日は眩暈がした。
どうも精神的なものだ。
あれこれと解決していないことが山積されていて
それを解決するために行動したのだが
そこに行くまでに
クラクラとする。
ひとまず解決はしたけれど
根本は解決していない。

そんな日々だから
このごろこうしてブログもおそまつになっている。
もっと
ゆったりとした気持ちで書けないかなあ、と思っているのだが
道のりが遠い。

夫ともギクシャクしている。
最近は言い合いが多いね。
私の耳がよく聞き取れないことも一因。
特に
家事をしているときに
ちょっとでも手元で、水を流している音や換気扇の音、ガスで煮炊きをしている音が
あれば、そんなときに話しかけられても
聞き取れない(理解できない)から
中断してわざわざ傍に行って聞きに行くんだ。
それでもよくわからないときは
もう夫は「もういい!」とヘソを曲げる。
それが連続すると
こっちもイライラしてしまい、ついつい
苛立ちの言葉が出る。
そういうことが続いている。
仕事に
耳が聞こえないというのは致命的だね。
右耳は35dbということで。
難聴は30db以下とあった。
常に
モーター音がしているような感覚。
特に疲れているとき、寝起きなどはそれ。




明日は
元気な自分であれ。
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(11/4)安全地帶 - 令人著急 - じれったい 

2010年11月04日 23時20分27秒 | 名曲
安全地帶 - 令人著急 - じれったい 


観ましたよ、WOWOWの
安全地帯 武道館コンサート。

魅入りましたよ。

若い時の声とはちがったけれど
彼のシャウトは健在。
パフォーマンスも健在。
さすが、日本の宝、北海道の宝。

夫も
チャラチャラしたバンドと違う、
粘っこいギターがいい、と
好きだそうです。
基本、外国のロックしか聴かない夫は
安全地帯だけは好きなようです。

オープニングは
この「じれったい」から。
初めから盛り上がりますよね。
そこで動画を探しました。

いろんな年代のバージョンがあり
どれも味があって
まず、カッコイイ、カッケーって言葉が出てきます。

この人、天才だよね、何にも影響されていない
彼独自の世界がある。
見た目、デビッドボウイ風に見えても
歌う声、歌い方は彼独自のもの。
だから
カッケー!なんですね。

私生活がどうのこうのって、吹っ飛ぶような天才です。
ボク、天才、という言葉も当たりですね。

この歌い方、ぜひ観てくださいませ。
ハア~、ため息が出る、と感想。
素晴しい!

長生きしてくださいよ。
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(11/4)久しぶりに会話をした人々

2010年11月04日 18時52分20秒 | Weblog
いつのまにか
季節が変わっている。
もう初冬。
こちらは寒い日が続くことがあり、雪になるかと思われたが
そこまでは行かなかった。
今日は暖かく
日差しが出れば日中は暑いくらいだ。
それでも
早朝の寒さは少しずつ
冬に向かっているのがわかる。

ブログをサボりにサボってしまった。
毎日
気持ちが暗いので
そんなことをつらつらと書いてもなあ、と思っていた。
根本が改善されない限り
この暗さは取り除けないのだろう。


今日は職場にて
珍しく会話をした人が2人いた。
特筆すべきことでもないのだが
人間ウォッチングが好きなので書いておこう。

1人は
私がまだ現役で勤めていたころに新人としてやってきた人だ。
彼は今では中堅の人間。
役職に就いて、いつも忙しそうだ。
だから、コピー室で会っても
挨拶をするだけだった。
10数年前なら、もっともっとくだけて、新人いじりをしていた私だが
今では自分の身がバイトなので
彼にそんなことを言えるはずもない。
そういう意味で
距離が遠くなったのだ。
それらも時代の流れとして、受け止めていた。
かつてはよくカラオケで騒いでいたのだが。

その彼が
コピー室で突然
「昔は楽しかったですよねえ。トモロッシさんがいた頃は・・・。今は・・・」
と話しかけてきた。
そういう
ゆとりのある言葉、会話ができる雰囲気の職場でなくなっているので
そのように話しかけてきたこと自体が意外だったのだ。
ある意味
役職に就いているから彼の天下のはずでもあるが
何が懐かしくなったのか
昔の自分の楽しかったことを話していた。

「あなたはもう、中堅だから、自ら騒ぐとか笑うとかもう難しくなってきたね。」
と精一杯の私の返しである。
「そうなんですよぉ。」
「カラオケとか行っていないの?」
「行ってないですよ。懐かしい。行きましたよねえ。」と目を輝かせた。
その程度の会話であったが
私がバイトとしてここに復帰して約4年。
ほとんど会話もなく、またここを去るのであろうと思っていたので
この昔を懐かしむ会話は和んだ。

そのあと
私は帰宅する前に
こちらの県の地図を眺めていた。
コピー室の出口に貼ってある。
今度は、私と同世代の人が
「何、見ているの?」と話しかけてきた。
これまた、珍しい。
彼とも、さほど深い話をしたこともなく、世代は同じでも
派閥が違ったから、それなりの距離でやってきた人だ。
ただ、私がやめる頃に、お互いピザが好き、ということで
すぐにピザの会などを作って、何人かに呼びかけて
土曜の午後などにピザ宅配を注文して食べたことがあった。
今なら
とんでもない。そんなことをすれば、何か言われるかもしれない。
昔はそういうことで
親睦を深めたり、普段距離があった人たちとでも、ピザという共通の好きなもので
話をしていたんだ、と思い出した。
だから
先ほどの彼が、昔の楽しさを懐かしむのもわかった。
当時は当時でいろいろといやなこともあったのだろうが
昔の楽しさは確かに存在したんだ。

地図を見て、角田とか亘理とか県南の都市の位置関係を私は眺めていたんだ。
没頭していた。
そういう様子が目に入っても
普段なら皆忙しいので、ただ通り過ぎていくだけだから
1人没頭していた。
そこにその方が話しかけてきた。

「いやあ、角田がどことか位置関係を見ていたんですよ。」
とそれで会話が終わるはずだ。
ところが、だ。

年老いて住むにふさわしい町
  ↓
南がいいか、北がいいか
  ↓
彼が元住んでいた家→今の家
  ↓
親の面倒を見ている
  ↓
まだ、結婚していない→これまでそんな話はなかったのか
  ↓
あきらめちゃいけない

という展開になっていった。
その話はプライベートなところまで行ったので
彼とは全くそんな会話をしたことがなかったので
これも
年をとった功名で、深いところまで話をしたのだろう。
昔は
おせっかいなおばちゃんのような人がいたものね、今はそういう人もいないから
独身の人が縁を見つけるのは困難だね、と話した。


おせっかいの私であればいいのだが
なかなか私にも知っている独身の女性がいない。
彼は彼で、結構人気があったはずなのに
どうも途中で破談になってしまうようだ。
同僚曰く、高望みではないか、と言っていたが。
そして
彼は彼で、きっと悩みがあるのだろう、この先のこと。
それを垣間見る。
人にはそれぞれ
悩みを抱えていることを認識している私だけれど
なかなか
それは見えないこと。
がんばれよ、Kさん。



という
小さな出来事に私は
昔の活気ある、笑いのあふれる、けだるい午後の雰囲気を思い出した。
でも
もう帰らない、かつての牧歌的な空気。
皆、この職場を立ち去った。

そのあとに
いつもの山P仲間の同僚と
笑いながら、また話す。
ホッとする。
娘が
ニュースから嵐に変わりそうなのだ。
嵐か。
今人気だけれど
「この私が、嵐の歌を口ずさめないのだから、本当の人気じゃない。
基準は私。」などと言ってみた。
やっぱり、すぐに
「抱いて、抱いて、抱いてセニョリータ」とサビが出てこなくちゃ。
嵐のサビはわからん、と思った。
そんな会話をして帰宅する。

明日は
短歌、死刑囚の短歌について少し書こうかと思うが、果たして。
コメント (4)
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