僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(10/24)F1韓国開催、ごくろうさま

2010年10月24日 22時01分52秒 | F1
今日は
久しぶりに
F1を最初から最後まで観た(スカパー)。
いつもは
ながら観、途中脱落(夫はずっと観ている)。

今日は
韓国で初めてF1が開催された。
開催も危ぶまれていたが
軍隊まで動員して、前日まで突貫工事。
問題のところも手直ししての
まさに綱渡りの開催。
それまでの記事がたくさんあった。
それだけに
今回は初めから観なくちゃ、と思った。

3時前から放映していたのだが
雨のため、ディレイ。
しかもセフティーカー導入スタート。
グルグル回ってスタートしたのはいいが
何周か目で早くもクラッシュ、赤旗。
そのうち
少しソファで眠ってしまう。
日没も心配になってくるし、どうなるんだろうと思いつつ
ウツラウツラ。
何回かSCが入って、ようやく6時近くに終わる。
表彰式はまるで鈴鹿8耐のように辺りは暗い。
夜の表彰式のようだった。

上位陣が脱落して、ある意味サバイバルのようで面白かった。
カムイさん(日本)は何度か接触ギリギリだったり、鈴鹿のように
接触あったりしても、粘り強い。

私は今誰を応援しているとかないけれど
(シューちゃんが4位になって嬉しい)
それなりに楽しめた。
観客も
雨の中、待つ時間が長かったと思うけれど
笑顔が良かった。
子どもたちもたくさんいた。
韓国にF1が根付くかどうかは未知だけれど
遠いところを観に来たお客さん
慣れないスタッフの皆さん(チェッカーフラッグの最初の振りが弱いよ)
F1専門のチームスタッフの皆さん
そしてレーサーの皆さん、ごくろうさま。
無事終わって、良かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/24)久しぶりのブログ

2010年10月24日 09時04分00秒 | Weblog
ここずっと
気分がすぐれず(今も)
ブログも遠ざけてしまった。

前記事が
カエルの死だったから
それが直接の原因だろう、と思われるかもしれないが
それだけではなく
むしろ
自分の性格に起因することである。
私の
自己嫌悪感はよく出てくる。
気分転換とかもできない。
宗教にしがみつくのもできない。

衣食足りて礼節を知る

それができていない自分である。


かなり礼儀を欠いている。
惨めなものだ。



あのカエルが死んでから
私は
自分を責めやった。
カエルがエサを捕れなかったのも
自分のせいだ、と責めていた。
庭の雑草の放置。
言い訳をすれば
猛暑の中で草取りはしなかった。
血圧の高い自分が熱中症で倒れるのは避けたいと思っていた。
それにしても
雑草がひどい。
義母も高齢で庭仕事をしなくなった。
いつもこまめにやっていたが
義母にも
熱中症になったら大変だから外に出ないようにと
言っていた。

カエルが死んだあと
私は無心に草取りをした。
この生い茂った雑草が
カエルのエサを捕りにくくしたんだ、足場を悪くして
カエルの枯れ草を踏むガサッという音が
虫を逃がしていたんだ、と自分を責めた。
カエルよ、ごめん、と言いつつ
草取りをした。
夫は毎日帰ってくるたびに
「人が住んでいるとは思えない荒れようだ」と言っていた。
人が庭に出ないから
クモがあちこちに巣を大きく作っていた。
それを顔や頭につけながら
作業をした。
もう遅いけれど、他のカエルたちのためにも
虫を捕りやすいようにしてやらなければならなかった。

ミルワームを他のカエルたちにやってみたが
カエルはエサ捕りがヘタだ。
動作が鈍い。
気づくのが遅い。
そのうちミルワームはどんどん土の中に入っていく。
気づくように手助けをしても
カエルはじっとしている。
これだから
ありつけるエサも少ないのかもしれない。
ましてや
枯れ草や葉っぱが覆っているところで
虫を捕るなんて至難だっただろう。

そんなことも含めて
自分の毎日の事柄を責めています。
それがあると
心が重くてね。
昨日は
自分の腹を突いていた。
どういうつもりか、自分。

健康診断に行ってきた。
職場に出さなければならないもの。
これも憂鬱だった。
ギリギリまで延ばしている。
前年の診断で
高血圧を指摘されて
しかも
年に1,2回しか見ない数字だ、と言われて
あのショック。
薬を飲むことにも抵抗して。
あれから1年。
とうとう来たか、という思いで出かけた。
あの病院には行けない、また何か言われる、と思って
病院を換えた。
それだけでドキドキしているから
またも
1からのやり直しで、
数字を見てびっくりされるのだろう、と思った。
血圧、高いですよ、と自ら予防線を張る。
どのくらい高いのですか、と聞かれ
びっくりするくらい、と小学生のような回答をする私。

計測すると
昨年より50近く下がっていた。
もちろん、それが安定した数字ではない。
その数字でさえも、高血圧の部類である。
しかし
私はホッとした。まずはこの数字からまたスタートだ。
薬を飲まずに
何とか下げたい、と思った。
薬を飲まずに下げられるか、と薬を飲んでいる人から
言われそうだが
自分はそれをやってみたいと思った。

聴力も測った。
右耳が聴こえにくいと言ってみると
数値にちゃんと表れた。
左耳は正常。
右はダメ。高齢の人が聴こえなくなる範囲の数値。

それもこれも
今回で終わりだ。
来年は、この職場は終わりだから
健康診断書を出さなくていい。




自分を変えるにはどうしたらいいのかな。

なんて、高校生のような気持ちになってみる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/17)カエル、死にました。

2010年10月17日 19時31分47秒 | カエル
やっぱりだめだった。

おなかがぺしゃんこになっていた。
プランターがなかったら
日差しの中でうずくまった状態だ。
元の場所に戻してやって
死を待つばかりだった。

やっとやっと
探し当てたエサを買ってきたが(こおろぎとミルワーム)
空しかった。
そこの店に事情を話すと
エサはもう食べないかもしれない、寒さがあるから
温かくしてやらないとだめだ、と言われた。
そして
帰宅して
見ると、干からびたような状態で死んでいた。
目は開いたまま。
お腹がぺしゃんこになった時点でもう
お腹を膨らます気力もなくなったようだ。
何も入っていなかったんだね。
サンルームの下の土を柔らかくして
そこを最期の寝床としたから
埋めてやった。

いい年して
カエルの墓を作った。
アジアンタムがそのうちそこを覆うだろう。
ごめんね、何も力になれなかった。

さて、ゴソゴソ動いているこおろぎとミルワームを
どうしようかと思った。

まず、こおろぎを深いダンボールに移動した。
店でやっていたように
新聞紙をまるめて。

そして庭に二匹のカエルがいたので
捕まえてきて
そのダンボールに入れた。
1匹は、こおろぎをパクッと食べたが
もう1匹はパニック。
エサどころじゃない。
出してくれ、と身体を思いっきり伸ばしていた。
そのうちどさくさにまぎれて
2匹ともこおろぎを1,2匹食べたが
あとはもうパニック。
これじゃ、可哀相だから
解放。
やはり野生で伸び伸び庭にいたカエルたちは
庭のほうが良いに決まっている。
ストレスになったら大変だから、解放。
さて、残りのこおろぎをどうしよう。
ガサゴソと音に
猫たちは寄ってくるので、
庭に、放した。
他のカエルの傍にも放した。
カエル、鈍い。
捕り損ねた。
こおろぎは一目散に庭に散らばっていく。
カエルたち、しばらくはエサに困らないであろう。

次にミルワームはどうしたらいいだろう。
わからない。
そのまま店からもらった状態で置いてある。
常温で置いていいよ、と言われたけれど。
ずっとずっと置いておくわけにいかない。
かと言って、庭に放していいものか。
わからない。
fairyさん、教えて。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/16)カエルのエサがない

2010年10月16日 22時21分01秒 | カエル
今、食事が終わった。
あれから何度も何度も庭に出て
観察。
庭の虫、クモなどを捕ろうと私は
挑戦したが
失敗。
あまりに速いので、テープを持ってきて
粘着を弱めて、捕獲することにした。
しかし
それを捕っても、あのカエルにはただのゴミにしか
見えない。
そもそも見えているのかどうかもわからない。

エサについて、調べてみた。
コオロギがいいようだ。
ショウジョウバエも自然に集まってくるように工夫するといいそうだ。
明日の朝、それをやってみたいが
果たして
明日の朝に、あのカエルがどこにいるか、だ。
動く範囲を限定したつもりだが
抜け道は幾らでもある。
踏ん張って、障害物を乗り越えるかもしれない。
どこかで力尽きてそのまま身動きとれず
この間みたいに、日差しを受けたままになるかもしれない。
今いるところに
大きなプランターをかぶせておいた。
もちろん、抜け道は作ってある。
もしも、そこにとどまったまま朝を迎えたときの応急処置である。



fairyさんに緊急の質問をブログに書きましたよ。
fairyさん、
私の7月に書いたブログの記事にコメントをくださったとき
凶暴なカエルについて話したのですが
そのカエルです、瀕死状態のカエル。
7月の11日あたり。
そのころは元気で、庭を縦横無尽に歩いていたのに
あのあと、ずっと姿を見せなかった。
他のカエルも夏でありながら姿を見せなかったので
皆、暑さを避けてじっとしているのだろう、と思っていた。
うまくエサを捕れなかったのかも。
それとも病気になったのかも。
腕だけが細いカエルに気づいたのが2週間前。
まさかそのカエルだったとは。
カエルってじっと我慢してエサが来るのを待っているけれど
どうも今は虫たちもひっそりとしている。
明日、虫を買いに行こうと思っている。
ただ、近くにあるかどうかが不明。

頑張れ、頑張れ。
でもエサがない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/16)私のカエル君

2010年10月16日 20時16分16秒 | カエル
まだ食事前である。
この時刻にちょっとだけ書いておこう。

あのカエルが
私の作った巣穴から出てきて
50センチほど動いた。

朝も
前日と変わらず顔を出して目が半開きだったので
もう死んでいるのかなと思い
ちょっと触ると
少し動いた。
そのままにしておく。

そして夕方
プランターを開けてみると
横に移動していた。
そこでプランターをはずしてやる。
相変わらず
私に
シャーッと猫のようにかかろうとするんだ。
これが彼の特徴ね。
他のカエルは全くそんな動作を見せない。
さっきも別なカエルを拾ってきたのだが
おとなしい。
庭の土の上に置くと、コロンと固まったままにひっくりかえる。
しばらくして体勢を整える。
皆、そんな感じなのだが
このカエルだけはシャー、シャーの繰り返し。
あまりそれをすると体力使うから
よせよ、と言っている。
彼が向かおうとする方向の草取りを急にする私だ。
できれば
自分で虫を捕れればいいのだが
虫も少なくなっている。
5分おきに私は南の庭に出て観察。
そして
やっぱり写真を撮っておこうと思った。
今朝までは
撮らないほうがいい、と思っていながらも
さっきの姿をみたら
撮ろう、と思った。

これから彼はどうするだろうか。
要観察である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/15)昨日のカエルは。

2010年10月15日 08時03分28秒 | カエル
昨日は
仕事から帰宅して
また考えてみた。
夕方には冷えてくる。
夜はもっと冷える。
あのカエルは
自分で土を掘る力はもうない。
元気なカエルは
土を掘って自分の身体をスッポリ埋めるくらいに
上手に寝床を作る。

それができないあのカエルのために
もう一度
寝床を作ってやろうと思った。

プランターは大きすぎる。
背が高すぎる。
そこで
適当な箱にビニルを貼り(雨ですぐダメにならないように)
脱出できる穴を2つ作り
それをドームにしてやった。
更に
干草を小さくまとめて
軽い掛け布団のように作った。

それも持って
夕方サンルームの下に。
少し離れたところの
アジアンタム(サンルーム下に自生したようになって増えている)の
陰にくぼみを作って
別なカエルが潜んでいた。
目を閉じて喉を動かしている。
元気なカエルだ。

あのカエルは
プランターを開けると
目を見開いたまま(瞳孔が開いたまま?)
何かに耐えるようにして
まだ生きていた。
そして私に気づくと
威嚇した。
何度も威嚇した。
他のカエルには観られない独特のその姿は
やはり
7月に私とやりとりした(その記事あり)カエルだ。
普通のカエルは
あんなに威嚇しないし、死んだふりをしたり、無抵抗なんだ。

4つ脚を踏んばって、シャーという姿はあのカエルしかいない。
くぼみを少し深くしてカエルの身体が平らになるようにした。
カエルを入れて
干草ふとんをかけてやる。
これなら少しは温かく過ごせるだろう。
そして風除けの箱をかける。
更にプランター。
これで彼は静かに死を迎えられる。

今朝早く
激しい雨が降った。
音が凄かった。
当然、あのカエルのことが気になった。
雨が落ち着いてから
覗いてみると
干草の下から、箱の穴から
顔を出していた。
目は半開きだった。
それは寝ているのか
死んでいるのかわからなかった。
寝ているのならそっとしておこう。
生きているのか否かを確かめないでおこう。
顔を出している姿は昨日とはちがう姿だったから
あれから少し動いたのであろう。


昨日職場で
同僚に
「うちのカエルが死にそうなの」の唐突な言葉を
言ったら笑われた。
笑うしかないよね。
真剣に
いっしょに、大変だね、と同情するのもおかしいよね。
カエルの命は軽いものね。
その反応は妥当だと思った。
しかし、逆の立場で私が言われたら
私は、いつもの自分で
あれこれとアドバイスをするだろう、その姿は滑稽かもしれないけれど。

カエルよ
一昨日、雨が降らなかったら
あなたは私の目の前に現れず
人知れず草の陰で死に絶えて、土に還っただろう。
私に姿を見せて
こうして「悲しみ」を置いていったのは
私に
「どうぞ、私を優しく葬ってください」の合図だったんだね。
そう思うことにしたよ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/14)悲しいカエルの姿

2010年10月14日 10時01分27秒 | カエル
今日は午後から出勤になったので
午前は洗濯をしたり、手紙を書いたりして過ごす。

今朝は悲しい場面に遭って
少々落ち気味の気分である。

昨夜
雨のあとの庭のカエルの点検をしていた。
南の花壇に
あの
腕だけ痩せたカエルが目を見開いて居た。
私が近づいても
威嚇するだけで動けない。
もしかしたら
初夏に、カエルにしては、ネコのように威嚇する子がいて
珍しいな、と印象に残っていたカエルかもしれない。

二週間前に
腕だけ痩せて、気になったカエルがいたと書いた記事も残している。
そのカエルだ。

目が異様に大きく、瞼を閉じることをせず
普通のカエルなら
すぐにピョンと動くはずだが
それがない。
気にしつつ
家の中に入った。

そして今朝
明るい日差しを受けた朝に、気になって同じところを見てみたんだ。
もう、カエルは巣穴とか草の陰に隠れている時刻。
ところがそのカエルは
日差しを受けたままそこにいたんだ。

ショック。
やはり動けなかったんだ。
2週間前の姿よりも
腰骨が出っ張っていたので、栄養が行き渡っていない。
私は
そのカエルを手のひら(軍手使用)に載せて
ウロウロした。
どうしよう、と困惑。
どうすればいいのか。
とりあえず
サンルームの床下の土のところに置いて
日差しから離した。
カエルは歩き出す。体力がないのに、逃げようとする。

まずは夫やネコたちの朝食を用意して
家事をしながら考えた。
虫をやってみよう、目の前に虫をやってみて
食いつかなければ、彼の運命だと諦めるしかない。

家事後
庭に出て、草の中のこうろぎ(?)を捕まえる。
こうろぎに対しても、悪いね、という気持ちがあったが
必死に捕まえて
そのカエルも再び手のひらに載せて
口のあたりにこうろぎを持っていく。
しかし
全く無反応。
こうろぎの触覚が動いているから
生き物、食べ物とわかるはずだが全く反応なし。

生物は
自ら食糧となるものを捕獲できなくなったら
おしまいなんだろうか。

自分のできる術がなくて悲しい。
手のひらに載ったそのカエルの頭部分を
優しく撫でてやったら
目を閉じる。
まるでネコが気持ち良い表情をするように。
たまに目をカッと開くと
瞳が真っ黒なんだ。
元気なカエルの目と違う。

祈った。撫でながら祈った。
カエルの神様、うちのカエルたちを守っている神様に
このカエルが自ら餌を取れるように、と祈った。

そして
サンルームの下の土をくぼませて
安心できるようにそこに置いた。
そして隙間を作って(そこから出られるように)
プランターを覆った(以前、そこにしばらく棲み付いたカエルもいたから)。
これなら日差しを受けず、
土の温かみもあって少しは安らぐであろう。
私にできることは
それしかなかった。

この夏の猛暑は
カエルたちも大変だった。ずっと姿を見せなかったもの。
食糧となる虫たちもあまり見なかった。
だからきっとエサも取れなかったろう。
可哀相に。
こうして弱いものから犠牲になっていく。

先日
腰の状態が少し良くなったから
ぼうぼうとした草をとっていたら
小さなカエルがあちこちに潜んでいた。
ああ、こうして次の世代のカエルたちは
無事でいたんだなあ、と安心していたばかりなのに。

カエルと多く接している自分だから
このように
死に向かっていくカエルも今までに見てきた。
だからしかたないんだ、私の日常なんだ、と
思うしかない。
カエルに関心のない人たちには
カエルの死体、物体がある、とだけの印象かもしれない。
数あるうちの1つである。
夫はそう言う。
そう思うことも、明日を生きる知恵だ。
死に拘泥していたらキリがない。
そう思うしかない。

朝から支離滅裂文章だ。
日記も兼ねているので
文章の乱れ気にせず、思うままに書いている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/13)赤い羽根

2010年10月13日 00時19分00秒 | Weblog
腰痛を押しながら
やらなければならないことを
やる。

町内会のこともやらねばならなかった。
ところで
赤い羽根募金というのを
町内会で徴収しているのだけれど
今の世の中

500円、1000円という金額を集めているのね。
昔は
街頭で緑の羽根、赤い羽根募金をやって
100円でも10円でも感謝されていた気がする。
それが
いつのまにか町内会で募金集めをしていて
金額のレベルがこんなにアップしている。
募金というのは善意の気持ちだから
どんな金額でもいいはずなんだろうけれど
なぜか町内会になると
10円、100円というのは出てこない。
右に倣え、で皆そうなってしまっている。

それぞれ、胸に一物あると思うけれど
近所である限り
それらは直接聞こえてこない。

問題があるだろう、と思ってはいても
いつも立ち消えになってしまう。
今年は私が集める係りになっているのだが
集める立場になっても
1年限りだし、あと数年は回ってこないから
集めるしかないなあ、と思いつつ
回っている。
これ、ずっとその状態で続くね。
会計報告、集計結果、それがどのように使われるか
というのはあるのだろうか。
今まで、そんな資料を見たことがなかった。
あるのだろうけれど、見ない自分が悪いんだろうね。
ネットで調べようとしたが
いろいろとありそうだから、見るのはやめた。
疑問に思っている人って結構いるだろうね。


一応、いつ発生したかの歴史、問題点などが書いてある。
共同募金の説明
やはりね、全国的にそういう問題があるのね。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/12)自己嫌悪

2010年10月12日 00時55分21秒 | Weblog
この写真は
以前載せた写真の別の角度から撮ったもの。

このときの空気
凄く好き。


両親に
散歩に行ってくる、と言って抜け出して

まだフロントにも人がいない時刻に
ホテルの前のこの光景を見ながら
一服したとき。

もしかしたら
北海道旅行の一番の思い出かもしれない。
誰と会ったとか
おいしいものを食べたとか
どこを見たとか
それがメインの旅行であるけれど

私は
後から思い出すとき
必ずと言っていいほどに
サブのほうの何かを思い出す傾向あり。

例えば
以前一人で北海道に帰ったとき
何を後から思い出すかというと
函館の小学校の近くのグリーンベルトの木陰で
休んだときの光景を思い出す。

それはメインじゃなかった。
夏だったからたまたま
暑くて一休みしよう、と
そこのベンチに腰掛けて
辺りを眺めていた。
私の小学校時代のままの家々が目の前に
建ち並ぶ光景。
その何でもない光景が
いつまでも胸に残っている。

きっと今回の旅行も
何ヶ月、何年も過ぎて思い出すとき
この朝の光景を思い出すのだろう、と
予測している。

そしてもっともっと
写真を撮っておけばよかったなあ、と。
わずか10分ほどの散歩だったけれど
今度は
夫とかと来て
思う存分あの辺りを歩いてみたいと思った。
本当に美しかった。
ようやく、生きている北海道の自然だなと思った。


今日は自己嫌悪の日だった。
腰痛で動けなくて2日ほど、何も手をつけていない。
この連休にやろうと思ったことができず
いつも自分の不運を感じる。
こんなことで不運、なんて書くと怒られそうだが
やる気を削がれる、ということによく出遭う。
階段を下りるのもつらい。
床に、ネコのごはん容器を置くのもつらい。
結局、怠惰な自分になっていく。
怠惰は私の形容だ。だからこそ、連休には
草取り、枝刈り、掃除等
リフレッシュしたかった。
それができずに
また仕事が始まってしまう。

私の何かに厳しさが足りない。
私の薄弱な心は一生ついてまわる。
そんなことを考えていたら
自分を消したい思いになった。
明日は立ち直れ、トモロッシ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/10)北海道旅行顛末記 8 空飛ぶペンギン

2010年10月10日 09時14分34秒 | Weblog


北海道旅行3日目には
芦別を出て
富良野や美瑛を通過し
例の
北の国からの撮影場所の見学をして

目的の1つ
旭山動物園に出かけた。

今や全国からやってくる
有名な場所。

これも町興しの成功例かもしれないね。
さびれゆく動物園の再興を
プロジェクトを組んで行ったことは
ドキュメンタリーやドラマなどで
再現されてきた。

一応
母は動物好きとなっている。
変な書き方だが
父曰く
動物が出る番組を喜んで見ている、とのこと。

しかし
子供の私から見れば
動物好きとは何か、と母のこれまでのことを見てきているから

と思うしかない。
今でも
私に
猫を捨てろ、と言う人である。
北海道からこちらに引越ししてきたときに
せっかく連れてきた飼い猫を
東北大に、実験動物として使ってくれと置きに行った人である。
もちろん
私は泣きの日々を過ごし、
とてもこんな理不尽なことは許せないと
母に抵抗して
数日後、大学病院の実験室に連れ戻しに行った。
大学の人は
「ああ、あのネコね。覚えているよ。」と
返してくれた。
そのあとの母との修羅場は覚悟していたが
とにかく、救いたかった。
母は
そういう面で残忍なところがある、と
他のことでもあるのである。

それらの悲しい過去は置いて

動物好きらしい
母のために
旭山動物園に行ってきた。

私はあくまでも
両親主体の旅行であるから
自分が見たいものなどの制限があるかもしれないが
それは甘受できた。
それでも
歩くのが儘ならない両親との見学は
動物園の半分以下しか堪能できなかったろう。

有名どころは
皆混んでいた。
アザラシのところもなかなかゆっくり見学できなかった。
しかし
ペンギンはバッチリ。
これがその写真である。

あとは
小さいデジカメのため
ほとんどUPできないような写真である。


アザラシがのんびりとくつろいでいる。


オオカミである。観客の一人が銀色のマットを持っていたのだが
反射するそれに反応して、追いかけて回っていた。


zooさんのように、望遠でないと撮れない写真。
猿がいました。どうしてもオトメちゃんを思い出してしまう。
小さい猿もいました。これは皆で、何かを掘り起こしている場面。
それが可愛かった。

そのほかに
フクロウ、鹿などを撮るが
よく見えないんだ、私の写真。

オランウータンも面白かったね。
しかし
そういう人気の動物はいいのだが
どうも
鳥関係は、寂しかったなあ。
狭い小屋にいるのだが
あれが十分なスペースなんだろうか。
鳥についてはよくわからない私。
もっと自由に飛べる空間があればいいな、と思って見ていた。

お昼は
有名らしい
ラーメン横丁(?正式名は忘れた)で
ラーメンを食べる。

夜は
芦別最後の夜ということで
私たち親子は特別ディナー。
親戚の人たちが夜はそこで食事、と急遽なったのだが
あまりきちんとした対応ができなかった。
座席も離れてしまったし。

夜は
早めに寝る親。
私は夜の空気を吸いに外に。
写真を撮らなかったなあ、あの月。

翌日は帰省日。
芦別を出て札幌に向かい
従姉妹の家へ。
そこでの墓参り。

墓参りは都合2件、家にての仏壇への焼香は
都合4件の北海道旅行であった。

そしてこの写真である。
北海道を離れたところ。
私の思い出深い苫小牧の港を臨んで
後にする。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/10)はやぶさ 再び東北大に見学

2010年10月10日 08時42分13秒 | はやぶさ
昨日は
はやぶさ探査機実物大模型の見納めとして
再び
東北大に行ってきた。

今回は
若い子3人を引き連れての見学である。
この子達は
私の拙い「はやぶさ談義」に共鳴し
ぜひ観たい、と言ってくれた子だ。
他にもいたが、曜日が合わなくて断念した。
しかし翌日(日曜日)も最終の展示をしているので
時間が合えば個々で行ってほしいと伝えた。

さすがに
土曜日とあって
見学者が大勢いた。
前回観に行ったときは
平日の朝一だったので
まだ人は少なく、グッズも販売していなかった。

昨日は寒く(それでも私は素足のサンダル)
待ち合わせ時は雨がポツポツと降っていた。

何より困難だったのは
私は前日の夜、大腿骨の痛みを感じて
昨日も脚をひきずっての見学である。
もしかしたら最悪、行けないのでは、と思ったが
せっかく遠くから見学したいという彼女たちの
気持ちをがっかりさせるわけにいかなかった。

入ったときには
東北大の教授の講話の最中であった。
大勢の人が熱心に静かに聴いていた。
そして
講話が終わったあとにも
年配の方たちなどの質問があって
活気があった。
皆、はやぶさを愛しているんだな、と思った。
高校生たちも見学に来ていた。
高校生はとかく
自分の遊び中心の生活であるが
誘い合って数人来ている姿はなぜか感激する。

彼女たちも1つ1つのパネルの説明に目を通し
はやぶさがどんな大きさで
どんな形をして
どんなエンジンを積み
どんな働きをしたか
を把握していった。

私は
心の中で
もう、会えないだろうという思いで
このはやぶさにさよならをした。

外ではグッズ販売。
はやぶさのマグカップを購入。
絵葉書も購入。
そして彼女たちに
見学記念として
あの
はやぶさ最後の「地球ショット」のファイルをプレゼントした。
私もまたそれを購入してしまった。

マクドナルドに入って
昼食。
そこで
なぜ、そのファイルをプレゼントしたかを伝える。
はやぶさを愛する人たちが
皆涙した
最後の写真なんだよ。
JAXAの川口さんたちが
燃え尽きて消えていくはやぶさに
最後に地球を見せてやりたいという思いで
はやぶさの目で見た地球を撮らせたんだよ、と。
彼女たちは純な心でそれらを聴いてくれた。

ノーベル化学賞を日本人が2人受賞したけれど
その2人とも
年を取っているけれど
発見発明したときは若い年代だったんだよ。
その発見が果たして
人類に貢献できたかを何十年もの実績を見て
受賞という形になったんだよ。
だから
このはやぶさに携わった人たちも
あなたたちが大人になったころに
もしかしたら
イオンエンジンとかが身近に何らかの形に換えて
生活に役に立っているものとして存在し
それらの功績に
もしかしたらノーベル物理学賞なんて
取れるかもしれないね、
なんて説明した文系の私です。

今は
宇宙に行ってきたはやぶさ、と限定されているけれど
はやぶさの全ての技術が
後の人類の生活に貢献できていることを
願うばかりです。

非常に有意義な課外授業だったと思った。

夜は激しい雨。
寒くなってはいるけれど
私はまだ
半袖、素足で生活している。
暑がりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/5)銀色のグラス ゴールデンカップスのベース

2010年10月05日 21時22分52秒 | 名曲
銀色のグラス/The Golden Cups


ゴールデンカップスの曲の中で印象的なのが
この曲。
何と言っても
ルイズルイス加部のベースのさばきが物凄い。
この音源で果たして
はっきりと音を聞き分けられるか不安ですが
家にて
ステレオで聴くと
はっきりわかるんですよ。
当時からこんなにテクニックが凄かったわけですね。

実力派は
今でも現役で色褪せることなく
活躍している。

それにしても
動画にてのコメントも
加部さんのベースの絶賛がいっぱい。
ベースというよりも
リードギターなんですよ、カッコイイ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/5)はやぶさ実物大模型展示 東北大片平キャンパス

2010年10月05日 15時22分24秒 | はやぶさ
はやぶさ実物大模型展示場へ。
目指すは
東北大片平キャンパス。
ここは
両親のやっていた店が近かったために
私の高校時代、大学時代の
遊び場所。

いったい何年ぶりにこの近辺を歩くのだろう。
あとでそれの記事を書きたい。
まずは
はやぶさに会いに。


 東北大片平キャンパス北門 はやぶさ案内


 ジャーン! 逆光の中で、はやぶさが仁王立ち


 イオンエンジンです


 イオンエンジンのモデル これが各国でひっぱりだこになるかも


 はやぶさの側面


 写真ですが、重要な部分カプセル。これが角田で展示された。


 写真ですが、日本に帰国したカプセルを運んでいるところ


 見学していると、幼稚園児が団体で見学に。カワイイ。


 お姉さんが幼稚園児に説明している。皆、真剣。騒がない。

などなど、何十枚と、正面、側面、背面、展示物等の写真を撮ってきた。
はやぶさと並んで自分も撮ってきた。でもここに載せられない。

大きくもあり
宇宙を何年も旅するには小さくもあり
はやぶさはこのようにして
宇宙を観てきたのです。
イトカワに会いに行ってきたのです。
イトカワ、喜んでくれたかな。

そして地球に戻ってくるときに
塵となって姿を変えて地上に舞ったんですよ、はやぶさ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/5)金木犀

2010年10月05日 15時14分06秒 | Weblog
10月は
金木犀の香り。

この時期は金木犀が香ってくるね。
これは

洗濯物を干したときに撮った
うちの庭の金木犀。

このあと

はやぶさ模型に会いに
東北大に向かう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(10/4)ロッシの活躍が嬉しい  Moto GP

2010年10月04日 01時27分47秒 | バイク
          私の愛したネコ、ロッシ



日付は変わってしまったが、まだ起きているので
今日(日曜)として書こう。

仕事が終わった。
今少し前に終わった。
思えば
北海道に行く前に
この時期の多忙さを想像して
ぞっとしていたのだが
忙しいと言いつつも
かなり休憩していた。

頭が何しろ北海道モードなので
すぐにそちらに行ってしまう。

旅立つ前から
土日も職場に行ったり
今日も忘れ物をして
あわてて職場に行って持ってきた。

山を越えたので
あとは明日仕上げだ。

そしてようやく
北海道の人たちに
礼状やら御礼の品の送り届け等、手をつけられる。

そして
はやぶさの展示会にも行ける。

明朝5時半起きなので
睡眠が心配だが
書かないで寝てしまうのがいやなので
少し。

今日
思いがけず
バイクのレースを観る事ができた。
夫が
新聞のラテ欄に載っていたのを見つけて
「今日、バイクのレース、テレビでやるぞ」と教えてくれた。

3時から地上波で1時間だけ
motoGPのレースを放映するのだ。
これも毎年放映してくれるわけじゃなく
今年は放映してくれたんだね。

私がバイクのレース観戦に夢中になっていた時代は
WOWOWとかNHKBSなどでやってくれたので
行けないときはそれらを観て過ごした。
今は有料でないと観られない。
日本人活躍の全盛のころと違って
今はあまり選手が出ていないので
(むろん、期待の人はいるようで)、
ほとんど観ない年が続いた。

今日は
解説者やインタビュアーの名前に
かつての大活躍した人たちの名が連ねて
ああ、時代が変わったんだなあ、と思った。

その中で
日本人じゃないけれど

今も王者として活躍している
イタリアのロッシが
大怪我を克服しての参戦。

仕事をいったん3時にやめて
1時間それに集中する。

ロッシが非常にエキサイティングな試合を見せてくれて
それを観ただけでも
よかったと思った。
ロッシ、大活躍。3位である。

何度も書くけれど
ネコたちに名前をバイクの選手の名前をつけていることを
いつかも書いた。

ロッシという名が出るたびに
私の愛したネコに
ロッシと名づけたことに
つけてよかったなあ、こんなに活躍している、と思わせてくれる。

そしてダイジローやハル、カズ、ノリとつけていく。
バイク好きの人なら誰のことかわかるよね。

自分のハンドルネームの
トモロッシというのも
このロッシをつけたもの。
つくづくロッシに感謝。
今でもバリバリ、活躍していることに感謝。
カピロッシもまだ走っていたんだね。
彼も、もう30代の後半。
ロッシもカピロッシも年齢に関係なく走れるだけ走ってほしい。

私がバイクを好きになったのは
1993年。
忘れもしない
原田哲也が初戦で、優勝したのを観たのがきっかけ。

それまで
夫はレースを夢中で観ていたけれど
私にはさっぱりわからなかった。
面白みがわからなかった。
ヘルメットで顔が見えない、だれが何周走っているのかわからない、
と全然興味がなかった。

それがたまたま
そうたまたま、その初戦をずっと観てしまったんだ。
日本人が走っているからって。
名前も、前歴もわからない。
その試合の凄さにいつのまにか引き込まれていた。
最後の最後でスリップストリームで抜くのである。
ええ、こんなことあるの?と思った。
科学がこんなところで使われるなんて。

スリップストリーム説明 

バイクでその現象を知った。しかも初めて真剣に観た試合で。

夫が説明してくれ、よくわからなかったけれど
とにかくその後
後ろに付け、後ろに付け、などと
日本人に応援していた。

それ以来
私はビデオに撮って
あとから何度も
治親とか辻村の試合を観てシビレていたのです。
そして
鈴鹿、のちに茂木(もてぎ)通いが始まったのです。

ロッシが125ccクラスでデビューしたころは
皆で笑っていた。
脚の長いロッシが小さなマシンを自在に操る、
どう出るかわからない暴れん坊のイメージで。
それが
後にまさか全てのクラスで王者になると思ってもいなかったと思う。
今では
ロッシに憧れてバイクレースを始める人もいるでしょう。
今の若い人たち
ロッシをベテランと見ていると思うけれど
彼にも10代のころの初々しい、危なげな時代があったのです。

時代は流れる。時代は積み重ねられて
若い世代に受け継がれていく。

私のネコ
ノラだったネコに
ロッシと名づけたのは1997年。
あれから13年。
既に成猫だったので正確な年齢はわからない。
2003年に、病院から帰宅して3分後に死にました。
そして97年の夏に
ロッシがガールフレンドとして連れてきた雌ネコに
ハルと名づけ、
その猫はまだ生きています。
もううちにはいないけれど、老夫婦の元で暮らしています。

ロッシとハル。
私の愛したバイクの選手の名。
良き夫婦でした。


今日はそういうわけで
ロッシの活躍に喜んでいた私です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする