僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/31)今年の出会いは鳩のPちゃん

2013年12月31日 20時26分48秒 | 私の鳩


タイガースのコンサート以来
ブログがとだえました。
PCは復調。
年末まで新規に買おうと思っていたけれど
また当分
このPCで行けそうです。

あと数時間で今年が終わる。
年末に向けてのいつものハイな気持ちはどこへ。
たいていの家庭では
今頃は
お料理を囲んで、紅白を観たりと団欒のとき。
うちは
義母は就寝、夫は1階のオーディオルームで音楽三昧。
私は、疲れきって、あわててブログを書き始める。
あと少しで寝なくては。
今日は朝から料理作り。それで一日終わり。

そして今年を振り返る。

今年は
2回、退職届けを書いた。
3月と8月。
それほど、この職場を去りたい、と思っていたのね。
しかし
再び、またここで働いている。
Iさんという強烈な個性の人との不思議な関係。
それが頭にあるなあ。
おそらく、彼女は
彼女が辞めたあとに私が入ったことに対して
胸に一物あるに違いない。


そして今年の出会い。
冒頭の写真の
鳩のPちゃんです。
どうしているだろうか。

再び職場に戻って
あの、Pちゃんの産まれた場所を目にすることになるが
もうそこは巣を作るのは不可能。
それが却って良かった。
あのままでは
鳩はすぐに巣を作るだろう。
その心配が無くなっただけでも、安心して仕事に専念できる。

この寒い冬空に
強く生きていってほしいと切に願う。
そしていつか逢えたらいいな、と小さく願う。
もっと縁が深くなるのかと想像したこともあったが
私の心配性の解消のために
私の前から姿を消してくれたのだろう。

ブログ仲間のfairyさんのように
ベランダに秘密のプランターを置いてみようかと考えている。
まだまだ未練ったらしい自分である。
どこかでPちゃんとすれ違っても
それがPちゃんだと、確信することはできない自分だ。

たくましく生き延びてほしいよ。

そして
タイガース。
全国のファンは、彼らのツァーに何度も参加しているようだが
私は
仙台のコンサートのみ。
それだけでも夢の世界だった。
あの
君だけに愛を
が耳に残って離れない。
青春をよみがえらせてくれてありがとう、タイガース。
いつも
君だけに愛を
を口ずさんでいるよ。
夫と
この正月のいつか、いっしょにCDを聴こう。


来年もよろしく。
もっともっとブログを書くようにしなくちゃ。

ではまた明日。
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(12/21)タイガース仙台公演、行ってきました。

2013年12月21日 08時27分52秒 | 思い出を紐解く
おはようございます。
PCの調子、今日は少し良さそうなので
家にて更新。
もし、不調であれば、今日もネットカフェに行こうかなと
思っていた。

昨日
タイガースの仙台公演。
行ってきました。

一日中、雨で
出かけるときも
寒くて寒くて。
自転車で行く予定にしていたけれど(20分くらい)
あまりに雨が強かったので
車で出かけました。
駐車場が満車の心配があったけれど
駅の東口の開発地区は
まだまだ空き地があり、そこがコインパーキングになっている箇所が多くて
助かった。

会場の近くのハンバーガー屋に行って
軽く夕食。
満席になるほどに
私世代(もうちょっと上かな)の女性客ばかりだった。
「男の観客はオレくらいかなあ」と夫は恥ずかしがっていたけれど
「男の人たちも来ているでしょ。夫婦でタイガースを観に来るということは
素敵なことでしょ。だんなさんもタイガースが好き、とは限らないし。」と答える。

そして会場に行ってみると
夫婦連れもたくさんいたし、男2人で来ていた人も見かけた。
あんなに若い時、男子が「タイガースなんて。GSなんて。」と
突っ張っていたのが、こうして中年になると自分の素直な気持ちに従って
憧れのタイガースを観に来ているのですよ。
(どうしても、自分の学生時代の男子の反応が頭にこびりついているのでね)

開場前の待っている間、風が強いし雨も強かった。
身体が冷えて、開場したとたんに
トイレに走る。

私はもう、初めっから立ちっぱなし。
夫は座りっぱなし。

前半は、当時の
ストーンズの曲中心ね。
サリーの「テルミー」が最高でした。
もう甦ってきましたね、あの時代。
ストーンズを好きだったのとタイガースを好きだったのが重なっていた時代。
だから
サリーが
♪アァイ~(I)と低音で歌いだすと
ビリビリッと来たことを思い出す。
健在、健在。


時折
双眼鏡でそれぞれの顔をじっと見つめる。
トッポ、おっさんになった。
皆、おっさんになっているけれど
サリーはドラマ等でいつも観ているので
それほどおっさん化に驚かないけれど
一番、頭髪が・・・
ジュリー、あまり好調ではなかった?
目が開いたのを観られなかった。
いつも、あのように伏し目がちに歌う?

PAが悪いのか
全体の音程がよくなかったけれど
そこは目を瞑りましょう。
後半は
タイガースのヒット曲のオンパレード。
残念だったのは
CCCを歌わなかったことかな。
とにかくね
タイガースは
当時のシングルのA面B面、両方ともヒットしていたのよ。
それに
溝が傷つくほどに両面を聴いていた世代だから
両面の歌もバッチリ。

トリハダものは

君だけに愛を

これは盛り上がったね。

ジュリーの指指すところはキャー!!のお約束。

これは
タイガースの絶頂期の曲ね。
確か
母親から
クリスマスプレゼントとして買ってもらったレコード。
あれを買いに行く光景、今でも焼きついているね。
前にも書いたっけ。
苫小牧のツルッツルッとした道路を2人で歩いて
街のレコード屋に買いに行ったんだ。

そのレコードの発売前に
テレビで新曲発表ということで歌うとき
私は紙と鉛筆で
歌詞を書きとめた。
聴いたままを書き留める。
最初の
「オ、プリ」が何のことかわからなかった小学生だった。
Oh,please~ですよ、後でわかったのは。

やっぱりこれが
タイガースの代表曲かなあ。
自分としては
銀河のロマンスが好きだ、と思っているけれども
これは本当に
タイガースの名曲だな、と昨日実感した。
ジュリーもこのときばかりは目を開けていたかと思う。


サリー!と何度叫んだことか。
声援はジュリー(当然)、ピー、トッポのときが大きかったけれど
サリー!の声も男の人でありましたよ。
「官房長!」とね。

私は当時
サリーの数少ない大ファンの子。
他にサリーのファンがいたら、落ち着かなかった。
しかも、私と同じ名前の子。
別なクラスの足の速い子だった。
お互いに
「私の方がサリーをより強く好き!」なんて
ライバル心むき出しだった。
小さな市苫小牧の中でそんなことをしていた学生。
世の中、私たちよりもっともっと大人の女性に
サリーを好きな人たちがいっぱいいるなんて知らない学生。
今、サリーは別な意味でファンがいる。官房長ファン。
これが嬉しい。
先見の明あり、なんて独善的に自分を喜んでいる。
だって、今、一番テレビに出ているでしょ、タイガースの中で。
先日のスペシャルドラマ、タイトル忘れたけれど
オリンピックの何とかっていうドラマでも
最後のクレジットよ、一徳さん。
俳優のイメージが強いけれど
ベースマンとしても一流ですから。
昨日の演奏でも
夫は
「ベースが出すぎている。」と言っていたくらいに。

ということで
82年の武道館以来のコンサートに行って
大満足の日でした。
チケットを手配してくれたジュリーファンの人が
こちらに挨拶に。
会場で会えないかも、と思っていたので
びっくり。そうか、こっちの席番号を知っていたんだっけ。
夫ともその82年以来。
3人で行ったっけ。
彼女は筋金入りのジュリーファン。
挨拶に来たときに、私の隣の人とも挨拶していたので
きっと、私たち同様、手配してくれたのでしょう。
顔が広い。
彼女はとにかく、できるだけツァーに出かけている。
皆、そうなんだね。




帰宅すると
玄関に置手紙が。
「こちらも親」とマジックで書かれていた。
姑の気持ち。
ナンダ、これ?という私の気持ち。
出かけるとは言ったが、コンサートとは言っていなかったので
私の親のことで出かけた、と思ったのかもしれない。
お風呂も
自分でスイッチをつけられないから、今日はお風呂無しでいいか、と尋ねたら
「いい。」と言われたので何の問題もなし、と思っていたが。
ボタンを押すだけ、という動作さえ怖がって私たちに頼ってきた姑。
それをずっとしてきた私。
スイッチをつけて「お母さん、お風呂(入って)いいですよ~」と
毎日声をかけてきた。
覚えさせようとしても
「怖いから、いや。」と言っていた。
それが1日、しないだけでこんなことを書かれてね。

いつもコンサートなどのあとに、水を差される。

いつだったかのストーンズのコンサートのときも
帰宅したら
「息子が行くのはまだしも、なんでトモロッシちゃんまでついて行くのか。」
とまで言われたっけ。
いやいや、私こそ、行きたい人間なのですが。
あなたに
ストーンズをどれだけ好きかを語るのですか、この私。

そもそも
夫と知り合ったのは
ロック好きの夫とロック好きの私ということなんですよ。
ロック好きというのは対等だったんですよ。
夫の影響で好きになったわけじゃないんですよ。
仲人の方の説明でもあったでしょ。
バイクやF1は夫の影響だったけれども
ロック好き、ストーンズ好き、タイガース好きは
わたしの小学生時代から。
勘違いしないでね、お義母さん。

真正面から言えないことを書いてみる。

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(12/19)明日、サリーに会える。(母のことなど)

2013年12月19日 13時24分18秒 | 日常、仕事、認知症
またもネットカフェから。
2時間、500円レディースパック。
安い。
お茶、飲み放題。
お昼、シジミ汁、炊き込みごはん。
もう、お腹いっぱいでそのまま眠りたいくらい。

いよいよ
明日、我がタイガースに会える。
もう
過去の人、と思っていたが
いやいや、彼らは現役。
生きている限り
こうして再会できる。

60年代後半
全員イケメンアイドルのスター。
私のサリーは
背が高いし、足は長いし
声はいいし、性格良いし
ベースもうまい。
言うことなし。

タイガースの曲は皆好き。
その中でどれが一番好きか、なんて
中学時代に聞かれたことがある。

モナリザの微笑
も好きだし
星のプリンスも好きだし
君だけに愛を
う~ん
美しき愛の掟

銀河のロマンスが一番好き、と答えたっけ。

花の首飾りといっしょの曲です。
こっちのほうが
タイガースの代表曲のように扱われるけれど
銀河のロマンスが
いいね。

それらも聴けるんですね。

あのピーが
まじめな講演会をしてくれて
(ずっと、1曲くらい歌ってくれるのかと思った)
今回は
その講演を離れて
歌うんですよ。
ピーの張り切りようが目に浮かびます。


明日は
仙台、雨模様。
タイガースの皆さん
仙台で公演してくれてありがとう。
私の青春が
明日帰ってくる。
 

            

うちの母の検査、大丈夫でした。
検査のとき、私もついていき
その結果を聞く。
今のところ大丈夫。
これで
心配することなく、来年のお正月は
実家で迎えることができる。
待合室で待っていた父に
OKのサインをすると
父は喜んでいた。
父なりに不安でしょうがなかったらしい。

最近
こうして
父母と病院で話すことが多い。
そのたびに
父はいろいろと私に話す。
この間は
私の養子縁組の当時の話になった。

若くして、子供ができないとわかった今の両親。
そして
私は今の母親の姉の子供(私生児)。
貧乏だった母親に
養子縁組の話をしたところ
「だめだ」と断られたとのこと。
そのあとの話し合いで
縁組をすることになった。
そして
当時私が住んでいた富良野の役所か裁判所に
「人身売買ではない」の書類を提出したとのこと。
(あるいは、当時今の両親が住んでいた札幌の方だったかもしれない)

その
「人身売買ではない」という言葉が
この自分にふりかかっていた、というのが
妙に
小説的で、「ヘェー」と思った。
そんなことがあったなんて
もちろん
小さな私にはわからなかった。
そして
そのまま、「おまえは長靴を履いて、うちに来たんだよ。」とリアルな光景を思い出して言った。

昨年の今頃
私に
その両親から
遺産相続放棄せよ、と突きつけられたことを書いたね。
あれから
私たちは
この問題について
一切口にしていない。

周囲の人にその話をすれば
「もう、介護なんてするな」と言われた。
私もそんな気持ちを持ったこともあった。

自分の今の行動と心はどうだろう。
やっぱり
母のことが心配になるんだ。
割り切れるものじゃないね。
あんなに強かった母が
今では
病院のトイレに一人で行けない。
行けない、というのは
トイレのレバーがどれかわからない、という頭の問題。
下着の交換もよくできない。
「トモロッシ、トモロッシ、どれかわからない。」と言われれば
無条件に
手助けしなくては、と思うのだ。

そんな自分の母と裏腹に

姑に
「自分は、トモロッシちゃんに蔑ろにされている。」と思われている。
例の
「誰か人が覗いている」事件。

それに対して
私が
科学の分野でしょ、と冷たく(と義母は思っている)言い放つものだから
ついに先日
「隣の奥さんとは、私と本当の親子だと思っているんだから。うんと、私のことを心配してくれるんだから。」と
言われたよ。
私、よく聞こえなかったので
大きく笑った。
あとから考えたら
確信犯的な言葉だと思った。

そんなやりとりを
今、結構楽しんでいる。
夫に言うと
「本当の親子じゃないのにな。」と言われた。



ということで
明日
タイガースをたくさん楽しんできます。
そろそろ
ここを出よう。
また、来よう。


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(12/15)ネットカフェからの更新です。

2013年12月15日 13時25分12秒 | 日常、仕事、認知症
今、ネットカフェから。
仕事を終えて、夫と待ち合わせ。
新しいパソコンを買うかどうかの検討。
いろいろと面倒なことがあるね。

うちのパソコン不調で、
閲覧中にすぐスタック。
ほとんど見られないうちに止まる。
ここ数日そんな感じで
そろそろ買い換えなくては、と言っていたところ。

今、あまりパソコンを開けず
こうしてネットカフェに久しぶりに来て
書き始めたところ。
ところが
自分のパスワードを忘れてしまって
焦った。
何度かトライしてみてようやくつながる。


落ち着くまでどのくらいかかるのだろう。
年末だし、
すぐには交換できそうにないね。
電気屋の人は
脈がありそうなので、熱心に勧めてくれた。
パソコンなしの生活って、考えられないね、今。



義母は今のところ、落ち着いている。
自分で
雨戸の鍵を閉められるようになり、それが安心につながったのかもしれない。
それと
向かいのホテルの壁に映る、灯りを受けて大きく揺れる樹木の説明をしたら
少しは原理がわかったみたい。
でも
安心できない。
安心すると、すぐに次の恐怖がやってくる。

明日は
自分の母親の病院の付き添い。
これも未解決。
解決なんてない。
悪くなる一方。これで治った、ということのないガン。
父の方は
何とか今のところ転移なく、それは安心している。
母のほうだ。
正月は家で迎えられる、と束の間の安心。
それ以降、どうなるのかが予測できるようなそうでないような。


今週は
タイガースの公演。
でも、夜に出かけている間の義母のことが心配。
ましてや
ストーンズのコンサートのときはどうなるのか、と。


心配事が絶えないね。
とりあえずは更新。
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(12/13)パソコン、壊れそう。

2013年12月13日 07時18分59秒 | 日常、仕事、認知症
パソコンが絶不調です。
いつ壊れてもおかしくない状況。
近いうちに
パソコンを検討しなくては。
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(12/9)義母のこと(まいったなあ)

2013年12月09日 22時37分23秒 | 日常、仕事、認知症
今朝はあまりに疲れていて
寝坊してしまった。
昨日の仕事の忙しさ。
日曜はできるだけ、夫との時間を持つために
出勤は避けよう、と思っていたが
忙しそうなのが目に見えていたので出勤。
出勤して正解。

明日は休みなので
気分よく帰宅した。

そして
今夜も
義母の騒動。
今の時刻までかかった。

帰宅して
1階の雨戸の閉め方がなかなかできなくて
義母が困っていたので
コツを教えてやった。
ようやく自分でできるようになって安心したことで
私も安心したのだが(それは夕方の話)。


これで安心、と思うのがまちがい。

またも8時過ぎに
二階に上がってくる。
また、庭にいる、と。
今度は
ダイジローまで巻き込む。
「ダイちゃんも、何かに気づいて、サンルーム側を気にしている。」と。
「ダイジローまで巻き込まないで。
ネコはどんな小さな音でも敏感になるから、外の音に反応しただけ。」

そして
「トモロッシちゃんもこっちに来て、見てちょうだい。」
と真っ暗にした部屋に2人でいた。
私は
真っ暗にした部屋にいることがない。
寝るときも豆電球をつけているか
ヘタすると、大きな電灯までつけて寝てしまう始末。
それに
どの部屋も
外の灯りが入るような隙間があったり
2階は雨戸さえ、少し光が入るように5,6センチ開けてある。
とにかく真っ暗の状態はない。
玄関の廊下も、電気をつけない状態でも
摺りガラスなどの外の灯りでボーっと何かしら見える。
義母の部屋は
とにかく灯りをシャットアウト。
真っ暗である。
雨戸もキッチリ。
却って、光のない所で凝視すると
何か白いものが見えてきそうだ。
全く何も見えない、というより、目が見えるかぎり
なにか白いものが見える感じがする。
仏壇の後ろのほうが白く10センチほど見えるのである。
それを義母が
外でいたずらしてこっちを照らしている、明日、警察に言う、と言っている。

私もそのはっきりとはしないが白いものの正体を知りたく。
すると
義母の閉めた西側の雨戸がほんの数ミリ(2ミリほどか)、隙間があり
そこからマンションの灯りが漏れて
こちら側には10センチほどのかすかな光になっているのである。
義母に、
「ホラ、数ミリ、雨戸の隙間があるでしょ。見てごらん。」と
言っても
怖いから近寄れない、と言って拒否。
結局、自分で検証できないでいる。
「雨戸、きちんと閉めたんだよ。」義母。
「きっちり閉めたと思っても、こうして光が入るくらいの隙間はできるでしょ。」
と言っても納得しない。
「その人物は、何時間も庭でウロウロしているのか。」私。
「そうだ。こっちの話し声を聞いては身を隠しているんだ。うまい具合に。
とにかく、殺されたくないからね。」

これで2時間近く、時間を消耗。
埒が開かないので、途中、夫に参加してもらった。
「私も、真っ暗な所で、ホラ、見えるでしょ、ホラ、あっちが光っている、と
言われると、オカルトみたいで怖いから、あなたも来てちょうだい。」と
途中で呼び寄せた。
夫は、自分の母親に対して、短気になるので(昨日も、私の仕事で不在のとき
何かあったらしい。夫が彼女にいろいろと言ったようだ。何についてかは夫は言わなかったが。)、
「あまり短気起こさずにね。」と私は言った。
義母と私のやりとりを誰かに観察してもらいたかった。
いつもこの騒動のときは
私だけなので。
夫「幽霊かもしれない。幽霊だ。」
義母「幽霊の方がいい。殺されたくない。」

義母は、隣のマンションの誰かがいたずらしている、と思っている。
そんなこと言わないで、確固とした証拠があるならまだしも、
名誉毀損になるからね、と私は言った。
例えば足跡とか、人影を肉眼で見たとか、逃げていく後姿を見たとか、
それらはこの騒動の中、全くないのである。
すばやく逃げるには不可能だ、と言ったのだが。


こうして、2,3日置きにこの騒動。

2階で寝るか、と聞いてみたが
2階に寝ても、また誰かがベランダに潜んでいる、とか
光が見えるとか言われそうだ。
どうしたらいいのだろう。




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(12/7)義母のこと(あちゃ~)

2013年12月07日 12時02分55秒 | 日常、仕事、認知症
昨夜は
義母の南側の雨戸4枚、全部閉めた。
それまで1枚だけ閉めずにいたので
最後の1枚を閉めていざ鍵をかけようとしたら
なかなかかからない。
震災で歪みがあるのと(もう、直さず放ってある)、
長年かけたことがないので
なかなかうまく嵌らない。
ようやく嵌って
「これで安心だよ。」と言った。

そして念のため
他の部屋、トイレ等の窓の鍵を確認しに行った。
1階の義母のトイレは
私はほとんど見たことがない。
2階のトイレに夫が入っていて
私がどうしても行きたいときに
慌てて1階に下りて義母のトイレを借りたことがあったのは
数年前だと記憶。

トイレを開けて見た光景は。

義母はトイレ後
水を流していなかった。
2、3回分の使用後の紙が便器の中にあり
水は、ブルーレットの青と尿の色が混じっていた。
「大」のは流しているようだったが。
アンモニア臭というか饐えた臭いが漂っていた。
それを見られたことにバツが悪いと思ったようだった。
以前そのトイレを利用するときにも
「あ、トイレ流していないからね、流してね。」と言われたことがあった。
つまり、流さないという自覚はあるのである。

さすがに昨日の光景は
良くないと思った。


今朝
雨戸を開けに行ったときに
雨戸の鍵の開け方、閉め方を指導。
そして
「なぜ、トイレの水を流さないのか。」と尋ねた。
「水を流すと、止まらなくなるような気がして。」と返答。
「これでは不衛生だ。菌がいっぱいあちこちに繁殖するじゃないか。」と
ハイターを持っていって、しばらく漬けておくことにした。
「ブラシでゴシゴシしているんだけどね。」とは言っていたが
手遅れの底の汚さである。
何度か、熱い湯でハイターしなければだめだよ、と言った。
義母は
掃除用具、芳香剤、トイレットペーパーにはお金をかけている。
トイレには、新発売の芳香剤が埃をかぶって並んでいる。
トイレットペーパーも、いろんな種類の花柄の高級なものを並べている。
それも今まで見て見ぬ振りしてきた。
お互いに干渉せずの生活をしてきた。
私は別に、綺麗好きではない。
掃除に関しては
人に言える立場じゃないし、整理整頓はダメな人間である。
だから
自分の母親が
いつでも手を動かしてあちこち拭いていたのを見ていて
心の中で
(これが姑だったら、私はとんでもなくだらしない嫁、となるだろうなあ。
姑が今のお義母さんでよかった・・・)と思っていたものである。

そんな私が
昨夜のトイレの光景に驚いたのである。
2階の私たちのトイレがどれほどシンプルで綺麗であるかを
自覚した。

いずれは
下のトイレも私たちが利用する年代(義母が亡くなったら)になる。
滅多にお客が来ないので、それもあるのだろうね。
急に私が干渉するようになったら不快だろうけれど
不衛生極まりない。

義母はとにかく
昔から、機械やスイッチの苦手な人だった。
ストーブも設置してあるが
まだこの冬、使っていない。
寒いときはつけるように、と言っても
「いや、怖いから。」と言ってつけない。
電気コタツで十分だ、日中は陽が入れば暖かいから、と言ってつけない。

お風呂もそうだ。
お風呂は1階の風呂が壊れたので
2階の風呂に、夫が入ったあとに入ってもらう。
それも、スイッチをつけて、電灯をつけてから声をかけるようにしてある。
熱いから、水を足す、とか
ぬるいから、スイッチを押して温める、とか一切ない。
そのままの状態で入る。
入ったあとに、「明日から、あと一℃上げてね。」と言われる。
夫曰く
「ぬるければ、自分で上げればいいんだ。教えてやろうとしても、端から聞く耳
持たない。」と私に文句を言う。
それを夫が自分の母親に言えば、喧嘩になるので
私に言って終わり。

亡くなった義父が全てそれらを管理していたので
義母は
「みんな、おとうさんがやってくれたから、私は全然わからない。」と言う。
あの当時は
義父の律義さ、を自慢げに言っていたけれど
義母を世間知らずにしたのは義父、と思っている。

でも考えようによっては
次のようなことがあったので相殺。

震災のとき
電気、ガスが長く使えなかった。
うちは都市ガスだったので、かなり長かった。
それで
煮炊きは、卓上コンロと七輪でやったのだが
その七輪の使い方、コツが私はわからなかった。
そして義母は全然そういうものには抵抗なく
こうして火をつける、と教えてくれた。
スイッチ一つつけるにも怯える人が
危ない炭のほうが取り扱えるのである。
昔の人だ。
夫の昔の家の掘りごたつは、練炭だった。
それをずっと扱っていた人だ。
おっかさん、
トイレの水が止まらなくなるようだから流さない、なんて
杞憂しているよりも
そのときはそのときで、対処があるのだから
どうぞ、毎回流してください。


これから
義母とのやりとりがたくさん出てくるのでしょう。
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(12/6)ザ・タイガース/そして義母のこと

2013年12月06日 22時41分08秒 | 日常、仕事、認知症

トチとトモが珍しくいっしょに寝ている。
いつもはトチとシンノスケがいっしょ。

タイガースのチケットが今日届く。
ちょうど2週間後に会える、サリーに。
この想いは、苫小牧時代の人しかわからないだろうなあ。
仙台に来て共有できたのは
あのジュリーのファンの友人。元の職場の同僚です。
全盛の頃はもちろんお互いに知らない。
たまたま
職場で、82年の再結成のコンサートの話になり、
彼女もタイガースフリークと知り
いっしょに武道館に行こう、となった。
こちらは夫といっしょなので、彼女も心強かったと思う。
当時、夜行の寝台列車で帰ってきたのよね。

人生最後の・・・と書くのがちょっと寂しいけれど
そんな年になりました。
ストーンズのように、ずっと解散せずにやってきたわけじゃないし
これから、どんな形で再結成するかわからないし、
私たちも、親のことがあったり、家庭のことがあったりと
身動き取れない年頃になったので
そんな言葉が出てきます。

若い時
どんな小さな記事、写真でも
週刊誌、月刊誌の切り抜きを集めていたっけ。
それらは皆捨ててしまったけれど
確か
1,2枚残していたものがある。
それを探したいが
震災のために、家の中のあれこれがどこに行ったのかわからない。
探せ、探せ、トモロッシ。
私の青春だったサリーのあの素敵な笑顔の写真を探しましょう。
そういえば
勤めてから
仕事で東京に出張に行ったときに
神田の古本屋街を歩くのが好きで
タイガースの載った週刊誌とかも買ったような気がする。
それも探してみましょう。



また
今日の夜(9時ごろ)
義母が二階に上がってきて
「誰かが庭で悪さをしている。」と言ってきた。
西側の雨戸のところではなく
今度は
南側の部屋の、義母の人形の飾ってある戸棚が
青く光る、とのこと。
南側の雨戸を1枚だけ開けているので、そこから光を当てている、と言う。

なぜ、一枚だけ開けておくのか、と聞くと
真っ暗より、何かあったときに光が入っていいと思って、と言う。

光に怯えているのなら
全部閉めて、雨戸の鍵もかけて
部屋は真っ暗にせず、豆電球をつけて寝たほうがいい、と私は言う。
結構、義母の言動に矛盾が見えるのである。

庭には誰もいないし、いた跡もない。
まだまだ世間、皆起きている時刻。
義母だけ、7時半ごろに寝るので、皆眠っているものと思っているようだ。
いやいや、その時刻、テレビを観たり、音楽を聴いたりしている時刻でしょ。
私たちもテレビを観ていたりしているし。
彼女だけ、別世界で怯えているのである。
その怯えを払拭するにはどうしたらいいのか。

私のように
電気をつけて寝たら?と言ってみた。
私はよく、消し忘れてそのまま眠ってしまう。


うちは
ネコがたくさんいるので
この時刻でも
ニャーニャー鳴いたり
バタバタうるさくしているので
不審者はいやだと思うけどね。

誰か庭にいる、と固定されています。
警察に言ってみるか・・・

これ、記録なので
まとまった書き方になっていません。
あれやこれやと書き記しています。
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(12/4)名曲 ザ・タイガース/十年ロマンス  思い出

2013年12月04日 21時47分24秒 | 名曲



いよいよザ・タイガースだ。

今月の20日に、仙台公演がある。
頼んでおいたチケットがまもなく送られてくる。
友人(ジュリーのファン)から電話があり
昨日の武道館の公演にも出かけ、ため息まじりの
「よかったよぉ~」の感想。

連番で取れないかもしれない、と言われていたが
連番で取れたとのこと。
夫も行くので。
夫とタイガースの公演は82年の「再結成武道館」以来。

夫に
「全盛期の頃のタイガースの公演は行ったことがあるの?」と
尋ねたら
行ったことがあるそうだ。
私は
当時北海道にいたし、年齢的にあまりに若かったので
公演に行く、ということは大変なことだったんだ。
あのタイガースが
苫小牧に来たんだよね、今考えてみると。
人口10万(当時そのくらいいたのかな)の小さな市に
大人気のころ来たんだ。
王子製紙のスケートリンク(夏場は体育館)で2日続けてのコンサート。
そのチケットは
商店街の一万円分の補助券を集めて初めてチケット代となった。
で、私には1万円分の商品を買うには無理で
父の会社の若い人たちに協力してもらって
3000円分、1000円分、と補助券を届けてくれた。
私のタイガース狂いは会社の人たちに知れ渡っていたので
皆、協力してくれた。
そして2日分のチケットを無事手に入れた。
ところが
クラスにはいじわるな男の子たちがいて
タイガースショーの当日の放課後
○○委員会というのが急に開かれることになり(私はその委員会だった)
それに出席しないのはおかしい、出席しろ、と迫るわけ。
職務放棄だ、と責めるわけね。
やっとやっとサリーに会える、というのに
しかも
この小さな市(コンサートの大半は札幌で開かれる)にせっかく
やってくるのに
その委員会に出なくてはならないなんて・・・と
悲しくて泣いてしまった。
すると、ある女の子が
挙手して
「ハイ!私がトモロッシさんの代わりに出ます!」と助け舟。
そしてそのあと
担任が私の席にやってきて
頭をなでながら
「そんなに、トモロッシはタイガースが好きか」と苦笑。
「はい、好きです。」と答える。
そして
制服のまま、カバンを持って、他のクラスのピーのファンとともに
走って体育館に出かける。
あのころ、席があって、ないようなもの。
幕が上がって、座席に立ち上がって
服を振り回す、私たちより年長の人たち。
私もどれほどサリーが好きかアピールするのに
「サリー!」と絶叫ね。
当時のファンはジュリーが圧倒的。トッポ、ピーが続きますね。
サリーのファンは少ないからこそ、ライバル意識メラメラするんですね。
2日間叫び過ぎて
翌日は喉、声がガラガラ。
あの時のことはよーく覚えている。
男の子も本当はタイガース初め、グループサウンズが好きな人がいたのに
どうもそれを公言できない風潮あり。
夫がもし同じクラスメイトなら(年上だけど)
きっとあの男の子たちと
同じように
私に「委員会、出ろよ。」と言ったと思う。そんな性格w。
その後
仙台に来て、タイガースショーに行った。
一人で。
どうやってチケット取ったのだろう。
その頃のことはあまり覚えていない。
あまりに苫小牧の、商店街商品券やクラスの男の子の反応、助っ人、担任のことが
印象に強く残っていて、
仙台でのコンサートのあれこれが思い出せない。

もう、おじさんおばさんになった私たちが
おそらく生涯で最後の
タイガースのコンサート。
今では
「相棒」の官房長のイメージの方が強いサリー(岸部一徳さんよ)ですが
アイドルだったんですよ。
サリーの
「テルミー」(ストーンズの曲です)の歌いだしには
ノックアウトですよ、もう。

職場のIさんと
タイガースの話になると
(彼女はその世代じゃないけれど認知している)、
「誰のファン?」
「サリー」と言うと、笑う。
いつも笑われる。
岸部一徳の
サリーという響きに、笑いのツボに入るようだ。

ローリングストーンズの来日コンサートの日程決まる。
これも
生涯最後のストーンズのコンサート体験なので
夫と行くことにする。
しかし
東京って、もう何年も行っていない。
新幹線にも乗っていない。
田舎者です。
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(12/2)母のこと、義母のこと

2013年12月02日 23時33分18秒 | 日常、仕事、認知症
ちょっと
予想していなかったことに直面して
気分が良くない。

高齢の義母のこと。
実家の母のこと。

まず
実家の母。
明日は、母の検査の報告を聞きに行く。
昨日は
実家に、父の車のタイヤ交換に行った。
ほとんど中に入らず、作業をし終えてその後出かけたのだが
母の体調の悪さが気になった。
今日も、それについて考えていた。
来年の今頃、母は元気でいるのだろうか、と何度か浮かんできた。

いずれやってくる別れ。
それまでの過程が、どんなものなのか
それに耐え得る自分の精神力は、なんて考えていた。

そこに
義母の新たな出来事。
前のブログに書いたのだが

人が覗いている、という件。
あれから(一昨日の夜)
義母とともに検証。
義母が見た時刻に合わせて
隣のマンションの灯りと影について検証。
雨戸を閉めよ、と私は言ったけれど
閉めない、という返事だったのは書いた。

義母は普段は
夕方の4時半には夕食を摂る。
その時刻には、南側の雨戸を閉め、
外と遮断され、夜の様子は全くわからない人だ。
私といっしょに検証した時刻は
外に出たり、辺りを見回したりするということはない人なので
そのときに見えた
うちの向かいのホテルの事務所の窓の灯りにさえ
驚いて
「ああ!ホラ!あそこの灯りがおかしい。」と突然言う。
私もその恐怖の声に驚いて
見てみるが
私がいつも夜、ベランダで月を眺めたり
ネコと遊んだりするときに見ている日常の光景、灯りである。
全く、世間を知らない義母である。

義父の命日ということで一昨日
隣の奥さんが訪れた(私は会っていない)。
義母が一連のことを話すと
奥さんも、雨戸を閉めたほうがいいと言い
それに従うことにした義母。
そして
翌日(昨日)から雨戸を閉めて
外の光をシャットアウトして、
これで一件落着と思っていた。


ところが今日の夜
8時半ごろ
二階に
「トモロッシちゃん!トモロッシちゃん!また、来ている!
今すぐ、見てみて!」と
尋常じゃない声を出して上がってきた。

ちょうど夫が
私の部屋にいてネコと過ごしていたので
(私の部屋は義母の真上。窓も同じ位置についているし、私の部屋からは
隣のマンションの駐車場が見渡せ、人の動きもよく見える)
「ちょっと、窓を開けて、見て!」と私は夫に声をかける。
私もいっしょに下を見たが
全く人の気配はない。
「誰もいないよ!」と義母に言う。

仮に
本当に人がいたとして
そこから逃げるのは容易ではない塀の高さだ、と先日書いた。
何かを踏み台にしないと乗り越えられない高さなのだ。
それも先日、義母に言った。
「脚立とか持ってきて乗り越えているのかもしれない。」と
真顔で言う義母。
「じゃ、その脚立を持って、塀を乗り越えて逃げるのか。その場合、
物凄く時間がかかるはず。重いものを持ち上げて逃げるにしても高さがありすぎる。
ものの数十秒で逃げるなんて神業。音もするだろう。」と言っても
義母は納得しない。

そして義母の部屋に行き
「雨戸が閉まっているのに、なぜ人がいる、とわかったのか。」と聞いた。
「雨戸の隙間から光がもれた。雨戸の音がした。絶対誰かいた。」と
頑なに言う。
「なぜ、覗くのか。」私。
「そんなの、その人に聞かなければわからない。いつもいつも、
あ、女(83歳です、義母)がいる、と思って、覗いているかもしれないでしょ。」
と義母の返答。


これは困った。

光と影に怯えているようだったから
雨戸を閉めて安心か、と思ったら
その雨戸さえ効果なし、ということになる。
もう
義母の頭の中は、人が覗いている、と固定されている。
毎日のようにそんなに、この高い塀を越えてやってくるのか
しかも、時間はまだまだ人々が起きている時刻、
マンションの住人がようやく仕事を終えて帰宅する時刻に
脚立を抱えて、こちら側に下ろし
ほんの少し義母の部屋を覗いて(雨戸が閉まっているので、覗いても見えない)、
また重い脚立を抱えて塀をよじ登って、逃げるということか。

西側はこれから、風が強くなると
雨戸も風で音がする。
その音に
「人がまた来た!」と言う可能性が高い。

夫に
「どう、思う?」と尋ねると
「わからない。人がいたのかもしれないし、いなかったのかもしれない。」だって。
この返答をどう受け止めたらいいのかわからなかった私だ。
人がいたなら、本当に警察に言わなければならない。
だが
あまりに突飛だ。

義母の言葉を信用していないとか
頭がおかしくなったとか
そうは思ってはいない。

障子に映った影は
おそらく本当だろう。
(ただし、ジャンパー姿のようだった、というのは理屈が合わない。障子から
そんなものが見えるわけがない。
ただ、シルエットが、そのようにジャンパーのような気がするというのが、
ジャンパーが見えたになっているのだと思う。)

マンションの通路の灯りの下を通る人の頭が
ちょうど義母の部屋の障子に映るのではないか、と推理する。

向かいのホテルの庭の樹木が、庭についているライトに照らされ
その樹木の姿、枝の形、風に揺れる葉の形が
ホテルの壁に異様に大きく映っている。
それと同じ現象だと思うが、どうだろうか。

それとも
本当に毎日のように
午後の7時半ごろに
誰か、2.5メートルほどの塀を簡単に乗り越えて
義母を覗き見し(義母の部屋は真っ暗。覗いても見えない、というのを先日検証済み)、
音も立てず、靴跡も残さず、10秒ぐらいで乗り越えて逃げていくのだろうか。


義母の部屋に私が寝てみる、というのも1つの案。
義母が「来た!」というときに
私もいて、ガッと窓を開けてみる。
そこには
果たして、人はいるのか。

義母の寝床を南側に換えるというのも一案。
明日は
塀の高さを測ってみる。
脚立もあるしね。
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