僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(3/18)春だから動き出す。

2013年03月18日 21時44分42秒 | カエル
来月末付けの退職願いを出した。
寝耳に水、と言われ
いろいろと事情を話して
最後には
付き返された。

もう一度考え直すように、と言われた。
では、(更に上の)上司に伝えてくださるのですね、と私は言った。
それはわからない、と言われる。

空振りの状況で
心境は
もの言えばくちびる寒し秋の風
である。
結果的に
同僚への批判になってしまったではないか。

今日は詳しく書けないので
近いうちに書きましょう。



父は
明日が退院予定であったが
延びるようだ。
大腸ガン手術のときよりも
スムーズに行かない。
まだ首の抜糸ができていない。

それから
昨年末から今年初めにかけての父との確執があったが
最近
父と2人で病室で過ごすことが多くなり
必然的に、饒舌な父の話に付き合い、
それが父にとって嬉しいようだ。
いつも
病室を出るとき
父の手を握って
「また来るからね」と私は言う。
相変わらず
父の話は
お金、名誉、学歴、自分の生き方の自慢であるが
最近はそれらに慣れてきた私だ。

今日は
髭の伸びた自分の顔を写真に撮ってくれ、と頼まれた。


それから
3,4日前
非常に嬉しいことがあった。
夫のことである。
これもここで書くべきかどうか迷っている。
そのことを父に伝えると
父は喜んでいた。


なんだか
独り善がりの文章だが
いつか
全部書ける日が来るまで。


昨日今日と

うちのカエルが冬眠から覚めて
出てきている。
今日は4匹確認。
いよいよ
春が近づいてきた。
東北の春。
私は
このカエルたちの始動で
本格的な春を感じるのである。
そして
3年前に死んだカエルのお墓のヒヤシンスが
芽吹いてくるのも
春を感じるとき。
今日、サンルームの下を覗くと
小さく芽を出していた。
生きている。
カエルの代わりに生まれ変わったヒヤシンスが今年も
咲いてくれる。


あの鳩たち。
今日は別な鳩2羽が
あの場所で巣作りをしていた。
足の悪い鳩はいない。


どこも誰も

春に向けて動き出している。
私も動いた。
退職願を持って。
でも空振り。

コメント (4)
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(3/11)あれから2年

2013年03月11日 20時48分57秒 | 東日本大震災
昨日の暖かさが幻のように
今朝は
雪がうっすらと積もっていた。

今日は特別な日だ、と思いつつ
早朝家を出る。
あの時も寒かった。
突然の雪が降り出した。
空と陸と海が繋がっているかのように
大地震後の大雪は
今でも不思議な現象としか考えられない。
あの日、雪が降る予報だったのだろうか。
予報外の大雪、人の不安を更に煽るかのように
横殴りに視界を遮るように降り出した。
昨日の天候から
明日(今日)は寒いと予報であるが
雪は降らないだろうと思った。
が、今朝雪景色である。

今日のあの時刻、
私は街の中にいた。
大急ぎで県庁に行くところだった。
この日は
できるだけ記帳に、献花に行きたいと思っていた。
その時刻、間に合わなかった。
そして街の中で2時46分を迎える。
通りでは
黙祷の案内の放送が流れる。
行き交う人、お店の人たちが外に出て
皆立ち止まり黙祷を捧げる。
皆に刻まれているあの時刻の出来事。

急いで県庁に。
別の大きな所で
追悼式をやっているのだが
ここ県庁でも記帳、献花を受け付けている。

一昨日
夫とともに
亘理に行った。
ここは宮城県の南の海沿いの町。
暖かいところで
いちごの栽培が有名だ。
ここも大きな被害に遭った。
かつて
私が
将来老後住む場所として選択をしていた所だ。
南の方に行けば
適度な冬を感じて(豪雪は老後にはきついと思っていた)
仙台にも近いし、田舎暮らしを希望している自分には
適度な人口、など考えて
よく不動産情報を見ていた。
亘理、角田、丸森、川崎、大河原・・・今でも食指は動く。

夫は
海の綺麗なところがある、と教えてくれた。
河口のキラキラとガラスが光るような場所。
一瞬だった。
車の往来の関係で後戻りできなかった。
その後は
ずっと被災地を巡った。
復興には遠い。
ただただ
塩害の田圃と海沿いの家が無くなった跡地ばかりである。
ポツンと時折
祠のようなものが残っている。
それも不思議な気がした。
そこだけ無傷だった。
海に沿って防砂林が残っている。
頑丈な家々が流されて
弱弱しい樹木や祠が残っている。
ダンプが行き交う。
この日も国交省の幕をつけて、ダンプは走る。
風の強い日だった。

あれから2年、3年、4年・・と3月11日はずっと思うのであろう。





癒しのシンノスケの写真を。
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(3/3)猫漫画作家、まりも屋さん。

2013年03月03日 21時41分20秒 | 猫漫画
一週間強、ブランクが開いてのブログ。

父が2月26日に頚椎の手術。
前回の大腸ガン手術のときよりも、身体的に難儀している。
激痛と、首、頭を動かせない状況で、上を向いたままである。
連日病院に足を運んでいるが
今日は休みをもらった。
私自身の体調もあまり良くない。
今日は耳と顔の痛みあり。鎮痛剤を飲む。
午後寝を久しぶりにした。
熟睡とまでいかなかったが、少し寝られただけでもよかった。


鳩の巣が撤去されてからの
あの2羽。
ほぼ毎日姿を現している。
しっぽをプルプルさせている姿を見ると
巣の撤去のショックも薄らいでいるだろうと想像できる。
過去を引きずらない、いやなことを忘れる、
与えられた環境に再び順応していく、
それらが、人間以外の動物たちの特長かも。
いいね、それ。
私にはない、それら。


先日
猫漫画を買う。
「ねことも」の新しいのを。
パラパラとめくってみると
あれ?この漫画本に載るはずのない作家の漫画があるぞ、と。
まりも屋さんという作家です。

昨年、
私の買う猫漫画で
「ねこころ」というのがあったのだが
予告なしにとうとう休刊。
猫漫画にはよくある話である。
一時
猫漫画が結構あった。
そのたびに私は買っていたのだが
続いたものが少ない。
くるねこ大和さんの漫画が載った「ねこメロ」というのも
2,3号で休刊、そのあと復活なし。

そんな中で
B5版の大きさの本で頑張っていたのが
「ねこころ」「ねことも」。
両方とも、発売されると欠かさず買っていた。
昨年後半
「ねことも」の看板漫画の作者、野中のばらさんの急死訃報の
ことを記事にした。
この「ねことも」だけが生き延びている。

ねこころも
ねこともも
実は
本の名前がいくつか代わっている。
非常に不安定である。
そして
とうとう
ねこころの方が休刊。
それらの本には
好きな作家、好きな猫のキャラクターがたくさんあった。
それぞれに愛着のある作家だった。
その中でも
まりも屋さんは代表である。
彼女はその後、どこに漫画を描いているのだろうか、と
探っても
なかなか情報が得られなかった。
新たな猫漫画が出てくるわけでもない。
諦めるしかないのかな、と思っていた。

そして今回のねことも。
まりも屋さんのあの3匹の猫がここに復活していたのである。
私は、3匹目のまめという猫のファンである。
彼女の家族も面白い。
彼女は
ねこともの漫画に投稿していた。
漫画家、厳しいね。
ねこころでは
彼女の漫画は看板漫画。いつも表紙を飾っていた。
頑張れ、まりも屋さん。
そして他の猫漫画の作者さん。
漫画を描けるというのは才能。
自分の愛する猫たちを可愛らしく描けることが羨ましい。
ファンレター書くよ。

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