僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(7/30)昨日の夜の生き物

2015年07月30日 18時07分11秒 | ネコ
昨日の夜
夫が帰ってくる前に
庭のカエルたちの点検(駐車場の雑草の中にカエルがいないかどうか)をしていると
向かいの家の庭の樹木がサササッと揺れるのを聞いた。
夜なのでもう鳥たちは活動していないだろうと見ていると
ハクビシンが塀を伝って移動していた。
何度か目撃している。
その後に夫が帰宅。
風呂に入っている間にまた庭に出てみた。
すると
うちと南側のホテルの境の塀の上に
ハクビシン、涼んでいた。
いつも、人の姿を見ると逃げ出していくのに
まるでネコのように箱座りしてこちらを見ていた。
至近距離5メートルほどか。
目が合っても逃げない。
話しかけようとしたら
路地からネコが。
塀はネコの通り道でもある。
バッティングしてしまったら惨事になる。
異種の喧嘩になる。
そこで
私はハクビシンを威嚇した。
慌てて塀を渡って逃げていった。
今度はネコを威嚇して、反対側に追った。
ネコは逃げるものを追う習性があるので、敢えて
両方を威嚇して
その場を惨事にさせないようにした。
両方から嫌われたね。
そのネコ、たまに見る。
普段はそんなに怖がって逃げるようにしない仲なのだが
今回はごめんね。
ハクビシンもごめんね。

都会にいるハクビシン。
一体どこを棲家ととしているのだろう。
古い家は結構取り壊されているのに。
以前、やはりこの塀で
親子らしきハクビシンの姿を見る。
繁殖できるほど、複数いるのだろうか。
不思議な光景だ。
日中は見ないので
私のように
夜、庭や路地をウロウロしていると
遭ってしまう。
害獣かもしれないが
何とか生き延びてほしい、とひっそりと思う。
あんなにマッタリと寛いでこちらを見ている姿を見ると
ネコもハクビシンも同じ生き物、と思ってしまう。
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(7/28)もう1人の老人の孤独

2015年07月28日 11時12分15秒 | 思い出を紐解く
現在の私には
 
姑の認知症
実家の両親の老老介護、2人のガン手術の予後、母の脳梗塞等
これらを抱えている。
彼らは皆80代。

そしてもう1人の老人の孤独について
少し触れていかなければならない。

私は
実家の両親の養子である。
6歳のときに縁組をした。
実の母親は、今の母の姉である。
60代の若い年齢で亡くなっている。
実の父親というのは
健在で、彼も80代。

この人がもう1人の老人である。

昨日、旭川の妹からメールが届いた。
「トモロッシちゃんの実の父親から突然電話があった。
 いろいろと整理していたら、トモロッシちゃんの母親(私たち姉妹の母)からの
 年賀状を見つけた。母親のことを聞きたかったんだろうね。
 でも、私は母親の恋話は特に聞きたくなかったので困惑。今は、1人でいるそう。」
と。

実母の最期は、旭川の妹の所で迎えた。その死んだ年(冬)の夏に
私は、生きて会うのは最後だろうと、1人で仙台から旭川に向かい
初めてと言っていい、もう1人の妹(苫小牧)と旭川の妹とその娘たちと
母と私とで写真を撮り、それが今、自分の部屋の本棚に飾ってある。
滞在中も母は、頭が痛いと訴えていた。それでも私が来たことを喜んでいた。
あれが最後。
そして3ヵ月後の初冬、母が亡くなったと訃報。
再び、今度は今の母親(実母の妹)と共に葬儀のため北海道に向かった。

当時
実の父親はマレーシアに単身赴任で出かけるところで
その直前に電話があり、
実母が危篤であることを伝えた。
滅多に連絡し合う(少なくとも、私から父への連絡は一度もなし。その電話も
たまたま向こうから、元気ですか、と電話があった)ことがなく
おそらくその電話も数年ぶりだと思われる。
母の危篤を伝えた。
彼は動揺し、帰国したらすぐに連絡すると強く言って電話を終えた。
だが
それ以降、いつ帰国したのかもわからず
こちらからは絶対に電話をしないと決めていたので
再び
音信不通になる。
そして
たまに
年賀状をよこしたり
電話をかけてきたり
震災後に
「大丈夫か」と電話が来て数年。
断続的な連絡の取り方であった。

今年の2月ごろだったか
葉書が届く。
それの返事を書かねば、と思いつつ
ズルズルと書かず仕舞い。

そして
昨日の妹からのメール。
 
妹にしてみれば
全くの他人である。
母親の昔の恋人である。
若い時代の恋の相手は誰にだっている。
しかしその恋が成就できず、互いに別な方と結婚すれば
たいてい
過去の恋の良き思い出として封印する。

彼がそれができないのは
私という存在がこの世にあるからだ。
自分の娘がこの世にいるからだ。
私という存在が無ければ
当然、彼も母の所に年賀状や電話もしないであろう。
妹にしてみれば
全く会ったことのない母の昔の恋人の電話は困惑するのは当たり前だろう。

そのメールを見て
私は思った。

この人(父)も
まもなく死に逝く年齢に近づいている。
彼の後悔は何だろう。
彼の言い訳は何だろう。
男側の言い分(ぶん)もあるだろう。
私は
彼らの恋の時代について
断片的にしかわからない。
母の言い分。
母の周り(私の今の母含めて)の言い分。
なぜ、母は私を産もうとしたのか。
子どもができて
父にどうせよ、と言ったのか。
あるいは
あなたは関係ない、私1人で育てるとでも言ったのだろうか。

男側の言葉を聞きたい、と思った。
それを残してくれてもいいのでは、と。
父にも残り少ない人生に
ここは一つ
彼の言い分を聞きたいと、昨夜寝ながら思った。

私は
彼に対して
恨みとか、慕う気持ちとか
ないのである。
それほど希薄な関係である。
生涯2回しか会っていない。
1回は
養子縁組をする前だから
富良野にいたときに。
これは記憶が残っている。
一体あのとき、何を話したのだろう。
無邪気な、そして弱弱しい幼い私を見て
自分の血を受け継いだ子だ、と実感したであろうか。

2回目は
仙台である。
高校1年のときだ。
なぜ、仙台に来たのかその辺はわからないが
4、5歳から10数年経ち、16歳の私と、今の母親と3人で会った。
紆余曲折を経て、今の両親の養子になり
今の母親は
「こんなに大きく育てましたよ。」とでも
言いたかったのかもしれない。
何しろ
養子縁組をしたときの私は
小児結核の病気だった細い子どもだったのだから。



先日2週間ほど前に
実家に行ったときに
母の奇異な行動があった。
それは脳梗塞の後遺症かもしれない。

母は普段から
亡くなった自分の母親や姉妹の写真を飾り、お供えをしていた。
そこから
突然
私の母親の写真を持ってきて
母の写真を抱きしめたり、キスをしたりした。
「あんたの母さんね、立派にね、役所に勤めたのね。」
と言ったとたん
今度は写真を殴るようなしぐさ。
「でもね、年下の男とね!」と
豹変して目元がキッときつくなる。

この行動のきっかけは
自分たちが、養子縁組を考えたときに
なぜ
父親側からの親戚の男の子をもらわなかったのか、という
母の嘆きのようなつぶやきであった。

母が子宮の病気で子どもができないとわかり
結局選んだのは
現母親の姉の痩せた私生児だった。

彼らは彼らで
いろいろ悩んで
私を選んだのだ。
その彼らの心を忖度したい、とまだ思っていない。
何しろ
その後の私の人生、彼らに振り回されて
感謝、という言葉を心から発するのができていない。
もちろん
感謝している、とは日ごろ言っているが
その感謝以上に
私は、両親から嫌われていた、という思いの方が強かったのである。



彼らの前では
絶対
実父の話をしてはならない、と子供のころから
ずっと思ってきた。
だから
こちらから連絡するということはしてこなかった。
今の父から
「埼玉の父親(現在は山梨に1人暮らし)から連絡あるのか」と聞かれると
「たまに年賀状があるくらい」とだけ答えている。
私なりに
厄介なこの両親に気を使っている。



さて
実父。
今、孤独な老人ということだ。
家庭を持ち
子どもも2人いる(私とは異母兄弟)。
その子どもたちも私の存在を知っている。

彼は
実家が北海道。
大学は横浜。
学生時代に帰省して役所でアルバイト。
そこで年上の女性と恋に陥った。
真面目な読書好きな女性。
今の母親に言わせれば「自慢の真面目な姉だった。」

大学を卒業せねばならず
横浜に戻った彼。
そして
年上の女性は身ごもる。
そう、私の疑問はここなんだ。
身ごもってどうするつもりだったのか。
その彼と結婚できれば
全く私の人生、変わっていた。
しかし
人生、一度だけ。
仮定はない。

別に不倫じゃない。
今の時代なら何とかなったのか。
いろいろと世間がうるさいのは変わらないが
時代が違っていれば・・・
当時の学生にとって
これから就職しようというときに
子どもができた、というのは
やはり大きな障害だったと思う。
おろすべきだったのでは、とつい当時の母親に助言したくなる。

家庭を築きながら
今、孤独でいるのはなぜだろうか。
もう奥さんとは修復できないのだろうか。
震災辺りの電話でそんなことを聞いた。
離婚したのかどうか、もこちらから聞かなかった。
私という存在があるだけで
奥さんとこじれたようだ。
昔の恋だから、と過去にするわけにいかなかったようだ。
その辺も聞きたい。

私の別な場所で
そんな人生が繰り広げられている。
会うこともないであろう、別な妹、弟。
彼の罪じゃない。
むしろ
母の罪のような気がする。
産むのも産まないのも女側の気持ち。
それを貫けなかった母。
養子に出さなければ、あなたは死んでいた、と言う。
それは今の両親もよく言う。

母は貧乏でいながら
私のあとに
子どもを3人産んだ。
それが旭川の妹たち。
そして、彼女たちより先に
もう1人産んでいる。
私のあとに
富良野で産んだ。
名前もわかる。
が、この子は産まれてまもなく死んだ。
父親は誰なのかわからない。
その子のお骨はどこにあるのだろう。
実母は実母でその後の人生、波乱。
短き人生だったと思う。

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(7/27)暑くてパソコンが・・・・

2015年07月27日 16時15分10秒 | 日常、仕事、認知症
暑くて暑くて
パソコンがうなっているので、手短に。

ナポレオンの村というドラマを楽しみに観ている。
あとは合唱のドラマは撮り溜めして後でまとめて
観ようと思っている。
合唱かあ・・・・私にも書くこといっぱいあるのになあ。

梅雨明けしたようで
梅雨らしい雨、続いたかなと疑問。
確かに降ったことは降ったけれど
うんざりするほど、梅雨明けを待ち望むほど
降っていないような。

ジャスさん、帰省するかも。
おいしいものを食べながら
暑さを乗り越えよう。
夫に
今の特殊な仕事が終わったら
牛タン、食べに行こうね、と誘ったら
OKを貰った。

今度の金曜日、私の休みなのだが
この日にまた会議が入った。
チーフには
出られない、と言った。
元々、そういう約束でこの仕事に復帰したのだから
(午後の会議等、家事都合で出ないという条件での復帰)
公休のたびに会議が入り、そちらを優先するのは休みとして
成り立っていないしね。
その代わり、仕事中はバンバン働いていますよ。
彼女のフォローしています。
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(7/26)暑い日が続いている。

2015年07月26日 16時41分11秒 | 日常、仕事、認知症
暑い日が続いているが
今日は特段暑く感じて
とうとうエアコンをつけた。
これまでエアコンをつけずに
扇風機と自然の風で何とか凌いできたが
午後寝をしていると
ダラダラと汗が流れて起きてエアコンをつける。
古いエアコンなので、快適、というわけにいかない。
ドアを閉めきってつけるが
冷えるまで時間がかかる。
しかし、ネコがドアの向こうのトイレに行きたいと
言うので
東側のドアを開けると
サワーッと窓から風が流れてきて
やっぱり自然の風の方が涼しい、と実感する。
今日の最高気温、34℃らしいが
昨日の予報で、36℃という情報もあり
何ソレ、と未知の数字にびっくりする。
今までそんな気温あっただろうか。
気温が高い上に
仕事が忙しく、心臓が痛くなる。
夫は
休日返上の仕事である。
今、夫は
従来の仕事と別に、会社から頼まれて
全く別の仕事をしている。
帰宅も遅い。
夕食の準備は、ヘタすると
3段階である。
義母の分。私の分。夫の分。
夫の帰宅が遅いと、私の就寝の時刻になるために
1人で食べて、夫が食事のころには寝る私である。
今度の日曜日までそんな日が続く。
あと一週間。
夫よ、頑張れ。

暑くても
ナンダカンダと言って
うちの老猫たちは
あまり食欲も落ちず、日中は
廊下、階段の途中、トイレの中(風呂もトイレもフルオープン)、どっかの箱の中など
ぐったりと寝ている。
トチは時折
ワオーワオー(アツイヨ~)と言ってウロウロする。
いつものゴハンの上に
豚肉などを焼いてトッピングして食べさせる。

私も夫も義母も
なぜか食欲落ちず、飲み物グイグイ、北海道メロンもペロリと食べる。
こういう時
好きなものを食べて、体力消耗せずに乗り切りたい。
旭川の妹からメロンが送られてきて
思う存分食べる。
彼女たちには牛タンを送る。
牛タン、食べたくなってきたので
夫と食べに行こう、近いうちに。
夫よ、あと少し頑張ろう。
そして牛タン、食べに行こうね。
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(7/17)雨の中のカエル救済の日々

2015年07月17日 18時03分23秒 | カエル

  トチ(16歳)とシンノスケ(12歳)。私ってネコの写真、ヘタね。

仙台も暑い日が続いている。
今日はさすがに30度超えにはならなかったが
明日からまた暑い日が続く。

先週週末3日連続の休みだったが
自分の時間を取れなかった。
実家やネコのための買い物等で終わった。
後の休みはポツポツと。
しかし今週の火曜日の休みは突然会社から電話があり
緊急のミーティングあり、出てくるようにとのことで出勤する。

梅雨とはいえ
あまり梅雨らしい景色ではなかったが
昨日と今日は雨模様。
例の如く
自分の食事は後にして
雨が降り出したら、夕刻、懐中電灯を持って
カエル救済に出かける。
その間、夫は食事。

うちから少し離れているが
古い邸宅が今取り壊されている。
囲いがしてあるので様子はわからないが
いつも、その前を通るとき
歴史ある家、広い庭だろうなあと思っていた。
そこのカエルたちはどうなるのだろうと思っていた。
カエルだけじゃない、古木など立派なのである、それも
切り倒されるんだなあ、と。
マンションが建つようだ。
そして並んでいる隣家もなぜか空き家になり
さらに隣の家も自営していたのを来月でやめて取り壊されそうだ。
うちの周り、今そんな感じである。
その辺りのカエルたちがもしも
奇跡的に道路に出てきていたら、助けたいと思い
雨に濡れつつ、その道路を往復するんだ。
3日ほど前
大きなカエル2匹を道路に出る前に細い歩道の所で捕まえることができた。
ほんの一部であろう。
道路に出れば、たちまち車に轢かれる。
せっかく、庭から出てきて(そうでなければ解体工事でつぶされてしまう)
命拾いしたにも拘らず轢かれたら、意味がない。
毎日、そこを通るようにしている。

寂しさも感じる。
おそらく、震災で家の内部にダメージがあったのだろう、
あるいはもう、受け継ぐ人がいなくなったのだろう、
こうして、古い歴史的な家が壊されていくことに
しんみりした気持ちになる。
方丈記の冒頭の文が頭によぎる。

私に・・・・
全部守る力があるのなら・・・

・・・なんて
非現実的な、超能力的なものが欲しい、と心の片隅で思ってしまう。


その2匹の大きなカエルたちは
うちの庭に放たれて
昨日の雨の中、庭で虫を狙っているのを見て
轢かれなくてよかった、と思うのである。
いやいや、元からいるうちのカエルたちと判別できていないが。
そう思うようにしている。
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(7/10)ネコと義母

2015年07月10日 17時46分29秒 | 日常、仕事、認知症

 ダイジローです。映りが悪いですねえ。
1階に常駐しているダイジローを2階に長く滞在する練習をしています。
夕食のとき、2階のクロポチなどゾロゾロと降りていっしょに過ごすのですが
その反対はなく、ダイジローに2階の存在を教え、皆と過ごすことをこのごろ
毎日練習。
義母が、ダイジローをヘンな「ネコ可愛がり」をするので、夜は2階に。
暑いのに、バスタオルなどを巻きつけて、サンルームも暑いのに、「寒いから」と言って
網戸にせず、ガラス戸を閉じてしまうのです。
脱水症状を起こすのでは、と私はそれを見つけたら、ガラッと開けます。
二階のネコたちは、冷たい所、涼しい所を求めて、廊下や風通しの良いドアの前などに
寝そべっています。


先週辺り、義母にお昼、夕食と意識して用意したのですが
今週はほとんどなし。
夫と義母が買い物に行くときの車中、
「このごろ、トモロッシちゃん、頑張っているけれど、いろいろとまだ言いたいことは
あるけれど、まあ、我慢しているわ。」と言ったようで、それを聞いて夫は不快感を表し、そのやりとりを聞いた私は、やる気が出ませんでしたね、それ以来。
そしていつもの「2階の旦那さんがどうのこうの」の繰り返し。
昨日も
夫が帰宅後お風呂に入っているときに
「さっき、息子の声じゃなくて、旦那さんの声が聞こえたけれど。」
「ああ、そうですか。」としか答えなかった私。否定する気にもなれない。

ネコたちに二階でゴハンを与えていると、階段下のドアがまたバタンバタンと音がするので
夫が「ちゃんと皆、いるのか?1階に誰か取り残されているんじゃないか?!」と私にどなるわけです。
ドアのバタンバタンの音は、当然義母がやっているわけで、なぜそんなことをしているのか、下に行こうとすると
階段の踊り場に義母が立っていて、上の会話を聞いているのです。
「お義母さんのせいで、夫に怒られたからね!」と、私。
二階にはネコたち皆いるのに、ドアの開け閉めは彼女の勝手な行動。
まるでストーカーだ、と台所で1人つぶやいてしまった・・・
義母は機嫌をそこねて、「お風呂に入らない!」とその日は義母のお風呂なし。
そして、夫は、義母のためにお風呂のスイッチを入れたのを消しに行く。

今日はお昼を隣にご馳走になる、と言って出かけました。
そこでどんな会話が繰り広げられるのか。
2階の旦那さん、トモロッシちゃんに旦那さんがいるのよ、とでも言っているのでしょうか。


明日は実家に行ってくる。
老々介護の実家。
こっちも気になる。
休みが続けて取れたときは(月に1回ある)、顔を出すようにしている。
メールで○○を作る予定、と送っておいたので
楽しみにしている、と返事があった。

暑くなってきた。
本格的な夏になりつつある、東北。
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(7/7)ねじ花と老齢のネコたちと。

2015年07月07日 18時06分11秒 | ネコ




みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに

ねじ花が咲いています。(雑草だらけで失礼。取っても取ってもまだまだ追いつかない)
このねじ花を雑草の中から見つけるのが毎年楽しみなのです。
ヘタしたら、まだ花がつかないうちに雑草とまちがえて引っこ抜くこともあり。
それゆえ、見つけたら印をつけます。派手なモールで囲み、そこを踏まない、踏まれないように目印をつけます。
でも、駐車場も兼ねているので、タイヤに踏まれることもあり。
無事踏まれず、引っこ抜かれず成長したねじ花が可憐にピンクのねじねじになって咲き、
写真を撮ります。
一体どこからこのねじ花はやってきたのでしょう。
毎年増えたり、減ったりして、うちの雑然とした庭に定着化しています。
種が飛んで、大きなプランターに咲いていたとき、ちょうど向かいの奥さんが
分けてほしいと昨年だったか、言ってきたのでプランターごと譲りました。
下手に株分けとかしても難しいらしく、そのままお嫁入り。
すると今年、増えていました、向かいの大きな庭にも。

私がこのねじ花の存在を知ったのはずっと昔。
教員時代に、福島、山形の吾妻山、天元台に登山をし、リフトで降りるときに
足元にピンクの花が咲いていたのです。なんて、カワイイ、可憐でいながら、くっきりと
ピンクの色を主張していて、でもねじっているのはわからなかった。
そして
冒頭の百人一首の歌に出てくるもぢずりというのがこのねじ花(もぢずり草)とかけていると知りました。
とてもとても大切にしたい我が家の野草です。

バラも大切にしたいが
何十年も経ったバラが死にそうです。
枯れたところは思い切って切っていますが、バラの育成に素人の私は
せいぜいアブラムシを駆除することしかできません。
古木化してきて、もうダメなのかなあと思っていますが
再生することを願って。


我が家のネコたちは老齢化しています。
17歳、16歳が大半を占めるネコたち。
こんなに長生きしてくれるのを喜んでいると同時に、寿命は寿命、
前年のカズの死を迎えて(16歳前だった)、いよいよ
他の子たちの覚悟もしなくては、と思っている。
立て続けに、ということに自分自身が持ちこたえられるか。
ここ1、2年なんでしょうね・・・
皆が皆、20歳まで生きる、という保証はないものね。
20歳といったって、あと3年です。
フーッ・・・・ためいき。



こんなにいますが、それでも一部なんですよ、我が家のネコ。




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(7/4)夕焼け空が好きだ

2015年07月04日 20時16分06秒 | 日常、仕事、認知症






この夕焼け空は数日前の画像。

今日、夕食の準備をしていたら、外が夕焼けになっているのがわかって
ちょっと中断して空を眺めた。
カメラを持っていなかったので
数日前の写真を載せる。

夕焼けって郷愁ですよね。
自分は北海道のことを思い出すけれど
地元で生まれ育った夫にしても
こんな夕焼けを見れば
小学生、中学生、高校生の時代に見た空を思い出すはず。
学校の帰りに
夕焼け空を背景にダラダラと友人たちとしゃべって歩いている。
空なんか見ていないのに、きれいだなあと感想を述べ合うこともないのに、
大人になったら、夕焼けを見て、実は中学時代の思い出の色だったと気づく。
夕焼け空が好きなので
自分の実家の部屋を西側にしてもらった。
そして今の自宅の自分の部屋も西側にして窓を大きくした。
夕焼けを見ながら机で本を読んだり、物を書いたりする、いつでも夕空を見られるように、と。
自然の風景の中で、雪景色や雨模様や新緑や好きなものがたくさんあるけれど
ずっとずっと小さいときからこの空が好きだったのだ、と思う。
そして
毎日見られるものではないから、夕焼けだ、と気づいたときには
できるだけ
見るようにしている。

青空が好きなfairyさん。
夕空が好きなトモロッシ。
いつまでも、自然の色に感動していたいものだ。


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(7/4)元同僚とイタリアンを。楽しかった。

2015年07月04日 17時54分01秒 | 日常、仕事、認知症


草取りをしていると、小さなカエルたちが産まれていたので(先月中旬にはチラホラ見かけていた)、少し集めて今年誕生のカエルの姿を。

さて、今日は曇天。
久しぶりに元の職場の同僚Mちゃんに会った。
実は年単位での久々の再会である。
最近の生活に笑いの少なくなった自分を嘆いて
いつも大笑いしていた彼女との再会が楽しみで
ヘンな葉書を送った先日。
切手も古い62円記念切手を使い(島崎藤村の顔。それだけでもウケていた。)
メールじゃないお誘いの葉書に驚いていたらしい。

そして
イタリアン。
私の職場の近く。

名前は伏せるが、こんな感じの店。
そこそこ女性客が入っていた。



事前に、食べログを見ておいたのだが、オーダーをしてもかなり待たされるような内容の記事があって、どうなることやらと思ったが
そこは心配なかった。先に飲み物を注文してそれを飲みつつ話していると料理が運ばれ、
料理もおいしく食べることができてよかった。
ただし。
のっけからハプニングがあった。これは詳細は書かないが、接客としてありえないと思った。
バイトの子もかなり焦っていた。
今頃、意気消沈していることだろう。その反省が次の成功に繋がる、次は注意しようと思ってくれればいい。

とにかく久しぶりの再会に水を差すのは避けたかったので大事にしなかった。
料理もおいしかったので相殺と受け止めている。

次に向かったのは
たまに行く喫茶店。


ここはマスターの音楽の趣味が私の好みと同じなので、時折、友人とか、1人でとか、夫も連れていったことがあったっけ。
そこの隅でゲラゲラお話。
話している最中に
「あ、石野真子に似ている!」と突然言ったりして笑った。彼女と数十年のお付き合いであるが、石野真子に似ていると思ったのは初めて。やはり言われたことがあるそうだ。
この年にして新発見。
かつての同僚の話やら、八幡神社の傍の石碑の所で怪我したことや、義母のことや、喫茶店の中で私たちの笑い声が響いた。
来店している人達はなんとな~く、昭和的な。いや、学生さんでも、昭和的な。そんな雰囲気を醸しだす喫茶店なのだ。
なんだか、日暮れてもグダグダと別れがたく群れている中学生のような気分で、別れを惜しんだ。
また、笑いを封印しての生活になる。
また会うことを約束して、お別れする。
今度は久しく会っていない人たちともお会いしたい。

いったん更新を。
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(7/2)山Pの夢を久しぶりに見た

2015年07月02日 20時14分32秒 | 山P
梅雨入りして数日。
肌寒い日が続いた。
しかし今日は暑い。
夕焼けが美しかった。
いつも思う。
こんな美しい夕焼けをそう頻繁に見られるものではない。
美しいと感じたとき
思う存分見つめて、郷愁や感動に浸ろうと立ち止まる。

昨日山Pのドラマ(世界仰天ニュースの中のドラマ。以前も同じ設定で出演)を
観て寝たせいか
山Pの夢を久しぶりに見た。
中居君とのやりとりで、いつものおとなしい、でもハイな空気に合わせなくちゃという
山Pの発言が面白い。
ドラマでは
クロサギのセリフが出た。
「声がデカイ!」あれ、好き。


前回の記事で
懐かしい元同僚と会いたいと書いたが
それが明後日実現する。
仕事が終わってから会うことになった。
楽しいひとときにしたい。


最近の義母。
ここずっと
義母に気を遣ってお昼の用意、夕食の用意などをしている。
なんと義母、セブンイレブンの冷やし中華にハマッテしまった。
前回の記事で
彼女のファンデーションを頼まれて買って来たことを書いたが
1ヶ月も経たないうちにまた隠して見つけられず
つい3,4日前にまた買いに行ってきた。
そしてまたそれを無くした、今日。
何回、買いに行っただろう。

夜、それを抱いて寝ていたら朝にはなかった、ということで
ベッド周りを探す。
すると
ベッドの小物入れの中に1つあった。
前に買ったものだ。
今朝無くしたものは見つからなかったけれど
とりあえず、それを使っているように、と言う。
まるで宝探しだ。

そして
こう言われる。
「前もトモロッシちゃん、財布見つけてくれたけれど
今回も見つけてくれて、勘がいいのかしら。」
バカ。
まるで、私が隠し場所を知っているかのように言う。
必ず部屋のどこかにあるのだから
根気よく探せば出てくるに決まっている。
自分で探せないくせに
私が時間を割いて探して見つかると
そんなセリフを言うのだから、がっかりだ。
隠し場所くらい覚えておけ、と何度言ったことか。

彼女は
二階に、私の旦那がいる、と言う。
旦那って、あなたの大事な息子でしょ、と言っても
別な旦那がいる、と言う。
私の夫は、あなたの大事な息子、と何回も言う。
夫にも言うらしい。
機嫌がよいと
二階の旦那にもゴハンを食べさせてとか
二階の旦那に挨拶をしなくては、と言う。

「お義母さん、それでその人の顔、見たことあるの?」
「ないけれど、いるんでしょ。名前は?」
何回もそのやりとりをしていたので
先日はからかった。
「名前?山下・・・智久」
「山下?幾つ?」
「30歳」
「あら、若いのねえ」
「階段を上がるとき、彼の写真、いっぱい貼ってあるから見てごらん。」

夫にそのやりとりを言うと
怒られた。
「本気にするぞ」って。
どんなに否定しても、いると言うので、半ばノッテやった。

仕事でクタクタになって帰宅して遅い昼食後
寝ることにしている私。
「夕食の準備をするけれど、お義母さんの食べる時刻には間に合わないからね。
ガーっと寝ているから。」
「私は働いたことがないから・・・」と昔の優雅な生活の自慢話になっていく。
それらを話したいが相手もいないので
どうしても私にその話をする。
「何十畳の部屋に、藤原家の人達を泊める家だったのよ。敷地が広くて広くて
ナンタラカンタラ・・・」
結局、そのお屋敷をつぶしたのは長男の宗教。

それを今言ったってしょうがない。
今じゃ、お金のない我が家じゃないか。
受身で生きてきた人じゃないか。
そういう優雅な若い時代を経験しただけでも人生生きたしるし。

そんな義母との生活、職場の閉鎖的な空気からの解放で
明後日、笑ってきたい。

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