今年からなのか
今日この日を「みやぎ鎮魂の日」と県が定め
各地に献花、記帳、黙祷と、追悼の場を設けた。
勿論昨年もそうであったが
6年目を迎えて
あの日の悲しみを風化させないためにも
そう呼称するようにしたのであろう。
午前中から雪が舞っていた。
午後2時に家を出る。
目的地(県庁)はうちから自転車で6、7分の所だ。
いつもは職場の帰りに寄る年が多く
お昼過ぎには到着する。
今日は自宅から向かい
外であの時刻(2時46分)を迎えようと思った。
土曜日の県庁。
大勢の方々が記帳、献花をしに。
そしてあの時刻に合わせて追悼式があるからか
喪服の方々がたくさん来ていた。
私は
県庁を出て、そこから自転車で3分ほどの市民広場へ。
ここで追悼をしようと思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/a5/06fad58ad71d680253079b9d4eec6421.jpg)
この写真は6年前の地震の数日後の市民広場の様子です。
神戸市の車、人々。
あの時は嬉しかった、心強かった。
阪神淡路大震災を乗り越えてきた人たちが
東北の町にこの車に分乗してやってきた。
私は思わず立ち止まって頭を下げた。
あちらの方も黙礼した。
その市民広場に今日は我が町の人々がたくさん
献花(ここにも献花台が設置されている)し、追悼しようと集まってきた。
国歌斉唱、そして2時46分、東の方向に向いて、皆で追悼。
目を閉じて、心から祈る。
そして私の耳から、車の音が消えた。
車が激しく往来する音が消えた。
なにゆえに?
車も止まっているのか?
目を閉じているから様子を見ることができない。
何百人もいるにも拘らず、車も何台も往来するにも拘らず
都会は静寂の中に在った。
まさに
鎮魂の日であった。
泣けてしまった。
隣の方も泣いていた。
あれから6年なのに
ついこの間のような悲しみの涙だった。
あの
車の音が消えた不思議。
雪がちらつく。
あの日の象徴的な大粒の雪ではないが
あの日と同じように寒空の雪である。