僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(8/28)はやぶさ、お帰りなさい、改めて。NHK「追跡」

2010年08月29日 00時05分37秒 | はやぶさ

PCの壁紙です。ネットのどなたかが作ってくれた(LAST SHOTなどの文字を入れて)ものをずっと壁紙にしている。

さっきのNHKの
追跡A TO Zという番組を観た。
はやぶさのこれまでの軌跡。
やっぱり泣いてしまった。

泣けるように作っているんですもの。
お約束のように
あの
最後のはやぶさが撮った地球の姿が出てくるんですもの。
川口さんが言っていたね。
「はやぶさに写真を撮らせる、というよりも
 最後に、はやぶさに地球を見せたかった。」
もうこの言葉に
どれほどはやぶさに対して愛情と感謝の気持ちがこもっていることか。

7年という長い長い歳月を宇宙にとどまって
地球からの指令を受けてきた。
地球では、あまりに長きに渡ったから
人心も離れていったという。
それも知らずに
はやぶさは、指令を待ってずっと宇宙にとどまっていたんだ。
ボロボロになっても
生命線がある限り、ひたすら待ち続けていたんだ。

はやぶさがイトカワで
指令どおりの着陸、砂採取ができずに
何回かバウンドした。
そのダメージのせいで
その後行方不明になる。
川口さんが当時、記者会見をしたときの表情が
なんとも悲しい。
今の表情とは全く違う。
申し訳ないという気持ち、という言葉も口にした。
誰に申し訳ないか・・・国民、予算を貰っている政府、宇宙関係の人々、作成に携わった人々、はやぶさ・・・

そして
プロジェクトチームに携わった人の心も離れていき
仕事も継続できなくなった皆は
職場から次第に姿を消していく。

はやぶさがどこにどうしているのかわからない。
指令を出そうとしても届かない。
もうだめか・・・と誰だって思うに違いない。

川口さんが過去に携わった仕事に「のぞみ」があり
(今でも火星の周り?を半永久的に回っているようだ)
そのミッションの失敗から
もっと何かできなかったか、などなど後悔が押し寄せてくるのだそうだ。
それを教訓に
このはやぶさに対して、諦めない、納得のいくところまで追求しようという
気持ちになったとのこと。
そのために
科学だけではなく、人間的な部分「神頼み」が出てきて彼は
度々神社に参拝し、成功の祈願をしてくる。
それを見た周りの人たちも、祈りの気持ちで再び
モチベーションを上げて気持ちが職場に戻ってくる。

そして一筋の光。
途絶えていた交信が成功する。
そこからよみがえる彼ら。
諦めない、という気持ちが宇宙の神に届いたんだね。

何が敵だったのか
人心が離れる、ということが敵だったのか。

その間も
はやぶさはいちずに地球の交信、指令を待っていたのです。
そのはやぶさを裏切れない、
何とか地球に還そう、それが我々のはやぶさに対する恩返し、と
思って
あらゆることを駆使する。
そこが奇跡。
奇跡が起こる、ということはこういうことなのね。

そして
カプセル離脱成功。
はやぶさは使命を終えて、地球を目の前にして燃え尽きようとしている。
その前に
ぜひはやぶさに
君の故郷、地球を見せてやりたい、と
写真を撮らせる。
1回・・・失敗の映像。
2回・・・失敗の映像。
そして3回目のシャッターを切ったとき
はやぶさの目に
故郷地球が映る。
それがこの写真です。

はやぶさ
お帰りなさい、改めて。
あの感動がよみがえります。
何度も観た
あなたの燃え尽きる姿。
それは地球に帰ってきた証。
細かい塵となって
雨となって
地球に舞い降りたでしょう。
そして
あなたの産み落としたカプセルは丈夫で
正確に、皆のところに届きましたよ。

そのカプセルを
私は
あと2週間ほどで観に行ける。
この感動を今日また受け取って
引き締まった気持ちで
観に行けることに感謝します。

おかえりなさい、はやぶさ。
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(8/28)ネコの喧嘩

2010年08月28日 21時23分14秒 | ネコ
夫はF1の予選を観ている。
10時から
NHKで
はやぶさのことをやるので、それまで少し
ブログを書こう。

10分ほど前
ヒカルとミミが大喧嘩。
一方的に
ヒカルがミミをいじめる。
これは前から。
だから
ミミとナナとシマトラは隣の部屋にいて
こちらに自由に来られないようになっている。
部屋の間のドアのところに
園芸用に使うラティスを上段下段に分けて取り付けている。
風通しもよく、あちらの様子を伺うこともでき、
ナナたちがこちらに来たいと鳴いたら開けてやるようにしている。

最近
ナナもシマトラもずっとこちらの居間に来て
ミミが一人になっている。
シマトラが強引にラティスを開けるようになった。
開けると
すぐにヒカルがあちらに行き
ミミを襲う。
それをさっきやってしまった。
ヒカルの口はミミの毛だらけ。
近所に聴こえるくらいの大喧嘩。

そこで私が怒ってヒカルを追いかける。

今でもまだこちらの興奮が醒めない。
私の言った言葉。

「あんたはサイテーだ。」
「だんなはネコにランク付けするな、と言うが
あんたはサイテーのランクだ!」
「あんたとは今後、エサだけのお付き合い。
私に媚びないでね。近寄らないでね。」

などなど、ネコ相手に言うわ言うわ。

日ごろ
シンノスケに対してもいじめをやるヒカルなので
そのため
シンノスケはおしっこもできずに、泌尿器の病気になったし
居間にもあまり来ないし
いつもビクビクしていて
そのたびに
ヒカルに私は代理で怒ってきたけれど
ミミに対しても懲りずにそのような態度なので
私も怒りの頂点。

先月だったか
シンノスケに襲い掛かって
シンノスケに噛み付いたけれど
シンノスケの肉が固かったために
自分の牙が内側に折れ曲がって
口を開けた状態になった。
私は仕事に行かなくてはならなかったので
そのままにしておいた。
中休みに帰宅して
思い切ってその牙を抜いてやった。
もうぐらついていた歯だったのでちょうどよかった。

ヒカル、女の子のくせに一番のいじめっ子です。
小さいときは身体が一番小さくて
育つのかなあと心配していたけれど
なんのなんの。


バカヒカルの顔。
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(8/26)何から手をつけていいのかわからない

2010年08月26日 16時55分07秒 | Weblog
心配していた仕事のミスの件
まだよくわからないが
何とかなりそうか。

まだすっきりしていない。


それにしても仕事が山積みなんだ。
そこにそんなアクシデントがあったものだから
本当はパニックになっているはずだが
頭がボーっとしていて
今ひとつ
遅れて反応している自分。
もっともっと
騒ぎ立てればいいのか。

やるべきことを箇条書きにした。
順調に進めばいいのだが
すぐにつまずく。

1つ1つ片付けていこうね、トモロッシ。

同僚に貸した
まねきねこ不動産が
面白いということで第二巻を期待された。
まだ出ていないんだよね。
だから
月1で出るねこぱんちを貸そうかと思っている。


ああ、頭の中、スッキリしたい。

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(8/25)失敗か。

2010年08月25日 23時25分10秒 | Weblog
今日
私は
仕事で大失敗をしたようだ。
明日はっきりする。

全く予期していないこと。
失敗したのがずいぶん前、6月くらいのこと。
それなのに
今頃わかるなんて。

若いときは
こんな失敗はなかったと思う。
それに
今回も慎重にやったつもりだったが
そうはいかなかった。
この2ヶ月、そんなことは過去のことになっているのに
今頃出てきてもね・・・
実感が湧かないし
当時のことをよく思い出せない。
どうしてこうなったのかって。

陥穽に陥っていたのだ、既に6月に。
どんなに完璧にこなそうとしていても
このように失敗したら
いやになるね。

私は
自分の仕事の失敗は
手抜きとかいい加減とかで
そのような結果になったら
ああ、やっぱり神様は見ている、なんて
思うので
絶対きちんとやろうと心がけていたけれど
それでもミスはするんだね。

なかなかうまくいかないものだ。
気付いていないということで
反省に実感がないんだ。

あ、もしかしてとか
あ、あのときとか
そういうのが一切思い出せない。

独り言です。
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(8/25)暑くてたまらない日々。

2010年08月25日 16時52分29秒 | Weblog
暑くて泣きそうになる。
これは昨日のこと。

昨日は仕事が休み日。
南のほうへ
ネコ缶を買いに出かけた。
どんなに車の中
冷房にしても
受ける日差しの強いこと。
涼しい建物に入っても
汗だく。
帰宅して
午後には昼寝を、と思い
寝ても
暑くて暑くて
ギャーッと言って起きた。
寝られない。

冷房も
扇風機も
送られてくる風が熱風に感じてしまう。
34℃だって。
昨日は特に暑さを感じた。
南の人から見れば
34℃なんて、普通かもしれないけれど
こちらにしたら凄い気温なんです。

夜もサンルームの風に当たって寝始めたが
だめ。
アイスノンを持ってきて枕にする。
これはかなり効いた。
どこか身体の一部でもクールダウンしたら
全身に伝わっていく。
今日もそれで行こう。

飲み物の飲みすぎで寝たせいか

起きると
顔が腫れていた。
むくみ。
職場でも言われる。
明日もそんな調子です。

さっき
大雨がいっとき。
嬉しかった。
カエルのために降ってくれた。
それでも気温は下がらないが
少しは潤ったはずだ。
でも
雨量は足りないね。

いつもなら
9月は雨の日が多くなるはず。
そして
一気に秋だ。

今日のように
暑さの中にも
シャワーのような雨が降ってほしい。
一週間に2回くらい。
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(8/24)暑くて眠れない

2010年08月24日 01時25分41秒 | Weblog
月明かりが眩しく
私に、起きろと言っているようだったので
起きてしばらく
月明かりを眺めていた。
闇になっても
この月明かりさえあれば、心強い。
白いネコが月明かりの下で私に戯れる。

二時間ドラマを観ていたら
眠ってしまった。
このまま眠りたかったが、暑くて
下のサンルームに行った。
今、私の寝床となっているサンルーム。

この暑さで
カエルも蜂も蚊も虫たちも
夏の風物である生き物たちは
ひっそりしている。
さすがに夜になれば
サンルーム前の庭から虫の音が聞こえるが
カエルなどは身動きせずじっとしている。
活発に跳ね回った春ごろとは全く違う。
それだけ
今年の夏は暑い。生物たちもいい加減
雨乞いをしたいところだろう。
雨が降らないね。
明日夕方に水撒きしてあげよう。

あれだけ
眠かったのに、いざサンルームに行って
ごろりと空の月明かりを眺めていると
いろんなことが浮かんでしまって
起きてしまった。

明日(もう今日だね)は休みなので
時間を気にしないで起きていられるのだが。


久しぶりの職場だった。
仲間たちと話してゲラゲラ笑って
気持ちよかった。
これから忙しくなるなあ。

上司から
飲み会の誘いがあった。
夫に言ったら
行って来い、行って来いと言われた。
上司、夫とは小学校時代から知っている。
家も近所だったし。
上司の弟が夫と同級生。
上司は2学年上。
小学生のときに
相手の家でプロレスごっこをやったら
相手が鼻血出した、という思い出を語ってくれた。
その同級生も
今じゃ、某銀行の海外支店のエライ人。
雲泥の差だね、夫よ。
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(8/22)友人と松島へ(2)

2010年08月22日 10時41分45秒 | Weblog
松島にて、私が食べた牛タン定食。


友人が食べた、うにいくら丼定食。



牛タンはやはり、本場の仙台の専門店にかなわない。


暑くて、どこか喫茶店で涼もうと
モダンなところに。
自家製カステラも売っていたので夫へのおみやげに。


マニアが喜びそうな、独特のマンホール発見。
人のあまり通らない裏道のガード下にあった。




松島行きは急遽前日の夜中に決定した。
友人がこちらに帰省して約1週間。
私の仕事が始まってしまうので
明日(土曜日)しか会うことができないね、というわけで。

彼女の郷里は県の中央。
都会も飽きたので、どこかで会おうとなった。
天気予報を見れば
松島は30℃にならず、曇りの予報。
これなら、暑さを感じずに歩けそうだと思った。

東北本線の松島駅で待ち合わせをした。
彼女は5分ほど早くに到着していたので
この待ち合わせ時刻は正解だったね。

彼女は車で来ようかと思ったらしいが
道路の車の混み具合を見て、
これも電車で来たことに正解。

お天気は予報を裏切り
青空、暑い。
暑さに弱い私は、熱中症を心配する。
風が強かったために
何度も帽子が吹っ飛ぶ。
この風がなかったら、歩くこともできない。
彼女が帽子をかぶってこないことに
ひたすら心配する私。


観光は4年前に来て以来。
苫小牧の中学のクラス会をここで開催して以来だ。
その下見として夏に2度ほど訪れた。

今回は
会うことが目的だったので
あちこちを巡ることはしなかった。
メインの通りを歩き、
南部鉄器の店に入ったり
土産屋に入ったり
ホテルのラウンジでずっと話したり。

昼食はあまり期待しないで
最寄の店に。

携帯に万歩計がついているのだが
10000歩以上になったよ。
帰りの駅に行く途中
とうとう脚が攣り始めた。
脚攣り、私のお得意である。
今も、湿布。

いかに日ごろ、歩いていないかがわかる。
でも
来月、はやぶさカプセルを観に行くし
北海道行きもあるので
少し、こういう歩きも慣れておかなくては、と思うんだ。
涼しければ、快適に歩けたかもしれないけれど
しっかりと30℃越えていたじゃないか。

帰宅してさすがに疲れて
ぐっすりと眠った。
5時に起きたが、まだ眠い。
明日から仕事である。
松島行きを今日にしなくてよかった。
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(8/21)いやな夢

2010年08月21日 20時53分09秒 | Weblog
足が・・・
日ごろの運動不足が祟っている。

今夜はぐっすり寝そうだ。

ずっと暑いので
サンルームの板の間に寝ているのだが

昨夜寝たあとに
いやな夢を見た。
怖い夢だった。

殺されそうになるんだ。
逃げて逃げて
見つけたダストシュートに逃げ込むんだ。
そこで目が覚めた。
怖くて、とても下で寝ていられないと思い
二階に上がって
ソファで寝た。

いやな夢だったなあ。


今日の夜はどこで寝よう。

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(8/21)松島に行ってきた

2010年08月21日 18時55分38秒 | Weblog
今日は
今こちらに帰省している友人と
松島に行ってきた。

瑞巌寺に。


有名なネコちゃんはいなかった。
夏バテだそうである。


瑞巌寺に入るところの友人の後ろ姿。


暑くて暑くて、脚も最後には攣り、一万歩の歩きはしんどかった。
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(8/20)はやぶさカプセル展示、こちらに。

2010年08月20日 17時06分00秒 | はやぶさ
はやぶさカプセルがこちらにやってくる。

はやぶさカプセル 角田市へ。ここをクリック

同じ県の南に位置する市です。
来月半ば、こんなに早くにやってくる。
嬉しくて嬉しくて、皆に知らせたい。
でも私の周囲の人は
へえ~、いってらっしゃい、と言うくらいだろうなあ。

11月以降だと思っていたので
まさかこんなに早くに会えるなんて。
まだまだ残暑の厳しい折、熱中症対策をして
出かけなくては。

初めて行く町。
あっちの方面に住んでもいいかなあ、と日ごろ思っている所です。
丸森とか、亘理とかね。
角田も候補の1つ。
列車に乗って行きます。
楽しみ。


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(8/18)ようやく涼しい風が吹いてきた

2010年08月18日 18時30分02秒 | Weblog
なんやらかんやらと
あと数日で自分の仕事が始まる。
職場から電話があり、初日のスケジュールを
知らされた。

猛暑がずっと続いているので
日中に張り切って家事をしても
熱中症が心配で
動くのは夕刻からだった。
今日は東側から流れる風が心地よく
結構動けるかな、と思ったが
実は右足が数日痛くて、ひきずっている。
それでまた怠け病の如く
ゴロゴロと
読書に費やした。
夫よ、部屋汚くてごめん。

先日のNHKの討論を観たあとに
どれ
もう一度、本を読まなくては、と思っていた。
うちにある
古い本を引っ張り出して
日韓関係のものを読み始める。

近現代史を知らない日本人と
レッテルを貼られてしまうが
先日のブログに書いた
「学校教育以外でも歴史を学んでいる」とは
こういうことだ。
関心のあるものなら、読書という形で
自由に読んでいる人がたくさんいる。
幸いに日本には
どんなスタンスであれ
自由に書いたものがたくさん出版されている。
そして今は
ネットの時代。
ネットを検索すれば、あらゆることが
写真付きで調べられる。

相手の言い分を聞く、という態度。
まずは相手が何を言おうとしているのか聞く、という態度。
これは大切なことだ。
自分に合わないからと言って
頭ごなしにどなりつけて
相手を萎縮させ、言葉を途絶させることは
ルール違反である。
議論にもならない。

でもこれは
小さな社会でもあることだ。
家庭の中にもあることだ。
私の父なんかはその手の人間だ。
牽強付会。
我田引水。
唯我独尊。
独断専横。
そんな四字熟語が連なる。
結局、暴力で押さえつけようとすることもあった。

冷静に
冷静に
論理的に
それが私の自己防衛だと思った。
そのために
たくさん本を読まなくては、と
思ってきた。

今の若い人は歴史を知らない、なんて
それは一概に言えない。
逆に、真面目によく勉強して
自分たちの歴史観をきちんと述べている人たちの多いこと。
それをつくづく感じた。
あの放送で一躍有名になった若者の
ブログも見てきた。
彼はその典型である。
たのもしい。
彼のような人たちはたくさんいる。
日本人は歴史を知らない、なんて
一言で片付けないでほしい。
何より、日本人自身がそれを言わないでほしい。
そういう人もいれば
そうじゃない人もいる。
それだけ日本には
選択の自由がある。
歴史を勉強しないという自由。
歴史を勉強するという自由。
幅広い知識を持った若者がたくさんいる。
感服した。
そして私ももう一度
趣味として濫読してきた本を取り出して
読んでみようと思った。
それまで身についたかどうかを検証してきていないので
少し意識して
頭に残るようにもう一度
読み始める。

さあ、ネコたちがごはん、と催促している。
それも大事な家事の一つ。
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(8/17)IHI 「はやぶさ」の広告

2010年08月17日 13時57分23秒 | はやぶさ
14日付けの新聞に
一面いっぱいの広告である。


「はやぶさ」からのメッセージが届いています。

と題して、はやぶさ製作の一翼を担ったIHIの広告です。


私たちの夢は、2003年5月に打ち上げられた。惑星探査機「はやぶさ」とともに。小惑星イトカワの地表から「何か」を持ち帰るために。

60億km、7年の旅。夢には試練が与えられる。燃料漏れ、エンジン故障、コントロール不能、通信途絶・・・。誰もが夢を疑った。
しかし、試練は夢を強くした。

そして打ち上げから2592日目の6月13日。傷だらけの夢は「何か」を
大切に抱きしめたまま、大気圏へ再突入。
2万℃の高熱に耐え、地球に帰還した。

世界初、月以外の天体着陸と小惑星間の往復飛行に成功という手土産とともに。
人々の不安は、喝采に変わった。

日本の技術が、世界にあらためて認められた瞬間。夢が遺したカプセルが開かれた。
お目当てのイトカワのかけらがそこにあるかはまだわからない。
だけど夢は満足だった。
「何か」を子どもたちの心に届けることができたから。
「何か」とは「信じるチカラ」だった。

写真は、地球に帰還した回収カプセル。㈱IHIエアロスペースは、カプセルの開発・製造を担当し、大気圏再突入時の超高温から守るため
独自開発した耐熱材でカプセルを覆い、地球への帰還を成功させました。

「はやぶさ」プロジェクトへ、応援ありがとうございました。
IHIはこれからも、あたらしい宇宙への挑戦をつづけます。
          




うちの新聞は
読んだら、速攻ネコ用のトイレの下敷きになるため、あやうくこの新聞も
そうなるところだった。
すぐにそのページだけ取り出して、カメラに収める。
赤く書かれた文字はIHIさんのメッセージです。

はやぶさに携わった全ての企業がきっと誇りに思っている一大イベント。
小さな会社、工場もあります。でも1つ1つが必要、重要な役目だった。
IHIさんは大きな会社なので、こんなに一面に広告を出すことができる。

自分たちの力、技術がこのように成功に導いたという自信と誇りに、そして
子どもたちだけでなく、私のような科学に門外漢の大人にさえも、夢を与えて
くれた「はやぶさ」プロジェクト。

日本の技術は素晴しい。本当にそう思わせてくれた、はやぶさの一連の出来事。
一体、彼らの脳はどうなっているの、手先の器用さに感嘆していました。
あきらめない、きっときっと、戻ってくる・・・と信じることの素晴しさ。
このあたりは、科学というよりは文学の分野です。
だからこそ、私のような人間にも伝わったのですね。
全てが順調に行っていたら、ここまで注目も集まらなかったのかもしれない。
ボロボロになっても、長い年月を経ても、地球に還ってきて
カプセルを無事地球に届けてくれた。
あの夜空にちりばめられたはやぶさ本体の姿を観ると、今でもグッと来ます。

今、東京の丸の内で、カプセルが展示されて、朝早くから人々が並んでいるところなど
テレビに流されています。
そのカプセルが
11月以降、全国を凱旋するとのこと。
展示してくれる会場を募っています。
どこもひっぱりだこでしょう。
そして
我が町にやってきたら、並びます、並びます。
この真夏に並ぶのはとてもしんどいので、冬なら大丈夫。
若い子たちに、ダメもとでこのはやぶさの最期を見てくれと紹介した6月。
皆、ポカーンとしていたけれど、1人でも興味を持ってくれたら成功、と思っていた6月。

まだまだはやぶさは続きます。
そしてはやぶさ2が生まれます。
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(8/15)昨日の続きとして

2010年08月15日 22時45分04秒 | Weblog
昨日書いた
自転車の件は
私自身にも不思議な感動を覚えたということで
鮮烈に記憶に残っているものである。
あんなに
興奮気味に、泣きそうになるくらいに
彼女が「親切にされた」を繰り返していた姿は
鮮烈に覚えている。

そういう意味では
個人の交流を通して
互いを知っていく、誤解を解いていくということになるのだろう。

だが。

もしも、あの彼女と交流ができて
たまたま
歴史問題が話題になったとしたら、
たちまち
亀裂が生じるのかもしれない。
それが目に見えるような気がする。


「日本人は歴史を知らない」という先制パンチのような言葉を
出して、日本人も「確かに知らない」と思ってしまう構造。
そして畳み掛けるように、相手は「日本人は謝っても、次の行動ですぐに裏切る」と言う。

これの繰り返しを、何度かテレビで観てきた。
その先は進まないのである。
限られた放映時間の中で、何とかまとめたいということで
「文化や経済を通して交流云々・・」とか言われても
私は空しさを覚えるので
あまり観ないようにしていた。
昨日はたまたまチャンネルを換えたらそれをやっていたので
観てしまった。

まず、「日本人は歴史を知らない」という言葉のレトリックの上手さである。
そのように言われれば
知らない、関心がない、苦手だ、と言わざるを得ない。
しかし、歴史について、学校教育では世界史、日本史、近現代史と分けて
十分なほどに教えている。
他の国の人たちよりも世界史などは詳しく教えられ、知識の1つとして身につけて
いるのではないかと思っている。
もちろん、中世のヨーロッパの歴史の史実名を覚えるのは苦手だ、と私のような
人間もいる。
そして、歴史教科書も各出版社が競って出して、それを採択できる自由がある。
だから
「日本人は歴史を知らない」という言葉に、私は「そうかしら?」と言ってしまう。
彼らの言う「歴史を知らない」というのは
日本と韓国の歴史についてだろうから、そのように言い直すべきだ。
じゃ、本当に知らないのだろうか。
史実として教科書に載っているし、教師も教えているであろう。
昨日の社会の教師のはぎれの悪さはどこもいっしょだと思う。
決して教えていないわけではない。
受け止める側の生徒が、一冊の教科書の一部として勉強をし、そこに関心があるか否かの温度差である。
韓国は国定教科書であり、長い長い反日教育という歴史があるから、そこに費やす時間が長い。
そして、その内容が正しいのかどうかも検証しないで、昨日のような討論をしたとしても私は空しい、と思ってしまうのである。
彼らは、歴史を勉強してきたという自負がある。だから、日本の若者があのように言ったとたん、形相が変わる。険しい表情になる。そして出てくる言葉は「ひどいことをした、残虐なことをした」と感情を露にする。
歴史教育を学んで、その未来、どう生かしていくかという展望を持たなければならない。
仮にその展望が、未来も反日である、というのであれば、それはそれでいい。
それが彼らの国の選択なのだから。
でも、なんだか中途半端な気がするのである。
矛盾を抱えているような感じがする。


もっと続きを書くべきだが
PCが重くなってきた。
一回、更新しよう。



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(8/15)まだ寝ていない。

2010年08月15日 00時56分58秒 | Weblog
まだ眠っていないのだが
今日(土)
訪問者があった。
詳しくは書けないのだが
2社訪問あり。


東京から来たのだが徒労に終わったようだ。
可哀相なので
リポビタンDをやった。
お疲れ様。

それにしてもなんで
私の所に2社?

あとは友人にグチまくろう。
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(8/15)今日のNHKを観て

2010年08月14日 23時04分58秒 | Weblog
今、NHKの「日本の、これから」という番組を観終えた。
後半からだったが、後半の歴史問題の討論は
思っていたような展開になった。
それにしても
崔監督の「君に歴史を語る資格はない!」の語気を強めた言い方はよくないなあ。
せっかく
素人の若者が、自分で学んできた歴史観を述べていたのに、あんな言い方をしたら
誰も語らなくなるだろうに。
一体、何が客観的な歴史なのか。
筋金入りの論客に言うのならまだしも、相手はテレビで討論をしたことのない若者である。
しかも、彼は迎合することなく、自分の学んできた歴史観を述べようとしている。
あの否定は良くないのではないか。
京都大学の教授の小倉さんも、崔監督のあの言い方を非難していたね。

果たして、韓国の歴史教育が客観的な歴史教育なのだろうか。
日本人はそんなに、近現代史に無知であろうか。
仮に学校教育の中で、近現代史を軽視されていたとしても、それなりの近現代史については学校教育以外のところでも学んでいるはずである。
私は寧ろ
韓国でどんな歴史を学んでいるのかを知りたい。それをやるべきだったのではないか。
韓国の教科書に書かれていることをそれこそ客観的に紹介してもらいたかった。
韓国の歴史教育は正しい、小さいときから行き届いている、日本人は無知だ、という観点で討論しているように思えた。
そんな中で、日本人の若者の彼が、「当時の時代は帝国主義、植民地主義という世界的な見方があった」と言ったことに私は同意する。
歴史は、全てが正しいものではない。間違ったものもある。間違った傾向になったものもある。
この問題については、絶対平行線であろうと予測していた。強い教育を受けてきた韓国の人はこれは絶対に譲れないという姿勢であろう。

最後のほうで、日本人の若者の、「交流だけで、解決はできない。歴史問題が横たわっている限り、個人の交流はできても、歴史問題が絡めばたちまち水泡に帰す。もっと国家レベルできちんとしたスタンスを持つべきだ。」と(私は受け止めた)いう考え方が結論のような気がする。

不毛、平行線、その言葉ばかりが浮かんでくる。
互いの歴史教育がどう行われているか、客観的事実とは何か、ということを双方が同じ場で勉強して、初めて歩み寄るかどうかがわかってくると思う。
歩み寄るかどうかを更に議論せねばならない。



この討論とは関係ないが、10年くらい前だったか、こんなことがあった。

私が近所のスーパーに自転車で買い物に行き、買ったあとに自転車を出そうとしたら、
隣の自転車を倒してしまった。
そしてその自転車のベルが壊れて部品が飛んだ。
それを拾って、私はその持ち主が現れるのを待っていた。
一体、どんなおばさん(女性用だとわかっていたので)が戻ってきて
どのように叱られるのだろう、などと憂鬱な気持ちでずっと待っていた。
弁償は幾らくらい払ったらいいだろう、などと考えつつ。

そこへ、その女性が現れた。
自分の自転車のベルを見て、見る見る形相が変わっていった。
壊されると、私だって頭に来るものね。

私は、その女性に事情を話して、謝った。
彼女は
「買ったばかりの自転車・・・・」とつぶやいた。
そしてその言葉遣いは、日本人ではなかった。
私はますます憂鬱になった。
「弁償したいのですけれど・・」と私は言った。
彼女は憮然とした表情で
「いいです!」と言った。
弁償を拒否した。
しかしそれでは納得がいかないだろう。
私はもう一度弁償したいと言ったが、彼女の表情は変わらなかった。
どうしたものか・・・・と思案に暮れた。
そして
「では、私といっしょに自転車屋に行って修理していただけませんか。」と
言った。
これがベストかどうか判断できなかったけれど
何が彼女の心の琴線に触れたのだろうか
表情が変わって
「わかりました!」とさっきとは全く違うにこやかな笑顔になった。
私は
「ああ、よかった!」とこちらも笑顔になった。
彼女の一番納得できる弁償方法だった。
そして
私たちは自転車屋に二人並んで向かった。
その間
彼女は矢継ぎ早に
「私は、嬉しい。私は、嬉しい。」と
何度も言った。
「私は韓国人です。日本人に親切にされたのは初めてです。」と興奮して言っていた。
私は
「いいえ、親切だなんて。壊したのは私です。」と言った。
しかし、その私の言葉を遮るように
彼女は、嬉しいという言葉をにこやかに興奮気味にまた言う。

自転車屋に着いて
「彼女のベルを壊してしまったんです。部品を拾いましたが、大丈夫でしょうか。」
私もなぜか興奮気味に自転車屋の若い男の子に言った。
彼は、
「大丈夫ですよ。」と五分くらいで直してくれた。
「料金は幾らですか。」私。
「あ、結構ですよ。」若い従業員。
彼女と私は大声でにこにこして
「ありがとうございます!」と言った。
彼女にとっても、無料の修理は嬉しかったようだ。
私も、日本人としてこのサービスは凄く嬉しかった。

帰りも、ますます彼女は「親切にされた。」を繰り返して
私は何度も「ごめんなさい。」を言って
なぜかさわやかに別れた。
うちに帰ってきて、買い物の中のリポビタンDか何かを渡せばよかったと
後悔していた。

その後、彼女とは会っていない。
自転車を置くとき、出すときは注意しながら、そしていつもいつも
あのときのことを思い出す。

あのとき、修理代として2000円を渡していたとしても
彼女は腑に落ちなかったのかもしれない。
私も困ってしまって
苦肉の策の「いっしょに修理へ」(こっちのほうが時間的にロスだろうに)
を言ってみたが
まさかそれが彼女を笑顔にするなんて。
相手が日本人だったら
あるいは
私が彼女の立場だったら
弁償代として受け取るほうを選択するだろう。

壊したことから派生した「親切」の意味。
いつもこれを考える。
あのスーパーに行くたびに
彼女はまだ日本にいるだろうか、と思う。
コメント (4)
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