今、NHKの「日本の、これから」という番組を観終えた。
後半からだったが、後半の歴史問題の討論は
思っていたような展開になった。
それにしても
崔監督の「君に歴史を語る資格はない!」の語気を強めた言い方はよくないなあ。
せっかく
素人の若者が、自分で学んできた歴史観を述べていたのに、あんな言い方をしたら
誰も語らなくなるだろうに。
一体、何が客観的な歴史なのか。
筋金入りの論客に言うのならまだしも、相手はテレビで討論をしたことのない若者である。
しかも、彼は迎合することなく、自分の学んできた歴史観を述べようとしている。
あの否定は良くないのではないか。
京都大学の教授の小倉さんも、崔監督のあの言い方を非難していたね。
果たして、韓国の歴史教育が客観的な歴史教育なのだろうか。
日本人はそんなに、近現代史に無知であろうか。
仮に学校教育の中で、近現代史を軽視されていたとしても、それなりの近現代史については学校教育以外のところでも学んでいるはずである。
私は寧ろ
韓国でどんな歴史を学んでいるのかを知りたい。それをやるべきだったのではないか。
韓国の教科書に書かれていることをそれこそ客観的に紹介してもらいたかった。
韓国の歴史教育は正しい、小さいときから行き届いている、日本人は無知だ、という観点で討論しているように思えた。
そんな中で、日本人の若者の彼が、「当時の時代は帝国主義、植民地主義という世界的な見方があった」と言ったことに私は同意する。
歴史は、全てが正しいものではない。間違ったものもある。間違った傾向になったものもある。
この問題については、絶対平行線であろうと予測していた。強い教育を受けてきた韓国の人はこれは絶対に譲れないという姿勢であろう。
最後のほうで、日本人の若者の、「交流だけで、解決はできない。歴史問題が横たわっている限り、個人の交流はできても、歴史問題が絡めばたちまち水泡に帰す。もっと国家レベルできちんとしたスタンスを持つべきだ。」と(私は受け止めた)いう考え方が結論のような気がする。
不毛、平行線、その言葉ばかりが浮かんでくる。
互いの歴史教育がどう行われているか、客観的事実とは何か、ということを双方が同じ場で勉強して、初めて歩み寄るかどうかがわかってくると思う。
歩み寄るかどうかを更に議論せねばならない。
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この討論とは関係ないが、10年くらい前だったか、こんなことがあった。
私が近所のスーパーに自転車で買い物に行き、買ったあとに自転車を出そうとしたら、
隣の自転車を倒してしまった。
そしてその自転車のベルが壊れて部品が飛んだ。
それを拾って、私はその持ち主が現れるのを待っていた。
一体、どんなおばさん(女性用だとわかっていたので)が戻ってきて
どのように叱られるのだろう、などと憂鬱な気持ちでずっと待っていた。
弁償は幾らくらい払ったらいいだろう、などと考えつつ。
そこへ、その女性が現れた。
自分の自転車のベルを見て、見る見る形相が変わっていった。
壊されると、私だって頭に来るものね。
私は、その女性に事情を話して、謝った。
彼女は
「買ったばかりの自転車・・・・」とつぶやいた。
そしてその言葉遣いは、日本人ではなかった。
私はますます憂鬱になった。
「弁償したいのですけれど・・」と私は言った。
彼女は憮然とした表情で
「いいです!」と言った。
弁償を拒否した。
しかしそれでは納得がいかないだろう。
私はもう一度弁償したいと言ったが、彼女の表情は変わらなかった。
どうしたものか・・・・と思案に暮れた。
そして
「では、私といっしょに自転車屋に行って修理していただけませんか。」と
言った。
これがベストかどうか判断できなかったけれど
何が彼女の心の琴線に触れたのだろうか
表情が変わって
「わかりました!」とさっきとは全く違うにこやかな笑顔になった。
私は
「ああ、よかった!」とこちらも笑顔になった。
彼女の一番納得できる弁償方法だった。
そして
私たちは自転車屋に二人並んで向かった。
その間
彼女は矢継ぎ早に
「私は、嬉しい。私は、嬉しい。」と
何度も言った。
「私は韓国人です。日本人に親切にされたのは初めてです。」と興奮して言っていた。
私は
「いいえ、親切だなんて。壊したのは私です。」と言った。
しかし、その私の言葉を遮るように
彼女は、嬉しいという言葉をにこやかに興奮気味にまた言う。
自転車屋に着いて
「彼女のベルを壊してしまったんです。部品を拾いましたが、大丈夫でしょうか。」
私もなぜか興奮気味に自転車屋の若い男の子に言った。
彼は、
「大丈夫ですよ。」と五分くらいで直してくれた。
「料金は幾らですか。」私。
「あ、結構ですよ。」若い従業員。
彼女と私は大声でにこにこして
「ありがとうございます!」と言った。
彼女にとっても、無料の修理は嬉しかったようだ。
私も、日本人としてこのサービスは凄く嬉しかった。
帰りも、ますます彼女は「親切にされた。」を繰り返して
私は何度も「ごめんなさい。」を言って
なぜかさわやかに別れた。
うちに帰ってきて、買い物の中のリポビタンDか何かを渡せばよかったと
後悔していた。
その後、彼女とは会っていない。
自転車を置くとき、出すときは注意しながら、そしていつもいつも
あのときのことを思い出す。
あのとき、修理代として2000円を渡していたとしても
彼女は腑に落ちなかったのかもしれない。
私も困ってしまって
苦肉の策の「いっしょに修理へ」(こっちのほうが時間的にロスだろうに)
を言ってみたが
まさかそれが彼女を笑顔にするなんて。
相手が日本人だったら
あるいは
私が彼女の立場だったら
弁償代として受け取るほうを選択するだろう。
壊したことから派生した「親切」の意味。
いつもこれを考える。
あのスーパーに行くたびに
彼女はまだ日本にいるだろうか、と思う。