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いつもの公園のプラタナスと桜の樹。
今日の空は曇ったり、雨になったり。
町内会の件で隣の奥さんが来訪。
引継ぎのことで。
話の途中、角の家の方が亡くなったことを聞かされた。
2年ほどになるそうだ。
私は何も知らなかった。
会話はしたことはないけれど、ゴミ出しの時など会えば挨拶をしていた。
自分が入院、退院してその間、コロナ禍もあり、葬式の形態も変わった。
私自身家に閉じこもって世間から遠ざかっており、どこかの家が取り壊されたのを見て初めて
知るようなものが多かった。
今回聞いたことは、聞くまで、ずっと健在だと思っていた。
夕方には玄関の電灯が着く。だから居るものとばかり。
センサーで着くようになっているのではと隣の奥さん。
カエルがたまにこの家の塀の隙間から出てくるのでいつもチェックしていた。
それが2年も、私は気付かなかったんだ。
もう、あの夫婦はいない。
しかし、家はそのまま立派に、植木もバラも咲いている。
さっきまで居るものと思っていたのに。
訃報の回覧も回ってなかった。
これは知らせるべきではないか。
以前は知らされていたような気がする。
近くの家は取り壊され、空き地になっている所多数。
家はあっても、門扉は入られないように置き石があるのも、不在、空き家の印のような所多数。
この町は老人たちが作ってきた町だ。
子孫が後を継がず、郊外に家を建て、この町の実家を空き地にして売っていくのが多い。
マンションだらけになっていく。
それをしみじみと感じていたこの2年。
自分が年を取っていくということは
周りの年配の方もそうだということを忘れがちな愚かな私。
死ぬことは日常。
それにしても、死は寂しい。