6月14日、午後4時半ヒカルが静かに
トチやノリ、カズなど兄弟のいる天国に逝った。
彼女の死を予感した5月13日。その一カ月後か。
そして死の一か月後の今日に、こうして報告する。
その間、書こうと思っても写真を見たりすると
気持ちが進まなかった。
5月13日のメモに「食欲なし。血尿。」とある。
誰よりも一番食べたがりのヒカル。
皆の食餌のお盆を二階に運ぶと、階段の前でいつも「ニャ~ン」と待っていてくれたヒカルが
その日を境に、食べなくなり、脚も踏ん張りが効かなくなっていた。
血尿は次の日には解決したが、いよいよだなあという不安は払拭できなかった。
それでも5月29日、体調がよくなったとき、階段を降りて食堂まで歩いてきた。
夫に食べ物の催促をしていた。
6月3日、母の一周忌で家を出なければならなかった。
その日は暑かった。
置いていくヒカルが心配だ。

その日の、出かける前の写真である。

どんなにふらついても、排尿はトイレに行くので、廊下のトイレの傍に寝床を作ってやる。
そして、夜など管理できるときは、できるだけ私達の傍に置いている。
ソファにいるヒカル。

もう固形やとろみの食餌もできなくなり、今はたくさんの種類のあるチュールを大量に買ってきて、色々ととにかく食べられるものは与えた。

夫の膝の上に載せる。これも最期のそれ。
寒い時はヒカルやナナ、シンノスケ、ダイジローがいつも夫の膝の上の取り合いをしていた。

早朝、私が起きるとまず、ヒカルの生存を確認し、ソファに移動させる。
そしてシリンジで水素水を飲ませる。チュールをやる。

ナナがヒカルの傍に。ヒカルにとって煩わしいかもしれないが、あるいは傍にいてくれて安心していたかもしれない。

この時間帯は、ソファに夫や私と過ごす。


当日の夜中。生存確認。

仕事から帰宅して生存確認。
この後、食餌、水を与えたが、もう気力なし。
ソファに移す。
横で私もウトウトする。そしておならのにおいで目が覚める。
ヒカルに「おならしたね。」と声を掛けても、反応なし。
大きな声で「ヒカルー!」と呼んでも反応なし。
本当に静かに逝った。苦しそうな表情、声もなく。
おならは、なかなか便が出なかったので、最期に腸が働いたのか。

この寝姿、生きている時と変わらない。
食欲旺盛だったヒカルは晩年も素直に与えた物を食べてくれた。
とりわけお世話になったのが色々な種類のチュール。
そして水素水。
これが効き目があるかどうかはわからない。
これを飲んだことによって、寿命が数日伸びたかどうかもわからない。
でも美味しそうに飲んでくれて、生きている側の人間が安心したものだ。
あれから10日近く、ソファに一緒にいた。朝夕、氷や保冷材を駆使して。
そして今はお骨になって、これまでの逝った子たちとともにいる。
ヒカル、愛をありがとう。
いつか会いにいくよ。
皆の傍に行けると信じている私だ。
ようやく、ここに書けた、ヒカル。