すっかりご無沙汰だ。
実は今日、亡くなった母の誕生日なんだ。
昨年はどのようにしてお祝いしたのだろう、と
自分のブログを開いたのだが。
今一つ乗り切ることのできない自分がずっと存在する。
母の死を引きずっている、ということではないんだ。
だが、どうしても、一歩踏み出せない。
山Pのドラマ、コードブルーも観た。
本来なら、とても楽しみにしている自分をアピールするところだが
勿論、楽しみに観てきたが、どうもそれが中心ではない気がする。
この「何か」が書けない。
一体、自分は何に向かって生きている?
希望があって、それを胸に抱いて生きている?
いやいや、もう死を待つばかりだろう、なんて思っている。
死を迎えるにあたって、身辺整理が主じゃないか、なんてね。
そしてそれも違うような気がする。
きっと、そんなネガティブな気持ちを否定できる日が来るだろうと
思ってもいる。
そんな揺れ動く自分がいる。
日常の会話はいつもと変わらない。
ただ、
私の前にいる
年老いた者たちのことを考えると
やはり「死」を意識してしまう。
例えば
姑だって、来年早々、88歳だ、
父だって、87歳だ。
彼らがあとどれだけ元気に生きていられるのか、とか。
猫たちも高齢だ。
来年、20歳になるナナ。
19歳になるヒカル。
そして他の猫たちも15歳とかね。
彼らがどれほど元気でいようと
ああ、有限なんだ、この生命は、とすぐにネガティブになっていく。
そういうことを意識しない何か夢中になれるものがあれば、と思うのだが
それを払拭できるものに出会えていない。
このまま、終わっていく私の人生か。
なんてね。
そうそう、昨日
録画していた「シンゴジラ」を観た。
シンて何?と思ったので調べた。
やはり解説があった。
真、新、神か。
なるほどね。
ゴジラの最初の形態に、え?とびっくり。
ゴジラって、こんな目をしていたっけ?こんなグロテスクな感じだっけ?
進化していくわけね。
何も知らないことばかりだった。
そうか、巨大生物が日本を襲ったときにどうするか、という想定って有り得るなと思った。
あの最後のゴジラはモニュメントのように東京のど真ん中にあるわけだが
あれ、死んだの?冷却して死んだ、という結論なの?
これから、解体して調査していくということ?
続きは幾らでも描けるね。