今日と明日が休み。
よって
今朝は目覚ましをセットしないで
思う存分、好きなだけ寝て起きる、と予定していたが
昨夜は9時に寝て
今朝は4時前に目が覚める始末。
こんなに早く起きても
台所でガタガタしていたら姑が起きてしまうので
二階でネット。
そして今頃また眠くなってきた。
昨日は私の仕事納め。
震災関係の人々が前日から続々と帰郷していった。
何ヶ月も滞在してようやく区切りをつけて故郷に帰っていく。
長い間ごくろうさまでした、という気持ちだ。
その中で
私の就任と並行して4月から滞在していた人が
とうとう昨日で仕事が終わり
大阪に帰っていった。
白石ウーメンがおいしい、と言っていたので
それをおみやげに持たせる。
正月休み明けに再び戻ってくるのかと思っていたが
もう戻ってこない、と先日言っていた。
仙台に8ヶ月もいて
それなりに大変だったと思うが
たくさんの知人ができたり
いろんな所を巡って愛着も出たことであろう、こちらで仕事をしたら、と
以前私は半分冗談、半分本気で言った。
大阪の気候と東北の気候は違いすぎる。
それにあちらで安定した仕事があるわけだから
無謀な話である。
すると
昨日の最後の会話で
こちらで事務所を開くつもりだ、と彼は言った。
夏ごろをメドに事務所を移転したい、
こちらには
土地がある、緑が豊かである、知人がたくさんできた、と
言った。
私の目は輝いた。
大阪の大都市からこの東北の小都市に移転することの決断。
彼の心に焼き付いた仙台という街。
こちらで休日のときは
仙台で知り合った陶芸家のところで焼き物を伝授してもらったという。
福島のいわきまで足を延ばし美術館に行き、
仙台に帰ってきたとたん雪で滑ってころんだ、という。
彼の休日は非常に充実していた。
この夏に一度だけ帰省しただけという。
あとはずっと仙台での仕事、休暇である。
また有島武郎の一節を出すが
ある程度知り合った者同士が、いったん別れたら最後、この地球上で呼吸を
しながら未来永劫と会うことがなくなる、この不思議な寂しさ・・・
(原文はもう少し違うと思う)
出会いがあり、笑顔を交わし、挨拶がその日の糧になり
いつかは別れゆく、そのときに感じる私の寂寥感が
あの有島武郎の一節に集約されている。
今回もそうだ。
大阪のその人に限らず、何ヶ月も滞在した、日本の各地から来た人々に
その思いは共通する。
仕事として来た仙台。
故郷の暖かさが逆に際立つ東北。
だが
それなりに愛着を持ってしまった仙台。
彼らの胸に何かしら、熱い思い出を残していった仙台。
そう忖度して
私は笑顔で
「長い間、復興のお仕事ごくろうさまでした。」と送り出す。
いつかは
家族と恋人と、この街を訪れてほしい。
さて
その大阪の人も今頃は
温かい自分のベッドにもぐって疲れを癒しているだろう。
そしてやはりここの地がいい、と思っているかもしれない。
あの事務所移転をどこまで実現できるかわからないが
再びこの我が街に降り立つことを待っていよう。
私も成長しているだろうか。
人間として未熟な私は成長しているだろうか。