今朝の新聞のコラムに
広辞苑について書かれてあった。
10年ぶりの改訂。
この10年間に定着した
新語が広辞苑に登場した。
イケメン
うざい
ブログなど。
イケメンが広辞苑に載るということは
今後も
平成に生まれた言葉として
普通に使われていくことになるのだろう。
どうも
一時的な用語にしか思えないのだが。
うざい、という言葉も
よく使われている。
私は未だに使っていない。
「なにげに」はどうなのだろう。
これも文法的におかしいと思っているので
使っていないが
職場の若い人たちは普通に使っている。
新語として使っているという
意識があるならいいが
昔から存在する言葉だと思って
使っているというのが
怖い。
言葉は変遷するからしかたないか。
昔
こんなことがあった。
味を濃い目につける
味を濃目につける
のどちらが正しいかという
論争をしたことがある。
今なら軍配は
濃い目に上がるのだろう。
その頃は
まだ
濃い目というのが
定着していなかったと思っていたが
既に
定着していたのかもしれない、
濃目はおかしい、と言われた。
私は
いや、濃い目というのは
定着しつつも
文法的には
「形容詞の語幹+接尾語・目」
が基本だから
本来、「濃目に」が正しく
しかし
言葉の座りが悪く
濃い+目が
次第に言葉の流れとして
定着した、と解説するならばいいが、
濃目にはおかしいとして
否定することがおかしい、
などと反論した。
その決着がつかずに
その相手は死んだ。
自殺した。
現に
濃目に
と使う人はまだいる。
少数派になっているかもしれないが
「濃目に」を使ったときに
それを笑うことはできない。
こんなこともあった。
「高校生で、一所懸命、って書いている人がいるのよ。
一生懸命だよね、トモロッシさん。」
と笑いながら私の所にやってきた40代。
「いや、もともと
一所懸命が正しい使い方、それが
一生懸命が誤用され、今では後者が
通用しているけれど、一所懸命を笑うことはできない。」
彼女は顔を赤くして「え、そうなの!」と
席に戻っていった。
もともとの正しい使い方が
否定されてしまうことが悲しい。
一生懸命は
もう制覇している。
私も使う。
が、かといって
一所懸命を「一生懸命」に直すことはしない。
同じく新聞に
「阿部次郎記念賞」に入賞した高校生の文章の全文が
幾つか載せられていた。
その中のエッセイに
「広辞苑みたいにまっすぐな先生の声」という
表現を見た。
まっすぐ、正しい、という表現を
「広辞苑のような」という使い方をしているその
高校生の将来が頼もしい、と思った。
できれば
言葉を正しく伝えたい。
正しく伝えて
それを理解して
その上で
テレビ等の流行言葉、新語を
使うのなら
それはそれでいいだろう、と思う。
しかし
書くべき論文等に
うざいとか
なにげに
などを正しい言葉として書いてしまうことは
避けたい。
それは言わなければならない。
さてその広辞苑改訂版に
「ローリングストーンズ」が掲載された。
既に
ビートルズ、ツェッペリンは
載っているらしい。
自分の持っている広辞苑には
あまりに古くて
ビートルズが載っているかどうかわからない。
調べたことがない。
ストーンズが載る、ということが
嬉しい。
ストーンズの歴史は長い。
その長さから行けば
歴史人物として載ってもおかしくない。
ところで
ストーンズは音楽の教科書とかで
取り上げられているのだろうか。
ビートルズは取り上げられていると
聞いていたが
どの曲が取り上げられているのだろう。
私は
小学生の時から
ストーンズ派でした。
このごろ
ずっと
自分の名曲を取り上げていない。
すっかり
CDから遠ざかっている。