僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2025/1/19)今、入院しています。

2025年01月19日 19時40分29秒 | 日常、仕事、認知症
友人の助けを借りてログインできました。ありがとう。
詳しく書きたいけれど、頭の中整理付いていません。
そして、寝る時間です。またね🙋
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(2024/12/16)介護認定

2024年12月16日 18時40分49秒 | 日常、仕事、認知症
今日、介護認定を受けた。自分の今の生活を書きたいと思うが、生々しいこともあるので省略します。毎日疲れるが、夫の方が疲れている。
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(2024/11/24)唐突にブログを書く。

2024年11月24日 22時57分41秒 | 日常、仕事、認知症
急ではないけれど、10月初旬辺りから、左足の衰えを感じ始めた。その後、日に日に、夜中トイレに起きるたびに、つまり時間毎に、足がガクガク、ブルブルする。
そして動けなくなった。
この1週間以上、二階から降りていない。
携帯から書いている。
おやすみなさい。
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(2024/9/27)明日には真面目に書くようにする。

2024年09月27日 23時43分26秒 | 日常、仕事、認知症
生活を立て直す。
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(2024/7/1)元気です。

2024年07月01日 17時02分25秒 | 日常、仕事、認知症
東北(宮城)、今のところ空梅雨です。
うちのカエルたちが心配。

トモ初め4匹のネコたちは元気です。
夫のダジャレにいつも笑わせてもらっています。

7月。少し動かなくては。
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(2024/4/13)今日も散歩、お参り。

2024年04月13日 21時41分40秒 | 日常、仕事、認知症


今日の青空、桜の樹。
明日も良いお天気。観光名所は混雑するであろう。
ここ数日続けて、リハビリ散歩は夫も一緒に歩いてくれる。
夫も腰痛を長年抱えている。仕事を辞めると、身体がどんどん互いに衰えていく。
いつまで続くかわからないが、無理せずに歩きたい。

朝早く、夢を見る。
亡くなった母の顔がくっきりと夢の中に出てくる。
おぼろげな、曖昧な状態ではなく、
毅然とした姿、厳しい姿、かつての母親の表情である。
その母の後ろに、古い冬コートを着た父がいた。
よろけてはいるが、杖無しで立っている。
母(妻)無しではやっぱりやっていけそうにないから、母に付き添われて帰宅した父。
私の心の何の表れなのだろう。自分の頼りなさか。

自分の頭の中身、3割程減少している。そして耳が聞こえない分、更に傍から見たら半分位足りていない会話を
しているように見えるだろう。
私の耳が聞こえない、というのは相手にわかるはずない。近所の奥さんとは違う。
公園などの喧騒の中での若い子たちとの会話は全く成り立たない、というのが今日わかって、少々ショックを受けている。
益々引きこもりそうな自分だ。





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(2023/12/31)あと2時間で2023年が終わります。今年出会った人。

2023年12月31日 23時27分52秒 | 日常、仕事、認知症
何とか、今年中にブログを書こうと思ってきて、今ギリギリの時間に投稿する。
本当に乏しいブログでした。
胸にあるものをゆっくりと吐き出したい、整理したい、書き留めたいと思ってそれを実行できなかった数年。
過去のものにできない2020年。
今、日常の生活に埋もれているけれど、いつもいつもあの年を総括しなければと思ってしまう。

そんな気持ちを持ちながらも結局今年も貧相な生活になってしまった。
来年こそは、という言葉も空しい。

今年の出会いは誰だろう。
敢えて言うなら、「夫」かもしれない。
彼には今年、父の件でお世話になった。
私の為に(それが主ではないが)仕事を辞めた。
そしてずっと一緒の行動。
すると、時折離れた行動を取ると、不安になってくるのである。
お互いに仕事をしていた時はそんな不安を抱くことはなかった。
帰ってくるのが当たり前、それまで自分の用事を片付けよう、と思って帰宅を待った。
今はどうだろう。
ほとんど離れることはないから安心していいのに、
あの病気以来
「いつ、事態の急変があるかわからない、帰ってくるのが当たり前なんて不変のものじゃない。」
などと思ってしまう。

今月はカレンダーに書き留めたスケジュールがいっぱいだ。
毎週父の件で実家や病院に3,4日取られている。
郊外の病院、実家なので距離的にも往復掛かる。父はしょっちゅう私宛の手紙、託けをよこす。その都度病院から
連絡があり、その手紙の受け取り、用件の為の実家、実家付近の公共の場所に足を運ぶ。
夫がいなければ、私は行動できない。
病院や銀行での複雑な連絡事項、交渉、耳のよく聞こえない私は何度か聞き返し相手を不快にさせているかもしれない。
曖昧な返答を不審に思っているかもしれない。
夫はそれらをカバーしてくれた。
今後も続く。
こんなに長くかかると思わなかった。
3月、5月の父の家の中での2回の転倒骨折入院。5月のは外傷性クモ膜下出血である。一時は人事不省に陥り、これ以上
意識は戻らないだろうという前提で「看取り」の病院に転院する。
しかし父は奇跡的に意識を取り戻し、今ではリハビリ担当者がびっくりするほどに頭、上半身の健康な状態になっている。
そのため、父は早く退院して帰宅したい旨を訴えるのだが、
足元が覚束ず、また転倒の虞がある、一人暮らしは無理であろう、と先日の病院側との話し合い。
私は現在施設を模索中。
その資料も夫が取りに行ってくれている。

夫に感謝しつつ年が暮れる。
(昨日、喧嘩したけれど)

我が家の猫たち4匹、二階の居間、和室で過ごすようになった。
一階にいたケナガ、ナナコが二階に自由に上がってくるようになった。
冬は二階が良い。
暖かい。
夏、ケナガが肺炎を起こして危険だったけれど、今は元気。

来年もよろしくお願いします。


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(2023/11/15)久々の投稿、父の笑顔。

2023年11月15日 15時12分19秒 | 日常、仕事、認知症


今日のうちのバラ。一輪咲いていた。


植え替えて、ダメかなと思っていたが、生き返った。




あちこちにいつのまにか散らばって咲いていた菊たち。

一昨日、父の友人と夫と3人で父の見舞いに。たった10分間であるが、久々の顔。笑顔が良かった。
私は毎週何かと、病院に行っては父の用事を足している。父には会わないが、相談員に手渡したり話したり。
先日の笑顔が良かったので、今日、ブログに書いてみようと思った。
ラインで、その笑顔の写真を北海道の父の友人たちに送ろうと思う。
父の年齢は92歳。
この間頼まれて、年賀ハガキ100枚、筆、墨を届ける。まだ足りない、と20枚追加される。
元気で、「退院」を目指して自転車マシンを漕いでいるそうだ。
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(2023/9/6)実家のハチの巣

2023年09月07日 17時19分51秒 | 日常、仕事、認知症


今日、実家に10日ぶりに行き、空気の入れ替えをした。
何回か家を出入りしてふと玄関横を見るととっくりのようなハチの巣があった。
この間来訪したときは気付かなかった。掌(てのひら)くらいの大きさなので、物珍しさの方が勝って
恐怖感がなかった。このままにしていたら大きくなっていくので駆除の電話をした方がいいね。
でもいつになるだろう。蜂君たちいるのかしら。やはり人の気配がないと、何かと伸びたり増えたり。
家をぐるりと回って他にハチの巣がないか見る。アマガエルが裏にいたなあ。水辺がないのに。
とにかく、実家にしても、自分の家にしても、こう暑いと作業ができない、しない。うちの庭も相変わらずボウボウと
している。
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(2023/8/19)慌てて更新する。

2023年08月19日 10時59分38秒 | 日常、仕事、認知症
更新せず、もう2カ月だ。停滞、停滞の私の生活。


父の意識が戻った。
すると、この病院にいることの意味がなくなる。
施設を考えるか、別の病院に移るか、まだまだ暑すぎて、行動も思考もできない。
立っていることさえも苦しいときがある。
毎日30℃を超える日。
こんなにエアコンを一日も消さず続けて使用するのは初めて。
ネコたちもエアコンを避けて廊下に寝たり、トイレの便器の上にいたり、暑さとエアコンの寒さのはざまで
移動している。
早く涼しくなれ。
昨日の夕方の風は良かったが。
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(2023/5/15)町内の方の死。

2023年05月15日 10時53分15秒 | 日常、仕事、認知症

いつもの公園のプラタナスと桜の樹。

今日の空は曇ったり、雨になったり。

町内会の件で隣の奥さんが来訪。
引継ぎのことで。
話の途中、角の家の方が亡くなったことを聞かされた。
2年ほどになるそうだ。
私は何も知らなかった。
会話はしたことはないけれど、ゴミ出しの時など会えば挨拶をしていた。
自分が入院、退院してその間、コロナ禍もあり、葬式の形態も変わった。
私自身家に閉じこもって世間から遠ざかっており、どこかの家が取り壊されたのを見て初めて
知るようなものが多かった。
今回聞いたことは、聞くまで、ずっと健在だと思っていた。
夕方には玄関の電灯が着く。だから居るものとばかり。
センサーで着くようになっているのではと隣の奥さん。
カエルがたまにこの家の塀の隙間から出てくるのでいつもチェックしていた。
それが2年も、私は気付かなかったんだ。
もう、あの夫婦はいない。
しかし、家はそのまま立派に、植木もバラも咲いている。
さっきまで居るものと思っていたのに。
訃報の回覧も回ってなかった。
これは知らせるべきではないか。
以前は知らされていたような気がする。

近くの家は取り壊され、空き地になっている所多数。
家はあっても、門扉は入られないように置き石があるのも、不在、空き家の印のような所多数。
この町は老人たちが作ってきた町だ。
子孫が後を継がず、郊外に家を建て、この町の実家を空き地にして売っていくのが多い。
マンションだらけになっていく。
それをしみじみと感じていたこの2年。
自分が年を取っていくということは
周りの年配の方もそうだということを忘れがちな愚かな私。
死ぬことは日常。
それにしても、死は寂しい。


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(2023/4/5)桜満開。父のこと。

2023年04月05日 12時09分07秒 | 日常、仕事、認知症

昨日通院の帰りに、いつもの自分のパワースポットの公園に行ってみた。


プラタナスの白い肌と、細々とした枝。これから大きな葉っぱになる。太い幹にタッチ。


そのプラタナスの前の黒々とした幹の桜の樹。花。青空。

午後にまた出かけてみようと思う。
心が不安定です。

父が入院して1週間。面会禁止なので今の様子はわからないが、特に病院から連絡がないので、順調なのだと思う。
そういう約束にしている。市内でもうちから遠く、通うのにタクシー代が嵩む。
今後一週間のうちに、退院後の父の生活の仕方について話し合うことになっている。

父はどう思い描いているのだろう。

家族構成としてはうちは単純だ。
父。
娘の私。夫。

この三人のみ。

法的に、何かトラブルになるような人間関係でもない。
父が一人で何もできなくなったら、娘の世話になるか・・・という気持ちに傾くのが自然だろう。

しかし。
そうではない複雑な事情。

私は、10年ほど前に
遺産相続放棄している。
正確には、「させられている。」
父は、法定相続人、というのを嫌がっている。
なぜなら、法定通りなら娘の私に全てが行くから。
結婚して実家を出た私には渡したくない、というのが父の気持ち。
かと言って、
父の姓を受け継いだとしても、何かと理由をつけて私に行くことは拒否していただろうと思う。

以前にも書いたかもしれないが、
実家の傍には、父の甥の子(又甥というようだ)家族が住んでいる。父の田舎から大学進学、就職のために
仙台に出てきてそこで結婚し、子供もいる。
おそらく、父は色々なことを彼らに言い、将来的にこの家、土地はお前たちに相続させる、と言って
近くに住まわせたのだと思う。

私には常々、
「この家は又甥にやるから。彼らは直系だから。」
まるで、父が彼らの祖父、父のようなふるまい。
彼らには、田舎に父親母親がいる。直系はあちら。
父は、兄弟の末っ子。父が直系を名乗るなら、まだまだ直系を名乗る者がある。
父の屁理屈論理に付き合うつもりはない。

10年ほど前に、
有無を言わせず、実印まで押させて、「遺産放棄する」という念書を書かせられた。
母の死の際にもその念書は生き、そのままスムーズに父のものになっている。
母の形見というのは、札幌時代に着ていた黒いオーバーだ。
あとは、たまに着ていたTシャツくらいだ。大事に扱っていた黒いオーバーを見ると、
それが今でも通用するデザインで、虫穴もほつれもなく、何年も大切に着ていたなあと思わせる。
まだ着てはいないが、自分が生きているうちに袖を通したいと思っている。

そして、何より、自分が父の養子だというのが一番だろうと思う。
父の言う「直系」の意味がわかる。
血を引いているかいないか。
私は、法律的に娘ではあるが、父の血は引いていない。
血を引く、というのは肝心なこと、愛情の度合いも違ってくる。
ましてや、父と私は
そんなに親子の情愛を持って生活をしてきたわけではない。

(中断して、神社にリハビリ散歩してくる)













































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(2023/3/29)記事投稿/父の入院等。

2023年03月29日 08時20分04秒 | 日常、仕事、認知症
父が入院したために
また
私の生活が慌ただしくなりそうだ。
父の入院前日に、急に私の血圧が上がり、217/150、205/133、148/98という推移だった。
その次の日に、急に父の入院の知らせが入り、病院から帰宅まで、自分の血圧が上がるのではと
ドキドキしていた。そうなっては私まで入院騒ぎになる。

これから手術の為、また病院に行く。血圧計持参である。


投稿記事が2カ月以上なかったので、テンプレも地味なものになっており、こうして新たに
投稿する。
あ、何を書きたかったかと言うと。

3年前の今頃、姑の入院、転院、死去、愛すべき我が猫たちの相次いでの死去(昨日はナナの命日)、
心休まることなく日々駆け回った。
最終の病院の近くの川の大きな橋の上からの眺め、姑の入院が無ければこの眺めも知らないままに
生活していくんだ、と思った。
あの気持ちから、まさかの自分の入院になるとは、夢にも思わなかった。
あの気持ちからまだまだ出発できないままに3年が経ち、
こうして、ふりかかる出来事にまた慌ただしく生活することの不安。
上手く対処できるだろうか。
原因不明の血圧上昇が気になる。
あとでその前後を思い出し、原因を探ってみよう。
何しろ、退院して初めてと言っていいほどの200越えだったのである。
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(2023/1/1)平和でありますように。

2023年01月01日 20時44分32秒 | 日常、仕事、認知症


あけましておめでとうございます。
正月からブログに向かうというのはとても良いこと、と自分の姿勢に感心しています。

今日は実家に父の知人家族が集まる日。
その前に
朝、元朝参りに夫と共に歩いて出かける。
私のリハビリ散歩コースの1つである神社へ。夫の通った幼稚園があった神社である。
昨年もその感慨深い思いを書いたような気がする。
本来ならもう少し先の大きな神社にお参りしていたが、私の足では斜面は危険なので
平地にある、程よい距離のいつもの神社へ。

そこでの祈りは
やはり全ての命あるものの平和である。
自分の身近な者たちだけではなく、世界の隅々までの、今生きているものたちが一年平穏に過ごせるように、
と漠然とした言葉であるが頭によぎる。

そのあと、夫と共に帰宅するのだが、その道すがら、とある路地の前で
「この路地、行ったことある?」と夫に聞くと
「行ったことがある。」と答えた。
生まれた時から離れたことのない、この界隈の「主」(ぬし)のような夫は、小さいころか中学生辺りか
通ったことがあるようだ。
私もこの界隈に住んで何十年も経てば少しはわかるのだが、しかし、入ったことのない路地は幾つかある。
迷うように入ってみた。そこに住む人々は毎日通る道なので、私の高ぶった感情は理解し難いと思うが、
とうとうこの路地に来てしまった、と興奮しながら眺め眺め歩いた。
夫は路地の入口で待つ。
またもきっと、「怪しい奴、と思われているぞ。」と言うだろう。
カエル探しの時の私の恰好がまさにそれだったから。

うちの前の路地とは雰囲気の異なる静かな路地であった。
広い庭を持った家はもう誰もいない、というのがわかった。
この界隈はこうして空き家、空き地になり、やがてマンションが建つのであろう。
せっかくのお屋敷のような立派な建物があっても、そこを継ぐ者なければ、どんどん売地となっていくこの辺。
やがて、私たちにも遠くはない未来に、この問題が出てくる。
感傷的に、空き家となった屋敷を眺めているけれど、今この年齢になって、家は大きく建てるものじゃないなあと
つくづく思っている。
若い時は、あれやこれやと部屋を夢見て建ててはみたが、
今、自分の寝ている所は、二階の居間だし、独立的な勉強部屋の自分の部屋は全くと言っていいほどに
利用していない。暖房も切ってしまった。
ここで一日のうち何時間も過ごしていたんだ、と退院したてのころ眺めた。
ここに寝ていたんだ、今は考えられない、猫のいる、にぎやかな、明るい、ゴチャゴチャした居間がいい、
一人はいやだ、と思って居間にベッドを置いたんだ。
夫は自分の部屋を大事に使っている。休み毎に音楽を聴いたり、何か作業をしたりと。
まだまだ、夫の気持ちは私より若い。

最初で最後の、この路地の歩き、こうなっていたのか・・・と漸く納得できただけでも収穫である。
いつかまたこの気持ちを書いてみよう。

実家に。
父は隣の家にいた。
去年と全く同じシチュエーション。
皆で行く、と知らせているのに、留守にして隣の家にいる。
あれ、去年もそうだったのではないかと。

皆と話していると、
大きな声で笑い、初笑いができてよかった、と思った。
愛想笑いじゃない、本当の大笑い。久々である。

そして自宅に戻ると
トモに変化。

食事の時に、身体を起したり、顔を上げてゴハンを待っている様子が戻ってきた。
それまでは、伏したままエサを手の甲につけて舐めさせたり、水も私が運んで飲ませたり、
トイレも抱えていったりと老人のようになってしまい、年齢だから仕方ないと思っていたが、
左後ろ足を引きずる姿に注目した。
元気の無くなる前日に、私のベッドの下で、ナナコとトモが喧嘩したのだ。
それは、唸り声とかではなく、
私は、具合の悪かったモーさんと横になっていたのだが、急にベッドが音を立てて揺れたので、地震かと思った。
モーさんも驚いて起きた。無言の取っ組み合いになったようだ。
慌ててナナコ、トモ2匹、階段を降りていく姿を見る。
それで足をぶつけたのかそのあと、ふさぎこんでゴハンを食べなくなり、排便もなくなった。
すると痩せていく。足腰の筋肉が弱る。
何が原因なのかわからなかった。
足をひきずる姿で、あ、あの時の・・と原因の一因になったのではと思った。
痛かったのだ。すぐに引きずってくれればすぐにわかったのに、一切動かないから、わからなかった。
今日あたりの身体の動きで、回復に向かっているのがわかった。
そして排便も少しあった。一週間以上だ。
写真に撮る。明日、先生に見せるため。

元朝参りのご利益、
大きい声で笑い合ったこと
トモの回復の兆し。
有りがたし。

実家に出かける前、陽射しの中で寝そべるモーさんとトモ。









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(2022/12/30)トモの様子/お墓参り

2022年12月30日 20時06分54秒 | 日常、仕事、認知症
モーさんは、夫の布団の中に入って、夫とともに寝ています。

トモは、ほとんど食べていません。
足元ふら付きながらも水は飲みに行くので、水分だけでも補ってほしい。
一階で作業をしていた間、夕方、自らトイレに行ったようです。
私が抱きかかえて誘導しなければならない状態半分。
でも一人で行ったようです。
少しゴハンをやると、今までよりも頭を上げて皿の餌をなめ始めました。
ほんの少しではあるけれど、胃の中に食べ物が入って落ち着いたのか
手足のグルーミングをし始めました。
希望が持てる姿。

今日はお墓参りに。
8時半頃の山の上のお墓は、斜面はザクザク霜柱が残っていて、私のような足では危険。
杖を持っていって正解。
最近は、買い物に杖は持っていかないようにしている。
が、人のいない、気温の低い山の中は杖は必須。
冬枯れの山の中の墓に正月用の飾り花を添えて、鮮やかな色が冷え切った墓人の心を温かくしているようです。
もう誰も訪れない、夫の母親の先祖の墓にも行き、温かいお茶も供える。
私たちが元気な限り、通える限り、訪れよう、といつも思いつつ去る。
これから年始にかけて墓参する人たちが増え、ところどころの鮮やかな花々が訪れる人を安心させる。
正月だから、派手な色の方が賑やかだ。

今作業の小休止の時のブログです。
これからまた作業。
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