僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2020/4/30)夫の眼の手術、義母のこと。

2020年04月30日 18時35分31秒 | 日常、仕事、認知症
今日は午後から夫の2回目の眼の手術の日。
昼食は摂らず、なるべく早くに帰宅しようと思っていた。
1階の食堂で1人で作業していると
夫が降りてきて
「今、おふくろの病院から電話があった。発熱して肺炎を起こしそうだ、と。」とのこと。
覚悟をしておくようなことを言われたらしい。
義母は、骨折して救急車で運ばれた1回目の病院の初日から熱を出して手術が延期になった、と以前書いた。
その熱を乗り越えて無事手術を終えたのだが。
そのあとは2回目の病院でも特に、熱が上がったとかの連絡は無かった。
3回目の病院に移動して5日目の今日。
何とも言えない。
一過性のものであればいいのだが。
まず夫の手術。
その付き添い。
それが終わったら、帰宅して遅い昼食を摂って
義母の病院に行こうか、と話していた。
しかし、夫の手術の待ち時間の長いこと、長いこと。
2時間は待たされた。
予約制のはずなのに、2時間もずれるとは。
手術が終わって、しばらく病院で休んで、薬をもらい病院を出たころは
すっかり疲れていた。
食事も、ほぼ夕食と変わりなかった。
明日は午前中にまた夫の眼科の付き添いで、それが終わったら、義母の病院へ。
スムーズに時間が流れればいいが。

明後日、明々後日は連続して仕事が入っているが
即、上司に電話した。
ラインがもどかしいので、電話にした。
1人体制だから、早めにシフトを替えてもらわなければならなかった。
了解を得て、別な日に替えてもらう。

昨日は父のところに。
それは後日に書こう。

今年の私の行き場所は、病院が圧倒的に多い。

寒い。昨日とは5度も違うようだ。
もう、寝たい。
あんまり早くに寝てしまうと、夜中になる前に起きてしまいそうだ。
心、はやく平常心に戻りたい。
毎日毎日、何かと戦っている気持ちだ。
淡々と、予測できる事柄に向かいたい。


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(2020/4/29) 名曲 荒木一郎 - いとしのマックス

2020年04月29日 08時45分53秒 | 名曲
荒木一郎 - いとしのマックス



日本の名曲としてこの曲を。
今聴いてみると
昭和40年代に、このノリのいい楽曲を
彼が作っていたというのが凄い。
分かりやすいメロディが好きなので
これを今日選んでみた。

普段、思い出すこともないし
忘れているのに
突然、夫が
「真っ赤なドレスを君に~♪」と歌いだして
「ああ~、これ覚えている~」と笑いこける私だ。
そして
youtubeを開いて聴いてみれば
名曲、名曲、こんなにノリのいい曲だったとは、と思った次第。
愛しのマックスって、彼が飼っていた犬の名前だったんだあ、と
写真を探してみた。
本当に、マックスという犬と映っていた。

「ドゥドゥドゥドゥ・・・go!」のところ、子供が真似して
踊りながら歌っていそうだ。

で、かれの表情、眼を見ていると
つかみどころのない表情だなあ、と。
無表情、とも違うし。笑っている写真もあるが。
眼が、許していない、周りのものに対して懐かない眼。
うちの飼っているトモの眼に感じた時と似ている。


朝から、今日の午後に実家に持っていくものを準備して
その合間にこれを書いている。
さあ、頑張れ、トモロッシ。
実家に行くだけで、ドキドキしているなんて
どう説明したらいいんだろう。
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(2020/4/28)川の色はエメラルドグリーン。気付かなかった。

2020年04月28日 16時20分11秒 | 日常、仕事、認知症
朝起きると(私の場合は2時3時)
先ずネットを開いてあれこれの閲覧。
次に
今日しなければならないことの箇条書きメモ。
ゴミを出す日なのでそれも記入する。
そして1つ1つ終わったら棒線を引いていく。
そのうちの1つ、
区役所の介護保険課に行っての相談。
行って番号札を持ったのはいいが
かなり時間がかかることが予測された。
10人くらい座っていたか。
これは時間がかかるな、今日でなくてもいいな、と
途中退散した。

今日のメインは
義母の病院に行くことだった。
昨日買った寝間着を届けに行く。
これも今日でなくてもいいのかもしれないが
自転車でどのくらい掛かるか、あの坂道を自転車で通行するのは
大丈夫だろうかと気になっていたので
予行演習みたいなものだ。
行きはスムーズだった。
下りの坂だったから。
しかし
帰りは上り。
緩やかに上昇する坂道をとても自転車で運転できない、と判断した。
どうしても
昨年の夏の自転車で走行していて、熱中症で倒れたことが頭にあるので
あれ以来、無理な走行はしない、と決めていたので
帰りの坂道は歩きにした。
これ、今の季節だから何とか歩けたが
川の上を歩くときの夏の日差しを考えるとゾーッとする。
日陰になる建物もなかった。
夏なら、病院通いはできるだけ、雨の日とか気温の低い日とかを選ばなくちゃ。

歩いていると
川の土手下に学生のアパートが幾つかあった。
その土手に桜の木が他の木の中にあり、ほぼ散ったあとの新緑になろうとしているのだが
一枝、桜の花がまだ付いていた。
他の木や自分の他の枝々の陰に隠れて日があまり当たらなかったのだろうか
そこだけ、今、桜が咲いていた。
そういうのをチラホラ発見しながら街の中に出た。

自分がもっと若かったら、その土手を下って
川のほとりの小さな広場で少しくつろぐのだが。
川の色はエメラルドグリーン。
え?
この川の色って、そうだったっけ?
もっと、浅瀬で、ゴツゴツ大きな岩とかあって、あまりハッとする色じゃなかったような。
無色の、いかにも都会の真ん中に流れる色だったと思うが
今、あまり穢されていない状況なのかもしれない。
またじっくり観なくては、と思った。

18歳の夏。
友人とよくこの川(もっと下流)に遊びに来た。
それをまた思い出した。
坂道なんて苦にならず、ズンズン2人で下って行った。
いっつも笑い合っていた。
何のために、川に遊びに行ったのだろう。
遊びに行っても、よくしゃべっていた。
その時間が楽しかったんだろうなあ。
笑う、ということが少なくなったね、今は。
私の18歳の夏はいつも抱きしめていたい。

面会時間には早すぎる時間であったが
とにかく届けるだけでも、と
看護師にお願いしたら
少しだけ顔を見ていいと言われて
眠っていた義母に話しかけた。
「あら、お義母さん、髪切ったんだね。男の子みたいだよ。」
うつらうつらしていたので
「またあとでゆっくり来るからね。」とほんの2分ほどで立ち去る。
そして
その後、川の色に驚く私だった。

帰宅して
実家の父に連絡する。
明日実家に行ってくる。
この連絡(メール)だけでも結構私にはハードルが高い。
父との軋轢はずっとずっとあるのかもしれない。
そして、明日というハードルを越えなくちゃ。
高いなあ。


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(2020/4/27)牛タン弁当ランチ

2020年04月27日 16時13分47秒 | 日常、仕事、認知症
今日は仕事日なので
早朝4時過ぎに家を出た。
外は薄明るく、冬の面影は消えていた。
しかし、私の服装はまだまだ冬のスタイルに近い。
春から初夏になろうとしているけれど、東北の早朝はまだ寒い。
風邪を引かないように、厚手の防寒着。でも、その下は半袖なんですよ、矛盾している。
普段なら、月曜日の朝、自転車で通勤しているとき
早朝に着いた高速バスなどの客や繁華街を歩く若者たちとすれ違うけれど
今日は全くその気配がなかった。
車も1台2台くらいしかすれ違わない。
皆結局、優秀な気がする。
日本人の良さだと思う。
じっと耐える。
耐えたあと、また復活する。
それを信じて、今は我慢だ。

仕事は1人。
1人で黙々と、同時にせわしく動く。
10秒の休憩もなしに。
早朝出勤なので朝食はいつも取らない。
おかげで今日はお腹が空いた。
午後、会社を出て、
義母の寝間着を買うために少し中心街を歩いた。
色々な店が閉まっている。
いつのまにか、がらんと、全て撤去したところもあった。
あそこの美味しいトーストをもう食べられなくなったのだ。
喫茶店も、パチンコ屋も、土産物屋もほぼ閉まっている。
開いているのは薬屋、下駄屋、カバン店など専門店くらいだ。
あちこちに
飲食店の仕出し弁当の販売所があった。
お腹が空いているもので、それらをじっくり眺めて選びたかったが
牛タン弁当が売り出されていたので、そちらに食指が動く。
お昼のランチにはちょっと高めだが、
贅沢してもいいだろう、2つ買った。
2つ食べる、ということじゃないよ。
1つは夫の夜用に。
お昼に牛タン弁当を買って食べた、と言えば、きっと
「俺の分は?」と言う人だから。

途中の公園で食べてしまおう、なんて思うくらいに
お腹が「牛タン、牛タン。」と言っている。
ベンチに座ったのはいいが、風が強い。
強くて寒くて、やっぱり家に帰って食べよう、と帰宅。
食べたあと、ゴロンとしていると
夫が仕事の途中にうちに寄った。
そんな気がした。
結局、夜に食べずに、お昼ランチとして平らげていた。
また、買ってこよう。

もう夕飯の準備に取り掛からねば。

今週は
実家に荷物を置きに行く。
そして
夫の眼の手術2回目、仕事、の後半である。
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(2020/4/26)義母、3つ目の病院へ。

2020年04月26日 16時45分46秒 | 日常、仕事、認知症
さて、野ブタのドラマを観て、清浄されたあとに
現実的なことを。
義母のその後のことを。

義母は
先週金曜日24日、3回目の病院に移った。
2回目のところは記述していなかったのだが
4月6日に、最初の病院から、縁もゆかりもない隣の市の病院に転院した。
ここも面会禁止なので
義母をストレッチャーに載せた介護タクシーで移動したときに
1カ月ぶりに彼女の顔を見たんだ。
久しぶりに見た彼女の頬はこけたというより、大きくくぼんで、えくぼのように引っ込んでいた。
私の話しかけにほとんど無反応だった。
ここで3カ月お世話になる、という前提だった。
ここは繋ぎの病院で、3回目にお世話になる病院の空きが約3カ月待ちということだった。
隣の市なので、タクシー代も大いにかかる。
電車を使えば安上がりなのだが、今はこういう時期なので、駅に行ったり、改札口を通ったり、電車に乗り込んだり、
なるべく避けたかった。
私が仕事の時は、夫が休みの時に下着などを届けてくれていた。
そして
急に4月半ば、3回目の病院に空きができた、と病院の相談員から連絡を受けた。
つい先日、24日に最後の病院に移ったわけである。
この日は本当に忙しかった、そして精神的に疲れた日でもあった。

1人で隣の市にタクシーで行き、支払いなどを済ませ、
またストレッチャー介護タクシーで、仙台に向かった。
義母は何が何だかわからないであろう。
その心境はこれまでの彼女を見てきてよくわかった。
タクシーの中で
たくさん話しかけた。
今は桜が散った4月。
でもホラ、まだ残っているところもあるよ、と途中の大きな公園の桜の説明をする。
義母は私の話に、頷いているので、返事はないけれど
頭の中で理解して、首肯したり、否と横に振ったりしていた。
やっぱり、話しかけは大事だな、と思った。

そして3つ目の病院。
夫が仕事の途中で来てくれた。
事務長の話。
お金中心。
なんと、私、保証金を持ってくるのを忘れていた。
先の病院の支払いと介護タクシーの支払いをしたら足りなくなっていた。
保証金のことをすっかり失念。
他にも、タオルケット、バスタオル等、何もかも忘れてしまっていた。
病室に運ばれた義母に
「何が何やらわからないでしょ、今日は。でも頭の刺激になってよかったね。」と
話しかけたら、ニコリとして頷いた。
今までの転院の中での一番の笑顔だった。
これなら、もう少し大丈夫、という気持ちになったが
何しろ
ここは終末医療、積極的な治療をしない、ということだった。
今までのシステム化された大きな病院と違って
のんびりとした、あるいは諦めに似た空気の病院に感じた。
看護師たちに言われることは
「お帰りの服装はこれでいいのですか、ユカタとかパジャマとかじゃないんですか。」
「お帰りって・・・」そう、死んで家に戻るという大前提の話にすぐ結びつく。
私は
「いいんです、今はまだ寒いから、温かなものを。夏になれば涼しくなるようなものを持ってきます。」
いつ死んでもおかしくない、という空気は作りたくなかった。
この辺が私の、文系の頭。
現実的にはそうじゃない、と夫にも言われた。
いやいや、もしかしたら奇跡っていうのがあるかもしれないでしょ。

しかし、
私はこの自分の思う「奇跡」に何度裏切られてきたことか。
私の故母にしても、
私のシンノスケやナナにしても。
奇跡って、私に無縁なのに
いつもそっちの気持ちになっていく。

義母が食べてくれさえすれば
家に帰れるかもしれない、生きて。
だって、骨折の前は
何でも食べていたのよ、天ぷらも揚げ物も親子して好きだから。
正月には餅も食べた。
「お義母さん、餅、何個食べる?」
本当は3個は食べたいのに
「2個くらいかなあ」なんてやせ我慢していたんですよ。
頭がしっかりしていれば、無味の病院食でも食べたであろうに。


ここには友人が勤めている。
その日は入院担当ではない、とラインを送ってきたが
合間に、挨拶に来てくれた。

家に戻ってから
お金を下して、タオルケットなどを用意して
タクシーを呼んでまた病院に。
タクシー会社は、その日朝の隣の市に行くときに利用し、また2度目の予約をし
荷物とお金を届けて、その間待っていてもらった。
タクシー会社ではすっかり、有名になっていた。
これまでも猫たちの病院、実家への利用。
特に、この2、3カ月、あちこちの病院利用。
運転手さんたちとよく話した。
「またよろしく。」と家の前で降りて
いざ、鍵を開けようとすると・・・
鍵がない。
あ、さっき、タクシーの中で落としたのかもしれない、
庭に回ってどこか開かないか、と試したがダメで。
タクシー会社に電話。
すぐに当のタクシーに連絡をしてくれ、座席に挟まってあった、とのこと。
もう、今日は、朝からドタバタしていて
色々なものを忘れるし、とどめは鍵か・・・
散々な自分。
しかも、自分が原因。
このごろ、多い、多すぎる。


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(2020/4/26)野ブタをプロデュース、第3回目。

2020年04月26日 16時12分38秒 | 山Pドラマ
今、野ブタの3回目を録画で観た。
ああ、やっぱりこのドラマ、場面のあちらこちらに
「青春を感じる」言葉が散りばめられているんだなあ、と思った。

あ、ここで自分が涙を流した場面だった、と思い出した。
義理のお父さんの乗ったタクシーを追いかけて
「お、おにぎり」と言った野ブタ。
その間、修二と先生たちの「真夜中のギター」が流れる。
秀逸。
泣けてくる、15年経った今でも。
そして、修二の最後の独白。
野ブタと(バカだと思っていた)彰が、生徒たちを感動させるお化け屋敷を作り上げたことに
ショックだった、と。
人気者の修二は、頼られれば明るく引き受け、自分も人気者という自覚があるが
誰も見ていない所は修二の周りは暗転し、修二の心を映す。

そして後半は、孤独な修二、孤立する修二が出来上がる。
でも、彼には野ブタとバカな彰がいる。
決して、見捨てない、冷血に終わらない場面になるから救われる。
一見、ドタバタしているように見えるが、どの場面も無駄になっていない。
最後の「青春アミーゴ」も、新鮮に聴こえる。
修二がいなければ成り立たない、
彰がいなければ成り立たない、
2人で1つの最高傑作のドラマ、歌。
よくぞ、復活させてくださいました、日テレ。
どうか、最後まで放送してくださいませ。

彰の魅力はこれから発揮します。
どうかあの場面を放送してください。
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(2020/4/20)野ブタ第2回目。遅れた誕生日ケーキ。地震。

2020年04月20日 11時43分12秒 | 山Pドラマ



野ブタの再放送第2回も、視聴率が好調なようで一安心。
今少し前に、土曜日に録画した第2回を観た。
10時から始まるので最後まで観られるかどうか(この時刻は眠くなる)
自信がなかったので
やっぱり録画が安心して観られる。
そして、最後のアミーゴの主題歌が「2020年version」になっていて
再放送ながら、手厚く大事にされているのがわかった。
当初の予定ではこの第2回で放送が終わる様だったが
好評ということで来週再来週と続けるようだ。
いや、ここまで来たら、ずっと最終回までやってほしいよね。
初めて観た人たち(だって15年ですよ、ブランク。)も多いかと思います、
2人の魅力をたくさんの人たちに伝えたい。
あんなにそつがない、人気者の修二が後半孤立するんですよ、でも彰と野ブタや周りの大人たちに
救われる。
そこまで見せなくちゃ。
そして修二は転校していく。そこには・・・・
絶対、最後まで放送してほしいね。


さて、今朝早くに
突然携帯が「ギュイッギュイッギュイッ」と響いた。
ああ!この音は!
もう焦った。
あの音の後に来るものの恐怖。
朝食後だったので、2階に上がって椅子に座ってからの音。
トモもあの音を覚えていて、ダーッとどこかに隠れた。
私はエアコンを消して、自分の部屋に行った。
私の耳にはヘリコプターの音が聞こえて、本当にそうだと思ってしまった。
しかし、あれは地鳴りだったんだ。
久しぶりの恐怖感。
これまでも地震、あったけれど
携帯のあの音はしばらく聞いていない。
それだけに311の恐怖感が甦る。
今、こんな時だけに、あの時のような地震が来たら
避難所とかどうなるであろうか、と。
しかしいつも、そういう最悪のことを想定しての日頃の準備なんだろうね。
311の時も、その数日前に結構大きな地震があったんだ。その時の予感。
大きなものが来るかもしれないと思うような不気味な揺れだった。
今朝のは、揺れよりも、携帯音と地鳴りの音に参ってしまった。


この間の土曜日、仕事のない私。夫の休みと重なったので
義母の入院する隣の市の病院に着替えを届けに行った。
勿論、面会禁止なので会えない。
現在、4月6日に隣の市の病院に転院して入院中。
そして今週の24日にまた転院するんだ。
自分の頭の中では時系列や書類、病院との約束事、支払いのことなど
全く整理されていない。
夫は
私を慰めるように
「誕生日にケーキを買わなかったから買っていこう。」と言ってくれた。
仙台に戻って
まず食料の調達、猫缶などをまとめ買い。
スーパーのレジで並んでいる時
私の前は空間がある。
レジには「間隔をあけてください」と表示してあるし
今ではどのスーパーでも並ぶ間隔事に線が施してある。
そこもそうだった。
(私の格好は、完全冬スタイル、防備スタイル。雨の日もあって、冬の防寒着、手袋、まちこ巻ショール、マスク。目だけが
ギロリと目立つ。)
そこにおばさんが私の前に入ろうとする。
私が並んでいるのに気づいて「詰めて。詰めてよ。」と言われる。
あれ、このおばさん、今は間隔を空ける、というのをわからないのかな、と思い
「間隔を空けて並んでください。」と言った。
私、着ぶくれしてデカいし、目だけだし、言い方冷たいし、
「わかりました。わかりましたよ。」と離れて並んだ。
もっと絡んできてもよかったのよ。
受けて立つ。
でも、きっとあの表示がわかったのね。

ケーキは、仙台の老舗のケーキ屋で買った。
老舗のケーキ屋、結構つぶれているんですよ。
夫と懐かしの名前を出したりしてね。
でもここのは依然として人気、手堅い。
見た目、派手なものはなし。すべてオーソドックスなもの。
そして、流行にとらわれず、昔からのひいきのケーキが今でも健在。
夫は栗が好きなので、隣の甘栗屋からそれを買う。
夕食は夫が用意してくれた。
栗ご飯。(栗は冷凍してあったもの。夫の栗好きは異常。私が最初に勤めていた所の同僚が傷心の時に
慰める意味で「栗拾い」に誘ったのも夫の提案。もう何十年も前の事。それを同僚と思い出して「なんで、栗拾いだったのかしらね」と
笑いが止まらなかったのも思い出。)
豚の角煮。圧力鍋で夫が作る。
私、分厚い肉の塊、苦手なんですよ。が、夫は大好き。
私は肉の上の焼いたネギを美味しく食べた。肉も小さな塊を食べる。

自分が休みが多くなったので、こうして夫と土日、過ごすことが多くなった。
今日は月曜日。
また今週も後半仕事があり、病院転院がある。
そして今は、外の雨を感じて(冷たい雨が好きです)
ハンカチでマスク作りをしようと思っている。
その前に、アイロンかけなくては。

とりとめもないことをズラズラと書いてしまいました。




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(2020/4/18)夢の途中 / 来生たかお 野ブタ2回目始まる

2020年04月18日 21時43分12秒 | 名曲
夢の途中 / 来生たかお


まもなく「野ブタをプロデュース」の始まる時刻。
前回の1回目の視聴率が15年前のドラマの再放送にも拘らず、
非常に高かったので、第3回、4回も来週から続けるそうです。
そもそも、なぜ2回で終わろうとしたのか。
どんどん、続きを観たくなるドラマなんですよ。
思い切って最終回までやるよ、と告知してほしいのですが。
最終回の2人の絆がまた、彰らしくていいんですよ。
お金持ちのボンボンの彰が何でも叶えてしまう。
しがらみのない彰らしい、現実にない〆。
絶対、続きがあるような終わり方なんです、希望の持てる最終回なんですよ。
だから、最後まで続けてくださいね。

今日の強い雨と風の中。
動画で、綺麗な景色を観たかった。
美しい曲を聴きたかった。
美しい歌詞、透き通った歌声を聴きたかった。
それに合致したのがこの名曲。
前も取り上げました。
景色が美しいので、観てください。
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(2020/4/18)同僚との別れ、仕事の変化。

2020年04月18日 04時19分20秒 | 日常、仕事、認知症




3月も、1日として心休まる日がなかったように思える。
それゆえに
気持ちの余裕を持って、ブログに対面することができなかった。
1つ1つ
少しずつ書いていこう。

まず、今の状況について。
新型コロナ流行のため、私の職場の体制も変わってしまった。
4月の仕事が3分の1になってしまった。
正社員は仕事日数は変わらないが、アルバイトの私は半分以下になった。
おかげで、家で過ごすことが多くなり、どの時間帯でもブログを書けるわけだ。
仕事が半減、の前に
3月にその前兆。
2人体制とか3人体制が普通だったのが、原則2人体制が固定化した。
ゆえに、もう一人のアルバイト(派遣)とは全く顔を合わせなくなった。
この方、一昨年の今年出会った印象的な人のところでブログで紹介した人だ。
私と誕生日が1日違い(4月10日生まれ)、
彼女の実家が、私の父の故郷(県北)の近くで、父の姉家族が住んでいる所だった。
そして話しているうちに、なんとその姉家族の地主であった。
嘘のようなピンポイントの繋がりで大いに話が盛り上がった。
そんなこともあって、非常に親近感を持った人だった。
明るくて、突っ込みどころが多くて、しかし、仕事がテキパキとしていて、私も彼女と仕事をするときは
安心感があり、よく冗談を飛ばしていた、
昨年夏に辞めた同僚の所に
牛タン弁当を持って一緒に遊びに行った仲間。
2人体制になったことで、私の休みの時は彼女が出勤、彼女の休みの時は私が出勤ということになって
彼女と仕事をする機会が無くなってしまった。
そして、3月末日で、派遣の契約が切れるということになった。
つまり、顔を合わせることなく、お別れになるということだ。
当日は病院の用事を済ませて
彼女の退勤時刻前に急いで職場に行った。
会えば、相変わらずワーワー言い合っていつもの調子だった。
また会える、今は世界的に非常時だけれど、いつかまた会える、と言い合った。

4月からのシフトが更に変わった。
2人体制固定化からとうとう1人体制になった。
客が減少したため、
2人で分担していた内容が全部1人でこなさなければならなくなった。
客数が少ないと一見、楽になった、と思いがちだが
やってみて、とんでもない、大変だとわかった。
クタクタになって腰痛を抱えながら帰宅する。
しかし、それは正社員が休みの時のヘルプなので、次の仕事日までブランクがあるので
仕事日は精いっぱい働こうと思っている。
そのうち、私もリストラ対象になるのかもしれない。

まずは仕事面の変化、同僚との別れのことを。
次に義母のことを。



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(2020/4/16)春だったね   吉田拓郎

2020年04月16日 15時10分48秒 | 名曲
春だったね 2014 Takuro Yoshida


元気になる曲を聴こうと
取り上げたのが拓郎のこの歌です。

この曲の入ったライブ盤を買って
レコードに針を落とした瞬間
この曲が始まる。
最初のノリの良いメロディが
買って良かった、と思わせる。
それほど、強烈な印象が残っているこの曲。
どの曲もどの曲も
素晴らしくて、何回も聴いているうちに
全部好きになってしまったレコードだ。
「元気です」も
「いまだ人生を語らず」もそうだ。
拓郎は「拓郎の世界」を持っている天才ですね。
唯一無二。

ああ~あれは春だったね~、と言えるこの春であってほしいね。

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(2020/4/10)山P、私、誕生日おめでとう。そして野ブタドラマ、再放送。

2020年04月10日 17時21分19秒 | 山Pドラマ




山P、お誕生日おめでとうございます。
そして
私。
4月9日、いつもこの数字の並びに笑われていた私ですが
山Pもそうだったかもしれない。
そして彼が(あるいは誰かが)言った言葉が
「しあわせがくる」という素敵な語呂合わせ。
山Pのこれからの人生に祝福を。
私の残り少ない人生に安らぎを。

このご時世、
ドラマも撮影延期とか。
生命が大事。
明日土曜日、午後10時から
なんと
「野ブタをプロデュース」の再放送。

私が山Pのファンになったきっかけのドラマ。
まさか15年ぶりにテレビに再登場だなんて驚きです。
勿論、
DVDを持っているので、いつでも観ることはできるのですが
テレビで流れるということに意味があるのです。
そういえば
先日の嵐の番組で
野ブタの冒頭を流していましたっけ。
彰の登場は失笑を買うような登場の仕方。
観始めたころはまだ山Pのファンではなかったので
(誕生日は一緒だ、というのは把握していた)
修二の引き立て役のように思えた。
しかし、回を追うごとに彰の存在の大きさがわかるようになるのです。

あの時、彰に恋に陥った瞬間。
突然、修二に振り向いて、真剣な表情で「俺はあきらめないから」(ああ、セリフ忘れちゃった。)と答えた瞬間
次回に続く、となり、場面の音楽の効果もあり(青春アミーゴとはまた別に)
もうその瞬間、私の心は何かに撃たれていた。
当時、某掲示板の実況板にいた人たちはほぼ、撃たれていた。
男も女も。
そこから派生した板に私達は入り浸った。
懐かしい、懐かしい。
男、女を超えて山Pのファンがたくさんいた。

あれから15年か。
年をとったものだ、私も。
野ブタのその後のドラマをやってほしい、という気持ちはこの間の亀山Pを見て思った。
彼ら、最強の2人である。
思い出させてくれてありがとうね、山P。


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