僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(11/19)銀杏の黄葉

2013年11月19日 21時04分00秒 | Weblog


今日は遅い昼食を摂りに
モスバーガーへ。
うちから自転車で10分ほどのところ。
そこに行く途中の
銀杏の黄葉が素晴しかったので
立ち止まって
写真を撮る。


ここは公園。
地元の酒屋の名のついた公園。
Pちゃんを探しにここにも来たっけ。
帰りに寄ると
子どもたちが「ハトのヤロー!」と枯葉を蹴って追い払っていた。
鳩は飛んで逃げるよ。


左手の建物は
東北大の農学部。街の真ん中にあり
歴史のある所。ここにはたくさん植物や動物がいるんだろうなあ、
カエルもいるんだろうなあ、と通る。
写真の奥の黄色と手前の緑のコントラストがいいですね。
そしてそこに近づくと





農学部の銀杏です。
綺麗。
私の他にも
立ち止まって写真を撮る人、何人かいました。
今が一番「黄色」が色濃く出ているときね。
もう、すっかり散った銀杏もあるけれど
ここのは今が盛りです。
私のデジカメではなかなか美しく撮れませんね。


明日は仕事。
今週は仕事始めの週だけれど、4日も行くことになる。
いや、もしかしたら土曜日も出勤になるのかも。


そうそう
午後寝をしたんですよ。
また夢を見た。
久しぶりの階段の夢。
昔、何度も階段を上る苦しさの夢を見て、夢分析をしたりした。
階段、エレベーター、エスカレーター、3つとも出てきた。
階段はいつものように、上るのに困難な作り。
エレベーターもいつものように、不安定な空間。
目的のところに着こうとしても、全然思い通りに行かなくて
何度もエレベーターやエスカレーターを乗り換えていた。
ようやく目的のところにたどり着けたので
夢としてはハピーエンドだけれど
その過程がつらくてね。
よくそんな夢を見ていたなあ。
今の心の表れです。
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(11/18)月を眺める

2013年11月17日 20時47分19秒 | Weblog

庭に咲いたバラと菊を愛でるシンノスケ。
でも、生花は危険。ひっくり返すのでね。
トイレに飾りました。



夫は8時前に就寝。
日曜の夜はこのように早い。
私もまもなく寝る。
今朝は3時半起き。
4時半前に家を出る。
久しぶりだ。
西の空の大きな月が見守ってくれた。

2ヵ月半ぶりの職場。
ヘンな感じ。
懐かしさも、リフレッシュ感もなく
淡々とこなす。
でもさすがに疲れた。忙しい日だったので。
明日も3時半起き。

Eさんは痩せていた。
たまに会いに行ったときにもそれを言ったのだが
私が辞めて、ごはんも食べないで働いていたそうだ。
それじゃ身体が持たないよ、と食事。
一日置きに出勤することになる、今月。

いつでも辞められる、という気分。



夜7時前後に
ベランダに出た。
ミミを誘ったがストーブの前にいたまま。
じゃ、独りで月を見るか・・・


今夜の月は特別
綺麗。
夕方、暖かかったせいか
空は霞がかっていた。
その名残があったが
月はくっきりと見えた。

月明かりだけじゃなく
7時頃の
民家の灯りがあって
寂しくない夜だった。

風のない外気に触れて
初冬なのに
寒くはない。
月を眺めることは寂しいはずなのだが
民家の灯りが嬉しい。
真夜中の眺めでなかったことが嬉しい。
まだ
人々は食事の時刻か
テレビを観ている時刻か
家族の団欒の時刻か
こんなときに
月を眺めて
美しい、と思っている人は
一体どのくらいいるだろうか。
私だけかな、と思った。
(そんなはずはないが)
私だけを照らしてくれてありがとう、なんて
言ってみた。
この私だけが
あなたの美しさを認めていますよ、と言ってみる。

おやすみなさい。
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(11/14)会社のこと その2

2013年11月14日 11時44分32秒 | Weblog

シンノスケのお股開き。
ストーブの前でリラックス。モフモフすると怒られる。



ここ2,3日寒くてすっかりストーブ着火。
あのカエルを見に行くと
冬眠の姿。
プラスチックの箱だけでは寒かろうと
木の板をかぶせました。
傷口は開いたままで、まだ液が出ています。
じっとしている間に治ってほしいね。



夫に
「会社辞めたんだろ、いろいろと手続きしたのか?」と
不意に聞かれた。

日曜日に
Eさんに会いに行ったり、カレンダーに昨日の会社訪問を記したりしているから
何か動いているな、と思ってのことだろう。
私と夫の間では
会社を辞めた、というのは暗黙の了解になっている。
こんなに長く休むということはありえないし、
どうせ私のことだから辞めたに違いない、と思っているだろう。
しかし
それを互いに口にすることはなかった。
ヘンな夫婦と言われればそれまで。
それを出さずに、この2ヶ月間
あちこちに遠出をして食べ歩きをしている。

正式な形で「会社辞めました。」の報告はしていない。

それも報告しないうちに
また仕事を再開する、と伝えることになる。
とは言っても
正社員ではないから、パート(夫の扶養範囲)である。
その手続きのことを言っていない。
それがネックである。




昨日はその元の会社に行ってきた。
マネージャーは新しい人。
が、私が震災後にここに勤めたときにサブのマネージャーとしていた人だ。
他に移って
この10月に再任した人。
一昨日(火曜日)に電話があった。
既に
Eさんと日曜日に会っていたこと、副社長から電話があったことも知っていた。
Eさんが伝えたとのこと。
Eさんとしては、私が戻ることを彼に力説し、トモロッシさんも揺れているので
あと一押しすれば、ということで
電話では、ぜひとも、と言われる。
ここで頑なに断っていたらどうだろう。
自分はもう少ししたらまた仕事を見つけなくちゃならないな、と
おぼろげに不安を混じらせて思っていた。
すぐに見つかるか、耳の聞こえないのを不快に思われるのではないか、とか。
そこに1つの候補として入れておかねばならないと思った。
自分の条件を
私としては
午後は母親の病院の件がこれからあるので午前中で終えたい、
午後のあれこれ(会議等)は免除してもらいたいと言った。
これOK。
あとは週の半分ほどは家事等に使いたいと思っている。
朝の家事、夫の食事やネコの食事など、これからまた夫がやることになる。
でも私の休みの日はもちろん私がやる。

彼女たちの休みを確保するための補助なので
慣れている私が来ることが一番いいと言って安堵していた。
他の人たちも(若い人たち)、人材がいないことで心配していたようだ。

会社に行ったときにEさんたちは忙しそうだったので
その間
テレビを観ていた。
先日のマンUの試合の再放送。
香川がちょうど交替する場面で
私は
「カーガーワーシンジー~」とドルトムント時代の香川の応援歌を歌ったら
若い子たちが
キャッキャッ喜んでいた。
「トモロッシさんの三大イケメンだよね、香川。何位?」

「1位は山P、2位はタケル君、3位は香川君だよ。」と言った。
つい2ヶ月前まで
そんなバカなことを言っていたのを覚えていたんだね。
若い子たちも
Eさんも
マネージャーも
皆、喜んで安堵していた。

というわけで
今度の日曜からまた
ついこの間までやっていた職場に行ってきます。
じゃ辞めなければよかったんじゃない?と言われそうですが
私の脳裏に
うちの庭の草ボウボウの姿が焼きついている。
辞めてから一心不乱に草取りをしたあの頃。

私が形を変えて戻るきっかけになったのは
Iさんの早期の離職。
私が辞める時点ではそれは想定外。
来年5月あたりに辞めるようなことを言っていたけれど
まさか半年も早めるなんて。
Iさんには彼女の言い分あり。
だが、彼女はあまりに敵を作りすぎた。
パワハラというのがそれかもしれない。
その彼女から
忘年会をしようとメールが来た。
今回の件を私もメールで伝えた。

明日あたりから
朝3時半の起床の練習だ。
そのために早めに寝ること。
今は4時30分に目覚ましを設定しているので
それより1時間早くに起きることにする。
うちを出るのは4時半。
冬は厳しい。
また、雪に自転車を滑らせながら出勤である。





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(11/11)会社のこと

2013年11月11日 11時24分00秒 | Weblog
あわただしい数日間だった。
3日続けて父に会った。
母の病院の付き添い、父の訪問、実家へ行く、の3回。
親に会う、というのは私にとって
あまりないことなのだが
母の病院の付き添いはいつも頼まれる。

その母
術後3ヶ月の検査で
更に疑わしい新たな影が見つかる。
その詳しい検査を来週にする。
もしも新たなガンであれば
また切る、ということになる。



それから
元の職場の上司から電話があった。
何度か携帯に電話があったようだがそれには出なかった。
金曜日の夜7時過ぎに固定電話の方が鳴る。
夫がまだ帰宅していなかったので
それの電話かと思い、受け取ったら
上司だった。副社長(のようなもの)。
女性である。
彼女は
私が辞めることになったとたん、廊下ですれ違っても
無視する態度を取っていた方で
がっかりした覚えがある。それをいつか書いた。
辞める当日に挨拶に行ったときに
初めて長く話したのだが
一方的に話すタイプで
人の話をじっくり聞こうとする人ではないなと思った。

その彼女が
気さくな仙台弁丸出し(これはこれで、あまりいい印象にならなかった)で
「戻ってきてほしい」ということを言う。
仙台弁では
「戻ってきたらいいっちゃ。」と言う。
年齢は私より少し若い。若々しい人だ。
もう2ヶ月も休んだのだから十分でしょ、戻ってきて。
Eさんを助けてちょうだい、とか何とか。
週に2日、3日でもいいからぜひ手伝ってほしい、と。
他の所に勤めるより、慣れたところのほうがいいでしょ、と。
「今、返事をしなければいけませんか。」と保留してもらう。

そして急遽
昨日Eさんと会うことになった。
そちら側はどうなっているのか、
Iさんが辞めたあとのことは会社としてどう考えているのか
(それは上司から説明があったけれど、私が戻ってくるという前提での構想)
しかし、Eさんにもほとんど説明をしていないとのこと。
彼女は新たにやってきた直属の上司には相談はしているけれど
人材がないことには先に進めないというわけで
困っているとのこと。

Eさん曰く
「あまり深く考えないでね、トモロッシさんの希望に沿うようにしてくれると
思うからよろしくね。」


あの
早朝からの出勤のことを考えると・・・

しかし週に2、3日だったらやれるかも・・・

と揺れる。



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(9/18)夫のおみやげは初音ミクだらけ

2013年09月18日 12時31分06秒 | Weblog
夫のおみやげ。
おみやげ、買ってこないと言っていたのだが
こんなに買ってきた。

初音ミクのストラップでも・・と言ったつもりが
まさかのこれ。
千歳空港で初音ミクの何かが売っているはずだから
1つぐらい記念に、と思って言ったのが、これ。
どうする・・・
私の周りにミク好きっていないよなあ・・・


というわけで
昨夜、帰宅。

全国的に台風だった連休、
北海道も雨模様だったらしく
美瑛の青い池には行かなくなったらしい。
雨が降ると、青い池も濁るので、キャンセル。
自然の所なので
トイレも何もないところらしい。

富良野や美瑛のレストハウスくらいに
絵葉書が置いていそうな気がするのだが
それは
旭川にいる妹に頼んでみよう。

帰ってくるのが一日遅れたことで
仕事に支障があり
仙台の空港に着いて、すぐ仕事先に向かったようだ。


旅行は可もなく不可もなく。
なんか、わかります、夫の性格。

私とは正反対だから。
あの人の最も嫌うのは

あてもなく歩くこと
あてもなく旅すること
夕日?なに、それおいしいの?
北国の空?寒くて見る気しない、って言いそうな人。

時間がもったいない、と言う人。

帰ってきて
いきなりあれやこれやとダメ出し。

私はポカ~ンとして聞いていた。
テンション高いよ、夫。
お疲れ様。

六花亭のお菓子を買ってきてくれたので
(なんやらかんやらと食べ物のおみやげも幾つか買ってきた)
それを持って
Iさんたちに会いに行ってこよう。
2日前に
Iさんからメールが届いたんだ。
お客様が愛媛から私たち3人娘におみやげを買ってきたので
来てくださいって。
彼女自ら
メールしてくるなんて初めてのこと。
積もる話もあるのでしょう。
六花亭のお菓子は彼女の好物なのでちょうどよい。
明日か明後日にでも。




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(9/14)夫は北海道へ

2013年09月14日 20時38分31秒 | Weblog
9月に入って2週間。
夫は
今日から2泊3日で、北海道へ。社員旅行です。
ベトナム組と北海道組に分かれての旅行。北海道の方が
参加人数が多いとのこと。

おみやげは買って来ないと言っていた。
私はせめて
「青い池」の絵葉書は買ってきて、と伝えた。
そこに立ち寄る予定。
食べ物のみやげも、あまり食指が動かない。
大好物の「よいとまけ」も仙台で売っているし。

帰仙する明後日は
台風が直撃する日。
その日は、仙台だけ強い雨のマーク。
台風に向かって飛行機が帰ってくるようなものなのだが
絶対、影響あるよね。
帰ってこられなくても(その方が安心)、会社の旅行だから
焦ることはない。
却って、強引に飛行機を飛ばされるほうが心配。
あちらに滞在中はほとんど雨のようである。


その夫の旅行前に言えなかった、例の件。
とうとう
2週間も不自然な休み方である。
ここ2、3日は
「明日も休み、明後日も休み」というような小細工はしなかった。
夫は追及せず。
おそらく、勘付いているのだろう。

夫と
日曜日毎に
被災地始め、どこかに出かけることが楽しみになっていた。
次はどこに行こうか、南にしようか、西にしようか、北にしようか、と
ネットで調べるのが楽しみだ。
来週は
ネコの缶詰を買いに行かなくてはならないので
近場の「サッポロビール園 名取工場」のジンギスカンが挙がっている。
でも
今日あたり、札幌で本場のジンギスカンを食べている。
2週もジンギスカンが続くと
面白みがないので、もう少し南下するかも。

先月は
私の職場での最後の月ということで
チーフのIさんが
私の休みを日曜日に入れてくれたおかげで
ほぼあちこちに出かけていた。



そのIさん。

昨日、夫の下着とかを買いにうちから20分くらいの大きなスーパーに
行ったのだが
その帰りにバッタリと、もう一人のEさんに会った。
職場のことを聞かされた。
Iさんはクタクタで、来月に辞めようと言っているらしい。
確定ではないが
来年の5月に辞める、と私に言っていたので
それまで身体的に持たないのだろう。
私の後にまだ正式な社員は入っていないとのこと。
上司も今月いっぱいで、別なところに行くことが決まったとのこと。
また雰囲気がガラリと変わるなあ。

今月中には、どっちみち一回顔を出さなければならないので
Iさんとコーヒーブレイク、煙草タイムですね。


2週間経って
庭の雑草取りはあと3分の1残すくらい。
予定では10日ごろに終わるつもりであったが
暑くて挫折。
今日も暑い、暑い。
ちょっと掃除をしただけで、汗が噴き出す。
明日は実家に行くことになっている。
父の友人(故人)の家族が来るのでその集まりに。
彼らの小さいときから知っている私。
何十年ぶりに顔を見ることだろう。
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(9/6)まだまだ終わらない。

2013年09月06日 22時15分45秒 | Weblog
今日も
無心に草取り。
仕事をしていた時とほぼ同時刻に起床。
あまり早く動き出すと、音がうるさいので
4時半ごろに家事をし出す。
今日はゴミの日で
大きなゴミ袋7つ出す。
3つは残して次回に。
6時半ごろから草取り開始。
南側のボウボウとしたのをおおざっぱにまず取る。
何ヶ月も庭に出ないから、人の通った道がもうない。
毎日のように
庭に出て、花を眺めたり、カエルを探したりすれば自ずから
雑草が踏まれた道ができるのだが
見事に庭に出ていない。
ササが増えていた。これは悩み。根が取れない。
こればかりは除草剤を使わなければならないかなあと思った。

西側に行くと
蔦が塀に沿って延び、コンクリートの地面、家の壁、北側の風呂釜まで
延びていた。
その模様は不気味だった。
写真に撮って、ここに載せようかと思ったが
ちょっとためらい。
いかに足を踏み入れていなかったかの証拠。
そして北側から東に抜けるドアを2年ぶりかに開ける。
前は
よく開けて、風を通し、空気の澱みに気をつけていたが
それさえも怠っていた2年だった。
草を刈れば、カエルたちが突如現れたりするのだが
この草ではカエルたちも逃げてしまったのだろう。
どこにもいなかった。


本当に自分は
この2年、家を顧みなかった。
仕事中心だった、と言えば聞こえはいいが
仕事で精一杯の生活、帰宅後は最低限の家事で終わりの2年。
夕刻になれば
もう寝る時刻のことを考えねばならない。

この長期の休暇(退職か)は
自分の身体のリセットの意味もあった。
足の指の爪が巻き爪のようになり、爪そのものが黒ずんでいる。
毎日、何千歩の早歩きのせいで、爪が正常に伸びなくなっていた。
指の間にはタコができ、爪にあたって痛い。
魚の目も何箇所かできている。
それらを少し戻したい。柔らかくしたい。
一週間近く、職場の靴を履かないでいるだけで、タコも柔らかくなった。

義母が気を遣って、お昼をご馳走してくれた。
(草取りは)もういいよ、と言われたが
私は
(このために仕事を辞めたんだ。家を顧みたかったから辞めたんだ。)と
自分に言い聞かせて、
仕事と同時間分、草取りに今集中している。

9月の夕刻の空。
懐かしい空の色になってきた。
それを眺めるのも久しぶりだ。
もう少ししたら
自転車で、町の中を散策だ。
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(9/5)草取りに終始。

2013年09月05日 17時27分02秒 | Weblog


草取り3日目。
まだまだ細かい雑草が残っているが
大きなものをまず始末。
ここは東側。
南側が残っている。

ハズカシイ~。
この奥と更に北西側がすごい。
一体何日かかるのだろう。
除草剤使え、と言われたが
カマキリやカエルたちに影響があるのではないかと思って、手作業。
蚊に刺されて、泥をかぶって、腰を痛めて、雨に濡れて、結構重労働ですね。
残っている小さな雑草が瞬く間に伸びるから、もっともっと取りたい。

地味にこんな日を続けています。

ネコたちのトイレ(新聞とシート)用の新聞が少なくなってきた。
これまで、会社からもらってきたけれど
もう頼めないね。
向かいの家にも協力してもらっているが、全然足りないのです。
そこで
思い切って
近くの新聞屋に行って
「古新聞を分けてください。」と言ってみた。料金がかかるならそれも言って。
倉庫にはたくさんの古新聞。
これはどうするのか、と聞くと「業者が取りにくる」とのこと。
分けてもらったが、思ったより少なかった。
うちの新聞を取ってくれれば、もっともっとやりますよ、なんて言われた。
でも今の新聞は、更新したばかりだからなあ。
あちこちの新聞屋に行ってみよう。


夫にまた
「いつまで休みなんだ?ずっとか?」みたいなことを聞かれる。
「うん、しばらくは・・・」と言った。
そんな会社あるか?と言われそうだった。
義母も、「あれ?今日も休み?」という表情。
追及はされなかったが、
先月の5日休みが効いているなあ、こういう連続休みもある、と。
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(9/3)3日目。そしてこれまで。

2013年09月03日 21時57分55秒 | Weblog
先月の初め、母の再手術のため、連続で5日間休みを取った。
今月に入って、その感覚で長期の休みになった、と思っている。
夫にそのようなことを伝える。
つまり、まだ、仕事をやめたことを伝えていないのである。
夫は9時前に寝た。

いつものように午後寝をしたのだが
仕事の夢を見てしまうね。
起き上がっても、今頃忙しいのだろうな、とか
残った2人がさぞ苦労しているだろうな、とか考えてしまう。
しかしまだ3日。そのくらいの長さの休みはよくIさんが取ったりしていたので
まだ序の口。

8月30日、金曜日。
気になっていた、上司への挨拶。
彼女は、私の退職を知ってから、態度が硬化した。
それはブログに書いた。
わだかまりはあったが、それでも最後の挨拶をしに行った。
落ち着いて話すことができ、たとえ私の直属の上司から、彼女への相談を禁止されていたにしても、やはり相談に来るべきでした、と伝えた。
そして彼女自身も、相談に来てほしかった、と言ってくれた。
円満退職ができた、と思っている。
翌日、最後の仕事。
相変わらず、忙しい。
忙しくて、考える暇もない、それぞれの部署への最後の挨拶の流れも掌握できない。
仕事中、他の部署から2人、わざわざ挨拶に来てくれた。
この2人は
ブログに書いていないが
5月の社員旅行のときに非常にお世話になった人たち。
このエピソードも書いていないくらい、時間がなかったんだ。
あとで紹介できればいいね。

そして
何よりも
いっしょに働いたIさん、Eさん。
彼女たちと最初で最後の外での食事。
私の食べたいもの、ということで
ピザを中心に。

2皿も注文した。その他にパスタ、ライスコロッケなど、量の多いものを注文して
3人とも、残すくらいに満腹になった。
2人にはひときわお世話になった。
私の
「一ヶ月は家のことをやりたい、自分のために時間を使いたい。」という言葉を
そのまま受け取って
「10月にはパートでもいいから絶対に戻ってきてね。遊びに来たときは
すぐに手伝ってね。」と言っていた。
Iさんは
「私も来年の5月にはやめるからね。トモロッシさんのように
自分のために時間を使うことにした。パートに切り替える。」と
言った。
皆、自分の時間、家庭を犠牲にして早朝から働いている。
特に、私たちの職場は、本部があるから(社長もその部下もいる)、
会議が多くて、それの準備等に私たちは本来の仕事プラスでサービス残業で
やってきた。息つく暇なし。
その不満も蓄積されている。
他のところだったらどれほど楽であろうか、とよく話していた。
それを我慢するか、我慢できなかったら辞めるか、という二者択一のようなもの。
私は後者を選んだ。

私は生来、のんびりした性格。
前の仕事(辞めて10数年、2007年に非常勤として4年間復帰)のときは
神経質なくらいによく動き、よくしゃべり、真面目に働いた。
若かったことと使命感と競争力とで、のんびりした性格を押して働いた。
Iさんを見ていると、昔の自分を見ているようだった。



少しずつ、家のことをやっていこう。
焦らずにね。
猫たちの相手も全然できていなかった。
今日は雨と曇りだったので、草取りに適した気温。
一日でできないほどに(腰痛も気になるし)、鬱蒼としています。
まだまだほんの一部。
あの雑草ぶりは
「貧乏暇無し」と言っているようなもの。まさにそれですけれど。
時間とお金があれば、素敵な庭、整然とするのでしょうが、
時間もお金もないので、生え放題。ごめんなさい。
これから少し、スッキリした庭になることでしょう。
カエルの通り道も塞いでいます。
カエルの様子も見なくなった自分。
昨夜久しぶりに出てみました。

あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃと焦って
何もやれなかった1ヶ月ではダメね。
今日、やったことをカレンダーに記入しています。
頑張りましょう、トモロッシ。
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(9/1)岩出山「もみじ野」へ。

2013年09月01日 20時58分21秒 | Weblog
暑い暑い9月の初め。
いや、夏の終わりに、最後の30℃越えかな。
今日は
県北の「宮床(みやとこ)」という所へ。
「原阿佐緒記念館」へ。

歌人、原阿佐緒の生家です。








明治、大正、昭和と恋に生きた女性です。
綺麗な方で、昔の女性らしくない、恋多き波乱万丈の人生。
この方は、私の卒業した大学の校章をデザインした美術家でもありました。
生家は洋風建築で、田園の中で当時は映えていたと思われます。
彼女の残した作品が展示され
石原純が利用していた机、椅子も展示されています。
石原純との恋愛についてはウィキなどで検索を。


夫と中華を食べるつもりだったのが
岩出山に行く過程で
「もみじ野」という有名な蕎麦屋があるということに気づき
急遽、そこへ。

仙台近郊の田園や別荘地を検索していて
いい物件だなあ、と思っていたところがちょうどその蕎麦屋の向かい辺りだったので
かねてから行きたいと思ったいた所。






囲炉裏の傍で食事。




夫が食べた、「岩魚の天麩羅蕎麦」が好評でした。
身が厚くて、「おいしい、おいしい」と言って食べていました。
1600円です。
ここに行って、正解だった。

そのあと、もう少し北上して
道の駅に行き、野菜などを買い、帰宅。



昨日は
3人で最初で最後の食事。
これについては長くなるかもしれないので
また後ほど。
もう寝る時刻。
この習慣はなかなかとれないでしょうね。

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(8/5)仕事を辞める

2013年08月05日 10時13分49秒 | Weblog
一ヶ月以上も書いていなかった。

仙台は
7月、寒い日、雨の日がずっと続いていた。
暑さが苦手な私には
仕事がしやすかった気温だった。

昨日は
大きな地震が来て、久しぶりに驚いた。
すっかりあの揺れを忘れていたので
大きく揺れ始めたときはオロオロするだけで何もできなかった、相変わらず。
ちょうど家にいたので
ネコたちは一目散にどこかに逃げ隠れてしまった。
大物は、ノリだけである。
携帯も揺れが収まったあとに、ビービー鳴り、
ネコたちの反応は、あの音=大きな地震、とすっかり定着している。


ブログを書かない間の出来事、大きなこと2つ。
1つは
母の再手術。
肝臓への転移。8月2日。
母のそれのため、私は8月1日から今日まで5日間休みを取った。
毎日病院通いである。
先生の説明では
今回の手術は前回よりも簡単で、内視鏡を使っての手術なので
大きくメスを入れない、とのことだった。
9時半に手術室に入ったので、午後4時には終わるであろうとのこと。
手術の中継を見ることになった。

ところがずっと中継を見ていても
4時になっても終わる気配がない。
5時過ぎに先生に呼ばれた。
癒着がひどすぎて、転移箇所になかなかたどり着けない、と言われた。
確かに、慎重に慎重にレーザーで切っている様子だったが
どれがガンなのかわからなかった。
やはり開腹して、大きく開いて切除することにする、と言われた。
母の麻酔、身体が心配だった。
そしてそれがこれから3時間かかる、と言う。
8時過ぎに終わり、ICUに移動して、先生の説明を聞いて
麻酔から覚めない母を残して
ともかく10時ごろそこを出て
ゴハンも食べていなかったのでスーパーで弁当を買って
家に着いたのが11時近かった。

翌日病院に行くと
母は目覚めていた。
長い手術に耐えた強い心臓だったね、と言った。
あとは回復力だね、と。
しかし
昨日は一転、発熱して、顔に赤い斑点ができ、脈拍も速くなっていた。
今日はどうだろうか。



次にもう1つ。
これがあるためにブログを書けなかったのが大きい。
前回のブログに
母の手術のことや介護のことを考えて
自分の体力を鑑みながら
このままハードな仕事を続けられるだろうか、と不安になったことを
書いた。
時間に追われる生活。
まだまだ人々がぐっすり寝ている時刻に起きて
早朝出勤して
そのまままた時間に追われての仕事、濃い仕事。
昼食も儘ならず(大分改善されてはいるけれど)、
昼休みも儘ならず(これも大分改善されているけれど)
濃いままに仕事を終えて
ぐったりして帰宅するだけでも精一杯の自分。
仕事上のやりとりのストレス、自分の耳がよく聞こえないことのストレス、
そこに
母の件がこの暑い夏に入ってくることの恐怖を感じた。
母の頭が正常ならば、少しは軽減されるが
先生の説明がさっぱりわからない彼女、単純な質問に答えられない彼女
(例えば、腹の古傷、卵巣の手術はいつごろしたのか、というのにも答えられない、
看護師さんの指示「Mさん、右手を出して」にもうろたえる母。)には
私がついていないと周りの作業を止めさせることが多々あり。
これからますますこういうことが多くなっていくだろうと。

もちろん
そんなこと誰でもやっていること、と言われればおしまい。
だが私は不器用。頭が不器用。
家庭のこともおろそか。

ほぼ決めた。
7月の末日で、仕事をやめることを。
8月は母に専念して、その間に家のことをやって、自分を取り戻したい、と。
雑草のボウボウとした庭を見て
「うちはお化け屋敷か。」と自虐してみる。
高齢の義母はもう庭仕事には手をつけていない。
それに義母の妹の危篤もあり義母は義母で80歳過ぎて毎日妹のところに
行っていた。(結局、7月末に死亡)
夫は
早朝5時半に出て、県外に行くこともあり。
身体をボロボロにして帰宅する。
私は私で、仕事を優先しなければならない日々。
皆、それぞれに負担がかかって、ギスギスした空気になっていた。
すれ違いの家になっていた。
会話のない生活になっていたから
義母に
私の母が再手術の件もあとから伝えた。
私に
義母の妹が亡くなったこともあとから伝えられた。
よって、通夜、告別式にも参列できなかった。昨日、漸く線香をあげに行った。


前回のブログの後
私は、チーフのIさんに
「今月いっぱいで辞める」と伝えた。

すぐ上の上司に翌週、母の件があるので今月いっぱいで辞めたい、と伝えると。
7月9日、それを上司に伝えるが
「ダメです、辞めないように。手術のときは休みをやりくりして、続けてください。」
と言われた。
IさんもEさんも私を説得する。
私はそれを聞いて、動揺する自分がいやだった。
説得力のあるIさんは力強かった。
特に仕事が忙しくなる8月。私の後任がすぐ決まればいいのだが
早朝の仕事開始のため、なかなか決まるのが難しいだろうと予測はされた。
辞めるな、せめて8月いっぱいは続けてくれ、
の攻防で、8月いっぱいは続けることにした。

7月31日付けの退職届けを破棄してもらい
8月31日付けのそれを再提出した。
それは受理された。

上司の更に上の上司は
こういうことには飛んでくるのだが
なぜか飛んでこなかった。
いつも廊下で会えば
「ごくろうさま」とニコニコして声をかけてくれるのだが
3回ほど会ったが
意識的に無視された。

すぐ上の上司は、更に上の上司にどのように伝えたのかわからないが
残念な空気になった。
しかし、それもいいや、退職金も出ない会社だ、その他不満はあったけれど
淡々とした気持ちで辞めていくことができる。

さて
そのことを夫に伝えていない。
そのまま1ヶ月ほど経つ。
もちろん会話はしているが
いつも
私は小言を言われ
それがよく聞こえない私は
「私に伝えているのか、独り言なのか。」と言う。
とてもこの空気の中
言える状態ではなかった。
夫は
たまにこのブログを見ている。
おそらくブログで先に知るかもしれない。

仕事について
毎日のようにこんな展開があった(大分はしょったが)。
それをおくびにも出さず
家で過ごす自分。
というか、会話らしきものがない。
それぞれ
時間に追われて、自分のことをしているうちに
就寝時刻である。
そんな生活を続けてきている。

とりあえず
ここに報告。
まだまだ書きたいことはたくさんあるのだが。
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(1/12)風邪を引いた

2013年01月12日 20時19分49秒 | Weblog
とうとう風邪を引いた。
ずっと、寒い寒いと言っていたが
風呂に入っても身体が温まらないような気がして
今日は
朝から
鼻水、クシャミ、寒気の初期症状です。

仕事でも大失敗をやらかすし
今日は
ちょっとダメな日ですね。

風邪、ひどくなりませんように。
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(10/30)夢の中のこどもはきっと私。

2012年10月30日 22時44分28秒 | Weblog
山Pの姿を見て
癒しになったのをあとに。

夕方、眠ってしまった。
夫が帰宅するまで寝ていた。
昨日は身体全身だるくてたまらなかった。
今日は休みで疲れを取る日であるが
朝は5時前に起床。
そして掃除やら洗濯やら。
午後寝をしないでいようと思ったが
眠さに勝てず。

寝ているときの夢。
クッキーを作っていた。
マーマレードをたっぷり入れて。
それを焼いて、友人に試食してもらっていた。
そのあとに、小さな子ども(誰の子かわからない)が
食べていたものを食い散らかして
畳の上にボロボロ吐いた。
それを見た私はその子を叱責。ちょっと押したら
その子は窓から傾斜のついた長い屋根からコロコロと
転げ落ちた。
あっと言う間だった。
あっと言うか言わないかのうちに屋根の端まで転がり
そのまま止まった。
私は急いで自分も屋根を伝ってその子を救おうとすると
その子は落ちる!と思ったら
ぶら下がった。間一髪。
その心境。
転がり落ちる、ぶら下がる、助かる。
私の今の心境かもしれない。
きっと、私は土壇場で助かるのだ。
今、転がって落ちそうだけれど、きっと助かるのだ、と
いつか見た夢と同じような状況に
今の自分を重ねている。

zooさんのブログが復活していた。
復活と言っても
新たな更新ではないが
一時
ブログが消えてしまったことがあった。
それがショックだった、と書いた。
今日
空しく押してみると
復活していた。
あれは私の勘違いだったのか。
それだったらそれで安心だ。
いつだって
オトメちゃんの成長の記録を眺めることができる。
そして
再びzooさんが復活する期待も残っている。


10月が終わる。
あれから一ヶ月か。
あれから、とは。
仕事をやめない、と決めたときから。
Iさんとの日々を書いていない。
あれから我々はどのように過ごしているのかを
近いうちに書こう。
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(7/13)停滞

2012年07月13日 21時31分59秒 | Weblog
どっちの方向を見ても
八方塞。

起因は自分である。
答えはわかっている。

自分しか解決できない。
その自分が全く役に立たないのである。
いっそのこと
投げてもいい、と思ってしまう。
でもそれもできないのが自分。

まとまらず。
自分に吐き気がする。
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(6/25)鳩が戻ってきた。

2012年06月25日 22時05分57秒 | Weblog
鳩が巣作りしていると
ずっと思っていた。
2週間ほど
同じところに1羽の鳩がいたので
てっきり巣作り、子育てに入るのだろう
これから楽しみだ、と思っていた。
もう1羽の鳩(雄?)がたまに飛んでくる。


急に2羽とも姿を消して
1週間ほど。
もう二度と現れないんだ、巣は壊されたんだ、
などとがっかりしていた。

初めから
子育て、ではなかったのか。
鳩の習性は知らないので
想像はあくまで想像。

ところが
今日
2羽、戻ってきていた。
活発に動く1羽の鳩と
座っている鳩。
あの2羽と同じなのかもわからない。
でもあの場所だったら
きっと同じかもしれない。

1羽は、小枝を口にくわえている。
あちこちに飛んでいっては戻ってくる。
そして
2羽並んで
毛づくろいをしていた。
仲が良い。
すごく仲が良い。
まさに比翼連理だ。


Eさんに
「鳩が戻ってきたよ!」と弾んで言う。
彼女は冷静に
「鳩は、気まぐれだからねえ。暇さえあれば巣作りしているよ。」と
鳩の薀蓄。
彼女の父親が
子供たちがまっすぐに育つようにと
なぜか鳩を飼って育てていたらしい。

「トモロッシさんて、ヘンなことに感激するのね。」とクール。
「だって、この鳩にとって、そこが安住の地かどうかわからないでしょ。
見つけた人間が、鳩の糞害を懸念して、巣を壊すかもしれないじゃない。
人間の胸一つなんだよね、生き物って。
鳩の嫌いな人は徹底して嫌いだよね。」と言った。

せっかく仲睦まじく寄り添っているのに
邪魔をするのも人間、じっと見守るのも人間。
この世は人間中心です。
だが、鳩には羽根がある。
そこがダメなら、別なところ、人間の邪魔の入らないところに
移動できるよね。
帰ってきたことによって
俄然張り切る私だ。
その後の仕事も苦にならなかったよ。


明日は
なぜか私がチーフになって仕事をすることになった。
Eさん、早くも息切れ。
「明日、トモロッシさんやってよ。」
「え?なんで急に?」
「練習だと思って、やって。」
「そんな、大義名分はいいからさ、疲れたんでないの?」
「いやいや、練習だと思って。」

という会話はなかなかIさんとはできない。
とうことで
明日、大きな仕事を任されました。
では寝ます。
コメント (2)
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