僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2020/1/4)私の正月が終わった。夫の病院、シンノスケの病院。

2020年01月04日 20時46分39秒 | 日常、仕事、認知症
私のお正月が終わった。
年末と1月1日が終われば、「自分の時間を自由に使おう。」と思って
楽しみにしていた3日間であるはずだった・・・


2日についてはブログに書いた。
次の日の過ごし方は、駅伝の後半を観て、ダラダラと過ごそう、
撮り貯めした「紅白歌合戦」や「相棒」などを観よう、となっていた。

しかし。
夫の風邪が良い方向に向かわず
「病院に行け。」「行かない。」とやりとりをしていたが、
とうとう自ら「病院に行く」と言ってきた。
しかし、まだ正月3日、近くの病院(義母の通院先)は閉まっている。
北にある、救急センターに行くことになった。
一応、「一人で行けるね。タクシーで行って。」と言ったのだが、
彼のことだから絶対一人では行けないのだ。
案の定、「一緒に行け。」と言ってくる。
具合が悪いから付き添ってくれ、という意味じゃない。
行き馴れていない所には一人で行けない人なのだ。
それでいながら、「マスクをして行ってね。」の私の指示に抵抗感のある人だ。
体温計も朝、計ってねという指示にも従わない。
熱は?と聞いても、計りもせず、「ない」と答える。
病院は列をなしていた。
咳をしている夫は、マスクをしたことがないからしたくない、という考え方。
しかし、渋々従って、最終的にマスクをしていって正解であった。
皆、マスクをしていた。
ホームページにも確か、マスク着用、とあったはずだ。
病院の検温で、37.6cあった。
私の怒りは、自分で朝検温して、熱があった、なかった、という正確なことを言わず
準備なしに行くことにある。

そこは応急処置的なものだから(薬はもらった)
「明日、近くの病院に行くといいよ。レントゲンとか撮ってもらえるから。」と私が言うと
やはり無返事であった。
私の指示に従いたくないのである。

結局、それで半日はつぶれた。
そして
自宅に戻ると
今度は、シンノスケが血をソファのカバーに吐いていた。
血の出処はどこだ、胃や肺などの内臓か、あるいは口内か。
口を開けてみると、上顎の内側が傷のような痕があった。
目を開けているときは、それを飲み込んでいたようだが
眠っていると、唾液と血が混じって流れてソファや自分の手足についたようだ。
食欲等あるので、緊急という様子ではなかった。
今日までほとんどの病院休みだし、ダイジローやトモが行った病院も明日からだ。
明日行こう。


明日、つまり、今日。
1月4日土曜日、私の正月の最終日。
午前1時過ぎに起きた。
今日のやることを頭の中で整理した。

夫には今日、個人病院に行くように言った。
私に言われると、イライラするようだ。
そしてまたまた案の定、
付き添ってくれ、と言う。
否、私はシンノスケの病院に行くし・・・
あなたのは、歩いて5分もかからない所だし・・・

行ったことのない所に一人で行くことができない人なんだ、と改めて思った。
大の大人が、病院に一人で行けないって、私の夫が当てはまるのかー。
本当に、親子揃って、指示に従わない人たちだ。
それでいながら、頼っているし。
私が苛立つのも、そんなに間違っていないと思う。

結局、3分歩いて行く。
病院で大人に付き添っているのは私だけだ。
あなたたち親子、小さい時からそうだったのでしょう。
小さい時は勿論付き添うのは当たり前だ。
「なんで、一人で行けないの?」
「いいから、一緒に行けって」ぐらいの返事しかない。
行けという命令だ。行ってくれ、というお願いじゃない。
義母もそうだ。
「ホントに、手のかかる親子だ」とため息をつく私だ。
絶対その辺は似ている。
プライドだけは高い、言葉に表れる。

本音を書けば
私にとって、一番心配なのは
ナナ、シンノスケ、トモですからね。

シンノスケの病院は午後に行った。
今日が新年開始の日なので、午後も混み始める。

今朝もシンノスケは
黒いもの(ほぼ、便になるようなものが逆流して)を吐いた。
排便もスムーズじゃない。
ノミの件もあるし。
それらを言って処置をしてもらう。
先生も、忙しすぎて、きちんと診察してくれたかどうか・・・ちょっと疑問である。
それはまた後程。

数時間ぶりに戻ってきたら
シンノスケ、食べる、食べる。
食欲が戻ってきてよかった。
取り敢えず安心材料である。

そして、動画のチェックをしながら、夕飯支度。
正月材料の残ったもので、夫の胃に負担にならないものを。

そういえば、昨日、義母の90歳の誕生日だったのだが
夫の病院の件でそれどころではなかった。
隣の家に、ケーキを持って義母と2人で訪問予定にしていたのだが
夫の病院から帰宅後、
ケーキも買いに行けなかったので、後日改めてゆったりと過ごすことを報告しに。

義母は
自分の誕生日のことも忘れているし
「あなたの息子が29日以来風邪で臥せっている。」と言ってもピンと来ていない。
もっと正常な時ならば、世の中で一番心配しているのは母親の私だ、とアピールする行動に出たのに。



というわけで
病院、病院、病院の私の正月でした。
明日からまた仕事です。
御利益のない正月。
でも、ご利益って何だろう。




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(2020/1/2)今日が私のお正月。

2020年01月02日 23時07分16秒 | 日常、仕事、認知症
あけましておめでとうございます。
1月2日、私の正月です。
昨日1日は仕事初めというよりは、2019年の仕事納めみたいなものです。
今日から3日間正月休みです。
こういうサービス業は、年末年始も忙しく、あまり仕事納めの感なし。
悪く言えば、ダラダラと続く仕事。
メリハリなし。
週の休みも一定していないし、土日の「休み感」もない。


この時刻(午後11時過ぎ)に起きているのは何年ぶりだろう。
普段は、9時前には就寝している。
休みの日でもその習慣は変わらず、朝もゆったりと寝ていることはない。
生活のリズムは崩したくないので、休みの日でもいつも通り、3時ごろ起きるようにしている。
今朝も4時前に起きて、年賀状を書き、6時ごろに投函してきた。
この辺りの時間の刻みはほぼいつもと同じである。
まだ陽が昇っていない時刻に、郵便ポストに向かう途中
「あけましておめでとう」と人のいない道に心でつぶやく。
それから家事をして、ひっさしぶりに「箱根駅伝」を観始める。
こんなに落ち着いて観るのも何年ぶりだろう。
そもそも、テレビを何時間もリアルタイムで観るという習慣を持たなくなって数年。
ドラマなど、全部録画して観ているから、こうして駅伝を最初から最後まで(とは言っても、うたた寝して、1位のチームが
ゴールしたのは見逃しているが)観たのは忘れていた感覚だ。
そしてその後、年末の疲れを取るように、眠ってしまった。
目覚めたのは夕方6時。時計を見て、一瞬「朝の6時」かと思ったがそうではなかった。
更に眠った。身体が起きたのは8時頃である。
疲れを取った、という気持ちで起き、猫たちに遅い夕食をやる。
それから洗濯をする。
ずっとエアコンを点けっぱなしで空気が乾燥しているから、部屋干しである。
今は、猫たちの敷物などを洗濯中。
明朝は義母の着た物などを洗濯。私達のと一緒に洗濯はしない。

たっぷり寝た感を維持して
こうしてブログに向かう自分である。
更新するときは、日を跨ぐかもしれない。

2020年の初日は仕事で始まった。
一緒に仕事をする人たちに新年の挨拶をして(前日は、仕事納めの挨拶をしている)、
「今日はどうしても早く帰る。」と前もって宣言しておき、忙しく立ち働いた。
今日のメインは
実家に行くことだ。
ただ訪問すればいい、というわけじゃない。
知人家族も集合するので、正月料理を前日から用意しておき、朝3時過ぎに、炊き込みご飯のスイッチを入れ
出勤していた。
それらをお重にセッティングする。
姑の着替えも時間がかかるのでそれをしながら料理の準備をする。
姑には、何日も前から、1日は私の実家に行くよ、私の母に線香を上げに行くよ、と言ってきたが
案の定忘れているので、何度も言い聞かせる。
そのたびに「え!?お母さん、死んだの?」の返事だ。
「2年前に死んだでしょ、あなたも葬式に参列したでしょ、墓参りもしたでしょ。」と同じ答えのパターン。
それを出かける前に、何回も繰り返して、頭の中に「実家に行く」を植え付けていくが、
10分後には忘れる、というのもいつものこと。
重い荷物の点検、5個だ、と自分に言い聞かせ(私はよく忘れる)、2人でタクシーで向かう。
タクシーの中でも、「今からどこに行くの?」と学習。答えは分からない。
しかし、会話の中で、「この辺は、私の〇〇小学校があった辺りなの。」と昔のことを言った。
小学校の名前も正確に覚えていた。
「お義母さんは、昔のことは覚えているんだね。」
「そうなの。よく、実家(石巻方面)に遊びに行ったんだよ。」と
彼女の頭の中に、記憶として残っているものが自然に引き出された。
今のことは分からなくとも、こうして残っているものが存在することはよいことだ。
「明後日は何の日?」
そもそも、今日は正月1日ということを何度も植え付け、そこから明後日は何の日、ということを類推させることは
以前からあったこと。
そう明後日(今日から見たら、明日のこと)は義母の誕生日なのだ。
以前なら、自ら、「1月3日は私の誕生日だ。」と言っていたのだが。
もう、自分の誕生日すら、幾つになることすら忘れている。
それを悲しい、と思うのは周囲のみ。本人は忘れていることの悲しみの感覚はなし。
それはそれで、神様のくれた「認知症の悲しみの削除」かもしれない。
ただし、「認知症の怒りの削除」はない。それなりにプライドを持って、私の怒りに対抗するのだ。
それが無くなれば、完全に呆けて(ほうけて)しまう表情になる。
私の母のあの時のように。

そんな会話をしているうちに実家に辿り着く。
ちょうど知人家族もやってきた。
1年ぶりの再会である。
牛タンもごっそり買ってきたので、私は専らそれを焼いていた。
牛タンは夏に父に食べさせたところ、好きになり、自分で買い物をしたときに買ったりしているとのこと。
どのようにすれば美味しく食べられるのか、と父が聞いた夏。
炭火とかないので、家庭ではフライパンでコショーを掛けて焼き、食べるときに七味を掛けて食べると美味しいよ、と言っておいた。

実家の隣にお年始の品を持ち、挨拶に。
父を救急病院に連れていってくれたり、何かと世話になっている。
私がこうして実家にあまり行かない分、父は隣の方を頼りにしている。
ところで、
私の従兄の甥夫婦はどうしたのだろう。
以前は、近くに住む彼らがよく父のことを面倒みてくれていたのだが。
たまたま会わなかったのかもしれない。
それに息子が受験、というのもあるしね。

義母は、皆にチヤホヤされて、上機嫌。
歩くときも支えられて、手をひかれる。
私は、「手足が動く限り、自分で歩けー」という方なので
さぞや嬉しかろう。
皆の手前、あまり厳しく言うのも、せっかく支えてくれる人に申し訳ないので、自粛。
手足が動くイコール自分でできる限り歩く、が私の考え。
時間がかかろうと、何かにつかまって歩く(杖は持っているものの、文字通り、「持ってしまう」)のを
学習することが、歩くことのリハビリだと思っている。
杖の使い方も堂に入っていない。
大体、家の中で、ヨチヨチでも、自分の好きなように歩いているし、トイレにも行けているのだ。
甘えさせは、老人には、自分で模索するという頭の学習にも良くない、リハビリにも支障、という考え方だ。

そのうち自分にも訪れるであろう認知症。
私には子供もいない、兄弟もいない、いずれ一人になるかもしれない、あるいは夫もそれと同じ。
今働いていることは
ほぼ肉体労働に近いので、足腰の動きは何とかやれるであろう。
問題は頭の方だ。
まず言葉が出なくなった。語彙不足は元からであるが、何でもない言葉もよく出てこなくなった。
そして文字も書けなくなった。書く文字もへたくそになった。
これは情けない、と思った。
こうして、ブログ等で文字を打つことは、文字を頭に浮かべることを停滞させているような気がする。
難しい漢字ならともかく、簡単な文字も「あれ?」と言いながら、メモ用紙に試し書きである。
これが文字を書かなくなったら、ますます文字を忘れていく、ということになる。
だから、メモをなるべく取るようにしている。年賀状も手書きだ。
おそらく、義母は文字を書くことをしないから、もう忘れているだろう。
自分の名前を書けるかどうか。
60代のころから、書類を書くにも、もう面倒くさがって、私に依頼していたから
今じゃ、何が書けるだろう。
私自身がそうならないためにも、義母のこれまでの在り方はある意味、反面教師なのである。
父は逆に、毎日日記をつけ、家計簿をつけている。父の細かいところも本当は習わねばならないところでもある。

残ったものを折詰にして知人たちに持たせて散会する。
自宅に送られてまたの再会を約束する。



さてさて、ここに登場しない人物。
夫。
夫は12月28日に仕事納めの日に、会社の忘年会で例年近郊の温泉に一泊。
翌29日には朝8時ごろ自宅に帰ると言っていた。私は仕事なのでその時刻はいない。
当初の予定として1月5日までの長い休み中にあれこれとする計画を立てていた。
しかし、帰宅していた時に咳をしていた。
風邪らしい。
私は、風邪なんて引いてられない年末年始なので、なるべく夫に近づかないようにした。
夫は幸い仕事が休みだから、1年の仕事疲れもあることだし残りの年末の数日間、ずっと休んでいた。
そして1日の実家に行くことに備えたと思うのであるが
どうも体調が不調で、今日現在も臥せっている。
今朝少し良くなったらしいので、午前から風呂に入ったり、お雑煮を作ると途中までよかったが
やっぱり具合が悪い、とまた寝込んでしまった。
寝込んで5日である。
風邪か?それとももっと別な・・・と言ってみたが、彼の頑固さは姑譲りなのか、具合悪い症状の具体的なことは言わず
ただ「具合悪い」のみ。
病院に行け、と言っても、今のところ気配なし。

そして我が家の猫たち。
今年は
ナナ、22歳
シンノスケ、17歳
トモ、14歳
になる。
いずれも高齢である。
我が家、姑、夫、私、猫たち、高齢者ばかりである。
そんな中、
私が今のところ元気に正月を迎えたことが幸いである。
自分が要、と思っている。












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