僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(4/23)夜中に地震で目が覚める

2011年04月23日 03時16分40秒 | 東日本大震災

数日前の桜

夜中に起きてしまった。
強い地震で目が覚めた。
前日の夜は8時過ぎに寝たので、4時間ほどの睡眠で
すっかり身体が目覚めてしまった。
しかたない、このまま眠るより
起きるしかない。
まもなく、携帯の3時の目覚ましがなる。

こんな起き方をしたら、身体を壊すぞと夫に言われた。
確かに。
でも、寝たい、と思う時刻にすぐに寝られるからいいんだ。
前の仕事なら、夜にも勉強しなければならず、眠いときに寝る、という
ことが儘ならなかった。

天候が不順である。相変わらずの、冬スタイルで私は出勤する。
雨が続くようだ。公園の桜が曇天の空をバックにして寂しそうだ。
せっかくの満開の桜は青空の下で見たいものだ。
数日前の青空が恋しい。


苫小牧の中学時代の人たちとの掲示板があるのだが
もう、すっかりあちらでは
この震災の報道も少なくなっているようだ。
おそらく、向こうの感覚では
東北の被害も落ち着き、復興まっしぐらと思っているに違いない。
しかし現実は遠い。
確かに、街の中は人が溢れて、車も溢れて、活気が取り戻せてきたような
気がするが
震災を機に閉業するところがたくさんあり、いろいろと深刻な状態が残っている。
沿岸の町々が津波にやられ、復興する際、再びここで立ち直れるのか
またはすっかり町ごと移転して、高台のほうで再建するのか
いろんな場所で、いろんな問題が山積している。
忘れられた町もあろう。話題にも上らない町もあろう。
でもそこに人が住んでいた限り、それなりの問題が必ずあるのだ。
ローカルのニュースでは、粘り強くそれらを報道してほしい。
私は今テレビを全く観ていない。
好きなドラマも今回は何をやっているのかわからない。
仁だけは観ようと思っている。
バラエティも観ていない。
かと言って、何か震災に関しての番組をやったにしても
熱心に観ていない。
6時過ぎのローカルだけは、夕食に合わせて観ている。


仕事を始めて2週間。
同じ8時間労働でも、時間がずれるだけでも、かなり疲労度や家事の進捗具合が
違ってくる。
家事がなかなかできない。
震災のままの部屋に入ると、良心が痛む。片付けなければ、と思いつつも
これを片付けるには、気力が必要、今はその気力なし、とそそくさと部屋を
出てしまう。
仕事場ではあんなに完璧に近いほど掃除を徹底してやるのに
家では、皆無。
休み無しの8日勤務はつらいね。
もっともっと大変な労働時間、勤務の人が世の中たくさんいると思う、
でもこの私にはまだまだ慣れていない。
只管、家にて寝ることだけを優先している生活である。

これから、パンを食べて職場に向かう。
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(4/21)桜の花の散る時機はある

2011年04月21日 20時13分31秒 | 東日本大震災

また職場の帰りに、この公園に寄ってみた。

先日、美しい桜の木に誘われたと書いたが
あのあと、温度が急激に下がり、風が強くなり、みぞれまで降った日が続いた。
この風で、桜の花びらは散っただろうか、と心配していた。
しかし
今日行ってみるとまだ咲いていた。
どんなに強い風が吹こうと、花びらと枝と幹と一心同体だった。
そして時機が来て、無風であっても花びらはハラハラと散っていくのだ。

この公園で、のんびりと一人過ごしてみた。
鳩がいて、桜を写真に撮る人がいて、本を読む人がいて、躍りの練習をしている人がいて、穏やかな時間が流れていた。
とても、震災があったとは思われない、優しい時間だった。
おそらく、私はこれからも職場の帰りに
こうしてこの公園を訪れることを予測している。

元の職場の人から電話があった。
仕事が明日から始まるとのこと。
例年とは違う始まり。いつもなら、私の誕生日あたりに
始まるのに、この変則的な日々。
全て、震災の影響である。
私の隣の席の人であるが、なぜか
山P仲間の人とで、私の話になったらしい。

私が新しい仕事に就いたことを山P仲間に話していない。
隣の席の人に先日話したばかりだった。
自分の今の生活のペースに乗るのに精一杯なので
親しくしていた人やお世話になった人たちにさっぱり
挨拶をしていない。
もう少し、待って欲しい。
きちんとお知らせするので。
でも、前に言っていたんだ。
「私の消息はブログで見てね。」と。
その通り、ブログを見ていてくれているらしい。
しかし、ブログを見ても、どんな仕事か書いていない。


昨日、家にて、階段から滑り落ちた。
左脚の内出血が痛々しい。
熱を持っている。
滑るスリッパで、投げ捨てた。
今、怪我もしたくない、余計な心配はしたくない。

寒くて、まだ朝は冬スタイルで出勤している。
手袋、帽子、防寒具、懐中電灯、マフラー、日中に帰るときは
さすがにそれらははずしている。
しかし、まだまだ朝の気温は油断できない。
風邪も大敵。
頑張れ、トモロッシ。
元同僚と、「お互いに頑張りましょう。」と激励し合って電話を終える。
いつまでも、友だちだ、職場が違っても。
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(4/18)いろいろと。あっと言う間に一日過ぎる。

2011年04月18日 20時08分47秒 | 東日本大震災
今日は私の休日。
携帯の目覚ましは止めておいて
自然に目を覚ましたのが6時過ぎ。
昨日、ドラマを観てから寝たので、必要な睡眠時間を
これぐらい取れればいいのか、と思って起きた。
洗濯をして
ネコのペットシーツを買いに行かねばならないので
自転車で出かけた。
大手のスーパーに売っているのだが
そこは2回目の4月7日の地震で、また徹底して営業不能、延期を強いられたところだ。
この2回目の地震で、ずいぶんととどめを刺された会社やビルなどが
多かった。

そのスーパーは店頭販売しかしていなかった。再開するのはもう少し先のようだ。
ペットシーツが売っていたことは幸いだった。
ここのが一番割安なんだ。
それを持って、他のスーパーに肉などを買いに行った。
ペットシーツを持ったままだったので、レジのところで
「それもですか。」と聞かれた。
「これは○○で買ったものです。」と言った。
聞かれると思っていたんだ。大きなもの(200枚入り)だったので
袋に入らないもの。
レジの人はジロジロとそのシーツを見ていた。あとで点検するつもりなのだろう。
何しろ、それはそこのスーパーには売っていない。
最初のスーパーのオリジナルだから。
そのうちわかって、「ああ、○○と書いていますものね。」と言われた。
私は何も答えなかった。
答えるとしたら、何て答える?
ニコニコするのもヘンだった。

そして家に帰って、お昼はパンを食べ、寝た。
少し寝ればいいと思っていたけれど
疲れていたんだなあ、目が覚めたら5時近く。
足や足の裏にまで湿布薬を貼っている。
疲れたら寝よう、これに徹する。
食事もあまり進まない。相変わらずだ。
あるもので食べた。
肉は明日にしよう。義母が食べたがっていたので。
ゴミ袋が全く手に入らない。
乾電池が手に入りにくいというのと同時に
ゴミ袋がない。
どこも品切れだ。
10枚入りで450円なので、2セット買えば、1000円近くもするものだ。
皆、それを買い溜めしているのだろうか。

家の中の片付けもできていないなあ。
割れた食器がそのままになっているところあり。
私の部屋も恐ろしくて、長く滞在できないんだ。
またいつ、来るかと思うとね。

明日から8日間仕事。頑張れ、私。
ちゃんと何でもいいから口にせよ。
朝、出かける前のパンは確保。
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(4/17)桜咲いて、祈りを捧ぐ。

2011年04月17日 20時04分20秒 | 東日本大震災


仕事の帰りに、小さな公園に寄った。
桜並木が私を誘っていた。
ちょっと、見て行きなよ、青空の下で、休日に見るなんて最高だぜ、
なんて言われている気がして。



ここにいた人たちは毎年、見に来るのだろうか。
もっともっとたくさん咲いている大きな公園があるし、名所があるのに
ここに、たくさん人がいた。
今年の桜は特別な気がした。
いつもなら、そんなに気に留めずやり過ごしていく私なのに
今年はどうしても桜を見たい、と思った。
どんなに地が騒ごうと、暴れようと
平常心を持って、桜は暖かい日に開花した。
これを人々は求めていた。
堂々と、いつもの春と同じく咲いている桜を見て
人々は不安を払拭した。
そして、祈った。
私も祈った。
自然の怒りを、自然が鎮めてほしいように、
来年もまた見られるように、
人々が安らぐように、元気になるように、
いろんな祈りを込めた。

仕事を始めて
一週間が過ぎた。
大分慣れてきた私だ。
しかし
早朝の起床にはいつも神経を使う。
結局今朝の起床は
定刻より早い2時起床になってしまった。
定刻までぐっすり寝たい、一度目が醒めてしまえば
二度寝の危険を知っているので
そのまま起きてしまう。
すると、後に支障を来たしてしまう。
疲れがどっと出る。
これがちょっと悩みだ。

午後の1時半に帰宅するのだが
そのあと、少し寝ることにしている。
あまり寝てしまうと夜が寝られなくなるから
疲れを取る意味で寝るようにする。
ほとんど家のことができなくなってしまう。

まだまだ
この生活のリズムに乗れていない。

それから食事もそうだ。
自分のイメージとして
早朝起きたら、少しパンやおにぎりを食べて
腹ごしらえしてから出勤のつもりでいたが
それができるときと、食事を受け付けないときがある。
何も食べないで出勤して
お昼まで、口にするのは冷たい水だけ。
そしてお昼にようやく
持って行った食パンにチーズを載せて食べる。
それが朝食昼食の食糧である。
家に帰ってから甘いものを口にして
夕方、何か作って食べるのだが
それも大して食欲湧かず。
今日なんか
義母があれこれ買ってきたのだが
ほとんど口にできなかった。
栄養が偏ってしまうね。
少しおなかの肉が減ったような。
でもそれが続くと、やはりまずいなと思う。
おいしい、と思って食事をすることがないというのは困る。

明日、休み。
脚の疲れを取りたいが・・・
そのあと一週間以上続けて働くことになる。
休みの取り方も一考。
身体が続かなくなるよ。

これから
ドラマ「仁」を観るんだ。
明日が休みでなければ、きっと観られないだろう。
寝ることが優先だから。

まだまだ変則的な生活が続く。
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(4/14)Scorpions - Still Loving You

2011年04月14日 20時52分25秒 | 名曲
Scorpions - Still Loving You


少し前に
携帯の、緊急地震警報の音が鳴った。
うちのネコたちは
この音に敏感で、
鳴ると、寝ていたのが一斉に逃げ出す。
もう、この音が地震を知らせる音と認知している。
家では、他にも大きな音があるのに
揺れてから逃げるのではなく
この音で、隠れるのだ。
動物って、ちゃんとわかっているよね。
この音のあとに、揺れが来るということを身体で覚えていた。
人間もそうだけれど、私の愛しいネコたちもわかっているんだ。
皆さんの家のネコさんや犬さんはどうでしょう。


さて
今日は夫と久しぶりに
オーディオで音楽を聴いた。
何ヶ月ぶりだろう、私。
夫は、先日の地震後のCD片付けから、毎日のように
また聴いている。
音楽を聴ける心の余裕が出てきたということだろうか。

私の大好きなシンリジイやJガイルズバンドを聴いた。
今日の動画は懐かしい音を。
私、スコーピオンズとかホワイトスネイクとかあまり好きじゃないんですよね。
夫は、この辺のことを話させたら止まらない人。
私は敬遠しているから、よくわからない。
でも、この曲は好き。
この高音の美しい声を聴いてほしい。切ない音。
こういう曲、今あまりないね。
だから70~80年代の曲は好きだなあ。

レコードとして持っているパブロクルーズのCDがない。
そこでyou tubeで探すと、お奨めしたい動画が存在しなかった。
LIFE LINEという曲なんですけどね、ボーカルが入っていないからかな。
また長々と待とうと思う、UPされるのを。



今日は忙しい仕事でした。
疲れて疲れて、脚が棒になっている。
今も生あくびが出る。
明日は休みなので、少し遅く起きようと思う。
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(4/13)今日はたくさんの優しさを受ける

2011年04月13日 20時30分25秒 | 東日本大震災
あれよあれよと
寝る時刻が迫っている。
午後に帰宅して
布団の中で眠ってしまい
ぐっすり寝たような気がする。
夕飯を食べて
包丁を研いで、うちにある使わない包丁を
明日職場に持っていこうと思う。

そのあと
秋田の友人に電話する。
お昼ごろ
職場にいたときに電話が来たので
その折り返しの電話である。

今日は
その友人の電話を始め
2通の手紙が届いていた。

一つは
元の職場の若い子から。
地震当日、地震になる直前にちょうど彼女に
私への贈り物のお返しをして以来だった。
当日から今までの様子を書いての近況報告。
なかなか時間が取れないので返事を書くのが遅れそうだ。

もう一つは
友人であるジャスさんから
誕生日のプレゼントが届いた。
私が汗かきだから
キティのタオルハンカチをたくさん送ってくれた。
ありがとう。
すごく嬉しい。
これから大事に使います。重宝します。

そして
秋田の友人。
苫小牧の中学の同級生である。
彼女の娘さんが仙台で就職していて
(4月から神戸に)、地震当日には関西の方に娘さんがいたため
被災しなかったが
住んでいた所がどうなっているのかわからず、
その荷物を引き上げに
15日に仙台に来ることになった。
ちょうど当日、私の休みの日。
彼女は、秋田の米を届けてくれるとのこと。
ありがたいな。
こちらの家庭の事情を話した。


今日のニュースでは
仙台空港が一部開通し
小さな一歩を踏み込んだことをやっていた。
少しずつ、少しずつ復興の兆し。

暖かかったせいか
公園の桜が少し開いていた。
遠目で見て、和む。
自然よ、地に繋がる自然よ
君たちはいつものように
落ち着いて規則正しく生きているね。
それが、人間に安らぎを与えてくれるんだね。
今年の桜を見て、ああ春が来た、今年も生きることができた
と思えることが、根本なんだよね。
一つ一つのことを慈しむ心を忘れていたなあ。
来年があると思ってはいけない。
一日一日を大切に生きなくては、と思わせる日々の全てである。
だから、優しさをいつも募らせよう。
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(4/12)今日は涙もろい

2011年04月12日 20時03分42秒 | 東日本大震災
今日は
いろんな話題に涙ぐんでいます。
涙もろくなっている。
心が弱っているね。

昨日の夜、5分置きの余震にすっかり不安になってしまって
誰かの声が聞きたかった。
先月やめた職場の、私の隣の席の人に電話した。
自分が再就職できたこと、元職場はどうなっているかの話をした。
すると
彼女は、新しい情報として
かつて私が専門職だったときにお世話になった先輩同僚が
この津波で亡くなったと聞かされた。
絶句した・・・
具体的な名前が出ての死亡、衝撃だった。
こんなにもこんなにも人の命って、生と死隣り合わせだって、
人生ってはかないって
なんとも言葉が出なかった・・・

お互い、激励の電話のはずが暗い気持ちで切った。


ブログ仲間のしゃちさんのところにいたネコが
昨年だったか、行方不明になった。
病気で、病院に連れていったりしていたが
姿が見えなくなって
おそらくどこかで死んだのだろうと、思ってはみても
なかなかあきらめきれないし
自分がきちんと管理できなかったことに自責の念だろうし(私にもその体験はあった)
そうこうして1年ほど。
この地震で、偶然、ある人との話になり
そのネコの最期を看取った人の話を聞かされた。
彼の心で、ようやく決着がついた。
この世にそのネコはいないけれど
可愛がられてこの世を去った、手を尽くされて去ったと知り
彼は安堵しただろう。
それも泣けた。
彼の心を忖度して泣けた。


夕方のローカルニュースで

オマーンという中東の国が、原発で苦しんでいる南相馬市のある企業に
浄水器を26億円分の発注したとやっていた。
急な話ではなく、この地震前の昨年末に、既に浄水器がオマーンで活躍しており
震災の支援を兼ねた大きな受注だという。
オマーンでどれほどその浄水器が活躍しているかの映像があった。
水、貴重な水。汚水を浄化して飲み水や農業水になり、人々が喜んでいる姿。
日本のこういう企業の姿勢が
中東などの国で認めてもらえているんだ。
津波で家を失った従業員を呼び寄せ、地震で仕事を失った人を雇用し
原発で絶望している空気が一転して、がんばろうと再起しようとしている。

いつもの私なら
手を叩いて喜んでいるかもしれない。
しかし、弱っている心を持つ今は
ありがたい・・・と、なぜか泣けてくる。
風評被害や、日本というだけで、他国では郵便物まで受け取り拒否しているところもある。
それなのに、こんな形で支援してくれる国もある。
元気になるじゃないか、その企業の人たち、地元の人たち。
たとえ、そこで製造できなくても、作る人はいるんだ、どこがで再建して
オマーンの支援を受け止めてほしい。
こんな素敵な支援があるなんて。
義捐金もさることながら、こういう形で支援をしてくれることの強さもあるのだと
本当に、聡明な支援の仕方である。

今日の政府の発表を受けて
どれほどショックを受け、怒りに満ちたことか。
いろんな疑問がある。
そもそも
避難しろ、というが
何十年も避難しろ、ということか。
それは避難という言葉を使うのは間違っているのでは。
1ヶ月避難して、戻って来られるのならまだわかる。
一時避難して、自分の家に戻ってこられるなら渋々納得できるかもしれない。
しかし原発のレベル7の事故って
収束するのに、そんなものじゃないでしょうに。
土地を放棄しろ、と言うなら寧ろその方が現実味がある。
放棄するなら、そこを政府や東電が買い取ってくれるのが当然。
土地も家も家財も仕事も財産である。
もしも
100キロ圏内の仙台にも、避難しろと言われるなら
私はそれらの疑問を提示したい。
買い取れ、と言いたい。
日本のあちこちに避難者を放浪させて、お金もなく、家もなく
どうしろと言うのだ。
一時的な仮設住宅を建てても(これは地震被災者対象ではあるが)
何の解決方法にもならない。
一体、どうなっていくのか、日本。
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(4/11)落ち着かない、落ち着かない

2011年04月11日 19時34分45秒 | 東日本大震災
何だか
ずっしりと心が重い。
ずっと
余震(余震なのか、これ。)続きで
具合が悪くなった。
ごはんどころじゃなかったね。
食欲がなくなると
何を食べても味がない。
食べていられない、いろいろと
地震に備えて準備しなくちゃ、なんて思ったりね。
雨が
冷たい。

5,6分置きに地震が来ているね。
そのたびに心臓がぐちゃぐちゃして
具合が悪くなった。

本震から1ヶ月目の今日。
また強い地震が来た。
地震そのものが終わっていない。
こんなに長く
不安を募らせる地震はあったろうか。
1978年の宮城県沖地震のときはどうだったろうか。
何も、過去の教訓を思い出せない。

携帯の地震警報の音が
点けているストーブを早めに消せることがありがたいが
それは強い地震が来る、という予報でもある。
ネコたちも
すっかり今日の夕食の食欲を無くしている。

命だけは助かろう、助かってよかった
という思いはあるけれど
ミシッと来る音に
命が削られるようだ。

原発も不安。
仙台は大丈夫だろうか、
これ以上もっとひどくなったら
自分たちもどこかに避難しなければならないのか
とか
ネコたちをどう車に積み込むか
とか
そんなことを考えてばかりいる。


あと1時間くらいで
就寝の私である。
昨夜も余震で
目が覚めて以来
起きて、そのまま定刻に出勤した。
睡眠不足と疲れが心配だ。
寝られるときは寝ておきたい。

こんな内容でごめんなさい。
疲れてしまった・・・
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(4/11)睡眠時間、試行錯誤

2011年04月11日 03時24分11秒 | Weblog
夜中1時半に目が覚める。
夢うつつに、余震があったような気がする。
3時まで寝たいが
2時すぎに起きることにした。
しっかりと睡眠を取りたいのに。

この3日間
義母と険悪な空気。

今からおにぎりを食べようと思う。
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(4/9)山Pと私の誕生日、おめでとう

2011年04月09日 22時43分23秒 | 山P

    トモが私に遊んでと、催促します。

今日は
山Pと私の誕生日。
おめでとう。
いやあ、すっかり山Pも青年だね。
私、山Pの年齢に結婚(とは言っても、27歳寸前の式だったけれど)を
したので、山Pもそんなお年頃なのね。
私は
あれから○○年経つので、
自分の誕生日がそれほど嬉しいとは思っていない。
ただ
ファンである山Pと同じということが嬉しいだけ。

特別、誕生日のために
ケーキとかお祝いとか
そんな企画なし。
その心の余裕がない。
明日、単一の乾電池買えるかな、と心配するような生活である、今。
ガスボンベも少なくなってきたので、どこかで購入しなければならない、とか。



仕事2日目。
今朝の起床、4時。
3時に目覚ましが鳴る。
起きようとは思うがウツラウツラ。
3時半に携帯の目覚ましが鳴る。
ああ、起きなくちゃ・・・ウツラウツラ。
4時、夫から携帯が鳴る。
「4時だぞ。」
ここで初めて起き出す。

夫には
3時半になっても
起きてこなかったら、2階から携帯で起こして、と
頼んであった。
よかった、頼んでおいて。
寝坊したら大変。

結局
朝ごはんを食べずに
4時35分、雨の中、家をでる。
またも
カエル、3,4匹、だんごになって重なっている。
危ないので南の庭のほうに移してやる。

前日の停電の中の出勤と違って
雨で暗かったが
街には灯りがあった。
信号の灯り
ビルの灯り
自動販売機の灯り等
それらがあったから少し安心した。
しかし
すれ違った人は皆無。
車もむしろ
昨日の停電の朝より少ない。


仕事が充実していた、と書くのとはちょっと違う。
忙しい、その一言。
そして
これより通常の方がよほど忙しいということだ。
今は地震の影響のため
まだ忙しいうちに入らないといわれた。

休憩なし、朝食とはいえない朝食を口にして
とにかく立ち働いた。
皆、働きすぎて、後半時間が余ってしまった。
そこで初めて休憩。
皆、仕事のプロだな、と感じて帰ってきた。

人間関係が難しいらしいが
それも織り込み済み
どこにだってある、と思っていた。
自分としては
前職場でも、緩衝材のような役割を果たしてきたつもりなので
この職場にても
明るく、あまり深く考えないで
良い面を見るようにしていこうと思う。
一番心配なのは
このきつさに耐えられる体力があるかどうかだ。
私は暑がりだ。
人より暑がりだ。
冬でも、ヘンな暖房に暑くなって、顔だけ汗をかいたりする。
空気が悪いと、倒れたりする。
喉も渇くので、冷たい水を用意しておくようにする。
うちわを持っていこうと思っている。
顔が熱い。

またも、前職場の若い子について
別な子から質問された。
「トモロッシさん、前の職場、○○だったのですか。
○○という名前の子、知っていますか。それから○○とか。」
とわざわざ、聞きに来るんだ。
幸い、知らなくて良かったと思っている。


明日、休みなんだ、私。
休みのシフトを組んだときに
早速明日休みをとっていいと言われた。
あとは続けて7日働くことになっている。
大丈夫かな。

仕事だけのことを考えればいいのだが
うちのこともやらねばならない。
夫が凄く協力してくれている。
さすがに
朝早くに出ていく私を不憫に思っているのかもしれない。
洗い物、ネコのご飯、夕食の準備
やってくれている。
私、それらも自分でやるつもりでいるが
今は身体が(腰)痛くて、眠くて
身体のことを優先させている。
たった2日でダウンして、迷惑かけられないものね。

じゃ、
義母はどうしているかって?
彼女、ダメ。
ふてくされている。

と、ここで昨日のことを書こうと思ったが
やめる。

明日は休み。
またお湯沸かし。
何回も何回もお湯を2階の風呂に運ぶ。
これで午後はつぶれる。
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(4/8)昨日夜の余震、そして初仕事、疲れ倍増

2011年04月08日 19時13分49秒 | 東日本大震災

本震で上から落ちた本を積み上げたりしていたものが、またもバラバラになる。


今日のブログには
どんなことを書く予定だったか。
仕事の初日の緊張感や感想を書く予定だった。

しかし。
なんとも・・・心が疲れた。
あの余震である。
気力が無くなる・・・


昨日ブログを書き終えてから
9時半ごろだっただろうか
一階のオーディオルームに行って
ダイジローと寝始めた。
携帯と時計の二重の目覚ましを掛けて。
それでも、緊張していた。
起きることができるかどうかと。

夢の中で
携帯の目覚ましが鳴り、もう起きなきゃ・・・と思う。
思っているうちにまた少し寝る。
そしてガタガタと家が鳴る。
余震が何回も続いてきたから、じゃこの余震をきっかけに
起きようと思う。

ここまでが夢である。
夢の中にまで、一番気になる「起床」が出てくるんだ。
そして
現実の余震が
今までの余震と違う、地鳴りがする、とわかったとき
本当に目が覚めた。
豆電球をつけて寝るのだが
あの地鳴りを聴いて
これは危ない!あの本震と同じ音だ!
と、逃げようとしたが
立っていられない。
呆然とした。
この部屋は
本震のときに
作りつけのCD棚は大丈夫だったが
既製品のCD棚は前面に飛び出し、中のCDも飛び出して
とても寝られない状態だった。
しばらく、二階のソファで寝ていた自分だった。
夫がようやくCDを片付けて
棚を直したので
もうあのような大きな地震はないだろうと思って
1階で再び寝るようになって数日。
一応
枕元には逃げるための荷物は置いているんだ。
ところが
逃げられなかった・・・
本震のあとの心構えが粉々。
そして
豆電球が消える。
停電だ。
夜中の地震のため
何の準備もなしに真っ暗になってしまった。
懐中電灯を手探りで探す。
二階に寝ていた夫が
懐中電灯がなくて、怒っていた。

あの停電があると
情報が全くわからないのだ。
携帯ラジオをつけるにも焦って
どこにあるかわからなくなってしまう。
ようやく
ラジオをつけ、ろうそくをつけ(本震の時のままにしてある)
心が沈んでいく・・・
怖いというより、なんで・・・という気持ちだ。
あれから4週間目の金曜日の夜。
また真っ暗闇だ。

外に出てみた。
路地の人たちが出てきていた。
皆、同じ気持ちだ。
ところで、うちのカエル、3匹重なっているのよ、こんなときに。
路地にも2,3匹出ていた。

時刻はてっきり3時ごろだと思っていた。
時計を見て、はじめて11時半過ぎと気づき、寝て2時間しか
経っていなかったのだ。

二階の被害のほうが
一階より凄いんだ。
奥の私の部屋(今はネコ4匹が過ごしている)の本棚は滅茶苦茶になっている。
ついこの間、本震のあとの散らばったものを積み上げたり片付けたりしたのに
それらがまた崩れてしまった。
あの部屋を片付けるのって、結構腰を据えてやらなければならないんだ。
片付け上手の私じゃないから。
きっとまたしばらくこのまま手付かずのままにしておくに違いない。
二階の居間の本、夫の寝る和室の本も、PCの上の書類ももうゴッチャ。
戸棚には本震以来、ガムテープでガラスを留めているので、中のものは
倒れただけで割れなかった。


真っ暗闇の中、
寝られるわけがなかった。
3時に目覚ましが鳴る予定である。
目覚まし時計のアラームを止めておいた。
もう、こうなったら
出勤まで起きていなければならない。

いちいち懐中電灯を持っての行動だ。
真っ暗なところで、パンをかじる。
それが朝食だ。
停電だから、パンを焼けないからそのまま食べるように言った。

早く明るくなれ、と思いつつ
電灯のない薄暗い時刻、私は初仕事のために出勤した。
停電は
信号もつかないし、自転車の電灯だけでは非常に危ない。
懐中電灯を自転車の前の籠に入れた。
朝にならない朝に、出勤していくときの心細さ。
なんでこうなるのか・・・せっかくの自分の心構えをどうして
くじくのか、と考えつつ自転車を走らせた。

真っ暗な建物の中に懐中電灯を照らしながら入る。
そこで、今日の営業は中止、と言われた。
ここも停電だ。
いつ電気がつくかわからないから、いったん帰っていいと言われた。
9時にもう一度、来てほしいと。

そしてうちに帰り、
時間まで寝ようと思ってソファに横になる。
で、また起床の強迫観念(よっぽど遅刻が怖かったのだろう)が夢の中で
出てきて
寝ぼけて、夫の名を呼んだらしい。
「なんで、起こしてくれないんだ」と。
ああ、寝ぼけていたなあ、と目が覚める。
そしてうつらうつらしていると
急に電話で呼び出し、「電気がついたので営業開始するからすぐ来て。」と。
7時前に着く。
そこから怒涛の忙しさ(いやいや、怒涛は大げさ。ただ急だったので一瞬忙しいと
感じただけだ。本当はもっと大変らしい)。
私にとっては怒涛の忙しさだ。
何もかもはじめてのことなので、一から教えてもらわねばならない。
素直に「はい」「はい」と返事をして
一生懸命頑張ったよ。
で、これ続くの?というのが本音。
慣れれば、大丈夫だよね。
と、皆に同意を求めている。

途中、両手が交互に攣る。
今まで、脚が攣っていたのに、今度は手まで攣り始めた。
午後1時まで休みなく働いた。

夫は
前の仕事のほうが楽だろう、と言った。
確かに時間的に楽だった。
お昼は1時間半ぐらい、帰宅していたもの。
イベントがあれば仕事をしなくて休みだったもの。

会社では
私の前職業が話題になっている。
なんで、前の仕事をやめてここに来たの?とか
前の勤務先と関係のある若い子がいて、私に
わざわざ挨拶に来たのだ。
まだ、前の職場の人には
ここで働いていることを伝えていないからしばらくは内緒ね、と
言った。
そんな余裕がないくらいに
今、前職場も変則的な忙しさだし、私も
伝える暇がない。

まあ、前の職場の名に恥じないように
お互いに頑張りましょう、という気持ちだ。

帰宅して
夫とともに買出しに。
この大きな余震で
再び、車が渋滞している。
ガソリンスタンドもせっかく通常の業務になったとたん
余震で営業中止しているし
スーパーも軒並み、閉めてしまった。

東の方に行けば行くほど
本震で亀裂の入った建物の修復にかからないうちに
更に傷口を広げて、崩れかかっているところが多い。
その企業も、ショックだろうな。
社員もショックだろうな、とこれは容易に想像できる。


ガス復旧も更に遠のいた。
他県から応援に来ている人たちもさぞ
あの地響きに驚いたことでしょう。
こうして椅子に座っていると
あの地響きが繰り返されるような錯覚を覚える。
だからあまりじっとしていたくない。



という一日でした。
早めに夕飯を食べたのでもう寝ます。

私、風呂に入っていません。
お湯を何回も沸かして、湯船に少し溜めて
洗髪と身体洗いを数回していますが
ゆったりと湯船につかる、というのは1ヶ月していません。
はあ~。
疲れる。精神的に疲れる。
本震から1ヶ月。なのに、逆戻り。






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(4/7)緊張する、寝坊するのではないかと思って

2011年04月07日 20時48分32秒 | Weblog
明日は3時半起きです。
4時50分までに出勤。
早い~。
起きられるかどうかが心配。
緊張すると却って
眠られなかったり、起きられなかったり。
でも
この時刻に起きて仕事をしている人は
世の中にいっぱいいるのだから
早く自分も
朝型の人間にならなければ。


今日の感想を書こうと思ったけれど
だめだ~、明日のことが頭いっぱいで。

ニュースも全く観ていない。
新聞をいつ読めばいいのだろう。
なんて、そんなことまで、判断できなくなっている。

というわけで
これから寝ます。
山P情報、何かあったら教えてください。
コメント (4)
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(4/6)東京の火葬場にて、名取被災者の火葬

2011年04月06日 21時09分01秒 | 東日本大震災
今日は
コンビニにタバコを買いに行った。
(他にもあちこち行ったのだが)

全部、うちの近くのコンビニである。
セブンイレブンに行った。
張り紙は「3個まで」だった。
私はその張り紙に気付かずに
「5個ください。」と言った。
「申し訳ありません、3個までなんですよ。」と本当に申し訳なさそうに
言われ、そのとき張り紙に気付いた私は
「あ、こちらも気が付きませんでした。」と言った。

次にローソンに行った。
何も張り紙がなかったので
「5個ください。」と言った。
「1個までです。」と言われた。
特に申し訳なさそうではなく、冷たい言い方(これはあくまでも印象)だった。

その次に
ファミリーマートに行った。
張り紙が見え、「2個まで」とあった。
だから
「2個、ください。」と言った。
甲高い声で「ありがとうございました!」と言われる。

明日から接客業の仕事をする私は
「申し訳ございません」とか
笑顔で接することを忘れないようにしなくてはと思った。
それでなくても、声のトーンの低い私である。
冷たい言い方に聞こえる私の話し方である。
よく言えば、落ち着いている
悪く言えば、冷たい
印象とは裏腹に、ハートは温かいつもりだが
第一印象というのは
客を不快にさせることがしばしばある。
頑張れ、トモロッシ。



新聞に
被災地名取市の、亡くなった方の火葬が追いつかず
東京の火葬場を借りて行われることが載っている。
記事は事実を載せるだけだから
読み手はどんな感想を持つだろう。
東京・・・遠いなあ、と思うかもしれない。
あるいは
どんなに遠くても、火葬していただけることは
遺族にとってホッとすることかもしれない。
火葬もできないところがあったり
土葬というところもあるのだから。
その
東京での火葬場の状況を詳しくブログに載せてくださった方の
記事を取り上げよう。
私のブログ仲間の
しゃちさんである。
彼は
自分の母親の手術があるにも拘らず
東北にボランティアに行きたいと思っている方である。
その彼の町の火葬場で
名取の被災者の火葬をする際
献花台が設置してあり
東京の人々が次々と献花してくださっているとのこと。
そして彼も
お花屋さんからお花を買い、献花してくださったとのこと。
私はその記事を読んで
しみじみと泣いてしまった。
今でも目が潤んでくる。

もしも
私のブログを読んでくださっている仙台の方、東北の方が
いらっしゃるなら
それをどうしても知らせたい、と思った。
日本中で
東北を助けてくださっている、ということを
改めて認識する。
東北の痛みを、日本の痛みとして受け止め
献花している姿を想像した。
心に沁みてくる、その姿。
冥福を祈ってくださっている姿。
祈りがどうか空に届くように。

東京江戸川区の火葬場にて

しゃちさんに許可をいただいたので
彼のブログも読んでください。
コメント (2)
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(4/5)仕事が決まった

2011年04月05日 20時24分44秒 | 東日本大震災
仕事が決まった。

本当は、今日のブログにては
今日の面接の感想を書くだけで終わると思っていた。
まさか
今日中に決まるなんて。

10時半に本部の方へ。
担当者が面接。
いろいろな質問(朝が早いこと、夜もお願いするかもしれないことなど)を
されて、それに全て応じたい、と答えた。
挨拶はきちんとできるか、なんて聞かれた。
笑顔は大丈夫か、と。
これもOKです。
こちらからの質問として
「年齢が若くはないけれど、大丈夫だろうか。」と。
場違いな年齢だったら、身を引く。
しかし
「年齢は関係ない、あなたよりも年上の方もいる。」と言われる。
面接の感触として
いい雰囲気だった。
これが落ちたら、なぜ落ちたのか知りたいくらいだった。
後日、電話で知らせる、とのこと。

そして夕方
携帯が鳴る。
その会社の電話番号だった。
「採用したい。」との朗報。
早い、早すぎる。
嬉しい。

つらいことを今考えず
仕事を覚えることだけを考えていこう。

今までと全く違う仕事だ。
今までのキャリアは通用しない。
PCなんて使わない。
家にての勉強も要らない。
疲れたら、勉強のことを考えずに
パタンと寝るだけだ。

頑張ろう。
まず自分が頑張って、余力があったら
震災の被害者の人たちのことを考えよう。
自分のことが不安定なときに
とても他のことを考えられないからだ。
待っていて、皆。
一人一人、自分のポジションで頑張って
そして、他者に目を配ろう。
コメント (6)
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(4/4)一つの不安が解消される

2011年04月04日 23時33分16秒 | オトメちゃん
今朝
自分のブログを見たら
コメントのところに
懐かしい名前があった。
zooさんだ。
その名前を見ただけで
自分の心配の気持ちがスーッと消えていった。
とにかく生きていたんだ、という気持ちだった。

あれは1月末だったか
zooさんの「オトメちゃんのブログ」が途絶えてしまった。
これまでにも
仕事が多忙ということでそういうことがあったので
今回もおとなしく
更新されるまで待とう、という気持ちであった。
しかし
2月になっても更新されない。
2月の途中、うちのパソコンが使えない状態になった。
職場で、時間があるときに
覗いてみたが、ずっと更新されていない。
私はとうとう痺れを切らして、
仕事で忙しいのかもしれないのに、心配していると
ネットカフェからコメントを書いた。
彼のブログは承認制なので
そのコメントは反映されないままだった。
それは2月末だった。
1ヶ月以上のブランクであり、今まで以上に長期のブランク。
そして
また私の悪いクセで
あれこれと想像してしまった。

これは書けないか・・・・
悪い想像ね。

そして
彼のブログの横にあるツィッターも覗いてみた。
オトメちゃんの心配というより
zooさんの心配が強いのである。

オトメちゃんは
動物園で管理されているから
何とかなっているだろう。
オトメちゃんの身に何かあった場合
動植物園のHPになんらかの形で載るだろうから
それもチェックしていた。
特に何か変わったことはなかった。

忽然と消える姿。
それを想像すると、悪い方へ悪い方へと解釈する。
思い切って
動植物園に手紙を書こうか、とさえ思った。
zooさんは無事か、ブログが長きに渡って更新されないので
彼の身に何かあったのか、
本を出した後だから、何かこじれたのか、とか
そんなことを考えていた。
そのうち、こちらは大震災になり
PCを離れることが数日あった。
PCに向かうことができて
自分のブログを書くと同時に
いつも仲良くしてくださっている方々のブログもチェック。
もちろん、空しくzooさんのブログも。
3月も更新なし。

忽然と消える。
ブログってそういうものかもしれない、と納得させる自分。

有島武郎の「生まれ出ずる悩み」の一節をまた思い浮かべる。

いったん、心を通わせた者が別れたら最後、この地球上のどこかにいようとも
もう未来永劫と会うことがない・・・というような一節を。

ネットの世界はそういうもの、と言われるのがオチか。
しかし
そうとも限らない。
少なくとも私がブログを通して、親しくしてくださっている方々の
濃い絆みたいなものは感じている。
会ったことがないのに
共通のものを通して、あるいは文章の行間ににじむ共感というものを持って
大事にしていきたい、と思わせる方たちばかりである。
なかなか、
広く浅くというお付き合いができない自分は、
ネットの世界でも
狭く深くという感覚で誠実に接していこうと思っている。
zooさんもその一人である。
オトメちゃんという、私にとって天使のような存在を
皆で愛して、皆で、オトメちゃんが母になるのを見守っていこうと
いう気持ちできたのだが
宣言なしに更新が止まった。
2ヶ月以上もそうだっただけに
悪いことまで想像した。
自分のブログで
zooさんへ、と呼びかけようとも思ったが
それも空しき行為のような気がした。
東日本大震災のお見舞いのコメントが
親しい方々からいただいた。
そのとき、zooさんの名もあるのではと思ったが
これも空しい気持ちだった。
何か強い意志にも感じてしまった。

そして
彼の無事を確認できた朝だった。
ホッとした。
これで数ヶ月の不安が解消された。
相手の事情を知らないから
それに触れることはタブーかもしれないし
暗黙のルールがあるのかもしれないネット。
私は
そのルールに慣れていない。

仕事をやめるときに
親しい方に
オトメちゃんの本をプレゼントした。
翌日
その方の二人の子どもが泣いて読んだとのこと。
動物を愛する一家である。
それから
いつもお世話になっている動物病院にもプレゼント。
一人でも多く
健気に元気に生きている孤児オトメちゃんの姿を知ってもらいたかった。
動物好きの人たちにはぜひとも読んでもらいたくて。

zooさん、連絡ありがとう。
御身体大切にしてください。
私も
この震災で心身疲れ気味ですが
zooさんの無事を確認できて、1つ心の不安が取れました。
オトメちゃんはいつもの姿で、
彼女は裏切らない。
これも安心。

いろいろ書いてすみませんでした。
コメント (2)
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