今日は
職場で大いに笑った。
笑うと涙が出てくる。
私と
笑うツボが同じ人なのだが
彼女と
久々に大笑いした。
まあ、10数年前はこんなことは
しょっちゅうだった。
しかし
今は
どこかで大笑いとかの声がない。
あまり人がいなかったので
大いに二人で笑う。
またあの
元先輩にあたる人のおみやげの話になった。
去年の十一月末に
彼女にその話をしたら
いつまでもいつまでも二人で大笑いしたっけ。
それがぶり返されて
また笑った。
あんまり笑うから
私の隣の人やその隣の人も
笑いを共有したい、と言い出した。
というより
私が教えたかった。
でもこれは時間がかかるから
ちょっとの時間では話せない、いつか
たっぷりと時間のあるところで、と
もったいぶって言う私。
逆に、ものすごく期待されてしまった。
そこで
笑いのツボの同じ人が心配する。
果たして
これを共有できるだろうかって。
そこで
私は帰宅してから
リハーサルをした。
だが
あの十一月のときの再現ができなかった。
たいしたことではないのに
なんであのとき
大笑いしたのだろう。
彼女曰く
「あれからもいろいろと笑うことはあっても
半年間であれが一番、笑った。」とまで
言う。
私もそうだ。
あのときのことを思い出すと
幸せな気持ちになる。
そして今日も
笑うことで幸せな気持ちになれた。
お~い、職場の人
笑ってよ。
楽しいよ、笑うのは。
とても身体にいいよ。
ああ、楽しかった。
今日は蕗の煮物をまた作る。
昨日買ってきたので。
大好きなんだ。
夕方
草取りをしていると
向かいの奥さんが来て
うちの庭の点在している白い花壇用の飾りについて
話していった。
まるで、風に飛ばされてそのままだらしなく置き去りにしてあるような印象。
これは苦肉の策である。
何かと言うと
ねじ花の芽が出てきたので
雑草にまぎれて
新聞屋とか郵便の人などが踏まないように
ねじ花の芽のところにそれを置いたんだ。
あちこちに出てきている。
増えたね。
昨年はずいぶんつぶされたので
どうしたものか、と考えて
石で囲ったりしてもすぐに飛ばされるので
そのプラスチックの飾りを置いたんだ。
それを義母から今日聞いたらしく
「これ、ねじ花なんだってね、いいなあ。」と言った。
「咲いたら、また観てね。」と言う。
そして今度はその奥さん宅の庭に。
160坪ほどの広さなので、畑もある。
すると蕗があった。
蕗が好きだ、と言うと
それを明日よこすとのこと。
嬉しい。
今日の分は買ってきたので
また明日も煮物を作ることができる。
ヤッター。
スナップエンドウをもらったので
今日はそれも炒めて食べよう。
さて作るか。