僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/31)今年の出会い

2010年12月31日 20時13分42秒 | はやぶさ

今年もありがとうございました。シンノスケ。

おせちの煮物を作りすぎて、その他を詰めて重箱六段。
昨年は、向かいにおすそ分けしたけれど、今年は置いてこなかった。
正月はそれで乗り切ろう。

来年こそ良い年にしたい、と強く思うのだが
再び、試練の年になるのだろう。
大丈夫かなあ、私の心。
ちょっと弱気です。

今年の出会いは
はやぶさです。
昨日の教育テレビでも、はやぶさを取り上げていました。
日本中に感動をもたらしたはやぶさの完璧な仕事ぶり。
あのように鋼鉄の心を持った人間でありたい。
でも弱気です、私は。

己(おのれ)を知っているからこそ、弱気という言葉が先にでます。


出会いは初夏にやってくる。
昨年のオトメちゃんは、7月。
今年のはやぶさは、6月。
その出会いは、年の初めに全く想像できなかったこと。
強く感動するものをいつも求めています。
来年はどんな出会いがあるのでしょう。
自分の心を弾ませてくれるもの、
自分の鑑(かがみ)となってくれるもの、
そういう存在の出会いを期待したいと思います。



私のブログを訪問してくださる方
今年もありがとうございます。
私には何もありません。
求めてばかりで
受けてばかりで
こちらから与えるものがなくて
恐縮です。
自分から与えられたらいいなあ、と思います。
そんなことを夢見る年齢は
とっくに過ぎ去っているのですが
この年になっても
それを思っています。

いつかいつか
実現できればいいね。
また来年も生きよう。
この弱気な私を引き連れて。

また明日お会いしましょう。

今日の夜は
ジャニーズカウントダウンコンサートだ。
斗真君、出るかな。
山P、今年の見納め。

では、また明日。
また来年。
ありがとうございました。
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(12/29)オトメちゃんの本を買う。カワイイ!

2010年12月28日 23時51分15秒 | オトメちゃん

zooさんのフォトブック発売

先日
地元の大きな書店に行ってきた。
最近はアマゾンなど、ネットで確実に買えるものだから
本屋に行くことが少なくなった。
本を探すとき、すぐにコーナーを探し当てられないからだ。

zooさんの本を書店で買ってみようと思った。
広い店内で
どのコーナーを探せばいいのか、そのコーナーがどこにあるのか
さっぱりわからないので
店員に聞いてみた。
「あのお、オトメちゃんの本を探しているのですが。」
「オトメちゃん・・・。タイトルは何というのでしょうか。」
「オトメの、あれ、何て言ったっけ。(正式タイトルを度忘れする)」
店員が、自店の本を「オトメちゃん」で検索するが、ヒットしない。
グーグルで探してくれた。
私は、zooさんのブログを開いてもらって、ブログの脇のアマゾンのそれを教える。
すぐにわかって、検索してくれた。
「こちらのコーナーですね。」と連れていってくれて、探し当ててくれた。

「子ザルのオトメ日記」が正式タイトルです。

念願の本を手にする。
他に寄るところがあり、そこで待ちきれなくて中身を観る。
自分の顔がほころんでいく。
あとは家でじっくり文章を読みつつ観ようと思った。


そして
あれから3日。
私は、何度も何度も何度も手にする。
トイレにまで持って行く。

そして今日、
アマゾンで再び2冊注文した。
1冊は
日ごろ、うちのネコたちがお世話になっている動物病院に送るつもりだ。
病院の待合室には、ネコなどの動物関係の本を置いている。
それを見ながら診療を待つ飼い主たち。
彼らにも見せたい、と思った。


もう1冊は
子犬を飼っている友人に。
彼女にもお世話になっているが、最近ずっと会っていなくて
今度会ったときにプレゼントしたい。

あと、2,3の人たちへのプレゼントとして考えている。

さて。
皆さんにも少しお見せしたい。



これは、zooさんの知らない時期、オトメちゃんが親から捨てられたあとに
飼育員さんに救われたときの写真。
飼育員さんたちの気持ちはどんなであったろう。
きっと不安がいっぱいだったに違いない。
無事に育つのだろうか。
育っても、果たしてサルの仲間に入れるだろうか。
などなど、救った喜びよりも不安の方が大きかったにちがいない。
あの元気なオトメちゃんの最初の顔である。
顔に傷があり、血もにじんでいる。
試行錯誤のぬいぐるみをあてがう。
そこでオトメちゃんが一番しがみついたのがあのリラックマである。
そのあたりの未公開の写真が満載である。

そして
動物園好きのzooさんが初めて撮った写真。

崖の上をリラックマを引きずって登るオトメちゃん

この写真も掲載されている。
なんとも、涙を誘う姿ではないか。
心打たれる写真ではないか。
オトメちゃんの心が映っている写真ではないか。

1枚の写真が物語る、オトメちゃんの数ヶ月の人生である。
私は
またこの写真を見て、涙する。今も、これを打ちながら涙が出てくる。
抱きしめたい、と思わせる写真だ。

オトメちゃんは
自分から群れに入ろうとしていく。
その姿もいじらしいんだ。
リラックマを離さず、群れの中に入ろうとしている。
これまで
ブログを毎日のように見てきたけれど
このように改めて本として眺めると
オトメちゃんの毎日の心の葛藤まで読めるような気がする。

皆といっしょに遊びたい、仲間になりたい
でも、いじわるされそうだ、
でも、入りたい
リラックマ母さん、いっしょについてきてね、と毎日
思いつつ、少しずつ距離を縮めていくんだ。



この姿も、悲しいね。
切ない。

でもね、
楽しい写真もいっぱいなんだ。
ついつい
可哀相なことを考えてしまいがちなんだけれど
オトメちゃんはいたって、好奇心が強く、根が明るいんだ。
だからこそ、面白い写真もいっぱい。
どの写真を見ても
自分の心が、海の凪(なぎ)のように、穏やかになるんだ。


あの丸い背中、くびれた首あたり、二足歩行の可愛らしさ
本当に
オトメちゃんは天使だ。


子どもに情操教育として、この物語を語ってほしい。

私の
オトメちゃんに会いたい気持ちは募るばかりです。
zooさんへのブログには
こういうことを長々と書けないので
自分のブログに気持ちをこうして書いています。
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(12/25)久しぶりに写真をUPした。光のページェント。

2010年12月25日 22時40分27秒 | Weblog

我が街 今日のお昼ごろ
 

   
           光の洪水 


 
           メインの公園のツリー


いや、驚いた。
光のページェントというのを、意識して観たのは初めてと言ってもいいくらい。
人、人、人。
土曜の夜、クリスマス、雪、お膳立てがバッチリで、こんなに人が溢れているとは。

こうして写真を3枚並べてみたが(同じ場所)、1枚目が一番好き。
雪の定禅寺通りである。
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(12/25)雪が降ってきた

2010年12月25日 10時44分39秒 | Weblog
クリスマスにふさわしい真っ白な雪の世界。
冬到来です。
今頃、冬到来なんて書くと、ヘン、と言われそうですが
私にとって
雪が降り積もることが、冬が来た、となるのです。
その雪もきっと明日には融けるかもしれません。
はかない雪景色なんですよ、東北でも。
雪景色は私にとって貴重なものなんですよ。

今日は街に出てみようと思います。
昨日の夕方にも出たのですが
夫のために
丸鶏とクリスマスケーキを買いに行っただけ。
実は今日も買ってくる予定。
とにかく夫、それが楽しみなんですよ。
来年は食べられないかもしれない、といつも言われて
2回買ってきます。
今年は3回目。
1回目のスーパーで買ったのは、国産鶏だったけれど
味付けが今ひとつでおいしくなかったようです。
やっぱり、デパートの地下で買わなくては。
そしてこの私は全然食べないんですよ。
鶏肉好きなんだけれど。
夫と猫たちのために買うようなものです。
普段、猫たちにはそれらはあげないんですけどね、
クリスマスだから特別に。
食べなれていないシンノスケやダイジローは食べませんね。

クリスマスが過ぎたら
すぐに正月。
全然そんな気分に程遠い生活です。
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(12/24)思い出を紐解く 函館編①

2010年12月24日 01時33分28秒 | Weblog
ずっと気にしていたことだが
以前
自分史的に
7歳の思い出を書いて以来、筆が止まっている。
(参照)2010年2月の7日あたりから断続的に書いていた。

いつかその続きを書こうと思ってきたが
今年の仕事の時間が結構きつかったので(午後の拘束が多かった)
帰宅してからのゆったりとした時間が取れなかった。
気分的に、ゆったりとしながら、ダラダラと書き続けるのが好きだ。
7歳の特異な学生生活、病院生活、それらから離れたくなかったこと、
自分の性質の基盤となったその1年間が愛おしいこと、それを
記録として残したくて書いた。

幼いながらに感じたことや記憶にとどめていることを残しておきたいと
思っていた。

また少しずつ、書いていこうと思います。
特別、自分は人と比して積極的な経験をしてこなかったのだが
それでも、平凡な人間なりに思い出は残っているのです。


思い出を繙く(ひもとく)函館編①

父が転勤のために
私は入院していたベッドスクールを泣き泣き離れなければならなかったところで
前回終わったと思う。
小学生の人数が少なく、学校の中での授業は1年生、2年生(3年生も?)が
合同で行われた。
どこかの山の中の分校のようだった。
そしてその札幌から離れて
私たちは函館へと向かった。

北海道を語るとき
私の好きな街はこの函館が筆頭。

夫に
「あなた、8歳の自分の思い出を語れる?9歳の思い出を語れる?」と
尋ねると
「わかんね。遊んでたんでないかあ~?」ぐらいにしか返ってこない。

転校という形で
学年を区切ることが多かったから
その都度、どこで何をし、誰がどうだったかなど結構残っているものだ。



函館の温泉の町に住居が決まった。
そこは父の勤める会社が社宅として借りていた所だ。
長屋の左から2番目の家である。
その長屋は5軒続いていた。
左端が大家で、うちはその隣である。
間取りや他の家の人たちのことを容易に思い出せる。
そして
大人になっても、その家の夢まで見る。
二間の部屋と、南側に廊下があり、庭があった。
今思うと、庭が広くて、花などを植えて愛でるのに十分なスペースであったが
全く花を植えたことのない両親であった。
花を育てる心の余裕もなく、無関心であった。
現在に至っても、両親は花を育てることとは縁がない。

私と両親が養子縁組をして
本格的な生活のスタートでもあった。
札幌時代のベッドスクールでは、1ヶ月に1回ほどしか会わなかったので
親子という関係は希薄だったと思う。
あの当時はまだまだ生母のことが忘れられない自分だったから。

函館が実質、親子3人の生活のスタートである。
しかし
それが始まって以来、ずいぶんと衝突した。
衝突というよりは、一方的に私が怒られるばかりだったのだが。
親子に性格の不一致という言葉があるかどうかは知らないが
おそらく性格の不一致だったのであろう。
そして
自分の生母の負い目を、私が負うべきではないのだが
なぜか、今の母は私に負わせるのである。

ここから私たち親子の確執が積み上げられていくわけで
私が
あの7歳のベッドスクール時代を
「桃源郷のようだった」と書いたのは
後にも先にも
この両親の影が薄れていたからこそ書けた言葉である。
衝突のない、穏やかで楽しくて優しい時間が流れたのはあの7歳の時だけのような
気がする。

今後、この思い出を書いていくときによく、父、母の暴力が出てきます。
それらは消えない。
7歳の時の思い出には両親の暴力というのは残っていない。



小学校は2年生の4月の途中から転入した。
家から歩いて20分ほどのところである。
木造校舎。
今はその面影なし。(13年前に訪れている)

小さな分校のようなところで過ごしてきた私にとって
いよいよ
40数人の学級に入る、という緊張感があった。
まだ新学期になって数日だと思うが
途中から入っていく私には、皆、既に仲良くこの学級で暮らしているように見えた。
座席は
先生の教卓のすぐ前だった。
当時の生徒の机は2つ連結されていて、2人が並んで勉強する机になっていた。
そこが1つ空いていたから、というわけで座らされた。
背中に40人(もっといたかもしれない)の視線が刺さるような気持ちだった。

隣は、他の子よりも一回り大きな男の子だった。
名前をフルネームで今でも覚えている。
その子は旅館の息子で、周りの子によくいたずらをするということで
1人で座らされていた。
それは後から、先生が母に言ったことだった。
先生の監視が届くようにということで、大柄であったけれど一番前にいた。
そして私が隣に座ったことによって、その子はおとなしくなったと言われたとのこと。
Y君としよう。
Y君の通学路はうちの前の道路を通るので
Y君は「○○さ~ん」とうちに迎えに来ていたときがあった。
あるとき、Y君が迎えに来て外に出たときに
道路の真ん中で彼は、おちんちんを出しておしっこをしていた。
その後の対処はどうしたか忘れたけれど
そんなことも気にせずに、私はしばらくいっしょに学校に行ったのだと思う。
今と違って、母がそれをいちいち学校に報告はしなかったと思う。
ただ、道路の真ん中というのがひっかかるね。

この担任の先生は
私の学生生活の中で1、2番に印象に残る先生だった。
先生らしい先生、というべきか
非常に生徒のことを考えてくれる先生だった。
もう40代か50代か、頭が禿げていて眼鏡をかけていて
私たちから見れば、おじいちゃんのような先生だったが
私はこの先生に強く感謝している。
差別をしない、叱るときの的確性、笑わすときの的確性、板書の美しさ、
長期の休みのときのフォロー等
そして
そのY君のような特異な生徒に対しても分け隔てなく接していくことによって
本当に彼も伸び伸びと生活をしていたような気がする。
この私は私で、まだ病院に通っている身だったから(必ず1ヶ月に一度、五稜郭にある
病院に行き、採血と痰の検査をし、薬も飲んでいた)
母は、先生に、体育は見学、ハーモニカを吹かない、遠足等遠出は禁止と
伝えてあった。
先生は特別扱いをせず、体育のときにポツンと見学している私に、これなら大丈夫だろうという運動をさせてくれた。
ヒョロヒョロしたやせ細った私に、少しずつ体育の授業を受けさせてくれた。
皆がワイワイ楽しく運動をしているときに、ずっと壁に寄りかかって見学していることの寂しさとか恥ずかしさはいつもあった。
自覚症状のない病気だったから、なおのこと。

先生は
一人一人の生徒の誕生日に、折り紙の鶴を3つほど折り、給食の時間に「○○ちゃん、お誕生日おめでとう」とその生徒を皆で祝うということを企画していた。
そしてそれらも教育ということで、必ずその子は詩を書かせられた。
誕生日に祝われて何を思ったか、感じたか、を詩に書いてみよう、ということだった。

私は4月の始めの誕生日だったので既に過ぎていた。
しかし先生は、私の転入早々、遅れた誕生日の祝いをしてくれた。
私も詩を書いた。

そして、このクラスが終わるときに、先生はこれまで皆に書かせた詩や作文や3年生になっての抱負などを載せた文集を作り配布した。
表紙を開けると
誕生日の詩だった。
二段に分けて
上の段には、頭の良いD君の詩だ。
下の段には、遅れて誕生日の祝いをしてもらった私の詩だ。
二人とも似たような文体だった。

D君は、自分のもらった鶴の色を正確に書いた。
ももいろ、みずいろ、あかいろと正確に。

私は違った。
金、銀、赤、と書いた。

先生は、○○さんは、本当は別な色だったけれど、
詩の中身をどうするかな、と聞いてきた。
私は
金、銀、赤という語呂にこだわった。
これでいいです、と答えた。
そしてそのまま、詩として載せた。

どちらが良かったのだろう、と今になって思う。
正確なことを書くか、語呂にこだわったことを書くか、
なんて
もし私が先生の立場だったらどんな指導をするだろうかと
考える。
 

1時半過ぎたので
続きはまた明日。





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(12/22)冬のガマガエル/今日は嵐

2010年12月22日 23時07分15秒 | カエル
昨日の予報どおり
今日は嵐だった。
家にこもっていたが
時折
雷が地響きのように落ちる音がして
家が揺れた。
怖かった。
パチパチパチパチという空で鳴っている音が不気味だった。
猫たちも下から突き上げる音に怖がっていた。
外は雨。
雨というより、嵐。
うちは路地奥で少し下がっているので
路地の雨がうちの前に貯まりだした。
どんどん貯まり、庭が冠水。
排水がうまくいってない。
自転車も倒れていた。
夫も大変だったようだ。

今は雨も小降りになって水も引いた。
風が強い。
雨だから
カエルのことが気になり、
庭の巣穴を見ると、奥から姿を現して
これから出ようかと迷っているようだった。
出なくていいよ、と声をかけたけれど
どうだろうか。
出てきてもエサはないのだから。

fairyさんのところでも
東京は前夜雨と暖気とで、カエルが出てきたようだ。
いずれコンクリートの地面、マンションになってしまう所である。
この暖気で、カエルが出てきてくれてよかった。
fairyさんが救って、安全な場所に移動してくれた。
こうして
日本のどこかで
小さな生命が救われているんだ。
1匹でも、生命を全うしてほしい。
同じ思いだ。
私も、できる限り
この地域のガマたちを救っていきたい。


こちらは
今日の雨、大変だったが
気温がそれほど温かく感じられなかったので
ガマたちは躊躇していたようだ。

それにしても
12月である。
冬なのに、この雨、雷、そして冬眠しているはずのガマの心を惑わす気温
ちょっと、考えられない。
雪のはずの12月なのに。
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(12/21)明日は暴風雨

2010年12月21日 23時15分06秒 | 名曲
今日は暖かかった。
12月半ば過ぎの暖かい日。
明日もそうかな、と思っていたら
天気予報では
こちら暴風雨とのこと。
今のところ兆候なし。
気温は下がらないようだが
今日のような日差しがあれば、部屋の中は外の気温よりも
高くなるのに残念。
それよりも暴風雨のことを心配したほうがいい。
地域限定のような荒れ模様。
東北一帯雨のようだが、この県と青森が傘マークがグルグル回っていた。

しばらく下のオーディオルームで
CDを聴いていない。
私の寝床となってしまったが
夫が9時まで聴いていた。
ラズベリーズ、ドゥービー、デイブメイソン等聴いていたとのこと。
私は専ら、今は
you tubeでトシちゃんとかね。
先日のヘイヘイヘイがUPされていて
そのコメントをずっと読んでいたのだが
泣けそうなものばかり。
ファンというのはありがたいね。
ずっと応援してくれているし、男の人も彼の生き様に感動していたようだし、
私のような、一般的なファンでも先日の歌とダンスに
当時に感じなかった感動を受けたりと。
私は今、暇になったので
それらをゆったりと堪能している。
外に出かけるわけじゃなし、刺激的な話題があるわけじゃなし、
家事をしながら、PCで音楽を流している生活だ。


明日もそんな一日になりそうだ。
家事、進むだろうか。
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(12/19)獣医ドリトル 最終回

2010年12月19日 23時04分16秒 | ドラマ
ドリトル先生、今日は最終回だった。
私は
今期のドラマは
このドリトル先生と相棒だけ。
夫はプラス、フリーター家を~。

小栗旬君のドラマはこれまで観たことがない。
これまでのドラマ、きっと話題になっていたでしょうが
特に魅力を感じていなかったので。

今回は
動物ものということで
彼が主役でなくても、1回は観てみようと思い
1回どころか毎週楽しみに観ていた。
脇の出演者の熱演が光っていたね。
特に今日はあの兄弟、弟の本物の涙がよかったね。
兄もようやく優しい顔つきになってくれたし。
父役の・・・名前忘れた・・・人も良かったし。
井上まおさんも、今回は適役だと思った。
小栗旬君はモテそうだね。でも、私は苦手・・・プレイボーイ的な雰囲気。
成宮君の優しさが良かったなあ。

何よりも
動物が頑張ってくれたね。
多少の麻酔はするんだろうね、きっと。
土門家の犬も助かったし
安楽死させられそうになった20匹の犬たちもギリギリで助かったし
(危うく、あの白い子犬が最初に安楽死させられる寸前で、助かったけれど、
もっと早くに、電話なり知らせてくれなくてはならないでしょ、直接知らせに
やってくるなんて)
成宮くんがアフリカに行くことで、一回り成長して帰国して
第二弾が始まるような余韻でした。

でも
クロサギも
see you と第二弾を匂わせていながら、実現していないしなあ。

最後は皆ハピーになって、動物にも人間にも優しいドラマになって
安心しました。

先日の相棒の悲しい話が重苦しかったので
こういう幸せな終わり方は、見ているほうも幸せな気持ちになります。



今日の夕食はビーフシチュー。
前よりおいしい、と言ってくれました。
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(12/17)今年の仕事終わり。

2010年12月17日 17時36分42秒 | Weblog
今日で今年の仕事が早々と終わった。
まだ2週間もあるのに
バイトの私は終わりです。
いやな終わり方と良い終わり方が重なって
複雑な思い。

最後に笑顔で別れたので良しとしようか。
だが
明日再び職場に行かなければならない。
その課題を持って。


来年の3月にはこの仕事も終わりだ。
毎年、終わりにしたいと思っても
なかなか終われなかった状況。
誰もが
仕事に疲れているのだが、皆我慢している。
それでもやらなければならない、と頑張っている私の仲間たち。
誰でもそうだ、どこでもそうだ。

この私だけが根性が足りない。
母にいつも言われてきたことだ。
心の病になっても続けている仲間がいる。
もう回復したと思われるが
たまに話せば、悩みをいっぱい抱えていることがわかる。
それでも、続けなければならない、経済的に云々・・と言われる。
現実に考えていけば、這ってでも今の仕事を捨ててはいけないんだ。
だが
それをしない私だ。
この4年間、ほとんどこの空気に慣れないで来た私だ。
最後には納得のいく終わり方をしたいと思ったが
結局そうはならず
敗北者の如く、この職場を去るのだろう。

10数年前
この職場をやめたとき
自分のピークであるかのように、やめることができた。
そして
二度と戻らないだろう、なんて考えていた。
そのときの書類なども処分した。
同僚や先輩たちとはたまに会っていた。
その糸が切れないということが喜びでもあった。
そして
訳あって、再び10数年ぶりにバイトとして
戻ってきたときに
皆、歓迎してくれた。
私が戻ってきたお祝いの飲み会が続いた。
しかし
その人たちもこの4年間で、1人2人と消えていった。
皆、定年を迎えずに。
定年を迎えるまで勤められない空気だった。
仕事を減らされて、窓際族とまでいかないが
若い人たちに、重要なポストをまかせることが主になっていた。
年のいった人たちは無能、という空気。
かつての、どの世代の人たちもいて、年配者から受ける豊富な経験から
来る威厳や知識、寛容、そういったものが失われていった。

そこに私はタイムマシンに乗って
ポンと、今の空気の中に置かれたのだ。
前の空気の気楽さで過ごそうと思ったが、とんだ間違いだった。
ナンダ?この人・・・と思った若い人もいるだろう。
仕事のやり方も古い、と認識させられた。
温故知新、なんていう空気なし。
何でも、新しいやり方のみ重視される。

私が10数年前にやめたあと
この職場から何十人と去っていった。
皆、似たような気持ちで見切りをつけたと言ってもいい。
そして今
この職場は小規模化している。

私より2,3つ上の先輩がまだいるのだが
彼女の表情から笑顔が消えている。
不幸があったのも一因だが
おそらく、今の職場で不満もたまっているだろう。
かつてのよしみで
数年前に話しかけたとき、満面の笑みで答えてくれた。
そして今は
もう話すことも、きっかけもなくなった。
彼女も重要なポストもなく、今はただ自分の仕事をするのみ。
どんな気持ちでいるのだろう、とふと考えた。
定年までいてほしい。何年も先のことだが
いてほしい。
こうして、居づらい心境になって、二度とごめんだという思いで去っていくのだろうか。

なんとも、重い気持ちでいる、今。

また日にちが経てば
この気持ちがやわらぐかもしれないので
それを待つしかないね。

ともかく
今年の仕事は終わった。


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(12/15)トシちゃんの踊りを手本に。

2010年12月15日 23時07分39秒 | 山P
今日、こちらは雪になりました。
今年の雪、12月15日。
午後にチラつきはじめて
夜はうっすらと屋根に積もっています。
こういうときカメラをすぐに出して
写すといいのですがね。

昨年は確か17日に目で見る、初雪でした。
いきなり積もったので
皆慌てていました。
それから一年。
猛暑だった今年。
冬はいつものような速度でやってきました。
雪が好きな私は嬉しいですけれどね。


さっきのドラマ「相棒」は
憂鬱になりましたね。
事件のようで、結局自殺だった。
ああ、こういうことはあちこちにあるんだなあ、と。
これについて
書きたいけれど、書けない。
いつか書けるように。



山P、久しぶりに観ました。
生放送だったので、リアルな山Pですね。
アジアでのソロツァーが始まっています。
亀ちゃんも久しぶりに観た。
二組のグループがデビュー曲と新曲を歌ったのですが
先日の田原俊彦の踊りと歌が焼きついてしまって
(あのあと、you tubeを観っ放し)
今のジャニーズの衣装は
バラバラ、踊りも自由にバラバラ、
個性重視で、統一性がないんですね。
だから
観るほうも釘付けにならない。
アイドルはアイドルらしくていいような気がします。
誰もが真似できるほど、真似したいほどに
カチッと決めてほしいね。
やはり揃っていないと、半減なんですよ。
印象も、記憶も。
セニョとかアミーゴとかフィーバーとフューチャーとか
きちんと踊っていたっけ。
だから、観ていて釘付けになるし
真似したいな、自分も踊れるようになりたいな、と思ってしまう。
ジャニーズ、その路線復活してください。
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Tahara Toshihiko - Dakishimete TONIGHT

2010年12月13日 21時57分39秒 | 名曲
Tahara Toshihiko - Dakishimete TONIGHT


本人のカッコイイのを載せました。
昔は
歌番組が充実していたし、ベストテンっぽくやっていたので
10位以内に入っていれば
毎週のように見ることができたので
いろんなバージョンがあるんですよね。
昔のアイドルはいいなあ。
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(12/13)残念

2010年12月13日 21時53分11秒 | Weblog
せっかくの歌、埋め込み不可でした。
残念。
でも、you tube で聴けるので。
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(12/13)Leif Garrett " New York City Nights. " 哀愁でいと原曲

2010年12月13日 21時52分19秒 | 名曲
Leif Garrett Sings " New York City Nights. "



さっき、ヘイヘイヘイで
田原俊彦のヒットメドレーをやりました。
もうね、
カッコイイとしか言えない。
現役のころも
カッコよかったけれど
当時は
歌がどうのこうのと評価が低かったり
所詮アイドル、という枠でしか観られなかったんですよね。
でも
私は好きでした。
彼のアルバムは2枚しかないけれど
歌もダンスも好きでしたね。

ビッグなアイドルとして登場。
本当にビッグでした。

どうしても現在のアイドルたちと比較してしまい
ああ
こういうソロでガッチリ歌って踊る人、皆無だなあと
また感じました。

その点
山Pが郷ひろみ、俊ちゃん路線を行ってくれるのではないかと
あの
セニョの頃、期待していたんですよね。
ひろみのように
俊ちゃんのように
歌って踊れるアイドル。
歌も
カラオケでいつまでもスタンダードとして残れるものをって。

山Pも
歌について、いろいろと今言われるけれど
きっと
30代、40代になって
このように登場してきたら
ああ
セニョはいいなあ、と思われるかもしれない。
なぜか
ひろみも俊ちゃんも
今のほうが歌のうまさが光っているし
踊りもびっくりするほどうまい。
どうか
山P、そのようになってください。

話がそれましたが
その俊ちゃんのデビュー曲が
哀愁でいと。
原曲が、これです。
レイフ・ギャレットって知っていますか。
なかなか
カワイイでしょ。
彼のもアルバムあるんですよね。
もちろん
この曲や「ダンスに夢中」を聴くために。

彼のウィキがなくて(探し当てられなかった)、
今どうしているのかしら、と思っていろいろ記事を見ると
何だか
若い時の面影はなく、すっかり犯罪者のような顔になっていました。
犯罪も犯していました。
麻薬(?)とか何とか。
あちらの方は
年をとると全く表情が変わってしまいますね。
日本人はそれほど変わらない。

ということで
俊ちゃんに感動して
この曲を届けます。
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(12/11)今年の漢字を自分で表してみた。

2010年12月11日 13時32分45秒 | はやぶさ
今年の漢字を表せ、とのことで。

私の場合は

   隼(はやぶさ)

です。

今年の自分にとっての出会いは
はやぶさの一連のことですね。
おかげさまで
角田や東北大で開催された

はやぶさカプセル公開等

行くことができて
世界の

はやぶさ

を体験してきました。
夫も付き合ってくれました。

悲しいことはあっても
はやぶさの
あの最後までしっかりと務め上げた精神(そもそも、精神とは全く関係ないのにも
拘らず、精神があるものとして受け止める自分)が
自分を鼓舞してくれます。

出会いは
心に、何かを残していきます。
貴重な出会いは、大切にしたい。

長く生きればこそ、その数少ない感動に出会えるのですね。
はやぶさ
ありがとう。
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(12/11)お知らせ  市川市動植物園とzooさんの共作

2010年12月11日 12時57分00秒 | オトメちゃん
オトメちゃんの写真集

発売日など詳細

久しぶりのブログです。
懲りずにサボっていました。
ごめんなさい。

ちょこちょこ、きちんと
皆さんのブログは拝見しています。
夜中とか
明け方とか
不規則な時間帯に起きて
ネットを観ています。

仕事も今のところきちんと
していますよ。

まもなく長期の休みに入るので
家事に専念ですね。
と、毎年同じことを言いつつ
家の中が綺麗になったことがない、貧乏性です。
一度くらい
綺麗になって、帰宅した夫を驚かせたいとは思っても
挫折して
一部のみ、気づかない程度の整頓だけになっています。

そんなことはよいとして・・・・


お知らせ

我がオトメちゃんの写真集が発売されます。
我が事のように嬉しくて
ここで宣伝させていただきます。

昨年
夏の始まるころ
私は
ある1つのブログに出会いました。

テレビで偶然観た
リラックマと小猿の物語。
あまりに悲しくて、胸打たれて
ネット検索。
そして
その小猿の姿をたくさん写真に撮って
ブログで紹介しているのを見つけました。
その方のブログを一日の最後に観るのがとても楽しみで
私もコメントを残すようになりました。
その方の、写真につけた小猿の代弁がとても気に入って
私の心を和ませてくださいました。

その小猿の名前が
オトメちゃん。

母親が育児放棄して
母親代わりの、自分より大きなぬいぐるみリラックマを抱えて
歩く姿
これを今でも思い出すと
涙が出てきます。
この
健気な姿をずっと撮り続けてきたブログの主、zooさん。
zooさんの記録は
貴重で、市川市動植物園でも
一目置かれています。
私は
「これは表彰ものです」と自分のブログにも書きました。

9月に
私は北海道の旭山動物園を訪れて
サル山を観たのですが
サル山って、人間の目線に合わせて作るので
実際に行動している姿は
10メートルくらい下にある小さな姿なんだ、と実感してきました。
どんなにカワイイ小猿の姿を写真に収めようとしても
私のデジカメでは全く、何を撮っているのかわかりません。
zooさんの写真を撮る苦労がわかった日でした。

zooさんの写真は
望遠で、本当に猿たちの生き生きとした姿をとらえていて
プロじゃないか、とさえ思っています。
いつもいつも
明るく、たくましく、いたずらっぽい
他の小猿とはちょっと行動が違って楽しいオトメちゃんを
私たちファンに見せてくださり
いつかは
動植物園から表彰されないかな、と思っていました。

それが
こういう形で
動植物園との共作という形で
フォトエッセイが完成されて
もう我が事のように喜びました。

ぬいぐるみと小猿の組み合わせ。
その小猿がぬいぐるみを卒業して
群れの中に少しずつ入っていく過程
それはきっと
全国の動物園の人たちも注目している飼育記だと思われます。
そういう意味で
貴重な資料だと思うのです。
市川市動植物園のオトメちゃんだけでなく
全国の
動物園のどこかでも
オトメちゃんのように、育児放棄された小猿はいるかと思います。
その飼育の成功例の模範となって
オトメちゃんはでもそんなこととは関係なく
毎日元気に過ごしています。
そして
自分の体験からか、
翌年同じように、母親から育児放棄された小猿の面倒を見ている優しいお姉さんに
なっています。
不思議ですね、これって。
優しくて、面白いお姉さん。
頼りになりますね。

私たちファンは
そのオトメちゃんがいつか母親になっていく姿を見届けたい、と
思っています。
zooさん頼りです。

zooさん、おめでとうございます、出版。
嬉しい、ヤッター!という気持ちです。



ということで
私の大好きなブログ、
zooさんの写真集の出版の宣伝でした。

ちなみに
私は、昨年末まで
zooさんは女性の方だと何ヶ月も信じて疑わなかった
愚かな人間。
そのやりとりが
自分のカテゴリー「オトメちゃん」にあります。
懐かしい、あの興奮、恥ずかしさ。
ずっと、「彼女のブログ」と書いていました

そして
zooさんのブログ、ブックマークにありますので
動物に癒されたい方、
オトメちゃんの健気な姿、愉快な姿に
悲しいことも吹っ飛びますので、覗いてくださいませ。
私、何度も夜中に大笑いしていました。
癒された~。

ちょうど
クリスマス時期に発売されますので
値段も手ごろですし
小さなお子さんへのクリスマスプレゼントにもいいのではないでしょうか。
親子いっしょに
カワイイ天使、オトメちゃんに癒されてくださいませ。






コメント (2)
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