僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(3/11)あれから4年

2015年03月11日 21時40分34秒 | 東日本大震災
      

あれから4年。
風が強く、雪が舞う中
仕事後に県庁へ。
記帳と献花を。
県庁の職員だろうか、寒くて厚着の私たちとは別の軽装で
次々と献花をしていた。
ここでお祈りするたびに涙ぐんでしまう。

この大きな「献花所」案内の看板は
毎年新規に書き換えるのだろうか。
それとも
震災の翌年から続いているものだろうか。
春、とはまだ言えない寒空の中、
これから何年も何十年も同じ看板が歴史を刻んでいくのだろうか。
命の続く限り、訪れよう。

TVではこちらの被災地にやってきて中継を放送していた。
午後2時46分
サイレンとともに黙祷を捧げる人々。
東京のキャスターたちは思わず泣いていた。
荒涼とした震災モニュメントに祈りを捧ぐ姿。
 
 ここは南三陸町、夫とともに2013年5月に訪れた時の写真です。
防災庁舎のあのアナウンス。
解体か保存か揺れる震災のモニュメント。祈りを捧ぐ拠り所として残してほしいと
思うけれども、しかし・・・

津波の映像はやはり今も見ることができない。
そのあとTVを消す。

あの日の突然の吹雪。
今も忘れない。
今日も寒かった。
寒くて寒くて雪がとぎれなかった。
東北はまだまだ冬、といってもおかしくない。
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(3/10)平成と西暦をすぐに答えられるかと言うと・・・

2015年03月10日 12時47分09秒 | 日常、仕事、認知症
今日は仕事が休み。
のんびりとしています。

朝は
夫が早くに出勤するため、5時に朝食にしたいということで
4時過ぎには朝食の準備に食堂へ。
すると
すかさず義母が起きてきて
まといつく。

「あんまり朝が早いと、世間がうるさい。」とか言うので
「しょうがないでしょ。働くな、とでも言うの?」と
朝から絡まれるので、絡みつきかえす。
「宣伝カーでは、息子(私の夫)のことを言っていたでしょ。」
「なんて、言っていたの?」とすばやく返すと
義母、咄嗟に出なくてしどろもどろ、ブツブツ。

「お義母さん、私耳が聞こえないから、はっきり言って。」
義母のあれこれに聞き返していると
突然自分の部屋に入ってしまった。
闘っているつもりはないが
朝の忙しいときにこんな調子で絡んでくるので
私も絡み返して、勝ったなんて思ってしまう。
今、じっくり相手してやる時間がない。
昨日の夜も
義母の言葉にカチンと来ていたので
その延長戦になってしまった。

風が強いが、日差しがある。
南の庭が荒れ放題。
今度こそ今度こそ、早めに取り掛かるぞ、と思わせた。
南側はどうしても
義母の部屋に面しているので
私の草取りにあれこれ言ってくるのを回避して
荒れたままになっている。
これでは庭がかわいそうだ。



今年は平成27年。
私はこの平成で何年、というのが苦手だ。
昭和真っ盛りの青春時代を過ごした自分としては
昭和40年が1965年とか
昭和52年が1977年とか
そのとき流行った音楽とか、そのとき起きた事件とか
記憶しているけれど
平成になってから
元号と西暦を合わせるのができない。
時間がかかる。

平成18年が西暦で何年、というのがすぐに出てこない。
そして
平成18年に自分が幾つで、何をしていたかが出てこない。
西暦になればわかるのだが。
例えば
1993年、といえば
自分がバイクに夢中になり始めた年、とすぐに思い出せるのだが
じゃ、1993年が平成何年と、すぐに出ない。
皆さんはすぐに出てきますか。

以前
私の母が脳梗塞のリハビリで
「今年は平成何年ですか。」と先生に問われたとき
母は答えられなかった。
それを×とするのか、私もすぐには答えられないぞ、と思った。
母は答えようとするが焦ってしまってお手上げだった。
心の中で
「お母さん、大丈夫、私もすぐに答えられないよ。」と言った。

東日本大震災は2011年。
すぐに答えられる。
しかし
平成ではすぐに出ない。
今年27年から4を引けばいいのか、と数えてしまうのである。
宮城県沖地震が
1978年、昭和53年、とすぐに出るように
平成23年、と覚えておかねば。
明日
3月11日、震災から4年目。
仕事の後、今年も県庁に献花しに行く。
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(3/9)お義母さんのこと

2015年03月09日 17時51分42秒 | 日常、仕事、認知症
どうやら
風邪を引いたようだ。
昨夜
私の寝る前に
(8時過ぎだったか)
義母が二階に上がってきた。
義母は風呂から上がればすぐに寝床に入るのだが
寝床に就いて30分ぐらいしてからだと思う。

「警察を呼ぼうかと思って!」といきなり
強い口調で私に訴える。
「なんで?」
「来てたでしょ、宣伝カー。」
「こんな時間に来るわけないでしょ。」
「とにかく外を見てごらん!」
と、2人で外に出る。
外は雨。
義母がこんな時間に外に出たことはない。
雨に打たれながら
「あ、カエル!」と私は
カエルの重なったのんびりした姿にニコニコして
安全な場所に移してやる。
外は静か。
まだ他の家は
テレビを観たりしての一家団欒の灯り。
その静けさと裏腹の義母の妄想。
「誰も入って来ていないでしょ。」
「いや、入ってきたんだってば。」
「鍵、かかっているよ。」
「いや、いたんだってば。」
「それはおかあさんの頭の中での想像。
大丈夫、私たちいるから。大丈夫。」
と言ったら、
少し安心して自分の部屋に入った。

二階に上がって夫は
何事もなかったようにパソコンに向かっている。
その姿に
少々立腹して
「あなたが先に出ていくべきでしょ。」と言った。
雨に打たれて風邪を引いてしまったようだ。

そして
真夜中。
3時半。
私は起床して
パソコンを開く。
すぐに
階段下のドア(階段前にネコの脱走防止のためにドアがついている)の
バタンと音がした。
義母が二階に上がってくる音だ。
あ、義母がもう起きてきた、と思い
下に行くと
玄関のライトをつけてウロウロする義母。
「早いよ、起きるの。」私。
「トモロッシちゃんも苦労しているから、
私、助けようと思って。」
「助けるって、具体的にどういうふうに?」

脈絡のない会話が続く。
「とにかくまだ起きるのに早いから、もう一度寝てください。」
と言って
私は二階に上がる。

毎日
警察だの、裁判所だのと
言ってくる、最近。

昨年末
ネコのカズの看病のために
私は
1階のオーディオルームから
2階の自分の部屋に寝床を換えた。
1階には
ダイジローが1匹でいるので
可哀相で長年、いっしょに寝ていたのだが
カズの看病のために
久しぶりに自分の部屋で寝ていた。
その真下が義母の部屋なので
私の夜中の起きる音に気づいて
3時半に起きたのだろう。

老人が夜中に起きて徘徊するとかあるが
私も
9時に寝て、自然に3時前後に目が覚めてしまうので
自分も老人のことは言えない。
夜中に起きて徘徊(うちの場合は家の中だけ)、
ありうるな、と思った。
私はパソコンを観る、ということがあるので
動かないが
「おまえも、下(義母のこと)と変わらないぞ、寝てろ。」
と夫に言われる。
だから
老人の家の中の徘徊、特別なことではない、と思った。
7時半ごろ寝れば、その時刻、目が覚めてしまうものね。

今日は帰宅してから
食堂にいる義母に
「カレーがあるから、夜それを食べてね。」と言った。
「これから、スーパーに買い物に行ってくる。あまり閉じこもっていると
ダメだから。」義母。
「雨、降っているよ、まだ。だから、日曜日、(夫の車に乗せられて大きなスーパーに)
買い物に行けばよかったのに。(気分転換に日曜日は夫に連れられて遠くのスーパーに
出かけて買い物をするのが楽しみな義母。しかし昨日の日曜、夫が誘ったが行かなかった。)」
「昨日は行く気分じゃなかった。」
「まあ、そういう時もあるね。じゃあ、気をつけて行ってきてね。」
と、今日は外に行きました。
買い物、きちんと自分でできるんですよ。
お金も出せる。(私の実家の母は、それができない)
夜だけ、妄想が広がる。
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(3/9)また今年もカエルが冬眠から覚めて出てきました。

2015年03月09日 17時04分31秒 | カエル
昨日夕方から
雨になり
今日も一日中降っている。
3月の雨、といえば
カエルの冬眠からの目覚めである。

一昨日の夜の
湿っぽい空気に
冬眠から覚めたのでは、という私の勘が働き
カメラを持って外へ。



やっぱり出てきました。
3匹重なってギュウギュウとしています。
最初のカエルの背中にいた小ガエルも後ろのカエルに押されて
出てきました。
でもまだ眠い表情。ほとんど寝ている状態で押されていました。
カワイイ顔。

しかし
私は
まだ出てきてはダメ、と奥に引っ込めました。
夫の帰宅前なので
車に轢かれたら大変、と思い
もう少し待ってちょうだい、の意味で奥に引っ込めました。

そして
昨夜
交尾のために2匹が重なって、雨の中路地に出ていましたよ。
そのため
大きな道路にも
他の家から出てきたカエルがいるのでは、と
懐中電灯を持って探しましたが
どうも
うちのカエルだけが早々と出てきていたようです。


これは昨年冬眠前のカエルたち。
草取りをして
ヒョイと重たい鉄板を開けると
土の中にもぐっていたカエルがいました。
案外簡単なもぐり方をしているのですね。

まだ雨が降っているので
今夜も
カエル探しです。
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(3/3)88歳の婦人のこと、若い男の子の読書。

2015年03月03日 18時48分37秒 | 日常、仕事、認知症
先日
88歳のご婦人と会話した。
東京から
仙台に一人で遊びに来た、という。
過去に仙台に住んでいたのだが
年を取るにつれて
一人暮らしを心配していた東京の家族(息子さんか)が
呼び寄せたとのこと。
それでも
友人がいる仙台に
こうして
「耳と目が利く限り」一人で新幹線に乗って
やってくるのだという。
自分の姑や実家の母親の年齢より上である。
その矍鑠とした姿、若い瞳の輝きに
私は驚いた。
ついつい
比較してしまうのだ。

「自分は年寄りだから」と
自ら年寄り扱いしていると
本当に精神的に老いていく。
年齢に関係なく
「目と耳が利く限り」(このシンプルな言葉が私に響いた)
どこにだって行く、興味を持ったらそれを楽しむ、
自然な気持ちだ。
やはり、無趣味や行動力のないことは
年齢以上に老けさせるようだ。

今更
義母に
「趣味を持て」と言っても
(以前、進言したことがあるが)
「全然、興味なし。人付き合いが疲れる。」などと
言われるのがオチだ。
人に会えば、
ずいぶんと自分のことを語る人なのだ。
私の親類が来れば
「私も仲間に入れて」と二階に上がって来るほどだから
人と話すことは好きなはずだ。
趣味を通してそれをすれば
夜はぐっすりと寝られるはずなのだが・・・

相変わらず
自分の妄想のつぶやきを紙に書いて
あちこちに置いている。
あのオトコやオンナ(妄想ね)に
「勝手に花に水をやるな」とかダンボールに書いて
サンルームの植木鉢の傍に置いている。


私も
年齢を重ねていくと
つい
「年を取った・・」と口走るが
考えてみれば
早朝からの仕事をしているとき
全然
体力的に疲れていないのだ。
身体、丈夫になったなあ、まだまだ行ける、と思っているのである。
何が疲れるかというと
やはり職場での狭い人間関係だなあ。


職場の若い男の子が
文庫本を読んでいた。
「何、読んでいるの?」と尋ねると
「推理小説です。」と答えた。

若い子が本を読んでいる姿を見たのは何年ぶりか。
電車に乗っても(滅多に乗らないが)
周りを見れば
皆、スマホを見ている。
その姿が近年の若者の姿だ、と思っていたので
彼の姿は新鮮だった。
俄然、張り切るオバサンの私。

「うちにいろいろあるからね、何か推薦して持ってくるね。」と
薦め魔の私は言った。

私の書棚の推理小説類を探す。
もうこの書棚とも無縁の生活になっている。
高村薫がいいか
もっと古い人がいいか、などと
何日もかけて
選んだのは
天童荒太の
「家族狩り」である。
これは単行本で、がっちり分厚い。
昨年
TBSでドラマになったばかりだから
(松雪さんがよかったね、その相棒のチビノリダーの人も)
知っているだろうと思いそれを選んだ。
彼はそのドラマを知らなかった。
背表紙はすっかり黄ばんで(96年に購入の文字があるから、20年近く前の本)
いるが
読み応えがあるから、何ヶ月もかかっていいから犯人は誰かを推理してね、と言った。

そして自分は
どちらかと言うと
ノンフィクションが好きなので
それより更に10年以上遡って
80年代に買った
佐木隆三の文庫本を再び読み始めた。
「殺人百科シリーズ」である。
これもお薦めしたい。
すっかり内容も忘れていて
読み始めたら止まらなくなってしまった。
寝る前に読むのだが
目が悪くなっているせいか
文庫本の文字がきつかった。
とうとう目の奥が痛む。
それらも持っていこう。


今年は何か1つでも資格を取れればいいなあ。
そのための勉強をしなくちゃならないけれど。
毎年東京の知人の年賀状には
家族1人1人が今年の目標を書いてくる。
私より年上なのだが(男性)
「今年はより書道(趣味でやっている)を上達させます。」
子どもは
「今年はサッカーを上手くやります。」などと書いてくる。
それを見ると
どんな年齢になっても
趣味を特技にしていく、向上心が見られてちょっとした刺激になるのである。
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