僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(10/23)ミミの死

2015年10月23日 16時58分08秒 | ネコ
あれから1時間ほどしてから
また呼吸が荒く聞こえてきた。
そして
手足が交錯したり、身体の内部から意思でどうにもならない痙攣のようなものが時折襲う。
意識が無い分、救い。
あとはミミ、静かに眠れの気持ちだった。
もうこれ以上苦しめないで静かに逝ってほしいと。
それでも身体のマッサージを辞めなかった。
12時25分
ミミ、眠るように眠っているように
私の腕の中で永眠。
しばらく私の腕の中に抱きしめていた。
愛おしい愛おしい可愛い寝顔のようだ。
その写真を撮らなかった。
トチの時はあまり抱きしめてやれなかった。
だからミミの時はまだ柔らかい身体を抱いて私の思いを温もりで伝えた。
ちょっと泣いた。
泣いた。
義母に伝えに行った。
「ああ、そう。」と答えただけだった。
ミミの面倒を2日間見てくれてありがとう。

夫に
昼休みだったので電話した。
トチの死には夫は立ち会えた。
これまでの死は夫は
いつも事後である。
そのほうがいいのかもしれない。



一つの時代の終わりの始まり。
98年、99年生まれの子たちがこの1,2年のうちに死んでいく。
16年、17年の歳月は人間にとっても長い。
それだけ生きたんだ、と思えば
有限の生命なのだから、万歳じゃないか、と言い聞かせる。

ミミ、ナナ、クロポチが来た98年。
実はもう1匹、マユというネコもいた。
4匹の1カ月くらいの子猫を口に1匹ずつ咥えて
ロッシの恋人、ハルがうちのサンルームに運んできた。
ノラのロッシがうちに来はじめたのが97年。
まだ義父が生きていたころだ。
そしてそのうち
ロッシに付いてハルが遊びに来た。
「ロッシがガールフレンドを連れてきた」と何枚も写真を撮った。
ロッシがぞっこんのように見えた。
そのハルが
ミミたちを咥えてうちに来たのだ。
ノラの子猫は最初は私たちを威嚇してはみたが
すぐに慣れて遊ぶようになる。

当時
うちには
初代のネコたち(オオコシ、マミに加えて、タマ、マゴタマという近所のネコがうちのネコになっていた)がいて
さてさて
大所帯になることの不安があった。
しかし、可愛さのほうが増して、結局うちのネコになった。
外に自由にでていた。
近所のネコ好きのおばさんがいて、そこにも通っていた。
まだハルのオッパイを飲んでいたので
ハルの避妊はもう少ししてから、と思っていたら
いつの間にか
ハルのお腹が大きくなっていた。
それが99年の2月、トチたちの誕生となる。
この子達が
うちの2代目グループである。
そのあと、初代グループのネコたちが死んでいく。
次の世代のグループになる。

同じ99年に生まれた外のノラのことが気になる。
誰が母親かわからないが
(ハルにそっくりの模様のネコ。だからハルとは血の繋がりがありそうだ)
タヌキのようなハクビシンのような子猫がいた。
その猫のことが気になって気になって4年目の秋(2003年)に
成猫になったそのネコ(タヌ)とその子供ダイジローを保護。
タヌの写真はこのブログの紹介のところにある。

パソコンのデスクの横に貼ってある写真を撮影したものです。
トチたちと同じ年齢のタヌ。が、10年で死亡。
2009年であった。
2003年生まれのダイジローと、同じ年に単独で保護したシンノスケと、2004年に保護したシマトラ(何歳か不明。
2011年に死亡)、2006年に保護したトモは
第3グループと言っていいだろうか。

おそらく
この文章を読んでいても
年代やネコの名前が錯綜して分かりにくいかもしれないが
当の私はよく把握しているのでそのまま書いていきます。

98年組、99年組があと3匹います。
ナナ17歳
クロポチ17歳
ヒカル16歳

この子たちがやがて遠くはないある日
トチやミミたちのような旅立ちが来る。
痩せてきて、たまにクシャミをして(これが命取りになる)、それでも元気にしているが。

できるだけ順番に。
もしも第3のグループの子が先に逝くようになるなら
それはそれで悲しい。まだまだ長く生きていける年齢なのに、と思っているから。

ここでやめておきましょう。
頭痛がするので。
今日、休みでよかった、としみじみ。
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(10/23)ミミの蘇生

2015年10月23日 11時43分02秒 | ネコ
さっきのブログを投稿したあと、掃除機をかけたりとしていた。
ドサッと音がしたので
見ると
ミミがソファから降りて
体を引きずるようにして水飲み場に行こうとしていた。
こういう不自由な状態になってから水は
彼女の口元に持っていって飲ませてはいるが
ネコのこだわりというか
いつも飲む水の所に行きたいと思っての行動だった。
身体が支えられないので私が支えて
思う存分飲ませた。
そしてまた歩こうとしたが、それが苦しくなって
今までにないいよいよ死を迎えるような取り乱しになった。
頭がのけぞった。
あ、呼吸が止まる、と思い
頭を下げてソファに横たえた。
呼吸が止まった。
腹が動かない。
最期の声になった。
私は急いでマッサージをした。
心臓や血の気の引いた足や背中、ずっと手は胸をマッサージしていた。
すると
腹が動きだした。
呼吸がウッと何回か声に出してされた。
そんなとき携帯が鳴った。
会社からだった。
イエスマンの上司。
27日の私の休みの日。母の病院に行き、最終的な判断をする日に
仕事が入った。
その日にお願いしたいのですが、と言われるが
その日は母の病院です、無理です、と言った。
母の再発のときに
病院と打ち合わせした様々な検査日、検査入院の日付を上司に予め伝えて
27日は大事な日だと伝えていたが当然それは彼は忘れているようだ。
淡々とした口調で私は
無理だと伝えた。

その間も手はミミをさすっていた。
再び呼吸をしだしたミミ。
もう瞳孔は開いて意識はないが
心臓は動いて呼吸はしている。
大事なのはこっちだ。
私の代わりはいるだろう、会社。
ミミの傍にいるのは私しかいない。
もう時間の問題かもしれないが
心臓が動く限り、ミミ、生きていて。

体力のないところに
何か動きがあるとたちまち
呼吸が止まってしまう。

ロッシというネコがそうだった。
病院にいてもどうしょうもない状況で
家で死を迎えることになった。
そして静かに死を迎える準備をしようと
家についたとたん
ロッシは死んだ。
あのときもウウウッとのけぞった。
あのとき、うんとマッサージをしてやれば
蘇生したのかもしれない、とさっき思い出してしまった。
家について3分も経たないうちにだ。
身体を動かすことがたちまち血の気を失うくらいに土色になる。
足も手も冷たくなる。
人間、自分への慰めしかならないが
死の間際まで身体を温めてやりたい。
今日の休みは
ミミのためだ、そうなんだ。


蘇生したところ。呼吸しています。
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(10/23)ミミと母と義母と

2015年10月23日 10時01分12秒 | ネコ
今朝のミミ。

今日は私の休日。
久しぶりに家にいそうです。

今月初旬、実家の母のガンの定期検診に付き添ったときに
肝臓に新たなガンの影が見つかる。
はっきりとわかる陰影。
そこで
また1からの検査の日々が始まり
ちょうど私の休みの日がそれに偶然重なり
仕事への影響なしに付き添うことができた。
しかし逆に言えば
自分自身の休みがなく
ネコの世話と義母の相変わらずの対応と更に実家の母の付き添いがすべてとなった。
来週の火曜日27日に、最終的な処置の判断を決定するのだが
その日もたまたま自分の休日なので、差支えなかった。
が、その日、仕事の後に、全体の会議が入っていた。
直接の上司に、母の付き添いのことを言って、その会議を欠席することをお願いした。
今までは用事がある限り、強制ではなかった。
ところがその旨を上司がさらに上の上司に伝えると
「じゃ、トモロッシさんが出席できる日に延期しましょう。」と言われてきたと私に伝える。
無能な上司め、と内心思った。
イエスマンと化した直接の上司。
一介のパートに、「個人の用事で会議を延長させた」という無言のプレッシャーを植え付ける。
私は
「11月以降は手術となればいつになるかは病院次第、それに準じたい。」と述べた。
会社側は私の出席できる日と言いながら、単純に11月5日と指定してきている。
もしその日、手術となればさらに会議延期か?
では、11月5日に別のパートの人がどうしても抜けられない案件で欠席となれば延期なのか?
病院側に譲歩してもらうしかないのか。

一度この会社を辞めた理由の1つとして(当時は正社員)
父と母の二人のガン手術の付き添いに(病院は別々)私自身の身体が持たないと思い
そちらを優先したい、というのがあった。
そして
再び、会社から声がかかった時
「両親や義母のことを優先したいので、午後の仕事(会議等)はしない、というのを受け入れるのであれば」
ということでパート希望、それでも人手不足なので
「手伝ってもらうだけで大助かり」となっていたのに、
どんどん仕事が入ってきたりして
これは違う、と最初のころ思っていた。
そのうち直接の上司が異動で変わったことで(今回の上司はイエスマン、と皆理解している)、更に
仕事が増え、不満も増してきた。
それに馴らされたところに、こんな変なプレッシャーがあるとは。



まあ、それはたいして大きな支障ではないんだ。
人生に付き物の小さな不満だ。


母のガンの再発。
半年前の検診では、大丈夫だ、様子を見ましょうということだったが
この半年で、自分の目で見てもわかるほどに
丸い影ができていた。

母は一人で先生の話を聞くことはできない。
内容が分からないんだ。
自分がなぜ、こうして再び、PETやMRIなどの検査を受けているのか把握していない。
その場でわかったようなふりをしていても、実はわかっていない。
母の脳梗塞からの認知症は進行しているように見える。
検査入院のことも、どんなに説明しても(言葉も短くして伝えるが)
なんで入院しているのかわかっていない。
検査後、トイレに行きたいと言われて付き添ったのだが
トイレの後に水を流し
「ちゃんと手を洗ってね」と言ったら、便器の流れる水に手を突っ込んだ母。
「ああ~!ダメ!こっちでしょ、手を洗うところは!」と私。
これにはちょっとショックだった。
あんなにきれい好きな母が便器の水に手を入れるとは。

ただ、母は自分の名前だけは書ける。
元々のきれいな字で。
いろんな書類の本人のサインのところに
80年染み着いた字の美しさが本能的に出てくる。
自分の名前を書いて、と言うと躊躇なく書ける。
これが書けなくなったらおしまいだね、と私。
それに対して
義母は
書類の自分の名前は震えて書く(手が恒常的に震えているわけではない。トモロッシさん、書いてくれ、と言うが
拒否)。
やれることは自分でできるだけやるように、と言っている。

義母に
「うちのお母さん、トイレの水で手を洗った~」と言うと
「あら、まだ私のほうがマシね。」


その義母に
昨夜もミミのことを頼んだ。
どうしても目を離せないので、食事の準備のときは目の行き届くところ(一階の食堂続きの義母の居間へ)に
ミミを連れていく。
一生懸命、ミミに声をかけて、身体をなでて
その間、義母の被害妄想は吹き飛んでいる。
何かに夢中になっていれば、その被害妄想は現れない。
夜、食事後に
ミミを連れて再び二階に上がるとき
「明日も生きていたら、お願いね。」と義母に言う。
それが何日も続いてほしい。
もう、望みはないかもしれないけれど
最期の最期まで、愛情で固めてあげたい、包んであげたい。
声の出せない小さな生き物が、なでてもらって嬉しいと尻尾で表現している。
ゴロゴロも聞こえる。ミミ自身の耳には聞こえないかもしれないが
あなたが喜んでいる、心が落ち着いていると、こちらに伝わっているよ。


今朝も
食餌は、一舐め、二舐めした程度と水飲みだけ。
しかし
自分の寝床からまた何度か起きて
こちらの部屋(二階の居間)まで来ようとしていた。
そうか、こちらに来たいのか。
抱きかかえて
ソファの上に。
餌は拒否。
カイロを下に敷いたが、いつの間にか熱くなったのか少し移動。
仲の悪かったヒカルが同じところに寝ているが
もうヒカルは攻撃しない。
皆、何かを悟っているのか、ミミの行動に干渉しない。
ありがとう、他のネコたち。
君たち、バタバタとはしゃいでいるけれど、いつ、こうなるんだ?
そんなことまで考えてしまう年齢。
他のネコたち、元気であれ。
ギリギリまで元気であれ。
私はまだまだ、君たちの世話に明け暮れたい。



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(10/22)ミミと義母と

2015年10月22日 17時02分53秒 | ネコ

昨日の夕方の様子。義母の部屋のコタツの上で。


昨日は
仕事中にもミミのことが浮かんできて
早くミミの元に帰りたいと思った。
ミミ、ミミ、と心の中で呼んで
もしかしたら・・・と最悪の覚悟の気持ちで帰宅した。
しかし
ミミ、呼吸していた。
それを見て安心したのか私は居間のソファで眠ってしまった。
そして
目が覚めると
足元にミミがいた。
エ?
ミミ、隣の部屋から歩いてこちらに来て、ソファの上に上ったの?
そんな体力、あったのか?
最期の力?
私の傍にいたいなら、好きなようにそうしていてね。

そして
夕飯の支度をするのに立ち上がってネコのトイレを直したりすると
他のネコたちも夕食目当てのソワソワ。
私の後について皆、階下に降りてくる。
するとミミも起きだして
階段を下りようとする。
フラフラとした足つき、ちょっとしたことで骨折しそうなので
抱きかかえて
ミミの好きなように、抱きかかえて1階に下りた。
義母に
「お義母さん、ミミが死にそうなの。下に来たいって言うから連れてきたよ。
ご飯支度する間、ミミの傍にいてね。ここをこうやってなでると、喜ぶから。」
とお願いすると
コタツの上に載せて、ミミの頭などを優しくなでてくれる。
ミミ、幸せだね、気分のいいときはこうして皆と行動したいね。
義母に
「今日で最期かもしれないけれど
明日、もし生きていたらまたよろしくね。」と頼んだ。
「ミミちゃん、長生きだね。」と義母はミミに語り掛けていた。
ミミの食餌はスープのようにしてやったが、少し食べて終わりだった。

二階の私の部屋に戻り
もうトイレに行く体力も怪しいので
垂れ流しをしてもいいように、ペットシーツ、タオル等を敷いて
あとは好きな所にいてもらうようにしている。
そして私の寝床は
三畳の納戸である。
本来の自分の寝床に寝ると、ミミを蹴飛ばしそうなので隣に縮こまって寝ている。


今日も昨日のような気持で帰宅する。
もう息していないのでは、と。
見ると、お腹の呼吸の動いているのが見えたので
「ああ、生きていた。」と思う。
しかし今日は、ソファに横になっても来ない。
じっとしている。

だんだん寒くなってきたので
敷物の下にカイロを置いたりしたが、嫌なのかなそれを避けてじっとしている。
写真で見ると
それほど痩せては見えないけれど
触るとゴツゴツと骨がわかる。
たまたま
ミミの傍にナナが来て
義母に
「ミミとナナ、姉妹なんだよ。同じ日に生まれたのに、ホラ、こんなに違うでしょ。」と
ナナの滑らかな背中、毛並みを触って比較してもらった。
これが元気な姿。ナナも鼻炎があるけれど、まだまだ大丈夫かもしれない。
クロポチもミミと同じ年齢。
彼も痩せてきた。おしっこも時々出なくなるし、
次は誰なのか・・・と
私は不安になる。
こうしてナナも元気でいるけれど
それが何年続くのか、何カ月続くのか、と彼らの年齢の残酷さを思う。
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(10/20)ミミも・・・

2015年10月20日 21時29分55秒 | ネコ
実はもう1匹
ここ2,3日で逝くかもしれない子がいます。
トチと並行して
ミミというネコが具合悪くなって1カ月。
トチとミミ
奥の私の部屋で私とともに過ごしていました。
どうも
病人になると
静かなところに引き下がってじっとしているネコたち。
いつもは
居間のソファなどに皆固まったり、それぞれ気の合う子同士でくつろいだりしているのだけれど
トチが具合が悪くなってから
いつもシンノスケと一緒だったのが奥の部屋に自ら下がりました。
ミミは元々、社交的ではないので、人間には甘えるけれど他のネコたちとはさほど仲良くはしてこなかった。
トチとミミ
ほぼ同時に食餌を拒否し始めて
トチが昨日先に逝きました。
ミミも今日は全く。
シリンジでの給餌さえ拒否。
いよいよだな、と思っています。
高齢(ミミは17歳)のネコはたちまち痩せ細ってガクッと来ます。
足もよろけてまともに立てません。
水を飲むのも身体を支えねばなりません。


こうして
ミミが
トチが
本当に去っていく。
ノリの死のとき
次々にやってくるであろう死(皆同じような年齢なので。98年組、99年組の老齢ネコたちが多い)を
予感して
自分で覚悟を決めなくては、と言い聞かせてきました。
死に対して、自分が強くいなければ
自分の心が持たない、こんなに長生きしてくれたんだ、命は有限だ、しかたない、見届けるのが私の使命、
いろんな言葉を浮かべて鼓舞してきました。
今回も然り。

ただ、あまり苦しまないように、できれば意識のない状態で静かに眠るように、と
それを願っていました。
これ以上、奇跡は起こらない、ならばせめてそれを・・と。

もっと書きたいのですが
明日は早く起きなくてはならないのでこの辺で。
ミミの傍にいようと思います。
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(10/20)トチ、逝く。16歳。トチの画像。

2015年10月20日 08時18分24秒 | ネコ
トチ、昨日の夜
10月19日午後10時、逝きました。

いつもいつも、単独で保護されたシンノスケの傍にいてくれたトチ。



ヒカルにいじめられていたシンノスケの相手をしてくれたトチ。お兄さんだったね。







大震災直後の家の中。トチ、まだ怖がっています。





この1999年生まれの3兄弟、とうとういなくなりました。ここに写っていないヒカルだけが残っています。


里親に出した2匹も昨年亡くなっています。残るはヒカルのみ。
99年、ノラのハルがうちのサンルームのコタツの中で産んだ8匹の兄弟。既に2匹は死亡していて、
残り6匹が生き残る。そのうち5匹がオス。1匹がメス。当時の職場の先輩同僚の所に里子として貰われていき
昨年だったか亡くなったとの報告あり。一度会いに行ったこともある。
そしてうちには4匹が残る。昨年カズ、今年ノリ、トチ逝く。とうとう5匹のオスは向こうの世界で再会している。唯一メスのヒカルが元気にゴハンの催促をしている。
オスの兄弟5匹の写真があったのが嬉しい。皆、この世に生まれてきて幸せだったか?
愛されて幸せだったよね、皆。


手前がヒカル。メス。オスのほうがやはり早く逝く。


一番愛嬌があって、頭が良くて、4兄弟のうち長男、と位置づけしていたトチ。




トチの死の瞬間に立ち会えました。
ノリのときもカズのときもちょっと目を離した時に、と続いたのですが
昨夜は立ち会えました。
立ち会う、というのは辛いけれど
最期、しっかりと腕の中で。
16年、私の傍にいてくれてありがとう。
弟分のシンノスケを愛してくれてありがとう。

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