僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(7/30)お久しぶりの私。

2011年07月29日 10時00分46秒 | Weblog
おはようございます。
この私が、2週間もブログを書いていないだなんて、
PCが壊れて、ネットカフェで書いたりした時以来かな。
ブログを書いていなくても
毎日PCには少しでも向かっているのです。
そして
乏しいこのブログを毎日覗いてくださっていた
皆さんに感謝したい気持ちです。

この2週間
働き虫の私でした。
まだまだ仕事を覚えている最中。
あのチーフとは
毎日笑い合って、一服して過ごしております。
それでも心底、消えない何か・・・はあります。

いつだったか
義母が具合悪くなって寝込んでいたんですね。
私は
仕事が終わって帰宅すると
そのまま二階の自分たちの部屋に直行するんですね。
だから
義母に話しかけるのは
夕方のお風呂の時くらい。
二階に上がって、疲れてそのまま眠ってしまったり。
異変に気づいたのは夕刻。
下の義母からの呼び出しベルで
下に行くと
義母がベッドに青い顔して寝ていました。
どうやら
買い物に出かけて帰宅したあと
牛乳を飲んだとたん、吐いたとのこと。
あの日前後、ずっと暑くて暑くて
全国的にも熱中症の話題があったころ。
義母もそれだったと思います。
枕元には
洗面器に、茶色の吐いた汚物。
二階の冷凍庫から
冷えた枕(商品名わからない)を持ってきて
身体を冷やし
救急車を呼ぼうか、と聴いたところ
そこまで必要ない、ということで
安静させる。
老人なので、体温調節もできていないようで
暑いにもかかわらず
窓も閉めっぱなし、扇風機もつけず。
連休にかかっていたので
連休明けに
隣の奥さんが付き添って病院で点滴。
私は相変わらず、早朝出勤。

今は回復しています。
その話をチーフにしたんですね。
すると
翌日にチーフが
「おかあさんに。」と、常温で長期保存できる豆腐をドサッと
よこしたのです。
なんで?という気持ちもありましたが
ありがたく頂戴して、義母に。

それ以来、
その御礼として甘味のものをやったり、
猫の話、と
チーフとは
なるべく仕事の話を避けて
そんな会話をしています。

相変わらず
掃除はしないで、早く帰っていますが。

そういう毎日なもので
ブログに向かっても
今日のできごとは
仕事がどうのこうのでは
自分でも
面白みがないなあ、と思って
書けないでいたのです。

職場と家の往復のみ。
唯一
寄り道の公園。
鳩と戯れる。
雀も寄ってくる。


家にて
夫との会話もなし。
互いに
互いの欠点を指摘して終わり。
夕食も
先に夫と猫たちのを準備して
あとから
のんびりと私が食べる、という毎日。
二階に上がれば
夫はほぼ睡眠時刻。
私は9時までネット。
そしてまた下に降りていき、
オーディオで
ダイジローとグダグダしながら眠り
3時に起きるという毎日。

今日は地震は感じないけれど
いつだったか
集中して大きな地震が連続して
まだまだ
予断許せじ、という日々。
忘れてはいけないあの感覚。

なでしこジャパンの生の中継も
仕事で見られず。
でも、他の方が
中継を詳細に報告してくれました。
皆といっしょに
味わいたかったあの感動。


私の職場には
震災関係の応援の方々と縁あり。
私の4月入社と同時に
ずっといっしょです。
彼らも、まもなくこの街を離れるようです。
ありがたいという気持ち。
彼らもずっと故郷を離れての作業ですから
早く、地元(関西、中部方面)に帰りたいと
思っていることでしょう。
でも、この街を隅々まで知ったことになるのかな。
大きな祭りが
来月早々あり。
それを楽しんでください。
あるいは
自分の地元から家族を呼び入れて
この祭りを楽しんでほしい。
私のデジカメ、活躍しろ。
全然、撮っていないね。

ではまた後で。


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(7/15)久しぶりの休日

2011年07月15日 10時35分09秒 | Weblog
一週間に1日の休みである。
とにかく疲れて疲れて
帰宅しても何もできない状態。
かと言って
唯一の休みに
テキパキと家事をやれるかと言うと
NO
です。
それでも今日は
日差しが強いうちに
布団干しと
洗濯3回はしたので、これで満足している自分。
キティのぬいぐるみも洗った。
トモが
ぬいぐるみの上に不自然な座りかたをしたので
アレ?と思ったら
おしっこしていた。
とうとう、トモまでそんなことをし始めた。


毎日
登校拒否みたいな気持ちと闘っています。
とにかく
表面的に仲良くできても
あの最初の強烈な印象が残っていて
それがトラウマのようになって
朝、出勤するとき動悸が激しいのです。
言葉の暴力というか
歯に着せぬ言葉遣いというか
大義名分の下に、いじわるが存在するというか
基本は変わらないですね、今のチーフ。


職場を去ると、寄り道をする私。
すっかり
あの桜を見た公園がお気に入りで
コンビニでパンと飲み物を買って
鳩にパンをやりながら
30分ほど木陰で休むのです。
夫にしてみれば
単なる時間の無駄遣いにしか思えない
そんな時間が好きです。
昨日は
お姉さんと寄りました。
昨日の、チーフの仕事ぶりについて。

段々と本性が見えてきました。
彼女は、私たちに仕事を教えることで
自分の仕事を減らしています。
昨日は、いつもの仕事時間のほかに
午後も仕事が入り
それをやってから掃除をするのですが
彼女は、全く掃除をしないで
さっさと帰りましたよ。
一度、私に、「この場所の掃除の仕方」を教えると
それはもう私の仕事になり、
「次の場所の掃除の仕方」を教えると
そこも私の仕事になり、
「その次の場所の掃除の仕方」を教えると
そこもまた私の仕事になって
このように仕事をする場所が増えていっています。
で、結局、あなたの掃除をする所はどこ?って
喉から出そうでした。
夫曰く
「おまえ、そのキャラできてしまったぞ。もう逃れられないぞ。」と。

本当はね
もっともっとここに詳しく
どんな仕事をしているのか書けばいいのでしょうね。
書くと、いろいろと支障が出るような気がしてね。

お姉さんが突然口にしたのは
「先日テレビを観ていて思ったのは
あの、松本元復興大臣の態度ね・・・リーダーは
あのような態度を取るべきじゃないな、と思ったのよ。」

私とおんなじことを思っていたこと。
あの横柄な高圧的な態度を先制パンチとして打って
相手を辟易させて、支配していこうとする態度。
まさに
今のチーフの態度といっしょだった。
それをお姉さんも感じていたようで。

毎日
いい話にならないので
ブログも遠ざかっています。
ごめんなさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(7/11)片岡さんの猫

2011年07月11日 15時37分16秒 | 東日本大震災
片岡さん(拳論ブログ)の
被災猫が帰ってきた。

元々ノラだった猫だが
地震のとき
ブロック塀の下敷きになったのを
助けて
治療に専念してきた片岡さん。
なかなか人に懐かない、警戒心の塊だったが
目も見えるようになり、身体も動くようになり
ノラの気持ちに沿って、離してやった5日前。
その後、気になっていたと思うが
(私も、それがいいのかどうか、判断つかなかった。)
また姿を見せたのだ。
ちゃんと、鳴いて、存在をアピールしてきた。
去勢もしてあるので、もうそれほど遠くに行かず
今後、ゆっくりと
片岡さんに心を開き、徐々に近づいてくることだろう。

猫って
結構頭がいいんだ。
一度、声をかけると、その存在をわかってくれる。
うちにいたロッシもそうだった。
毎日来るようになった。
すぐに去勢をしようと思ったが、捕獲に大失敗して
二度と姿を見せないのじゃないかと
後悔したが
すぐにやってきた。
そしてとうとう我が家の猫になった。
去勢していないときのロッシは
怪我をしていようと、とにかく外に、雌を求めて、大雪が降ろうと
出ていく。
ようやく、去勢したっけ。
そのあとは穏やかに、すっかり打ち解けたカワイイ猫になった。
そのロッシが逝ってもう8年。
早いなあ。

とにかく、良かった良かった。
片岡さんの心の鉛も取れたことであろう。
ボクシングの取材で大忙しだろうけれど、
鉛が取れて、仕事に専念できると思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(7/5)仕事をしないうちに辞任

2011年07月05日 15時21分33秒 | 東日本大震災
忙しくて、身体がつらくて
全くブログを更新していないけれど

昨日は
ニュースを見てさすがに立腹し、
それを明日(今日)書けたらいいな、と思っていたら
早くも急転直下、辞任ということになった。
そう、あの人。
彼の話の内容はあきれるばかりだが
それ以上に
あの話しぶりに、即、これはない、この人は大臣にふさわしくない、と思った。
人間としての資質に大いに疑問を持った。
こんな考え方をしている人、こんな話し方をする人に
どれほど復興を期待できるだろうか。
村井知事も、いきなりあのような言い方をされて、非常識な話しぶりに
おそらく立腹したかと思うが、放送される手前、怒りをぐっと
飲み込んだことと思う。
その後、よくぞ冷静な不快感を表明してくれたと思った。
国と県は主従関係か。
大臣はふんぞりかえるお客か。
初対面で、あのような対応をする人の力は借りたくない、というのが本音だ。
村井知事、前途多難、と思ったことだろう。

ところが
今日、仕事をしているとき、たまたまテレビで
辞任会見をやっているのを観る。
音声は聞き取れなかったが、文字に「辞任」とあったので
当然だ、と思った。
これが辞任でなければ、
あの話しかた(飲み屋でもないし、朋友でもないし、部活の先輩後輩でもないし)
と内容を謝罪すべきだ、心を入れ替えて、公僕として、被災地の復興を全面協力する、と言うべきだと思っていた。
しかし謝罪しても、遅い気がした。あの言い方は、彼の本質である。本質はそうそう変えられるわけでない。そういう生き方をしてきたのであろう。
恫喝、高圧、不遜、それがこれからも、折々に出てくるはずだ。
よかった、辞任して。
ご免蒙る。
県も国の一部である。まるで、別な国をしかたなく、仕事だから助けてやるんだ、という意識が丸見えである。
宮城県も、日本国です。


私は
あのような話しかたをされたら、返事はしません。
「わかったか!」と言われて
「話の内容がわかっても、ストンと胸に落ちませんね、その言い方だと。」と
ついこの間
職場でやり合ったばかりである。
思い出した、あの場面。

今、その彼女とは表面的には
何とか仕事をしているが
やはり最初に、本質を見てしまったから
どうも心の底から
信用できませんね。
毎日それの繰り返しです、今。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする