僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(11/30)母も入院することになった

2012年11月30日 21時16分20秒 | 両親のこと、入院のこと
母も
大腸ガンの疑いあり。
いや、決定か。

父よりひどい状態とのこと。


2人して
別々の病院に入院する。

断片的にしか聞こえてこない様子。
明後日、仕事が終わってから実家に行ってくる。

先週も行ってきたのだが
父と話して
病気とは別に、非常に不快な思いをしたもので
それをまとめる間もなく
今日、母の入院のことを聞かされる。

自分の身体が2つ、3つあればよい。
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(11/27)雪がちらつく。

2012年11月27日 21時10分08秒 | 東日本大震災
いろいろと
うまくいかない、気分が沈滞気味の日々が
続いている。


今日、雪が降った。
とは言っても
ちらついただけだが
県北のほうは
きっともっともっと
吹雪いているだろう、と予測する。
本格的な雪は
東北の都会はまだまだ。

今でも
震災関係でこの街に残って
働いている人
いるんですよ。
彼ら、南の方から来た人達なので
きっと
この東北の冷え込みに震えて
仕事をしているでしょう。
おそらく東北の2回目の冬を迎えることでしょう。

父、12月6日入院、10日手術。
どんな思いをしているだろうか。
父について
後ほど。
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(11/22)死について/野中のばらさん

2012年11月22日 21時36分56秒 | 猫漫画
今日も
目覚まし5回分、気になりながらも起きられず
寝坊してしまった。
心落ち着ける暇もなく
職場に向かった。



昨日は
前日の訃報をかなり引きずった一日だった。
人の死。
そればかり考えていた。
野中のばらさんの死。
突然の死。
孤独な死。
残された猫たちの気持ち。

死因について情報もないし
次の「ねことも」が出ても
ただ1、2行訃報を伝えるだけかもしれない。



それにしても
死というのは
受け止める側の軽重がはっきりしている。
本来なら「死」ほど
厳然な哀しみはない。
他は、何かしら解決できるもの、克服できるものが多い。
借金をしても、病気をしても、職を失っても、失恋しても
生きていればこそ、解決できたり、克服できるものだ。
そのとき、そのとき、絶望的な思いをしても
生きていればこそ
糸口は見えてくるし
時の流れが解決してくれるはずだ。
しかし
死は
それで終わりである。
そして
死に様(よう)、その環境によっては
死の哀しみが倍増する。
先の震災の死、病気で亡くなった同僚、いろんな形の死を見てきた。
見ていてつらい死もあろう。

誰かの死を聞いて
あまりピンと来ないこともある。
同じ死でありながら
「そうですか」と言うだけのときもある。
誰かにとって
その愛するものの死は厳然とした哀しみであっても
誰かにとって
それは軽いものとして受け止めることも事実である。
私は今回の
のばらさんの死はショックだった。
漫画の世界でしか知らないはずなのに
それはこれからもずっと続くものと当たり前のように思っていたのに
あまりにあっけない、あっけない。
死ってこんなに簡単にやってくるものなのか。

自分は怖くなった。
自分は
死ぬのはもっと先だろう、と自分で勝手に思っているのだが
死は突然やってくる場合がある。
うちの猫たちが生命を全うするまでは
死ねない、死なない、と勝手に思っている自分。
いや、違う。
意に反して、死は突然やってくる。

急に
「城の崎にて」を思い出した。


今日は大分気持ちが落ち着いてきたが
現実に
あの3匹のネコたちの行く末が心配である。
はかないものだ、生き物って。
飼い主次第で、生き物も「生きること」を彷徨う。
ああ
だから、今、私はこの子たちを大切にしなくてはならない。


今日
父から電話あり。
大腸ガンの宣告。
首の手術よりも緊急性が高いので
急遽、首の手術の病院をキャンセルして
別な病院に入ることになった。
電話での一方的な話なので
事情をつかめていないが
明日からの連休、私は仕事を休めない身だ。

寝坊しないように
さあ、トモロッシ、もう寝なさい。
文章散漫、失礼。
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(11/20)猫漫画家野中のばらさん逝去

2012年11月20日 21時13分12秒 | 猫漫画
昨夜は
嫌な夢を見ていたような気がする。
しかし
どんな内容かよく思い出せない。
途中で目が覚めてトイレに行ったのが3時。
3時半に目覚ましをかけていたので
そのまま起きればよかったのに
眠ってしまった。
おかげで寝坊。
仕事には間に合ったが
焦る気持ちは身体に良くない。
そのまま怒涛の仕事になる。
お昼も食べなかった。

2時過ぎに帰宅。
ネットを開くと
訃報。

野中のばらさんが十六日に亡くなっていたとのこと。
驚いた。
今もずっとモヤモヤしている。



私はネコ漫画が好きで
空乃さかなさんの「まねきねこ不動産」が載っている「ねこぱんち」を
初め、ほかにも楽しみにして買っている漫画がある。

「ねこぷに」
「ねこころ」
「ねことも」

これらは「ねこぱんち」と違って隔月刊発売。
長年買っていると
そこに登場する猫に愛着を持ち
いつも楽しみにしていた。

野中のばらさんは
「ねことも」の冒頭に、その本の看板猫として
3匹の飼い猫の漫画を描いている。

猫漫画なので
自分の近況を描くことは滅多にないが
病気だったとか入院したとか一切ない。
急逝だったということか。

猫漫画家の詳細を知りたい、と思って
ネットを調べても
なかなかわからないのが現状だ。
本名もわからないし
猫漫画、という限られたテーマでの活動なので
メジャーでもない。
それでも
何かわかるのではないか、と
気になった漫画家のことを検索してみたが
情報にたどり着けない。
例えば
「ねこころ」の気に入っている漫画家「まりも屋」さんについて
他にどんな漫画を描いているのか、ブログをやっていないかなど
調べてみたが
情報がなかった。
その意味では
空乃さかなさんがブログをこまめに更新してくれることは
ファンとしてどんなに嬉しいことか。
ましてや同じ仙台に住んでいる、ということも強み。


その
野中さんは
お母さんと同居していたのだが
最近、漫画でお母さんが登場しないなと思っていたが
亡くなっていた。
そして本人。
まだ若いのに。
残された3匹の猫はどうなるのか、と心配になる。

つい最近のねこともでも
いつものタッチで描いてこれがずっと続くものだと
思っていたのに
あまりにも唐突。


今日は北国は雪模様だ。
北海道。
野中さんの住む街。
ご冥福を祈ります。


人は
もっともっと生き抜いて欲しい。
いつかは朽ちる、とわかっているけれど
納得のいく死に方であってほしい。
大往生で
「ごくろうさま」と言い合いたい。
こんな死はいやだ。
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(11/18)フランス人帰国

2012年11月18日 20時56分40秒 | 東日本大震災
久しぶりのブログ。
毎日、他の方のブログを見てはいるけれど
自分のブログを書くのを怠っていた。

父が入院して4週目。
しかしまだ手術をしていない。
延びに延びて
来週あたりになりそうだ。
そのため
自分の休みが予め取れず
日曜日の休みをいただいても
実家に行ったりしているので
身体を休める日がない。
今日、日曜、2週続けて休みにしてくれる。
そして実家に行かなくてもよいことになった。

携帯の目覚ましを止めて
朝、ゆっくりと6時ごろに目が覚めればいいなと思っていたが
3時きっかり
目が覚めた。
やっぱりなあ・・・身体時計がそうなっている。
次に目が覚めたのが
4時。
やっぱりなあ・・・
もう、この時刻、起きた。
洗濯も3回くらいしなければならなかったので
起きてしまった。

義母を連れて
買い物と、久しぶりの牛タン屋へ。
相変わらず
どこの「利休」も混んでいる。

午後3時間ほど眠った。
眠くて眠くて
4時ごろに起きても
まだまだずっと寝ていたかった。

次の休みが決まらない。




昨日は
フランスの方が帰国した。
仙台に1ヶ月余り滞在した。
あれよあれよの1ヶ月。
いろいろと話そうかと思っても
なかなか声をかけられなかったが
あちらも英語片言、こちらも英語片言、
仕事(仙台空港のヘリのパイロットか、技術屋)で
滞在しているうちに
日本語も少し覚えていった。
今頃は
フランスに戻って
仙台、日本の話を皆にしているだろうか。
3年前にも日本に来た、と言っていたので
また来日するかもしれない。
良い思い出を作ってもらっていたら嬉しいね。
おみやげを持たせたので、それを食べながら
日本のことを紹介してくれたらいいね。

また
地球のどこかに
笑顔を交わした人が生きている、と
実感する。

笑顔、大切だよね。
異国で、笑顔に出会ったら
ホッとするものね。
覚えたフランス語をとうとう言えなかった。
恥ずかしくて。
名前も覚え切れなかった。
アデュー、フランスの方。

ではこれから
山Pのドラマで山Pの笑顔を。
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(11/5)仕事、あれ以来どうしたか。

2012年11月05日 23時17分00秒 | 東日本大震災
昨日の夜は
実は仕事が入っていた。
しかし
Iさんが
私が大変であろうということで私をはずしてくれた。
おかげで
昨日帰宅してから
泥のように眠った。
夜眠るときよりも
深い深い眠りだった。
そのせいか
夜、ドラマを観終わって
ブログを書いた後に就寝したのだが
全然眠れず
結局2時間ほど眠っただけだった。
夜のほうが眠りが浅く
何度も何度も目が覚める。
寝なきゃ寝なきゃという思いが
却って
眠りにつけなくさせている。

今日出勤して
Iさんに
昨夜の仕事の労いの言葉。
本来
私たちの仕事は早朝から午後過ぎまでが勤務。
そこに夜も仕事が入るということは
普段寝ている時刻に跨ることでもある。
彼女たちも疲れに疲れている。

Eさんは今日、10日ぶりの休み。
彼女も疲れきっている。
私たちのように煙草休憩を作らないので
気分転換もしないし
正規の昼休みもほとんど取らない(これは私たちも同じ)。
明日は
Iさんが休み。


9月の
退職騒動から1ヶ月以上経った。
もう少し経過してから
それ以降の変化について書いたほうがいいのかもしれない。
まだ1ヶ月、という考え方をするし
もう1ヶ月、というふうにも表現できる。
小説のように
良い方向に激変してハピーエンドに終わる、というわけではないから、
もう少し様子を見てからのほうがいいのかもしれないと思った。

ただ
どうしても
こじつけたくなることがある。
私の退職決意の直後に
Iさん自身の退職問題がなかったとしたら、という仮定である。
そっちのほうが濃厚だったのだ。

私は
自分の退職の決意は
自然の流れだと思っていた。
そのように心に浮かび、その後どうなるのかわからないが
ともかく
退職すれば、心の不安定から解放されるであろうという
予測を信じたかった。
経済的な困難がふりかかるというのは目に見えていたが
その後も何らかの仕事を探すことを念頭に置いておいた。
私は困難な道を進む人間だ、苦労を背負う人間だ、マイナスな方向へと
進む人間だということを薄々感じ取っていた。

そこに
Iさんの退職問題浮上。
これは私の予測には入っていなかった。
何しろ
マネージャーとIさんの衝突はこれまでなかったし
私が
彼女に、自分の退職意思を伝えた日に起きた衝突だった。
まさかそれが彼女の
「パワハラだ!退職する!」と
退職届けを出すまでになろうとは。
そこで
私の退職の話はいったん引っ込めなければならなかった。

そして
Iさんの問題が解決して
次に自分が予定していた流れを軌道修正してもう一度
皆に伝えた。

そして
思いの外
彼女たちの慰留説得。
とりわけIさんの力強い、現実的な説得力は
予想外だった。

私の退職の主因は
Iさんとの確執である。
これまでのブログにも書いてきたが
彼女にどれほど罵倒されてきたか
どれほど物を投げられたか、物に当たられたか
その都度、私もカーッとなって
一触即発の場面が何度もあった。
彼女の横暴さに辟易して
早朝出勤するときの
胃の痛みに悩んだ。
会社に行く前に
コンビニに寄り、コンビニの前で一服し
呼吸を整えてから会社に行ったことが何度もあった。
そして
毎日
なんでこんな所にしがみついている、
我慢できるほどの給料をもらっているわけでもない
正社員でありながら、バイト的な身分保障
私たちに反撃の場が無い限りこの状態がずっと続くのだ、
などなど
いつも考えていた。
辞めるときには洗いざらい言って辞めようかとも思っていた。
そして
会社の後期に入る前に
辞めることを自分に促した。
Eさんにそれを伝えた。
彼女には10月まで頑張ってくれと言われた。
10月は夜も仕事が連続して入っていたので
私が辞めて急遽すぐに誰かが採用されるかどうかもわからないので
それだけはやって辞めよう、と
9月、正式に彼女たちに
「10月末で退職することに決めた」と伝えた。

Iさんには
もちろん、あなたが主因だなんて伝えなかった。
会社のシステムに不満あり、家庭を顧みられない等
それらも一因だったので理由をそう伝えた。
伝えた日に
Iさんとマネージャーとの衝突。
翌日日曜日(私は休み。月曜日にはマネージャーに退職を伝えるつもりでいた)に
私不在のときに、Iさんの退職届。
それを月曜日に知る。驚き。
それらを書いてきたね。

Iさん自身、マネージャーとGMから慰留の説得。
結局Iさんは辞めないことになった。
ゆえに
私は自分のもとの流れを遅蒔きながら、進めていくことにした。
そして
彼女たちが説得にかかった。
彼女も私も正社員でありながら、社会保障の点が全然できていなかった。
マネージャーが動いていなかった。
そして私も積極的にそれらを解決していなかった。
なぜなら、長く勤めないであろう、という前提があったから。
そこで彼女は
改めて、社会保障の手続きをしっかりしてくれ、と交渉。
そしていろんなことを例に挙げて
辞めるな、休みもなるべくあなたの希望も入れる等言ってくれる。
一番は
「私のヒステリーも治すから。」の言葉が欲しかったのだけれど。
でも
そのとき、自分の甘さを指摘されたような気持ちだった。
私は3番手の身分だし
自分の代わりは幾らでもいると思うから
ここまで慰留するほどでもないと思った。
が、なぜなんだろう、こんなに強く彼女が慰留するとは思っていなかった。

その後
彼女は私にどう接してきたか。
以前と比して
穏やかになった。
彼女の言葉に私も穏やかに接しているようになった。
彼女自身
マネージャーとGMに、会社の不満をぶつけたから
それらを改善する、という約束を取り付けたからか
心に余裕が出てきたのだろうか。
あるいは
意識して、穏やかに接しようという気持ちになったのか。
変化の兆しが見えてきたのである。
見えただけで
元来の性格はあるわけで、いつまた衝突するかわからないから
まだ様子見、と書いたわけである。
しかし
私自身、あれ以来、「だから辞めたいのよね」という言葉を
使わなくなった。
自分自身、辞めない方向に向いたのだから
安易に、辞めたいという気持ちを封印した。
それは自分への賭けだと思った。

そこで
さきほどの「こじつけ」であるが
もしも
Iさんの退職騒動がなかったとしたら
今頃は
うちにこもっている自分である。
もちろん就職活動はしているだろうが
そう簡単に仕事に就ける年齢でもないし、世の中である。
きっと
悶々として
「本当に辞めてよかったのだろうか。」と眠れぬ夜を続けているのだろう。
負け犬のような状態を無理やり、「これで良かったんだ」と思っているのだろう。

辞めない方向に向けてくれた、という
何かが私に働きかけた、
私を見守る、私の神がそうしてくれた、のだと
「こじつけ」ているのである。
こじつけという言葉を撤回するほど堅固なものになるためには
もう少し時間が必要である。

でも
ともかく
あの時以来
私は少し穏やかになったのである。
朝のあの気分が少し無くなったのである。
そして
自然に彼女たちに感謝の気持ちを持つこともしばしばあるのである。
神は
私を
屋根から突き落としていながら、必死に屋根にしがみつける状態を
作ってくれている、とあの夢の意味を教えてくれているのである。
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(11/4)同僚に感謝

2012年11月04日 22時21分56秒 | 山Pドラマ
日曜日は
モンスターを観て終わる。
山Pが出ているから観ているようなものだ。
他の出演者だったら
観ないだろうな。

父の入院のことを
同僚に話す。
同僚は私の立場に理解を示してくれ
仕事の配慮をしてくれることになった。
父の手術日(まだ未定)に休みを戴くことになり
別な方がその日が休みだったら
私と交換してくれることになった。
また
日々の仕事内容の変更も考慮してくれた。
私からお願いしたのではなく
チーフのIさんからの提案である。
そのため
もう一人のEさんにも迷惑をかけることになるが
Eさんも快諾してくれた。
彼女たちも十分疲れているのに。
親の面倒を見る姉妹兄弟がいない私が
一人で背負うことに理解を示してくれた。
だから
普段の仕事を一生懸命やらねばならない。
彼女たちは既に父親を亡くしている。
Iさんは父親を早い年齢で亡くしている。

今日はこれだけ。
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(11/3)「るろうに剣心」のDVDを予約した。

2012年11月03日 22時45分48秒 | 佐藤健
今日は午後寝をしていない。
眠いはずが
この時刻起きている。
明朝も早く起きなければならないのに。

るろうに剣心の
DVDが早くも発売されるというので
予約した。

いつもなら
アマゾンで買うのだが
今回のDVDは

なぜか
あちこちのオンラインショップで
特典が違っていて
吟味しなければならなかった。

例えば
TSUTAYAでは
メイキングシーンの特典つきとか
新星堂では
ポスターつきとか
他のでは
ポストカードつきとか

こんなにバラバラで
どれも買わそうということかな。

メイキングは見送ることにした。
もしかしたらyou tubeであったものと重なるのかもしれない。

どうしても
あの映画ポスターが欲しかった。
ようやく
B2サイズのポスターが手に入る、ということで
新星堂のオンラインに登録。
アマゾンのは予約取り消し。

12月26日発売なので
自分へのクリスマスプレゼントだね。

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(11/3)実家に

2012年11月03日 20時37分14秒 | 両親のこと、入院のこと
仕事を終えてから
実家に行き
母を連れて、父の入院先へ。

まだ手術前なので
父はとりあえず元気だった。
年齢の割には
元気、しっかりしていた。
個室だった。
父の鼾が周囲に迷惑をかけるということで
個室希望だった。
手術は再来週の予定。

母は
自分で家事はできる、ということで
こちらに来ることはなくなった。
父の用意した作り置きと冷凍したものがあるので
それを食べるということだった。
そこで
私たち夫婦は
母が用意したものを食べることにした。
母が
電子レンジをどう使うか
魚を焼くというので
ガスをどう使うかなど
見ていた。
何とか大丈夫だった。

洗濯もできる、掃除機もかけられる、
できないのは
電話を掛けることだった。

近くにいる父の甥息子夫婦に電話をしたいが
掛けられないので
10分ほど歩いて
ことづけをしに行ったそうだ。
それだけでかなり疲れていた。

もしも
私やその子たちに緊急の連絡をしたい場合
電話番号を記入したメモを持って
隣の家に行き
「ここに電話をしてください、と頼むこと。」と言ってきた。
そのほうが手っ取り早い。
隣の家や斜め向かいの家にもお世話になっている(事情を知っている)ので
頼みやすい。


まあ
いろんな意味で複雑な気持ちになって帰宅した。
全てはここに書けないけれど
音信不通の自分たちが
複雑な思いをするのも当然。

また近いうちに顔を出す。
父にも
メールを教えておく。
手術日は
私の付き添いも言っておく。


溝は埋まらないよ。
そうすぐには。
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(11/2)父が入院

2012年11月02日 09時28分11秒 | 両親のこと、入院のこと
ここ数日
天候が不安定。
一昨日は
帰宅する頃に雨になり、ずぶ濡れになって帰ってきた。
そのあと何事もなかったように晴れた。
昨夜は
夕食準備のときにいきなり雷が落ち、
雹が降り、外は真っ白になった。
バラバラと叩きつける音が不気味で
一階に下りてきていた猫たちが
一斉に二階に逃げていった。
そして晴れる。

さっきは
朝7時頃に買い物に行ったのだが
途中雨になる。
今は晴れているが、再び雲行き怪しい。



前回の休みから2日置いてまた今日休み。
不定期に取るので
このようになった。
私は3番手で休みを入れるので
空いているところに入れていくと
こんな休み方になる。

昨日の午前11時ごろに携帯に電話が入っていた。
帰宅したあとに気づく。
父からだった。
携帯に電話とは珍しい。
音信不通の私たちなので
このように
電話をかけてくること自体
何かあったと考えるのが普通。

父は入院していた。
以前から
首が痛い、と言っていた。
手術したほうがよい、と自ら言っていたので
とうとうその決断をしたようだ。
車椅子になるのはいやだから、手術して
好くなるならそれをしたい、ということだった。
今は検査の最中で、手術は来週あたりになりそうだ。

そこで心配なのは
家に残された母である。
母は脳梗塞で、快方に向かったが
まだ不十分。
これ以上治ることはないのかもしれないが
会話は冗漫ながら通じる。
家事は
掃除機をかけることができるようだ。
料理はできないので
父が全部やっていた。
食べるものは父が作り置きして冷蔵庫に入っているから
それは大丈夫だろう、とのこと。
あとは
近所に居る父の甥の息子夫婦に任せてある、とのこと。
それでも気になるから
いつか見に行ってほしい、と言われた。

このブログを続けて見ている方なら
わかると思うが

私と両親の関係について書いたことがある。
最新の大きな出来事として
震災のときのトラブルがあった。
それ以前には両親と私とで最初で最後の
北海道墓参り里帰りの旅行に出かけたことも書いた。

震災のトラブルは
私たちを一気に遠ざけた。
あれから1年半以上経つが
その間実家を訪問したのはたったの1回である。

仕事に忙殺されて
全く両親のことを考えない、ということではなかった。
父の誕生日が来れば、電話をしようかとか思ったし
母はどうしているだろうか、とも考えるときはあった。

どうも身体が動かない。
ま、いいや、と軽く考えることもあれば
このまま溝を深くしたまま
どちらかが死んだら、どちらかは老人ホーム行きとなるんだろうなとも
考えていた。
おそらく父はその方向で考えていると思う。
私に面倒を見てもらおうなんて考えていないだろう。
そんな
流れに持って行くような私たちの関係になった。
頼っているのは、近所に住むあの夫婦である。
私と父は
血のつながりがないので、自然に血のつながりのある
父の血縁関係の者を呼び寄せるだろうと
想像している。

夫に
父の電話の内容を話す。
私の言いにくいことを伝える。

父の入院先が
夫の会社の近くであるので
もし
父に何かを頼まれたらあなたは引き受けてくれるか、と。
非常に言いづらかった。
夫は
私以上に
父のことを嫌っている。

「いやだけれど、仕方ないじゃないか。」と言われた。

明日
私が仕事から帰ったら
まず母のところに行ってみる。
場合によっては
母を連れてくることを考慮しておこう。
夫にそれを言う。
義母にも話しておこう。
父に
私のメールを教えておこう。

あの震災のときのトラブルのことを
父が心から悪かったと思っていればいいのだが。
父は
確かに謝っていたが、それでも
私たちはわだかまりは消えなかった。
前年の秋
3人で、思い出の地北海道に帰ったときは
想像以上に有意義で楽しい旅だったのにね。
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