僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(10/29)ニュースコンサート行ってきた。

2008年10月29日 13時11分18秒 | 山P
「好きにやっちゃって~」

山下君がアンコールを終えて
下がっていくときの
最後の言葉です。
もう、これが頭にこびりついて、こびりついて。
帰りの車の中でも
夫に説明していた。
「キムタクのあの言葉を言ったよ。」と。

私が低年齢なら
これだけでもう、ハートがキュンとしていることでしょう。
こういうところが好きなのよねえ、と。

26日。
行ってきました、コンサート。
少し曇っていた空。
朝、8時半に待ち合わせして

山下ファン3人
手越ファン1人

夫の運転する車に乗って
所要時間25分で到着。
速かった。
思ったより時間かからず。
これは、タクシーに4人で分乗したほうが楽かも、バスより。

各地から来た筋金入りのファンたち。
何度もコンサートに来ているファンたち。
もうグッズ売り場はいっぱい並んでいた。
私たちも
早め早めの行動を取れたので
グッズもスムーズに買えた。
うちわは今回のは、ちょっとバックが暗くて
髪の色と重なり、よく顔が見えないかも。
以前、愛媛の友人が買ってくれたうちわの方が
顔がくっきりしていると思う。
子供たちは
ピンクの帽子やら、赤いバッグやらポスターやら
いっぱいいっぱい買っていた。
私は最低限の品を。
途中、
私の名前を呼ぶ声にドッキリ。
なんとまあ、職場に関連する子たち。
ウヘ~。
彼女たちは
手越君と錦戸君のうちわを持っていた。
おお、どちらもさそり座ね、と返す。
ここにいても
まだコンサートに参加できることに実感が沸かない。

席について
見渡すとまだ人はまばら。
本当にこの席、埋まるのかしらと心配したけれど
トイレから戻ってきたら
埋まっていた。ちゃんと。
よかった、よかった。

いったいどの曲から始まるのか全くわからない状態の私。
そして
皆の
ニュース!ニュース!の掛け声で
彼らを待つ。
ハピーバースデイが最初。
以前、この曲をピンと来ない、と書いたけれど
なんとまあ
とても良くて、ノリました。
そして
次のweeeeeekでは
不覚にもボロボロ涙が流れてしまった。
会場はノリノリなのに、この曲を聴いて泣いてしまった。
ずっと双眼鏡で山下君の姿を追い続けていて
曇ってしまったレンズ。
ここで、やっと自分がこのコンサートに参加している実感かなあ。
そして
知らない曲が多くて(スンマセン)
知っている曲になると
ノリまくりました。
私の行動はとにかく双眼鏡。
肉眼では全く顔が見えないので
双眼鏡でずっと姿を追っていました。
いつ
フライングをやるのか
いつ
アミーゴを歌うのか
いつ
セニョを歌うのか
いつ
紅く燃ゆる太陽を歌うのか
いつ
サヤエンドウを歌うのか
いつ
太陽のナミダを歌うのか

これ
ずっと私が待っていたもの。
そしてそれら全部やらなかった・・・
彼らにとって
それらはもう過去のもの?
私にとっては
初めてのコンサートなので
全部それらを観るのが楽しみだった。

セレブパーティというコンセプトなので
タキシードのようなスタイルが多かったね。
でも
私は、ジャニジャニしたスタイルを観たかった。
いつか
またそれらをやるよね。
いつかまたきっと会えるよね、山下君。

私は
山P!とはなぜか叫ばずに
シゲー!ばっかり言っていた。
子供たちもその
シゲー!がよく聞こえたとのこと。
なんで、シゲなんだろう。
こっちに近づいたときに叫んだのだろうけれど
山下君が来たときはとにかく
双眼鏡。
バッカだなあ、私。
こんなものです、焦っていると。

それにしても
ニュースはヒット曲が多いのね。
なのに
太陽のナミダをやらないなんて。
そして
最後のあの山下君の言葉。
あれで
すっかり笑ってしまって、コンサートの終わりの
寂しさが吹っ飛びました。


会場の近くのコンビニに
夫の車が迎えに来ていて
そこで
子供たちがトイレに行っている間に
あれもやらなかった
これもやらなかった、と伝えていた私。
夫も
紅く燃ゆる太陽がいい曲だと言っていたので
なんだ、やらなかったのか、残念だなあと言ってくれる。
でも
いつかまたそれを楽しみにしているよ。

あっというまに家に着く。
遠くから来たファンはこれから家路に向かっているというのに。
いろんな思いを馳せて
さびしく疲れた体を「祭りの後」のように
ひきずっていくのに
私は何をどうしようかと
やたらDVDを観る。
愛媛の斗真君のファンから送られた
Pちゃんの小さいときのものを観たりしてすごす。

彼らは前進している。
私はやっとスタート地点に着いたばかり。
だから
観られなかったものを求めたり。

次の日は朝から仕事。
彼らも仕事。

友人と長々とお話。
彼女がいなかったら
私はまだ、コンサートにも行かないお茶の間ファン。
ありがとう、感謝。


というような1日でした。
また行こうね、という気持ちです。
フライング、見たいぞぉ。
もっともっと
近くで見て
山下君の立体の顔を見たいぞぉ。
双眼鏡は、やっぱり平面だ。

もっともっと
ニュースの曲を知らなくちゃ。
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(10/25)いよいよ明日、Pちゃんに会える。/そしてマーちゃんの死。

2008年10月25日 12時48分27秒 | 山P
いよいよ明日。
今日、初日だね。
この時刻、彼ら張り切っていることと思う。
昨日はどしゃぶり。


明日は夫が送ってくれることになった。
バスで行こうと話していたけれど
送ってやる、迎えに行ってやる、と
急に夫が言い出した。
これで足については一安心。

友人の子供たちは
うちわを作っているそうだ。
徹夜で付き合って手伝っているとのこと。
彼女たちのテンションが
私にも乗り移る。
山Pのことは知っていても
ニュースの曲をあまり知らない私は
昨日からコンサートのDVDを観て
テンションを上げている。
なるほど、こういうコンサートなのか
とうなずきながら観ている。

ビニールシートをバッグに
入れていたら
夫が
ピクニックか、と言った。
朝8時半に出発して
グッズを買ったり、どこかで休んだり、何か
お腹に入れるにしても
座るところがあればいいと思って
シートを入れた。
そう、ピクニック気分で出かけます。
双眼鏡もバッチリ。
ずっと前にストーンズのコンサートに
行って以来のことだから
いったいどこに仕舞ったやら、で探した、探した。
見つからなかったら
今日買おうと思っていたけれど
見つかってよかった。

なんだか
愛媛の友人が
Pちゃんを生で観て、萌え死んだというのを
思い出した。
ぐったりとして、魂が抜けたような感覚。
わあ、どうしよう・・・
自分もそんなことになったら・・・
なるべく冷静に全体を見渡したい。
なんだかんだ、と言って、この私の住む町には
毎年のように来ている彼ら。
思い入れが違うのかもしれない。
2006年の5月に、休止前のコンサートをやった所。
今回のパーティも
初日がここ。
ありがたい。
今回もまた、自分は
「今頃はコンサートをやっているんだなあ」と
思いを馳せて、うちにいるはずなのに
思いがけず
行けることになった。
やっとやっと
彼のファン仲間に仲間入りだ。
遅いこと。
サヤエンドウはもちろんのこと
紅く燃ゆる太陽も
イザナイヅキも
生で聴けるんだ。
うれしいね。
明日は、車の中で彼らの歌を聴きながら、歌いながら
出かけよう。




さて。
マーちゃん。
先週の今日の今頃の時刻に亡くなった。
最後に病院に連れて行ったけれど
よくなるはずもなく
数時間後に死亡。
よくがんばってくれた。
うちに来て6年。
10年以上は彼女の実家で過ごし
その後、うちに来た。
今日は
そのことには触れないでおこう。
タマと二人で
私の寝床の部屋にいる。
親子して、お骨になって居る。
いずれ、元の飼い主の方が
引き取りに来るかもしれない。
それまで傍にいてね。
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(10/17)ニュースのコンサートに行く/マーちゃん危篤

2008年10月17日 12時53分50秒 | 山P
今月の26日、ニュースのコンサートに
行けることになった。
ちょっと信じられない展開。
まだ実感がなくて。
地元なので
早くに行くことが可能。
車で送られることも考えたけれど
駅からバスに乗って、というのを
各地から来るファンと分かち合おうと
思ってそれにすることにした。

その場所、私行ったことがないんだ。
結構、不便で不評と聞いている。
夫も一度、コンサートで出かけたけれど
車、大変だったらしい。
バスにしようっと。

さてさて
初のジャニーズのコンサート。
何をどのような心構えで行ったらいいのだろうか。
後悔しないように、双眼鏡などを持っていきたいのだが
それってOK?
グッズも買わなくちゃ。
以前、愛媛のお友達に、記念に買っていただいたグッズがある。
今度は自分で買うことになるのね。
何をどう買ったらいいのか迷ってしまいそう。

ちょっと信じられないなあ。
お茶の間ファンで十分だった私が
生山下君を観られるなんて。
ますます、遠い人に感じてしまうんだろうな。
前日に、先にグッズだけでも買っておこうかな。
友人とシミュレーションしなくちゃ、と言っている。

いろいろあった今年。
その真っ只中。
何も解決していないけれど
その日だけ、
別世界に行ってこよう。




うちのネコ、マーちゃんが危篤状態。
ここずっと食事を拒否。
先月まで元気でいたけれど
今月に入って
食が細り、今やまったく食べない状態。
明日も病院に行くけれど
昨日の先生の話では
「むしろ、長生きを喜ばなくてはいけない。」と
励まされてきた。
あれほど
親ネコの亡きタマの長寿を
自分の中で納得させていたのに
一歳しか違わないその子供のマーちゃんも
長寿で喜ぶべきなのに
やはり
まもなく生命を閉じてしまうことに
悲観している私。
願うことは
静かに苦しまずに逝ってほしい、ということ。
タマは、最期には腎臓病で苦しんだので
あの苦しい状況をせめて
マーちゃんにはないように、と祈っている。
もとの飼い主にはお知らせした。
本当は
知らせないでおこうと思ったけれど
(何しろ、タマの死の時、東京から飛んできたほどだから)
亡くなってから知らせることのほうが
後悔が大きいような気がして
知らせておいた。

お注射で何とか食欲を取り戻そうとしてはいるけれど
拒否されている。
あと1年は大丈夫、だと思っていたけれど
うまくいかないものだ。
18歳。
来月は誕生日が来る。
それまで無理なのだろうか。
明日、また病院に行ってくる。
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(10/12)母の病気の件。

2008年10月12日 13時21分01秒 | Weblog
テンプレを秋の秋刀魚に換えた。
秋晴れ。
今日は
F1日本戦。
来年は鈴鹿だ。

母が一時外泊。
さっき父から電話があった。
来週は今の病院を退院する。
そして別な病院に転院。
リハビリ中心の入院になる。

今の病院にてもリハビリをしているが
だいぶ良くなったので
安心した。
リハビリへの抵抗も少なくなったし。
ひらがな、カタカナを勉強している。
言葉は
こんなに話せるのに
それを文字にしたり、物の名前を聞いたりしても
なかなかすぐには出てこない。
私とこんなにスムーズに話しているのに
いざ
私の名前を聞いてみると
わからないのだ。
笑い話にしているが。
自分の年齢はとうとう99歳になった。
すごい年齢なので思わず笑ってしまった。
そのうち、100歳を超えるかもしれない。

それにしても
この病気になって
つくづく感じることは
険がなくなったことだ。
仕事から解放されてか
ストレスがなくなってか
この病気がそうさせたのか
よくわからないが
あれほど
言葉に険があった彼女から
それが無くなっている。
だから明るいのだ。
いつも眉間に皺を寄せて
何かに対する不平が口をついて出てくる日々。
店にて
父に対し「私を殺す気か」「絶対復讐してやる」
と鬼の形相で言っていた彼女から
それらの言葉は消え、表情も明るくなり
自分の今の病気を嘆きながらも
父とともに
リハビリ、勉強を毎日やっている。
父は
母のために
ひらがな練習帳を作ってやり、
毎日通ってベッドで練習の相手をしている。
うまくできたときはお互いに握手したり
手の甲にキスなどをしたりして
若い夫婦のように喜んでいる。
夫婦とは不思議なものだ。

早く退院するためには
このリハビリを頑張り
食事もきちんと食べることにしたんだ

まともなことを口にする。
前向きだ。
「それにしてもどうしてこんなことになったんだろう。」

その言葉を言うときは必ずベッドに身体を伏せて言う。
わかりやすい動作だ。
心の表れがそのまま態度に出る。
父の骨折の通院の付き添いや介護がかなりきつかったのだと思う。
それを口にする。そして母の苦手な湿気を含んだ気候。

「しょうがないよ、なってしまったんだから。遺伝子がそうしたのかもしれない。」と私は言う。

母の姉妹、亡くなった姉たちや彼女たちの母親も皆、脳梗塞だった。
母の姉の一人、つまり私の生みの親だが、彼女も脳梗塞で倒れて
手術をしてもあまり良い状態ではなく、発症して1年以内で亡くなった。
高血圧である。
そしてこの私も例外なく、高血圧症である。
人があまり暑くないのに、やたら汗が出て、顔ばかりがのぼせて
母の症状と似ている。
だからこの私も気をつけなければならないんだ。
ストレスはためないほうが良いのに
ストレスは次々と襲ってくる日々。


ともあれ、来週は転院。


昨日の
ドラマ(スクラップティーチャー)では
コードブルーという言葉出たよね。
ヘリのところで。
気になる。
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(10/4)アミーゴが観たかった/山下君。

2008年10月04日 14時29分31秒 | 山P
今日はもう一つ書いておこう。
このごろ早く寝るようになった私。
10時前には寝てしまうのです。
仕事が重なって、朝早く(4時ごろとか)に
起きて
それらをしている。
そのためか
夜9時ごろには眠くなる。
昨日の夜は
Mステがあり、山下君が出るので
観ていましたよ。
新曲は、先日今ひとつと書いたけれど
彼らが楽しそうに歌っているので
まあ、いいことにしましょう。
私は
ニュースは
やっぱり
紅く燃ゆる太陽
サヤエンドウ
誘い月が好き。
そして
山下君の諸々の歌が大好き。
そのようなメロディ、誰もが口ずさめるものを
歌ってほしい。

最初に歌ってくれたので
後は
何かVTRで出てくるかもと
心配しつつも
9時ごろには眠ってしまった。
そして案の定
続きを観ていた夫が
「Jフレンズで出たよ。修二と彰でも出たよ。」
と言っていた。

やっぱりね・・・・
もう少し頑張って観れば良かったなあと。
私の原点ですものね、修二と彰は。
色あせない名曲だなあ。

そうそう
山下君、どの曲が流れても
小窓に映る彼は口ずさんでいたね。
「愛のかたまり」も。

小学校の時の恋のお話をするときも
照れがあったかもしれないけれど
しかたないですね、スターだから
恋の話もしなきゃならない。
それもファンを刺激しない無難なお話。

今日は、しばらくぶりに
亀ちゃんとの名曲「青春アミーゴ」を聴こうっと。
このところ
ずっとそれらから離れていて寂しい私です。

ところで皆さん、たくさんの方がここを
見てくださってありがとうございます。
検索数が増えていて、ありがたい。
ずっとPCから離れていてすっかり
検索数も乏しくなっていましたが
今日見て、びっくり。
ちゃんと書かなくては駄目ですね。
早くPCを直せばいいものを
部屋がゴチャゴチャしていて
今、人を入れられない状態。
でもPCを離れていると
仕事をする時間や、母の見舞いなどそちらに
集中できるのでこれはこれでいいんですよ。
前はダラダラ観続けていましたから。

では
今日はこの辺で。
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(10/4)ジュリーSONGS 再放送を観て

2008年10月04日 14時06分24秒 | 名曲
今日は秋晴れ。
非常に良いお天気。
空気もカラッとして
半袖でも過ごせる暖かい日。
ずっと湿気に悩まされた夏が終わって
短い秋を満喫できる今です。
10月になると
必ずと言っていいほど
金木犀の香りがあちこちの庭先から
漂ってきます。
そして秋を感じます。
うちの南側の庭の金木犀も
香りを漂わせていました。
朝夕は
ヒンヤリして、カエルたちがどうしているか
心配するけれど
夜の冷たい空気の中
何匹か庭に出てきます。
そして
朝、決まった巣穴を覗くと
カエルがぎっしり詰まって
寝始めるところなんですよ。
そろそろ
カエルたちも冬支度です。


今日は
朝の3時40分に起こされる。
NHKで
沢田研二の番組の再放送をするので。
正規の時刻のSONGSで2週に渡ってやったのを
後半を見逃した私。
それの再放送を今日やるというので
朝早くに起きましたよ。

タイガース時代の歌をやるというので
見逃してはいけないのにね。
タイガース時代の人気のピークの歌
「君だけに愛を」を歌った。
私の好きな歌は
「銀河のロマンス」など。

そして
サリーとタローがジュリーのもとに駆けつけてくれた。
タローの言葉が
私たちファンの気持ちを代弁してくれているよう。
解散してもこうして現役で歌い継いでくれるジュリーに
感謝しているし、これからも応援していきたい、と。
まさに、そうだと思った。
私たちファン以上に
いっしょにやってきた彼らはその気持ちが更に
強いのだと思う。
タローも音楽のことをやっていると思うけれど
第一線から退いているし
サリーは今や
役者としてひっぱりだこだし。
彼らの内にある
いつまでもロックを歌っていきたいという気持ちを
ジュリーが頑固に死守している。
その姿は本当に感動的。
いつも書いているけれど
私は当時、ジュリーのファンじゃなかった。
どんなに美しくても、歌が上手くても
私は
実はサリーのファンだった。
その気持ちを書くと長くなるので
いつかゆっくりと書くことがあるかもしれないが
今は
こうして現役で歌っているジュリーを
心から応援している。
タイガースから去っていったピーへの思いを
綴ったサリーとジュリーの作詞、タローの作曲。
メロディは難しくてなかなかすぐに
口ずさめないけれど
メッセージ的なもので、どうか
ピーに届いてほしいね。
東京の空の下
どこかに住んでいるピー。
同じ空の下にいるのに
あれからずっと会っていないのだ。
いろんなわだかまりを忘れて
どうか彼らといつか再会してほしい。
生きているうちに会えることを
心から願っている。

そしてジュリー。
これからも生涯歌い続けていってほしいね。
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