僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2021/11/29)モーさん、ずっと居る。

2021年11月29日 20時36分11秒 | ネコ




もう一本の方のプラタナス。太い胴体ですね。枝も無数でデカい、高い。
近くの公園の象徴的な樹です。
カッコイイ。

ここ2,3日モーさん、日に何度も現れる。
元気がない印象があり、身体を調べてみると
後ろ足の爪辺り出血。両足。
モーさん、ケガをすると、大抵うちのサンルームで養生する。
ただ休むだけなんだけれども、安心して身体を休める。
足の消毒などしてやり、食餌を置いておき、日中は日が差し、夜はエアコン、私のセーターなどで
防寒。
今日は朝5時過ぎに現れ、ほぼずっといた。ぐっすり眠っていた。





むしろ飼い主が心配するのではないか。でも夜中は帰っているようだから、いいか。
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(2021/11/23)モーさんday

2021年11月23日 20時54分37秒 | ネコ
昨日、モーさんに感謝する記事を書いたら、今日は朝からモーさんに会って、
「モーさんday」になった。

朝の散歩に出かけようと路地を歩いていると、路地の入口のマンションの駐車場の車の下に
入っていった猫発見。
白と黒の模様。モーさんだ。
ゴミ置き場に来ていたカラスを狙って。この駐車場まで滅多に来ないモーさん。
私の散歩の予定を変えよう。
コンビニに行き朝食用のパンを買い、戻ってこよう。
帰り、モーさんの自宅の建物のベランダの下にモーさんがいた。
戻ってきていた。
私は立ち止まり、両手を振って合図。「私」の印である。
モーさんに会ったらニコニコして両手を振ることにしている。
そして、今日はこれからもモーさんに会えるような気がした。
それはすぐに実現した。
2時間後、二階から外をチラチラ見ているとモーさんが塀の上に現れた。
そして呼ぶと今日は反応し、サンルームに入ってくる。
椅子の上で寛いでいる。
私たちが買い物をして帰ってきてもまだいてくれた。




午後2時ごろまでいたようだ。3時過ぎに覗いてみるとカラ。
今日はこんなにいてくれた、と喜んだ。

するとなんと、夕方5時近くにまたサンルームに現れた。自宅に帰っていないのでは。
この何回も顔を出す、というパターンが夏の終わりまであったから、私はついつい、
勘違いしていたのだ。
私のこと、大好きなんだって。
ところが秋に入って夜寒くなると、自宅から出てこなくなったようだ。
急に来なくなったものだから、「フラれた」気分になっていた。
心変わりされた気持ちになっていた。






サンマ待ち。

そしてまたサンルーム椅子で寝だした。
1時間くらい寝て、姿を消す。

今日はモーさんday。








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(2021/11/22)感謝の対象。モーさん、そしてリハビリ散歩。

2021年11月22日 20時05分18秒 | 日常、仕事、認知症

公園のグランドを一周しては、この銀杏の木にタッチして次の周回に入る。

昨日日曜日の朝の散歩は、杖無しリハビリ散歩で初めて行かなかった。
特別な理由があるわけじゃない。
夫に、行かない、と伝えると
「あー、明日も行かなくなるぞ。」と言われた。
でも今日は夫を見送った後、雨の中、動き出した。
あの公園で何周も回ろう、と決めて。
あ、そうだ、昨日の朝、寒かったんだ、思い出した。
おそらく一番冷え込んだのではないか。

雨が降っているので公園には誰もいない。
あのおじいさんもいないし、高校生くらいの若い男の子がトレーニングしていたのを土曜日など
見かけたが、今日は当然学校なのでいない。
私一人で公園独占。
脇の道路はこれから出勤していく人たちが急ぎ足で次々と歩いていく。
この人達の邪魔になる私の歩き方なので、ますます増えるであろう時間には退散しなくては。
3000歩になったら帰ろう。
色々な樹木があるのだが、圧巻は

プラタナス。
もう葉が朽ちてそこら中、歩きの所、絨毯である。
写真では圧巻さが伝わっていないようだが、とにかく根本が大きい。
それがもう1本ある。
しっかり抱擁したいほどに頼もしい太さである。
生きている。
見ている。
見守っている。
包容力がある。
そんな印象の樹木たちである。
もっともっと立派な公園はあります。
樹木の豊富さも。
何十年も傍にいながら、樹木に触れたのは今日が初めて。
それも、この病気にならなかったら、見上げることもなかっただろう。
仕事に追われて、仕事のストレスが心の大半を占めて毎日が通り過ぎる。
それでも良かった、それが当たり前だった。


そういえば、
このリハビリ散歩に出かけることを機に
私の心の在り方が少し変わったような気がする。
退院して
(例年にないくらい)雪が多く、寒く、引きこもってしまった自分。
自らリハビリに通うことなく、じっとしていた。
何をどうしたらいいのか、どう整理したらいいのか、何を目標にしたらいいのか
何から手をつけたらいいのか、周囲の人間は変わらないけれど、自分自身が変わったことに
どう自分を納得させたらいいのか。
リハビリしても元の状態に戻らない、と歩きを見て思う。
時折襲うあのいやな気持ち。
何とも名状しがたい錘の気持ち。
死にたくなくても、死を選択してしまうような、引っ張られるような気持ち。
その気持ちに襲われたら、とにかく一日待とう、一日経って続いていなければ
大した悩みじゃないんだ、と昔からの対処法を心掛けた。
そしてほとんど、その日だけの襲いだった。

あれが遠ざかっていく。
その気持ちから解放された大きな一因は
モーさんの存在だった。
ご存じの通り、モーさんに夢中になった。恋心に似ていた。
恋をすると、切ない気持ちになる。
どんなに愛しても自分のものにならない切なさがある。
私の携帯の待ち受けは、うちの猫じゃなく、愛人のモーさんである。
しかも私の長靴にべったりと頬寄せている姿である。切なさという苦味があるけれど、
私のあのモヤッとしたものを払拭してくれたのはモーさんだった。


もう一つ大きな要因として
このリハビリ散歩である。
杖無しで街の中を歩きたい、買い物に行きたいと
うちの周りから始めた。
そして段々欲が出てきて、歩けるだけ苦しくならないだけ遠くに行こうと思うようになった。
するとそれに夢中になって、あのいやな思いが入る隙間が無くなってきた。
歩きながら、石碑や案内板を見たり、写真に収めたり、空を仰ぐことが多くなった。

この神社については記事にしていないが、先週ここにも行ってきた。



この空を仰ぐ、という行為は嬉しい。
深呼吸をして空に挨拶。
感謝している、こういうそれらの行為。

この時間、長々と書いているのだが
今夜は夫が会社の親睦会ということで、パソコンをゆったり使っています。












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(2021/11/20)モーさんに会えた。

2021年11月20日 18時43分25秒 | ネコ

午前9時半頃買い物に行く時、塀の上にモーさんが日に当たっているところを撮る。
望遠にして左手がプルプル。でも何とか撮れた。
帰宅したら既にいない。

しかし。
夕方、夫が、モーさんがサンルームに来ている、と教えてくれる。
食堂に入れたが、ケナガたちとしばらく会っていないと、どうもギクシャクした関係になり
すぐ出ていこうとする。なので、サンルームでくつろいでもらう。
そしてゴハンも食べる。
こういう過ごし方が夏辺りに大いにあったわけで。
毎日、こうして姿を見せてほしい。
滞在時間が短くとも、安心させてほしい。
明日も晴れていたら、塀の上に来ると思う。
以上、今日のモーさんの報告。
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(2021/11/19)公園と猫の思い出。

2021年11月19日 16時25分25秒 | 日常、仕事、認知症
今夜は「ほぼ皆既の部分月食」の日とのこと。
昨日の夜、月がほぼ満ちていました。
天候も良し。
皆で空を見上げたい。




今日の午前のモーさんの姿。
このように以前なら、どこかにいつも姿を見せていた。
サンルームから「モーさん!」「モーさん!」と呼んでも無視されました。
聞こえているんですけどね。

今朝の散歩では
近くの公園を通りかかったので中に入って歩きの練習。
たまに見る、買い物籠椅子カートを押して歩きの練習をしているおじいさんがいた。
ベンチに寝て腹筋の練習もしていた。





というように、筋肉の衰えた私たちの為にも使える器具が設置されていた。

この公園。

私の独身時代から縁のある公園。
だから10年、20年じゃないよ、もっと・・・。
結婚する前に約1年近く実家を離れての一人暮らしのアパートの傍。
出勤前に公園の木の下で鳴いていた子猫が気になったけれど、
どうか帰ってくるまでそこにいて、と今なら無茶な考えをしていた20代。
当然、帰宅したらいなかった。
もうこの世にはいないけれど、浅薄な若い私を許して、と思う。
カワイイ顔していたので誰か見つけて飼われたと思うようにしている。

結婚して、やはりその近くのマンションに住んだ私たち。
ある日、迷い猫がうちに入ってきた。
ドアを開ければ、躊躇なく入ってくる。
2、3回遊びに来ていた。
飼い猫か、捨てられたか、ノラ猫の時代がないような懐きぶりである。
夜、夫と私とその猫であの公園まで散歩に行った。
そしていつのまにか公園で行方不明になった。
暗い箇所が多く、繁みもある、猫の色の白黒の模様。
呼んでも出てこない。
見失ってしまった。
私たちは仕方なくマンションに帰った。
そのあと何度か外を見ると、
猫はうちのドアの前にいた。3階である。
そしてその猫はうちの猫になった。
猫にとって、マンションと公園の距離、車通り、帰るには困難な所だ。
一回の移動でよくぞ、帰ってきた、という思いだ。
我が家の猫、初代の猫、あとで発覚したのは、「横隔膜ヘルニア」という難病。
当時の先生には珍しい事例だったらしく、病院で写真をいっぱい撮っていた。
学会で発表か。
手術はできなかった。不妊手術も。だから発情期には悩まされた。
かわいそうだった。
ペット可とかそんな規則も曖昧な感じで、大家さんも知っていた。
大家さんの猫もよくあちこち歩いていた。

そして90年代に入って家を建てた。
その初代猫と更に増えた保護猫2匹、都合3匹のために建てた。
そして初代猫はうちに来て10年(既に大人の猫だった)目に亡くなる。
その頃、夫と公園を走り出す。
一日置きに。毎日だと続かないので。
今じゃ、走ることもできない。
何周もしていると、日中公園で過ごした子供たちの忘れ物があちこちにあるのを
見つける。
お菓子やら、上着やら、バドミントンセットやら。
大きな桜の木。あの下で見つけた子猫。
この繁みで行方不明になって戻ってきた初代猫。
走っていると闇からガサッと出てきたデカいカエルに驚いた自分。
ああ
この公園、私にとっていっぱいいっぱい思い出があるじゃないか、と思った朝だった。

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(2021/11/18)モーさん、1週間ぶりに会う。

2021年11月18日 14時39分04秒 | ネコ

11月10日以降、モーさんとはずっと会えなかった。その間の私の気持ちの整理。
夏、涼しくなった夕方にうちの前のホテルの倉庫の屋根に上がっていつもアピールしていた彼。
その残像を追いかけるような日々。
来ない、と決めたら来ないのだ。ナナオ君がその典型だ。
あれほど毎朝4時ぐらいからサンルームに来て待っていたナナオ君がピタッと来なくなった。
あの家に無事いるのかどうかもわからない。
それと同じになるのではないか、とモーさんのことを想像する。
いつか、見かけるかなあ、無事に生きているとわかればいいじゃないか、あの子の飼い主は
おまえじゃない、飼い主がいることは幸せなんだ、などなど。

昨日、ラッキー犬のリリーちゃんに会った。
朝の散歩。公園の横を通って自宅に向かっていた私の後ろから私の前に来て
「おはようございます!」と飼い主の声。
そしてリリーちゃんが私に喜びの飛びつき。カワイイ!私も嬉しくて嬉しくて
リリーちゃんの頭をモシャモシャする。
写真、また失敗。またいつか会えた時に撮ろう。
ラッキー犬なので、きっと良いことがある、とモーさんが浮かぶ。
今日会えなくても近くに会えるんだ、と自分に言い聞かせる。
前回リリーちゃんに会ったあとにすぐモーさんに会えた。

そして、散歩に出かける前にサンルームのカーテンなどを開けていたら音もなく
ススッと入ってきた。
「モーさん‼」抱きかかえて出勤前の夫に会わせようと二階に行く。
素直に大人しく抱かれて夫に挨拶。
そしてトモにも寄せてみる。
トモはとくに驚きもせず、威嚇もせず、成り行きを見守るだけだった。
エライ二人。
そしてサンルームに。どうも、ケナガとナナコの存在が煩わしいようで
サンルームの方が一人でグルーミングなどできるのでそちらにすぐ移動しようとする。


そのままにして私は散歩に出る。
おそらく戻ってきたら、もう不在であろう、と。
でも、この手で抱き上げたし、満足。
少し早めに散歩を切り上げて戻ってくると、いた。
まだサンルームは寒いので(エアコンをつけると出ていくので、なるべく天然の日差し)
私の今着ていた上着を掛けてやる。


そしてさらに一時間後、見に行ったら、いなかった。
ありがとう、来てくれて、モーさん。
私のこと忘れていなかったんだね。


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(2021/11/9)モーさんにあれから会えた。

2021年11月09日 15時56分11秒 | ネコ
昨日の夜、会えた。
思いがけず。
何回も外に出ては、周辺を見て、今日も空振り・・・と思っていた。
夕方少し雨になったので、カエルのことが気になり、路地で4匹救う。
轢かれて死んでいたカエルも回収し、うちの庭のカマキリのお墓の隣に埋めてやった。
しょうがない。
しょうがない。
もう2階に上がるから最後に外に出てみようと玄関の戸を開けると、
モーさんが駆けてきた。
抱きしめて、夫やトモのいる2階へ。

ゴハンをちょっと食べるが、残す。
ソファにいたトモの存在に気付く。
お互いに見つめ合い、身体は全く動かないし、威嚇もしないし、年の功か・・・なんて思ってしまう。
「もう、下に行く」と意思表示したので降りていくと、階段前のドアの向こう側に
ケナガとナナコさんが羨ましそうに見ている。



最後は、サンルームで落ち着くが、おそらくほんのわずかの時間の滞在だったろう。
それでも、心のモヤモヤが払拭できたので、あなたが来てくれたことにありがとうを言う。
ありがとう、モーさん。
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(2021/11/8)休日のリハビリ散歩。

2021年11月08日 17時20分36秒 | 日常、仕事、認知症
少し雨が降った。
明日は本格的に降りそうだ。
もう夕飯の支度をしなければならない時間に。
しかし私の頭、身体は今一つスッキリしていず、一日の始まりが来ていないような感覚。
6時過ぎには散歩に出かけたのに、洗濯をしただけで、庭のこととか掃除とか
できなかったなあ。
一日一日が大切、と実感したこの病気なのに、以前のダラダラした自分になっていた。
心がどうも、ね。あなたのせいですね、きっと。

11月6日。土曜日。
この日の散歩も、何かを求めてガツガツ歩いた気分。

私の元の職場の前、その近辺。
元同僚の家近辺。
そこから、自転車の時には通ったことのない道を下りていく。
そしてここに、駅があったはず、しかし、そこがどこか正確な位置がわからず。
やはり、石碑あったほうがいい。

どこかの居酒屋のカエル石。

これだけではなにを撮ろうとしたのかよくわからない。

7日。日曜日。
朝起きた時からなぜかドキドキしていた。
今日は、いよいよ、自分の大学の跡地に行ってみよう、と初めから目的地を決めていた。
なぜドキドキするのか、この足で歩いて辿り着けるのか不明だった。
あまり目的地にこだわるべきじゃない、出来なかったらガッカリするじゃないか、などと
考えて。この距離は未知だった。前日も相当歩いたが、目的地をしっかり決めていたわけじゃない、1つの地点に来て、あ、もっと歩けるかもしれないと思いつつ延ばしていった。
帰宅して夫に駅の裏まで行ったことを伝えると「ずいぶん遠くまで行ったじゃないか。」と
驚いていた。
その距離よりももっと遠い所を今日は明確に目指そうというわけだ。どこまで行けるか。
健常者の歩みなら、うちから40分くらいか。
私は、距離を延ばしたいのでわざわざ遠回りしたりする。

また神社に出会えば参拝。1つ1つの出会いを大事にしていこう。
坂を下りて休日の早朝の繁華街を通る。いつもいつも通いなれた道。
行きつけの喫茶店も健在。コロナ期間、どうだったのだろうか。
私は入院時も退院してからも「コロナ」の街の様子をほとんど知らない。
老舗の靴屋に「閉店」の文字。
老舗の洋服屋も。
老舗のパチンコ屋も。
そしていつのまにか、店々が消えて,広い駐車場になってしまった所。
それらを横切って歩く。
私の足はまだまだ歩ける。杖なしで。ぎこちない歩き方だけれど、階段とか怖いけれど歩く。

着いた。
ここが私の通った大学のあった所だよね。自信ない。
それほど、遠い昔の移転だ。
石碑を探したが、ない。そんな洒落たことを考える時代じゃなかったか。

この通りを学生時代歩いたんだ。

大学の向かい側に古ーい学生サークル棟があって、そこは薄い壁で仕切っていて、どこかのサークルから流れてきた
「ホテルカリフォルニア」が衝撃的だった。

おそらくここは有名な喫茶店があった所。建物自体は残っていたんだ。嬉しいね。
夫に聞いてみたところ、夫も知っていた。

あまり高いビル等を見上げたせいか、クラクラしてきた。
おそらく、これから自分の残りの人生で、こうして学生時代を懐かしがって気楽に気軽に歩けるということがなくなって
いくようなので、こうして思い立ったが吉日で、行ける時には行こうと決意して良かった。
そして駅方向に向かう。
これから折り返し自宅に向かうんだ。
散歩の目的は、あくまでも自分の足腰強化。どこを歩いたっていい。
前日駅裏で見つけられなかった地下道を駅西口に見つけた。
見つけられなかったのは、昭和の遺物としてもう閉鎖したのかも、と勝手に決めつけた自分。
せめて西口に、その石碑や案内板でもあれば、と行ってみると

というように、現役なのである。これには驚いた。
近くにいた警備員に「どこに通じるか」と聞くと、ちょうど反対側に出ますよ、と教えられた。

階段を下りる。ちゃんと手すりも付いているので私のように必要な者にも優しい。

明るい。
夫に「昔はこんなに明るくないよね。怖かったよね。電気なかったよね。」などと言うと
「電気はあっただろう。蛍光灯の数が多くなったとか。壁や天井も白く塗って明るくしたのだろう。」
「ああ、そうかあ。白いね、確かに。明るいね。」
昭和の遺物、現役。こういうのって大好きな私である。
通路を通って東口に出ると、この傍まで来ていながら見つけられなかったのである。
そして勝手に、通路は塞がれたなんて思った昨日。
更に歩いて、8時半過ぎに家に着く。夫が出かけるところだった。間に合った。
万歩計は既に9000歩を超えていた。
そして、疲れを知らない私の身体にちょっと自信がつく。
いや、さすがにそのあとは休んだ。











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(2021/11/7)ラッキーな出来事

2021年11月07日 17時31分18秒 | 日常、仕事、認知症
夫が休みの時の私のリハビリ散歩時間は昨日1時間半、今日2時間という、「散歩」を越えたものになっていた。
ノンストップ。この足で歩きまくり、どこにも腰掛けない。鼓動も正常。特に息苦しいとかもなく、足の痛みもほとんどない。
午前8時半までには戻らなければならなかったので、6時35分に家を出発。戻ってきたのが
8時35分。なんと正確な歩み。
毎朝、何かしら発見があり、気付きがあり、感動がある。

4日。木曜日。散歩、北側に向かって。神社へ。平坦な所なので、歩きは楽。夫の通った幼稚園があった所だ。

お賽銭。

5日。金曜日。その日は、ゴミ捨てなどがあったので、短い時間の散歩。
散歩し始めて10分ぐらいして向こうから、犬🐶のお散歩姿が見える。
あの🐶だ!
ここは一本道だから必ずすれ違える。
やっぱりそうだ。ラッキー🐶。
話しかけると、私に飛びつく。嬉しい🙌名前を聞くと、リリーちゃん。写真を撮る。カワイイ。またいつか会おうね、と別れる。良いことがある、ラッキー🐶と決めていた私にすぐご利益。家に戻った私の後ろからモーさんが着いて来た。そして8時過ぎまでいてくれた。





サンルームが暑くなってきたので外に出て陽にあたっていた。

そして、東京の友人(教え子)から、なんと特大の「まるごとバナナ」が送られてきた。先日会った時に、「私の朝食」と言っていたらしい。


幸せな気持ちになる、私の大切な出来事だった。
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(2021/11/3)リハビリ散歩の醍醐味

2021年11月03日 21時46分47秒 | 日常、仕事、認知症


今日は祭日。11月という初冬の月、暖かい日が続く。
夫の見送りがないので、好きな時間に散歩に出られる。
前は、夫を見送ってから散歩に出かけて、7時に帰ってくるようにしていた。
しかし、最近は距離を延ばしたり、時刻も明るくなってから出発するようにしている(6時10分とか)ので、どうしても
夫の出勤時(ほぼ6時半)には留守になってしまう。
そこで、夫の車が通る道を意識して歩き、どこかで見送るようにしている。車を見つけたら、私は手を大きく振る。
「行ってらっしゃ~い!」
いい年したおばさんが車に向かってニコニコして手を振る姿。早朝なので、ほぼ無人。
で、夫も手を振る。それが似合わないこと。私、強制していないので。夫自発的に手を振っている。精一杯。

今日は官公庁の方ではなく、もっと別なルートを、と思って歩き始めた。ラブホテルが集中している所、路地を歩いた。
仕事をしていた時自転車で通る道より一本ズレた道に入ると、全く初めてみる店々が並んでいた。居酒屋か。
もう営業していないホテルもあった。いつからかわからないけれど、コロナ禍が関係するのだろうか。
おそらく、ここ何十年かの間に建物自体が消えたホテルもあるのかもしれない。
いつもの通勤道路。昨年の初夏まで通っていた、職場までの道路、公園。
目には入っていたが、通ったことのない路地に
今こそ自由に通れるよ、トモロッシ、と自分に興奮気味に囁く。
いつもいつも自転車で通り、ゆっくりこんな路地を眺めたい、などと思いながらも、実現してこなかった。
そしてとあるホテルの裏側に来たとき小さな祠があった。何も祀ってはいなかったが、それだけは残したい、守りたいという
象徴的な赤。合掌して、この地の平安を祈る。
駅裏が開発されて立派なストリートになって、古い文化的な街並みが消えたが、あちこち駐車場になっている所の片隅にも
祠がある。それらを見たい、と思っていた。それを実現しようね、今度。

決して初めて知る道じゃないんだ、いつもの通勤時に目に入っている道なのだ、今日歩いたところは。
大きな駐車場の所を通ると、石碑がある。この石碑は知らなかった。
ここに何があったか。何の跡地だったか。
ここに、学校があった。ああ、そうだ、ここ、学校だった!
その名が刻んである。
忘れていたなあ。そこにゆかりのある人だけが懐かしがって、縁のない人たちは知らずに通るのだ。
だから、このように石碑があるのはよいことだ。そこに歴史があったわけで。
すると、自分の大学の跡地にも石碑はあるだろうか、と思い巡らした。
街の中にあったことすら、今の時代の人たちはわからない。
郊外に続々と高校や大学が移転していった頃。
その跡地にリハビリ散歩で行くには勇気がいる(距離的に遠い)が、今の所、疲れを知らない私なので、行ってみよう。
帰りはタクシーか夫に迎えに来てもらえばいいかな。

そういうわけで、今日の所要時間は1時間20分。
6時50分に出発して8時10分頃帰宅した。
ノンストップ。信号待ちぐらいだ。
程よい街に住んでいる。距離的に、文化的に。

写真の「まるごとバナナ」は私の朝食です。
連続すると、夫に怒られています。
食べるものの中で一番ハマっているものです。
食の好みも変わってきた。





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(2021/11/3)愛しい君。

2021年11月03日 16時23分15秒 | ネコ




今日も昨日も会っていない。
過去の写真を貼っている。
昨日は朝のリハ散歩の時に、遠目でモーさんの自宅のベランダの物置台でグルーミングしているのを見かけた。
モーさんは私の存在に気が付いていなかった。
生存確認、と安堵して帰宅した。一日の始まりの時間だったから、日中とか夕方とか会えるかもしれない、と期待しつつ。
しかし、結局現れなかった。今日ももう夕暮れになりそうな時刻になってしまった。
このように、私は毎日、モーさんに会えるか会えないか、一喜一憂しているのである。
「おブスなネコ」と言われても、私は、モーさんに「恋心」に似た感情を抱いているのである。
春ごろ、一日に何度も会った。庭の草取りをしていたので、身近によく現れた。おそらく近所の人は私の家で飼っていると思っただろう。或いは、ノラ猫を私がかわいがっていると思っただろう。


秋になって、モーさんの行動パターンも変わってしまった。
こちらに来なくなってしまった。それに限る。
それだけのこと。
あなた(私)が思うほど、彼はあなたのことを気に留めていない。
会えば、あなたを思い出すだけ。
あなたの散歩の帰りを待ち続けるような寂しい彼じゃない。
彼にはちゃんと信頼する相手がいるのだ。
だから、あなたの部屋で寝ても1時間もしないうちに消えているじゃないか。
どんなに夜中であろうと、帰っていくじゃないか。
あなたは第二の存在。第三の存在。
彼には、あなたの知らない別な世界が2つ3つあるのかもしれない。

愛しいよ、君。
ご飯支度、ご飯支度。






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(2021/11/1)モーさん、3日ぶりに会う。

2021年11月01日 17時24分06秒 | ネコ
ご飯支度の前に。
モーさんとは丸3日会わなかった。その間の私の心は色々詩的な言葉が並べられる。まるで「ひと夏の恋」のような
一方的な想いだ。
それを何とか表現したいと思っているうちに、今朝のリハビリ散歩を終えて路地を曲がったとたん、
目に入ったのは、モーさんが路地中間の家の駐車場でタイヤにスリスリしている姿だった。
モーさんも私に気付いて、ニャーと鳴いて寄ってくる。
遠くからでも私の特徴のある歩き方でわかったようだ。



抱きかかえてうちの前まで歩くが、体重が増えている。2度程地面に下す。重いよ。

サンルームにすぐには入らないで、南側の物置台の上に。
そして、抱えて外からサンルームに入れる。


ドライフードなどをやっても、匂いを嗅ぐだけで食べない。朝食を摂ってから出てきたのだろう。
身体に顔を埋めると、3日分のタバコの匂いがした。
しっかり、自宅でリラックスしていたんだ。うちにはネズミの死骸を置いていったけれど。
ま、無事でよかった。

昨日はリハ散歩のときに、投票場を目的として歩いた。
夫は後から買い物前に車で寄るので、私は一人で行ってくるという。
一番で並びたかったが、夫婦の後を歩いていると、一人に抜かされ結局4番目になった。
そして、いざ、投票しようと箱に入れようとしたら、書いた用紙がない、しかも、投票ハガキを箱に入れようとしていた。
投票ハガキと一緒に持っていた用紙がない、投票場のスタッフ皆注目。皆一斉に「違う、違う」。私は落とした記憶がないから
なぜ手元にないのか、無意識にポケットに入れたのかなど、軽くいつものパニック。
振り返れば、用紙が落ちていた。
このように、落とした自覚がないのだ、何にしても。どこに置いたのか、記憶から消されるのである。
朝から、血圧の上がる出来事。恥ずかしいとかの感情より、やはり自分は頭の機能が壊れている、と思った。
しかし、周りの親切を受けながら、無事投票を終えた。

今朝の散歩で、ほぼ官公庁の傍まで行く。大きな通りを渡ればいいのだが、
出かける時刻が遅かったのでそちらまで行かなかった。
横断歩道のあちら側で犬の散歩光景。
あれ、これで三度目だ、あの犬ちゃんを見るのは。
かわいい。モーさんみたいだ。シュナウザーの子犬?若い犬?
これからの散歩の楽しみの一つだ。必ずしも会えるわけじゃないが、「会えたら、良い一日だ。」が増える。


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