少し雨が降った。
明日は本格的に降りそうだ。
もう夕飯の支度をしなければならない時間に。
しかし私の頭、身体は今一つスッキリしていず、一日の始まりが来ていないような感覚。
6時過ぎには散歩に出かけたのに、洗濯をしただけで、庭のこととか掃除とか
できなかったなあ。
一日一日が大切、と実感したこの病気なのに、以前のダラダラした自分になっていた。
心がどうも、ね。あなたのせいですね、きっと。
11月6日。土曜日。
この日の散歩も、何かを求めてガツガツ歩いた気分。
私の元の職場の前、その近辺。
元同僚の家近辺。
そこから、自転車の時には通ったことのない道を下りていく。
そしてここに、駅があったはず、しかし、そこがどこか正確な位置がわからず。
やはり、石碑あったほうがいい。

どこかの居酒屋のカエル石。

これだけではなにを撮ろうとしたのかよくわからない。
7日。日曜日。
朝起きた時からなぜかドキドキしていた。
今日は、いよいよ、自分の大学の跡地に行ってみよう、と初めから目的地を決めていた。
なぜドキドキするのか、この足で歩いて辿り着けるのか不明だった。
あまり目的地にこだわるべきじゃない、出来なかったらガッカリするじゃないか、などと
考えて。この距離は未知だった。前日も相当歩いたが、目的地をしっかり決めていたわけじゃない、1つの地点に来て、あ、もっと歩けるかもしれないと思いつつ延ばしていった。
帰宅して夫に駅の裏まで行ったことを伝えると「ずいぶん遠くまで行ったじゃないか。」と
驚いていた。
その距離よりももっと遠い所を今日は明確に目指そうというわけだ。どこまで行けるか。
健常者の歩みなら、うちから40分くらいか。
私は、距離を延ばしたいのでわざわざ遠回りしたりする。

また神社に出会えば参拝。1つ1つの出会いを大事にしていこう。
坂を下りて休日の早朝の繁華街を通る。いつもいつも通いなれた道。
行きつけの喫茶店も健在。コロナ期間、どうだったのだろうか。
私は入院時も退院してからも「コロナ」の街の様子をほとんど知らない。
老舗の靴屋に「閉店」の文字。
老舗の洋服屋も。
老舗のパチンコ屋も。
そしていつのまにか、店々が消えて,広い駐車場になってしまった所。
それらを横切って歩く。
私の足はまだまだ歩ける。杖なしで。ぎこちない歩き方だけれど、階段とか怖いけれど歩く。

着いた。
ここが私の通った大学のあった所だよね。自信ない。
それほど、遠い昔の移転だ。
石碑を探したが、ない。そんな洒落たことを考える時代じゃなかったか。

この通りを学生時代歩いたんだ。

大学の向かい側に古ーい学生サークル棟があって、そこは薄い壁で仕切っていて、どこかのサークルから流れてきた
「ホテルカリフォルニア」が衝撃的だった。

おそらくここは有名な喫茶店があった所。建物自体は残っていたんだ。嬉しいね。
夫に聞いてみたところ、夫も知っていた。
あまり高いビル等を見上げたせいか、クラクラしてきた。
おそらく、これから自分の残りの人生で、こうして学生時代を懐かしがって気楽に気軽に歩けるということがなくなって
いくようなので、こうして思い立ったが吉日で、行ける時には行こうと決意して良かった。
そして駅方向に向かう。
これから折り返し自宅に向かうんだ。
散歩の目的は、あくまでも自分の足腰強化。どこを歩いたっていい。
前日駅裏で見つけられなかった地下道を駅西口に見つけた。
見つけられなかったのは、昭和の遺物としてもう閉鎖したのかも、と勝手に決めつけた自分。
せめて西口に、その石碑や案内板でもあれば、と行ってみると

というように、現役なのである。これには驚いた。
近くにいた警備員に「どこに通じるか」と聞くと、ちょうど反対側に出ますよ、と教えられた。

階段を下りる。ちゃんと手すりも付いているので私のように必要な者にも優しい。

明るい。
夫に「昔はこんなに明るくないよね。怖かったよね。電気なかったよね。」などと言うと
「電気はあっただろう。蛍光灯の数が多くなったとか。壁や天井も白く塗って明るくしたのだろう。」
「ああ、そうかあ。白いね、確かに。明るいね。」
昭和の遺物、現役。こういうのって大好きな私である。
通路を通って東口に出ると、この傍まで来ていながら見つけられなかったのである。
そして勝手に、通路は塞がれたなんて思った昨日。
更に歩いて、8時半過ぎに家に着く。夫が出かけるところだった。間に合った。
万歩計は既に9000歩を超えていた。
そして、疲れを知らない私の身体にちょっと自信がつく。
いや、さすがにそのあとは休んだ。