僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2022/12/29)久々のブログだ。

2022年12月29日 22時16分04秒 | 日常、仕事、認知症


今、この時間のモーさんの寝顔。

おそらく、もう誰も見ていないかもしれませんが、
乏しくなってもブログを辞めるということは考えていないので
何かをきっかけにまた書けるようにしたいと思います。

自分の身近な問題として
現在、愛するトモが危篤というのがあります。
年末。病院は閉まっていますね。
小康状態を保ちつつ年明けの2日に病院に行く予定です。
先生がそのようにしてくださった。
色々と検査をしましたが、これ、というのが判断できず。
モーさんもその前に、具合悪くして20日くらい辛かったようですが、回復しました。
トモも時間がかかってもいいから、モーさんのように元気になってほしい。
が、16歳の高齢。でも頑張ろう、互いに。

仕事していないのに、年末忙しい私は、何だ。
順序立てて行動できない、動作が鈍い、人一倍時間が掛かる、等。
よって、メモ、メモ。
明日は、お墓参りの予定。正月の花を飾ってこよう。
夫は今日から休み。嬉しい。
ずっと一人で、言葉も無く一日夫の帰りを待つ身だったから。
猫たちが、たまに会話の相手になってくれる。
独り言もなるべく大きく言うようにしている。
声を出さなきゃ。




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(2022/10/19)記事を載せないと。

2022年10月19日 09時44分47秒 | 日常、仕事、認知症
ブログ、放置である。
久々に見ると、テンプレートなど変更になっていたりしている。
気候の良い今日、猫たちの写真を。




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(2022/8/13)休み前半終わり。

2022年08月13日 21時01分29秒 | 日常、仕事、認知症


また寝床を変えて2人で寝ている。



毎日カワイイ2人。
勿論、ケナガとナナコも毎日カワイイ。しかし、写真が少ないね。


今日は実家に2カ月ぶりに行ってきた。
暑いので半ズボン、半そでの恰好の父。
91歳、一人暮らし。転んで怪我をした所を見せてくれた。
お互い歩き方は要注意。
牛タン弁当を食べる。
一緒に暮らすことは今後もないと思うけれど、来年の夏の誕生日もこのように
元気であってほしい。

昨日は義父母の墓参に。早朝6時出発。
混雑はしていなかったが、同じ気持ちの人たちは何組かいた。
暑さと混雑を避けての墓参。
今の暑さは本当に危険である。夫も足元が覚束ない。

夫の4回目のワクチンの予約も取れて、親のことなど、大きなことが色々片付いて
ホッとする。
私は4回目先週。父はまだ。

旭川の妹家族にずんだ餅を送る。
牛タンは既に送ってある。
妹の夫がガンの手術。
私が妹の立場だったら・・・などと考えてしまう。




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(2022/8/6)久しぶりにいつもの公園に寄ってみる。

2022年08月06日 21時53分39秒 | 日常、仕事、認知症

今日お昼の空。
曇っていて、プラタナスの樹も葉の緑が濃くて陰っている感じ。
しかし、私にとってこのプラタナスの樹、今はやりの言葉で言えば、「パワースポット」の
場所である。
病院の帰りに久しぶりに寄ってみた。
もし、酷暑の日であれば、寄ることなくすぐに家に帰っていたことであろう。
連日の暑さのために、この夏はリハビリ散歩は中断している。
6月以来ずっとエアコンをつけっ放しだった。
家の中での熱中症が心配であった。
ネコのためにも一階の食堂もつけっ放しだが、エアコン苦手で玄関や廊下で暑い状態で
寝ているケナガたち。
そのエアコン、一昨日辺りに消して今日3日目。
雨と気温が漸く30℃以下になり、扇風機位で十分な凌ぎ方になった。
戸を開け放つと、やはり気持ちが良い。喉にも良い。
明日は29℃の予定。
しかし月曜辺りから気温が30℃を超えて晴れのマーク。
残暑突入である。
お盆期間は30℃以上。
お墓参りは早朝に行くしかない。
今日から、仙台七夕祭りで、3年ぶりに通常の飾りになった。
以前は職場が繁華街にあったから、仕事帰りに必ず寄って観て廻ったが
今のこの歩きでは人混みの中に入るのは考えられない。
それに、コロナが心配。
テレビのニュースで吹き流しの飾りを観ている。

もう1枚だけ写真を貼ろう。
次も暗い感じなので躊躇したが
この夕刻の空が気に入ったので。
8月3日18時半過ぎの空である。
かつて北海道のどこかで観た空に似ている。
夕焼けも美しいが
この悲しみの空だって十分に美しい。

夫の仕事帰りをひたすら外で待ちわびる私の心を表す空。






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(2022/4/14)公園の桜散り始まる。

2022年04月14日 15時50分35秒 | 日常、仕事、認知症

昨日(13日、水曜日)の朝の公園の光景。

お天気も良く、気温もまだ暑くならない早朝です。

桜、満開。

しかし。
今日の早朝、小雨、若干低温の公園の様子は。

まだまだ満開に見えるけれど。

地面は桜の絨毯になりつつある。
木蓮の花も落ちている。
本当に花の生き生きしている時間の短いこと。

そして今日の気温が4月の通常の温度のような気がする。
昨日まで暑すぎた。
春というより、初夏、夏の気温。
いよいよ、苦手な暑さと対峙する私だ。仕事をしていないだけ、いつでも休める、水分取れる。
小降りだったので、雨のことを気にせず、遊歩道を何周もした。歩幅も大きくしたり、股関節に刺激を与えたり。靴がドロドロになりそうだったので、今日は4700歩で終える。
あとは神社に行ったり、もう一つの大きな公園に行ったり、距離を延ばしていこうと思う。



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(2022/3/6)今期最後の積雪?

2022年03月06日 09時26分13秒 | 日常、仕事、認知症

今朝6時の雪。


南側のホテル倉庫の屋根雪。暖かい日のモーさんの寝床。
今期最後の雪かなあ。9時過ぎには溶ける。


モーさん。
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直ったかも。

2022年01月12日 14時01分04秒 | 日常、仕事、認知症
今、画像フォルダの「不具合」が消えていたので、やってみると
直ったようだ。
まだ安心できないけれど。
取り敢えず安心。
本当は、秋以前の状態に戻るのが良い。
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(2022/1/12)雪の一日。

2022年01月12日 11時01分58秒 | 日常、仕事、認知症

仙台、目覚めた時から雪が降っていて、今の時刻もこのように降っている。
夫の勤め先がここから北の方で、工場など新しく建っている所。
雪は「仙台で想像する以上の所だからね。」と言って夜が明けない暗いうちに出発。
会社の近くに引っ越せば、そんな心配から解放されそうで物件を調べたりしたけれど
夫にしてみれば、現実的じゃないようで。
この街、この土地を離れて暮らすのは考えられないようです。
夫の会社付近の道路にはタヌキの死骸を年に何回か見るそうで、私の新たな動物心配種(ダネ)になるのが目に見える。

ご近所の方の娘さんからお年賀の名古屋コーチン。
夫が鶏肉大好きなので、週末鍋にして食べることにする。
年賀状について感じたことを明日書くようにしましょう。


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(2022/1/12)写真がね・・・

2022年01月12日 09時35分27秒 | 日常、仕事、認知症


ドームの中に入って仲良く寝ている兄妹。
ケナガとナナコ。




このモーさんのは少し古いのを。

どうも、画像の貼り方に問題をまた抱えてしまって、気持ちが萎えている私です。

①スマホで撮った写真を直接ブログに掲載できたのが、突然できなくなったのが昨年の秋くらい。

②その解決策として、画像フォルダ→カメラ→撮影→フォルダに取り入れ→記事、で解決した。しかし、その手間、
 待つ時間、などで失敗もあり。

③それでもこれで良し、としてきたが、つい先週、反転ができなくなった。写真を撮るとき、縦に撮って、右反転にして
 画像を貼ってきたが、その反転もできなくなった。「反転の不具合」の表示が出て、そのまま。
 じゃ、横に撮ってそのまま貼るしかない、と思いそのようにする。
 左手で持ち右手でポチっと押すのだが、不安定な左手で、携帯を縦に持つのと、横に持つのとでは安定感が変わる。
 右手はなるべくフリーにして、不意の時どこかに捕まれるようにしておきたい、という気持ちがあったので、今まで
 縦に撮ってきた。
 普段のカメラでは縦でもすぐにok。ラインなどには不自由しないで載せている。

④そのうち、全く撮れなくなるような気がして。理由がわからない。いっぱいになり過ぎた?その表示、警告もないので。


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画像のテスト

2022年01月10日 22時28分20秒 | 日常、仕事、認知症
ちょっと試験的に。

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(2022/1/8)正月、実家に。

2022年01月08日 22時11分46秒 | 日常、仕事、認知症

モーさんの足。

あけましておめでとうございます。年が明けて8日目に、遅れたご挨拶です。
今年も、あまり生産性のないブログですが、お付き合いくださいませ。
モーさんは年末年始、うちのサンルームで過ごす時間の方が長いようです。
夜、8時過ぎですが、夫は7時頃に「一寝入りしてくる」と言って、一階の和室にネコたちと
寝てしまったようです。
休みの日は、自由に寝て起きて、音楽を聴いて、ごろ寝をしつつ海外ドラマを観て・・・と
気ままに過ごしている夫です。
ネコたちは、夫が一階で寝ると喜んで一緒に布団に入って寝ています。
夫は4日まで正月休み、その後仕事開始、そしてすぐにまた3日続けての休み。

私は夫に数日前に言った。
「あのね、また連休が3日続くでしょ。私、嬉しいの。またあなたとずっと居られるって。」
これから、嬉しいと思ったことを、どんなに小さくても、周りにくだらないと思われても、素直に伝えていこうと思った。
今の自分は寂しがり屋になっているから、一人でいることの不安が大きくなっているから、
自分の喜びを相手に伝えていこう、と決意。相手がモーさんでも、トモでも。
一緒に笑うことを、楽しむことを共有しよう。
年末年始は忙しかった。お客の訪問があったわけじゃない。あちこち訪問したわけじゃない。
日に3度の食事の準備だけでも私は人の倍かかる。
年末年始の正月準備の慌ただしさは昔から「ワクワクする」対象だった。
小さい時から。
特に大晦日から元旦にかけての時間の流れ。
テレビではレコード大賞を観て紅白歌合戦を観て、正月には父の会社の若い人たちが
挨拶に来て、母の正月料理を食べていく。
お年玉を頂いたり、百人一首に興じたり。正月らしい気分を味わえた苫小牧時代。
今は時代が違うけれど、
正月は、90代に入った父の為に、正月料理を作り、今年はホテルのお節料理も加わり、
豪華に食卓に並んだ。父の故友人のファミリー他集まりにぎやかになった。
今年も皆、皆平穏無事であってほしい。
帰途、いつもの神社に寄り、お参り。
そしておみくじを引いた。生涯、おみくじは2,3回のみ。
吉とか小吉とかが定着している私です。
が、今回は違った。
「大吉」です。怖い。
普通で良い、が、やっぱり嬉しい。それで、プラス思考になろうと思った。
だから、小さな喜びも伝えようと思った。

リハビリ散歩は滞っている。
路地を出た表通りの日陰の凍った部分を見ると、ぞーっとしてくる自分である。
夫に、「リハビリはどうなった」とイヤミを言われるが、転倒が怖いことが先に来る。
この間も、家の中で躓き、障子に穴をあける。
かと言って、障子の張替えも昔のようにスカッとできない。ユルユルになる。
退院して早々、障子張り替えをしたが、左手の不安定さで、ユルユルになることを知った。
それ以来、やっていない。そして更に穴をあける始末である。

年賀状のこととか、まだまだ書きたいことがあるが今日はこの辺で。



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(2021/11/22)感謝の対象。モーさん、そしてリハビリ散歩。

2021年11月22日 20時05分18秒 | 日常、仕事、認知症

公園のグランドを一周しては、この銀杏の木にタッチして次の周回に入る。

昨日日曜日の朝の散歩は、杖無しリハビリ散歩で初めて行かなかった。
特別な理由があるわけじゃない。
夫に、行かない、と伝えると
「あー、明日も行かなくなるぞ。」と言われた。
でも今日は夫を見送った後、雨の中、動き出した。
あの公園で何周も回ろう、と決めて。
あ、そうだ、昨日の朝、寒かったんだ、思い出した。
おそらく一番冷え込んだのではないか。

雨が降っているので公園には誰もいない。
あのおじいさんもいないし、高校生くらいの若い男の子がトレーニングしていたのを土曜日など
見かけたが、今日は当然学校なのでいない。
私一人で公園独占。
脇の道路はこれから出勤していく人たちが急ぎ足で次々と歩いていく。
この人達の邪魔になる私の歩き方なので、ますます増えるであろう時間には退散しなくては。
3000歩になったら帰ろう。
色々な樹木があるのだが、圧巻は

プラタナス。
もう葉が朽ちてそこら中、歩きの所、絨毯である。
写真では圧巻さが伝わっていないようだが、とにかく根本が大きい。
それがもう1本ある。
しっかり抱擁したいほどに頼もしい太さである。
生きている。
見ている。
見守っている。
包容力がある。
そんな印象の樹木たちである。
もっともっと立派な公園はあります。
樹木の豊富さも。
何十年も傍にいながら、樹木に触れたのは今日が初めて。
それも、この病気にならなかったら、見上げることもなかっただろう。
仕事に追われて、仕事のストレスが心の大半を占めて毎日が通り過ぎる。
それでも良かった、それが当たり前だった。


そういえば、
このリハビリ散歩に出かけることを機に
私の心の在り方が少し変わったような気がする。
退院して
(例年にないくらい)雪が多く、寒く、引きこもってしまった自分。
自らリハビリに通うことなく、じっとしていた。
何をどうしたらいいのか、どう整理したらいいのか、何を目標にしたらいいのか
何から手をつけたらいいのか、周囲の人間は変わらないけれど、自分自身が変わったことに
どう自分を納得させたらいいのか。
リハビリしても元の状態に戻らない、と歩きを見て思う。
時折襲うあのいやな気持ち。
何とも名状しがたい錘の気持ち。
死にたくなくても、死を選択してしまうような、引っ張られるような気持ち。
その気持ちに襲われたら、とにかく一日待とう、一日経って続いていなければ
大した悩みじゃないんだ、と昔からの対処法を心掛けた。
そしてほとんど、その日だけの襲いだった。

あれが遠ざかっていく。
その気持ちから解放された大きな一因は
モーさんの存在だった。
ご存じの通り、モーさんに夢中になった。恋心に似ていた。
恋をすると、切ない気持ちになる。
どんなに愛しても自分のものにならない切なさがある。
私の携帯の待ち受けは、うちの猫じゃなく、愛人のモーさんである。
しかも私の長靴にべったりと頬寄せている姿である。切なさという苦味があるけれど、
私のあのモヤッとしたものを払拭してくれたのはモーさんだった。


もう一つ大きな要因として
このリハビリ散歩である。
杖無しで街の中を歩きたい、買い物に行きたいと
うちの周りから始めた。
そして段々欲が出てきて、歩けるだけ苦しくならないだけ遠くに行こうと思うようになった。
するとそれに夢中になって、あのいやな思いが入る隙間が無くなってきた。
歩きながら、石碑や案内板を見たり、写真に収めたり、空を仰ぐことが多くなった。

この神社については記事にしていないが、先週ここにも行ってきた。



この空を仰ぐ、という行為は嬉しい。
深呼吸をして空に挨拶。
感謝している、こういうそれらの行為。

この時間、長々と書いているのだが
今夜は夫が会社の親睦会ということで、パソコンをゆったり使っています。












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(2021/11/19)公園と猫の思い出。

2021年11月19日 16時25分25秒 | 日常、仕事、認知症
今夜は「ほぼ皆既の部分月食」の日とのこと。
昨日の夜、月がほぼ満ちていました。
天候も良し。
皆で空を見上げたい。




今日の午前のモーさんの姿。
このように以前なら、どこかにいつも姿を見せていた。
サンルームから「モーさん!」「モーさん!」と呼んでも無視されました。
聞こえているんですけどね。

今朝の散歩では
近くの公園を通りかかったので中に入って歩きの練習。
たまに見る、買い物籠椅子カートを押して歩きの練習をしているおじいさんがいた。
ベンチに寝て腹筋の練習もしていた。





というように、筋肉の衰えた私たちの為にも使える器具が設置されていた。

この公園。

私の独身時代から縁のある公園。
だから10年、20年じゃないよ、もっと・・・。
結婚する前に約1年近く実家を離れての一人暮らしのアパートの傍。
出勤前に公園の木の下で鳴いていた子猫が気になったけれど、
どうか帰ってくるまでそこにいて、と今なら無茶な考えをしていた20代。
当然、帰宅したらいなかった。
もうこの世にはいないけれど、浅薄な若い私を許して、と思う。
カワイイ顔していたので誰か見つけて飼われたと思うようにしている。

結婚して、やはりその近くのマンションに住んだ私たち。
ある日、迷い猫がうちに入ってきた。
ドアを開ければ、躊躇なく入ってくる。
2、3回遊びに来ていた。
飼い猫か、捨てられたか、ノラ猫の時代がないような懐きぶりである。
夜、夫と私とその猫であの公園まで散歩に行った。
そしていつのまにか公園で行方不明になった。
暗い箇所が多く、繁みもある、猫の色の白黒の模様。
呼んでも出てこない。
見失ってしまった。
私たちは仕方なくマンションに帰った。
そのあと何度か外を見ると、
猫はうちのドアの前にいた。3階である。
そしてその猫はうちの猫になった。
猫にとって、マンションと公園の距離、車通り、帰るには困難な所だ。
一回の移動でよくぞ、帰ってきた、という思いだ。
我が家の猫、初代の猫、あとで発覚したのは、「横隔膜ヘルニア」という難病。
当時の先生には珍しい事例だったらしく、病院で写真をいっぱい撮っていた。
学会で発表か。
手術はできなかった。不妊手術も。だから発情期には悩まされた。
かわいそうだった。
ペット可とかそんな規則も曖昧な感じで、大家さんも知っていた。
大家さんの猫もよくあちこち歩いていた。

そして90年代に入って家を建てた。
その初代猫と更に増えた保護猫2匹、都合3匹のために建てた。
そして初代猫はうちに来て10年(既に大人の猫だった)目に亡くなる。
その頃、夫と公園を走り出す。
一日置きに。毎日だと続かないので。
今じゃ、走ることもできない。
何周もしていると、日中公園で過ごした子供たちの忘れ物があちこちにあるのを
見つける。
お菓子やら、上着やら、バドミントンセットやら。
大きな桜の木。あの下で見つけた子猫。
この繁みで行方不明になって戻ってきた初代猫。
走っていると闇からガサッと出てきたデカいカエルに驚いた自分。
ああ
この公園、私にとっていっぱいいっぱい思い出があるじゃないか、と思った朝だった。

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(2021/11/8)休日のリハビリ散歩。

2021年11月08日 17時20分36秒 | 日常、仕事、認知症
少し雨が降った。
明日は本格的に降りそうだ。
もう夕飯の支度をしなければならない時間に。
しかし私の頭、身体は今一つスッキリしていず、一日の始まりが来ていないような感覚。
6時過ぎには散歩に出かけたのに、洗濯をしただけで、庭のこととか掃除とか
できなかったなあ。
一日一日が大切、と実感したこの病気なのに、以前のダラダラした自分になっていた。
心がどうも、ね。あなたのせいですね、きっと。

11月6日。土曜日。
この日の散歩も、何かを求めてガツガツ歩いた気分。

私の元の職場の前、その近辺。
元同僚の家近辺。
そこから、自転車の時には通ったことのない道を下りていく。
そしてここに、駅があったはず、しかし、そこがどこか正確な位置がわからず。
やはり、石碑あったほうがいい。

どこかの居酒屋のカエル石。

これだけではなにを撮ろうとしたのかよくわからない。

7日。日曜日。
朝起きた時からなぜかドキドキしていた。
今日は、いよいよ、自分の大学の跡地に行ってみよう、と初めから目的地を決めていた。
なぜドキドキするのか、この足で歩いて辿り着けるのか不明だった。
あまり目的地にこだわるべきじゃない、出来なかったらガッカリするじゃないか、などと
考えて。この距離は未知だった。前日も相当歩いたが、目的地をしっかり決めていたわけじゃない、1つの地点に来て、あ、もっと歩けるかもしれないと思いつつ延ばしていった。
帰宅して夫に駅の裏まで行ったことを伝えると「ずいぶん遠くまで行ったじゃないか。」と
驚いていた。
その距離よりももっと遠い所を今日は明確に目指そうというわけだ。どこまで行けるか。
健常者の歩みなら、うちから40分くらいか。
私は、距離を延ばしたいのでわざわざ遠回りしたりする。

また神社に出会えば参拝。1つ1つの出会いを大事にしていこう。
坂を下りて休日の早朝の繁華街を通る。いつもいつも通いなれた道。
行きつけの喫茶店も健在。コロナ期間、どうだったのだろうか。
私は入院時も退院してからも「コロナ」の街の様子をほとんど知らない。
老舗の靴屋に「閉店」の文字。
老舗の洋服屋も。
老舗のパチンコ屋も。
そしていつのまにか、店々が消えて,広い駐車場になってしまった所。
それらを横切って歩く。
私の足はまだまだ歩ける。杖なしで。ぎこちない歩き方だけれど、階段とか怖いけれど歩く。

着いた。
ここが私の通った大学のあった所だよね。自信ない。
それほど、遠い昔の移転だ。
石碑を探したが、ない。そんな洒落たことを考える時代じゃなかったか。

この通りを学生時代歩いたんだ。

大学の向かい側に古ーい学生サークル棟があって、そこは薄い壁で仕切っていて、どこかのサークルから流れてきた
「ホテルカリフォルニア」が衝撃的だった。

おそらくここは有名な喫茶店があった所。建物自体は残っていたんだ。嬉しいね。
夫に聞いてみたところ、夫も知っていた。

あまり高いビル等を見上げたせいか、クラクラしてきた。
おそらく、これから自分の残りの人生で、こうして学生時代を懐かしがって気楽に気軽に歩けるということがなくなって
いくようなので、こうして思い立ったが吉日で、行ける時には行こうと決意して良かった。
そして駅方向に向かう。
これから折り返し自宅に向かうんだ。
散歩の目的は、あくまでも自分の足腰強化。どこを歩いたっていい。
前日駅裏で見つけられなかった地下道を駅西口に見つけた。
見つけられなかったのは、昭和の遺物としてもう閉鎖したのかも、と勝手に決めつけた自分。
せめて西口に、その石碑や案内板でもあれば、と行ってみると

というように、現役なのである。これには驚いた。
近くにいた警備員に「どこに通じるか」と聞くと、ちょうど反対側に出ますよ、と教えられた。

階段を下りる。ちゃんと手すりも付いているので私のように必要な者にも優しい。

明るい。
夫に「昔はこんなに明るくないよね。怖かったよね。電気なかったよね。」などと言うと
「電気はあっただろう。蛍光灯の数が多くなったとか。壁や天井も白く塗って明るくしたのだろう。」
「ああ、そうかあ。白いね、確かに。明るいね。」
昭和の遺物、現役。こういうのって大好きな私である。
通路を通って東口に出ると、この傍まで来ていながら見つけられなかったのである。
そして勝手に、通路は塞がれたなんて思った昨日。
更に歩いて、8時半過ぎに家に着く。夫が出かけるところだった。間に合った。
万歩計は既に9000歩を超えていた。
そして、疲れを知らない私の身体にちょっと自信がつく。
いや、さすがにそのあとは休んだ。











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(2021/11/7)ラッキーな出来事

2021年11月07日 17時31分18秒 | 日常、仕事、認知症
夫が休みの時の私のリハビリ散歩時間は昨日1時間半、今日2時間という、「散歩」を越えたものになっていた。
ノンストップ。この足で歩きまくり、どこにも腰掛けない。鼓動も正常。特に息苦しいとかもなく、足の痛みもほとんどない。
午前8時半までには戻らなければならなかったので、6時35分に家を出発。戻ってきたのが
8時35分。なんと正確な歩み。
毎朝、何かしら発見があり、気付きがあり、感動がある。

4日。木曜日。散歩、北側に向かって。神社へ。平坦な所なので、歩きは楽。夫の通った幼稚園があった所だ。

お賽銭。

5日。金曜日。その日は、ゴミ捨てなどがあったので、短い時間の散歩。
散歩し始めて10分ぐらいして向こうから、犬🐶のお散歩姿が見える。
あの🐶だ!
ここは一本道だから必ずすれ違える。
やっぱりそうだ。ラッキー🐶。
話しかけると、私に飛びつく。嬉しい🙌名前を聞くと、リリーちゃん。写真を撮る。カワイイ。またいつか会おうね、と別れる。良いことがある、ラッキー🐶と決めていた私にすぐご利益。家に戻った私の後ろからモーさんが着いて来た。そして8時過ぎまでいてくれた。





サンルームが暑くなってきたので外に出て陽にあたっていた。

そして、東京の友人(教え子)から、なんと特大の「まるごとバナナ」が送られてきた。先日会った時に、「私の朝食」と言っていたらしい。


幸せな気持ちになる、私の大切な出来事だった。
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