13日(日).昨日,ル・テアトル銀座でピーター・シェファー作,戯曲「アマデウス」を観ました 「アマデウス」は1979年にロンドンで初演され,映画化されると世界的な大ヒットになりました.日本初演は1982年で会場は池袋のサンシャイン劇場.この時,主演サリエーリに松本幸四郎,モーツアルトに江守徹,コンスタンツェに藤真利子というキャストでした.私はこの公演を観に行きました 30年近く前になりますが,初めて「アマデウス」を観たあの時の感激は今でも忘れられません.松本幸四郎も,江守徹も,藤真利子も若かったこちらも独身で若かった
松本幸四郎は初演以来,サリエーリを400回も演じ,今回のシーズンを第401回からスタートしたとのことです モーツアルトは武田真治,コンスタンツェは内山理名が演じます.会場はほぼ満員.中には和服姿のご夫人もチラホラ見受けられました.幸四郎ファンなのでしょう自席は13列9番で中央ブロックの通路側です.舞台は「傾斜舞台」のように見えました.観客から見やすいように奥が高く客席側が低くなるように傾斜している舞台です.新国立オペラでの舞台で同じような演出が多いように思います
舞台では2つの時間が同時進行していきます.老いたサリエーリがモーツアルト暗殺を告白する現在(1823年)と,その告白をたどって見せる回想の過去(1781~91年)です.
1823年,晩秋のウィーンで「モーツアルトの死はサリエーリの暗殺によるもの」という噂がささやかれていました.その噂の出所はサリエーリ自身であるといいます その時すでにモーツアルトの死後32年が経っていました.全身を覆うマントのような衣装を着た年老いたサリエーリが独白を始め,途中で服を脱ぎ捨てて若き日のサリエーリに転身するシーンは,演出の見せ場でしょう.1982年の日本初演のときには,このシーンで拍手が起きました.この日のお客さんはおとなしい人ばかりだったようです
1781年,宮廷作曲家の地位にあったサリエーリには,一つの不安がありました.それは弱冠25歳の作曲家モーツアルトの存在でした.音楽上の高い評判に対し,その日常は,フィアンセのコンスタンツェと卑猥な言葉を口走る,行儀の悪い,軽薄な青年でした サリエーリはそのギャップに驚くとともに,なぜ,神はあんな軽薄な小僧に音楽の才能を与え,神のために身を尽くしている自分には才能を与えてくれないのか,と嘆きます
サリエーリが劇中で最初に接するモーツアルトの音楽は「十三管楽器のためのセレナード」の「アダージョ」です.何の変哲もないメロディーだと思っていると,オーボエのメロディーが天から降ってきます 次いでクラリネットが地上から湧き上がってきます これを聴いたサリエーリはモーツアルトの”天才”に気がつきます.ウォルフガング・アマデウス・モーツアルトの「アマデウス」は「神に愛されし者」という意味.神が音楽の使者として選んだのは宮廷楽長のサリエーリではなく,軽薄青年モーツアルトだった.これを境に,サリエーリは神に対する復讐を誓います
公演プログラムで松本幸四郎と指揮者・佐渡裕の対談が載っていますが,その中で佐渡が,このシーンで使われた”十三管楽器のためのセレナーデ”について触れ「素晴らしい選曲ですね.もっとポピュラーな曲がいっぱいあるのに,劇作家自身が選んだのか,音楽専門家の助言者がいたのかわかりませんが,モーツアルトの天才性をこの曲で表現しているところが,音楽家から見てすごいと思います・・・あの曲は変ホ長調.神々しさを感じる調性なんです」と語っています.専門的なことはわかりませんが,選曲のセンスの良さについてはまったく同感です
松本幸四郎は最初から最後までほとんど出ずっぱりで,正味2時間半を喋り通しです.どうしてそんなに集中力を持続することが出来るのか,不思議なくらいです.「ラマンチャの男」とともに,「アマデウス」がロングランを続けているのも頷けます 彼は演出もしています.
武田真治は,現代若者気質そのものといった感じの元気で軽薄なモーツアルトを演じていました.内山理名はオキャンなコンスタンツェを好演していました
プログラムの中で横浜国立大学准教授の小宮正安さんが「サリエーリVSモーツアルト?」という文章を書かれていますが,意外な事実が書かれていて驚きます.それは,1824年にベートーヴェンの第9交響曲が初演された時に,第4楽章の合唱に参加していたのが,サリエーリが指導する合唱団だったということです また,サリエーリとモーツアルトの本当の関係は,決して敵同士ではなく,むしろよき同業者としてお互いを認め合っていたことが,最近の研究では判明しているとのことです
初演から30年も経っているのに,今でも同じ主役で上演が続き,観るたびに新鮮な感動を覚える「アマデウス」.ル・テアトル銀座では11月25日午後1時半からが千秋楽です