13日(日)。昨日は、前夜のハシゴ酒が影響して 朝から不調のどん底でした とはいうものの午前10時からマンション管理組合の理事会があり、理事長なので出席しないわけにもいかず、朦朧とした頭を抱えて出席しました 今回の理事会は、①管理員の土曜出勤の中止の件、②管理費長期滞納者に対する訴訟に関する件、③共用スペースの照明のLED化の件、④定時会員総会議事の件・・・・と盛りだくさんのうえ、「天井で水の落ちる音がするので調べてほしい」という住人が飛び入りで参加して事情を説明、それについても意見交換したので、いつもは1時間以内に終わる会議が倍以上かかってしまいました。もう、ヘロヘロです
午後は、土曜日のルーティーン・ワークである①1週間分のワイシャツにアイロンをかける、②部屋と廊下に掃除機をかける、③風呂の掃除をして水を入れ替えるーーを済ませてから、ベッドに寝転がってリストの「巡礼の年」、ワーグナーの「ラインの黄金」、メンデルスゾーン「弦楽四重奏曲集」、モーツアルト「ヴァイオリン協奏曲第5番」などを聴きながら新聞2紙と本を読みました 身体が疲れて背中が痛いので、普段は”至福の時間”なのですが そういう気分になれませんでした もうヘロヘロです
ということで、わが家に来てから532日目を迎え、お菓子の箱の中身を確かめるモコタロです
ぼくにも食べられるのかなぁ? 食べられないとヘロヘロになりそう
閑話休題
当ブログの読者Nさんから戴いた「ブロワ珈琲焙煎所」の第3弾「コロンビア」を冷凍庫から出して封を切りました 今回は娘と一緒に飲みましたが、「すごく美味しい」ということで意見が一致しました
も一度、閑話休題
もうヘロヘロとはいうものの そうとばかりも言っていられないので、オリヴァー・サックス著「音楽嗜好症~脳神経科医と音楽に憑かれた人々」(早川文庫。542ページ)を読みました オリヴァー・サックスは1933年ロンドン生まれ。オックスフォード大学を卒業後、渡米し、脳神経科医として診療を行うかたわら、作家活動を展開し数多くの医学エッセイを発表しています 映画「レナードの朝」の原作者と言えば分かり易いでしょうか
原題の「Musicophilia:Tale of Music and the Brain」の邦訳として「音楽嗜好症」と名付けている訳ですが、「-philia」は「〇〇びいき」や「〇〇マニア」という、何かに対する偏愛を意味する接尾語として使われ、医学用語では、例えば小児性愛のような病的な嗜好を表現することもあるそうです これに”music”を組み合わせた言葉は、単に音楽が好きというよりも、日常生活に支障をきたすほど音楽にのめり込むことを意味すると考えられるとのことです さしあたってオレのことか
何しろ540ページを超える大作なので、この本に書かれていることをくまなくご紹介することは不可能です いくつか印象に残ったところをピックアップしてご紹介したいと思います
まず第1章「青天の霹靂ー突発性音楽嗜好症」では、雷に打たれ 蘇生したと思ったら突然 音楽を渇望するようになった整形外科医のエピソードが紹介されています 雷に打たれ、文字通りぶっ飛んだチコリア(当時42歳)は、いわゆる”臨死体験”をします。その後、回復すると、突然ピアノ音楽に対する渇望が始まってレコードを買い集めるようになります その後、頭の中で作った音楽をピアノで弾いている自分に気が付きます 彼はこの現象について「周波数か、無線帯域みたいな感じです。私が心の扉を開けば、それがやってくるんです。モーツアルトが言っているように『天から降りてくる』という感じですね」と述べています
これが本当だとすれば、いつの世も天才は存在するということです モーツアルトは父親あての手紙の中で「頭に浮かんだ音楽を、ただ譜面に書き取るだけです」というようなことを書いています。あるいは モーツアルトは幼少の頃、ザルツブルクで雷に打たれたのだろうか? と想像してしまいます
一方、第4章「脳の中の音楽ー心象と想像」では、次のように書いています
「一般にプロの演奏家は、音楽をイメージする優れた能力とされるものをもっている 実際、最初だけにせよ終わりまでにせよ、楽器を使わずに頭の中で作曲する作曲家は多い。その最たる例がベートーヴェンだ。彼はまったく耳が聞こえなくなってから何年間も作曲を続けた(そして、その作品はどんどん高いレベルに上がっていった)。彼の音楽をイメージする力は、耳が聞こえないことでかえって強められた可能性がある。というのも、通常の聴覚入力がなくなると、聴覚皮質が異常に敏感になり、頭に浮かぶ音楽(時に幻聴)が強まる可能性がある 作曲家、とくにベートーヴェンのように非常に込み入った構成の音楽を作る作曲家は、高度に抽象的な音楽思考力も駆使しなければならない。そして、そのような知力を要する複雑さこそが、ベートーヴェンの後期の作品を特徴づけているかもしれない」
これを読むと、モーツアルトのような”天才”ではなく、逆境に乗り越えていく”努力の人・不屈の人”ベートーヴェンを思い浮かべます
第11章「生きたステレオ装置ーなぜ耳は二つあるのか」には興味深いことが書かれています
聴神経腫を切除したノルウェーの医師ヨルゲンセンは、右耳の聴力を失ってから、コンサートでマーラーの「交響曲第7番」を聴いた時「音楽の特性ー音高や音色ーの知覚は変わらなかったのに、音楽の感情表現を受け取ることができなくなった。妙に平板で、二次元しかない感じだった」と語っています
これについてサックスは、次のような解説を加えています
「視覚にしても聴覚にしても、二つの別々の目や耳によって伝えられるものの差異ー目の場合は空間の差異、耳の場合は時間の差異ーから、奥行きと距離(そして丸み、ゆったり感、ボリューム感などの特性)を推測する、脳の能力に依存している ここでいう差異はとても小さく、視覚の場合の空間的差異は2、3秒角(1秒角は3,600分の1度)、聴覚の場合の時間的差異は2、3マイクロ秒(1マイクロ秒は100万分の1秒)だ。この能力によって、フクロウのような夜行性の捕食者をはじめとする動物は、周囲の環境をまさに音で把握することができる 私たち人間はこのレベルには届かないが、それでも、自分の位置を確認し、周囲に何があるかという判断やイメージづくりをするのに、視覚的な手掛かりと同じくらい両耳の知覚の差異を利用する。立体音響効果があるからこそ、コンサートに行く人は、できるだけ豊かに、繊細に、立体的に聴くことが出来るように設計されたコンサートホールで、オーケストラや合唱団の複雑で豊かな楽音と壮麗な音響を楽しむことができるのだ・・・・人はステレオの世界を当たり前と思う傾向があり、ヨルゲン医師のような災難に見舞われて初めて、耳が二つあるという当たり前に思えることが、じつはとても重要なことなのだと、突然はっきりと痛感する」
この文章を読むまで、耳が二つあることが音楽を聴くうえでどれだけ重要なことであるかに気が付きませんでした
このほか、ナポリ民謡を聴くと発作を起こす女性の話など、必ずしも音楽が人間に対して良い影響を与えるとは限らない事例なども紹介されています サックスは脳神経医だけに数多くの事例をもとに人間と音楽の関係について述べています 専門的な用語が出てきますが、各章の終わりに「注」の形でフォローしているので、そこまで読まないという人は「注」を飛ばしてどんどん読み進めることをお勧めします。音楽好きにはたまらなく面白い本です。お薦めします