15日(日)。昨日の朝日朝刊別刷り「be」の見開き連載記事「みちものがたり」が「佐世保でしか会えぬ小説家 『正午派の道(長崎県)』という見出しで、小説巧者と言われる佐藤正午氏を取り上げていました
記事を読んで面白いと思ったのは、直木賞受賞作「月の満ち欠け」の舞台は東京になっているのに、本人が東京を最後に訪れたのは四半世紀も前だと公言していることです 記事には次のように書かれています
「行ったこともない場所を描けるのは手足となる編集者がいるからだ 『月の満ち欠け』では、岩波書店の坂本政謙さん(53)がその役割を担った。佐藤さんからの注文は、『東京駅周辺の隠れ家風の喫茶店』。『トラヤ』を見つけるのに、3日ほど歩き回った その後も新幹線のホームから改札を通ってカフェに向かう道筋はすべてスマホのカメラで連写し、メニューやウェーターの制服、調度品なども撮影して送った 『面倒?まったく。楽しかったですよ。調べたことをちゃんと小説に生かしてもらえるんですから』」
佐藤正午の小説が出来るまでのプロセスの一端が良く分かると同時に、彼が小説家として いかに想像力に長けているかが分かります
記事には「佐世保川に架かるアルバカーキ橋に立つ佐藤正午さん」がカメラの方を向いて つまらなそうな顔で立っている写真も掲載されています 写真撮られるの あまり好きじゃないのかな、と思ったりしました
ということで、わが家に来てから今日で1292日目を迎え、中国の習近平国家主席は生活インフラの整備が遅れた農村部を念頭に「トイレ革命」を掲げているが、日本は技術支援や衛生教育で貢献し 日中の協力強化を図る というニュースを見て 白ウサちゃんと切羽詰まった会話をするモコタロです
白ウサちゃん 何 もぞもぞしてるの? トイレに行きたいって? 早く行っトイレ
昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ロッシーニ「セミラーミデ」の座席指定を取ってきました 17日(火)午前10時上映開始の部です。今回は最後列の席を取りました
これで3枚セットのムビチケカードが使い切ってしまうので、新たに1セットを購入しました 今シーズンも残すところ下の3作品となったのでちょうど使い切ります 通常1作品3,600円ですが、3枚で9,300円と格安です
①モーツアルト「コジ・ファン・トゥッテ」(5月5日~11日)
②ヴェルディ「ルイザ・ミラー」(5月19日~25日)
③マスネ「サンドリヨン(シンデレラ)」(6月2日~8日)
昨夕、サントリーホールで東京交響楽団の第659回定期演奏会を聴きました プログラムは①マーラー「交響曲第10番嬰へ長調」からアダージョ、②ブルックナー「交響曲第9番ニ短調」です 指揮は2014年度から東響の第3代音楽監督を務めるジョナサン・ノットです
オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります。言わば「ノット・シフト」です コンマスは今や東響の顔になった感のある水谷晃です ロビーの掲示に出ていたように、この公演はNHKが中継録画するとのことで、ステージ上の10か所以上に収音マイクが林立し、ステージ左袖と2階の左右袖にテレビカメラが構えています
ジョナサン・ノットが指揮台に上がりマーラー(1860-1911)の「交響曲第10番嬰へ長調」から「アダージョ」が演奏されます この日の演奏ではエルヴィン・ラッツが校訂した国際グスタフ・マーラー協会による全集版による楽譜を使用します
「交響曲第10番」は当初、第1楽章「アンダンテ~アダージョ」、第2楽章「スケルツォ」、第3楽章「プルガトリオ」、第4楽章「スケルツォ」、第5楽章「フィナーレ」から成る作品として構想された交響曲の第1楽章に当たる音楽で、マーラーの死によって第2楽章以降は未完に終わりました ベートーヴェンが9つの交響曲を作曲して死去したことから、「大地の歌」を作曲して遠回りしたりして第10番の作曲には慎重になっていたマーラーでしたが、やはり「第9ジンクス」には勝てず、第10番は完成出来ませんでした
この曲は冒頭、ヴィオラによる演奏から神秘的に入ります そして穏やかなアダージョが奏でられますが、終盤でいきなり激しい不協和音が強奏されクライマックスを迎えます ケン・ラッセル監督による1974年のイギリス映画「マーラ―」では、マーラーが夏に滞在して作曲していた南チロル地方のトプラッハの湖畔に建てられた作曲小屋が燃え上がるシーンでこの不協和音が効果的に使われています その当時、妻アルマの不貞が明るみに出たことによって夫婦関係が破たんしつつあったことが、この不協和音に表れているのではないかと思われます
ノットの指揮による東響の演奏は、いつもの通り引き締まった演奏で、現代のマーラーを感じさせます 演奏時間は26分でした
休憩後はブルックナー(1824-1896)の「交響曲第9番ニ短調」です この曲は1893年から1894年までの間に第1楽章から第3楽章まで作曲されましたが、第4楽章は未完に終わりました この日の演奏は、音楽学者ベンヤミン=グンナー・コールスの校訂による国際ブルックナー協会の新全集版による楽譜を使用しています 第1楽章「おごそかに、神秘的に」、第2楽章「スケルツォ(躍動して、生き生きと)とトリオ(速く)」、第3楽章「アダージョ(ゆっくりと、おごそかに)」の3楽章から成ります
ジョナサン・ノットのテンポは速めであることが予想されたので、その対極にあると思われるセルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルのCD(1995年9月のライブ録音)であらかじめ予習し、記憶を頼りに比較しながら聴くようにしました
その結果、チェリビダッケと今回のノットの演奏時間は下記の通りでした
第1楽章 第2楽章 第3楽章 合 計
チェリビダッケ 32分26秒 13分47秒 30分36秒 76分49秒
ジョナサン・ノット 27分 10分 26分 63分
チェリビダッケがどういう版を使っているかCDの解説では触れていないので不明ですが、プログラムノートによると、ノヴァーク版とコールス版との違いはわずかであるとのことなので、版の問題は考えないことにします それを前提に言えば、各楽章ともノットの方が速めのテンポであることが分かります。言い方を変えればチェリビダッケの方が遅めのテンポであることが分かります これをどのように解釈すれば良いのかが問題になります。他のCDや生演奏を聴いた経験から言えば、現代においてはチェリビダッケの遅めのテンポが異常で、ノットの速めのテンポの方が普通であると言えるのではないかと思います
もちろん、テンポ設定だけを取り上げて演奏の特徴を言っても片手落ちであることは十分理解しているつもりですが、チェリビダッケの遅めのテンポによる演奏は非常に説得力があり感動があることだけは確かです
今回のノットによる演奏で一番印象に残ったのは、第2楽章「スケルツォ」の冒頭における弦楽器による刻みです コンマス以下、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが渾然一体となって一糸乱れず力強い演奏を展開します 「渾身の演奏」というのはこういう演奏を言うのでしょう
また、今回の演奏を聴いて思ったのは、管楽器の誰が良かったとか、特定の奏者が突出していたということではなく、名シェフのもと 演奏集団として まとまって 持てる力を最大限に発揮したコンサートだったということです