人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

小林壱成 ⇒ 東響コンマスに就任 / クリスティアン・ペッツォルト監督「あの日のように抱きしめて」を観る 〜 戦争で顔面に大きな傷を負った妻と 彼女と気付かない夫の悲劇の物語

2021年09月02日 07時13分14秒 | 日記

2日(木)。東京交響楽団のツイッターによると、9月1日付で小林壱成氏がコンサートマスターに就任しました これで東響はグレヴ・二キティン、水谷晃に小林壱成を加えたコンマス3人態勢となりました

ということで、わが家に来てから今日で2427日目を迎え、秋篠宮家の長女眞子さまが、婚約が内定している小室圭さんと年内に結婚する方向で調整していることが関係者への取材でわかった  という全国紙の夕刊を見て感想を述べるモコタロです

 

     

     こんなニュースが全国紙の第1面に載るんだから 日本は平和だと言われるんだよな

 

         

 

昨日、夕食に大学時代の友人S君が送ってくれた鯖を塩焼きにして、「生野菜とワカメのサラダ」「マグロの山掛け」「豚汁」を作りました 鯖は脂がのっていて美味しかったです

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でクリスティアン・ペッツォルト監督による2014年製作ドイツ映画「あの日のように抱きしめて」(98分)を観ました

館内は市松模様配置ですが 満席です いつもはがら空きなのに なぜ?と考えて、そうか毎月1日は映画の日でどこの映画館も一律低料金で観られるからだ、と気が付きました 早稲田松竹の場合は一律800円で2本の映画が観られます 私の場合は、ペッツォルト監督の「水を抱く女」は以前観たことがあるので、この3日間はそれ以外の彼の作品を1本ずつ観ました

物語の舞台は1945年6月のドイツ敗戦直後のベルリン。元歌手のユダヤ人女性ネリー(ニーナ・ホス)はアウシュビッツ強制収容所から奇跡的に生き残ったものの顔に大きな傷を負い、親友の弁護士レネの助けで顔面再生手術を受ける 過去を取り戻すために夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)を探し出そうと奔走するネリーは、ついにクラブ「フェニックス」で雑用係として働くジョニーと再会を果たす しかし、ジョニーは顔の変わった彼女が自分の妻ネリーであることに気づかないばかりか、収容所で亡くなったはずの妻に成り済ましてネリー一族の遺産をせしめようと彼女に持ちかける ネリーはショックを受けたもののジョニーの提案を受け入れ、昔のネリーを演じるなかで本来の自分を取り戻したつもりになっていく 一方 弁護士レネは、ジョニーが保身のためにネリーをナチスに売り、彼女の逮捕直前に離婚していた事実を知っていた レネはネリーに ジョニーは裏切り者だから縁を切るよう忠告するが、彼女は何か事情があったのだろうと、ジョニーの求めるままに妻を演じ続ける ある日レネが将来を悲観して自殺するが、レネの遺書には、ジョニーが一方的にネリーと離婚していたことを示す書類が同封されていた その後、ジョニーは昔のネリーの友人たちとの再会の場を設ける。彼女はジョニーとの思い出の曲「スピーク・ロウ」を歌いたいとして、元ピアニストだったジョニーに伴奏を頼む ジョニーはピアノを弾きながら、ネリーの歌声と腕に刻まれた囚人番号でようやく彼女が妻本人であることに気づく 伴奏を止めて唖然とするジョニーを無視してネリーは歌い続け、ジョニーを残して その場を去っていく

 

     

 

原作はユベール・モンテイエの1961年の小説「帰らざる肉体」ですが、アルフレッド・ヒッチコックの「めまい」(1958年)もモチーフとしているそうです

ネリー役のニーナ・ホスとジョニー役のロナルト・ツェアフェルトは2年前(2012年)製作の「東ベルリンから来た女」のコンビです

この映画の原題は「フェニックス」ですが、上に書いた通り「フェニックス」とはジョニーが働いているクラブの名前です ネリーはジョニーに再会した時、彼が自分のことを妻だと判らなかったことにショックを受け、後にレネに「ジョニーが私をネリーだと気づかなかった時点で私は死んだ」と語ります そして、最後に彼女はジョニーだけにしか分からない思い出の曲「スピーク・ロウ」を彼の伴奏で歌うことによって、自分が本当のネリーだと気づかせ、ジョニーと決別して不死鳥のように新たな未来に飛び立ったのです

その「スピーク・ロウ」はオグデン・ナッシュ作詞、クルト・ヴァイル作曲による1943年のジャズの名曲です 歌詞の冒頭は「愛を語る時は密やかに 夏の日はすぐにしぼんでしまう 愛は火花 すぐに闇の中に消えてしまう」といった内容で、中盤に「時間はとても長く 愛はとても短い 愛は純金で 時間は泥棒よ」というフレーズが出てきます ペッツォルト監督は、戦争によってもたらされた夫婦の悲劇を、このフレーズに込めてネリーに歌わせたのではないか、と思います

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