人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

鈴木雅明 ✕ 鈴木優人 ✕ 読売日響でプーランク「オルガン協奏曲」、メンデルスゾーン「交響曲第4番」、C.P.E.バッハ「シンフォニア」を聴く ~ 土曜マチネーシリーズ

2021年09月19日 07時17分02秒 | 日記

19日(日)。わが家に来てから今日で2444日目を迎え、アフガニスタンで暫定政権を樹立したイスラム主義組織タリバンは17日、首都カブールにある女性問題省の建物表示を勧善懲悪省に置き換えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     タリバンにとっての「勧善懲悪」はイスラム原理主義が善で 自由な社会が悪だろう

 

         

 

昨日、東京芸術劇場コンサートホールで読売日響「第240回土曜マチネ―シリーズ公演」を聴きました プログラムは①C.P.E.バッハ「シンフォニア」、②プーランク「オルガン協奏曲 ト短調」、メンデルスゾーン「交響曲第4番 イ長調 作品90 ”イタリア” 」です ②のオルガン独奏=鈴木優人、指揮=鈴木雅明による父子共演です

鈴木雅明は1954年神戸市生まれ。東京藝大およびアムステルダム・スウェーリンク音楽院に学ぶ。1990年にバッハ・コレギウム・ジャパン(B.C.J)を創設。音楽監督として、ヨハン・セバスティアン・バッハの教会カンタータ全曲の連続演奏会を開催し CD化するなど精力的な演奏活動を展開しました 最近はバッハに限らず古典派、ロマン派の作品の指揮も手掛け、内外で高い評価を受けています

一方、鈴木優人は東京藝大大学院修了、オランダ・ハーグ王立音楽院修了。指揮者として、パイプオルガンをはじめとする鍵盤楽器奏者として多面的に活躍。2018年に父・雅明氏の創立したB.C.Jの首席指揮者に就任しました また、2020年4月からは読響指揮者・クリエイティブ・パートナーを務めています

 

     

 

会場は9割近く埋まっている感じがします。毎回よくもこれほど入るものだと感心します しかし、この公演は土曜と日曜の2回、同一プログラムで開かれるので、日曜公演を見ないとマチネ―・シリーズの実態は分かりません

弦楽器は8型で左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります コンマスは小森谷巧、その隣は林悠介というダブル・コンマス態勢です コロナ感染症対策のため弦楽器奏者も譜面台は1人1台を使用しソーシャルディスタンスをとります

1曲目はC.P.E.バッハ「シンフォニア  ニ長調 Wq.183/1」です この曲は大バッハと最初の妻マリア・バルバラとの間に次男として生まれたカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714‐1788)が1775年から翌76年にかけて作曲、1776年8月17日にハンブルクで初演された「12のオブリガート声部のための4つのシンフォニア」 Wq.183に収められた1曲です 第1楽章「アレグロ・ディ・モルト」、第2楽章「ラルゴ」、第3楽章「プレスト」の3楽章から成ります

鈴木雅明が指揮台に上り第1楽章の演奏に入ります 最初の弦楽器の音を聴いて のけぞるほど驚きました    ノンヴィブラートにより強弱のメリハリをつけて速めのテンポで進められる演奏は、古楽器奏法です こんな音を読響から聴いたのは初めてです 簡潔な第2楽章を経て、第3楽章は愉悦感に満ちた音楽が疾走します メリハリの効いた爽快な演奏でした

2曲目はプーランク「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調」です この曲はフランシス・プーランク(1899ー1963)が1936年に作曲、1939年6月21日にパリで初演されました この作品は6部から成る単一楽章の曲です

管楽器が退場し、弦楽器は10型に拡大します ステージ正面のパイプオルガンは「モダン面」の姿を見せています 鈴木優人が配置に着き、荘重なオルガン・ソロで演奏が開始されます 次いで弦楽器の重心の低い演奏が入ってきますが、これを聴いてまたしても驚きました 1曲目とは全く違う響きが会場を満たしたからです これが同じオーケストラから発せされた音か、という驚きです 160年以上も離れた2つの作品の響きの違いを明確に聴きとることが出来ました オルガンと弦楽器による協奏にティンパニが程よい刺激を与えていました 全体を聴いた印象は、極めてドラマティックな演奏で、時に宗教的な祈りの音楽を感じたかと思えば、時にフランス的というか軽妙洒脱な音楽を感じることもあり、変化に富んだ色彩感豊かな演奏でした

初めて聴いた作品ですが、とても良い曲だと思いました

大きな拍手に鈴木優人は、アンコールにフォーレ「パヴァーヌ」を演奏しました(間違ってたらゴメンなさい

 

     

 

プログラム後半はメンデルスゾーン「交響曲第4番 イ長調 作品90 ”イタリア” 」です この曲はフェリックス・メンデルスゾーン(1809‐1847)が1830年から翌31年にかけて旅行したイタリア各地の思い出をもとに1831年から33年にかけて作曲、1833年5月13日にロンドンで初演されました 第1楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ~ピウ・アニマート」、第2楽章「アンダンテ・コン・モート」、第3楽章「コン・モート・モデラート」、第4楽章「サルタレッロ:プレスト」の4楽章から成ります

弦楽器は12型に拡大します 鈴木雅明の指揮で演奏に入りますが、冒頭から高速テンポによる演奏が心地よく響きます ドイツ人から見たイタリアの景色はこのようなものか、という明るく輝く心象風景が浮かび上がります 金子亜未のオーボエ、客員奏者(都響のサトーミチヨ?)のクラリネットが素晴らしい 第2楽章では金子のオーボエに加え、倉田優のフルートが冴えています また、弦楽器のアンサンブルが美しく響きました 第3楽章は流麗な音楽作りが際立っていました 第4楽章は、ローマやミラノで流行っていたという民俗舞曲サルタレッロのリズムに乗って、超高速で走り抜けました 全体を通して色彩感溢れる鮮やかな演奏でした

聴き終わって思うのは、メンデルスゾーンの人生です 彼は富裕な銀行家の家に生まれたことから、幼少時から家庭教師について音楽、美術、文学、語学、哲学などを学びました とくに音楽面では神童ぶりを発揮し、作曲家として、ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者として、バッハ「マタイ受難曲」の蘇演者として と大活躍しました 「交響曲第4番”イタリア”」を一つ取ってみても、彼は1830年5月にベルリンを立ち、ワイマールでゲーテに会い、ミュンヘン、ウィーンなどを経由して、10月にはヴェネツィアに入ります。さらにフィレンツェ、ローマ、ジェノヴァ、ミラノ、ナポリを経て、スイス経由で1831年10月に帰国しています 1年半にもわたり自由気ままに旅行が出来たのは父親の財力があったからでしょう しかし、天才ほど早世します。1847年5月14日、敬愛する姉ファニーが死去した半年後の11月4日、メンデルスゾーンは姉の後を追うように38年の生涯を閉じました 「早死にしてもいいから後世に名前を残したい」か、「平凡でもいいから長生きしたい」か・・・メンデルスゾーンの華やかながら短い生涯を横目で見つつ、多くの人は後者を選ぶのでしょうね

【訂正】

鈴木優人氏のアンコールは「夢のあとに」でした。ままははさんからご指摘いただきました(19日15時20分・記)

 

本日のブログが4000本目となります 2011年2月15日にtoraブログを開設して以来、約10年7か月間の積み重ねの結果です 取りあえず5000本を目指して休みなく書き続けて参りますので、これからもよろしくお願いいたします

コメント (4)
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