7日(火)。わが家に来てから今日で2432日目を迎え、日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)は6日、宮城野部屋で新型コロナウイルス感染者が相次いだことから、横綱白鵬や幕内石浦、十両炎鵬ら同部屋の所属力士全員が大相撲秋場所(12日初日)を全休すると発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
怪我の多い横綱白鵬なんかは これで出場しなくて済むと 安心しているんじゃね?
昨日、夕食に「豚肉の生姜焼き」「生野菜とアボカドのサラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました 生姜焼きは小麦粉を振ってから焼いたのでソフトに出来上がりました
昨日、新文芸坐でエリック・ロメール監督「モンソーのパン屋の女の子」「シュザンヌの生き方」「モード家の一夜」の3本立てを観ました
「モンソーのパン屋の女の子」はエリック・ロメール監督による1963年製作フランス映画(23分)です
法学生の”私”(バルべ・シュレデール)は、街でよく見かける美しい女性シルヴィー(ミシェル・ジランドン)に恋心を抱く ある日、思い切って彼女に声をかけるが、その日を境に彼女の姿を見かけなくなってしまう シルヴィーを探し求めて街をさまよう”私”は、モンソーのパン屋に立ち寄る癖がついて、そこで働く女の子ジャクリーヌ(クロディーヌ・スプリエ)と親しくなり、強引にデートの約束を取り付ける ところが デートの当日になると、突然シルヴィーが目の前に現れ「足をねんざして休んでいたの」と言う ”私”は何の躊躇もなくジャクリーヌのことはすっぽかしてシルヴィーと夕食を取ることにする シルヴィーの話によると、彼女のアパートはパン屋の向かい側にあり、彼女はいつもパン屋の付近を徘徊している”私”を見ていた。「すべてはお見通しよ」と言う シルヴィーと話が弾んだ”私”はその後 彼女と結婚した 2人はパン屋の近くに新居を構えたが、ジャクリーヌはどこへ行ったのか行方が知れない
この作品はロメールの初期の短編で、同監督が1960年代から70年代初頭にかけて手掛けた恋愛喜劇の連作シリーズ「6つの教訓話」の第1作です
この映画を観て、「これはどうしたものか」と疑問に思ったシーンがあります それはゴミの「ポイ捨て」のシーンです ”私”はパン屋で菓子パンを買うたびに食べ歩きするのですが、最初のうちは「包み紙」をポケットに入れていましたが、そのうち道路や側溝にポイ捨てするようになります 映画でこういうシーンを見て、「やってもいいんだな」と思う人が出てくるのではないか、と心配になりました
本作は1963年の作品ですが、驚いたことに58年も経った現在のパリでも「ポイ捨て」の悪しき伝統が続いているようです
昨日の日経夕刊 総合面に「『花の都』パリ、ゴミとの戦い ポイ捨て・落書きの写真投降」という見出しの記事が載っていました 超訳すると、
「花の都パリで、市民がゴミのポイ捨てや落書きの写真をネットに相次ぎ投稿し、批判が鳴り止まない 新型コロナ禍に絡むマスクなどのゴミも目立つ 市は地区ごとのきめ細かい対策をとると発表するなど、対応に追われている ツイッターを見ると、『#汚れたパリ』というハッシュタグを付けた写真や動画が日々投稿されている。パリ市民が写真付きで汚れを通報できるアプリ『ダンマリュ(私の道路)』には、月6万件前後の苦情が寄せられる 内訳は4割がたばこの吸い殻などのポイ捨てで一番多い 続く2割強が落書きで、さらに2割弱がバイクの違法駐車など乗り物関連だ マナー違反をする一握りの市民がいることがゴミが減らない要因とされるが、他の理由を指摘する声もある 北東部には劣悪な環境での路上生活を余儀なくされる不法移民が集まるほか、コロナ禍で公園などで飲食する人が増えたこともある」
まさか、ロメール監督の「モンソーのパン屋の女の子」が「ポイ捨て」を広げる大きな要因になったとは思いませんが、マナーの悪い人はいつの時代にもどこの国にもいるものです 58年前のパリと異なるのは「不法移民」の存在ですが、これは深刻な問題です
映画は世相を反映すると言われますが、パリでは困った世相が続いているようです
「シュザンヌの生き方」はエリック・ロメール監督による1966年製作フランス映画(55分)です
薬学部の真面目な学生ベルトラン(フィリップ・プーサン)は、アイルランドからの留学生ソフィー(ディアーヌ・ウィルキンソン)に密かに思いを寄せている そんなベルトランにとって、気ままに生きる友人ギョーム(クリスチャン・シャリエール)は憧れの存在だった プレイボーイのギョームは平凡な容姿の夜学生シュザンヌ(カトリーヌ・セー)と付き合い始め、ベルトランは彼にべったりのシュザンヌに憐みを感じる やがてギョームと別れたシュザンヌはベルトランに接近し、あれこれ世話を焼くようになるが、ベルトランは迷惑がる シュザンヌはベルトランをパーティーに誘うが、そのお陰で彼は憧れのソフィーと初めて話すことが出来た その後、シュザンヌはソフィーがかつて付き合っていたフランクと結婚することになるが、その時初めて、ベルトランはシュザンヌを軽蔑していた自分の過ちに気が付く
この作品はロメール監督の「6つの教訓話」の第2作です
劇中、モーツアルトの歌劇「フィガロの結婚」のスザンナが歌うアリア(レチタティーヴォ)が流れてきて、ハッと気が付きました シュザンヌ=スザンナだったのです 「フィガロの結婚」でのスザンナは伯爵夫人に仕える小間使いですが、フィガロとの結婚を前にしてアルマヴィーヴァ伯爵に言い寄られて困っています この物語は結局、機転の利くスザンナが 伯爵夫人とフィガロと結託して伯爵をとっちめて目出度し目出度しでフィナーレを迎えます ロメール監督は機転の利くスザンナをこの作品のシュザンヌに投影させたのかもしれない、と思いました
「モード家の一夜」はエリック・ロメール監督による1968年製作フランス映画(111分)です
物語の舞台はフランスの地方都市クレルモンフェラン 敬虔なカトリック信者である”私”(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、教会のミサで見かけた若い女性フランソワーズ(マリー・クルスティーヌ)に一目で心を奪われる そんなある日、”私”は元同級生である大学講師ヴィダル(アントワーヌ・ヴィテーズ)と14年ぶりに再会し、彼の誘いで離婚歴のある女医モード(フランソワーズ・ファビアン)の家を訪れる 3人はパスカルの哲学やキリスト教、結婚など様々な会話で盛り上がり、やがてヴィダルが帰宅すると、”私”はモードに誘われるままに彼女の家に泊まることになるが、何も起こらなかった 翌朝、町で見かけたフランソワーズに初めて声をかけ、車で彼女をアパートまで送るが雪道で車が立ち往生したため、そのままアパートの別々の部屋で一夜を過ごすことになる しかし、ここでも何も起こらなかった フランソワーズは”私”に 妻子ある男との関係が忘れられずにいると告白するが、"私”はそれを認めた上で結婚したいと打ち明ける その数年後、妻となったフランソワーズと子どもを連れた”私”は避暑地の海岸で偶然モードと再会する ここでも何も起こらなかった
この作品はロメール監督の「6つの教訓話」の第3作です
この映画は「会話で成り立っている」と言いたくなるほど会話のシーンが多い作品です 「会話」というより「議論」と言った方が良いかもしれません フランス映画の特徴かもしれません。現代のフランス映画を観ても、哲学や宗教をテーマに議論するシーンをよく見かけます
”私”とヴィダルが14年ぶりに再会した時、ヴィダルが「今夜空いているかい? レオニード・コーンガンを聴きに行かないか?」と誘います レオニード・コーガン(1924‐1982)はウクライナ出身のソ連のヴァイオリニストです。コーガンの弟子の一人に佐藤陽子がいます この映画が製作された1968年にはコーガン主演のパガニーニの映画が撮影されています まさか、そのコーガンが本作に出演するとは思いませんでした 彼が しかめっ面をして弾き始めたのは モーツアルト「ヴァイオリン・ソナタ 変ロ長調K.378」の第1楽章「アレグロ・モデラート」でした ロメール監督がコーガンの演奏をカメラに収めたのは、コーガンが当時のクラシック界の旬のヴァイオリニストだったからでしょう