人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

マーラー「交響曲第1番」、久石譲「交響曲第3番」(世界初演)を久石譲 ✕ 新日本フィルで聴く ~ 第637回定期演奏会:サントリーホール / ブレイディみかこ著「他者の靴を履く」の書評を読んで

2021年09月13日 07時16分55秒 | 日記

13日(月)。一昨日の朝日新聞朝刊 読書欄にブレイディみかこ著『他者の靴を履く』(文芸春秋)の評(朝日・宮地ゆう記者)が載っていました 著者は前書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で、シンパシーとエンパシーの違いを書いていました 「シンパシー」は「誰かを可哀そうだと思う感情や友情」といった意味で、「エンパシー」は「他者の感情や経験などを理解する能力」といった意味だという内容でした 宮地記者は、「『他者の靴を履く』で著者は『エンパシーという言葉とその変遷を、心理学、神経科学、哲学、社会学などから読み解き、必ずしもプラスの作用ばかりではないことも指摘している』」と紹介し、「著者は『コロナ禍の英国社会に広がったエンパシーによる助け合いに、国家からの自立と相互扶助をうたうアナキズムの精神を見い出す そしてアナキズムとエンパシーは互いに補完し合うものだ』と説く」と解説しています

「国家からの自立」とか「アナキズムの精神」という言葉から、「国家の力を頼りにしないで、日常の助け合いによってエンパシー能力を養おう」ということかな、と思いました 本文を読まないと著者の真意が解らないので是非読みたいと思いますが、私は基本的に単行本は買わない主義(重いし場所を取る)なので、1日でも早く文庫化することを期待して あみんのように 待つことにします

ということで、わが家に来てから今日で2438日目を迎え、日本経済新聞社とテレビ東京が9~11日に実施した緊急世論調査によると、自民党総裁に相応しい人として河野太郎氏が27%で首位、続いて石破茂氏が17%で2位、岸田文雄氏が14%で3位だった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     多くの国民が納得していない「森友・加計・桜を見る会」をどう扱うかがポイント

 

         

 

昨日、サントリーホールで新日本フィル「第637回定期演奏会」を聴きました プログラムは①久石譲「Metaphysica(交響曲第3番)」(新日本フィル創立50周年委嘱作品・世界初演)、②マーラー「交響曲第1番ニ長調」です 指揮は新日本フィルの Composer  in  Residence  and  Music  Partner の久石譲 です

久石譲(ひさいし  じょう)は国立音楽大学在学中からミニマル・ミュージックに興味を持ち、現代音楽の作曲家として出発しました 1984年のアニメ映画「風の谷のナウシカ」以降、宮崎俊監督全作品の音楽を担当するほか、数多くの映画音楽を手掛け、日本アカデミー賞優秀音楽賞などを多数受賞しています 2004年に「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」の音楽監督に就任しています

 

     

     

ホール入口に入って右側の新日本フィル事務局受付に顔を出すと、パトロネージュ部の登原さんが「あれ〜、どうしたんですか〜?」と驚きの表情 9日にリハーサルを聴いて 本番を聴きたくなり 急きょチケットを取ったので、彼女はまさか私がサントリーホールに出現するとは思っていなかったようです これで彼女はトリフォニーホールだけでなくサントリーホールにも事務局員として”出勤する”ことが分かりました

自席は2LA3列23番、舞台左サイドの2階部分に当たる席で、指揮台の左横が正面に見える位置です

楽団員が入場し配置に着きます 弦楽器は16型(!)で左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります コンマスは崔文洙。ヴィオラのトップにはカルテット・アマービレのヴィオラ奏者としても活躍する中恵菜の姿が見えます また、ハープには自称”フリーランスの手酌系ハーピスト” 高野麗音がスタンバイします 蛇足ですが、彼女のツイッターは日本酒と手造りの肴が出てきて楽しいです

1曲目は久石譲「Metaphysica(交響曲第3番)」(新日本フィル創立50周年委嘱作品)の世界初演です 作曲者本人によるプログラムノートによると本作は「4管編成(約100名)で全3楽章から成る約35分の曲で、編成としてはマーラーの交響曲第1番とほぼ同じであり、それと一緒に演奏することを想定して書いた楽曲である タイトルの『Metaphysica』はラテン語で形而上学という意味で、ケンブリッジ大学が出している形而上学の解釈を訳すと『存在と知識を理解することについての哲学の一つ』ということになる 要は感覚や経験を超えた論理性を重視するということで、自分の場合は音の運動性のみで構成されている楽曲を目指したということである」という作品です 曲は第1楽章「existence」、第2楽章「where  are  we  going?」、第3楽章「substance」の3楽章から成ります   

久石氏が指揮台に上り第1楽章に入ります 曲想としてはリヒャルト・シュトラウスの大管弦楽曲を思い浮かべました 基本的にはミニマル・ミュージック(音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽~Wikipediaより)なので、R.シュトラウス風ミニマル・ミュージックとでも言うべきか 第2楽章は一転、弦楽器によるメロディーラインがとても美しい曲で、さすがは「風の谷のナウシカ」の作曲家だと思わせます 中盤における崔コンマスとビルマン聡平のヴァイオリン、長谷川彰子のチェロ、中恵菜のヴィオラによる四重奏は素晴らしい演奏でした 第3楽章は再び大管弦楽による激しい音楽が展開、「となりのトトロ」の作曲者の全く別の顔を前面に押し出したインパクトのある音楽を繰り広げました

 

     

 

プログラム後半はマーラー「交響曲第1番ニ長調”巨人”」です この曲はグスタフ・マーラー(1860‐1911)が1883年から88年まで2部からなる「交響詩」として作曲、その後93年1月に全5楽章の「巨人、交響曲形式による交響詩」(第1楽章「終わりのない春」、第2楽章「花の章」、第3楽章「満帆で」、第4楽章「難破!(カロ風の葬送行進曲)」、第5楽章「地獄より」)として改訂、さらに1894年から96年にかけて「花の章」を省略するなど大きな改訂を加え、1899年に標題を全て取り去ったうえで交響曲として初演されました 第1楽章「緩やかに。重々しく。自然の響きのように」、第2楽章「力強く躍動して、しかし速すぎないように」、第3楽章「厳かに威厳をもって、ひきずることなく」、第4楽章「嵐のように激しく揺れ動いて 〜 精力的に」の4楽章から成ります

久石の指揮により第1楽章が静寂の中で開始されます この楽章ではフルート首席の野津雄太、オーボエ首席の神農広樹(いつの間にか首席になっている!)、クラリネット副主席の仲舘壮志、ファゴット首席の河村幹子の演奏が素晴らしい 第2楽章の冒頭、久石はチェロにゆったりしたテンポの演奏を求めますが、すぐにテンポアップします 中盤では消音器付きホルンとクラリネットにベルアップ奏法を求めました 久石は各楽器を良く歌わせます 第3楽章は冒頭、ティンパニの演奏にのせて竹田勉によるコントラバスが童謡「フレール・ジャック」のメロディーを短調で葬送行進曲風に演奏、河村幹子のファゴットが受け継ぎます 「フレール・ジャック」は、かつての英語青年には「アーユースリーピン、アーユースリーピン、ブラザー・ジョン」の歌としてお馴染みの、また 幼稚園や保育園のよい子の皆さんには「グ―チョキパーでなにつくろう」でおなじみのメロディーです 中盤でハープにのせて弦楽器が奏でるメロディーがとても美しく響きます 高野麗音さん、素晴らしい演奏でした そして、何より素晴らしいと思ったのは、第3楽章終結部の、酔っぱらいの末路的な息たえだえの音楽から、第4楽章冒頭の衝撃の嵐の音楽に移るコペルニクス的転換です 第3楽章で気持ちよく寝入っていた人は、ここで飛び上がります この楽章はマーラーの指示の通り「嵐のように激しく揺れ動いて 〜 精力的に」というアグレッシブな演奏が展開します 久石はフィナーレでホルンに立奏を求めましたが、8本のホルンの立奏は壮観です 咆哮する金管楽器、強奏する木管楽器、炸裂する打楽器、シャカリキの弦楽器によって勝利の音楽が展開し圧倒的なフィナーレを迎えます

何度もカーテンコールが繰り返され、久石氏が大きな拍手で迎えられます 精力的な指揮でしたが、新日本フィルの楽員が良く応えました

終演後、受付に寄って登原さんとお話ししましたが、彼女も会場内に入ってマーラーが聴けたようです これも彼女の仕事のうちです 彼女は「分かっていても興奮してしまいました」と語りました。私は「そういうもんです」と返しましたが、登原さんは「コンサートを聴く根本的な意義」を言葉で表しているな、と感心しました コンサートで音楽を聴くにしても、有名な映画や絵画を観るにしても、また歌舞伎や演劇を観るにしても、観る者や聴く者にとって、それらは分かっていながら観たり聴いたりするものです 「一度観たから」とか「一度聴いたから」という理由で二度と観たり聴いたりしたいとは思わないことはありません それは対象とする芸術が素晴らしいからであり、そこから得られる感動を再び体験したいから、また観たい聴きたいと思うのです

そういう意識が人々の心の中に生き続ける限り、クラシック音楽が、名作映画が、名画が、歌舞伎や演劇が時代を超えて いつまでも鑑賞され続けるのだと思います

コメント (2)
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