人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

村上春樹原作・濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」を観る 〜 背景に流れるベートーヴェン「弦楽四重奏曲」、モーツアルト「ロンド」:TOHOシネマズ新宿

2021年09月15日 07時12分53秒 | 日記

15日(水)。昨日の午前中、近所のクリニックで「特定健診」を受けてきました これは豊島区の負担で健康診断が出来るもので、身体計測、血圧測定、血液検査、尿検査、胸部X線検査などが実施されました 現時点では肺に異常はありませんでしたが、血圧の高い方が150を超えていたのが今までにない数値なので、ちょっと気になります 検査結果の詳細は後日郵送されますので、それを待つことにします

ということで、わが家に来てから今日で2440日目を迎え、自民党総裁選について、石破茂元幹事長は立候補を見送ることになった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     誰が「森友・加計・桜を見る会」問題に決着をつけのか? 自民党じゃできないよな

 

         

 

昨日、夕食に「豚の冷しゃぶ」「生野菜とアボカドのサラダ」「冷奴」「舞茸の味噌汁」を作りました   豚しゃぶにはキャベツと紫蘇が良く合いますね

 

     

 

         

 

昨日、TOHOシネマズ新宿で濱口竜介監督による2021年製作映画「ドライブ・マイ・カー」(179分)を観ました 

この作品は村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を濱口竜介監督・脚本により映画化したものです

 舞台俳優で演出家の家福悠介(西島秀俊)は、脚本家の妻・音(霧島れいか)と幸せに暮らしていた しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう 2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう そこで出会った寡黙な専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)と過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく

 

     

 

この映画は、観る直前に「読んでから観るか、観てから読むか」という選択を迫られました 映画館で手配したチケットの上映開始時間まで70分ありました 「短編」なので何とかなるだろうと思い、紀伊国屋書店に行って村上春樹の「女のいない男たち」(文春文庫)を買い求め、西武新宿駅近くのマックに入ってハンバーガーを片手に約50ページの「ドライブ・マイ・カー」を読み始めました 残念ながら最後の5ページを読み残しましたが、ストーリーの概要は把握できました このため、原作と映画とでどこが違うのかが明確に判断できました 文庫本で50ページの物語を3時間の映画にするのですから、原作はあくまで物語のベースにしかなりません しかし、この作品のテーマである「喪失と再生」は共通しています

【以下、ネタバレ注意】(原作でなく映画の話)

家福と妻の音は子どもを幼くして亡くしています。2人はそれ以来 共通の喪失感を抱えながら生きてきました しかし、音は家福を「愛している」と言いながら、数人の男性と次々と関係を持っており、そのことを隠していました ある日、家福は海外出張が急にキャンセルになり 自宅に引き返した時に、音と若手俳優・高槻耕史(岡田将生)が愛し合う場面を目撃してしまいます しかし、家福はそのことで音を問い詰めることはせず、何事もなかったかのように「演じて」きたのです その後のある日、家福は出がけに音から「今夜、話したいことがある」と言われますが、彼は話を聞くことによって「大切なものが失われるのではないか」と直感し、わざと帰りを遅くします    家福が帰宅すると音は床に倒れていました。彼女はクモ膜下出血で帰らぬ人になりました     その時、家福は「なぜもっと早く帰ってあげなかったのか」と自分を責めることに成ります。音と正面から向き合うことを避けたために、大切な人を失ってしまったのです

家福は専属ドライバーのみさきと会話を交わすうちに、「演じる」のではなく「素の自分」を表面に出すことの大切さに気付きます 家福の要望で、みさきの生まれ故郷である北海道の山中までドライブすることになりますが、ここで、みさきは土砂崩れで犠牲になった母親のことを話します。「助けようとしたが、2度目の土砂崩れで助けられなかった。私が殺したようなものです」と告白するみさきに、家福は「君はまったく悪くない」と言います 「君は母親を殺し、私は音を殺した。音にもう一度会いたい。もう間に合わないけれど。会って、なぜ嘘をついたのかを聞きたい。そして謝りたい。なぜもっと早く帰らなかったのかと」と言って涙します ここで、この物語が家福だけでなくみさきの「喪失と再生」の物語でもあることに気が付きます

 

     

 

さて、音楽です 村上春樹の小説にはよくクラシック音楽が登場します 原作に次のような記述があります

「翌日からみさきは家福の専属運転手となった。(中略) 帰り道ではよくベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いた 彼がベートーヴェンの弦楽四重奏曲を好むのは、それが基本的に聴き飽きしない音楽であり、しかも聴きながら考え事をするのに、あるいはまったく何も考えないことに、適しているからだった

この文章からイメージして濱口竜介監督が選んだのはベートーヴェン「弦楽四重奏曲第3番ニ長調作品18-3」の第1楽章「アレグロ」でした 勝手に推測すると、「聴き飽きしない音楽であり、しかも聴きながら考え事をするのに、あるいはまったく何も考えないことに、適している」という条件を満たす作品ということで、充実期の中期の作品でも、深淵な後期の作品でもない、若き日のベートーヴェンが 弦楽四重奏曲の中で最初に作曲した「6つの弦楽四重奏曲作品18」のうち実質的に一番最初に完成した「第3番」の軽快な第1楽章を選んだのだと思います

それにしても・・・・と思うのは、冒頭近くの場面で、家福が海外出張が急にキャンセルになり、自宅に引き返した時に、音と高槻が愛し合う場面を目撃するシーンで流れていたのは、モーツアルトの明るい「ロンド」(記憶に間違いなければ「ロンド  ニ長調K.485」 )でした このシーンにそぐわない音楽です 「ロンド」とは「異なる旋律を挟みながら、同じ旋律を繰り返す形式。輪舞曲=Wikipediaより)」です その意味では、この曲は音が複数の男性と次々と関係を持つことのメタファーとして使われていたのだろうか

また、家福とみさきの車が北海道の雪景色の中を走るシーンでは、すべての音が消え静寂の世界が広がります ここで、濱口監督は無音の音楽を流していると感じました

 

     

コメント
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