2日(水)。昨日のブログに竹澤恭子 ✕ 江口玲のデュオ・コンサートの感想を書きましたが、いま思い出したことがあるので書くことにします
1曲目のドビュッシー「ヴァイオリン・ソナタ」の演奏が終わった直後のことです 右ブロックの方向から男性の大きな声で「ナイス!」という掛け声がかかりました タイミングが早すぎた感もあり、予想外の発声にビックリし緊張しましたが、満場の拍手で緊張感が解かれました コロナ禍の中、どこのコンサート会場でも、感染対策のため終演後のブラボー等の掛け声は控えるようにアナウンスしています 掛け声の主は「ナイスとは言ったが、ブラボーとは言っていない」と主張したいのもしれませんが、その理屈は通らないでしょう どこの会場のアナウンスでも「ブラボーなどの掛け声~」と「など」が付いています。そもそも アナウンスの趣旨は、「掛け声によって飛沫が周囲に飛び散って感染が拡大しないように協力してほしい」ということです 新型コロナ・オミクロン株は感染していても無症状のケースが多いという傾向を鑑みると、ブラボー!と叫ぼうが ナイス!と叫ぼうが アウト!なのです 当該者の前の席の人は大迷惑だったと思います 演奏者を称賛したい気持ちはよく解りますので、新日本フィルで販売している「BRAVO 手ぬぐい」を活用することをお勧めします これを広げて両手で掲げてください 演奏者に十分賞賛の気持ちは伝わります なお、念のため 私は新日本フィルから一切の経済的利益を得ていないことを申し添えておきます
ということで、わが家に来てから今日で2580日目を迎え、英首相官邸で新型コロナウイルス感染防止規制の実施中に内輪のパーティーが開かれていた問題を巡り、政府の内部調査が、2020年に官邸で開かれた複数のパーティーについて「正当化することが難しい」と結論付け、「リーダーシップと判断の欠如があった」と首相の責任も指摘したことに関し、ジョンソン首相は「国民の怒りは理解できる」と陳謝する一方、辞任の考えは重ねて否定した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
国民の怒りは理解できるのに 辞任の考えはないというのが 英国民は理解できない
昨日、夕食に娘が職場の同僚から買い付けてきた国産牛を使って「すき焼き」を作りました わが家は娘が長ネギと春菊が食べられないので、キャベツとキノコ類(シイタケ、エノキダケ、エリンギ)を入れています これ以上食べられないほど食べたので満腹です
昨日 ツイッターをクルージングしていたら、吉田南さんがブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」を弾くとツイートしているのを発見しました 今週土曜日(5日)14時から神奈川県民ホールで開かれる神奈川フィル「第374回定期演奏会」です プログラムは①山田耕筰「序曲ニ長調」、②ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、②シューマン「交響曲第2番」です 南さんは新型コロナ禍に係る入国制限措置のため来日できなくなったイム・ジヨンの代役として演奏することになったようです 彼女は日本で演奏する機会が少ないので、これは聴き逃せません さっそくWEBサイトからチケットを取りました 横浜は遠いとか言ってられません
昨日の朝日新聞朝刊・文化欄に「バレエメイク 作り込まぬ進化 ~ 新国立劇場バレエ団、公演で披露」という見出しの長谷川陽子記者による記事が載っていました 記事の「リード」には次のように書かれています
「顔のメリハリを強調するのがバレエのメイク。もっとダンサーそれぞれの顔立ちに合うメイクを、と変化を求める動きが出てきた 新国立劇場バレエ団と、ダンス用品大手『チャコット』が協力し、新たなバレエメイクを公演に採り入れた 背景には、多様性の尊重と、コロナ下で増えた映像配信で『遠くで見ても近くで見ても美しい』舞台メイクが必要とされていることがあるようだ」
そして、新しいメイクのプロジェクトを主導した新国立劇場の舞踏芸術監督の吉田都さんにインタビューし、次のような発言を引き出しています
「バレエは表情と目線がとても大切です メイクを過剰にしすぎるとそれらが見えにくくなってしまう バレエを習っているお子さんたちも、そんなにメイクは必要ないと思います。そのままで可愛いんですから 誰かに似せようとしたり、何かを変えようとしたりしなくていいんです。自分本来の顔をよりよく見せるメイクで、ダンサーそれぞれの良さを表現してもらいたいのです ただ、舞台上では強い照明が当たるので、しっかりメイクする必要はあります。新国立劇場バレエ団からより効果的な『いまの舞台メイク』を発信していけたらと思っています」
これは良く分かります 娘が小学生の時にバレエ教室に通っていたので、発表会を何度か観に行きましたが、メイクの「ビフォー・アフター」では別人28号です そもそも「メイク」って「メイク・アップ」つまり、顔を「造り上げる」ということですからね 小さなバレリーナたちが群舞で出てくると、誰もが同じような顔に見えて、どれが自分の娘なのか分からなくなってしまうのです これはメイクの為せる業です その意味では、吉田都さんのチャレンジはコロナ禍の新時代に相応しい試みだと思います