3日(火)。新年早々の反田恭平さんと小林愛実さんの結婚発表には驚きと同時に、「やっぱりそうだよね」という当然の帰結みたいな安心感がありました 幼なじみのお二人の増々のご活躍をお祈りしております。面識はありませんが
昨日は息子と2人で埼玉県S氏の実家に年始参りに行ってきました コロナ禍のため、妹の孫たち3人にお年玉をあげてさっさと帰ってきました
ということで、わが家に来てから今日で2913日目を迎え、ウクライナのダニロフ国家安全保障・国防会議書記は1日の地元テレビで、中国を念頭に、ロシアが「植民地になる可能性がある」と主張、兵器不足に陥り思うようにウクライナ侵攻を進められないロシアが「隣国」の支援を受け、やがて支配下に置かれるシナリオに言及した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
プーチンの目指す「偉大なるロシア」は「意外なるロシア」となり 中国は大国に?
昨日の夕食は、息子が「スペアリブ」「トマトとキノコのスープ」「レタスとミニトマトのサラダ」を作ってくれました どれもがとても美味しかったです
パウル・ベッカー著「西洋音楽史」(河出文庫)を読み終わりました パウル・ベッカーは1882年、ベルリン生まれ。幼少時からピアノとヴァイオリンを学ぶ。1901年からベルリン宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)で、後にベルリン・フィルでもヴァイオリンをエキストラで弾く 1902年、03年には地方劇場で指揮活動を行い、1905年に音楽評論家に転身した 著書に「ベートーヴェン」「グスタフ・マーラーの交響曲」「ドイツの音楽生活」などがある 1937年没。なお、川上徹太郎(1902~1980)が翻訳を担当している
本書は1924年から25年の冬にかけて、「音楽史上の変遷」(原題「音楽形式の変容史としての音楽史」)という題目のもとに、フランクフルトの南西ドイツ放送で行った講演放送(30分✕20回)をまとめたものです
本書は次の20章から構成されています
第1章「音楽考察への前提」
第2章「形式の発端 ~ ギリシャ人」
第3章「グレゴリオ音楽」
第4章「多声音楽と新芸術」
第5章「ネーデルランド学派」
第6章「多声音楽と和声音楽」
第7章「器楽的和声音楽」
第8章「イタリアの音楽家・オペラとオラトリオ」
第9章「バッハ及びヘンデル Ⅰ」
第10章「バッハ及びヘンデル Ⅱ」
第11章「バッハ・ヘンデルの後継」
第12章「ハイドン」
第13章「グルック」
第14章「モーツアルト」
第15章「ベートーヴェン」
第16章「初期ロマン派 ~ ウェーバーとシューベルト」
第17章「演奏会と歌劇における国民的ロマン主義」
第18章「ワーグナー・ヴェルディ・ビゼー」
第19章「演奏会と歌劇における後期ロマン派」
第20章「新しい転換」
本書の中でベッカーが一貫して主張しているキーワードは「形式」と「変容」です 「形式」とは「ソナタ形式」とか「ロンド形式」とかいったものではなく、時代や文化ごとにある「音楽の聴き方の枠」のことを意味しており、「音楽を聴く形式」は個人/天才の独創の産物ではなく、社会の中で集合的に形成されていくものである、としています
もう一つのキーワード「変容(メタモルフォーゼ)」は、当時の音楽史における「発達」という概念に対するアンチテーゼとして使われています ベッカーは次のように説明しています
「今日 世にある音楽史を開けてみると、至るところで発達という言葉にぶつかる あらゆるものには発達がある。初期キリスト教音楽はルネッサンス多声音楽に、声楽は器楽に、交響楽はマンハイム学派からハイドン、モーツアルトを経てベートーヴェンに、また歌曲はシューベルトからフーゴー・ヴォルフへといったふうにだ 以上は単純なものは複雑なものの先駆であり、複雑なものは幼稚なものの向上したものであるという因襲的な見方からきている この概念は、今日の音楽理論が19世紀の所産であるということから説明がつくのだ。19世紀は、あらゆるものの見方がダーウィンの進化論に支配されていた時代である。しかしこの進化論の適用には、明らかに一つの幸福な過ちが潜んでいる 一つの現象の発展の各段階には、それぞれ因果関係があり、したがって各段階は前の段階の有機的な連鎖として発展するものであることは明瞭である 一見大雑把に根本的に違ったように見える事象の間の関係を釈明したことは、自然科学としての進化論の希有の業績であった。しかし、この学説は、ある事象が、前の事象の発展であり、その絶対的な進歩であるという理由で、より高いものであると考える時に誤謬を犯すのである この点に、この学説の誤った解釈があるのだ。根源を形成する力が常に同等のものであるとしたら、その結果に現れた価値もまた同等のものであるはずだ すなわち、外貌はもちろん変わる。しかし発達するのではなくて、変化するのである 進化論の思想を最初に把握したゲーテは、植物の変形、すなわち植物組織の変化を論じてはいるが進化を論じはしなかった。この進化論に対立する変形の理論を、歴史一般、特に芸術史を論じる根拠としなければならない」
分かりやすく言えば、音楽は「グレゴリオ聖歌よりもバッハの方が発達している」とか、「ヘンデルよりもベートーヴェンの方が発達している」とか言うのは間違いである、音楽は「発達している」のではなく「変化(変容)している」のだということです
「形式」と「変容」についてベッカーは次のようにまとめています
「音楽の形式は変化こそしてきたが、それを進化と呼ぶわけにはいかない あらゆる音楽は、絶対的な意味で、芸術的に等しいものであった すなわち音楽は常にそれを生んだ人間の本質の反映であること、またそれゆえ、幾世紀か前の人間の精神的並びに芸術的な能力が、我々よりいやしくも低いなどと考える資格は、我々にはない」
本書はたったの260ページですが、細かい文字でビシッと埋められ、しかも内容が固い本なので半端ない手強さを感じます バッハ・ヘンデルが出てくるのはやっと100ページ目のところです その理由は、著者がバッハ以前の音楽史もそれ以降の音楽史も”音楽の変遷”として等しく扱っているからです クラシック愛好家にとってはバイブル的な存在です お薦めします