人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

三宅唱監督「ケイコ 目を澄ませて」を観る ~ 岸井ゆきのが演じる聴覚障碍ボクサーのドラマ:単なるスポ根ドラマにあらず / 岸井ゆきのへのインタビューも紹介

2023年01月06日 07時06分11秒 | 日記

6日(金)。わが家に来てから今日で2916日目を迎え、米連邦議会下院で3~4日に計6回実施した議長選挙で、どの候補も当選に必要な過半数を得られない異常事態に陥ったが、共和党のトランプ前大統領に近い議員が、本命視されていたマッカーシー院内総務の議長就任に造反したことが原因である  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプが説得に乗り出したが 全く効果がなかった もはやトランプ党の面影なし

 

         

 

昨日、夕食に「もやし巻き豚肉生姜焼き」「生野菜とプチヴェールのサラダ」「舞茸の味噌汁」を作りました プチヴェールは息子が山形から持参した野菜で、キャベツを小さくしたような形をしています 残念ながらサッポロCLASSICは売り切れで、キリン一番搾りにしました

 

     

 

         

 

昨日、渋谷のユーロスペースで三宅唱監督による2022年製作映画「ケイコ  目を澄ませて」(99分)を観ました

生まれつき聴覚障碍で両耳とも聴こえないケイコ(岸井ゆきの)は、再開発が進む下町で弟と共に暮らし、ホテルの室内清掃係として働く傍らで、地元の小さなボクシングジムで鍛錬を重ねる。故郷の母はいつまで続けるのかと心配するが、プロボクサーとしてリングに立ち続ける ジムの会長(三浦友和)やトレーナーはケイコを特別扱いせず厳しい練習を課す 嘘がつけず愛想笑いも苦手な彼女には悩みが尽きず、言葉に出来ない思いが心の中に溜まっていく 会長あてに「すこし休みたい」と手紙を綴るが出すことができない そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることを知る 不安と不満が重なる中、彼女は満を持して次の試合に臨む

 

     

 

この映画は、耳が聞こえない元プロボクサー・小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案として描いたヒューマンドラマです

女性のボクサーを主人公とした映画では、安藤サクラが主役を務め「第39回日本アカデミー賞」最優秀女優賞を受賞した「百円の恋」(2014年)を思い出しますが、テイストはまったく違います

 

     

 

正直に言うと、岸井ゆきのという俳優の映画は「前田建設ファンタジー営業部」「空に住む」(いずれも2020年)しか観たことがありません あの有名な「愛がなんだ」も観ていません 「何となくふわっとした雰囲気をまとった俳優さんだなぁ」という印象しかありませんでした しかし、今回のボクサーを演じる彼女を見て、イメージがガラッと変わりました 彼女はこの役柄で俳優として大きな飛躍をしたのではないか、と思います

トレーナーを相手にケイコがスパーリングをするシーンが凄い 岸井ゆきのの目の鋭さと素晴らしい身体能力を通して、ボクサーの集中力や本気度が伝わってきます

「字幕スーパー」付きなので、例えば、遠くから車の走る音が聴こえてくれば「遠くから車の走る音が聴こえる」と字幕スーパーが出ます それは、聴覚障碍者にもこの映画を観てほしい、という興行的な目的もあるでしょうが、健常者のわれわれにケイコと同じ立場に立たせているとも考えられます

 

     

 

昨年12月23日付の朝日新聞夕刊に、岸井ゆきののインタビュー記事が載っていました 彼女は語ります

「(最初は)企画とプロデューサーと私(岸井)しか決まっていなかった 自分に何ができるのか。その責任を一人で背負わされないといけない気がして本当に怖かった

ケイコの本質がつかめたのは撮影前の約3か月に及ぶボクシングの練習を始めてしばらく経ってからだったようです

「週5で始めたのですが、最初は『人を殴るんだ』と前向きになれない自分がいた でも、フックが決まる瞬間や繰り出すコンビネーションが速くなるのが分かって、『自分との戦い』だと感じた 自宅でも糖質制限に取り組んで、ずっとケイコと一緒。自分にも勇気が蓄えられていった 今思えば、撮影に向かう自分と試合に向かうケイコは重なっていましたね

本作は大きな財産になったのではないか、との問いかけに岸井は次のように語っています

「そうですね。私の人生は豊かになったと思います 映画がもっと好きになりました 自分が俳優を始める前から、その作品を観ていた映画監督のM.ナイト・シャマランやフランソワ・オゾンらがいた(今年の)ベルリン国際映画祭で『ケイコ』を上映できて、まったく自分には関係ないところだと思っていた場所で、俳優としての自分の映画が上映されるということ 生まれた場所も年代も違うけれど、感じてもらえることがある。映画が海を渡る貴重さを感じました

「ケイコの撮影が終わって『何もない。また自分がゼロになってしまった』という不安が今もあるんです でも、ある年上の友人から『ゼロ地点に戻ったと思うかもしれないけど、実はその標高は確実に高くなっている 高さが上がっているということは今まで見ていなかったことが見えている。あなたが上がっていると思わなくても、下から押し上げられていくものだから、それでいいんじゃない?』って。すごくホッとしたんです その高さをグンと上げてくれた映画が、ケイコです

映画は、最後の試合に臨んだケイコが、相手に足を踏まれて転倒したのをダウンと判定されて感情的になり、冷静さを失ってガードが甘くなり、ノックアウトされてしまうという結末で終わりますが、これで良かったのだと思います これが「聴覚障碍者が厳しい練習に耐えて試合に勝った 会長も喜んだ ジムの閉鎖に華を添えた」というのでは単なるスポ根ドラマです これはそういう映画ではありません

地道に生きているごく普通の人々に勇気を与えてくれる作品としてお薦めします

 

     

コメント
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