30日(月)。わが家に来てから今日で2940日目を迎え、来年の米大統領選挙への出馬を表明しているトランプ前大統領が、出馬表明後初めて公の会合で演説し、「2024年の大統領選挙は、アメリカを救うための1つのチャンスであり、就任初日から準備ができているリーダーが必要だ」と述べ、大統領選に向け動き出した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
あんたが大統領に返り咲いたら 米国は二度と救われなくなるって 分かってないね
昨日、オーチャードホールで東京フィル「第979回 オーチャード定期演奏会」を聴きました 私はサントリーホール定期シリーズ会員ですが、読響公演とダブったためこの日に振り替えました プログラムは①シューベルト「交響曲第7番 ロ短調 D759」、ブルックナー「交響曲第7番 ホ長調(ノヴァーク版)」です 指揮を執るのは東京フィル名誉音楽監督チョン・ミョンフンです
主催者側から指定された席は1階11列12番、左ブロック右通路側です。11列といっても5列まではオーケストラピット用に埋まっているので実質的には前から6列目です。前過ぎるのと、ステージの床が高い位置にあるので弦楽器の後方の木管・金管、打楽器奏者がほとんど見えません この点に限らずオーチャードホールは苦手なので、今までできるだけ避けてきましたが、今回は振り替え公演なので仕方ありません
オケは14型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの東フィルの並び コンマスは三浦章宏、隣は近藤薫というダブルコンマス態勢を敷きます
1曲目はシューベルト「交響曲第7番 ロ短調 D759 ”未完成”」です この曲はフランツ・シューベルト(1797-1828)が1822年に第1楽章と第2楽章を作曲、第3楽章は9小節まで作曲、未完成に終わっています 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アンダンテ・コン・モート」です
チョン・ミョンフンの指揮で第1楽章が低弦による重心の低い演奏で開始されます テンポは速すぎもせず遅すぎもせず中庸を保っています ホルンがべらぼうに巧いと思ったら主席の高橋臣宣でした 聴いていて思うのは、シューベルトはよく飽きもせず同じフレーズを繰り返して登場させるなあ、ということです 堀朋平氏がプログラムノートに、「シューベルトとブルックナー。この2人の作曲家には、宿命的に似たところがある 直線的にゴールへ進むのではなく、同じフレーズを反復して渦のごとき巨大なうねりを作ってゆくこと・・・」と書いていて、なるほどと納得し共感を覚えました 第2楽章では、ホルンのほか、オーボエ、クラリネット、フルートといった木管楽器がしみじみといい演奏をしていました それと、弦楽セクションの弱音が美しく響きました 同じ作曲家による「ザ・グレート」とは違った意味で「天国的」な音楽だとつくづく思いました
プログラム後半はブルックナー「交響曲第7番 ホ長調(ノヴァーク版)」です この曲はアントン・ブルックナー(1824-1896)が1881年から83年にかけて作曲、1884年12月30日にライプツィヒで初演されました 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アダージョ:非常に荘厳に、かつ非常にゆっくりと」、第3楽章「スケルツォ:非常に速く」、第4楽章「フィナーレ:運動的に、あまり速くなく」の4楽章から成ります
チョン・ミョンフンの指揮で第1楽章が、弦楽器のトレモロに導かれてホルンとチェロによって第1主題が雄大に開始されます この冒頭の音楽を聴くと、今からン十年前に白黒テレビで観た、カラヤンの顔を正面から捉えた映像を思い出します ベルリン・フィルの来日公演の録画だったと思いますが、目を瞑ったカラヤンと雄大な音楽が目と耳に焼き付いています しばらくテレビから離れられませんでした 思い出す限り、テンポはかなりゆったりしていたと思います この楽章のフィナーレに向けての追い込みは、チョン・ミョンフンらしいスケールの大きな音楽が繰り広げられました 第2楽章では弦楽セクションの底力が発揮され、金管楽器が分厚い重厚な音楽を奏でました 第3楽章は冒頭のトランペットが素晴らしい ワーグナーチューバが大活躍です 激しくキザむ弦楽セクションの渾身の演奏が印象的です この楽章はかなり速いテンポで演奏されました 第4楽章は弦楽器を中心に軽快な音楽で開始されます。そして、渾身の弦楽器、咆哮する金管・木管楽器、炸裂する打楽器により輝かしい音の大伽藍が築き上げられました
この日の演奏を聴いてあらためて考えたのは、チョン・ミョンフンのテンポ設定です 私はこの曲の予習としてマタチッチとチェリビダッケのCDを聴きましたが、一昔前の彼らの指揮によるテンポと比べて、かなり速めのテンポです ひと言でいえば「現代的なテンポ」による演奏です これはチョン・ミョンフンに限ったことではなく、現在活躍している多くの指揮者に共通する傾向と言えるでしょう チェリビダッケのブルックナーを”標準”と考えている人からすれば、チョン・ミョンフンのブルックナーは「こんなのブルックナーじゃない」ということになるでしょう 私が聴いたこの日の演奏は、決して好みの演奏ではないけれど、十分納得のいく演奏だったと思います
ところで、ブルックナーの最後の音が鳴り終わって3秒も経たないうちに、1階中央席あたりから男性の「ブラボー」がかかりました 私は「ああ、これか」と思いました。というのは、東京フィルの公演は同一プログラムが会場を変えて3回演奏されますが、第1回目と第2回目の公演に関するツイッターを見ていたら、「せっかくいい演奏だったのに、反則ブラボーで台無しになった」という感想が散見されていたからです もちろん、同一人物が3回とも聴いてブラボーを発したと断定はできませんが、ツイッターの内容からするとその可能性もありそうです
新型コロナ感染拡大防止のため、ほとんどのコンサート会場でブラボーは禁止されています そのことを別としても、多くの聴衆が演奏の余韻に浸ろうとしている時に「ブラボー」がかかると興ざめです 演奏直後のしばしの”しじま”も演奏のうちだということを理解していない人間がこういう行為に出ます こういう人間はどこにでもいます。たとえば、ライブ収録されるコンサートで、指揮者が入場して拍手で迎える時、拍手が最後の一人になるまで手を叩く人がいます そのココロは、そのコンサートがテレビやラジオで放送された時に、一緒に鑑賞している人に「実はあの最後の拍手はオレなんだよ」と自慢するためにやっているのです
この日の”ブラボーおやじ”(ツイッターでは「ベラボーおやじ」と呼んでいた)も同じような人種だと思われます どこかで「あのブラボーはオレがかけたんだぜ」と自慢しているドヤ顔が目に浮かびます こういう人物がいる限り、事前の「ブラボー禁止アナウンス」は無くならないのです もし”ブラボーおやじ”が、「誰よりも早くブラボーをかけて指揮者と楽員を称賛したのはこの俺様だ」と無邪気に自慢しているようなら、とんだ勘違いもいいところで ひっくり返って非常口です チョン・ミョンフンも楽員たちも苦笑していました 自分の非常識とアホさかげんを衆知に晒しているようなものだと自覚すべきです
東急デパート本店が明日 閉店するのですね ここで一度も買い物をしたことはありませんが、併設の Tokyu Bunkamura の「オーチャードホール」と「ル・シネマ」は2月以降も営業を続けるようです