20日(金)。わが家に来てから今日で2930日目を迎え、北朝鮮の朝鮮中央通信は19日、最高人民会議が17~18日に平壌で開催され、北朝鮮に流入する韓国風の言葉を規制する法令「平壌文化語保護法」を採択した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
平壌の金さんは 言葉まで規制しないと平常ではいられないのか! 韓国風って何だ?
昨日、夕食に「ポーク・クリームシチュー」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました 寒い夜はシチューですね
昨夜、サントリーホールで読売日響「第624回定期演奏会」を聴きました プログラムは①矢代秋雄「交響曲」、②リヒャルト・シュトラウス「アルプス交響曲」です 指揮は読響首席客員指揮者・山田和樹です
オケは16型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの読響の並び ハープ2台が第2ヴァイオリンの手前に、ピアノが指揮者の正面に配置されます。コンマスは長原幸太、その隣は小森谷巧というダブルコンマス態勢を敷きます
1曲目は矢代秋雄「交響曲」です この曲は矢代秋雄(1929-1976)が1958年に作曲、同年6月9日に初演された作曲者唯一の交響曲です 第1楽章「プレリュード:アダージョ ~ モデラート」、第2楽章「スケルツォ:ヴィヴァーチェ」、第3楽章「レント」、第4楽章「アダージョ ~ アレグロ・エネルジーコ」の4楽章から成ります
山田和樹の指揮で第1楽章に入ります 冒頭の神秘的な音楽はストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」を想起させます 第2楽章はスケルツォですが、神楽囃子リズムが管弦楽で奏でられます 私には第3楽章「レント」が一番心に響きました イングリッシュホルン、それに続くファゴット、フルートの抒情的な演奏が素晴らしい 第4楽章は後半の疾走感が堪りませんが、突然音楽が止まり、聴衆は慣性の法則で気持ちだけが前のめりになります このラストは意外でした
山田和樹の素晴らしいところは邦人作曲家の作品を積極的に取り上げるところです 矢代秋雄も師事したという伊福部昭の作品をもっと積極的に取り上げてほしいと思います 個人的にはオール伊福部昭プログラムでも良いと思います
プログラム後半はR.シュトラウス「アルプス交響曲」です この曲はリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)が1911年から15年にかけて作曲、1915年10月28日にベルリンで初演されました 単一楽章の50分近くかかる長大な曲ですが、雄大なアルプスの自然の移り変わりや、登山者がアルプスの山を登り、頂上を極め、下山する様子を、管楽器、弦楽器のみならず、多種多様な打楽器を駆使して描き出しています
ハープ2台とピアノはヴァイオリン・セクションの後方に移動し、パイプオルガン奏者が配置に着きます
曲は「夜 ~ 日の出 ~ 登り道 ~ 森への立ち入り ~ 小川に沿って歩く ~ 滝 ~ 幻影 ~ 花咲く牧場 ~ 山の牧場 ~ 林で道に迷う ~ 氷河 ~ 危険な瞬間 ~ 頂上にて ~ 幻 ~ 霧が立ちのぼる ~ 日はしだいにかげる ~ 哀歌 ~ 嵐の前の静けさ ~ 雷鳴と嵐、下山 ~ 日没 ~ 終結 ~ 夜」という流れで演奏されます
山田和樹の指揮で演奏に入りますが、最初のハイライトは「日の出」の大管弦楽による太陽の輝きでしょう 次のハイライトは「嵐の前の静けさ」に続く「雷鳴と嵐」の激しい音楽でしょう ティンパニ、大太鼓、小太鼓、トライアングルはもちろんのこと、ウィンドマシーン(円筒を回転させてヒューヒューと音を出す)やサンダーシート(吊るしたトタン板を叩く)まで動員して雷鳴と嵐を描写します この音楽を聴くと、ベートーヴェンの「交響曲第6番”田園”」の第3楽章「アンダンテ・モルト・モッソ:田舎の人々の楽しい集い」から第4楽章「アレグロ:雷雨・嵐」までの音楽を想起します しかし、ベートーヴェンの「田園交響曲」(1808年)は、「単純な自然描写ではなく、田園の印象に基づく人間感情の表現を追求している」と言われています 一方、この曲に先だって作曲されたクネヒトの「自然の音楽的描写ー大シンフォニー」(1785年)はタイトル通り「自然の描写」そのものです このことを勘案すると、「僕なんか、何でも音楽で描写することが出来るんだもんね」と自慢していたリヒャルト・シュトラウスは、「アルプス交響曲」に関する限り、クネヒト直系の作曲家と言えるのかもしれません
さて、最後の「夜」では山の動機や登山の動機が静かに回想され曲を閉じます リヒャルト・シュトラウスの作品の良いところは、こういう静かな音楽だと思います
全体を通して、山田和樹 ✕ 読響はオーケストラを挙げての渾身の演奏で、読響らしいゴージャスでスケールの大きな演奏を展開し、アルプスの大自然を歌い上げました