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人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

矢崎彦太郎+新交響楽団でベルリオーズ「幻想交響曲」他を聴く

2016年07月11日 07時32分08秒 | 日記

11日(月)。またまた、昨日ケータイのメルアドにフィッシング・メールが届きました 最初は「みずほ銀行」を名乗っていました。内容は「7月10日に6億円のご入金がありました。お取引につきましては『入出金明細照会』等でもご確認ください」というもの。次に「ゆうちょ銀行」を名乗って同じ内容のメールでした。次は「三井住友信用金庫」を名乗っています。何通目かのメールで「政府機関よりAMS~生活救済支援機構より『支援優待絶対権』が発行されておりますので、ゲスト様には只今、他の団体からの支援金、当選金等はお受け取りできません」ときました さらに「経済支援金6億円のお手続きを完了させてください」「振り込むので口座番号を教えてほしい」となっています。いずれも無視してほったらかしにしていると、今度は「三菱東京UFJダイレクト」を名乗り、同様のメールが来ました これらのメールは5分おきに来ています

私はこの手のメールは「迷惑メールフォルダ」に自動的に分類するように手配していますが、昨日だけでこの種のメールが100通を超えました 異なる金融機関名で発信しているのに、内容がまったく同じ「6億円」の入金があったので受け取る手続きをするようにというのは、フィッシング詐欺以外の何物でもないと、誰が見たって分かります こんなアホな詐欺に引っかかる者がいるのだろうか、と疑問です 相当頭の悪い詐欺師です

それにしても、一番頭に来るのは、どこからか私のメルアドが悪質業者に流れていることです それが一番許せません 皆さんもこのような悪質な詐欺に引っかからないように気を付けてください

ということで、わが家に来てから652日目を迎え、幻想に悩まされているモコタロです

 

          

              なんか 後ろの方が騒がしいなあ

 

          

           すぐ目の前に誰かいるような気がするんだけど

 

          

            背中に気配を感じるけど 幻想かな?           

 

  閑話休題  

 

昨日、池袋の東京芸術劇場大ホールで新交響楽団の第234回演奏会を聴きました  プログラムは①デュカス「バレエ音楽『ラ・ぺリ』」、②三善晃「管弦楽のための協奏曲」、③ベルリオーズ「幻想交響曲」です 指揮は矢崎彦太郎です

 

          

 

自席は2階M列22番、2階センター左ブロック左通路側です。会場は9割近く入っているでしょうか

新交響楽団は1956年の創設なので、今年が60周年になります アマチュア・オーケストラの中では老舗的な存在で、その実力はナンバーワンだと思います

楽員が登場し配置に着きますが、このオケはコンマス(女性なのでコンミス)が登場するまで立ったままスタンバイします オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという態勢です。指揮者・矢崎彦太郎が登場し指揮台に上がります

1曲目はポール・デュカス「バレエ”ラ・ぺリ”」です この「ラ・ぺリ」はペルシャ神話のぺリ(仙女)とイスカンデル(アレクサンダー大王)が、不死の花をめぐって繰り広げる一幕ものの舞踏詩です

曲の冒頭は金管楽器によるファンファーレです ブラスセクションの演奏は輝きに満ちていました デュカスといえば「魔法使いの弟子」を思い浮かべますが、「ラ・ぺリ」も色彩感豊かな曲想でした

金管楽器のメンバーがかなり入れ替わって2曲目の三善晃「管弦楽のための協奏曲」の演奏に入ります 三善晃は1933年生まれ、東大文学部仏文科に在学中の1953年に「クラリネット、ファゴット、ピアノのためのソナタ」で日本音楽コンクール作曲部門第1位を獲得しています その後、1955年から57年にかけてパリ音楽院に留学して学んでいます

「協奏曲」と言えば一般的に、独奏楽器と管弦楽による協奏曲を指しますが、この作品における協奏曲はバロック時代の合奏協奏曲のようなコンチェルト形式を指しています

矢崎のタクトで第1楽章が開始されます。この楽章は極めて速いテンポで音楽が展開し、時にストラヴィンスキーのバーバリズムを感じさせる音楽が現れたりします 第2楽章は一転、まるで深海を潜っているような静かな曲想です 第3楽章は再び激しい音楽が奏でられ、一気にフィナーレに突入します

 

          

 

プログラム後半はベルリオーズ「幻想交響曲」です この曲はベートーヴェンの死のわずか3年後の1830年に作曲されました とても信じがたいことです。広く知られたその内容とは

「感受性が強く激しい想像力に富んだ若い音楽家が恋に絶望し、発作的にアヘンを飲んで服毒自殺を図るが致死量に達せず、夢の中で奇怪な幻想を見る。愛する人が旋律となって現れ、彼に付きまとう

第1楽章「夢ー情熱」では、ヴァイオリン・セクションが美しく響きました 第2楽章「舞踏会」は一番好きな楽章です。このオケを聴いていつも感心するのはフルートが素晴らしい演奏をするということです 矢崎の指揮はフランス仕込みでしょうか、こういう音楽は生き生きとタクトを振ります 第3楽章「野の情景」は、冒頭イングリッシュホルンと舞台裏で吹かれるオーボエとの対話で開始されますが、このやり取りが素晴らしかったです それと、4人のティンパ二奏者が”遠雷”を演奏で表現するのですが、2階から見ていると4人の駆け引きが非常に面白かったです

次の第4楽章「断頭台ヘの行進」では、ファゴットの活躍が目覚ましかったです ティンパ二が炸裂していました 最後の第5楽章「魔女の夜宴の夢」は不気味な雰囲気が良く出ていました。特にクラリネットの狂ったような演奏は見事でした

演奏後は、2階、3階席からブラボーがかかり長い拍手が続きました。矢崎は、第3楽章「野の情景」冒頭 舞台裏で吹いていた女性オーボエ奏者を指揮台のそばに呼び寄せ、イングリッシュホルン奏者を一緒に立たせて歓声に応えました

新交響楽団のコンサートは日程が空いている限り聴くようにしていますが、これまでハズレたことはありません いつも質の高い演奏を展開します。次回は11月3日(木・祝)とのことですが、まだ発売されていないので、チケットを買ったらお知らせします

 

          

 

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深沢亮子ピアノリサイタルのチケットを買う/せきしろ✖又吉直樹「カキフライが無いなら来なかった」を読む

2016年07月10日 08時36分05秒 | 日記

10日(日)。昨日は義母の米寿のお祝いのため子供たちと品川に行きました。料理を食べたあと、デザートにメロンとケーキを食べたので夕食が要らないくらいでした 帰りがけに「学問のすゝめ」をお土産に頂いていきました。これ、自分で作る最中(もなか)です

 

          

 

ということで、わが家に来てから651日目を迎え、今日の選挙でご主人は誰に投票するのか横目でカンニングしているモコタロです

 

          

            何をバカなことを・・・自宅に投票箱があるわけないじゃん 

 

  閑話休題  

 

チケットを2枚買いました 1枚目は10月29日(土)午後2時から東京文化会館で開かれる「深沢亮子 ピアノリサイタル~管楽器とともに~」です。プログラムは①モーツアルト「ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調K.452」、②ベートーヴェン「ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調」です 出演はピアノ=深沢亮子、オーボエ=金子亜未、クラリネット=藤井洋子、ファゴット=吉田将、ホルン=日橋辰朗です

 

          

 

          

 

2枚目は11月10日(木)午後7時から浜離宮朝日ホールで開かれる「ジュネーヴ国際コンクール受賞者による記念コンサート」です 出演者と演奏曲目は、①ジヨン・ムン(18歳。韓国。2014年第1位):シューマン「ピアノ・ソナタ第1番」、②パラヴィ・マヒダラ(27歳。アメリカ。2014年第2位):リスト「パガニーニによる大練習曲」、③ホンギ・キム(25歳。韓国。2014年第3位):ラフマニノフ「ピアノ・ソナタ第1番」です

 

          

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

せきしろ✖又吉直樹著「カキフライが無いなら来なかった」(幻冬舎文庫)を読み終わりました せきしろは1970年 北海道北見市出身、文筆家です 一方、又吉直樹は1980年大阪府出身、お笑いコンビ「ピース」で活躍する一方、「火花」で第153回芥川賞を受賞し話題となりました

 

          

 

この本のタイトルを見て「要するに何の本よ?」と、普通の人なら疑問に思います 要するに、五七五の形式を破り自由な韻律で詠む自由律俳句を、せきしろと又吉が これでもかと放出した作品集です

まだ眠れる可能性を探している朝 (又吉)

キミと一緒なら職務質問されなかった (せきしろ)

と、こんな具合の”作品”が延々と500以上も紹介されています 又吉作品は何となく情緒が感じられなくもないですが、せきしろ作品は、いったい何が言いたいんじゃい!と言いたくなるような作品です

また、自由律俳句のほかに、短い散文も書かれています 例えば「便所目当ての百貨店だが買い物顔を作る」(又吉)とか、「自動販売機が一番明るい時」(せきしろ)とか 要するにエッセイの類ですが、又吉の「ファーストキスが太宰の命日」と せきしろの「このお通しの正体はなんだ」は笑えました

また、その辺で撮った、本人たちが面白いと思ったらしい風景写真も掲載されています 例えば、公園にあるパンダの乗り物とか

350ページほどありますが、1日で読み終ります

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東京シティ・フィル「真夏の第九」のチケットを買う/中山七里著「追憶の夜想曲」を読む

2016年07月09日 10時57分33秒 | 日記

9日(土)。昨夕、昨年10月末まで勤務していた職場を訪れました E元総務部長(現在の役職は長すぎて覚えられない)から「9月のXデーに向けて打ち合わせがあるから8日午後5時半に事務所まで出頭すること。S元監査役にも召喚命令を出している。なお、このテープは自動的に消滅する」という指令が出されていたのです E元総務部長の営業方針により、ビル内に2つある焼鳥店の両方で飲み 新橋へ。先日も行ったSという7人でいっぱいになるカウンター・バーで飲んで その後は、その近くのカラオケ・スナックで飲んで歌いました 4軒ハシゴしたのに9月のXデーの話はまったく出ませんでした 私は何のために出掛けて行ったのか・・・・・何時に帰って来たのか記憶が定かではありませんが、お風呂に入った後 洗濯したのは覚えています。ただし、相当酔っていたので選択物を干す洗濯の余地がなくバタンキューでした

というわけで、わが家に来てから650日目を迎え、参議院議員選挙の候補者ボードを見て 明日だれに投票するか考えているモコタロです

 

          

            家の中に候補者ボードがあるわけないじゃん! だいいち おいら 選挙権ないし

 

  閑話休題  

 

池袋のチケットポートで8月21日(日)午後3時からティアラこうとう大ホールで開かれる東京シティ・フィルの「真夏の第九」公演のチケットを買いました プログラムは①ベートーヴェン「序曲”コリオラン”」、②同「交響曲第9番ニ短調”合唱付き”」です  出演は、ソプラノ=平井香織、メゾソプラノ=谷口睦美、テノール=又吉秀樹、バス=斉木健詞、指揮=飯守泰次郎です。ここ数年は年末ではなく真夏に第九を聴くのが習慣になってしまいました

 

          

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

中山七里著「追憶の夜想曲」(講談社文庫)を読み終わりました 中山七里の作品は当ブログでも何冊もご紹介しましたね 中山七里は1961年岐阜県生まれ。「さよならドビュッシー」で「第8回 このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、2010年にデビューしました

 

          

 

この作品は「贖罪の奏鳴曲(ソナタ)」の続編です 少年時代に殺人を犯して少年院に収監され、名前を変えて弁護士になったという異色の経歴を持つ男・御子柴礼司が主人公です 彼が弁護するのは素性の悪い金持ちばかりという名うての不良弁護士。ところが彼は誰も見向きもしない、身勝手な主婦の夫殺し控訴審の弁護を他の弁護士から奪い取る なぜ彼が金目のない事件を自ら引き受けたのか? 法廷で図らずも御子柴がこの事件を引き受けた驚愕の理由が明らかになる

法廷で対決するのは、かねてから因縁のある岬恭平検事です。岬という名前を聞いて、どこかで聞いたことがある・・・と思いきや、「さよならドビュッシー」に出てきたピアニスト岬洋介こそ、岬恭平検事の息子という設定です 御子柴 対 岬の法廷対決は逆転に次ぐ逆転で 手に汗握る展開となります それにしても、主婦の過去の病歴から無罪を勝ち取るという発想は流石です

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「ライナー・キュッヒル ヴァイオリン・リサイタル」を聴く~日経ミューズサロン/映画「白鯨との闘い」を観る

2016年07月08日 07時27分36秒 | 日記

8日(金)。わが家に来てから649日目を迎え、ジャンプで巨大マスターボールを超えた ウサギ跳びが得意のモコタロです

 

          

              こんなの超えるのわけないぜ! このあと 着地に成功すればね!

 

  閑話休題  

 

昨日、夕食に「麻婆ナス」と「生野菜とサーモンのサラダ」を作りました 「麻婆ナス」はひき肉ではなく豚バラ肉を使いました

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

神楽坂のギンレイホールで、ロン・ハワード監督「白鯨との闘い」を観ました これは2015年アメリカ映画です

 

          

 

時は1819年、一等航海士オーウェンたちは鯨油を入手するため捕鯨船エセックス号で太平洋を目指していた しかし、沖合で巨大な白鯨に襲われ、死闘の末、船は沈没しクルーたちは小さなボートで漂流することになってしまう 救助が来るまでの間、いったい何があったのか

この映画は、メルビルが小説「白鯨」を書くために、難破した捕鯨船エセックス号の最後の生き残りから真実を聞き出すという形を取っています この映画では、巨大な白鯨に襲われて難破した船の生存者たちは、水と食料が底をつき、最後には死者の人肉を食料にするところまで追いつめられます この映画は、人間は生き残るためには何でもする、しなければ生き残れない、ということを語っています

 

  も一度、閑話休題  

 

昨夕、大手町の日経ホールで第450回日経ミューズサロン~ライナー・キュッヒル 七夕 ヴァイオリン・リサイタル」を聴きました 今回は日経ミューズサロン45周年と第450回を祝う「七夕コンサート」です そのお祝いに相応しいゲストを迎えることになったわけです

ライナー・キュッヒル氏は1950年オーストリアのワイドホーフェン・アン・デア・イプス市生まれで、11歳からヴァイオリンを始め、14歳でウィーン国立音楽アカデミーに入学しました その後、1971年(21歳)にウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任、今年8月31日に退団するまでの45年間、重責を果たすことになりました これで45周年、450回、45年間という3つの数字が揃ったわけです

この日のプログラムは①モーツアルト「ヴァイオリン・ソナタ第42番K.526」、②ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番”春”」、③R.シュトラウス「歌劇”ばらの騎士”からワルツ」、④クライスラー「プーニャのスタイルによる前奏曲とアレグロ」、⑤サン=サーンス「ハバネラ」、⑥サラサーテ「カルメン幻想曲」です ピアノ演奏は菊池洋子です 

 

          

 

自席はR列8番、左ブロック右通路側です。会場入口の当日券売り場には「完売御礼」の表示が出ています サラリーマンらしき男性が「当日券売り切れちゃったの?」と訊いています。「ウィーン・フィルのコンマスの現役最後のリサイタルだよ、当日券が残ってるわけないじゃん」とアテンダントが答えたかどうか分かりませんが、私は入口のもぎりの女性に小さな声で言いました。「もぎりよ 今夜も ありがとう

さて、1曲目はモーツアルト「ヴァイオリン・ソナタ第42番イ長調K.526」です この曲はケッヘル番号でいうと、K.525の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」とK.527の「オペラ”ドン・ジョヴァンニ」の間に位置しています この年の1月にはモーツアルトは父親を亡くしていますが、それが信じられないほど明るく軽快な曲です モーツアルトにとっては生まれてからこの方、常に自分の人生を支配してきた父レオポルトは大きなプレッシャーだったのでしょう。その父親が死去したので、プレッシャーから解放されたと感じたのでしょうか もっとも、みんなが悲しみ泣いている時には、モーツアルトはもう笑っているわけですから、気持ちの時差の問題かもしれません

ステージの照明が落とされ、キュッヒル氏と黒のシックなドレスの菊池洋子が登場します 菊池洋子は2002年の第8回モーツアルト国際コンクールで日本人で初めて優勝した人気のピアニストです キュッヒル氏の場合は、ステージに出てきてからチューニングはありません。楽屋ですべての準備を整えてからステージに上がるのが”一流の証”とでも言うかのようです。立派です

この曲は第1楽章「モルト・アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「プレスト」の3つの楽章から成ります。モーツアルトの時代の「ヴァイオリン・ソナタ」は あくまでもピアノが主体で、「ヴァイオリンの伴奏付きピアノ・ソナタ」とでも言うべき音楽でしたが、後期のこのソナタは、ほとんど「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」という”対等の”性格が強くなっています それを反映してか、キュッヒル氏の素晴らしい演奏に負けず劣らず菊池洋子のピアノがほとんど対等に対峙します 軽快な演奏は菊池洋子のピアノが主導しているかのようにさえ感じます。彼女はリズム感が素晴らしい キュッヒル氏はピアノ・パートナーに菊池洋子を選んで正解でした

この曲はヒラリー・ハーンのヴァイオリンとナタリー・シューのピアノによるCDで予習しておきました。CDを買うならこれがベストです

 

          

 

2曲目はベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調”春”」です  ベートーヴェンは1799年から1812年までの13年の間に10曲のヴァイオリン・ソナタを作曲しました。この第5番のソナタは「スプリング・ソナタ」という愛称で呼ばれていますが、これは後世の人が付けたものです しかし、この曲を聴くと、いかにも春に相応しい心弾む(スプリング)音楽で、若き日のベートーヴェンの瑞々しい感性が現れているように感じます 

この曲でも、キュッヒル氏の確かな手ごたえのある演奏を支える菊池洋子の軽快な演奏が光っていました

休憩時間にあたり「スポンサーのファンケルから、記念すべき『七夕』コンサートを祝って、座席番号7の方にファンケルの化粧品・ドリンクセットをプレゼントします」というアナウンスがありました 私は8番で「カスったか」と残念に思いましたが、前方の7の付く席を見ると、M7、N7、O7、Q7、R7(私の隣席)が空席になっているではありませんか 後ろの列は見ませんでしたが、相当、景品が余ったのではないかと想像します どうせ余るなら俺にくれ

なお、日経からは全員に「日経ミューズサロンの歩み」(第1回~第450回の公演リストを収録)と「東山魁夷展のチケットホルダー」がプレゼントされました ただでもらえる物なら何でも歓迎します

 

          

 

          

 

プログラム後半の第1曲目はリヒャルト・シュトラウス「歌劇”ばらの騎士”」から『ワルツ』です この作品の元は1909年~11年に書かれたオペラの第2幕でオックス男爵が踊るワルツの音楽です チェコのヴァイオリニストのプシホダという人が編曲したものです

曲の冒頭はかなり表現が難しい箇所で、キュッヒル氏のヴァイオリンが少し苦しそうでした しかし、お馴染みのワルツのメロディーが出てくると、まさに”ウィーン情緒”そのものの世界が現れました

次の曲はサン=サーンス「ハバネラ」です この曲は19世紀前半のキューバに由来するゆったりとした舞曲『ハバネラ』のリズムによるエクゾチックな曲です。キュッヒル氏のヴァイオリンは色彩感豊かに響きます

拍手とともに、左方向から「ボー」という掛け声がかかりました。久しぶりに聴きました。「ブラボー」の「ブラ」がない「ボー」の掛け声 私は勝手に「ノー・ブラの某さん」と呼んでいます 何気に左方向を見ると、私と同じ列の左端の席にいらっしゃいました。同じ東響サントリーホール会員です むこうは私を知りません。いつも目立たないように潜伏していますから

さて、最後の曲はサラサーテ「カルメン幻想曲」です ビゼーの歌劇「カルメン」は1875年にパリで初演されましたが、歌劇の中の名旋律を基にヴァイオリニストのサラサーテが1883年に作曲したもので、序奏と4つの部分から成ります 第1曲「モデラート」はカルメンがホセを挑発して歌う『ハバネラ』の旋律を主題にしています。第2曲「レント・アッサイ」は女工同士の喧嘩の後にカルメンが口ずさむ歌の旋律が使われています。第3曲「アレグロ・モデラート」はカルメンが歌う『セギディーリャ』の旋律が使われています。第4曲「モデラート」は情熱的な『ロマの歌』の旋律です

第1曲では、キュッヒル氏のヴァイオリンが微妙に外れていたように感じましたが、第2曲以降は修正されたようで、菊池洋子の確かなサポートと相まって素晴らしい演奏を展開しました とくに最後の第4曲における「ロマの歌」に基づく演奏は超絶技巧の極みで、熱演が繰り広げられました

会場いっぱいの拍手に、サラサーテの「序奏とタランテラ」を演奏、それでも鳴り止まない拍手に、チャイコフスキーの「メランコリックなセレナーデ」を演奏し、ウィーン・フィルのコンマスとしての日本での現役最後のリサイタルを締めくくりました

最初にも書いたように、今回のリサイタルの成功は、ピアノの菊池洋子の存在が非常に大きな比重を占めていたと言えると思います

 

          

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マット・デイモン主演「オデッセイ」を観る/誉田哲也著「増山超能力師事務所」を読む

2016年07月07日 07時33分51秒 | 日記

7日(木)。わが家に来てから648日目を迎え、白ウサちゃんを探している灯台下暗しのモコタロです

 

          

               ねえ君 白ウサちゃんを知らない?

 

          

               君の後ろにいるんだけど 見えない?

 

          

             あっ 本当だ! ねえ 飲みに行かない?  水・・・

 

  閑話休題  

 

昨日、池袋の ぴあステーションで10月8日(土)午後2時から上野の東京藝大奏楽堂で開かれる「藝大オペラ~コジ・ファン・トゥッテ」のチケットを買いました もちろんモーツアルトの傑作アンサンブル・オペラです S席5,000円、バルコニー席4,000円ですが、今回は2階バルコニー席左サイド1列目を選びました。なお、9日(日)にも同公演があります チラシはまだ出来ていないようです

オペラを聴こうとすれば1万円前後はしますが、藝大オペラはその半額で聴けます 私は毎年聴いていますが、名の知れた歌手が歌うわけではありませんが、特にモーツアルトのオペラを楽しむには十分です イタリア語公演ですが、日本語の字幕スーパーが出るので大丈夫です モーツアルトのオペラは本当に楽しいですよ まだ一度も聴いたことが無い人にも自信をもってお薦めします

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

誉田哲也著「増山超能力師事務所」(文春文庫)を読み終わりました 誉田哲也の作品は当ブログで何冊もご紹介してきました。文庫本化すると必ず買う作者です 1969年東京都生まれ、学習院大学卒。2002年「妖の華」で第2回ムー伝奇ノベル大賞優秀賞を受賞してデビューしました 女性警察官を主人公にした「ストロベリーナイト」をはじめとする姫川玲子シリーズ、「ジウ」3部作などでかなり名前を売りました

 

          

 

日本超能力師協会(もちろん筆者のでっち上げ)は年2回の試験を実施し、1級超能力師と2級超能力師を認定する。2級にも合格しなければ無能力者である 1級超能力師・増山圭太郎が開設する探偵事務所には、浮気調査から人探しまで様々な懸案が持ち込まれる。それを解決するのは「面倒くさい」が口癖の増山所長以下、才色兼備だが気が強い元・女番長 悦子、見習いからの脱出を目指す篤志、見習いギャル(本当は男)の明美といった個性派キャスト

ミステリーの解決に「超能力」を導入するまで落ちぶれるとは、天下の誉田哲也もいよいよ”種切れ”になったか、と思いきや、そこはストーリーテラーの彼のこと、なるほどなるほど、と読ませます

 

  最後の、閑話休題  

 

昨日、神楽坂のギンレイホールでリドリー・スコット監督「オデッセイ」を観ました これは2015年アメリカ映画です

 

          

 

宇宙飛行士のマーク・ワトニー(マット・デイモン)は火星探索ミッション中に猛烈な嵐に巻き込まれてしまう マークが死んだと思ったクルーたちは地球への帰途につく。しかし、マークは地球から2億2530万キロも離れた火星でたった一人で奇跡的に生き延びていた 植物学が専門のマークは、食料(31日分)が底をつく前に、何とか生き延びようと、科学的な知識を総動員してジャガイモを栽培し、水を新たに作り出すことに成功する そして、NASAの協力を得ながら、地球への帰還途中の宇宙船の仲間に救出される

この映画の最後に、救出されたマークが宇宙飛行士の卵たちに経験談を話す場面があります。マークは語ります

「自分の経験は、諸君にも起こり得ることだ。火星に一人だけ取り残されたら、もう駄目だと諦めるか、何とか生きようとするかを選択しなければならない。最後まで希望を捨てないでほしい

この映画が素晴らしいのは、たとえ「生存不可能」と思われる事態に置かれても、最後までポジティブ・シンキングで 生きる希望を失わなければ、道は開けるということを示している点です  もちろん彼が生き抜くことが出来たのは、本人の資質と能力とポジティブな姿勢があったからですが、地球におけるNASAのサポート、そして地球への帰還を棚上げしてマークの救出に当たった仲間たちの協力があったからこそです 結局、人間は一人では生きていけないのです。この映画は何よりもそのことを語っているように思います

 

          

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飯守泰次郎+東京シティ・フィルでブルックナー「テ・デウム」「交響曲第9番」を聴く

2016年07月06日 07時34分12秒 | 日記

6日(水)。わが家に来てから647日目を迎え、お中元のビールの銘柄にこだわるモコタロです

 

          

            なになに シルク ヱビスだって? どこが違うんだい?

 

          

           美味そうだけど おいらビールは飲めないんだ 未成年だから

 

  閑話休題  

 

昨日、夕食に「鶏のしぐれ煮」と「生野菜・ツナ サラダ」を作りました 「鶏~」は初挑戦です。鶏あえず美味くできました

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨夕、初台の東京オペラシティコンサートホールで東京シティ・フィル第299回定期演奏会を聴きました プログラムは①ブルックナー「テ・デウム」、②同「交響曲第9番ニ短調」です ①のソプラノ=安井陽子、メゾソプラノ=増田弥生、テノール=福井敬、バス=清水那由太、指揮は飯守泰次郎です

 

          

 

自席は1階20列1番、左ブロックの左通路側です。会場はブルックナーファン、あるいは飯守泰次郎ファンで9割方埋まっている感じです ブルックナーのコンサートは圧倒的に男性が多いのですが、この日は女性もかなりの割合を占めているようです 飯守氏は2012年に東京シティ・フィルの桂冠名誉指揮者に就任したのを機にブルックナーの交響曲を、第4、第5、第7、第8番と毎年1曲ずつ取り上げてきましたが、この日の第9番がツィクルス最後の演奏になります

まず、合唱団が入場します。向かって左側に女声陣が 右側に男声陣がスタンバイしますが、比率は2対1の割合で女声が多数です 次にオケのメンバーが配置に着きます。左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという配置です コンマスは戸澤哲夫。2階正面のパイプオルガンもスタンバイします そして拍手の中、ソリストの安井陽子、増田弥生、福井敬、清水那由太が入場し配置に着きます 同時に飯守泰次郎が指揮台に上がり、1曲目の「テ・デウム」が開始されます。「テ・デウム」とは簡単に言えば神を讃える歌です この曲は1883年9月から84年3月までの間に作曲されました。ブルックナー59歳の時でした

ソリストの中ではテノールの福井敬が突出していました 次いでソプラノの安井陽子です この二人は絶対的な安心感があります

 

          

 

ブルックナーは1894年11月、ウィーン大学における講義で、作曲中だった交響曲第9番に言及し「もし第4楽章が完成されなかったら、代わりに『テ・デウム』を演奏するように」と語ったということです ブルックナーの意志に従うのであれば、最初に交響曲第9番(全3楽章・未完)を演奏し、続けて”第4楽章”として『テ・デウム』を演奏すべきである、ということになります この点について、飯守氏はプログラムの「ごあいさつ~ブルックナー交響曲ツィクルス最終回に寄せて~」の中で次のように述べています

「完成された最後の楽章である第3楽章の冒頭は、ヴァイオリンがいきなり9度跳躍してすぐ短2度下がり、さらに1オクターヴ落下するという、これはまさに現世の苦しみを表しており、それがやがて厳かなドレスデン・アーメン(上行型のアーメン)で浄化されていきます これほど深遠で天国的な音楽は、ブルックナーの他のどんな作品にもありません これに続く楽章を作曲家がついに完成できなかったことは、一種の必然性があったのかもしれない、と私には思われるのです このツィクルスを締めくくるには、このアダージョこそやはりふさわしいと考え、『テ・デウム』は交響曲の前に演奏することといたしました

飯守氏の言い分は十分に理解できます

 

          

 

さて、休憩後はその交響曲第9番ニ短調です この曲は第3楽章までが1894年11月に完成し、残すところ第4楽章のみでした。この日のプレトークで飯守氏が解説していたように、ブルックナーはベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調”合唱付き”を意識していたようです 同じニ短調で第9番を書いていることからも分かります ベートーヴェンが交響曲を9曲まで書いて死去したことから、ブルックナーは自分の第9番が完成しないうちに世を去ることを恐れていたようです それは現実になりました

この曲は第1楽章「荘重に、神秘的に」、第2楽章「スケルツォートリオ」、第3楽章「アダージョ」から成ります 弦楽器のトレモロから開始される第1楽章はまさに神秘的で、かつ雄大でもあります 第2楽章は暴力的なまでに激しいスケルツォです そして第3楽章のアダージョは神への祈りの音楽です これほど純粋で深い音楽も珍しいでしょう 冒頭のヴァイオリン・セクションによる渾身の演奏は感動的です フィナーレは管弦楽の総力を結集した演奏ですが、マーラーのような祝祭的な感動ではなく、静かな感動を呼び起こします

カーテンコールを見ながら、ほぼ同じ時代を生きたマーラーとブルックナーの音楽(交響曲)の違いについて考えました マーラーの音楽は、目先がくるくる変わり、次に何が起こるか分からないほどテンポが速く賑やかですが、ブルックナーの音楽は、シューベルトのように同じフレーズが繰り返され、息の長い音楽が延々と奏でられます また、マーラーの音楽が自然や宇宙を感じさせるのに対し、ブルックナーの音楽は神を感じさせます

飯守泰次郎+東京シティ・フィルのよるブルックナーの交響曲を今後聴けなくなるのは寂しい限りです これからはアマ・オケの新交響楽団などで、今回のツィクルスで取り上げなかった第3番、第6番を指揮していただくのも一考かと思いますが、飯守先生、いかがでしょうか?  21世紀に入ってからすでに取り上げたようですが、是非もう一度

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ハーディング+新日本フィルでマーラー「交響曲第8番”千人の交響曲”」を聴く~さよなら公演

2016年07月05日 08時29分45秒 | 日記

5日(火)。わが家に来てから646日目を迎え白ウサちゃんにキスを強要するモコタロです

 

          

           いいだろう 減るもんじゃないし えっ 口が減らないって?

 

  閑話休題  

 

昨夕、サントリーホールで新日本フィル第560回定期演奏会を聴きました プログラムはマーラー「交響曲第8番 変ホ長調 ”千人の交響曲”」です 出演は、罪深き女=エミリー・マギー、栄光の聖母=市原愛、エジプトのマリア=中島郁子(ゲルヒルト・ロンベルガーの代演)、法悦の教父=マイケル・ナギー、懺悔する女=ユリアーネ・バンゼ、サマリアの女=加納悦子、マリア崇敬の博士=サイモン・オニール、瞑想する教父=シェン・ヤン。合唱は栗友会合唱団、児童合唱は東京少年少女合唱隊、コンマスは豊嶋泰嗣、指揮はダニエル・ハーディングです

 

          

 

ここ数日、レイフ・セーゲルスタム指揮デンマーク国立放送管弦楽団によるCDで予習してきました こういう難解で長い曲を聴くときには、”ながら”でもいいから何度も音楽を流して、曲を耳に馴染ませるのが一番です

 

          

 

開演直前、木管が練習に勤しんでいる中、P席に混声合唱が入場します 手前3列に女声陣、その後ろに男声陣、右サイドに児童合唱がスタンバイします 大人の合唱団が黒の衣装で統一しているのに対し、児童合唱団が白の聖歌隊服で統一しているのが対照的です 次いで金管楽器、弦楽器、打楽器が入場します。弦はチェロとコントラバスが左サイドに置かれ、ヴァイオリン・セクションが左右に分かれる対向配置が取られます 拍手の中、歌手陣が入場しオケの後ろ側にスタンバイし、同時に指揮者のハーディングが登場し指揮台に上がります。2階正面のパイプオルガンも準備OKです

ハーディングのタクトにより第1部の幕が開きます。オルガンと低弦に導かれて合唱が「来たれ、創造主、聖霊よ!われらの魂を訪れたまえ」と歌い上げます この曲は、最初からクライマックスです 第1部「賛歌:あらわれたまえ、創造の主 聖霊よ」、第2部「ゲーテ『ファウスト』第2部最終場面」から成りますが、第1部はハイテンションの音楽が約30分続きます

マーラーはこの曲について「交響曲は世界のようなものでなければならない。すべてを包含するものでなければ」、「これまでの交響曲はこの曲に対する序曲に過ぎなかった。どれも主観的な悲劇を扱ってきたが、この交響曲は偉大なる歓喜と栄光を讃えるものだ」と述べています。

ところで、私は昔から、歴史に残る偉大な作曲家について、あるイメージを抱いています 前人未到の高い山を汗を拭き拭き登っている人がいます。それを暖かく見守っている太陽があります。さらにその世界を包む大きな宇宙の存在があります 高い山、それは孤高の音楽家J.S.バッハです。それを登っているのは努力の人ベートーヴェンです。そして暖かい眼差しを注いでいる太陽、それは天才モーツアルトです。そして、その世界を包み込んでいる宇宙がマーラーです そういう意味では、マーラーの交響曲は、この第8番に限らず、すべての交響曲に宇宙を感じます

約30分休みなく続く第1部ではホルン、木管楽器のベルアップ奏法(楽器の先の部分を持ち上げて演奏する)が見られます これはマーラーの指示によるものでしょう。何しろ、マーラーが指揮した初演時には、ミュンヘン・フィルの前身であるカイム管弦楽団と、客席後方に配したバンダ(小楽団)が計171人、2つの合唱団と少年合唱団が850人、独唱が8人、指揮者マーラーを入れると1030人を超えていたということです 3000人の聴衆に訴えるにはベルアップでもしないと、音が届かなかったでしょう

さて、第1部がハイテンションのまま終わると、バリトンのナジとバスのシェンヤンの二人が舞台袖に引き上げます。第2部に入って合唱の後、バリトンとバスの独唱があるのですが、そのための準備です 第2部が始まると二人は指揮者のすぐ右サイドにスタンバイして歌います 二人は歌い終わると、もう後に出番がないので一旦舞台裏に引き上げます

 

          

 

第2部では歌手陣のソロが聴かれますが、一番良かったのは懺悔する女を歌ったソプラノのユリアーネ・バンゼ(南ドイツ出身)、そしてマリア崇敬の博士を歌ったテノールのサイモン・オニール(ニュージーランド出身)です この二人は文句なく世界的に通用する歌手です。共通点は恵まれた身体です 加納悦子も良かったし、代演の中島郁子も頑張りました

罪深き女を歌ったソプラノのエミリー・マギーは、新国立劇場で「フィガロの結婚」「イドメネオ」「影のない女」に出演しているとのことですが、記憶にありません 今回も決して悪くはなかったと思いますが、印象が薄いのはどうしたものでしょう

第2部も終わりに近づき、栄光の聖母を歌う市原愛が2階左サイドの扉の前に立って「さあ、いらっしゃい!もっと高い領域までお昇りなさい」と歌い上げます

舞台袖に引っ込んでいたバリトンとバスが舞台に戻り、トランペットとトロンボーンが2階P席上方にスタンバイし、合唱団により最後の「神秘の合唱」が歌われます 大管弦楽と大合唱によってフィナーレが演奏され、90分に及ぶ「千人の交響曲」が終結します

会場割れんばかりの拍手とブラボーが舞台に押し寄せます 何度かのカーテンコールの後、コンマスの豊嶋泰嗣からハーディングに大きな花束が贈呈されました 今回がハーディングの新日本フィル「ミュージック・パートナー」としての最後の公演です

ハーディングが通訳を伴って登場し、最後の挨拶をしました

「私が新日本フィルを初めて指揮したのは2011年3月11日でした(※東日本大震災の当日)。その日演奏したのは奇しくもマーラーの第5番でした あれから5年間に60回近くのコンサートで指揮をしてきました こういう形で最後を迎えるとは思いもよりませんでした。これからも、このオーケストラを愛していただきたいと思います 最後に、皆さんにお願いがあります

客席もオケのメンバーも「お願いって何だろう?」と思ってハーディングに注目すると、おもむろに胸ポケットからスマホを取り出して、”自撮り”を始めました オケのメンバーと自分を、客席と自分を、色々な角度から写しています。これには聴衆もオケのメンバーも大受けで拍手喝采に湧きました 出身国の英国がEU離脱を決めたのに そんなことしてていいの?なんて野暮なことを言う人は一人もいません ハーディングさん、なかなか演歌テナー、もとい、エンタテイナーですね

ダニエル・ハーディングは2016/017シーズンからパリ管弦楽団の音楽監督に就任します パーヴォ・ヤルヴィの後任ですね。挨拶の中でも、またすぐにお目にかかれると言っていましたが、彼は11月にパリ菅とともに来日しマーラーの第5交響曲を振ります ハーディングさんの今後の活躍をお祈りします

 

          

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新国立オペラ研修所試演会でプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」を観る

2016年07月04日 07時27分33秒 | 日記

4日(月)。わが家に来てから645日目を迎え、LOOKとあるので見つめたけれど、何も起こらないのでがっかりするモコタロです

 

          

           ぼくもチョコっと食べたいなぁ 食べらんないのかぁ  無念!

 

  閑話休題  

 

昨日、初台の新国立劇場(小劇場)で、新国立劇場オペラ研修所公演、プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」試演会を観ました 2日と3日の2公演で、出演はオペラ研修所の第17期~第19期の15人です

 

          

 

と思って、当日プログラムを受け取ると表紙は次のように変わっていました

 

          

 

さて、どこが変わったか、お分かりになりますか? そう、上演日数が増えています プログラムに掲載されたオペラ研修所の永井和子所長の『試演会によせて』によると、「今回の試演会チケットは発売と同時に完売し、もう1公演を急きょ追加することになった」とのことです 私の知る限り、プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」は新国立オペラの本公演ではまだ取り上げられていない演目なだけに、関心が高かったのだと思います それと、会場が普段オペラを上演しない小劇場であることも予想外の聴衆が押し掛けた理由かもしれません

「舞台は1299年のフィレンツェ。フィレンツェの大金持ちブオーゾ・ドナティが死んだ。ブオーゾの死を大げさに嘆き悲しんでいた親類たちだが、巨額な遺産がすべて修道院に寄付されるという噂を知るや、遺言書が公証人の手に渡る前にどうにかしようと必死に画策する そこに呼ばれたのがジャンン二・スキッキ。ブオーゾの死がまだ外部に漏れていないことを確認すると、亡骸をいったん片づけさせ、自分がブオーゾに成りすまし遺言状を作り変えるという計画を打ち明ける そして公証人を呼んで実行に移すことになるが、ブオーゾに成りすましたジャン二・スキッキが残した遺言の内容とは・・・・」

 

          

 

小劇場は初めてです。正面玄関を入って地下に降りていきます。大劇場と中劇場は客席が扇型になっているのに対し、小劇場は長方形のシューボックス型で、狭いながらもバルコニー席が設けられています。自席はD列1番、後方の左通路側席です

オーケストラ・ピットにはピアノが2台向かい合わせに配置されます。ピアノがオケの代わりを務めるわけです したがって指揮者・村上寿昭はピアノと歌手陣の指揮をとることになります

「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニ唯一の喜劇オペラですが、登場人物が15人と多い割には50分足らずの全1幕作品で、あっという間に終わってしまいます 最初のうちはいったい誰が何の役を歌っているのかさっぱり分からない状況が続きます プログラムに掲載された配役表と顔写真を見比べながらオペラを観ていて、やっと歌手と役柄が一致する頃には終わっているという感じです

歌手陣の中で一番良かったのは、言うまでもなく主役のジャンニ・スキッキを歌った大野浩司です 北海道教育大学岩見沢校卒という変わった経歴ですが、歌も良かったし、演技も素晴らしかったです その娘・ラウレッタを歌った竹村真美は東京音楽大学卒のソプラノです。アリア「わたしのお父さん」は素直な歌い回しでしたが、もう少し感情を込めても良かったかも知れません

今回の公演は、研修生による試演会という位置づけながら、オペラの楽しさが伝わってくる素晴らしい公演でした 新国立劇場には、これからもこうした試みをどんどん続けてほしいと思います

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新国立オペラで團伊玖磨「夕鶴」を観る~初演以来800回を超える日本のオペラにブラボー!

2016年07月03日 09時21分28秒 | 日記

3日(日)。昨夜は東京では初めての熱帯夜でしたね。暑くて眠れず、今年初めてクーラーを点けて寝ました。もっとも暦の上ではもう7月、夏です ということで、わが家に来てから644日目を迎え、何を勘違いしたか参議院議員選挙に立候補しようとして演説するモコタロです

 

          

            10日の投票日には児眠党公認のモコタロに1俵を(無洗米で)

 

  閑話休題  

 

昨日、初台の新国立劇場で團伊玖磨「夕鶴」を観ました 当初、1日のプルミエ公演を観る予定だったのですが、クラシカル・プレイヤーズ東京の公演と重なったため振替制度を利用して一日ずらしました この公演はダブルキャストで、この日の出演は、つうに腰越満美、与ひょうに鈴木准、運ずに吉川健一、惣どに久保和範。指揮は大友直人、管弦楽は東京フィル、演出は栗山民也です

 

          

 

「夕鶴」は民話に題材をとった木下順二の名作戯曲に、團伊玖磨が作曲した日本を代表する歌劇です  1952年の初演以来800回を超える公演回数を誇り、日本に限らず外国でも上演されている数少ない日本のオペラです

 

          

 

昔々、雪の深い村に純朴な与ひょうが、美しい妻つうと幸せに暮らしていた つうが織る千羽織は高く売れると評判になっている。与ひょうは運ずや惣どにそそのかされ、都で高く売るためにもっと布を織るよう、つうに強要する 与ひょうは、つうが布を織っているところを覗き見しないという約束をしていたが、我慢できずに覗いてしまう そこでは、鶴が羽根を織り込む姿が見えた。翌日、すっかりやせ細ったつうは千羽織を与ひょうに渡すと別れを告げ、空に飛び立っていくのだった

 

          

 

私がこのオペラを栗山民也の演出で観るのは2000年12月と、2011年2月に次いで3回目です 前回の公演からもう丸5年が経ってしまったのか、と感慨深いものがあります

舞台は極めてシンプルです。雪野原の中に1本の木が立っており、右端に一軒の農家がある・・・まさに民話の風景です

今回つうを歌った腰越満美は東京コンセルヴァトアール尚美ディプロマコースを修了。二期会オペラ研修所等を経て文化庁派遣芸術家在外研修員としてイタリアに留学、95年にはフェッルッチョ・タリアヴィー二国際コンクールで第1位を獲得しています 新国立オペラでは常連のソプラノ歌手です。最初、ちょっと声量が足りないかな、と心配しましたが、物語が進むにしたがって本調子になってきました 与ひょうから「都に行って金儲けをしたいからもっと千羽織を織ってくれ」と言われて つうが歌う「あんたはどうしたの?あんたはだんだん変わっていく。あたしとは別の世界の人になっていく・・・」と不安と哀しみを歌うアリア(レチタティーボ)は聴衆の共感を誘いました ほとんど太田裕美の「木綿のハンカチーフ」の世界です

与ひょうを歌った鈴木准は東京藝大大学院修了。この人も新国立オペラでは常連のテノール歌手です 汚れを知らない純朴な与ひょうを、明るいテノールと自然な演技で見事に表現しました

日本のオペラを観る時にいつも感じるのは、日本語の扱いの問題です そこで今回、気になったのはプログラムに寄せられた東大教授・長木誠司氏の「オペラ史の中の團伊玖磨『夕鶴』」という論考です

「もしオペラ『夕鶴』が日本の日常語との違和感を持たずに聞こえるとしたら、それは木下順二が編み出した、どこのものとも同定できない独特の方言の口調(それがあるからこそ、木下は原作を一語一句変更してはならぬという厳命を團に投げたと思われる)に原因がある このいわば『作られた伝統』ならぬ『作られた方言』は、それがゆえに非常に自由なイントネーションを許容し、同時にそれによって、いかにもどこぞの方言らしい奇妙な『方言』を自由に操って物語を進める姿に、まったく不自然さは認められない

「問題になってくるのはオペラのなかで唯一、方言でなく標準語を操る主人公、つうの扱いであろう つう役に当てられた音型も、けっして逐一日常会話的なイントネーションを持っているわけではない。しかしながら、まさにそれゆえにこそ、このつうのコトバを奇妙に操る異人、あるいはヒトならぬ存在に映るのである

つまり、このオペラで出てくる方言は、例えば東北地方のそれでもなく、九州地方のそれでもなく、どこの方言でもない「作られた方言」であって、それだけにどんなイントネーションで話そうが許容される、ということです さらに、その「作られた方言」さえも話さないつうの言葉は「標準語」なのですが、日常的にわれわれが使用している標準語のイントネーションとは異なる言い回しで語るので、つうは人間ではなく本当は鶴の化身であることを表しているということです

そうしたことを頭の隅に置いて、プログラムの「『夕鶴』上演史~日本から世界へ」を読むと、2005年にメキシコですべてメキシコ人の出演者による日本語による「夕鶴」公演が挙行されたという事実、2007年にはチェコでも日本人を含まない出演陣による「夕鶴」公演が挙行されたという事実があります そこでは、与ひょう・運ず・惣どたちの「作られた方言」と、つうの「標準語」はどのように表現されたのだろうか また、これから海外で上演されるであろう「夕鶴」はどのように表現されるのだろうか 逆に、日本人がイタリアやフランスのオペラを歌う時に同じような問題があるのではないか? 海外で活躍する日本人歌手はそうした問題をある程度クリアしているからこそ海外でも受け入れられているのではないか?・・・そんなことを思いながら出演者のカーテンコールに拍手を送りました

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有田正広+仲道郁代+クラシカル・プレイヤーズ東京でベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」他を聴く

2016年07月02日 09時51分08秒 | 日記

2日(土)。わが家に来てから643日目を迎え、万歩計でご主人の運動量を確かめるモコタロです

 

          

           ほほう 最近はコンスタントに1万歩を稼いでいるようだな

 

  閑話休題  

 

現在、池袋の新文芸坐では「絶対に観てほしい邦画サスペンス’50~’70年代」という特集を組んでいます  昨日は松本清張原作による映画「黒い画集 寒流」と「黒い画集 ある遭難」の2本立てを観ました 「黒い画集 寒流」は鈴木英夫監督による1961年の白黒映画です

 

          

 

銀行の支店長・沖野(池辺良)は、1,000万円の融資の相談にのったことから料亭の若い女将・奈美(新珠三千代)と深い関係になる しかし、同期のエリート上司である常務(平田昭彦)が横恋慕したことから、二人の関係にヒビが入り始める 沖野は興信所を使って常務に復讐を企てるが、ことごとく思うようにいかない

この手の映画は、最後には主人公が復讐を成し遂げ、めでたしめでたしで終わるのが常ですが、この映画では最後まで主人公が打ちのめされたままで終わっています そこが返って新鮮です 「寒流」というのは会社で言えば「非主流派」のことで、「暖流=主流派」に乗らなければ出世できない、ということを表しています それにしても新珠三千代って美人ですね 中学時代にテレビで観た内藤洋子主演の「氷点」では冷たい母親を演じていたのを思い出します

2本目の「黒い画集 ある遭難」は杉江敏男監督による1961年の白黒映画です

 

          

 

一緒に登山し遭難した3人のうち一人だけが死亡した 登山素人の浦橋(和田考)が生き残ったのに、それなりの登山実績があった岩瀬(児玉清)が遭難したことを不審に思った岩瀬の姉・真佐子(香川京子)は、従兄の槙田に頼み、登山リーダーだった江田(伊藤久哉)とともに弟の遭難現場に花を捧げるよう依頼する 江田と槙田は当時と同じコースをたどる登山を決行する。その途中、槙田は江田に、なぜ岩瀬が登山する前から疲れていたのか、1週間前の天気予報では山が嵐になる可能性が高かったのになぜ登山を決行したのか、と疑問をぶつける そして、なぜ岩瀬を死に追いやったのか動機だけが判らないと言う。江田は槙田の足下に亀裂の罠を作り、初めて動機を打ち明ける。真実を知った槙田は亀裂に足元を掬われ崖下に転落していく。してやったりの江田だったが、転落の音に誘発された雪崩が彼の頭上を襲い掛かった

観ているわれわれは槙田と同じで、江田の動機は何だったのか、という疑問を抱きながら次の展開を待っています 映画のほとんどが、雪の中を登山する3人の行動を追う内容なので、集中して観るのに努力が要ります 

キャストで一番驚くのは岩瀬を演じた児玉清です。名前を伏せたらまったく分かりません 私などは児玉清をいう名前を聞いた上でも顔と名前が一致しませんでした 若き日の児玉清はテレビのクイズ番組やNHKの週刊ブックレビューの司会で観た児玉清とあまりにもかけ離れた風貌でした

なお、この作品は、松本清張さんが「山男に悪人はいない」という通説を懐疑的に思い執筆したそうです。何か心当たりでもあったのでしょうか

 

          

           

 

  も一度、閑話休題  

 

昨夕、池袋の東京芸術劇場大ホールでクラシカル・プレイヤーズ東京のコンサートを聴きました プログラムは①モーツアルト「交響曲第32番ト長調K.318」、②ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番ト長調」、③モーツアルト「交響曲第40番ト短調K.550」です ②のフォルテピアノ独奏は仲道郁代、指揮は有田正広です

 

          

 

自席は1階I列13番、センターブロック左通路側です 開演10分前から有田氏と仲道さんによるプレトークがあり、仲道さんは次のように解説しました

「舞台に置かれている、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の演奏で使用するフォルテピアノは1816年、ロンドンのブロードウッド製の楽器です 1817年にベートーヴェンはブロードウッドからフォルテピアノをもらってるので兄弟ピアノみたいなものだと思います 前回のコンサートでフォルテピアノを使用した際、リハーサルの時は良く鳴ったのに、会場に聴衆が入って本番を迎えたら音を吸収してしまい、思ったように響きませんでした そこで、東京芸術劇場の石丸さんにご相談し、ある秘密兵器を使用することになりました ”石丸アクリル”と呼んでいますが、どんなものか後のお楽しみです。フォルテピアノの位置は、指揮者の右サイドに斜めに傾けて置いています。そして、オーケストラは弦楽器を左サイドに、管楽器を右サイドに固めています。いろいろ試した結果、この態勢が一番良いというが分かりましたので、この態勢で演奏します

そしてオケのメンバーがステージに登場し配置に着きます。左サイド、コンミスはバッハ・コレギウム・ジャパン(B.C.J)でお馴染みの荒木優子さん、先日「サントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデン」でギターと一緒に演奏したヴァイオリンの廣海史帆さんの姿も見えます チェロには同じくB.C.Jでお馴染みの山本徹さんがいます。反対側の管楽器を見ると、オーボエの三宮正満さん、尾崎温子さん、フラウト・トラヴェルソの前田りり子さん、菅きよみさん、ファゴットの堂坂清隆さんら、B.C.Jのレギュラーメンバーが顔をそろえています 古楽器集団「クラシカル・プレイヤーズ東京」としては、これだけの人材を確保しておけば演奏は万全でしょう

モーツアルトは1777年から1779年にかけて母親とマンハイム・パリへ求職旅行に出たわけですが、交響曲第31番ニ長調”パリ”K.297はコンセール・スピリチュエルで大成功を納めたものの、旅行先で母親を亡くします 失意の中、ザルツブルクに帰ったモーツアルトが1779年4月26日に完成したのが交響曲第32番ト長調K.318でした。モーツアルト23歳の時の作品です。曲は単一楽章で、急ー緩ー急の3つの部分から成るシンフォニアの形式をとります

有田正広が指揮台に上がり、椅子の座って指揮をとります(腰痛か?)。曲を聴く限り、まるでオペラの序曲と言っても良いでしょう モーツアルトはテンポが命ですが、有田正広の指揮はまさにモーツアルトのテンポ、軽快そのものです とくに古楽器での演奏においては、ゆったりしたテンポは間延びしてしまいます

 

          

 

2曲目はベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番ト長調」です。この曲は1805年~06年に作曲されました この時期は、ピアノ・ソナタ”熱情”(1805年)、歌劇「フィデリオ」(1805年)、ヴァイオリン協奏曲(1806年)、交響曲第5番”運命”(1808年)、交響曲第6番”田園”(1808年)、ピアノ協奏曲第5番”皇帝”(1809年)と次々と傑作が生み出されていったところをみると、その先駆け的な作品と言えます

ステージのセッティングが行われます。プレトークで出た「石丸アクリル」の登場です 高さ2メートルほどの透明なアクリル製の衝立が4枚、フォルテピアノの向こう側に立てられ、音の反響板になります

ローズレッドの衣装の仲道郁代が登場、フォルテピアノに向かいます 第1楽章はピアノから入ります。古楽器特有の柔らかい音が会場に響き渡ります。主役のフォルテピアノも伴奏のオーケストラも古楽器であることと関係があるのか、音楽作りが繊細です プレトークでも話されていたように、この曲は全楽章を通じて『室内楽的な』曲想です 独奏楽器とオーケストラとの緻密な会話で成り立っているように感じます。ある意味、現代のグランド・ピアノと現代楽器によるオーケストラによる演奏に慣れている耳には非常に新鮮に感じるし、まったく違う曲を聴いているような錯覚に陥ります 第1楽章のカデンツァは、チェンバロとピアノの中間のような独特なフォルテピアノの音色の魅力が発揮された素晴らしい演奏でした

アンコールはベートーベンの あまりにも有名な「エリーゼのために」でした

 

          

 

休憩後はモーツアルト「交響曲第40番ト短調K.550」です。フォルテピアノがステージ中央から外されたので、オケの態勢も通常のスタイル(正面奥に管楽器、手前に弦楽器)に戻るのかと思っていたら、そのままの態勢で演奏するようです 弦楽器が左、管楽器は右にスタンバイします。前半は椅子に座って指揮をとった有田氏ですが、後半は立って指揮をします(腰痛、治った?)

有田正広の指揮で第1楽章が開始されます。思った通りの速いテンポです 「モーツアルトはこうでなくっちゃ」というテンポです。第3楽章「メヌエット」における前田りり子のフラウト・トラヴェルソ、三宮正満のオーボエは素晴らしい演奏でした

ところで、この曲を含めた交響曲第39番、第40番、第41番の3曲については、何の目的で書かれたのかについて所説 言われてきました これらの曲は1788年の6月26日(第39番)、7月25日(第40番)、8月10日(第41番)と、わずか1か月半の間に集中して書かれたわけですが、演奏された記録がないということで、目的がはっきりしないということなのです しかし、最近の研究では、第40番は多くの音楽家のパトロンだったゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵の主催するコンサートで演奏されたという説があるそうで、そうであれば他の2曲も含めて男爵のために書かれたのではないか、という説があるようです 何が本当なのかよく分かりませんが、『モーツアルト研究の現在』はどうなっているのか、興味があるところです

この公演のプログラムに「モーツアルトの交響曲でのクラリネット使用について」という解説記事が載っています。それによると

「クラリネット・パートを持つ曲は第31番ニ長調”パリ”K.297、第35番ニ長調”ハフナー”、第39番変ホ長調K.543、第40番ト短調K.550のわずか4曲のみである

これを見てビックリしました つまり、第36番”リンツ”も、第38番”プラハ”も、第41番”ジュピター”も、クラリネット・パートを持っていないのです てっきり、モーツアルトの交響曲はほとんどがクラリネット・パートがあるとばかり思っていました モーツアルトはクラリネットが好きだったようですから こういう解説は勉強になります

さて、次回の演奏会ですが、来年3月5日(日)午後3時から東京芸術劇場コンサートホールで開催されます。ベートーヴェンの交響曲第1番、第2番、そしてモーツアルトのホルン協奏曲第4番が演奏されます。一般発売は10月22日からです。S席4,000円、A席3,000円、B席2,000円と格安です。私は当日の同じ時間帯に東京交響楽団の東京オペラシティシリーズ公演があるので聴きに行けません。本当に残念です

 

          

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