21日(土).風邪を引いたらしく喉が痛いので,昨日行きつけの内科で診てもらったら,喉が赤くなっているとのことで,大量の薬をもらってきました 体調最悪です
ということで,わが家に来てから今日で1116日目を迎え,ティラーソン米国務長官が19日,中国による南シナ海への進出は「度を過ぎている」と批判した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
まったくその通りだと思うよ 海を埋め立てて自国の領土にしちゃうんだから
昨日,夕食に「いり鶏」「生野菜と生ハムのサラダ」「肉団子スープ(中華味)を作りました 「いり鶏」は久しぶりですが,美味しく出来ました
昨夕,小雨降る中,体長最悪の中,原宿から代々木公園経由でNHKホールに向かいました N響第1868回定期演奏会(Cプロ)を聴きました プログラムは①ブラームス「交響曲第3番ヘ長調」,②同「交響曲第2番ニ長調」です 指揮はクリストフ・エッシェンバッハです
エッシェンバッハは1940年ドイツ生まれで,今年77歳になりました モーツアルトのピアノ・ソナタのLPレコードに載っていた紅顔の美青年もお歳を召されました でも,指揮者の世界では「40,50は洟垂れ小僧」だそうですから,77歳なんて働き盛りの壮年期でしょう ピアニストから指揮者に転向した世界的なアーティストと言えば,1974年のチャイコフスキー・コンクール(ピアノ部門)で見事に第2位入賞した韓国のチョン・ミョンフンを真っ先に頭に思い浮かべますが,知名度から言えばエッシェンバッハはその次くらいでしょう 指揮台に上がったエッシェンバッハは,ミトロプーロスか,スタインバークか,井上道義か,と見まがうばかりの見事なスキンヘッドです
オケは左奥にコントラバス,前に左から第1ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,第2ヴァイオリンという対向配置をとります コンマスはマロこと篠崎史紀氏です.相変わらずN響定期会員はマロが登場しても拍手をしません N響の(聴衆の)伝統でしょうか
1曲目はブラームス「交響曲第3番ヘ長調」です この曲はブラームス(1833-1897)が50歳の1883年の夏に保養地ウィースバーデンで過ごした時に作曲されました 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」,第2楽章「アンダンテ」,第3楽章「ポーコ・アレグレット」,第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります
エッシェンバッハのタクトで第1楽章が開始されます 冒頭の下降動機はシューマンの「交響曲第3番”ライン”」第1楽章の動機とよく似ています 全楽章を聴いた感じでは,オーボエ,クラリネット,フルート,ファゴットといった木管楽器群,ホルンをはじめとする金管楽器が冴えており,何よりも弦楽器群が,もともとドイツの指揮者により培われた”ドイツもの”を得意とするN響の歴史と伝統を感じさせる重厚感のある演奏を展開していました
プログラム後半は,ブラームス「交響曲第2番ニ長調」です この曲は1877年の夏,オーストリアの保養地ペルチャッハで作曲されました.どうやらブラームスの名曲の誕生は「夏」と「保養地」と切り離せないようです
この曲は第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」,第2楽章「アダージョ・ノン・トロッポ」,第3楽章「アレグレット・グラチオーソ」,第4楽章「アレグロ・コン・スピーリト」の4楽章から成ります 私は低弦から始まるこの曲が大好きです.この曲のことを,後の人がベートーヴェンの第6交響曲『田園』に倣ってブラームスの『田園交響曲』と呼びましたが,第1楽章の冒頭部分を聴いただけでもその雰囲気が十分伝わってきます この曲でも木管楽器群が大活躍で,金管もホルンを中心に素晴らしい演奏を展開します 第4楽章のフィナーレでは,エッシェンバッハがオケを煽り立て,N響はそれに応えるべく熱演を繰り広げました
会場いっぱいの拍手とブラボーにカーテンコールが繰り返されましたが,N響メンバーからも拍手を受け,エッシェンバッハの嬉しそうな顔が印象的でした 今回がN響との初共演とのことですが,相性はピッタリです.N響はまた呼ぶかもしれません
ところで,エッシャンバッハのブラームスと言えば,確かCDで持っていたな,と思ってCD棚を探してみたら,ありました ヴァージン・クラシック・レーベルから1997年(今から20年前)にリリースされた4枚組CDで,エッシェンバッハがヒューストン交響楽団を振ったブラームス「交響曲第1番~第4番」「大学祝典序曲」「ハイドンの主題による変奏曲」「アルト・ラプソディ」「悲劇的序曲」を収録しています 当時エッシェンバッハは同オケの音楽監督だったと思います ジャケット表紙に「1897-1997 ブラームス」とあるので,ブラームス没後100年を記念して発売したCDでしょう このCDは池袋にあったヴァージン・レコードが閉店する時に閉店セールで買ったのだと思います それからさらに20年の歳月が流れたわけです エッシェンバッハも 聴いているわれわれも 歳を取るわけです