人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「ハリー・ポッター」のダニエル・ラドクリフ主演「スイス・アーミー・マン」を観る / 「ジェフリー・ディーヴァー著「ゴースト・スナイパー(上・下)」を読む

2018年04月20日 08時00分31秒 | 日記

20日(金)。昨夜、元の職場の同僚S氏とE氏と3人で、現役時代の行きつけの店、西新橋のK亭で飲みました 同じメンバーでの飲み会は2月9日以来です。よもやま話に花が咲きましたが、今回はE氏が身近な人を相次いで亡くし、そろそろ終活を考えなければならないな、と嘆息していたのが気になりました それでも、いつものように新橋駅近くのE氏行きつけの店Sに行き2次会をやって10時ごろ引き上げました 飲むと疲れます。今朝も頭が朦朧としています

という訳で、わが家に来てから今日で1296日目を迎え、テレビ朝日が19日、財務省の福田淳一事務次官を取材した女性社員がセクハラの被害を受けたとして同省に抗議文を提出したが、本人はなお否定している という記事を見て感想を述べるモコタロです

 

     

                福田氏は自分が所属する財務省は あくまで罪無省だ と勘違いしているんじゃね?

 

        

 

昨日、夕食に「鶏ささみの野菜たっぷり照り焼き」「生野菜サラダ」「マグロの山掛け」を作りました 「鶏ささみ~」は初挑戦ですが、当ブログの読者reilaさんからコメント欄にいただいたアドヴァイスにより、ササミの筋をフォークを使って何とかきれいに取り除くことができて、初めてにしては美味しく出来ました reilaさん、ありがとうございました

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でダニエル・シャイナート&ダニエル・クワン監督による2016年アメリカ映画「スイス・アーミー・マン」(97分)を観ました

遭難して無人島に漂着した青年ハンク(ポール・ダノ)は、誰も助けに来ないことに絶望して命を断とうとした時、波打ち際に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が打ち上げられているのを発見する   死体からはガスが出ており、浮力があることに気が付いたハンクは、意を決して死体にまたがり死体からのガスの噴出力で無人島を脱出することを試みる ところが、途中でまたしても海に投げ出されてしまい、今後は別の無人島の砂浜で目が覚める 一人寂しいハンクは死体に声をかけると思いがけなく返事が返ってきて、死体は自らをメニーと名乗った。メニーは生前の記憶を無くしていたためハンクは様々なことを教えてあげる。実はハンクには片思いの女性がいて、どうしても会いたかった 熊に襲われるという絶体絶命の危機に瀕しながらもメニーの力で脱出し、二人はハンクの故郷を目指す

 

     

 

97分のストーリーのうち、ほぼ90%は登場人物がハンクと死体の2人(?)だけです。よくも飽きさせずに終盤まで引っ張ったものだと感心します タイトルの「スイス・アーミー・マン」についてですが、「アーミー・ナイフ」は軍隊向けの、缶切り、栓抜き、ハサミ、やすり、ドライバーなどが折り畳まれた多機能ナイフのことですが、この映画では死体のメニーが口から飲料水を出したり、ガスを発射してジェットスキー代わりになったりと、ハンクのために多方面で役に立つ人間(死体だけど)だからという意味で「アーミー・マン」なのです

それにしても、と思うのは、同じ「ハリー・ポッター・シリーズ」で主役級を務めた役者でも、片やハーマイオニーを演じたエマ・ワトソンが ディズニーの「美女と野獣」で美しきヒロインを演じたのに対して、ヒーローのハリーポッターを演じたダニエル・ラドクリフが死体役ですから、この落差は何なんだろうか、と思わざるを得ません

 

         

 

ジェフリー・ディーヴァー著「ゴースト・スナイパー(上・下)」(文春文庫)を読み終わりました ジェフリー・ディーヴァーの作品は文庫化されるたびに このブログでご紹介してきましたが、念のために略歴をご紹介しておきます。1950年シカゴ生まれ。ミズーリ大学でジャーナリズムを専攻し、雑誌記者、弁護士を経て40歳で小説家となる   ”科学捜査の天才”リンカーン・ライム・シリーズや”人間ウソ発見器”キャサリン・ダンス・シリーズなど多くの作品が世界中で愛読されています

 

     

 

バハマで反米活動家のロバート・モレノが殺害された 2キロも離れた超長距離狙撃による暗殺だった。その直後、リンカーン・ライムのもとに地方検事補ローレルが訪ねてきた。彼女によると、その暗殺は米国政府諜報機関NIOSの仕業でありテロリストとして射殺されたモレノは無実だったという ニューヨークからかなり離れたバハマでの事件、しかも物的証拠がほとんど残されていない中で、現地の警察の若き巡査部長ポワティエの電話連絡による協力を得て、ライムとアメリア・サックスたちは捜査を開始する

 

     

 

殺人現場は汚染され、証人が次々と殺されていく中で、現地の警察が思うように動いてくれないことにしびれを切らしたライムは、車椅子ともどもバハマの現場に乗り込むことを決意し現地に赴く ポワティエ巡査部長の全面的な協力を取り付けたライムは身の危険を冒して真犯人に迫っていく そして、実は犯人の真の標的はモレノではなく、すぐそばにいた人物だったことを突き止める

この作品の一番のポイントは、2キロも先の特定の人間だけを射殺することが可能なのかどうか、ということです この問題は、現地の警察により回収された弾丸と、それがどういう軌道(弾道)を画いてモレノに命中したのかという推理によって解決されます。推理の決め手は弾丸のスピードと角度です

いつもの通り、どんでん返しの連続で読む手が止まりません。お薦めします

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芸劇ブランチコンサート第13回「やっぱりモーツアルトが好き!」を聴く~竹山愛の「フルート四重奏曲」、荒井英治の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ほか

2018年04月19日 08時00分24秒 | 日記

19日(木)。わが家に来てから今日で1296日目を迎え、財務省の福田淳一事務次官が女性記者にセクハラ発言をしたと週刊新潮が報じたことを受けて辞任へ、一方 新潟県の米山隆一知事が女性問題で週刊文春から取材されたことを受けて辞職へ というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       それじゃあ「森友問題」と「加計問題」のトドメは 収監慎重? 習慣分瞬?

 

         

 

昨日、夕食に「鶏のトマト煮」「生野菜と生ハムのサラダ」「豚汁」を作りました 息子が地方勤務で山形県T市に赴任しているので、どうしても娘のリクエストが中心になり、大好物の「鶏のトマト煮」になりました

 

     

 

          

 

昨日、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで、芸劇ブランチコンサート第13回「やっぱりモーツアルトが好き!」を聴きました プログラムはモーツアルトの①ピアノ・ソナタ第11番”トルコ行進曲付き”K.331より第1楽章、②ヴァイオリン・ソナタ ホ短調K.304より第2楽章、③フルート四重奏曲ニ長調K.285、④ディヴェルティメント ニ長調K.136より第1楽章、⑤アイネ・クライネ・ナハトムジーク ト長調K.525です 演奏は、ヴァイオリン=荒井英治(元・東京フィル コンマス)、大江馨、ヴィオラ=佐々木亮(N響首席)、チェロ=佐藤晴真、コントラバス=西山真二(N響首席代行)、フルート=竹山愛(東京シティ・フィル首席)、ピアノ=清水和音です

 

     

 

今回と次回は2階センター最前列の理想的な席です この席はなかなか取れません。自席から見る限り1階、2階とも満席近い状況です。2,200円の低料金の効果でしょうか

ピアノの清水和音氏が登場し、モーツアルト「ピアノ・ソナタ第11番イ長調”トルコ行進曲付き”K.331」から第1楽章を演奏します 弾き終わるとマイクを持って挨拶します

「皆さん、おはようございます。今回からMCを務めることになりました。きっと上手くいかないと思いますので、よろしくお願いします」(そんなこと言っていいのかよ)

一昨年は八塩圭子さん、昨年は加羽沢美濃さんがMCを務めてきましたが、60分のコンサートにMCを付けるのは(出演料が)もったいない、という判断が働いたのでしょうね、きっと

「最初にお聴きいただいたモーツアルトのピアノ・ソナタ、本当は全曲弾きたいのですが、ステージマネージャーと相談して時間の関係で第1楽章だけということになりました いつもこういう葛藤があります。次に大江君がヴァイオリン・ソナタを弾きますが、本当は全曲弾きたいのだと思いますが、これも第2楽章だけとなりました 第1楽章もすごくいい曲なので、ほんの数小節だけ演奏して 続けて第2楽章を弾いてもらうことにします   あっそうそう、譜めくりの手配を忘れてしまったので、フルートの竹山愛さんにお願いしたいと思います」(えっ 竹山愛さんが譜めくりだって 何とも贅沢な豪華共演 竹山さん、時間外手当を要求した方がいいですよ

という訳で、1994年生まれの第82回日本音楽コンクール優勝者・大江馨君のヴァイオリンと清水和音氏のピアノにより「ヴァイオリン・ソナタK.304」から第1楽章の一部と第2楽章が演奏されました この曲は1778年(モーツアルト22歳の時)に作曲されましたが、ヴァイオリン・ソナタの中で唯一の短調作品です 大江君の演奏はやや線が細いと感じましたが、短調特有の憂いに満ちた演奏が素晴らしかったです

清水氏から「次の曲でチェロを演奏する佐藤君は若手の優秀な人ですが、今日ここに来る途中、山手線の電車にステージ衣装を忘れてきてしまったということで 普段着で演奏します   いっそのこと、全員が普段着で出ようかと相談しましたが ”一人だけ目立っていなさい”ということで 止めることにしました   おかしな格好の演奏者が一人混じっていると思わないようにしてください」と紹介され、今年2月にルトスワフスキ国際チェロ・コンクールで優勝したばかりの佐藤晴真君が普段着で登場しました   スーツ姿の大江君とヴィオラの佐々木氏とともに、譜めくり労働から解放された竹山愛さんがピンクの鮮やかな衣装で登場し、さっそく「フルート四重奏曲ニ長調K.285」の演奏に入ります

この曲は1777年(モーツアルト21歳の時)にマンハイム・パリへの旅行中に作曲されました モーツアルトは父親レオポルトへの手紙でフルートが我慢ならないと書いていますが、おそらく当時はフルートの音程が不安定だったからだと思われます 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「ロンド」の3楽章から成ります

竹山愛さんのフルートを中心に第1楽章が進みますが、躍動感にあふれた素晴らしい演奏です 第2楽章では弦のピッツィカートに乗せてフルートが美しいメロディーを奏でるところは抒情的で好きです そして第2楽章から第3楽章に移るところは、憂いに満ちた顔をしていた人が、急に破顔一笑したかのような曲想で、その落差が何とも言えない魅力です 「みんながいつまでも泣いている時に、モーツアルトはもう笑っている」という感じです

 

     

 

清水氏が今回初登場の荒井英治氏を迎えて紹介します 荒井氏は26年にわたり東京フィルのコンサートマスターを務めたヴァイオリニストで、私も何度も演奏を聴きました。コンマスを降りた時はショックでした

清水「荒井さんは大好きなヴァイオリニストです。怒っている時でもニコニコしていて

荒井「そんなことありませんよ

清水「どうです、モーツアルトを演奏するのは難しいですか?」

荒井「難しいですね 聴いている方は簡単だと思われるかも知れませんが、演奏する方は、ちょっとしたことでもほころびが目立つので怖いです

清水「そうですか。ヴァイオリンと違ってピアノは簡単ですよ。一度出した音は消えませんからね

荒井「そうでもないでしょう。やっぱり難しいと思いますよ 同じ曲でもピアニストによって随分違う印象を受けますから

という会話があって、荒井、大江、佐々木、普段着の佐藤、西山の5人のメンバーにより「ディヴェルティメント ニ長調K.136」から第1楽章が演奏されました この曲は1772年(モーツアルト16歳の時)に作曲されました。モーツアルトの作品の中でも特別に爽快で清々しい曲です この曲を聴くと いつも思い出す詩があります。どこの誰が作ったのか分かりませんが、こういう詩です

  誰が風を見たろうか

  誰も風など見ていない

  けれど小枝をそよがせて

  風は通り過ぎていく

うろ覚えなので、一字一句この通りかどうか分かりません

風は人の目には見えない。しかし、小枝がそよいでいるのを見ると、風が吹いていることが分かる

この詩を初めて見た時に思ったのは、「モーツアルトの音楽は風だ」ということです モーツアルトの音楽は目に見えない。しかし、人の心に特別の感情を呼び起こして消えていく

5人の演奏は、そんなことを思い起こさせました

この日最後の演奏は、嫌になるほど有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジークK.525」です この曲は1787年(モーツアルト31歳の時)に作曲されました。日本語では「ひとつの小さな夜曲」です 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「ロマンツェ:アンダンテ」、第3楽章「メヌエット:アレグレット」、第4楽章「ロンド:アレグロ」の4楽章から成ります 

5人の演奏は 非常に優雅で上品な演奏でした

そういえば、私が好きな作家の一人、伊坂幸太郎が「アイネクライネナハトムジーク」という小説を書いていました このブログでもご紹介しましたね ほとんど音楽とは関係のないストーリー展開が伊坂幸太郎らしいと思ったものです

 

     

 

コンサート終了後、「次回以降のコンサート・チケットの前売りを行う」というアナウンスがあったので、拍手もそこそこに、販売デスクにすっ飛んで行って6番目くらいに並んで、2階最前列の席を押さえました 次回8月公演のチケットは持っているので、10月、12月、2月の3公演です 一般発売は明日の20日開始とのことです 10月はブラームス「ホルン三重奏曲」、12月はメンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第1番」、来年2月はブラームス「クラリネット三重奏曲」があるので、いずれも今から楽しみです

 

     

     

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METライブビューイングでロッシーニ「セミラーミデ」を観る~超絶技巧によるベルカント・オペラを堪能~強力な歌手陣が揃って25年ぶりのMET上演

2018年04月18日 08時08分33秒 | 日記

18日(水)。わが家に来てから今日で1295日目を迎え、安倍首相が17日、政府内で相次ぐ疑惑や不祥事を受け「信なくば立たず。行政のトップである私が責任を持って全容を解明し、うみを出し切る決意だ」と述べた いうニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

              「ウソなければ立つ」うみを出し切らねばならないのは誰か 自覚すべきじゃね?

 

        

 

昨日の夕食はすき焼きにしました 昨日は寒かったので、熱燗にしましたが、すき焼きには日本酒ですね

 

     

 

        

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ロッシーニ「セミラーミデ」を観ました これは今年3月10日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です 出演は、バビロニア女王 セミラーミデ=アンジェラ・ミード、バールの王族 アッスール=イルダール・アブドラザコフ、若き軍人 アルサ―チェ=エリザベス・ドゥショング、インドの王 イドレーノ=ハヴィエル・カマレナ、管弦楽=メトロポリタン歌劇場管弦楽団、指揮=マウリツィオ・ベニーニ、演出=ジョン・コプリ―です

 

     

 

15年前にバールの王族 アッスールと結託して 夫ニーノ王を毒殺した女王セミラーミデが バビロニアの神殿で王位継承者を指名しようとしている    アッスールとインド王のイドレーノが、「行方不明になった王子の婚約者だったアゼーマと結婚し王位を継ぐのは自分だ」と主張し合う   女王が王位継承者を告げようとすると突然雷鳴が轟き、神殿の聖火が一斉に消える。人々が恐怖におののいて去った後、女王の命令により戦場に赴いていた若き軍人アルサ―チェが帰ってくる   高僧オーロエだけが 彼がセミラーミデと前王の息子 二ニアであることを知っている   アルサ―チェのところに女王がやってきて、彼が行方不明の息子であるとは知らずに「アルサ―チェこそ自分の夫となり王位継承者となる」と宣言すると、石棺から前王の亡霊が現われ、「自分を殺した者たちに復讐を」と語る。女王は亡霊に許しを乞い、アルサ―チェは復讐を誓う(以上、第1幕)

セミラーミデとアッスールが王位継承をめぐって激しく言い争い 決裂する。アルサ―チェはオーロエから、自分の出自と、父を毒殺したのが母の女王セミラーミデとアッスールであると聞き愕然とする 女王と対面した彼は、自分はアルサ―チェではなく二ニアであることを告げ、アッスールに復讐するため墓所に向かい、女王も後を追う。一方、アッスールには王の亡霊が見え、一時狂乱状態に陥るが、我に返って墓所に向かう 真っ暗な墓所でアルサ―チェ(二ニア)が剣を振り下ろすと 人が倒れるが、それは母セミラーミデだった アッスールは捕らえられ、オーロエが、二ニアが王位を継承することを宣言し、民衆が祝福して幕を閉じる(以上、第2幕)

 

     

 

イタリア・オペラを得意とするマウリツィオ・ベニーニの指揮により序曲が開始されますが、タイトルロールが死ぬオペラにも関わらず、軽快そのもので まるで喜劇の序曲ような曲想です ロッシーニ・クレッシェンドも聴かれます

この作品は25年ぶりのMET上演とのことですが、これほど長く間が空いたのは、超絶技巧のベルカント歌手を5人揃えることが困難だったからです 今回出演したキャストで聴くと、やっと5人が揃ったんだな、と理解できます

タイトルロールのセミラーミデを歌ったアンジェラ・ミードはアメリカ期待の新星ですが、恵まれた体格を生かして強靭なソプラノで歌い上げる超絶技巧ベルカントは、聴衆を圧倒します

若き軍人アルサ―チェを歌ったエリザベス・ドゥショングはアメリカ生まれのコロラトゥーラ・メゾの新星ですが、小柄な身体から良くもあんな力強い声で超絶技巧曲が歌えるものだと驚くことしきりです

バールの王族アッスールを歌ったイルダール・アブドラザコフは、旧ソ連のバシコルトスタン共和国生まれですが、15日の東京春祭のロッシーニ「スターバト・マーテル」で聴いたばかりです 深みのあるバスバリトンで、迫真の演技力を見せます 黒澤明監督の映画で侍を演じる三船敏郎のような面構えで、目の鋭さが印象的な歌手です

インドの王イドレーノを歌ったハヴィエル・カマレナはメキシコ生まれのテノールですが、驚異的なコントロールによる軽やかな超絶技巧ベルカントは、ファン・ディエゴ・フローレスを彷彿とさせます 彼らの最高音は驚異的です

イギリス出身のジョン・コプリ―による演出は、奇をてらわないオーソドックスなもので好感が持てます

「セミラーミデ」は20日(金)まで都内では新宿ピカデリー、東劇ほかで上映中ですが、休憩・歌手へのインタビュー等を含めた合計上映時間は3時間48分です 第1幕が約110分、第2幕が約78分と、第1幕だけで1回分のコンサートが終わるくらい長いので、映画が始まる前に大量の飲料を取らない方がよいと思います

 

     

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スピルバーグ監督「ペンタゴン・ペーパーズ」を観る~経営よりも報道の自由を選択したワシントン・ポストの女性社主の決断の物語 / プッチーニ「三部作」、「バーンスタインのアメリカ」のチケットを取る

2018年04月17日 08時14分47秒 | 日記

17日(火)。昨夕、内幸町の日本記者クラブのレストランで「K氏と語る会」があり、出席しました K氏は新聞関係団体で総務部長、欧米駐在代表、欧州駐在代表などを歴任された国際派の大先輩で、私にとっては入職後 最初の直属の上司です   K氏は現在ロンドン在住のため、昨年12月5日と同様、来日したのを機に OBのU氏が呼びかけ人となって、K氏のかつての部下に声をかけたものです  

参加したのは、K氏、U氏のほか、先輩のSW氏、HN氏、MK氏、SH氏、AY君、女性OBのKAさん、現役女性のOAさんと私の10人です 全員が揃う前に、私が「ペンタゴン・ペーパーズ」を観てきたという話をしたことから、その話題になり、同じ映画を観たK氏、HN氏、SW氏と私の間で感想を述べ合いました。その内容はこのブログの最後でご紹介します 

個々人の近況報告では、この日のゲストK氏と先日ゴルフをやったというU氏、犬を散歩させて毎日を規則正しく生活しているSH氏、2020年の東京オリンピックを控え いつも通っている競技場のトレーニングセンターが閉鎖され 別の体育館に通っているSW氏、考え事をしながら歩ける道が日本にはないと嘆くHN氏、家族のためにまだ現役で働いているというMK氏、中学二年生を抱えて主婦業をしているが たまには刺激が欲しいというKAさん、トップが変わり職場環境が改善したと語る現役のOAさん、ビル管理の仕事に専念するAY君と話が続き、私からは5つの目標(コンサート、映画鑑賞、読書、ブログ、料理)の現況について話しました 肝心のK氏は現在一人で住むロンドンの家を売り払って日本に戻るか、英国に住み続けるか 今年中に決断したいと話されていました

予定では2時間程度を見込んでいたと思いますが、話が尽きず、結局解散したのは3時間後でした。楽しい時間は短く感じるものです Uさん、AY君をはじめ、ご参加のみなさん 楽しい時間をありがとうございました また今度、K氏が来日する際に再会できれば嬉しいです

ということで、わが家に来てから今日で1294日目を迎え、トランプ米大統領から解任された連邦捜査局(FBI)のコミー前長官が 回顧録の出版を前に米ABCテレビのインタビューに応じ、トランプ氏を「常に大小のあらゆるウソをつく。マフィアのボスのようだ。道徳的に大統領に向かない」と痛烈に批判した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      トランプ大統領から解雇された人が 次々と懐古的になって 回顧録を書くようだ

     

         

 

昨日、夕食に「豚もやし炒めのおろしポン酢かけ」と「大根の葉のお浸し」を作りました 大根の葉は、捨てるのがもったいないですからね

 

     

 

         

 

コンサートのチケットを2枚取りました 1枚目は9月7日(金)午後2時から初台の新国立劇場「オペラパレス」で開かれる東京二期会公演「プッチーニ『三部作』」公演です 「三部作」とはジャコモ・プッチーニが作曲した「外套」「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」のことです 私はこのうち「ジャンニ・スキッキ」しか観たことがないので、今回はいいチャンスだと思ってチケットを取りました 公演は9月6日(木)、7日(金)、8日(土)、9日(日)の4回あり、ダブルキャストでの上演となっています 日程はコンサートの予定が入っていない7日を選びましたが、この日は平日マチネスペシャル料金ということで、他の公演よりも安く設定されているのでラッキーです

 

     

 

もう1枚は、10月11日(木)午後7時から東京藝大奏楽堂で開かれる 東京藝術大学の藝大プロジェクト「バーンスタインのアメリカ」の第3回公演です このプロジェクトは第1回「バーンスタインへの道」、第2回「ピアニスト・バーンスタイン」、第3回「作曲家・バーンスタイン」の3回構成になっていますが、残念ながら第1回と第2回は別のコンサートの予定が入っているので行けません 入場料はいずれも全自由席で@2,000円ですが、2回セレクト券が3,000円、3回セレクト券が4,500円と格安になっています

 

     

 

     

 

         

 

昨日、新宿ピカデリーで「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」を観ました これはスティーヴン・スピルバーグ監督による2017年アメリカ映画(116分)です

時はリチャード・ニクソン大統領政権下の1971年。ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていた。国防総省(ペンタゴン)はベトナム戦争について客観的に調査・分析する文書を作成していたが、戦争の長期化により、それは7000枚にも及ぶ膨大な量に膨れ上がっていた。そこには勝ち目のない戦争を拡大させ多くの若者たちを戦場に送り続けてきた歴代大統領の政策も含まれていた ある日、その最高機密文書(通称『ペンタゴン・ペーパーズ』)の内容の一部を、執筆者の一人ダニエル・エルズバーグからニューヨーク・タイムズ紙のニール・シーハン記者が入手しスクープしたことから、政府の欺瞞が明らかになった ライバル紙であるワシントン・ポスト紙は、亡き夫に代わり発行人・社主に就任していたキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)のもと、編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)らが文書の入手に奔走し 何とか入手に成功するが、ニクソン政権は「国家機密の情報漏洩である」として記事を書いたニューヨーク・タイムズの差し止めを要求した 新たに記事を掲載すれば、ワシントン・ポストも同じ目にあうことが危惧された。ちょうどその時、ワシントン・ポストは家族経営から脱却し、株式を公開して外部資本を導入したばかりのタイミングで、記事の掲載を巡り 会社の経営陣とブラッドリーら記者たちの意見が対立、キャサリンは会社の経営を守るか 報道の自由を貫くかの間で困難な判断を強いられる

 

     

 

社主キャサリンはまさに会社としての生き残りをかけて真実の報道を決断したわけですが、ワシントン・ポスト紙の報道に勇気づけられた他の地方紙が 同紙に協調して追いかけ報道し 各紙の1面の見出しが「ペンタゴン・ペーパーズ」で揃ったシーンを観た時は目頭が熱くなりました

スピルバーグ監督が なぜ今「ペンタゴン・ペーパーズ」を製作しようと思ったのかを考えるとき、ツィッターを通して「フェイクニュース」を平気で流す一方で、自分に不利な情報があると「それはフェイクだ」と言って否定するトランプ大統領の存在を抜きには考えられません アメリカ史上初の自分本位の気まぐれ大統領を前にして、報道する側は「何が真実で 何が嘘かを見極めて」国民に報道する責任があります

それは日本においても同じで、最近では 朝日新聞が3月2日に、森友学園との国有地取引の際に財務相が作成した決裁文書の書き換えをスクープした「森友学園問題」にせよ、愛媛県が「首相案件」文書の作成を認めた「加計学園問題」にせよ、最初は「ない」と言っていた資料が後から出てきたり、行政のトップが”お友だち”に有利になるように役人に忖度させて便宜を図ったことに国民のほとんどが気が付いているのに「関与していない」と言い張ったりしている現状の中で、報道する側は今まで以上にファクト(事実)を積み上げ、真実を追求する姿勢が求められています

さて、この映画を観たK氏とHN氏(共にアメリカ駐在代表として米国で数年間勤務していた経験がある)の感想は、次のようなものでした

K氏の感想は「『ペンタゴン・ペーパーズ事件』と言えば、最初にスクープしたニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者のことを思い浮かべる ワシントン・ポストは二番手で追っかけたに過ぎない。ところが、この映画では、シーハンは最初にちょっと登場するだけで、後はワシントン・ポストの話に移ってしまう。確かに株式公開直後というタイミングでの極秘文書の公開の意味は大きいと思うが、当時のことを思い出すと、そこが何ともしっくりこない」というものです

HN氏の感想は「『ワシントン・ポスト』は現在『アマゾン』の経営傘下にある(※2013年に当時のオーナーのドナルド・グラハムから『アマゾン』創業者ジェフ・ベゾスが買収した)。このべゾスはトランプが大統領になる前から批判的な立場を取っており、ポスト紙もそういう論調を展開していた 二人はいわば犬猿の仲だ。そういう背景を考慮すると この映画は、現在のトランプ大統領に対する当てつけに『ワシントン・ポスト』を持ち上げる映画を作らせたように思え、どうも胡散臭いものを感じる 実際、ブラッドリー編集主幹に会ったことがあるが、それほどの人物とは思えなかった」というものです

私としては、株式公開により外部からの取締役が入ってきて 会社存続の立場から記事の掲載を思い止まるよう迫られる中で、”初めての女性新聞経営者”として苦悩の末、報道の自由を守る決断を下す姿を、現在のトランプ大統領の危険性を告発しつつ描いた映画だと思います

あなたはどう思われるでしょうか? 映画をご覧になってから判断してください

さて、この映画は、何者かが真夜中にビルに忍び込んでいるのに気が付いた警備員が 警察に通報するシーンで終わります

このシーンは、もう一つの「ニクソン大統領対ワシントン・ポスト紙」という構図の「ウォーターゲート事件」の始まりを描いています これは 1972年6月17日、首都ワシントンのウォーターゲートビルに入居する民主党全国委員会本部に5人組の男が侵入し 不法侵入で逮捕された事件で、現職の大統領ニクソンが次の大統領選挙で有利になるようにと、ニクソン再選委員会と大統領側近が民主党の本部に盗聴装置を仕掛ける計画に関与していたというものです   さらにニクソン大統領自身が 事件のもみ消し工作を行った との疑惑まで浮上してきたことから、大統領と議会との対立が深まりましたが、最高裁判所が証拠提出要求を支持する判決を下し、下院司法委員会が大統領の弾劾を可決するに至ったため、ついにニクソンは1974年8月9日に米国史上初めて、現職大統領として辞任します

この事件では、ワシントン・ポスト紙のカール・バーンスタイン、ボブ・ウッドワード 両記者が、ニュースソース(「ディープ・スロート」)からの情報提供などにより調査報道を展開し、編集主幹のブラッドリーの後押しを受けて真実の報道を貫きました

この事件は、当事者となったワシントン・ポスト紙の二人の記者が書いた「大統領の陰謀  ニクソンを追いつめた300日」を基に、1976年4月にアラン・J・パクラ監督により「大統領の陰謀」として映画化され、カール・バーンスタインをダスティン・ホフマンが、ボブ・ウッドワードをロバート・レッドフォードが演じ、第49回アカデミー賞の4部門で受賞しています

「ペンタゴン・ペーパーズ事件」と「ウォーターゲート事件」を通して、国家権力を相手に報道の自由を貫き通したワシントン・ポスト紙の闘いから得られる教訓は、報道する側は「第一線で取材する記者を 上層部が ひいては最高経営責任者が 最後まで守る覚悟を決め、事実の裏にある真実を報道する」ということです 事実はいくつかあっても、真実は一つしかないのです

蛇足ですが、この事件の真っ最中の1973年の秋、私は新聞関係団体の入職試験を受けましたが、その時の英文和訳の問題でこの「ウォーターゲート事件」が出題されました 答案の採点をしたのは、このブログのトップに登場するK氏でした。幸運にも一人だけ合格し 翌74年4月に入職しましたが、K氏から「あの問題で大統領の弾劾(impeachment)が訳せたのは君だけだったんだよ」と言われました。ただし、私は「劾」が漢字で書けなくて「弾がい」と書いた記憶があります 今は昔、忘却の彼方の出来事です

メリル・ストリープとトム・ハンクスによる迫真の演技を観て、そして 同じ映画を観たK氏やHN氏の感想を聞いて、そんな いろいろなことを思い出したり 考えたりしました

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「東京春祭 合唱の芸術シリーズvol.5 ロッシーニ『スターバト・マーテル』」を聴く~スカップッチ指揮東京都交響楽団 / アカデミー賞受賞作「アマデウス」のミロス・フォアマン監督逝く

2018年04月16日 07時46分49秒 | 日記

16日(月)。新聞各紙によると、モーツアルトを巡る相克を描き、アカデミー作品賞を獲得した「アマデウス」(1984年)などで、アカデミー監督賞を2度受賞した米映画監督ミロス・フォアマン氏が14日、86年の生涯を閉じました

「アマデウス」は言うまでもなくウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの名前の一部を借りた標題ですが、ピーター・シェーファーの原作・脚本をミロス・フォアマンが監督した作品(158分)です 物語は モーツアルトと同時代に活躍した作曲家アントニオ・サリエリが「モーツアルトを殺したのは私だ」と告白するところから始まりますが、天才モーツアルトと、彼が天才であることを理解することしかできない凡人サリエリの相克を描いています

この作品ではモーツアルトの作品が数多く流れますが、曲の使用法で忘れられないシーンが2つあります 一つは、映画の冒頭で サリエリが「モーツアルトを殺した」と告白する場面で流れる「交響曲第25番ト短調」の第1楽章冒頭の衝撃的なシンコペーションです 

もう一つは、広間でモーツアルトとコンスタンツェがいちゃついているところを陰で見ていたサリエリの耳に、隣室で演奏する「グラン・パルティータ」の第3楽章「アダージョ」が聴こえてくるシーンです この音楽を聴いて サリエリは「目の前でいちゃついている破廉恥でふざけた小僧が、こんなに美しい音楽を書いたのか モーツアルトの才能は神の寵愛を受けている唯一最高のものだ それに引き換え、自分は神に人生を捧げたのに作曲家としては凡庸な人間に過ぎない」と悟ります モーツアルトの天才性を表すのにこれほど相応しい音楽もないでしょう 実に巧みな選曲だと思います

慎んでミロス・フォアマンさんのご冥福をお祈りいたします

ということで、わが家に来てから今日で1293日目を迎え、トランプ米政権が13日、シリアでアサド政権が化学兵器を使用したと断定し 報復として米軍が英仏との共同作戦で ダマスカスなどの化学兵器関連施設3拠点をミサイル攻撃し 破壊したと発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       イラクの時みたいに実はウソでしたなんてないよね? それは ダマすカスの論理だ

     

          

 

昨日、上野の東京文化会館大ホールで、「東京春祭 合唱の芸術シリーズvol.5、ロッシーニ『スターバト・マーテル』」公演を聴きました プログラムは①モーツアルト「交響曲第25番ト短調K.183」、②ロッシーニ「スターバト・マーテル」です ②のソプラノ独唱=エヴァ・メイ、メゾ・ソプラノ=マリアンナ・ピッツォラート、テノール=マルコ・チャポー二、バス=イルダール・アブドラザコフ、管弦楽=東京都交響楽団、合唱=東京オペラシンガーズ、指揮=スペランツァ・スカップッチです

 

     

 

自席は1階4列24番、センターブロック右通路側です。この公演が今年の東京春祭最後のコンサートとあってか、会場は満席近い状況です

オケのメンバーが配置に着きます。弦の並びはいつもの都響と同じで、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという編成です コンマスは山本知重氏、第2ヴァイオリン首席にはエンカナ(遠藤香奈子)さんがスタンバイしています

拍手の中、髪を後ろで束ねたスペランツァ・スカップッチが登場、指揮台に上がります スカップッチはイタリア生まれの女性指揮者で、ジュリアード音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院を卒業、「椿姫」「チェネレントラ」でウィーン国立歌劇場にデビューしました。東京春祭には昨年に次いで2回目の登場です

1曲目はモーツアルト(1756-1791)の「交響曲第25番ト短調K.183」です この曲はモーツアルトが17歳の時 1773年にザルツブルクで作曲されました モーツアルトはケッヘル番号が付いている作品だけでも41の交響曲を書いていますが、短調の作品はこの「第25番ト短調K.183」と「第40番ト短調K.550」の2曲だけです ほの暗い情熱を秘めたこの2曲だけでもモーツアルトの名前は後世に残ったことでしょう この曲は第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「メヌエット」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります

スカップッチの指揮で第1楽章が開始されますが、冒頭のシンコペーションを聴いて、映画「アマデウス」の冒頭場面を思い浮かべました 全曲を通して、オーボエ首席の広田智之の演奏が冴えわたっていました オーケストラの要はオーボエとホルンと言われるようですが、都響には広田あり、といったところでしょうか

 

     

 

休憩後のプログラム後半は没後150年を迎えたロッシーニの「スターバト・マーテル 聖母マリアの7つの悲しみ」です 私がこの曲を聴くのは今年1月26日にトリフォニーホールで ジェームズ・ジャッド+新日本フィルの演奏で聴いて以来、今回が2度目です

ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1868)は、名作「セヴィリアの理髪師」をはじめとする数々のオペラや管弦楽曲を作曲し、1829年(37歳の時)に最後のオペラとなる「ギョーム・テル(ウィリアム・テル)」を書き終えると、あとは数少ない教会音楽や歌曲、器楽曲などを作曲するにとどまり、後世に「美食家」として名を残すような羨ましい余生を送りました この「スターバト・マーテル」はそんな時期に書かれました。「スターバト・マーテル」というのは、イエス・キリストの母であるマリアに心を寄せ、愛する子(=キリスト)が磔になった際の悲しみを伝えた聖歌で、13世紀に生まれたと伝えられています

この曲は第1曲「導入唱 悲しみの御母は立ち尽くし」、第2曲「アリア 嘆きのその御魂は」、第3曲「二重唱 涙を流さぬ者などいるだろうか」、第4曲「アリア 人々の罪のため」、第5曲「合唱とレチタティーボ ああ御母よ、愛の泉よ」、第6曲「四重唱 聖母よ、願わくは」、第7曲「カヴァティーナ キリストの死を負わせてください」、第8曲「アリアと合唱 業火と火炎の中で」、第9曲「四重唱 身体が朽ちるときも」、第10曲「終曲 アーメン」から成ります

東京オペラシンガーズの男女混声合唱約90名がステージ奥にスタンバイし、オケのメンバーが再入場します。そして指揮者とソリスト4人が入場し、ソリストはオケの手前にスタンバイします スカップッチの指揮で第1曲「導入唱 悲しみの御母は立ち尽くし」が低弦の重々しい演奏から開始されます スカップッチは”間”をたっぷりと取りながら演奏を進めます。そして4人のソリストが代わる代わる歌いますが、ここではエヴァ・メイの声が良く通ります 彼女はフィレンツェのルイージ・ケルビ―二音楽院を卒業し、ミラノ・スカラ座やザルツブルク音楽祭などで活躍しているソプラノですが、第8曲「アリアと合唱」でもドラマティックな歌唱で聴衆を惹きつけました

第2曲「アリア」はイタリア出身のテノール、マルコ・チャポー二がソロを歌いますが、まるでオペラのアリアを聴いているような気分になります この曲では、テノールの最高音を披露しましたが、1月の新日本フィルで聴いた時の宮里直樹の迫力満点のテノールを思い出しました。どっちもすごいと思いました

第3曲はソプラノとメゾ・ソプラノの二重唱ですが、エヴァ・メイとマリアンナ・ピッツォラートのデュエットが、まるでオペラのアンサンブルのように美しく響きました マリアンナ・ピッツォラートは、第7曲のカヴァティーナでも、恵まれた身体を生かして深みのあるメゾ・ソプラノを聴かせてくれました

第4曲「アリア」はMETライブビューイングでもお馴染みのバス=イルダール・アブドラザコフの独唱でしたが、深みのある歌声で説得力がありました 彼は旧ソ連のバシコルトスタン共和国生まれで、2000年のマリア・カラス国際声楽コンクールで優勝し、翌年ミラノ・スカラ座にデビューを果たしています

第9曲「四重唱」の冒頭はオケの伴奏なしのアカペラで歌われましたが、この無伴奏のアンサンブルが見事でした

第5曲「合唱とレチタティーボ」と第10曲「アーメン」における東京オペラシンガーズの迫力ある合唱は特筆に値します

スカップッチ+東京都交響楽団は、先を急ぐことなく、十分に間を取りつつ歌手と合唱団に寄り添いながら じっくりと曲を進め、ロッシーニの宗教曲をドラマティックに歌い上げました

会場いっぱいの拍手とブラボーにカーテンコールが繰り返されましたが、この日の演奏は「東京・春・音楽祭2018」を締めくくるのに相応しい心に残るコンサートでした


     

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ジョナサン・ノット+東京交響楽団でマーラー「交響曲第10番」からアダージョ、ブルックナー「交響曲第9番ニ短調」を聴く / 佐藤正午の小説が出来るまでの秘密

2018年04月15日 08時01分02秒 | 日記

15日(日)。昨日の朝日朝刊別刷り「be」の見開き連載記事「みちものがたり」が「佐世保でしか会えぬ小説家 『正午派の道(長崎県)』という見出しで、小説巧者と言われる佐藤正午氏を取り上げていました

記事を読んで面白いと思ったのは、直木賞受賞作「月の満ち欠け」の舞台は東京になっているのに、本人が東京を最後に訪れたのは四半世紀も前だと公言していることです 記事には次のように書かれています

「行ったこともない場所を描けるのは手足となる編集者がいるからだ 『月の満ち欠け』では、岩波書店の坂本政謙さん(53)がその役割を担った。佐藤さんからの注文は、『東京駅周辺の隠れ家風の喫茶店』。『トラヤ』を見つけるのに、3日ほど歩き回った その後も新幹線のホームから改札を通ってカフェに向かう道筋はすべてスマホのカメラで連写し、メニューやウェーターの制服、調度品なども撮影して送った 『面倒?まったく。楽しかったですよ。調べたことをちゃんと小説に生かしてもらえるんですから』」

佐藤正午の小説が出来るまでのプロセスの一端が良く分かると同時に、彼が小説家として いかに想像力に長けているかが分かります

記事には「佐世保川に架かるアルバカーキ橋に立つ佐藤正午さん」がカメラの方を向いて つまらなそうな顔で立っている写真も掲載されています   写真撮られるの あまり好きじゃないのかな、と思ったりしました

ということで、わが家に来てから今日で1292日目を迎え、中国の習近平国家主席は生活インフラの整備が遅れた農村部を念頭に「トイレ革命」を掲げているが、日本は技術支援や衛生教育で貢献し 日中の協力強化を図る というニュースを見て 白ウサちゃんと切羽詰まった会話をするモコタロです

 

     

      白ウサちゃん 何 もぞもぞしてるの? トイレに行きたいって? 早く行っトイレ

 

         

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ロッシーニ「セミラーミデ」の座席指定を取ってきました 17日(火)午前10時上映開始の部です。今回は最後列の席を取りました

 

     

 

これで3枚セットのムビチケカードが使い切ってしまうので、新たに1セットを購入しました 今シーズンも残すところ下の3作品となったのでちょうど使い切ります 通常1作品3,600円ですが、3枚で9,300円と格安です

①モーツアルト「コジ・ファン・トゥッテ」(5月5日~11日)

②ヴェルディ「ルイザ・ミラー」(5月19日~25日)

③マスネ「サンドリヨン(シンデレラ)」(6月2日~8日)

 

     

 

          

 

昨夕、サントリーホールで東京交響楽団の第659回定期演奏会を聴きました プログラムは①マーラー「交響曲第10番嬰へ長調」からアダージョ、②ブルックナー「交響曲第9番ニ短調」です 指揮は2014年度から東響の第3代音楽監督を務めるジョナサン・ノットです

 

     

 

オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります。言わば「ノット・シフト」です コンマスは今や東響の顔になった感のある水谷晃です ロビーの掲示に出ていたように、この公演はNHKが中継録画するとのことで、ステージ上の10か所以上に収音マイクが林立し、ステージ左袖と2階の左右袖にテレビカメラが構えています

ジョナサン・ノットが指揮台に上がりマーラー(1860-1911)の「交響曲第10番嬰へ長調」から「アダージョ」が演奏されます この日の演奏ではエルヴィン・ラッツが校訂した国際グスタフ・マーラー協会による全集版による楽譜を使用します

「交響曲第10番」は当初、第1楽章「アンダンテ~アダージョ」、第2楽章「スケルツォ」、第3楽章「プルガトリオ」、第4楽章「スケルツォ」、第5楽章「フィナーレ」から成る作品として構想された交響曲の第1楽章に当たる音楽で、マーラーの死によって第2楽章以降は未完に終わりました ベートーヴェンが9つの交響曲を作曲して死去したことから、「大地の歌」を作曲して遠回りしたりして第10番の作曲には慎重になっていたマーラーでしたが、やはり「第9ジンクス」には勝てず、第10番は完成出来ませんでした

この曲は冒頭、ヴィオラによる演奏から神秘的に入ります そして穏やかなアダージョが奏でられますが、終盤でいきなり激しい不協和音が強奏されクライマックスを迎えます ケン・ラッセル監督による1974年のイギリス映画「マーラ―」では、マーラーが夏に滞在して作曲していた南チロル地方のトプラッハの湖畔に建てられた作曲小屋が燃え上がるシーンでこの不協和音が効果的に使われています その当時、妻アルマの不貞が明るみに出たことによって夫婦関係が破たんしつつあったことが、この不協和音に表れているのではないかと思われます

ノットの指揮による東響の演奏は、いつもの通り引き締まった演奏で、現代のマーラーを感じさせます   演奏時間は26分でした

 

     

 

休憩後はブルックナー(1824-1896)の「交響曲第9番ニ短調」です この曲は1893年から1894年までの間に第1楽章から第3楽章まで作曲されましたが、第4楽章は未完に終わりました   この日の演奏は、音楽学者ベンヤミン=グンナー・コールスの校訂による国際ブルックナー協会の新全集版による楽譜を使用しています 第1楽章「おごそかに、神秘的に」、第2楽章「スケルツォ(躍動して、生き生きと)とトリオ(速く)」、第3楽章「アダージョ(ゆっくりと、おごそかに)」の3楽章から成ります

ジョナサン・ノットのテンポは速めであることが予想されたので、その対極にあると思われるセルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルのCD(1995年9月のライブ録音)であらかじめ予習し、記憶を頼りに比較しながら聴くようにしました

 

     

 

その結果、チェリビダッケと今回のノットの演奏時間は下記の通りでした

 

               第1楽章   第2楽章   第3楽章   合 計

チェリビダッケ       32分26秒   13分47秒   30分36秒  76分49秒

ジョナサン・ノット     27分                   10分     26分      63分

 

チェリビダッケがどういう版を使っているかCDの解説では触れていないので不明ですが、プログラムノートによると、ノヴァーク版とコールス版との違いはわずかであるとのことなので、版の問題は考えないことにします それを前提に言えば、各楽章ともノットの方が速めのテンポであることが分かります。言い方を変えればチェリビダッケの方が遅めのテンポであることが分かります これをどのように解釈すれば良いのかが問題になります。他のCDや生演奏を聴いた経験から言えば、現代においてはチェリビダッケの遅めのテンポが異常で、ノットの速めのテンポの方が普通であると言えるのではないかと思います

もちろん、テンポ設定だけを取り上げて演奏の特徴を言っても片手落ちであることは十分理解しているつもりですが、チェリビダッケの遅めのテンポによる演奏は非常に説得力があり感動があることだけは確かです

今回のノットによる演奏で一番印象に残ったのは、第2楽章「スケルツォ」の冒頭における弦楽器による刻みです コンマス以下、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが渾然一体となって一糸乱れず力強い演奏を展開します 「渾身の演奏」というのはこういう演奏を言うのでしょう

また、今回の演奏を聴いて思ったのは、管楽器の誰が良かったとか、特定の奏者が突出していたということではなく、名シェフのもと 演奏集団として まとまって 持てる力を最大限に発揮したコンサートだったということです

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郷古廉(vn)+加藤洋之(p)でベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会Ⅱ」(第4,6,7,8番)を聴く~美しいヴィブラートを堪能

2018年04月14日 08時08分07秒 | 日記

14日(土)その2。よい子はその1から見てね モコタロはそちらに出演しています

昨日は、錦糸町の すみだトリフォニーホールで新日本フィルの定期公演を聴いた後、午後7時から東京文化会館小ホールで郷古廉(ヴァイオリン)、加藤洋之(ピアノ)によるベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会Ⅱ」を聴きました プログラムは、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ①第4番イ短調、②第6番イ長調、③第7番ハ短調、④第8番ト長調です

郷古廉は「ごうこ・すなお」と読みます。私も最初は「きょうこ・れん」と読んでいました 宮城県出身。2013年8月ティボール・ヴァルガ シオン国際ヴァイオリン・コンクール優勝並びに聴衆賞・現代曲賞を受賞 現在、ウィーン私立音楽大学在学中です 一方、加藤洋介は東京藝大大学院修了。在学中にジュネーヴ国際音楽コンクール第3位入賞を果たしています

 

     

 

自席はE列28番、右ブロック左通路側です。会場は8割以上入っているでしょうか

1曲目は「ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調」です この曲は第5番「スプリング・ソナタ」とともに1801年に出版されました。第1楽章「プレスト」、第2楽章「アンダンテ・スケルツォ―ソ、ピゥ・アレグレット」、第3楽章「アレグロ・モルト」の3楽章から成ります

郷古廉と加藤洋介がステージに登場、さっそく演奏に入ります 第1楽章の演奏を聴いて まず思ったのは、ヴァイオリンの音色がとても美しいということです これは、プログラムノートに「使用楽器は1682年製ストラディヴァリ」と書かれていたことで納得しました が、郷古の演奏はヴィブラートのかけ方が抜群で、イヤミにならず上品であるのが特徴です これは第2楽章、第3楽章も同じ印象です。それと、ピアノの加藤洋介が滅茶苦茶上手い 彼は1999年から現在に至るまでウィーン・フィルのコンマス、ライナー・キュッヒル氏(現在はコンマスをリタイア)と組んで数多くの共演を重ねているとのことなので、その実力の程が分かります

2曲目の「ソナタ第6番イ長調」は、1802~3年にかけて作曲されたとされる作品30の1~3(第6、7、8番)の最初の作品ですが、3曲セットでロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈されています しかし、献呈時には代金が支払われず、12年後にウィーンを訪れた皇后エリーザベトが支払ったとのことです。当時はリボ払いも仮想通貨もなかったから現金でしょうね

二人の演奏を聴いていて、第2楽章のアダージョがとても爽やかで美しいと思いました 第3楽章の変奏曲も楽しく聴けました

 

     

 

休憩後の後半の最初は「ソナタ第7番ハ短調」です ハ短調はベートーヴェンの”勝負調性”です 「交響曲第5番”運命”」しかり、「ピアノ協奏曲第3番」しかり、「ピアノ・ソナタ第8番”悲愴”」しかり、そしてこの「ヴァイオリン・ソナタ第7番」しかりです 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「アダージョ・カンタービレ」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ」の4楽章から成ります

第1楽章は、短調特有の「ほとばしる情熱」とでも言うべき曲想です そして、第2楽章のアダージョ・カンタービレは穏やかで美しい音楽です 第3楽章のスケルツォを聴いていて、十数年前にトリフォニーホールで開かれた豊嶋泰嗣+園田孝弘によるベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ選集」の演奏を思い出しました その当時、園田氏は晩年の境地にありましたが、軽やかなピアノで豊嶋氏のヴァイオリンを支えていました

最後の曲は「ソナタ第8番ト長調」です 第1楽章「アレグロ・アッサイ」、第2楽章「テンポ・ディ・メヌエット、マ・モルト・モデラート・エ・グラティオ―ソ」、第3楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります この曲では、第7番の深刻な曲想の音楽との落差を感じます 長調特有の明るさを持ち、楽観的な気分を持った曲想です この曲では、第3楽章におけるヴァイオリンとピアノによる丁々発止のやり取りが楽しく聴けました

度重なるアンコールの拍手に、二人は「それじゃ、これはどうだ」と言わんばかりに、意外にも20世紀の現代音楽を持ってきました ベートーヴェン繋がりでウィーンに所縁のある作曲家だろうと予想していましたが、後でロビーの掲示で確かめたら「シェーンベルク『幻想曲作品47』とありました ハッキリ言って私はシェーンベルクは大嫌いですが、なぜか二人の演奏を聴いている時は「おぬしたち、なかなかやるな」とニヤニヤしながら聴いていました。そして、あろうことか「シェーンベルクも良い曲書いてるじゃん」と思いました。この二人の演奏でなければそう思ったかどうかは分かりません

アンコールがシェーンベルクで終わる訳がない、と思っていたら、案の定クライスラーの「美しきロスマリン」を演奏し、満場の拍手の中 公演を終了しました 来年のパートⅢが今から楽しみです

 

     

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オッコ・カム+白尾彰+新日本フィルでニールセン「フルート協奏曲」、シベリウス「交響曲第2番」他を聴く

2018年04月14日 07時20分41秒 | 日記

14日(土)その1。わが家に来てから今日で1291日目を迎え、2014年末にナッツの出し方に激怒し、米ニューヨークの空港で搭乗機を引き返させたとして罪に問われた大韓航空の趙顕娥元副社長の妹・趙顕旼専務が3月、ソウルの同社内で広告会社と会議をした際、激高して水の入ったコップを投げつける騒ぎがあった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      覆水盆に返らず スピルト・ウォーター・ノーリターン 趙専務ノータリーン

 

          

 

昨日、夕食に「ウィンナとキュウリの炒め物」と「生野菜と生ハムのサラダ」を作りました 「ウィンナ~」は初挑戦ですが、簡単レシピなので上手く出来ました

 

 

          

 

昨日午後2時から、すみだトリフォニーホールで新日本フィル「アフタヌーン・コンサート・シリーズ第14回演奏会」を、7時から東京春音楽祭「郷古廉&加藤洋介 ベートーヴェン『ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会Ⅱ』」を聴きました ここでは新日本フィルのコンサートについて書きます

プログラムは①サッリネン:歌劇「宮殿」序曲、②ニールセン「フルート協奏曲」、③シベリウス「交響曲第2番ニ長調」です ②のフルート独奏は白尾彰、指揮はオッコ・カムです 

オッコ・カムは、LP時代にシベリウスと言えば彼の名前が出てくるほど代名詞的な指揮者として有名でした   1946年ヘルシンキ生まれの彼は、フィンランド国内のオケに止まらず世界中のオケに客演し、2011年からはラハティ交響楽団の音楽監督を務めています

 

     

 

コンマスは豊嶋泰嗣氏。第2ヴァイオリンの篠原英和氏と松崎千鶴さんを確認

1曲目はアウリス・サッリネン(1935~)の歌劇「宮殿」序曲です このオペラはフィンランドのサヴォンリンナ音楽祭からの委嘱を受けて1991年から93年にかけて作曲されました

演奏を聴く限り、ティンパニと低弦の重低音が印象に残るドラマティックな曲でした モーツアルトの「後宮からの誘拐」にヒントを得て作曲したというこのオペラ、観てみたいと思いました

2曲目はデンマークの作曲家カール・ニールセン(1865-1931)が1926年に書いた「フルート協奏曲」です この曲はコペンハーゲン木管五重奏団の演奏に触発されて作曲したもので、1926年10月にパリで初演されました 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アレグレット・ウン・ポコ~アダージョ・マ・ノン・トロッポ~アレグレット~ポコ・アダージョ~テンポ・ディ・マルシア」の2楽章から成ります

新日本フィル創立メンバーでもある白尾彰がステージ中央にスタンバイし、オッコ・カムの指揮で第1楽章が開始されます 全体を通してひと言でいえば超絶技巧を極めた曲で、どこで息継ぎをするのか、と心配になるような息の長い旋律が続きます 白尾彰のフルートは変幻自在です 相当 演奏困難なのに、いかにも簡単に吹いているように見えるところが流石です

 

     

 

プログラム後半は、シベリウス(1865-1957)が1902年に作曲し、シベリウス自身の指揮で初演した「交響曲第2番ニ長調」です この曲は、第1楽章「アレグレット」、第2楽章「テンポ・アンダンテ、マ・ルバート」、第3楽章「ヴィヴァ―シッシモ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・モデラート」の4楽章から成ります

第1楽章では豊嶋コンマス率いるヴァイオリン・セクションが殊に素晴らしい  第2楽章では低弦の不安な印象の音楽の中からファゴットが第1主題を奏でますが、この演奏が素晴らしかった 第3楽章では金子亜美のオーボエが冴えわたります 第3楽章から第4楽章にかけては続けて演奏されますが、この曲の一番の聴きどころです オッコ・カムの指揮で聴くこの楽章間の橋渡しは、広大なフィヨルドを俯瞰するかのようなスケールを感じます チューバは客演のようですが、今まで聴いた第2番の演奏の中で最も素晴らしく 存在感抜群でした

この日のプログラムはフィンランド、デンマークといった北欧の作曲家に絞ってプログラミングした公演でしたが、何の脈絡もなく3つの曲を並べるよりも一貫性があって良いと思います

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「エタニティ 永遠の花たちへ」 「婚約者の友人」を観る ~ バッハ、ショパン、ラヴェル、ドビュッシー、フォーレなどの音楽がふんだんに流れる

2018年04月13日 07時55分56秒 | 日記

13日(金)。わが家に来てから今日で1290日目を迎え、静岡県駿河区で8日に開かれた大相撲の春巡業「富士山静岡場所」で、力士が土俵で子どもに稽古をつける「ちびっこ相撲」に参加予定だった小学生の女の子が、日本相撲協会からの要請で土俵に上がれなかったことが分かった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

         外国人力士の優勝が当たり前の時代に いつまで時代錯誤なことを言ってんだか

 

        

 

昨日、夕食に「豚としめじの味噌チーズ炒め」と「生野菜サラダ」を作りました 「豚と~」は初挑戦ですが、味噌とチーズって合いますね

 

     

 

        

 

昨日、神楽坂のギンレイホールで「エタニティ  永遠の花たちへ」と「婚約者の友人」の2本立てを観ました

「エタニティ  永遠の花たちへ」は、トラン・アン・ユン監督による2016年フランス・ベルギー合作映画(115分)です

舞台は19世紀末のフランス。婚約を破棄したにも関わらず、諦めきれないジュールに心を動かされたヴァランティーヌ(オドレイ・トトゥ)は、やがてジュールと結婚し、年月とともに夫婦の絆を深めていく 戦争や病気で子供たちを失うという悲しみを乗り越え、無事に成長した息子のアンリ(ジェレミー・レニエ)が幼なじみのマチルド(メラニー・ロラン)と結婚したことに喜ぶ マチルドの従姉妹のガブリエル(ペレニス・ペジョ)も幸せな結婚をしてヴァランティーヌを訪れるようになり、子供たちや孫たちに囲まれて幸せな日々を過ごすようになるが、やがて運命の時を迎え、静かに息を引き取る

 

     

 

私がこの映画を観ようと思ったのは、あの不朽の名作「アメリ」でヒロインを演じたオドレイ・トトゥが出演するからです

とても静かな映画です。映し出される映像は、まるでルノワールの世界を再現したかのようで、どこを切り取っても絵になります 終始バックに流れるのはバッハ(コラールBWV639?)、ショパン(ノクターン、ピアノ協奏曲第2番第2楽章 他)、ラヴェル(ピアノ協奏曲第2楽章)、ドビュッシー(月の光 他)、フォーレ(レクイエム)などピアノによる演奏が中心で、ヘンデルとリストも流れていたような気がします いずれにしても、美しい映像と静かな音楽がマッチした素晴らしい作品で、クラシック好きにはたまらない映画です

 

        

 

「婚約者の友人」は、フランソワ・オゾン監督による2016年フランス・ドイツ合作映画(113分)です

舞台は1919年のドイツ。婚約者フランツをフランスとの戦いで亡くしたアンナ(パウラ・べーア)は、フランツの両親とともに悲嘆に明け暮れる毎日を送っていた ある日、アンナは見知らぬ男がフランツの墓に花を手向けて泣いているところを目撃する。アドリアンと名乗るその男(ピエール・二ネ)は、戦前のパリでフランツと知り合ったと話し、彼が語るフランツとの友情にアンナもフランツの両親も癒されていく アンナはしだいにアドリアンに惹かれていくが、アドリアンはある秘密を抱えていた 彼は良心の呵責から 意を決してフランツとの間に何があったのかをアンナに伝えるが、アンナには耐えがたいことだった

 

     

 

この映画はモノクロ映像で始まり、途中でカラーになったかと思うとまたモノクロに戻ります 現実と過去を区分けするためかと言えばそうでもないようですが、最後にカラーで終わるところは効果的です

この映画では、アドリアンがパリ管弦楽団のヴァイオリン奏者という設定になっていて、彼がフランツの両親のリクエストでヴァイオリンを弾くシーンがありますが、彼が弾いたのはショパンの「ノクターン第20番嬰ハ短調”遺作”」でした ピアノの曲をヴァイオリンで弾いたことになります。また、アンナが フランスに戻ったアドリアンを探すためにパリ・オペラ座にコンサートを聴きに行きオペラグラスでアドリアンを探し求めるシーンがありますが、ステージで演奏されていたのはリムスキー・コルサコフの「シェラザード」のコンマスによるヴァイオリン・ソロの部分でした このほか、チャイコフスキー「弦楽四重奏曲第1番」の第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」も流れました

映画を観る時、ストーリーよりもどんな音楽(特にクラシック)が使われているかが気になる私にとって、この日の2本は収穫大でした

 

 

本日 toraブログのトータル閲覧数が350万 P V を超えました  これもひとえに 普段からご覧いただいている読者の皆さまのお陰と 感謝申し上げます これからも 何があっても毎日休まず書き続けて参りますので、モコタロともども よろしくお願いいたします

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ライアン・ゴズリング&ハリソン・フォード共演「ブレードランナー2049」、ダニエル・カルーヤ主演「ゲット・アウト」を観る~新文芸坐

2018年04月12日 07時57分23秒 | 日記

12日(木)。わが家に来てから今日で1289日目を迎え、最大8700万人の会員情報が不正流出した米フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者が10日、米議会上院の公聴会で「大きな過ちだ。申し訳ない。起きたことは私に責任がある」と深謝した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      顔出し条件のフェイスブックなのに 顔をつぶしたな ポーカーフェイスは続かない

 

        

 

昨日、夕食に「むね蒸し鶏」「マグロの山掛け」「生野菜と生ハムのサラダ」を作りました 「むね蒸し鶏」は初挑戦にしては上手く出来ました

 

     

 

        

 

昨日、池袋の新文芸坐で「ブレードランナー2049」と「ゲット・アウト」の2本立てを観ました

「ブレードランナー2049」はドゥ二・ビルヌーブ監督による2017年アメリカ映画(163分)です 1982年公開の「ブレードランナー」では、惑星移住が可能となった2019年、レプリカントと呼ばれる人造人間が謀反を起こして地球に侵入したため、レプリカント駆除専門捜査官”ブレードランナー”リック・デッカード(ハリソン・フォード)が追跡をするという物語でした 今回の映画は、前作の30年後の2049年の世界を舞台にブレードランナーの主人公”K”(ライアン・ゴズリング)が新たに起こった世界の危機を解決するため、30年前に行方不明となったリック・デッカード(やはりハリソン・フォード)を探す物語が描かれています

 

     

 

Kを演じたライアン・ゴズリングは、どこかで見たことのある人だなと思ったら、「ラ・ラ・ランド」の主役の一人でした

私は1982年の前作を観ていないので、イマイチ、ストーリーがよく理解できなかったのですが、全編CGをふんだんに使い、重低音が身体に響くドルビー・システム全開の映画です 面白いな、と思ったのは、時々ケータイの着メロみたいな軽快なメロディーが流れるのですが、それがプロコフィエフの「ピーターと狼」のピーターのテーマなのです ブレードランナーのKをピーターに見立て、狼に見立てたレプリカントを退治するというストーリーを描いているのかどうかは分かりませんが、シビアなストーリーに安らぎを与えているような気がしました

 

        

 

「ゲット・アウト」はジョーダン・ピール監督による2017年アメリカ映画(104分)です

アフリカ系アメリカ人の写真家クリス(ダニエル・カル―ヤ)は、白人の彼女ローズ(アリソン・ウィリアムズ)の実家へ招待される 一家から大歓迎を受けたクリスだったが、黒人の使用人がいることに違和感を抱く   その翌日、亡くなったローズの祖父を讃えるパーティに参加したクリスは、参加者が白人ばかりで滅入っていた。その中に黒人の若者を発見し思わずカメラを向けてフラッシュを炊くと、若者は鼻血を流し、急に怒り出して「出ていけ!」とクリスに襲い掛かる 一方、ローズの母親はクリスに催眠術をかけて彼の過去を聞き出そうとする 一家の言動や行動からクリスは「この一家は異常だ」と気付くが、催眠術にかけられて拘束される。ローズの家族の狙いは何なのか? 彼は無事に抜け出すことができるのか

 

     

 

これは「新たな黒人奴隷制度の復活か?」と言いたくなるような一種のホラー映画ですが、怖いだけで終わらせないで ユーモアをまぶしているところに好感が持てました

コメント (2)
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