人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

文藝春秋編「向田邦子を読む」を読む ~ 文章の達人・名エッセイストの魅力に迫る / シャルル・デュトワの至芸 〜 朝日新聞の記事から / パソコン不調 〜 セキュリティソフトでチェック

2021年09月20日 07時07分17秒 | 日記

20日(月)。昨日から、パソコンが絶不調です。文章を打っている時、勝手に改行してどんどんカーソルが先に進んでしまうのです 元に戻るのが大変です。そこで1年前に導入したセキュリティ・ソフトを起動させてパソコン全体にセキュリティ・チェックを入れてみました 2~3時間もあれば済むと思っていたのが大間違いで、何と6時間26分もかかってしまいました ソフトがチェックしたのは全部で3,550,098項目もありました 時間がかかるわけです。結果は すべてについて「異常なし」でした    しかし、上記の症状はまだ完治していないようで、時々 勝手に改行してしまいます    マウスの右クリックの機能を利用して何とか対処法が分かりましたが、打って、登録して、また打ってという作業を小まめに繰り返しています。すごくやりにくいです

ということで、わが家に来てから今日で2445日目を迎え、米中央軍は17日、アフガニスタンの首都カブールで8月29日に実施した無人機(ドローン)による空爆が、民間人への誤爆だったとして謝罪した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     何の罪もない民間人が 杜撰な情報管理に基づいて爆撃されるなんて 浮かばれない

 

         

 

昨日の朝日新聞朝刊 文化面に「小澤の盟友・デュトワの鮮烈な至芸 OMF、無観客公演を配信」という見出しによる吉田純子編集委員の記事が載っていました 超訳すると、

「コロナ禍で中止になった音楽祭『セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)』が3日、サイトウ・キネン・オーケストラによる無観客公演を配信した 率いたのは世界的指揮者でOMF総監督・小澤征爾の長年の友人でもあるシャルル・デュトワ。前日のリハーサルが、すでにひとつの芸術作品だった 指揮者の中にあるイメージが、体の動きを通じてどのように楽員たちに伝わり、音となってはじけるのか、最高の解像度で伝える映像の如く鮮烈だった 英語に時折フランス語を交え、歌でも歌うような口調で指示を出しては、また自然に音楽の世界へと戻ってゆく まるで何か国語も操る、経験豊かなツアーコンダクターのようだ。映像は10月以降、有料での配信を予定している

友人の新日本フィル桂冠名誉指揮者・小澤征爾 繋がりだと思いますが、デュトワは11月27日(土)、29日(月)の両日、新日本フィルを振り①武満徹「弦楽のためのレクイエム」、②ラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」(P:北村朋幹)、③ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」、④ラヴェル「ラ・ヴァルス」を演奏します これを聴かずして何を聴くと言うのか 私は29日の公演をサントリーホールに聴きに行きます 29日のチケットはまだ残っていると思います

 

     

     

         

 

文藝春秋編「向田邦子を読む」(文春文庫)を読み終わりました 向田邦子は昭和4(1929)年 東京生まれ。実践女子専門学校国語科卒。映画雑誌編集記者を経て放送作家になりラジオ・テレビで活躍。代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」などがある 昭和55年に初めての短編小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」の3編で第83回直木賞を受賞し作家活動に入るが、昭和56年8月 航空機事故で急逝した 著書に「父の詫び状」「眠る盃」「思い出トランプ」「あ・うん」など多数あり

 

     

 

本書は、文春ムック「向田邦子を読む」(2018年1月・文藝春秋社刊)を文庫化したもので、次の4章から構成されています

第1章「愛され続ける作家の軌跡」 ~ 向田和子 ✕ 原田マハの対談、小説選「春が来た」、エッセイ選「字のない葉書」ほか。

第2章「思い出交遊録」 ~ 山口瞳「向田邦子は親友だった」、第83回直木三十五賞「受賞の言葉」、同賞・選評(源氏鶏太、山口瞳、水上勉、五木寛之ほか)、澤地久枝・田辺聖子、秋山ちえ子「さようなら向田邦子さん」ほか。

第3章「人々を惹きつける作品の魅力」 ~ 私が愛する向田邦子(美村里江、山根基世、小川糸ほか)、久世光彦「向田邦子との20年『春が来た』」ほか。

第4章「家族が見た素顔の邦子」 ~ 向田せい「回想の向田邦子」、向田和子「姉・向田邦子の『遺書』」ほか。

この本で初めて接する文章が少なからずあって、とても面白く読みました 特に第2章「思い出交遊録」に収録された山口瞳の「向田邦子は戦友だった」と「第83回直木三十五賞の選評」は、たった3編の短編小説だけで賞を与えるかどうかで不利な立場にあった向田作品が、劣勢から挽回していく過程が書かれていて興味深く読みました 水上勉、山口瞳両氏の最後の最後の応援演説がなければ彼女の作品は受賞できなかったことでしょう その意味では、この2人は先見の明があったと言えます

第1章に収録された短編小説「春が来た」(「眠る盃」に収録)は何度か読んだはずですが、文庫本で40ページの作品を今回あらためて読んで、思わず唸ってしまいました これが短編小説だ という見本みたいな作品です

エッセイでは「父の詫び状」が有名ですが、もう一つの「娘の詫び状」も傑作です 第2章に収録された5ページの短いエッセイですが、乳がんを患っていた邦子さんが母親に心配かけまいと黙っていたが、思い切って打ち明けたら、「そうだろうと思っていたよ」「お前がいつ言い出すかと思っていた」と返された 「母の方が役者が上であった。騙したと思っていた私が、実はみごとに騙されていたのである」と書いています そして、「父の詫び状」が店頭に並び、大きな反響があったが、本に書かれた内容は「”家の中のみっともないこと”で極まりが悪くてかなわない」と家族からは不評を買ったということで、家族に「二度とこういう真似は致しません」と謝った。「父の詫び状」という題名が悪かったのかもしれない、と結んでいます

ところで、9月15日付朝日新聞夕刊のコラム「編集者をつくった本」にポプラ社の吉川健二郎氏が、直木賞受賞対象となった短編3作を収録した「思い出トランプ」について、次のように書いています

「収められた13編に、凸凹の激しい物語は1編もない。だが 読めば気持ちに波風が立つ 生々しい表現で綴られる人間模様の中に、諦観とは違った、向田邦子の家族観や人生観を見た思いがした 編集者になってから、幾人もの脚本家に小説の執筆を依頼した。その都度実感したのは、脚本と小説はまったく別物であることだ。一方は文章を削ぐ。一方はそれを膨らませる。その両極を自在に泳いだ向田邦子の凄みを、改めて思う

向田作品の本質を突いた文章だと思います 今年没後40年を迎えた向田邦子の作品は、忘れ去られるどころか、ますます人々の心を捉えて離しません 彼女の書く文章は私の理想とする手本です

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鈴木雅明 ✕ 鈴木優人 ✕ 読売日響でプーランク「オルガン協奏曲」、メンデルスゾーン「交響曲第4番」、C.P.E.バッハ「シンフォニア」を聴く ~ 土曜マチネーシリーズ

2021年09月19日 07時17分02秒 | 日記

19日(日)。わが家に来てから今日で2444日目を迎え、アフガニスタンで暫定政権を樹立したイスラム主義組織タリバンは17日、首都カブールにある女性問題省の建物表示を勧善懲悪省に置き換えた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     タリバンにとっての「勧善懲悪」はイスラム原理主義が善で 自由な社会が悪だろう

 

         

 

昨日、東京芸術劇場コンサートホールで読売日響「第240回土曜マチネ―シリーズ公演」を聴きました プログラムは①C.P.E.バッハ「シンフォニア」、②プーランク「オルガン協奏曲 ト短調」、メンデルスゾーン「交響曲第4番 イ長調 作品90 ”イタリア” 」です ②のオルガン独奏=鈴木優人、指揮=鈴木雅明による父子共演です

鈴木雅明は1954年神戸市生まれ。東京藝大およびアムステルダム・スウェーリンク音楽院に学ぶ。1990年にバッハ・コレギウム・ジャパン(B.C.J)を創設。音楽監督として、ヨハン・セバスティアン・バッハの教会カンタータ全曲の連続演奏会を開催し CD化するなど精力的な演奏活動を展開しました 最近はバッハに限らず古典派、ロマン派の作品の指揮も手掛け、内外で高い評価を受けています

一方、鈴木優人は東京藝大大学院修了、オランダ・ハーグ王立音楽院修了。指揮者として、パイプオルガンをはじめとする鍵盤楽器奏者として多面的に活躍。2018年に父・雅明氏の創立したB.C.Jの首席指揮者に就任しました また、2020年4月からは読響指揮者・クリエイティブ・パートナーを務めています

 

     

 

会場は9割近く埋まっている感じがします。毎回よくもこれほど入るものだと感心します しかし、この公演は土曜と日曜の2回、同一プログラムで開かれるので、日曜公演を見ないとマチネ―・シリーズの実態は分かりません

弦楽器は8型で左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります コンマスは小森谷巧、その隣は林悠介というダブル・コンマス態勢です コロナ感染症対策のため弦楽器奏者も譜面台は1人1台を使用しソーシャルディスタンスをとります

1曲目はC.P.E.バッハ「シンフォニア  ニ長調 Wq.183/1」です この曲は大バッハと最初の妻マリア・バルバラとの間に次男として生まれたカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714‐1788)が1775年から翌76年にかけて作曲、1776年8月17日にハンブルクで初演された「12のオブリガート声部のための4つのシンフォニア」 Wq.183に収められた1曲です 第1楽章「アレグロ・ディ・モルト」、第2楽章「ラルゴ」、第3楽章「プレスト」の3楽章から成ります

鈴木雅明が指揮台に上り第1楽章の演奏に入ります 最初の弦楽器の音を聴いて のけぞるほど驚きました    ノンヴィブラートにより強弱のメリハリをつけて速めのテンポで進められる演奏は、古楽器奏法です こんな音を読響から聴いたのは初めてです 簡潔な第2楽章を経て、第3楽章は愉悦感に満ちた音楽が疾走します メリハリの効いた爽快な演奏でした

2曲目はプーランク「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調」です この曲はフランシス・プーランク(1899ー1963)が1936年に作曲、1939年6月21日にパリで初演されました この作品は6部から成る単一楽章の曲です

管楽器が退場し、弦楽器は10型に拡大します ステージ正面のパイプオルガンは「モダン面」の姿を見せています 鈴木優人が配置に着き、荘重なオルガン・ソロで演奏が開始されます 次いで弦楽器の重心の低い演奏が入ってきますが、これを聴いてまたしても驚きました 1曲目とは全く違う響きが会場を満たしたからです これが同じオーケストラから発せされた音か、という驚きです 160年以上も離れた2つの作品の響きの違いを明確に聴きとることが出来ました オルガンと弦楽器による協奏にティンパニが程よい刺激を与えていました 全体を聴いた印象は、極めてドラマティックな演奏で、時に宗教的な祈りの音楽を感じたかと思えば、時にフランス的というか軽妙洒脱な音楽を感じることもあり、変化に富んだ色彩感豊かな演奏でした

初めて聴いた作品ですが、とても良い曲だと思いました

大きな拍手に鈴木優人は、アンコールにフォーレ「パヴァーヌ」を演奏しました(間違ってたらゴメンなさい

 

     

 

プログラム後半はメンデルスゾーン「交響曲第4番 イ長調 作品90 ”イタリア” 」です この曲はフェリックス・メンデルスゾーン(1809‐1847)が1830年から翌31年にかけて旅行したイタリア各地の思い出をもとに1831年から33年にかけて作曲、1833年5月13日にロンドンで初演されました 第1楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ~ピウ・アニマート」、第2楽章「アンダンテ・コン・モート」、第3楽章「コン・モート・モデラート」、第4楽章「サルタレッロ:プレスト」の4楽章から成ります

弦楽器は12型に拡大します 鈴木雅明の指揮で演奏に入りますが、冒頭から高速テンポによる演奏が心地よく響きます ドイツ人から見たイタリアの景色はこのようなものか、という明るく輝く心象風景が浮かび上がります 金子亜未のオーボエ、客員奏者(都響のサトーミチヨ?)のクラリネットが素晴らしい 第2楽章では金子のオーボエに加え、倉田優のフルートが冴えています また、弦楽器のアンサンブルが美しく響きました 第3楽章は流麗な音楽作りが際立っていました 第4楽章は、ローマやミラノで流行っていたという民俗舞曲サルタレッロのリズムに乗って、超高速で走り抜けました 全体を通して色彩感溢れる鮮やかな演奏でした

聴き終わって思うのは、メンデルスゾーンの人生です 彼は富裕な銀行家の家に生まれたことから、幼少時から家庭教師について音楽、美術、文学、語学、哲学などを学びました とくに音楽面では神童ぶりを発揮し、作曲家として、ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者として、バッハ「マタイ受難曲」の蘇演者として と大活躍しました 「交響曲第4番”イタリア”」を一つ取ってみても、彼は1830年5月にベルリンを立ち、ワイマールでゲーテに会い、ミュンヘン、ウィーンなどを経由して、10月にはヴェネツィアに入ります。さらにフィレンツェ、ローマ、ジェノヴァ、ミラノ、ナポリを経て、スイス経由で1831年10月に帰国しています 1年半にもわたり自由気ままに旅行が出来たのは父親の財力があったからでしょう しかし、天才ほど早世します。1847年5月14日、敬愛する姉ファニーが死去した半年後の11月4日、メンデルスゾーンは姉の後を追うように38年の生涯を閉じました 「早死にしてもいいから後世に名前を残したい」か、「平凡でもいいから長生きしたい」か・・・メンデルスゾーンの華やかながら短い生涯を横目で見つつ、多くの人は後者を選ぶのでしょうね

【訂正】

鈴木優人氏のアンコールは「夢のあとに」でした。ままははさんからご指摘いただきました(19日15時20分・記)

 

本日のブログが4000本目となります 2011年2月15日にtoraブログを開設して以来、約10年7か月間の積み重ねの結果です 取りあえず5000本を目指して休みなく書き続けて参りますので、これからもよろしくお願いいたします

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チョン・ミョンフン ✕ 東京フィルでブラームス「交響曲第3番&第4番」を聴く ~ 第958回サントリー定期シリーズ

2021年09月18日 07時16分32秒 | 日記

18日(土)。寝室で使っていた据え置型の小型CDプレーヤー、DENON「DCD-50」が1年間で5回も故障した(ディスクを呑み込んで吐き出さない)ため、同機種の新品と交換させた話は5月下旬のブログに書いた通りです その新品のCDプレーヤーが4か月も経たないのに、またしてもディスクを呑み込んで吐き出さなくなりました 今回犠牲になったのはウィルヘルム・ケンプの弾くシューベルトのピアノソナタ集のCDです 「敵もさるもの」です。新品には保証書が付いていませんでした したがって修理に出すには修理代がかかります。しかし、私は修理代を払うつもりは全くありません。もうこの会社の商品とはお別れしようと思います カッターナイフをディスク挿入口に突っ込んでケンプのCDを何とか救出した結果、まったく動かなくなりました 機械は分別ゴミに出します。さっそく昨日、Bカメラ有楽町店に行って、あらかじめネットで調べておいた”後任候補”CDプレーヤー(TEAC  PD-301)の現物を見て、後日配達してもらうよう手配しました アマゾンなどで、現物を見ないで注文する人が多いようですが、私は現物を見てから購入する主義です。それは書籍でも何でも共通しています 新しいプレーヤーが届いたらブログにアップします

ということで、わが家に来てから今日で2443日目を迎え、日銀が17日発表した4~6月期の資金循環統計(速報)によると、家計の金融資産は6月末時点で1992兆円と前年同期比6.3%増え、比較可能な2005年以降で過去最高を更新したが、株高で株式や投資信託の含み益が増えたほか、6月のボーナスが現預金の残高を押し上げた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     それもあるが  新型コロナの緊急事態宣言下で 個人消費が抑制された影響が大きい    

 

         

 

昨日、夕食に「チキンステーキ」を作りました 1週間おきの金曜日は「鶏の唐揚げ」と「チキンステーキ」のローテ―ションが固まりつつあります

 

     

 

         

 

昨夕、サントリーホールで東京フィルハーモニー交響楽団の「第958回サントリー定期シリーズ」公演を聴きました プログラムはブラームス①交響曲第3番 ヘ長調 作品90,②交響曲第4番 ホ短調 作品98です 指揮は東京フィル名誉音楽監督チョン・ミョンフンです

 

     

 

会場は1階センターブロックの3列目までがコロナ感染症対策のため空席になっていますが、そのほかは9割方埋まっている模様です 緊急事態宣言云々の前の段階で定期会員券を中心にチケットを売り切っていたと思われます そうでなければ「会場の定員の半分まで」という入場制限に引っかかっているはずです。チョン・ミョンフン人気恐るべし

チョン・ミョンフンは1953年ソウル生まれ。マスネ音楽学校、ジュリアード音楽院でピアノと指揮法を学ぶ。1974年のチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で第2位入賞 その後、ロスアンジェルス・フィルでカルロ・マリア・ジュリー二のアシスタントとなり、後に副指揮者となる。パリ・オペラ座バスティーユ管音楽監督、ローマ・サンタチェチーリア管首席指揮者、フランス国立放送フィル音楽監督、ソウル・フィル音楽監督などを歴任。現在シュターツカペレ・ドレスデンの首席客員指揮者、東京フィル名誉音楽監督を務めています 東京フィルとは2001年にスペシャル・アーティスティックアドヴァイザーに就任して以来、20年の付き合いになります

拍手の中、楽員が入場し配置に着きます 弦は左から第1ヴァイオリン 12、第2ヴァイオリン 12、チェロ 8、ヴィオラ 10、その後ろにコントラバス 7という並び。コンマスは近藤薫、その隣は依田真宣というダブルコンマス態勢です

1曲目はブラームス「交響曲第3番 ヘ長調 作品90」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833‐1897)が50歳の時=1883年に作曲、同年12月2日にウィーンでハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルにより初演されました 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「ポーコ・アレグレット」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります

チョン・ミョンフンが指揮台に上り、第1楽章が開始されます 弦楽器が良く歌います。ホルン首席・高橋臣宣の演奏が素晴らしい この人の演奏はいつ聴いても安心感があります。ブラームスの交響曲はホルンが重要な役割を与えられていますが、この人がいる限り万全です 第2楽章では、高橋のホルンをはじめ、斉藤和志のフルート、アレッサンドロ・べヴェラリのクラリネットが素晴らしい 第3楽章では弦楽器を中心とする”寂寥感”あふれる演奏を聴くと、50歳のブラームスが感じた「生きる哀しみ」を聴くような気がします この楽章を聴くと、いつも思い出すシーンがあります。ン十年前に放送されたテレビドラマで、多岐川裕美が女スリを演じる番組がありましたが、その時にタイトルロールで流れていたのがこの第3楽章でした オーケストラではなくピアノ独奏で演奏されたメロディーは、若き日の私の心に深く染み渡りました 第4楽章は一転、力強い音楽が展開します この曲を初演したハンス・リヒターは「ブラームスの『英雄』」とベートーヴェンの「交響曲第3番”英雄”」にたとえて称賛しましたが、まさに「英雄的」な音楽です 東京フィルの面々は集中力に満ちた演奏を展開し、静かに曲を閉じました

全楽章を聴き終わって気が付いたのは、チョン・ミョンフンは第2楽章、第3楽章、第4楽章をほとんど間を置かず続けて演奏したことです これは彼なりの必然性があったのだと思いますが、私には解りませんでした

ところで、9月のプログラム冊子にチョン・ミョンフンの指揮棒のエピソードが載っていました それによると、彼の指揮棒は自宅の庭のオリーブやアーモンドの木から彼自身が削り出して作成しているそうです このオリジナルのタクトに加え、アイコン タクトで東京フィルから最大限の音楽を引き出すのでしょうね

 

     

 

プログラム後半はブラームス「交響曲第4番 ホ短調 作品98」です この曲はブラームスが1884年から翌85年にかけて作曲、1885年10月25日にマイニンゲンでブラームスの指揮で初演されました 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・モデラート」、第3楽章「アレグロ・ジョコーソ」、第4楽章「アレグロ・エネルジーコ・エ・パッショナート」の4楽章から成ります

チョン・ミョンフンのタクトで第1楽章に入りますが、楽員は”阿吽の呼吸”で演奏に入ったように見えました 弦楽器を中心とする冒頭のため息のようなメロディーを聴いて、心を包み込むような温かいものを感じました 「あなたの生き方はそれでいいんだよ」と言っているようでした 高橋臣宣率いるホルンセクションの演奏が素晴らしい 第2楽章では、中盤の弦楽器による重心の低い渾身の演奏が心に沁みました 第3楽章では、マエストロがかなりテンポを動かして楽員を追い詰めますが、楽員は必至に着いていきます 第4楽章では、弦楽器のうねりを伴った渾身の演奏に惹かれます 終盤のフルートの長いソロ、それに続くオーボエの演奏が印象的です 東京フィル総力を上げての演奏に満場の拍手が送られます

チョン・ミョンフンはコンマス近藤薫の肩を揉み、次いで依田真宣の肩を揉んで 演奏者の代表者として慰労します そして、弦楽器のトップ奏者8人の一人一人と握手をして立ち上らせ、称賛します 彼はインタビューで「東京フィルは東京の家族だ」と明言していますが、それが態度に表れていました

チョン・ミョンフン ✕ 東京フィルはアンコールにブラームス「ハンガリー舞曲第1番」をテンポを揺らして変幻自在に演奏、会場の温度を2度上昇させました

楽員が退場しても拍手が鳴り止みません 通常は指揮者だけが再登場して聴衆の歓声に応えますが、チョン・ミョンフンは楽員全員を引き連れてカーテンコールに応えます 会場のそこかしこでスタンディングオベーションが見られたことは言うまでもありません そこで思い出したのが、一部のツイッターで見られる「一般参賀」という言葉です 天皇家の「一般参賀」に因んだ言葉ですが、チョン・ミョンフンを天皇になぞらえて、オケのメンバーを引き連れて聴衆の前に現れることを表したものです この現象は、チョン・ミョンフン以外には見られません 彼のようなカリスマ指揮者が少なくなりました 一抹の寂しさを感じます

 

     

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デュトワ ✕ 北村朋幹 ✕ 新日本フィルのラヴェル「ピアノ協奏曲 ト長調」他、シモーネ・ヤング ✕ 新日本フィルの「第九」のチケットを取る / トマス・ヴィンターベア監督「アナザーラウンド」を観る

2021年09月17日 07時15分11秒 | 日記

17日(金)。定期会員としては「今さら」ですが、新日本フィルのチケットを2枚取りました 1枚は11月29日(月)午後7時からサントリーホールで開かれる新日本フィル「第638回定期演奏会」です プログラムは①武満徹「弦楽のためのレクイエム」、②ラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」、③ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」、④ラヴェル「ラ・ヴァルス」です 演奏は②のピアノ独奏=北村朋幹、指揮=シャルル・デュトワです

これは刺激的なコンサートになりそうです

 

     

 

もう1枚は、12月17日(金)午後7時からサントリーホールで開かれる「第九コンサート」です 実は翌18日(土)に読売日響「土曜マチネ―シリーズ」の第九公演があるので2日連続で「第九」を聴くことになりますが、新日本フィルを応援するという意味もあるので取ることにしました プログラムはベートーヴェン①序曲「レオノーレ」第3番、②交響曲第9番ニ短調”合唱付き”です 演奏は②のソプラノ独唱=森谷真理、アルト独唱=中島郁子、テノール独唱=福井敬、バリトン独唱=萩原潤、合唱=二期会合唱団、指揮=シモーネ・ヤングです

ワーグナーで定評のあるシモーネ・ヤングがどういう音楽づくりをするか、楽しみです

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2442日目を迎え、北朝鮮の朝鮮中央通信は16日、「鉄道機動ミサイル連隊」が15日に中部の山岳地帯で弾道ミサイル発射実験を実施し、ミサイルは約800キロ先の日本海にある標的を正確に打撃したと報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     列車の上でミサイルを発射して 衝撃で線路から脱線したら 路線変更になるのかな?

 

         

 

昨日は夕食に「ステーキ」を焼きました 火曜日に1回目の新型コロナワクチンを打った娘が、昨日になっても37度台の熱がある(37度以上の熱があると出勤停止)ということで仕事を休んだので、体力をつけてもらうために特大のステーキを焼きました あとは玉子スープです

 

     

 

         

 

昨日、新宿武蔵野館でトマス・ヴィンターベア監督による2020年製作デンマーク映画「アナザーラウンド」(115分)を観ました

冴えない高校教師のマーティン(マッツ・ミケルセン)と3人の同僚は、ノルウェーの精神科医フィン・スコルドゥールが提唱した「血中アルコール濃度を0.05%に保てば仕事の効率が良くなり想像力がみなぎる」という理論を証明するため、実験することになる 「飲酒は勤務中のみ、ヘミングウェイと同じように夜8時以降と週末の飲酒は禁止」という条件で朝から酒を飲み続け、常に酔った状態を保つと授業も楽しくなり、生き生きとするマーティンたち。生徒たちとの関係も良好になり、人生は良い方向に向かっていくと思われた しかし、実験が進むにつれて次第に制御が効かなくなっていき、行動には必ず結果が着いてくることを思い知らされる

 

     

      

「シラフでは言えないことや出来ないことが、酒の力によって可能になる」というのは万国共通のようです その限度を理論化したのがノルウェーの精神科医フィン・スコルドゥール(1956~)という人で、実在の人物とのこと 歴史教師のマーティン、音楽教師のピーター、体育教師のトミー、理論の紹介者ニコライの4人が、0.05%から徐々にアルコール濃度を上げていく実験は、最初のうちはハッピーな結果となりますが、一定の限度を超えると悲劇をもたらします この映画の教訓は「酒の力を借りるのは良いが、ほどほどにしないと死に至ることもある」と言うことでしょうか

歴史の授業中、マーティンが生徒に「君は1日どれくらいお酒を飲むのか?」と質問するシーンがあり、驚きました 映画の最後に「デンマークでは16歳から飲酒が認められている」というテロップが出てやっと納得しました 要は高校生は合法的にお酒が飲めるということです それだけ、国は子どもを信用しているということでしょう

さて、音楽です 4人が酒場に集まって、マーティン夫妻の仲が上手くいっていないことを心配するシーンで流れていたのは、シューベルトのピアノ曲でした 耳に馴染みのある有名な曲ですが、残念ながらメロディーを思い出せないのでピアノ・ソナタか、幻想曲か、即興曲か不明です。最近こういうことが多くなりました 一杯ひっかけて思い出すことにします

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山田和樹氏 ⇒ 2023年月からバーミンガム市響の首席指揮者に / 井岡瞬著「いつか、虹の向こうへ」を読む / 中山七里著「護られなかった者たちへ」他を買う

2021年09月16日 07時20分49秒 | 日記

16日(木)。昨日の朝日朝刊によると、山田和樹氏(42)が2023年4月、英国のバーミンガム市交響楽団の首席指揮者兼アーティスティックアドヴァイザーに就任すると発表されました バーミンガム市響と言えば、後にベルリン・フィルを長年率いたサイモン・ラトルが若い頃に首席指揮者として活躍しています 山田氏は2009年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、その後、スイス・ロマンド管弦楽団など内外のオーケストラで活躍してきたことは周知のとおりです 個人的に山田氏が良いと思うのは日本人の作曲家の作品を積極的に取り上げているところです 増々の活躍を期待したいと思います

ということで、わが家に来てから今日で2441日目を迎え、ロシア大統領府は14日、プーチン大統領が、側近が新型コロナウイルスに感染していることを受けて自主隔離に入ったと発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     世界平和のためには そのままずっと自主隔離しておとなしくしていた方が良くね?

 

         

 

昨日、夕食に「鮭のバター焼き」「生野菜サラダ」「シラスおろし」「エノキダケの味噌汁」を作り、「カツオの刺身」といっしょにいただきました 魚はヘルシーで美味しいですね

 

     

 

         

 

井岡瞬著「いつか、虹の向こうへ」(角川文庫)を読み終わりました 井岡瞬は1960年東京都生まれ。広告制作会社勤務を経て本作「いつか、虹の向こうへ」で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をダブル受賞してデビュー 当ブログでは「本性」「代償」「悪寒」ほか文庫化されている作品の多くをご紹介してきました

 

     

 

尾木遼平(46歳)はアルコール依存症気味の警備員である ある日、酒場で飲み過ぎた帰り道で、金がないので泊めてほしいという若い女性に声をかけられるが、その女性をめぐって3人組の男たちと乱闘になる 翌朝、気が付いてみると自分が自宅にいることに気が付く 声をかけた女性・高瀬早希が気絶した尾木を連れ帰ったという 尾木が住む一戸建ての家には3人の同居人がいた。経済ノンフィクションの翻訳者・石渡久典、休学中の大学生・柳原潤、元主婦の村下恭子の3人である 尾木はかつて腕の立つ刑事だったが、男と別れたい女性に利用されたあげく、その男を殺してしまった過去がある 懲役4年の刑に服した彼に残されていたのは老朽化した一軒家だけだった。早希は他の同居人たちにすぐに溶け込み、明るさをもたらした しかし、早希を捜す久保裕也が現れ、尾木は痛めつけられる どうやら早希は久保に強要されて美人局(つつもたせ)をやっていたらしい。ところが、その久保が建設中の陸橋から転落死し、動機と犯行機会のあった早希は警察に逮捕されてしまう 尾木は早希の無罪を信じるが、尾木の前に、死んだ久保の叔父である暴力団組長・檜山が現れる。檜山は尾木に初七日の法要までに真犯人を見つけるよう厳命する 尾木は早希のアリバイを証明できる女性が存在することを突き止める。しかし、その女性の行方はまったく分からなかった 尾木はその女性を探し出すことが出来るのか?  そして、早希を無事に保護することが出来るのか

本書は前述の通り、2005年の第25回横溝正史ミステリ大賞・テレビ東京賞をW受賞したハードボイルド小説ですが、とてもデビュー作とは思えないほどストーリー展開が見事です

とくに素晴らしいと思うのは、尾木自身の身の上話はもちろんのこと、3人の同居人がそれぞれどういう経緯で尾木と知り合うようになったのかを語る中で、彼らが抱える悩みや過去の心の傷が浮かび上がってくるところです そして、何よりも驚くのは久保裕也を陸橋から突き落とした犯人が意外な人物だったことです 井岡瞬、なかなかのストーリーテラーです

 

         

 

手元の本が底を突きそうなので、池袋のジュンク堂書店に行って6冊購入してきました

1冊目は、当ブログでお馴染みの中山七里著「護られなかった者たちへ」(宝島社文庫)です ご存知の通り「中山七里は7人いる」と言わしめた多作ベストセラー作家のミステリーです 本作は映画化され10月1日にロードショー公開されるそうです

 

     

 

2冊目は平野啓一郎著「ある男」(文春文庫)です 平野氏の著書は「マチネの終わりに」以来です。本作も来年、映画化されるそうです

 

     

 

3冊目は佐藤正午著「書くインタビュー4」(小学館文庫)です この本は、筆者の「月の満ち欠け」が直木賞候補にノミネートされた頃に、佐藤正午氏と編集者との間で交わされたメールのやり取りを収録したものです すでに「書くインタビュー」1~3については当ブログでご紹介しましたが、佐藤氏の女性編集者へのセリフ「お前、喧嘩売ってんのか!」で有名になりました

 

     

 

4冊目はみうらじゅん著「『ない仕事』の作り方」(文春文庫)です みうらじゅんは「マイブーム」や「ゆるキャラ」などの新語を生み出した人として有名です この本は、これまでなかった仕事を企画から営業まで一人でやる「一人電通」のみうらじゅんの発想法・仕事術を明かした本らしいです

 

     

 

5冊目と6冊目はアンソニー・ホロヴィッツ著「ヨルガオ殺人事件(上・下巻)」(創元推理文庫)です 衝撃的な「カササギ殺人事件」をはじめ、「メインテーマは殺人」「その裁きは死」で読者を唸らせた作家の最新作です

 

     

     

 

いずれも、手元の本を読み終わり次第、精力的に読んで当ブログでご紹介します

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村上春樹原作・濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」を観る 〜 背景に流れるベートーヴェン「弦楽四重奏曲」、モーツアルト「ロンド」:TOHOシネマズ新宿

2021年09月15日 07時12分53秒 | 日記

15日(水)。昨日の午前中、近所のクリニックで「特定健診」を受けてきました これは豊島区の負担で健康診断が出来るもので、身体計測、血圧測定、血液検査、尿検査、胸部X線検査などが実施されました 現時点では肺に異常はありませんでしたが、血圧の高い方が150を超えていたのが今までにない数値なので、ちょっと気になります 検査結果の詳細は後日郵送されますので、それを待つことにします

ということで、わが家に来てから今日で2440日目を迎え、自民党総裁選について、石破茂元幹事長は立候補を見送ることになった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     誰が「森友・加計・桜を見る会」問題に決着をつけのか? 自民党じゃできないよな

 

         

 

昨日、夕食に「豚の冷しゃぶ」「生野菜とアボカドのサラダ」「冷奴」「舞茸の味噌汁」を作りました   豚しゃぶにはキャベツと紫蘇が良く合いますね

 

     

 

         

 

昨日、TOHOシネマズ新宿で濱口竜介監督による2021年製作映画「ドライブ・マイ・カー」(179分)を観ました 

この作品は村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を濱口竜介監督・脚本により映画化したものです

 舞台俳優で演出家の家福悠介(西島秀俊)は、脚本家の妻・音(霧島れいか)と幸せに暮らしていた しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう 2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう そこで出会った寡黙な専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)と過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく

 

     

 

この映画は、観る直前に「読んでから観るか、観てから読むか」という選択を迫られました 映画館で手配したチケットの上映開始時間まで70分ありました 「短編」なので何とかなるだろうと思い、紀伊国屋書店に行って村上春樹の「女のいない男たち」(文春文庫)を買い求め、西武新宿駅近くのマックに入ってハンバーガーを片手に約50ページの「ドライブ・マイ・カー」を読み始めました 残念ながら最後の5ページを読み残しましたが、ストーリーの概要は把握できました このため、原作と映画とでどこが違うのかが明確に判断できました 文庫本で50ページの物語を3時間の映画にするのですから、原作はあくまで物語のベースにしかなりません しかし、この作品のテーマである「喪失と再生」は共通しています

【以下、ネタバレ注意】(原作でなく映画の話)

家福と妻の音は子どもを幼くして亡くしています。2人はそれ以来 共通の喪失感を抱えながら生きてきました しかし、音は家福を「愛している」と言いながら、数人の男性と次々と関係を持っており、そのことを隠していました ある日、家福は海外出張が急にキャンセルになり 自宅に引き返した時に、音と若手俳優・高槻耕史(岡田将生)が愛し合う場面を目撃してしまいます しかし、家福はそのことで音を問い詰めることはせず、何事もなかったかのように「演じて」きたのです その後のある日、家福は出がけに音から「今夜、話したいことがある」と言われますが、彼は話を聞くことによって「大切なものが失われるのではないか」と直感し、わざと帰りを遅くします    家福が帰宅すると音は床に倒れていました。彼女はクモ膜下出血で帰らぬ人になりました     その時、家福は「なぜもっと早く帰ってあげなかったのか」と自分を責めることに成ります。音と正面から向き合うことを避けたために、大切な人を失ってしまったのです

家福は専属ドライバーのみさきと会話を交わすうちに、「演じる」のではなく「素の自分」を表面に出すことの大切さに気付きます 家福の要望で、みさきの生まれ故郷である北海道の山中までドライブすることになりますが、ここで、みさきは土砂崩れで犠牲になった母親のことを話します。「助けようとしたが、2度目の土砂崩れで助けられなかった。私が殺したようなものです」と告白するみさきに、家福は「君はまったく悪くない」と言います 「君は母親を殺し、私は音を殺した。音にもう一度会いたい。もう間に合わないけれど。会って、なぜ嘘をついたのかを聞きたい。そして謝りたい。なぜもっと早く帰らなかったのかと」と言って涙します ここで、この物語が家福だけでなくみさきの「喪失と再生」の物語でもあることに気が付きます

 

     

 

さて、音楽です 村上春樹の小説にはよくクラシック音楽が登場します 原作に次のような記述があります

「翌日からみさきは家福の専属運転手となった。(中略) 帰り道ではよくベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いた 彼がベートーヴェンの弦楽四重奏曲を好むのは、それが基本的に聴き飽きしない音楽であり、しかも聴きながら考え事をするのに、あるいはまったく何も考えないことに、適しているからだった

この文章からイメージして濱口竜介監督が選んだのはベートーヴェン「弦楽四重奏曲第3番ニ長調作品18-3」の第1楽章「アレグロ」でした 勝手に推測すると、「聴き飽きしない音楽であり、しかも聴きながら考え事をするのに、あるいはまったく何も考えないことに、適している」という条件を満たす作品ということで、充実期の中期の作品でも、深淵な後期の作品でもない、若き日のベートーヴェンが 弦楽四重奏曲の中で最初に作曲した「6つの弦楽四重奏曲作品18」のうち実質的に一番最初に完成した「第3番」の軽快な第1楽章を選んだのだと思います

それにしても・・・・と思うのは、冒頭近くの場面で、家福が海外出張が急にキャンセルになり、自宅に引き返した時に、音と高槻が愛し合う場面を目撃するシーンで流れていたのは、モーツアルトの明るい「ロンド」(記憶に間違いなければ「ロンド  ニ長調K.485」 )でした このシーンにそぐわない音楽です 「ロンド」とは「異なる旋律を挟みながら、同じ旋律を繰り返す形式。輪舞曲=Wikipediaより)」です その意味では、この曲は音が複数の男性と次々と関係を持つことのメタファーとして使われていたのだろうか

また、家福とみさきの車が北海道の雪景色の中を走るシーンでは、すべての音が消え静寂の世界が広がります ここで、濱口監督は無音の音楽を流していると感じました

 

     

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井上道義 ✕ 読売日響によるマーラー「大地の歌」、シベリウス「交響曲第7番」他のチケットを取る / 石川梵監督「くじらびと」を観る 〜 インドネシアの小島で捕鯨に生きる人々の記録

2021年09月14日 07時10分07秒 | 日記

14日(火)。わが家に来てから今日で2439日目を迎え、北朝鮮の朝鮮中央通信は13日、北朝鮮が11,12日の両日に新型長距離巡航ミサイルの試射に成功したと報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     いつも言ってるけど ミサイルに金を使う前に 国民の生活向上に使うべきじゃね?

 

         

 

昨日、夕食に「茄子のしょうが焼き」「生野菜サラダ」「冷奴」「豚汁」を作りました 秋はナス料理が美味しいですね

 

     

 

         

 

来年1月28日(金)午後7時から東京芸術劇場コンサートホールで開かれる「東京芸術劇場主催公演」のチケットを取りました プログラムは①マーラー「大地の歌」、②シベリウス「交響曲第7番」、③藤倉大「Entwine」で、演奏は①のアルト独唱=池田香織、テノール独唱=宮里直樹、管弦楽=読売日本交響楽団、指揮=井上道義です

 

     

 

          

 

昨日、新宿ピカデリーで写真家の石川梵監督による2021年製作映画「くじらびと」(113分)を観ました

インドネシアにある小さな島にある人口1500人のラマレラ村。作物が育たない土地で、住民たちはお互いの和を何よりも大切にし、海からの恵みに感謝の祈りを捧げ、400年もの間変わらぬ伝統の鯨漁を続けながら生きている 「ラマファ」と呼ばれるクジラの銛打ち漁師たちは最も尊敬される存在だ。彼らは手造りの小さな舟と銛1本で命をかけて巨大なマッコウクジラに挑む 2018年にラマファの一人であるベンジャミンがマンタ漁で命を落とす 人々は深い悲しみに暮れる中、舟造りの名人である父イグナシウスは家族の結束の象徴として、伝統の舟を造り直すことを決意する 1年後、彼らの舟はまだ見ぬクジラを目指して大海へと漕ぎ出す   そしてマッコウクジラを射止める

 

     

 

本作は、ライフワークとして30年間ラマレラ村の人々を追い続けてきた写真家・映像作家の石川梵監督が、2017年から2019年までに撮影した映像をもとに制作、自然とともに生きるラマレラ村の人々の日常を、繊細かつ臨場感に溢れる映像で描き出したドキュメンタリーです

ドローンを使って空撮した捕鯨漁の迫力に圧倒されます 銛を撃ち込まれたクジラは巨大な尾びれを舟に打ち付け、漁師たちは海に投げ出されますが 必至にロープを手繰り寄せクジラを繋ぎ止めようとします   まさに生活をかけた人間と生き延びようとするクジラとの壮絶な闘いが記録されています

また、銛を撃たれて赤い血を吐き出しながらのたうちまわるクジラを海中から撮影した映像には、「いったいどうやって撮ったのか?」と驚きを隠せません

漁に出る時の浅瀬の海は底が見えるほど透明で感嘆するほど美しい しかし、クジラがいる沖合に出るとどこまでも紺青の深い海で、怖ささえ感じます

村人のほとんどがカトリック信者であるということで、彼らは教会に通います。したがって彼らの日常には祈りがあります 「我々はクジラを殺すが、クジラには感謝している」という長老の言葉が、すべての村人の気持ちを代弁しています 捕獲したクジラは、捨てる部分が全くなく、食糧として、灯火の油として有効に活用されますが、どの部分をだれが取るかという「分配方法」が昔から決まっているといいます    これも「和」を大切にする村人の心を反映しています

本作が撮影できたのは、石川梵監督が30年という長い時間をかけて築き上げた村人たちとの信頼関係があってこそです    これは言葉では言い尽くせないほど凄いことです

今年に入ってから140本以上の映画を観てきましたが、本作は間違いなく「ベストスリー」に入る映画です     是非、大画面で観たい作品として強くお薦めします

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マーラー「交響曲第1番」、久石譲「交響曲第3番」(世界初演)を久石譲 ✕ 新日本フィルで聴く ~ 第637回定期演奏会:サントリーホール / ブレイディみかこ著「他者の靴を履く」の書評を読んで

2021年09月13日 07時16分55秒 | 日記

13日(月)。一昨日の朝日新聞朝刊 読書欄にブレイディみかこ著『他者の靴を履く』(文芸春秋)の評(朝日・宮地ゆう記者)が載っていました 著者は前書『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で、シンパシーとエンパシーの違いを書いていました 「シンパシー」は「誰かを可哀そうだと思う感情や友情」といった意味で、「エンパシー」は「他者の感情や経験などを理解する能力」といった意味だという内容でした 宮地記者は、「『他者の靴を履く』で著者は『エンパシーという言葉とその変遷を、心理学、神経科学、哲学、社会学などから読み解き、必ずしもプラスの作用ばかりではないことも指摘している』」と紹介し、「著者は『コロナ禍の英国社会に広がったエンパシーによる助け合いに、国家からの自立と相互扶助をうたうアナキズムの精神を見い出す そしてアナキズムとエンパシーは互いに補完し合うものだ』と説く」と解説しています

「国家からの自立」とか「アナキズムの精神」という言葉から、「国家の力を頼りにしないで、日常の助け合いによってエンパシー能力を養おう」ということかな、と思いました 本文を読まないと著者の真意が解らないので是非読みたいと思いますが、私は基本的に単行本は買わない主義(重いし場所を取る)なので、1日でも早く文庫化することを期待して あみんのように 待つことにします

ということで、わが家に来てから今日で2438日目を迎え、日本経済新聞社とテレビ東京が9~11日に実施した緊急世論調査によると、自民党総裁に相応しい人として河野太郎氏が27%で首位、続いて石破茂氏が17%で2位、岸田文雄氏が14%で3位だった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     多くの国民が納得していない「森友・加計・桜を見る会」をどう扱うかがポイント

 

         

 

昨日、サントリーホールで新日本フィル「第637回定期演奏会」を聴きました プログラムは①久石譲「Metaphysica(交響曲第3番)」(新日本フィル創立50周年委嘱作品・世界初演)、②マーラー「交響曲第1番ニ長調」です 指揮は新日本フィルの Composer  in  Residence  and  Music  Partner の久石譲 です

久石譲(ひさいし  じょう)は国立音楽大学在学中からミニマル・ミュージックに興味を持ち、現代音楽の作曲家として出発しました 1984年のアニメ映画「風の谷のナウシカ」以降、宮崎俊監督全作品の音楽を担当するほか、数多くの映画音楽を手掛け、日本アカデミー賞優秀音楽賞などを多数受賞しています 2004年に「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」の音楽監督に就任しています

 

     

     

ホール入口に入って右側の新日本フィル事務局受付に顔を出すと、パトロネージュ部の登原さんが「あれ〜、どうしたんですか〜?」と驚きの表情 9日にリハーサルを聴いて 本番を聴きたくなり 急きょチケットを取ったので、彼女はまさか私がサントリーホールに出現するとは思っていなかったようです これで彼女はトリフォニーホールだけでなくサントリーホールにも事務局員として”出勤する”ことが分かりました

自席は2LA3列23番、舞台左サイドの2階部分に当たる席で、指揮台の左横が正面に見える位置です

楽団員が入場し配置に着きます 弦楽器は16型(!)で左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります コンマスは崔文洙。ヴィオラのトップにはカルテット・アマービレのヴィオラ奏者としても活躍する中恵菜の姿が見えます また、ハープには自称”フリーランスの手酌系ハーピスト” 高野麗音がスタンバイします 蛇足ですが、彼女のツイッターは日本酒と手造りの肴が出てきて楽しいです

1曲目は久石譲「Metaphysica(交響曲第3番)」(新日本フィル創立50周年委嘱作品)の世界初演です 作曲者本人によるプログラムノートによると本作は「4管編成(約100名)で全3楽章から成る約35分の曲で、編成としてはマーラーの交響曲第1番とほぼ同じであり、それと一緒に演奏することを想定して書いた楽曲である タイトルの『Metaphysica』はラテン語で形而上学という意味で、ケンブリッジ大学が出している形而上学の解釈を訳すと『存在と知識を理解することについての哲学の一つ』ということになる 要は感覚や経験を超えた論理性を重視するということで、自分の場合は音の運動性のみで構成されている楽曲を目指したということである」という作品です 曲は第1楽章「existence」、第2楽章「where  are  we  going?」、第3楽章「substance」の3楽章から成ります   

久石氏が指揮台に上り第1楽章に入ります 曲想としてはリヒャルト・シュトラウスの大管弦楽曲を思い浮かべました 基本的にはミニマル・ミュージック(音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽~Wikipediaより)なので、R.シュトラウス風ミニマル・ミュージックとでも言うべきか 第2楽章は一転、弦楽器によるメロディーラインがとても美しい曲で、さすがは「風の谷のナウシカ」の作曲家だと思わせます 中盤における崔コンマスとビルマン聡平のヴァイオリン、長谷川彰子のチェロ、中恵菜のヴィオラによる四重奏は素晴らしい演奏でした 第3楽章は再び大管弦楽による激しい音楽が展開、「となりのトトロ」の作曲者の全く別の顔を前面に押し出したインパクトのある音楽を繰り広げました

 

     

 

プログラム後半はマーラー「交響曲第1番ニ長調”巨人”」です この曲はグスタフ・マーラー(1860‐1911)が1883年から88年まで2部からなる「交響詩」として作曲、その後93年1月に全5楽章の「巨人、交響曲形式による交響詩」(第1楽章「終わりのない春」、第2楽章「花の章」、第3楽章「満帆で」、第4楽章「難破!(カロ風の葬送行進曲)」、第5楽章「地獄より」)として改訂、さらに1894年から96年にかけて「花の章」を省略するなど大きな改訂を加え、1899年に標題を全て取り去ったうえで交響曲として初演されました 第1楽章「緩やかに。重々しく。自然の響きのように」、第2楽章「力強く躍動して、しかし速すぎないように」、第3楽章「厳かに威厳をもって、ひきずることなく」、第4楽章「嵐のように激しく揺れ動いて 〜 精力的に」の4楽章から成ります

久石の指揮により第1楽章が静寂の中で開始されます この楽章ではフルート首席の野津雄太、オーボエ首席の神農広樹(いつの間にか首席になっている!)、クラリネット副主席の仲舘壮志、ファゴット首席の河村幹子の演奏が素晴らしい 第2楽章の冒頭、久石はチェロにゆったりしたテンポの演奏を求めますが、すぐにテンポアップします 中盤では消音器付きホルンとクラリネットにベルアップ奏法を求めました 久石は各楽器を良く歌わせます 第3楽章は冒頭、ティンパニの演奏にのせて竹田勉によるコントラバスが童謡「フレール・ジャック」のメロディーを短調で葬送行進曲風に演奏、河村幹子のファゴットが受け継ぎます 「フレール・ジャック」は、かつての英語青年には「アーユースリーピン、アーユースリーピン、ブラザー・ジョン」の歌としてお馴染みの、また 幼稚園や保育園のよい子の皆さんには「グ―チョキパーでなにつくろう」でおなじみのメロディーです 中盤でハープにのせて弦楽器が奏でるメロディーがとても美しく響きます 高野麗音さん、素晴らしい演奏でした そして、何より素晴らしいと思ったのは、第3楽章終結部の、酔っぱらいの末路的な息たえだえの音楽から、第4楽章冒頭の衝撃の嵐の音楽に移るコペルニクス的転換です 第3楽章で気持ちよく寝入っていた人は、ここで飛び上がります この楽章はマーラーの指示の通り「嵐のように激しく揺れ動いて 〜 精力的に」というアグレッシブな演奏が展開します 久石はフィナーレでホルンに立奏を求めましたが、8本のホルンの立奏は壮観です 咆哮する金管楽器、強奏する木管楽器、炸裂する打楽器、シャカリキの弦楽器によって勝利の音楽が展開し圧倒的なフィナーレを迎えます

何度もカーテンコールが繰り返され、久石氏が大きな拍手で迎えられます 精力的な指揮でしたが、新日本フィルの楽員が良く応えました

終演後、受付に寄って登原さんとお話ししましたが、彼女も会場内に入ってマーラーが聴けたようです これも彼女の仕事のうちです 彼女は「分かっていても興奮してしまいました」と語りました。私は「そういうもんです」と返しましたが、登原さんは「コンサートを聴く根本的な意義」を言葉で表しているな、と感心しました コンサートで音楽を聴くにしても、有名な映画や絵画を観るにしても、また歌舞伎や演劇を観るにしても、観る者や聴く者にとって、それらは分かっていながら観たり聴いたりするものです 「一度観たから」とか「一度聴いたから」という理由で二度と観たり聴いたりしたいとは思わないことはありません それは対象とする芸術が素晴らしいからであり、そこから得られる感動を再び体験したいから、また観たい聴きたいと思うのです

そういう意識が人々の心の中に生き続ける限り、クラシック音楽が、名作映画が、名画が、歌舞伎や演劇が時代を超えて いつまでも鑑賞され続けるのだと思います

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パーヴォ・ヤルヴィ ✕ NHK交響楽団でバルトーク「中国の不思議な役人」「管弦楽のための協奏曲」を聴く ~ コロナ禍時代のニューノーマルとなるか? 指揮者の入退場方法:N響池袋Cプログラム

2021年09月12日 07時08分00秒 | 日記

12日(日)。わが家に来てから今日で2437日目を迎え、出席を欠かさなかった児童・生徒に贈られ、終業式や卒業式で表彰される皆勤賞が、「休むことは悪」という日本の風潮を助長しているとの批判や、長引く新型コロナウイルス禍で「体調が悪いのに無理をして登校する必要はない」と取りやめる動きが加速していることを受け、消えつつある  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     皆勤しか自慢できない生徒には辛い 給食を一番速く食べた賞の創設を解禁したら?

 

         

 

昨日、東京芸術劇場コンサートホールでNHK交響楽団2021-2022シーズン「池袋Cプログラム」第1回目の演奏会(第1936回定期公演)を聴きました このシリーズは休憩なし約1時間のコンサートです プログラムはバルトーク①組曲「中国の不思議な役人」、②管弦楽のための協奏曲です 指揮はN響首席指揮者 パーヴォ・ヤルヴィです

N響定期演奏会は昨年2月が最後で、それ以降はその都度チケットを発売して公演を開催してきました 久しぶりの定期演奏会復活です 今期は2階左側のバルコニー席が私の定期会員席です この席のメリットは①演奏者に一番近い、②指揮者の表情が良く見えるし、会場の全体を見渡すことが出来る、③迫力のある音で楽しめるーといったところですが、デメリットは①第1ヴァイオリンは背中しか見えないのをはじめ、ステージ下手側の演奏者がまったく見えない、②音のバランスが悪いーといったところです 取りあえず1年間この席で聴いてみることにします

この池袋Cプログラムだけの特典として、開演前の約15分間、室内楽の演奏があります この日はクラリネット=山根孝司、ヴァイオリン=松田拓之以下弦楽奏者4人により、ブラームスの「クラリネット五重奏曲」の第2楽章が演奏されました ブラームスの室内楽は秋の季節にとてもマッチします 穏やかで温かい演奏でした

会場は7~8割の客入りでしょうか。よく入った方だと思います

最初に管・打楽器が入場するところは従来と同じですが、次に、何と指揮者のパーヴォ・ヤルヴィとコンマスのマロさんが入場してきたのにはビックリしました 指揮者とコンマスが弦楽奏者を迎え入れる形をとりました 新型コロナ感染防止上の措置ですが、その徹底ぶりに驚きました その代わりと言っては何ですが、楽員はマスクを着用していません

オケは14型で左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという、左から右へ高い音から低い音へと並ぶ配置です これはアメリカの指揮者レオポルド・ストコフスキーがステレオ録音のために考え出したと言われる配置です つまり、高音楽器を左サイドに、低音楽器を右サイドに集め、ステレオの左のスピーカ―からは高音部が、右のスピーカーからは低音部が聴こえるように「ステレオ効果」を狙ったものです もっとも、残念ながら自席のような会場の右や左のバルコニー席では「ステレオ効果」は望めません

 

     

 

1曲目はバルトークの組曲「中国の不思議な役人」です この曲はベラ・バルトーク(1881‐1945)が1918年から翌19年にかけて作曲(1924年に管弦楽化、1927年に組曲版完成)した作品です 太田峰夫氏のプログラムノートによると、「作家メニヘールト・レンジェルによるパントマイム劇の筋書きの舞台は大都会。ならず者たちは自分たちの巣窟の窓際に少女ミミを立たせ、誘惑にのってやって来る客たちに略奪行為を働いていた 老紳士と学生が犠牲になった後、豪奢な衣装を身にまとった中国の役人がやってくる。ミミが踊り、しなだれかかると、静かだった役人が震えだし、猛烈な勢いで少女を追い回し始める 押さえつけられても、はては首を吊られても、役人はミミを求め続ける しかしミミに抱きしめられると、彼女の腕の中で静かに息を引き取る」という内容です 曲は「導入」「第1の誘惑と老紳士」「第2の誘惑と学生」「第3の誘惑と役人」「少女の踊り」「追跡」の6つの部分からなります

全曲を聴いた印象は、時にバーバリズムを感じさせる激しい音楽が聴かれ、ストーリーからもストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」を思い浮かべました とくに最後の「追跡」におけるアラブ民俗風の速くて激しい音楽の演奏を聴いて、N響のオーケストラとしての総合力の高さを感じました

休憩はありませんが、ここで一旦全員が退場します 最初に楽員が退場し、最後にヤルヴィとマロさんが退場しました

 

     

 

プログラム後半はバルトーク「管弦楽のための協奏曲」です この曲は1943年にクーセヴィツキー夫人の追悼とクーセビツキー生誕70周年とボストン交響楽団指揮者就任20周年を記念して作曲され、1944年12月1日にクーセヴィツキ-指揮ボストン交響楽団により初演されました 第1楽章「序奏」、第2楽章「対の遊び」、第3楽章「エレジー」、第4楽章「中断された間奏曲」、第5楽章「終曲」の5楽章から成ります

再びヤルヴィとマロさんが先に登場し、後から入場してくる楽団員を迎え入れました

ヤルヴィの指揮で第1楽章「序奏」に入ります トランペットの演奏が素晴らしい また、フルートの神田寛明の演奏が冴えています 面白かったのは第2楽章「対の遊び」です 管楽器が2本ずつペア、つまり”対”になって音楽の遊びを繰り広げるものです ファゴット、オーボエ、クラリネット、フルート、トランペットの順番に二重奏を展開しますが、N響の木管を中心とする楽員の名人芸を聴くことが出来ました 第3楽章「エレジー(悲歌)」では、ヴィオラを中心とする弦楽器の渾身のアンサンブルが素晴らしい 第4楽章「中断された間奏曲」の「中断」というのは、曲の中盤で乱入してくるショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」の第1楽章の主題(ナチスによるレニングラード侵攻を描いたもの)が引用されている部分のことです トロンボーンのグリッサンドによる「ブーイング」と、それに続く木管楽器による馬のいななきのような「嘲笑」を聴くと、いつも笑ってしまいます ヤルヴィはここで思い入れたっぷりに指揮をしていました 第5楽章「終曲」ではトランペット、トロンボーン、チューバ、ホルンの金管楽器群の、天を突くような迫力が印象的でした

全般を通して、ヤルヴィは切れ味鋭い日本刀のような鮮やかな指揮ぶりを見せ、N響の楽員は見事にヤルヴィの高いレヴェルの要求に応えていました

大きな拍手の中、楽員が引き揚げ、最後にヤルヴィとマロさんが引き揚げますが、カーテンコールがあり、ヤルヴィとマロさんが再登場し満場の拍手に応えました

今回の入退場方法を見て考えたこと・・・こちらの方がスマートではないか コロナ禍の時代における入退場のニューノーマルとなるか

ということで、急な話ですが 今日はこれを聴きに行きます まだ当日券あります。早い者勝ちです

 

     

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ガーシュインの337曲、著作権復活 〜 朝日新聞の記事から / イ・へジュン & キム・ビョンソ監督「白頭山大噴火」を観る 〜 TOHOシネマズ新宿

2021年09月11日 07時09分29秒 | 日記

11日(土)。昨日の朝日夕刊社会面に「作曲家ガーシュインの337曲 一度は消えた著作権 異例の存続判断」という見出しの記事が載っていました 超訳すると、

「米国の作曲家ジョージ・ガーシュインの337曲は、1937年の死去後、1998年に著作権は消滅したが、兄アイラ・ガーシュインも作曲を担ったと米国の著作権管理団体ASCAPが主張、昨年、兄の関与を証明する秘書らの宣誓供述書や、契約書が日本音楽著作権協会(JASRAC)に提出された その結果、兄弟の『共同著作物』と確認できた 共同著作物は最後に亡くなった人の保護期間が適用される。兄は1983年に死去。改正著作権法で保護期間は死後70年に延長され、337曲は兄の保護期間が切れる2053年まで著作権が存続する 337曲が来年1月以降にコンサートなどで演奏されれば、著作権料の徴収の対象となり、JASRACにとっては徴収額や手数料収入が増加する可能性がある。なお、『サマータイム』は含まれるが、人気曲『ラプソディー・イン・ブルー』は含まれない

記事中の「サマータイム」はガーシュインのオペラ「ポーギーとべス」の中で歌われるアリアです したがって、オペラを上演する際も、リサイタルで「サマータイム」を歌う際も著作権料は払わなければならなくなるということでしょうね

今からン十年前、渋谷「ライオン」,中野「クラシック」、新宿「らんぶる」などのいわゆる「クラシック喫茶」によく通ったものですが、リクエストでかかるのはモーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、シューマン、ショパン、チャイコフスキー、ドヴォルザークなどが中心で、新しくてマーラーやブルックナーがかかっていました それ以後の作曲家のレコードやCDはほとんどかかりませんでした 「まあ、クラシックを聴く人間は保守的な人が多いからなぁ」と思っていると、ある時、ある曲のリクエストを受けたお店の人が「その曲は著作権の関係でレコードがかけられないんですよ」と話すのを小耳にはさみました その時「なるほど、そういう理由だったのか」と納得しました   保守化するわけです

ということで、わが家に来てから今日で2436日目を迎え、映画「レッドクリフ」などに出演した俳優・逍薇さんの作品が動画配信サービスから一斉に削除されるなど、中国で芸能人や関連事務所に対する取り締まりが相次いでいる  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     教育の周近平イズムの徹底の次は芸能界への締め付けか 第二の文化大革命みたいだ

 

         

 

昨日、夕食に2週間に一度のローテ入りした「鶏の唐揚げ」を作りました もう慣れたのでとても美味しく出来ました 唐揚げにはやっぱりビールですね

 

     

 

         

 

昨日、TOHOシネマズ新宿でイ・へジュン & キム・ビョンソ共同監督による2019年製作韓国映画「白頭山大噴火」(128分)を観ました

北朝鮮と中国の国境付近に位置する火山・白頭山で観測史上最大の噴火が発生した    大地震によりソウルでもビルが倒壊し、漢江は荒れ陸橋が崩壊する パニックに陥る中、政府は白頭山の地質分野の権威であるカン教授(マ・ドンソク)に協力を依頼する カン教授は朝鮮半島を崩壊させるほどのさらなる大噴火が75時間後に起こると予測し、白頭山の地底に存在するマグマの圧力を人為的な爆発で下げる作戦を立てるが、成功率は4%以内、タイムリミットは75時間と設定する 韓国軍爆発物処理班のチョ・インチャン大尉(ハ・ジュンウ)率いる部隊が落下傘で北朝鮮へ侵入し、北朝鮮のICBMを奪い 火山の鎮静化を図る極秘作戦に乗り出す インチャン大尉は作戦成功の鍵を握る北朝鮮人民武力部の工作員リ・ジュンピョン(イ・ビョンホン)を北の牢獄から救出し、対立しながらも信頼関係を深めていく そして2人は、ICBMミサイルからウラニウムを小型起爆装置に移して火山の地下の深い坑道に運び込む

 

     

 

「爆発物を使って火山のマグマの流れを変えて大噴火から人類を守る」というストーリーの日本の小説を読んだことがあります しかし、タイトルと著者名が思い出せません 本作は、間接的にその小説を参考にしているのかもしれません この映画で面白いのは、韓国の大尉がどことなく頼りない人間として描かれているのに対し、北朝鮮の工作員が頭が良く機敏な人間に描かれていることです しかし、最後に生き残るのは韓国のインチャン大尉です。この辺がやっぱり韓国映画です

本作はスペクタクル・サスペンス・アクション映画とでも言いたくなるようなド派手な作品ですが、南の大尉と北の工作員それぞれの「父親物語」でもあります ヒヤヒヤ・ドキドキの中に、ホロリとさせるシーンが待っています

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